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きのたけカスケード ss風スレッド

1 名前:きのこ軍:2020/03/15 23:24:14.292 ID:MbDkBLmQo

数多くの国が点在する世界のほぼ中心に 大戦自治区域 “きのこたけのこ会議所” は存在した。

この区域内では兵士を“きのこ軍”・“たけのこ軍”という仮想軍に振り分け、【きのこたけのこ大戦】という模擬戦を定期的に開催し全世界から参加者を募っていた。
【大戦】で使用されるルールは独特で且つユニークで評判を博し、全世界からこの【大戦】への参加が相次いだ。
それは同じ戦いに身を投じる他国間の戦友を数多く生むことで、本来は対立しているはずの民族間の対立感情を抑え、結果的には世界の均衡を保つ役割も果たしていた。
きのこたけのこ会議所は平和の使者として、世界に無くてはならない存在となっていた。


しかしその世界の平和は、会議所に隣接するオレオ王国とカキシード公国の情勢が激化したことで、突如として終焉を迎えてしまう。


戦争を望まないオレオ王国は大国のカキシード公国との関係悪化に困り果て、遂には第三勢力の会議所へ仲介を依頼するにまで至る。
快諾した会議所は戦争回避のため両国へ交渉の使者を派遣するも、各々の思惑も重なりなかなか事態は好転しない。
両国にいる領民も日々高まる緊張感に近々の戦争を危惧し、自主的に会議所に避難をし始めるようになり不安は増大していく。

そして、その悪い予感が的中するかのように、ある日カキシード公国はオレオ王国内のカカオ産地に侵攻を開始し、両国は戦闘状態へ突入する。
使者として派遣されていた兵士や会議所自体も身動きが取れず、或る者は捕らわれ、また或る者は抗うために戦う決意を固める。

この物語は、そのような戦乱に巻き込まれていく6人の会議所兵士の振る舞いをまとめたヒストリーである。



                 きのたけカスケード 〜 裁きの霊虎<ゴーストタイガー> 〜



近日公開予定

101 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その2:2020/05/30(土) 10:52:48.290 ID:EGCyId9co
栄養の源たる特製コーヒーに口をつけながら窓際に向かった。
そして空気の入れ替えのため窓を開け放ち、同時に外の景色を眺めた。

初夏を迎えた湖畔の街は肌寒さを感じさせず心地よい風が吹きかけてきていた。
内陸沿いに広がる広大なカカオ畑を見ているだけで食欲がそそられる。
Tejasは、近くに置いてあった椅子を窓の傍に引き寄せるとともに腰掛け、暫しその風景を堪能した。
起きてから忙しなかった“マイスター”の初めての休憩だ。

【きのこたけのこ会議所】に属するきのこ軍兵士 Tejasは先日、議長の滝本から許可を取った上で長期休暇を取得し、オレオ王国内のカカオ産地を訪れていた。

カカオ産地はその名の通り、広大なカカオ畑とチョコ精錬所を抱える世界一のチョコ精製地帯である。
だが同時に、会議所地域とオレオ王国を跨ぐように広がるチョ湖のほとりには、ヴィラを含む避暑地もあり、カカオ産地は世界有数のリゾート地としてもその名を馳せていた。

今回、Tejasが羽根を伸ばすために選んだ場所は、チョ湖からほど近い別荘地区だ。
暑過ぎもせず、かといって冷え込むこともなく、適度に風当たりの良い好みの土地だった。


102 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その3:2020/05/30(土) 10:56:07.640 ID:EGCyId9co
コーヒーを飲み終えると余韻に浸る暇もなくTejasは立ち上がり、扉の前のポストをあさり別荘宅に投函されたチラシ類を確認し始めた。
“マイスター”はあらゆる時間を無駄にはしない。
全ての所作が時間通りで且つ流暢だ。

Tejas「さて、と。今日はどんな便りが来ているかな。
なになに?『オレオ王国とカキシード公国の関係、さらなる悪化』…ああ、これは新聞か」

新聞は読まない。情報は全て自分の目と足で確かめる主義だ。
内容を確認しないまま、Tejasは不要な新聞をあっさりと暖炉に放り込んだ。

Tejas「そろそろ休暇も終わりか?前の別荘もなかなか良かったけど、ここも住心地だけなら三本の指に入るな」

胸ポケットに入っている手帳を取り出し、残りの日程を確認する。
まだ休暇の終わりまで一週間あるが、会議所への帰還を考えると数日以内にはこの別荘を後にしなくてはいけない。
楽しい休日も終わりか、と一人嘆息した。

この休暇中、Tejasは数々の観光地を転々とした。一つの拠点に滞在せず、気ままに赴く場所を決めた。
自由人でありながら一方で凝り性であることは自覚しているので、部屋を選ぶ際には必ずベッドの傍に窓が付いている角部屋にする。

選んだ宿には何泊かし、ある日思い立ったら旅立つ。その繰り返しだ。
そのため決まった日数は泊まらない。ただ、宿泊時にまとまった金を店主に渡すため、店主から見れば、こちらは若者ながら気前のいい上客に違いなかった。

Tejas「そろそろ“仕事”の準備をするか」

左手で封を開けた板チョコを手に持ちながら、Tejasはベッドの下に置いていた工具箱を引きずり出し、器用にも片手で必要な工具だけを取り出し、自らのポーチに詰め込んだ。
ここ数日でこの街の“傾向”はある程度掴んだ。用意しておく工具はそれ程無く、今回も楽な“仕事”となりそうだ。

Tejas「それでは行ってくる」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

103 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その4:2020/05/30(土) 10:57:59.099 ID:EGCyId9co
【オレオ王国 カカオ産地 避暑地 中心街】

白の外壁で彩られたモダンな邸宅街は、見る者に開放感と心を広々とさせてくれる。
湖へ続く中心街を歩きながら、Tejasは道の左右にそびえ立っている邸宅に次から次へと目を向けていた。
“仕事”のための物件選びだ。

―― あの家はダメだ。豪邸なので大層な裕福な実業家あたりが住んでいるだろうから期待できるが、如何せん開放的すぎる。
きっと家主が自由奔放と大雑把をいっしょくたにした人間だろうから、粗がある作りだろう。楽しめない。

とりわけ大きい屋敷を素通りしながら、Tejasはキビキビと歩く。

それにしても今日は出歩く人が特に少ない。日が経つに連れ、外出する人が減っているのはどうしたことだろうか。
同じ時間帯でも、昨日までならもう少し人は多かったはずなのに。
カツカツと歩く自らの靴音がこころなしかよく響く気がした。

―― あの商店の倉庫もダメだな。大通りに面しすぎている。こんなに分かりやすい場所に置いているということは隠しものなんてないし期待できない。

左手でチョコをかじり、景気の良さそうな土産店も素通りしながら歩を進める。


104 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その5:2020/05/30(土) 11:00:46.365 ID:EGCyId9co
ただ、別に人が少なかろうと多かろうと、Tejasにとって些細な問題ではない。
“仕事”をする上で人目は真っ先に気にしなければいけない問題ではあるが、その事象に気を取られすぎては本来ある“宝物”も取り逃してしまう。
リスクはある程度許容しなくてはいけないのだ。

ただ、ここまで人通りが少ないと“仕事”とは関係なく少し心配になった。
まるで、目の前の光景が、何か“厄災”が迫っていてそれに呼応するように姿を消すネズミと被る不気味さがある。

大通り沿いの建物は一通り物色し終わり、TejasはT字の交差点の外れから一本伸びている裏路地を見つけた。
ただでさえ人通りの少ない大通りから外れたその裏路地は、朽ちた倉庫の一角が路地全体に広がっているように陽にも当たらず、カビが自生できる程の湿っぽさだった。

観光客であればまず踏み入れることはないし、道の狭さから、地元民でも目に映らず知らずのうちに通り過ぎている者が大半だろう。
心の中で舌なめずりをしながらTejasは足を踏み入れ、そして予想通り、すぐに丁度いい“物件”を見つけた。

裏路地に入ってすぐ左手にある二階建ての建屋だ。
この建屋だけ路地から地下に階段が続いており、恐らく地下室への扉がある。
さしずめ表通りに面していれば肉屋かチョコ屋か、いずれかの商店の地下倉庫だろう。

自分の中でのレコードタイムの更新だ。
小躍りしたくなる気持ちをぐっと抑えたが口元のニヤつきは抑えられなかった。


105 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その6:2020/05/30(土) 11:03:17.568 ID:EGCyId9co
いつもは“物件”の選定に時間がかかる。

それは、Tejasという人間が向上心の塊であるからに他ならない。

Tejasは同じ条件の“仕事”を二度と行わない。

そのため、次々と趣向を変え自分に条件を課し“仕事”の難易度を上げていくのだ。
運が悪い時には町中を一日中歩き回り、そのまま宿に引き上げる時もある。

彼の強い拘りが彼自身を縛り上げていく中で、こんなにも早く“仕事”にありつけるとは、きっと日頃の行いが良いからに違いない。
Tejasはひとりでに何度か頷き自らの善行を顧みた。


Tejasが目の前の物件に惹かれた理由は二つある。

一つはやけに地下扉の錠が頑丈だということだ。
通常、こうした建屋では鍵をかけても錠前は一つか、多くても二つだ。しかし、この建屋の錠前はなんと三つも付いている。そ
れに扉に付いている鍵穴も合わせると計四つのプロテクトがかかっている。明らかに異常だ。
余程、中にお宝でもしまい込んでいるか、“外に出してはいけない物でもあるか”。そのどちらかでしかない。

二つ目の理由としては、この建物だけ周りの建屋よりもみすぼらしく“浮いた”外見だったということだ。

ここ数日の物色の成果だが、この付近の商人の羽振りは大層良い。
会議所地域にも観光地帯は点在しているが、どれも此処と同じように小洒落てはいない。良く言えば風情があり、悪くいえば田舎臭い風光明媚の良い地域ばかりだ。
“チョコ革命”により資源としてのチョコの価値が高まった今、カカオ産地自体の価値も他の地域とは一線を画す。当然、工業地域だけではなくその傍にある観光地域も潤う。当然の摂理だ。


106 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その7:2020/05/30(土) 11:05:31.089 ID:EGCyId9co
人々の懐が暖まれば生活は豊かになる。
その次に、人は何を考えるか?
Tejasは少ない経験則ながら知っている。

豊かになった人間は次第に、周りに対し見栄を張り始めるのだ。
特に周りも同じ水準で優雅な暮らしを始めれば、自分はより贅沢であると虚勢を張りたくなる。
それがこの路地裏にも如実に表れている。

Tejasはしげしげと人通りが皆無な路地裏を見渡した。

この路地は、あまりにキレイすぎるのだ。
ゴミも食べかけのガムも特に落ちていないし、野良猫も蜘蛛もいなければ、飲んだくれの親父も瓶を抱きながら辺りで寝転げてはいない。

表通りで見栄を張った人々は、次は路地裏にも気を使い始めたのだ。
路地裏にもたっぷりとペンキを塗りたくり、地面にこびりついたガムを引っ剥がし清掃し、不潔な生物が自分の家に背をもたれかけて寝ていないか目を光らせる。
誰も気にしていないというのに、自身の虚栄心がそうさせるのだ。

その中で、目の前の物件だけはみすぼらしい建屋を“維持している”。
店主は路地裏に気を回すほどの富裕層ではないか、さもなくか相当なケチらしい。
どちらにせよ、Tejasはこうした汚らしい建物のほうが周りの建物より余程好きだった。

Tejas「始めますかね。今日は記録が狙えそうだ」

さっと辺りを見渡すと、Tejasは躊躇いもなくその建屋の階段を降り半段下がった位置にある地下扉の前に立った。

扉に取り付けられギュウギュウ詰めになった錠前たちを手に取り眺める。
最新の型式のものが一つ、残りは古い型式のメーカー違いのもので固められている。

やはり店主はどケチなだけだな、とTejasは一人クツクツと笑った。


107 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その8:2020/05/30(土) 11:09:23.388 ID:EGCyId9co
ポーチから必要な工具を取り出した。
“仕事”の開始だ。

同時にTejasは鼻歌で“イン・ザ・マッチャー”を歌い始めた。
最近、会議所に居た時に作り終えたばかりの吹奏楽曲で、初演奏をする前に外に出てきてしまったが、これまで作った曲よりも完成度は高い。
たけのこ軍兵士抹茶の名を曲名に入れて入るが、これは曲名に困ったから入れただけで特に意味はない。

Tejas「今回は楽しませてくれよ?」

ただ鍵を開けるだけでは何の面白みもない。
自ら研鑽しレベルアップを図るため、Tejasはいつも“仕事”に条件を課す。

最近であれば片手で鍵の解錠作業を、もう片手でエアトランペットを吹き、時間内に“仕事”を終えるというものだ。
時間内に終わらなければたとえ作業の途中でもあっても潔く諦める。
こうして緊迫感のある状況を自ら演出し、手先の器用さを磨いてくのだ。


―― ウォーキングベース(歩くような速さで)。

“イン・ザ・マッチャー”はアップテンポの小気味いい曲で、演奏時間は3分にも満たない。

錠前が3つもあるため比較的難易度は高めだ。
腕が鳴るとばかりに、目の前の錠前の鍵穴に、Tejasは左手で細く尖った工具を勢いよく刺した。


108 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その9:2020/05/30(土) 11:11:27.259 ID:EGCyId9co

―― クレッシェンド(だんだん強く)。

鍵穴の中の工具を慎重に、そして高速で回していく。
同時に、右手はトランペットのピストンを抑えるように指をこまめに動かす。
最初の30秒でカチリという音とともに、新しい錠前はあっという間に外れた。


――フォルティシモ(とても強く)。

曲調にあわせて、Tejasの両手の動きは苛烈さを増していく。
古い錠前には目もくれず左手で工具を差し込むと、素早い所作で錠前を外していく。
右手の動きも絶好調だ。


Tejasは“仕事”中に、自らの手先の感覚を大事にしたい鍵の方を見ることを決してしない。

この“仕事”は【きのこたけのこ大戦】以上にゲーム性が高い。

【大戦】はきのこ軍勝利のために個を殺した団体戦となる場合も往々にして多いが、いま取り掛かっている“仕事”は完全な個人技だ。

自らを信用し信頼しない限り勝利はあり得ない。
また、誰かに見つけられるだけでも終わりだ。常に敗北のリスクは隣り合わせの状況にいる。

Tejasは常に自らの感覚を研ぎ澄ませるこの“仕事”を、【大戦】と同じくらい愛していた。


109 名前:Episode:“マイスター” Tejas  仕事の流儀編その10:2020/05/30(土) 11:13:50.710 ID:EGCyId9co

―― モデラート(中くらいの速さで)。

2分30秒。

全ての錠前を外し終わり扉の鍵穴を突破するまでに思いの外時間はかからなかった。
しかし曲も終盤に差し掛かっていたため、敢えてTejasは扉を開けず、“イン・ザ・マッチャー”を最後まで“奏で終えた”。


―― ダカーポ(始めに戻る)。

演奏後の余韻に浸りながら、左手でさっと工具を仕舞い。
そして演奏後の聴衆の拍手に応えるように、Tejasはエアトランペットで吹き終えた右手を静かに下げた。






きのこ軍兵士Tejas。



彼は自らの研鑽を理由に、ピッキングを趣味としている、困った“マイスター”だった。





110 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/05/30(土) 11:16:19.333 ID:EGCyId9co
仕事人って憧れますよね。
モデルは某小説に出てくる泥棒です。魅力的な人なんですね〜。
決して貶めているわけではないので許してくだしあ。

111 名前:たけのこ軍:2020/05/30(土) 16:06:57.824 ID:PmAokT6U0
単語がセンスある

112 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/05/30(土) 17:59:59.378 ID:EGCyId9co
褒められると嬉しい!ありがとうございます。
ちなみに『イン・ザ・マッチャー』の元ネタはイン・ザ・ムードという実在するジャズ曲です。すき。

https://www.youtube.com/watch?v=_CI-0E_jses


113 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/06/07(日) 20:22:27.008 ID:a3u4R9mko
今週の更新はお休みといたす。

114 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒の出会い編その1:2020/06/13(土) 18:23:26.896 ID:23aRB2TMo
Tejas「さて、どんなお宝が眠っているのかな」

鍵を解除しても“仕事”はまだ終わらない。
厳重に管理された部屋の中に眠る“お宝”を確認するこの瞬間が至福のひと時だ。
逸る気持ちを抑え、革手袋をはめた手でゆっくりと鉄扉を開けた。

室内は路地裏よりも一層暗い空間が広がっていた。
室内は広さがあるのか、外の光が差し込んでも奥にまで光が通らず、室内を見渡すことができない。

一歩、足を踏み入れてすぐに顔には蜘蛛の巣が付いた。幸先が悪い。

Tejas「これは大層な歓迎だな…」

顔を歪めたTejasはハンカチで急ぎ顔を拭った。
蜘蛛の巣を顔につけたことよりも予定外の行動が発生したことに苛立ちを感じた。

光が差し込んでいる室内には、目に見えて埃が舞っている。
下唇にもじとりした湿り気を感じることから、湿度も不自然に高い。
どうやら長年手入れがされていない部屋のようだ。


115 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒の出会い編その2:2020/06/13(土) 18:25:50.754 ID:23aRB2TMo
Tejas「しかし、なんでこんな部屋に頑丈に鍵をかけたんだ?」

すると、部屋の奥からガタンという物音がきこえてきた。
音の大きさと鈍さから、木箱に何か物が落ちた時のような音だ。
続いて、ズリズリと地面を這うような微かな雑音もきこえてくる。生物の存在を予感させた。

Tejas「おいおい。ドブネズミがお宝でした、なんてことはないよな?」

歩みを進めながら、手慣れた動作でポーチから小型のランタンを取り出すと、目線の高さまでかざし火を付けた。

Tejas「…なんだ?」

灯りは部屋の壁際までほのかに照らし、地面に横たわる“とある”動物を捉えた
最初は布袋かと思ったが、規則的に上下する様子を見て生命の息吹なのだとTejasは確信した。

Tejas「…犬?」

灯りに照らされた動物はビクリと身体を震わせ、身体に埋めていた顔をこちらに向けた。

動物の正体は小型犬よりもうひと回り小型の犬だった。
元は白くふさふさとした毛並みだったのだろう。
外見は薄黒く汚れ、大きく垂れた両耳は疲れからか、さらに垂れ下がっているように見える。

小型のテリアは壁際の棚にロープで縛られており、その様子から少なくともこの地下室で飼われているわけではないことだけは確認できた。


116 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒の出会い編その3:2020/06/13(土) 18:29:02.059 ID:23aRB2TMo
「誰だお前は。こそ泥か?」

Tejas「うおッ、喋ったッ!?」

白い犬はキャンキャン吠えることなく、ドスのきいた声で問いかけた。
Tejasが声の主を目の前のテリアと疑わなかったのは、彼が犬にしては不自然なまで落ち着きを払っており、かつ冷静な視線でTejasの目を射抜いていたからである。

「質問に答えろッ」

催促するようにテリアは再度尋ねた。面食らっていたTejasは途端に意識を戻し、その弾みでランタンを持った手を下げた。
目の前にかざされた眩い光に小型犬は思わず顔をしかめた。

Tejas「ああ、明るすぎたなッ。すまんすまん。
あー、質問の答えだが。俺は泥棒ではない。“仕事”で此処に来た」

「仕事?…もしかしてお前、【教団】の人間か?」

Tejas「教…団?なんのことだ」

聞き慣れない言葉にTejasは思わず聞き返した。


117 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒の出会い編その4:2020/06/13(土) 18:29:25.020 ID:23aRB2TMo
キョトンとした顔のTejasを見て、犬は暫く黙り込んでいたが、しばらくするとおもむろに口を開いた。

「丁度いい。おれも“仕事”の途中だったんだ。ここから出してくれないか、礼はするぜ」

後ろ足を縛られ地面にうつ伏せになっている姿とは思えない程の尊大な態度だな、とTejasは半ば感心した。

Tejas「それはいいが、俺は君のことを何も知らない。連れ出すにしても互いに自己紹介ぐらいはしないか?俺の名はTejas、きのこ軍兵士だ」

Tejasは屈み、静かに右手を犬の前に差し出した。犬はまたも暫く考え込み、眉をひそめながらもぶっきらぼうに答えた。

「おれの名はオリバーだ。よろしくな、こそ泥さん」

オリバーは右の前足で差し出された手のひらをポンと軽く叩いた。


118 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒の出会い編その5:2020/06/13(土) 18:30:16.714 ID:23aRB2TMo
Tejas「それで、此処から出てもアテはあるのか?」

オリバー「…あんた、おれのことを何も聞かないんだな」

Tejas「人は誰しも秘密を持っている。この俺にだって秘密はある。
ああ、お前は人じゃあなかったか?まあ、でもみんな同じさ。
話したい時に話せばいい」

Tejasは言葉を切り、部屋を見渡した。彼の“仕事”はまだ終わっていない。
地下室内は殺風景で、棚が幾つも置かれて入るもののまともな物は無かった。
金目の物があろうがなかろうが彼には一切関知しないことではあるが、侵入した部屋はいつも一通り見回すのが“仕事”の流儀だ。

Tejas「まあこれでいいか」

壁際の棚に置かれていた1m程度のロープを手に取ると、Tejasはポーチの口を開けしまい込んだ。
室内に侵入したら部屋にあるガラクタを一つだけ貰うのが“仕事”の決まりだ。
戦利品は価値がなければないほど良い。誰も気が付かずに済むからだ。


119 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒の出会い編その6:2020/06/13(土) 18:31:50.659 ID:23aRB2TMo
オリバー「変わったこそ泥だな、あんた」

目の前で“こそ泥”の行動を眺めていたオリバーは呆れたとばかりに嘆息した。

Tejas「さっきも言ったが、こそ泥じゃない。その縄を解いてやらないぜ?」

オリバーは途端につぶらな瞳で助けてとばかりに上目遣いで見つめた。
調子のいい犬だ、と今度はTejasの呆れる番だった。

まあいいか、とつぶやいたTejasはポーチから小型ナイフを取り出した。
そして左手に持ちかえ器用に縄を解いていく様を、オリバーはじっと観察するように見つめていた。

Tejas「よっと。これで縄は解けたぜ」

オリバーは両足と首を回し自由を噛み締めた。
飛び跳ねもせずに喜びも表さないその態度は下手な人間よりも人間らしい。

オリバー「ありがとうな。それで、恩人様にこんな聞き方は失礼かもしれないが。あんたは一体何者なんだ?」

不躾な質問にTejasは思わず吹き出してしまった。

Tejas「それを答えるには場所を変えないか?ここは湿気が高すぎる」

それもそうだ、とばかりにオリバーは両耳をぺたんと身体に付け、目の前の恩人の意見に同調した。


120 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/06/13(土) 18:32:07.285 ID:23aRB2TMo
この章には相棒がいます。

121 名前:たけのこ軍:2020/06/14(日) 02:24:31.654 ID:1OcklqqA0
セリフ回しをまねしたいが

122 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/06/21(日) 22:27:34.657 ID:478TN2n6o
今週中に投稿します。

123 名前:Episode:“マイスター” Tejas  ゲーム編その1:2020/06/27(土) 06:23:24.902 ID:7tXeO7Ako
【オレオ王国 カカオ産地 Tejasの別荘】

シャワー室から姿を現したオリバーは、見違えるように毛並みがよくなった。
彼は、彼のために地面に敷かれたタオルケットに身を投げるとゴロゴロと転がり身体についた水滴を拭いた。
そしてそれが終わると、タオルの隣に置かれていた牛乳瓶を左の前足で掴むと、もう片方の前足で器用に瓶の蓋を開けミルクを飲み始めた。

その様子はさながら風呂上がりの一服といったところだ。
犬ながらその行動は人間臭い。

オリバー「助けてもらっただけじゃなく、シャワーまで提供してくれるなんてありがたい限りだぜ」

Tejas「気にするなよ。一人よりも二人のほうが楽しいからな」

床の上でカチャカチャと一人で機械をいじるTejasを尻目に、オリバーはフカフカのベッドにダイブし、眼前の羽毛布団の柔らかさを堪能した。

オリバー「機械いじりが趣味なのか?」

Tejas「昔から好きなんだ。手先を動かしてないと我慢できない性質でさ」

オリバー「なるほど。だから日常的に街に繰り出しては空き巣業に勤しむと。そういうわけだな?」

Tejasは手を止め、漂白された布団から興味深そうに顔をのぞかせている純白のオリバーと目を合わせた。


124 名前:Episode:“マイスター” Tejas  ゲーム編その2:2020/06/27(土) 06:24:19.689 ID:7tXeO7Ako
Tejas「決して泥棒が本分じゃない。侵入する前の鍵が大事なんだ。分かるか?」

オリバーは肩をすくめるように両耳を上げ、“さっぱりだ”と返答した。

Tejas「鍵がかかっている宝箱は誰だって開けたくなるだろう?俺は目の前の課題に全力で取り組む性質<たち>でさ。
昔は目の前の機械いじりだけだった。だけど、子供の頃、興味本位でとある事件に首を突っ込んで大事故を貰ったことがあってさ。
それで気がついたんだ。“人間はやはりスリルと隣合わせでないと真価を発揮できない”ってな」

オリバー「あんた、イカれてるな」

二人は笑いあった。

Tejas「こうして休みを貰っては、機械弄りと“仕事”を趣味にしている。
人生はゲームのようなものだよ。
一戦一戦を大事に、真剣に“遊ぶ”。
そこで今日選んだ家が、たまたまオリバーのいた地下室だったということさ」

オリバー「そういうことか。ちなみに、これまでに今日みたいに特大の“宝物”を見つけた経験は?」

今度はTejasが肩をすくめる番だった。オリバーは再び笑った。


125 名前:Episode:“マイスター” Tejas  ゲーム編その3:2020/06/27(土) 06:25:54.874 ID:7tXeO7Ako
オリバー「そんな大事な話を突然出会った犬ころに話してもいいのかよ?」

Tejas「構わないさ。まずお前はただの“犬ころ”だから、周りに話したところで俄には信じてもらえない。
それに、お前自身は“何らかの理由”があって捕えられているぐらいだから容易に外は出歩けないだろう?」

存外に洞察力の鋭い若者だとオリバーは感じた。

オリバー「俺は甘いものが大好きでな。数日前もチョコの匂いにつられてこの街に来たのさ」

Tejas「理由を話してくれるのか?」

オリバー「あんた一人だけが話すのはフェアじゃないからな。貰った恩はなるべく早くチャラにしたい主義なのさ、おれは」

オリバーの意志の籠もった目を見て、Tejasは手にしていた機械を放り投げ、近くの家具にもたれかかった。

オリバー「おれもこの国でとある“仕事”をやっていてな。ある程度の目処がついたから帰ろうとしていたんだ。そうしたら、その途中にちょいと小腹が空いてさ」

わかるだろ?とでも言いたげなオリバーの顔を見て、Tejasは呆れたとばかりに溜息を付いた。
そして、やはり今日選定した家主の親父はケチだったという結論も同時に得た。
空き巣に食い逃げ。これではまともなパーティではない。


126 名前:Episode:“マイスター” Tejas  ゲーム編その4:2020/06/27(土) 06:26:45.928 ID:7tXeO7Ako
Tejas「それでチョコを盗み食いしていたら親父にバレて地下室にぶち込まれていたと。良かったな、保健所に引き渡される前で」

オリバー「おれは犬じゃない。もっと崇高な存在だ。あんまり舐めると恩人のあんたにも噛み付くぜ」

崇高な存在は盗み食いなんてしないだろう、とTejasは心の中でツッコミを入れた。

Tejas「そんなに腹が減っていたのか?そもそも金が無かったのか」

オリバー「両方だな。何日も飯を食っていなかったし、資金は“仕事”で使っちまってさ」

Tejas「仕事ってのはまさか賭け事じゃあないよな?」

先程と同じく、オリバーは肩をすくめるように両耳を上げた。
Tejasには目の前の犬が近所で管を巻く親父とそっくりに見えてきた。
とんでもない珍客を招いてしまったのかもしれない。

Tejas「まあいいや。それで、もう戻るのか?」

オリバー「そうしたいところだが、風呂にも入り腹も膨れたし少し休んでいくことにする。
久々に羽毛布団の感触も味わっていたいしな。ありがとうな、恩人様よ」

Tejasの返事も待たず、小憎たらしい珍客はそのまま布団の上で身体を丸め、スヤスヤと寝始めた。
神経の図太さだけは今までに会ったどの人間よりも太いなと感心しつつ、自らも軽い眠気に襲われたTejasはオリバーの隣に向かいその身を投げた。

ありえないことに順応している自分も十分神経が太いのかもしれない。
そう思い至った頃には、Tejasもすでに夢の中に居たのだった。


127 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/06/27(土) 06:27:28.001 ID:7tXeO7Ako
短いけど今回はここまで。尖ったパーティ

128 名前:たけのこ軍:2020/06/28(日) 22:44:11.288 ID:4lm.znWY0
文章まねしたい

129 名前:Episode:“マイスター” Tejas  開戦編その1:2020/07/04(土) 18:58:14.432 ID:gFvoeRsco
【オレオ王国 カカオ産地 Tejasの別荘】

オリバー「いやあ。雨だねえ」

Tejas「心なしか嬉しそうだな?」

オリバー「こんな天気を見るのは初めてでな」

オリバーは窓の縁に足をかけ頭だけを出し外を眺めていた。
白を基調とした美しい町並みは朝靄(もや)に隠れ、地面に叩きつけられる雨音を聴かなければ雨模様だとわからないほどに幻想的な雰囲気を演出していた。

眼前にまで迫る靄の匂いを嗅ごうとオリバーはしきりに鼻をひくつかせたが、彼の鼻腔には地面から上がってくる雨特有のスレた臭いと微かに漂う土煙の粒しか届かなかった。
オリバーは途端に靄に漂う雨空が嫌いになった。

対してTejasは、雨が好きだ。
“仕事”を行う上では人数がめっきり減る雨模様の方が気持ちとしては楽だし人数も減るので物件の吟味には絶好の機会となるからだ。
雨の臭いも嫌いではない。雨が降ることで地面に吸着している油分が蒸発してくることで発生するペトリコールというこの臭いを嗅ぐことで、寝起きのぼんやりとした意識が鮮明になり、
早朝の一杯のコーヒーよりもTejasにとっては意識覚醒のための起爆剤となるのだ。
案の定、今朝のTejasの気分は爽快そのものだった。


130 名前:Episode:“マイスター” Tejas  開戦編その2:2020/07/04(土) 19:00:04.165 ID:gFvoeRsco
昨日は二人とも眠りこけてしまい、お互いに自然と目を覚ました時には、外は墨のように黒々としていた。
ベッドからムクリと身を起こしたオリバーを何処かへ旅立つのかと思ったTejasだったが、彼は寝ぼけ眼をこすると開口一番『腹が減っては旅も出来ぬ』と言葉を発し、図々しくも夕飯を要求してきた。

仕方なく夕飯を作り食事をともにすれば、満腹になった腹をさすり『もう遅いから帰るのは明日にする』と言い出し、結局奇妙な珍客を泊めるハメになったのだった。
一瞬、Tejasはたちの悪い浮浪者を泊めたバツの悪い気分になった。

しかし、話をしている内に二人はすぐに意気投合し、時間を忘れ夜遅くまで語り合った。
Tejasは幼少期の思い出や自らの趣味にしている機械弄りに対して熱い思いを語り、オリバーはオリバーでTejasの話に耳を傾けつつも、ここ最近で旅をしたオレオ王国内の様子を話した。

互いに自らの出自については話さなかったし深く聞きもしなかった。
オリバーは自らの出自を明かせない理由がありTejasに話を振れば必ず自分にもその質問が返ってくることを恐れた。
対してTejasはオリバーがこの手の話題を避けていることを機敏に感じ取り敢えて聞き出すことをせず、少しもどかしく感じた。
ただ、ここまで相手と話し込んだのは子供の時に悪友たちと戯れていた以来久々の出来事であり、
一匹狼のきらいがあったTejasは窓の縁に足をかけ尻尾を振るオリバーを見ながら、静かに口元をほころばせたのだった。

Tejas「今日の旅立たない理由は『雨が降れば旅も出来ぬ』か?」

オリバー「惜しいな。正しくは『足元が滑って転ぶのも嫌だから旅は明日』だぜ」

Tejasのつくったホットケーキの匂いにつられ、自らの足元で尻尾を振るオリバーを見ると、本当にその辺りにいる小動物と変わらない。

ホットケーキを載せた皿をオリバーに渡すと、Tejasは別荘宅に投函されたチラシを確認し始めた。
“マイスター”はあらゆる時間を無駄にはしない。全ての所作が時間通りで且つ流暢だ。


131 名前:Episode:“マイスター” Tejas  開戦編その3:2020/07/04(土) 19:01:30.801 ID:gFvoeRsco
Tejas「『会談から五日経過。両国悪化の事態、未だに打開せず。』なんだ、これは新聞か…」

新聞を暖炉に投げ捨てる。
情報は自らの足と耳で稼ぐスタイルだ。

途端に、背後で勢いよく椅子が倒れる音がした。

口に咥えていたホットケーキを落とし、オリバーはTejasの言葉に唖然とした面持ちだった。

オリバー「なんてことだ、おれとしたことが…もうあの日から五日経っていたのかッ!」

Tejasは眉をひそめた。

Tejas「何の話をしている?」

オリバー「ばかッ!話は後だッ!とりあえず逃げるぞッ!すぐにここを出ないと、大変なことに――」




ドカンッ。



心臓が跳ねるほどに爆音が響き、オリバーの言葉はたちまちかき消された。
音の大きさから比較的近くで炸裂したに違いない。
一度の爆発音だけなら程遠くないチョコ精練工場の火災と考えることもできるが、最初の爆発音の後に何度も続く爆発音に風を切る砲弾の落下音。

これらの状況は【きのこたけのこ大戦】で嫌というほど覚えがある。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

132 名前:Episode:“マイスター” Tejas  開戦編その4:2020/07/04(土) 19:02:49.599 ID:gFvoeRsco
Tejas「伏せろッ!」

咄嗟に軍人としての本分の出たTejasはオリバーの首根っこを掴み、急ぎ壁際に身を寄せた。
オリバーを抱えTejasは身を縮こませ次の砲撃に備えていた。
思えば【大戦】でも、Tejasが前線兵として参加するといつもたけのこ軍からは土砂降りのような集中砲火を食らっていた。
それに比べれば先程の爆撃は散発的だが、非武装地帯に火の手が上がったことへの衝撃は図り知れない。

いつの間にか爆撃が止んでいたのか、辺りは先ほどと同じように途端に静寂に包まれた。
窓から外の様子を眺めたい気持ちをぐっとこらえ、Tejasたちはひたすら耐えていた。

硝煙の匂いが窓から伝わってきた頃、外から大勢の足音が近づいてきた。
大勢の人間の走る音は所狭しと並んでいる建物間で反響しあい異常な焦燥感を演出していた。

Tejas「随分と響く足音だな。これは軍靴か?おいおい、今日は軍事訓練の日だったか?」

ポツリと呟いた言葉に、オリバーが顔をしかめた。

オリバー「冗談を言うんじゃねえ、これはカキシード公国軍だよ。戦争が始まったんだッ。全くツイてねえ」

Tejas「戦争?ああ、前に滝さんがチラッと言っていた王国と公国の小競り合いってヤツか。すっかり忘れてたッ」

今回の休暇を取得する際に、滝本から『最近は王国と公国の関係が悪化しているので、何かあった際には自分で自分の身を守ってくださいね』とお節介事を言われたことを今頃になって思い出した。


133 名前:Episode:“マイスター” Tejas  開戦編その5:2020/07/04(土) 19:04:22.435 ID:gFvoeRsco
直後にまたも爆発音が響き渡ったため、オリバーは隣りの若者に向けて怒号に近い程の声を張り上げなくてはいけなかった。

オリバー「滝…もしかして、滝本スヅンショタンかッ!?あんた、会議所出身だったのかッ!?」

Tejas「ああ、そうだよ。言ってなかったっけ?きのこ軍兵だと」

キョトンとした顔のTejasに、今度こそ正真正銘オリバーは怒った。

オリバー「それだけじゃあ会議所兵だとはわからねえよッ!世界にきのこ軍兵なんてごまんといるんだッ!
畜生、なんてこったッ!色々と奇跡が起きてらあ。というか、会議所兵でいてこの騒乱を知らないとかモグリか!?ッ」

爆発音は止み散発的な銃声が響くようになった。
外の様子は分からず、威嚇発泡か精密射撃のどちらなのかはわからない。

Tejas「丁度、長期休暇に入ったからな。それに、新聞は読まない主義なんだ」

頃合いだな。そう呟くと、抱いていた手を離しオリバーを地面に置き、Tejasはベッドの下をゴソゴソと探ると、“仕事”に使う工具箱から最低限の物とポーチを取り出した。

Tejas「俺は逃げる。掴まるのは面倒だし御免だからな。オリバー、お前はどうする?」

オリバーは少し迷いの表情を見せたが、すぐにキッとした目でTejasを睨んだ。

オリバー「…おれもいまここで捕まり顔を知られるのは得策じゃない。あんたと同行させてもらう。会議所へ帰るんだろう?」

Tejasはその言葉に一度だけ頷くと、オリバーに向かいポーチの口を指差した。中に入れという指示に、オリバーは急ぎポーチの中に収まった。
収まったといっても、流石に身体は全て入り切らなかったため胸から上は顔を出したままだ。

Tejas「さて、では…いきますかッ!」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

134 名前:Episode:“マイスター” Tejas  開戦編その6:2020/07/04(土) 19:05:45.923 ID:gFvoeRsco
【オレオ王国 カカオ産地 別荘地域】

Tejasが邸宅の扉を開け放ったとき、タイミングが悪いことに階下の通りにいた二人組の公国兵と鉢合わせしてしまった。

「手を上げろッ!動くと容赦なく撃つぞッ!」

オリバーは敵に姿を見られまいとすぐに顔をポーチの中に隠したが、すぐにそろりと顔だけを出し改めて状況を確認した。

二人組のうち一人は公国のトレードマークでもある漆黒の鎧を纏い、手にしているチョコマシンガンの銃口をこちらに向けている。
背後の気弱そうなもう一人の兵士は、これもまた公国のトレードマークでもある白い魔法ローブを身にまとい、ブカブカの袖の中に構える杖を僅かにこちらに覗かせている。

これまでの公国兵には彼のような魔法使いしかいなかった。公国はその土地柄、魔法使いの数こそ非常に多かったが工業化が遅れていたのだ。
しかし、近年では公国内で急速に銃火器の配備が進み、近接戦闘にも長けた前線兵を多く配備できるようになった事実は、意外と他国には知られていない。
オリバーはその一端を垣間見た気になった。

対してTejasは銃口を向けられても怖気ず、かえって涼しい顔を浮かべ扉の前に寄りかかった。

「聞こえなかったのか!手を上げろと言ったんだッ!」

「最終通告だッ!次は撃つッ!」

二人組の兵は怒鳴り、銃口と杖先を改めてこちらに向けた。

ポーチの中のオリバーはふと横から伸びるTejasの右手を見た。
オリバーと同じ目線の高さに構えられたその右手には、いつ手にしたのかくすんだ色のロープを手にしていた。


135 名前:Episode:“マイスター” Tejas  開戦編その7:2020/07/04(土) 19:06:56.197 ID:gFvoeRsco
オリバーはそのロープに見覚えがあった。昨日、捕えられていた地下室に無造作に転がっていた物品で、彼いわく“戦利品”だ。

Tejas「手荒なマネになるが、許してくれよなッ!」

Tejasは勢いよく右手を振り上げた。手にしていたロープが連動して宙に舞い、蛇のように一人の兵士に巻き付いた。

二人組の兵士は途端に激昂した。

もう駄目だ。顔を引っ込め銃撃を避けようとした瞬間――

「ふざけるなッ!撃て…ああああああああッ!」


途端にオリバーの目の前で不思議な光景が起こった。

ロープに軽く巻きつけられた鎧の兵士は、きつく縛られたわけでもないのに、途端に頭を抑え悶絶し始め、暫くすると泡を吹いて倒れてしまった。

唖然としたオリバーとローブの兵士だったが、我に返ったのは敵のほうが僅かばかし早かった。

「き、貴様ァ!くらえ――あああああああああッ!」

すかさずTejasの右手はしなやかに動き、残りの兵士にもロープを巻きつけた。すると、先程と同じように兵士は叫び声を上げた後に、白目を向いて倒れてしまった。

Tejas「よし、裏に回れば移動手段がある。急ぐぞッ!」

パンパンと手を叩くと、何事も無かったとばかりにTejasはオリバーに声をかけた。

オリバー「待て待て待てッ!いまなにが起こったんだッ!なんで兵士たちが倒れたんだッ!」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

136 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/07/04(土) 19:08:18.998 ID:gFvoeRsco
公国がカカオ産地に攻め込んだその時、二人はそのカカオ産地にいたのだった…

137 名前:名無しのきのたけ兵士:2020/07/05(日) 17:49:11.301 ID:POMZK3bE0
戦闘描写もまねしたい

138 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その1:2020/07/10(金) 15:39:48.341 ID:xO8HNv3go
【オレオ王国 カカオ産地 別荘地域】

裏手に回ると、建物の脇に大きな幌に包まれた物体が置かれていた。
躊躇なくTejasが幌を取り去ると、中から人一人程度の大きさの機械が現れた。

オリバー「これが移動手段?ただのゴミの塊じゃねえか」

Tejasはムッとした顔で、オリバーに非難の目を送った。

オリバー「やれやれ。やっと年相応らしくなったな」

自分の発言を棚に上げて、オリバーは頭上の若者の顔を見上げ率直な感想を口にした。

Tejas「これは鉄くずじゃない、乗り物だ。まさかお前、“ホースバイク”を知らないのか?」

今度はTejasが呆れる番だった。事実、オリバーはバイクという乗り物を知らなかった。しかし、此処で認めるのだ。

オリバー「確かに、見た目は馬のように見えなくもない、か…」

結果的に、Tejasの呆れた視線からぷいと目を背け、オリバーは目の前の機械馬をよく眺め観察することにした。

眼前の馬は、長い鋼鉄の胴に、前足と後ろ足の部分には鋼鉄の車輪が取り付けられていた。
馬に鋼鉄の鎧を取り付けたのではない。馬自体がその骨に至るまで全て鋼鉄でできているのだ。

頭の左右からは鹿のように凛々しい鉄の角が伸びている。手綱が取り付けられていないことから、恐らく両の角が操作部となるのだろう。
本物の鹿の角を触ろうものなら蹴られるだろうに、この製作者は動物のことを理解していないな。
と、オリバーは見当外れな考察を行った。

このような工業の結晶をオリバーはこれまで目にしたことはなかった。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

139 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その2:2020/07/10(金) 15:41:03.046 ID:xO8HNv3go
Tejasは間髪入れずに機械馬の背に跨った。途端に、視界を鋼鉄の部品たちで覆われたオリバーは、すぐさまポーチから抜け出しTejasの肩に跳び乗った。

オリバー「あんたが一人で作ったのか?すごいな」

Tejas「その様子じゃやっぱりバイクそのものを知らないな?
バイクという乗り物自体は最近開発されたものでさ。この本体も会議所の倉庫から拝借したのさ。まあ細かい部分は俺が改造してるけど。
昔から機械弄りが好きだと言っただろ?まあ見てなって」

Tejasはバイクに跨ったまま、太ももを載せている胴体部に右手を当て、本物の馬に触るかのように優しく一撫でした。

すると、途端に二人を載せた機械馬は金切り音に似た音を上げ、カタカタと豪快に揺れ始めた。
この鳴き声が機械音だとオリバーが気づくのは少し経ってからになる。

オリバー「なんだこの轟音は…これが工業化された最新鋭のオートメーションってやつかッ!」

Tejas「通常のバイクとは違いイグニッションキーを無くし、俺の右手で動力が反応し、俺の考えを共鳴させる機械と魔法のハイブリッドさッ!
さあ動くぜッ!振り落とされないように捕まってなッ!」

――フォルティシモ(とても強く)。

Tejasが左右の角を強く握ると一度だけホースバイクは短い雄叫びのような轟音を発し、すぐに自ら意志を持つように車輪を回転させながら動き始めた。
精々が野生馬と同等の速度だと予想していたオリバーは、あまりの加速度と揺れにたちまち振り落とされそうになった。


140 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その3:2020/07/10(金) 15:42:16.556 ID:xO8HNv3go
オリバー「こらァッ!こんな速度きいてないぞッ!」

瞬時に路地裏を抜けていく中、運転手のTejasは気持ちよさそうにニヤリと笑い、無言で自身の胸を指差した。ジャケットの中に入れということらしい。
オリバーは舌を突き出し反抗の意志を示しながらも、するりと彼の服の中に収まった。
例のごとく、顔だけは外に出しままだ。

Tejas「大通りに出るぞッ!」

彼がそう告げた時には、もうホースバイクは大通り沿いに飛び出していた。

――アレグロ(快速に)。

彼は慣れた手さばきでバイクの角を傾けホースバイクを傾け通りの端で旋回した。
その後にバイクは再加速し通りを快速で飛ばし始めた。

圧巻だった。その一言に尽きた。

乗り物といえば、田園地帯をのんびりと歩く牛車や馬車にしか乗ったことがなった。オリバーにとってそれが日常であり常識だった。
否、確か過去に自らの“主人”が語っていたかもしれない。

『世界には人智を結集させて発明した熱機関を使い、機関車や船舶などあらゆる乗り物が溢れている。その最新技術が他の国では発展している』と。

当時のオリバーは早く外の世界を見たくうずうずしており、主人の語る言葉はあまり気にかからなかった。
その人智の結晶たる技術をいま正に、オリバーは顔に精一杯の風を受けながら体感していた。


141 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その4:2020/07/10(金) 15:43:30.899 ID:xO8HNv3go
大通りを移動していると、二人は正にいま行われている公国の侵略風景を目の当たりにした。
通りには先程と同じ鎧やローブを身にまとった公国兵たちでひしめき合っている様子が見えた。
出歩いていた一般人たちだろうか、彼らは両手を壁に付け、公国兵たちに服従の意を示している様子が快速で飛ばしながら何度か目に写った。

そういった光景のすぐ横を通り抜ける度に、ひゅっと風切り音がオリバーの耳に嫌でも届いた。
体感以上の速度と衝撃を感じ彼の小さい頭脳は悲鳴を上げていた。公国兵たちが自分たちに気づいているのかどうかもわからない。
この姿勢で振り返って背後を確認しようものなら振り落とされてしまうだろう。

別荘地帯を抜けると視界一面にカカオ畑が広がった。
普段なら辺りから漂う香ばしい匂いは、その先で爆発炎上するチョコ精錬所地帯から流れてきた硝煙の臭いに完全に上書きされ、かき消されていた。

バイクは速度を落とさずチョコ精錬所の方へ向かっていく。ひたすらチョコ精錬所の方へ――

オリバー「おい、どこに向かっているんだッ!?チョコ精錬所の方に向かう意味はなんだッ!?」

オリバーは声を張り上げすぐ頭上の運転手に問いかけた。

Tejas「さてね。会議所に戻ろうとしたが、会議所はどっちだっけ?」

思わず怒鳴りそうになるのをぐっとこらえ、オリバーは声を震わし“チョ湖の方だ”と伝えた。
すると頭上の運転手は“おお、真反対じゃないかッ”と素っ頓狂な声を上げ、あっさりと角を操作し機体を反転させた。
急な旋回にオリバーの頭痛はサイレンのようにますます痛みだし、『いっそこの場で投げ出されたほうがこれからの苦しみを味わなくてはいいのではないか』と思うほどに弱々しくなった。


142 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その5:2020/07/10(金) 15:45:21.897 ID:xO8HNv3go
引き返し再加速までを終えた二人が先程の大通りに差し掛かると、通りの入口付近には切れに整列した公国兵小隊が待ち構えていた。

「あそこにいたぞ!“馬乗り”のやつだッ!」

前列には銃兵部隊を配置し、後列には魔法詠唱部隊まで揃えている正規の隊列で待ち構えている。
さぞ先程通り抜けた姿が快速過ぎて、兵士たちに強い警戒感を抱かせたのだろう。

Tejas「おいオリバー。身を低くしながら捕まってろッ、加速するぜッ!」

オリバー「これ以上ッ!?」

――プレスティッシモ(非常なまでに急速に)。

敵に突入する最中、Tejasはその身を下げつつ右手で再度そっと胴体を撫でた。

機械馬は今日一番の唸り声を上げ超加速しつつ、Tejasはすぐさま握り部の角を手前に引き寄せた。
するとホースバイクの前輪は天に向き、ロデオの姿勢のままでバイクの腹を向けたまま敵に突撃する形となった。

「フルファイアッ!」

隊長の一声を合図に、兵士たちはホースバイクに向かい一斉に発泡を始めた。
直後のオリバーの悲鳴は、公国兵からの発砲音と魔法の炸裂音でかき消された。
銃弾や魔法の光弾は全てホースバイクのお腹の部分が受け止めつつ、鋼の塊が高速で近づいてくるさまは、公国兵からすれば恐怖以外の何者でもなかった。

「さ、散開ッ!轢かれるぞッ!」

隊長の指示を待たずに生に貪欲な数人の兵士は武器を捨て逃げ出し、残りの兵士たちも遅れること数秒後、ハッとしたように背を向け逃げ出した。
すぐに散り散りになった小隊のど真ん中をホースバイクが悠々と通過した。
通過と同時に重心を前に向けたTejasはすぐにホースバイクの前足を下ろし同時にさらにスピードを上げた。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

143 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その6:2020/07/10(金) 15:48:33.384 ID:xO8HNv3go
【オレオ王国 カカオ産地 チョ湖湖畔】

公国軍の攻撃を振り切った二人は、その後数km先にあるチョ湖の湖畔付近を走行していた。
湖畔ではサトウキビの栽培が盛んに行われているためか、背の高い作物たちに囲まれながらホースバイクは快速を保ちながら轍を走っていた。

Tejas「いやあ、久々に楽しめたなッ!またやろうなッ!」

オリバー「バカヤロウッ!おれは二度とテメエの運転に付き合うのはごめん、だぜ…」

意識を戻したオリバーはよろよろと顔を服から突き出し、外の空気を弱々しく吸い込んだ。
今は顔に当たる風がそよ風のように心地よい。

Tejas「敵の奴らも巻いたし、このまま会議所まで――ん?」

プスッ、プスッ。
明らかにこれまでの機械音には無かった異常音が断続的に鳴り続き、その直後にガコンという鈍い音ともに激しい衝撃が二人を襲った。
Tejasは後ろを振り向きすぐに首を横に振った。

Tejas「これはまずいッ!部品が取れちまったし、チョコも漏れてるッ!止めないと爆発するなッ!」

徐々に機械馬はスピードを落とし、やがて二人の背後から煙を吹かし完全に停止してしまった。

Tejas「さっき敵に撃たれた時に燃料庫をやられていたか。他の部品に引火しないだけ運がよかったな…」

ブツブツとつぶやきながらTejasはホースバイクから飛び降りた。

そのすきにTejasの胸の間からするりと抜け出し地に降りたオリバーは、数日分の体内の空気を外に逃がすかのように深く息を吐いた。

オリバー「もうあんな目にあわなくてすむだけ、まだ運がいいのか悪いのか…」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

144 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その7:2020/07/10(金) 15:49:39.609 ID:xO8HNv3go
広大なチョ湖を眼前にしながら、Tejasたちは早くも移動の手段を一つ失った。

チョ湖を間にオレオ王国ときのこたけのこ会議所は接している。
数十km先の対岸は確かに会議所の領地だが、その間には鉄橋や石橋など無く物理的に渡ろうと思えば、気の遠くなるほどの距離を泳ぐしかない。

仮に泳ぎきり終えても、対岸は断崖絶壁の崖が連なる丘陵地帯のため会議所領地に足を踏み入れることは事実上不可能に近い。
そのため会議所へ帰るためにはこのチョ湖の周囲をぐるりと周り陸地で接した地域から会議所領地に入る手段しか無いのである。

Tejas「さて。どうやって帰るかね」

頭をポリポリと掻きながらTejasは同行者を頼るしかなかった。
二人は少しの間押し黙った。その間耳に届くものといえば、湖畔の水の波音に背後で遠くに響く砲撃音と爆発音だった。

Tejasは急速に冷静さを取り戻した。ここは数刻前から戦場となり自分たちは追われている。
バイクの運転で気が昂りすっかりと自分たちが窮地に陥ったままだということを忘れていた。

オリバー「お前が泳ぎとクライマーの達人ならこの湖を超えていけばいいさ。
そうでないなら、ひたすら湖沿いに歩いて会議所領地に駆け込むしか無いな。
でもこんな状況だし、今は国境封鎖でもされているんじゃねえか?」

Tejas「それに関しては、俺の顔を見れば入れてくれるだろうけどな。まあどのみち、ここに留まってもどうしようもないな」

Tejasはお別れをするように、横倒しになり煙を上げている機械に右手でそっと一撫でした。
主人の思いが通じたのか機械馬の心臓部の小箱は一瞬だけブルブルと反応し、すぐに静かになった。


145 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その8:2020/07/10(金) 15:50:41.298 ID:xO8HNv3go
「こちらの方から煙が上がっていたぞッ!急げッ!」

すると、二人の後方から公国兵たちの大声と慌ただしい軍靴の音が近づいてきた。

オリバー「まずいッ!すぐにここを離れようッ!」

Tejas「言われなくてもッ!」

オリバーはひょいとTejasの肩に飛び乗ると、器用に彼の腰程の位置にあるポーチに入り込んだ。
Tejasは近くのサトウキビ畑の中に飛び込み身を伏せながら移動し始めた。

公国兵たちの声が次第に大きくなってくる。今は身を隠せているが、もし魔法でこの辺りを燃やされでもしたらひとたまりもない。
しかし走っては物音ですぐに敵軍に気づかれてしまう。そのため、作物を掻き分けながらTejasたちは慎重に進んだ。
一歩一歩進む度に、まるでサトウキビの葉がTejasをあざ笑うかのように彼の眼前でカサカサと音を立て嗤っていた。

そんな雑念を払うように背後の公国兵たちに意識を向けていたTejasは、よもや進行方向上が斜面になっているとは気づかず、思わず足を滑らせてしまった。

Tejas「しまったッ!」

オリバー「うおッ!」

体勢を崩したTejas尻もちを付きながら斜面となった獣道に身体を打ち付けることになった。


146 名前:Episode:“マイスター” Tejas  機械の活躍編その9:2020/07/10(金) 15:51:56.977 ID:xO8HNv3go
Tejas「イテテ…オリバー、大丈夫か?」

オリバー「ああ、おれは落ちる前にポーチから抜け出したから無事だったぜ」

なんて卑怯な。そんなTejasのうめき声は無視し、オリバーは突如現れた獣道の下る先に目を向けた。
Tejasが尻もちをついた獣道は、まるでそこだけを避けるように作物が一切生えていなかった。
そして、数m先にあった小さい横穴まで続き、道は途絶えていた。

四方は相変わらず人間の背丈程のサトウキビが自生していたが、かえってこの叢がこの洞穴の存在を隠匿しているようにも思えた。
他の道はわからないが、もしこの洞穴がこの場所にしか無いというのならこの場所を引き当てたのは奇跡といえるほどに、目印らしい目印はなかった。
まるで大型のモグラが掘ったかのような洞穴にオリバーは顔を突っ込み、すぐにTejasに手で合図を出した。

オリバー「おい、奥は結構広そうだぜ。先に行ってるから、公国兵に見つかる前に早く来いよ」

声を潜めオリバーは洞穴の中に入っていった。

腰をさすりながらTejasも中腰で起き上がり続いた。モグラの洞穴は近づいてみると、人一人が腹ばいになり通れるほどの大きさはあった。

少し背後ではガサガサという足音ともに公国兵がサトウキビ畑に侵入した音がきこえてきた。

どのみち、この状況では会議所に戻るなど夢のまた夢だ。
ならば、一時でも身を隠し公国兵を巻くしか無い。
追い込まれた寿命が少し伸びた気分でしかないが。

Tejasは半ば諦観に近い思いを抱きながら、洞穴に頭を突っ込んだ。


147 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/07/10(金) 15:52:26.327 ID:xO8HNv3go
少し長めでしたが。本章はあと二回の更新で終わります。

148 名前:名無しのきのたけ兵士:2020/07/11(土) 22:20:04.545 ID:6oF9hC1Y0
ピンチの切り抜け方 おもしろそう

149 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その1:2020/07/18(土) 18:21:01.624 ID:yMC9/8xUo
モグラの洞穴は思っていたよりも遥かに長く、緩やかに地下まで続いているようだった。

だが、最初はTejasの中腰程度の高さだった洞穴が、次第に人一人が通れるほどの大きさへと変わり、終いには掘削機で掘ったかのような広大さを誇るようになるに至った過程を目の当たりにし、
この穴は人為的に掘られたものだとTejasは確信した。

暫く進めば入り口から漏れていた外の光はすぐに消え失せ、洞窟内は一切の闇に包まれていた。
Tejasは手を洞窟の壁に当てながら方向感覚を失わないように歩いた。外が雨模様だからだろう、土の壁はほんの少し温く湿っていた。

少し前ではオリバーの歩いている音こそ聞こえるが、姿を捉えることができない。それに彼の歩く速度は少しずつ早くなっているようだった。
なにかに逸る同行者を止めるべく、Tejasは声を張り上げた。

Tejas「おい、オリバー。先にいるのか?」

オリバー「あ、ああ。すまん、先に進みすぎた。おれは夜目がきくからな」

前方から少し焦り気味の返答があり、歩く速度は少し落ち着いたようだった。これで彼を見失う危険性こそ減ったが、視界の悪さに対する根本的な解決策はない。
やれやれ、火属性の魔法を使って辺りを照らさないといけないな。と、Tejasが得意ではない魔法を使おうとしたその瞬間。

先頭からパチンというフィンガースナップのような小気味よい音が鳴り響き、途端にどこからともなく火の玉が表れた。
人の顔程度の大きさの火の玉は二人の周りをくるくると一周し召喚された喜びを表現しながら同時に辺りを明るく照らした。

Tejas「魔法、使えたんだな」

オリバー「まあな」

火の玉に照らされたオリバーは、少し罰が悪そうに俯いていた。
隠していたわけではないが、若干の後ろめたさはあった。
自らの正体を明かしていないのだから無理はない。近頃の犬っころは魔法も使えるんだぜ、と冗談の一つでも言えればよかったが今はそんな気分でもない。


150 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その2:2020/07/18(土) 18:22:27.228 ID:yMC9/8xUo
後方を再度確認した。
公国兵たちが洞穴に迫ってくる様子はない。ひとまずは身の安全を確かめられたといってもいいだろう。

オリバーは今朝から疑問に思っていたことを直接、Tejasに確かめることにした。

オリバー「いい加減教えてくれ。あの時、あんたは一体何をして公国兵を気絶させたんだ?」

こちらに近づこうと歩き始めていたTejasは再び立ち止まった。

ぼんやりと火の玉に照らされた彼を見て、そこでオリバーは初めて彼の“特異”の一端に気がついた。

オリバー「おまえ、一体いつから“それ”を付けていた…?」

短時間でお互いに色々なことがあった。
オリバーもホースバイクの恐怖の走行から完全に立ち直ってはいなかったが、オリバーの思っていた以上にTejasは外傷がひどかった。

身体はススで黒く汚れ、頬や足首は叢によるものか裂傷が目立ち逃避行の悲惨さを物語っていた。
さらに彼の羽織っていた革のジャケットもぼろぼろになり、いつの間にか二の腕あたりの袖部分が破れ、血の滲んだ肌が僅かにむき出しになっていた。
洞窟に入る前には気が付かなったが、もしかしたら既に地上に居た時から破けておりオリバーが見落としていただけかもしれない。

いずれにせよ、この状況下で初めてオリバーは気がついた。

顕となった彼の右腕には、まるで刺青のようにぎっしりと【魔法の紋章】が描き込まれていたのだ。


151 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その3:2020/07/18(土) 18:24:51.099 ID:yMC9/8xUo
オリバー「おまえ、その【紋章】は――」

Tejas「俺の右手はな…“呪われて”いるんだ」

オリバーの言葉を遮り、Tejasはポツリと呟いた。

オリバー「…呪われているだと?」

オリバーは、今度はまじまじと彼の右腕を眺めた。
思えば、いつも何かしら長袖の上着を身につけていた彼の右腕を直視したことはなかった。
初夏だというのにおかしいとは思っていたが、彼が“変人”であると知っていたので、あまり気にとめていなかった。

彼の右腕にかけられている【紋章】とは、魔法を発生させる魔法陣の代わりに使われる術式である。

そもそも魔法とは、魔法使いが魔法陣を生成、媒介とし詠唱することで人智を超えた業を解き放つ術である。
【魔法の紋章】とは都度呼び出す魔法陣の代わりに、強大な魔法力で永続的に陣を生成し世に縛り付ける高等儀法だ。

それゆえ、【紋章】は呪いにもなり得る強力な術式だ。
広大な魔法力を持つ者にしか【魔法の紋章】を創り出すことはできない。【紋章】を創るということは魔法使いにとって一種のステータスにもなるのだ。
その【紋章】には魔法使いの誇りと自信の表れとして、詠唱発生させる魔法や魔法使いの“意図”となるフレーズが描き込まれていることが殆どだ。

これらは訓練をしないと見る者も判別することはできないが、凡そ中級以上の魔法使いであれば会得していることが多い。
自らを中級以上の魔法使いであることを自覚しているオリバーであったが、彼の右腕に刻まれている紋章については内容を一切読み取ることができなかった。
それは即ち、Tejasにかけられている“呪い”が相当高度な魔法であることの裏返しでもある。

ただ、紋章の節々に表れる魔法の“フレーズ”に、オリバーは見覚えがあった。


152 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その4:2020/07/18(土) 18:25:54.635 ID:yMC9/8xUo
オリバー「これは、カキシード公国古来の魔法陣、だよな?…お前が詠唱したわけではないな。あの国で何かしたのか?」

Tejasは笑いながら首を横に振った。

Tejas「いや、公国には行っていない。
子供の頃、近くに住んでいた魔法使いにちょっとした呪いをかけられてな。
それ以降、ずっと右腕はこのままだ。洗っても傷つけても消えやしないのさ」

オリバー「紋章は魔法陣のポータル版だからな。魔法の性質によっては、術者がいなくなっても永久発動するものもある。
何年経っても消えないということは、あんたにかけられた紋章は恐らくその類のものだろうな」

Tejas「随分詳しいんだな?」

オリバー「…おれはカキシード公国の出身だからな。魔法に関することであれば詳しいさ」

オリバーはまたも罰が悪そうに目をそらしながら答えた。彼が答えに詰まる時は、罪悪感を覚えているか嘘をついている時しかない。
短い付き合いながらTejasは彼の性格を理解し始めていた。

Tejas「まあ、それで。この呪いを受けてから俺の右手だけが特異な力を持つようになったのさ。具体的に言うと、右手で触れたものに俺は何であろうと“干渉”できるようになった」

オリバー「干渉…?」

Tejasは唐突にオリバーの視線の前まで屈むと、何の断りもなく自身の右手でオリバーの前脚を掴んだ。


153 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その5:2020/07/18(土) 18:27:40.087 ID:yMC9/8xUo
オリバー「なにしやがッ……!!」

ちらりと見えた彼の右腕の紋章が青く光ったその瞬間、オリバーの脳内に走馬灯のように数多くの光景が浮かび上がってきた。

オリバー「な、なんだこれは…ッ!」

セピア色にかかった思い出が、脳内に写真のように次々と浮かび上がっては消えていった。

―― 幼い頃、かけっこが遅く周りからいじめられていた記憶。
―― 仲の良い友達と駄菓子屋に行き初めてもぎもぎフルーツを食べた記憶。
―― その友人たちと山奥の小屋に忍び込もうとした記憶。
―― そして、ローブを被った無口な魔法使いが杖から放った閃光を間近で見た記憶。

印象深い記憶が表れては消え、また表れては消えてゆく。

ただ、この記憶はすべてオリバー自身の記憶ではなかった。

Tejasの記憶なのだ。
全てTejasの目線で起きた記憶が、オリバーの脳内にどんどんと流されていった。

Tejasがパッと前足を離すと、それまで濁流のように流れ込んでいた脳内の記憶は瞬時に消えた。

Tejas「これが俺の記憶だ。説明するよりも早いだろ?」

オリバー「ハハッ…そういうことかよ」

Tejas「俺の右手はあらゆる万物に“干渉”し、俺が持っている情報を流し込むことができる。転用すれば一種の精神汚染攻撃なんてこともできる」

Tejas「また、この右腕には“転送”能力もある。たとえばオリバーと本当の子犬とをロープで結んでおいて、そのロープを俺の右手が掴めば、お前たちは俺を介して“繋がった”状態になる。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

154 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その6:2020/07/18(土) 18:38:01.251 ID:yMC9/8xUo
オリバー「さっきの兵士とお前はロープを介してその能力でつながり、お前のびっくり脳内映像でも相手に流して気絶させたというわけか。
万物に干渉する…まるで神みたいだな」

内心でオリバーは計り知れない衝撃を受けていた。
目の前で起きた能力の異端さだけに驚いていたわけではない。

以前オリバーの“仕事”の依頼主から、Tejasの能力について話を聞かされたことがあった。
依頼主たる彼の主人は、オレオ王国へ旅立つ直前のオリバーにTejasのような能力を持つ人物を【鍵】と表現した上で、次のように告げた。

『今回の一連の事態の主謀者は【鍵】を欲している。【鍵】があれば主謀者が従える眠った駒を完全に蘇らせることができる。
しかし幸運にも、その【鍵】は遠い場所へ旅立ち容易に戻っては来ない。お前の役目は、もしそいつを見つけても、決して会議所に戻してはいけないことだ』と。

まさに【鍵】とはTejasの事を指していたのだ。

Tejasの“特異”がこの一連の戦争を集結させる【鍵】となるのだ。
知らずのうちに、オリバーはゴクリと喉を鳴らし事態の重要さを理解した。

オリバー「信じられねえな。そんな便利な能力があったとはな」

声の震えを悟られないように、オリバーは低い声で喋らざるをえなかった。

Tejas「言っただろ?“呪い”だってな。俺はこの能力と一生付き合わないといけない。それに何も便利になるだけじゃない。こいつには“制約”もあるのさ」

オリバー「制約か…ん?なんだ、あれは?」

先に先導していた火の玉は少し先が行き止まりになっていることを二人に告げるように、辺りをぐるぐると周った。
その行き止まりには土の壁の中には不自然な、鋼鉄の扉がそびえ立っていた。


155 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その7:2020/07/18(土) 18:39:48.566 ID:yMC9/8xUo
Tejas「こんなところに扉があるなんて妙だな。ん?どうしたオリバー?」

横で呆然としているオリバーを見て、Tejasは心配そうに声をかけた。
先程のTejasの告白に続き、次々と明らかになる事態にオリバーの頭はパンク寸前だった。

オリバー「信じられねえ、やはりここが…いや、でも。確かに、位置的にいえばここは湖の底。そうか緊急脱出通路なのか…」

ブツブツと呟く彼を尻目に、Tejasは扉に近寄った。鋼鉄でできた扉はさすってみると埃も被っておらず錆びてもおらず、最近設置されたものだと一目で理解した。
唯一変わったところといえば、扉の表面には静脈のように扉中に張り巡らされた印が青く光り存在感を放っている。

Tejas「これはもしかして――」

オリバー「――そう、お前に憑いているものと同じ【紋章】だな。どうやら見る限り、魔法無効の術が施されているらしい」

Tejasの術式とは違い、扉に憑いている【紋章】は比較的中身が読み取りやすい部類だ。

Tejas「それに鍵もついているな」

扉の取っ手部分にはとこれまた真新しい錠前が何個も取り付いていた。
【紋章】に加えて四つも鍵を取り付けているところを見ると、この扉を設置した者は先日のチョコ屋の店主よりも用心深い人物のようだ。

オリバー「魔法でぶち壊せないとなると、鍵があっちゃあ開かないじゃねえか」

Tejas「おいおい、俺を誰だと思っているんだい?自称“マイスター”だぜ?」

Tejasは左手で胸ポケットから“仕事”のための工具を取り出した。襲撃の時に咄嗟に持ってきたものだが、早速役立つことになり内心ホッとした。

Tejas「3分で片を付けよう。難しいが、新記録を狙うよ」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

156 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その8:2020/07/18(土) 18:41:52.697 ID:yMC9/8xUo
自らが課した課題は必ず応えなくてはいけない。これが彼の信条であり【制約】でもあった。

達成しなければ“呪われた”右腕が暴走し彼の生命を吸い取っていく。

右腕の紋章が古傷のようにジュクジュクと痛みだした。
失敗した際に【紋章】の呪いが彼の生命を吸い取ろうと、今か今かと待ち構えているのだ。

自らの生命を賭け、困難に挑戦するこの瞬間が、Tejasはたまらなく好きだった。

―― アダージョ(ゆるやかに)。

自らを信用し信頼しない限り勝利はあり得ない。
急がなければならないこの刻に、Tejasは敢えて普段の所作で“仕事”に取り掛かる選択肢を選んだ。

一気に目先の錠前に意識を集中する。左手で錠前の鍵に工具を差し、右手では虚空のトランペットを吹く。いつものルーティーンは変わらない。
数秒も経たないうちに一個目の錠前は外れ地面に落ちていた。

―― アレグレット(やや速く)。

逸る気持ちを抑え、引き続きTejasは落ち着いた所作で次の鍵の解除に取り掛かる。

オリバーは目の前の“マイスター”の仕事様に、ただ言葉を失いながら見るしかなかった。
その中で、オリバーは初めてTejasが右手を頑なに使わない理由がわかった。
最初は左利きかと思っていたが、その理由は彼の右手が呪われていたことに理由があったのだ。

―― ビバーチェ(生き生きと)。

既に3個の錠前を外しながら、Tejasは弾むような手付きでラストスパートにかかった。右手は演奏こそしているものの、特定の曲を刻んでいるわけではなかった。
これまではどれも最初からアップテンポに刻んだリズムだったので、このテンポにちなんだ曲を持ち合わせていなかったのである。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

157 名前:Episode:“マイスター” Tejas  呪い編その9:2020/07/18(土) 18:42:37.267 ID:yMC9/8xUo
Tejas「ほい、できた。型式はどれも新しいし最近取り付けたんだろうな」

余裕綽々といった様子で工具を元の胸ポケットに戻した。
時間は2分40秒。余韻に浸る間もない。

オリバー「あんた、本当にすげえな…そうやっておれのことも救い出したんだな」

Tejas「結果的にはな。でも今回の“お宝”はすごいだろうな。お前の反応を見ればわかるさ、オリバー」

オリバー「おれは知らねえ…」

オリバーが再び目を背ける様を見て、Tejasは苦笑した。
Tejasがそっと扉を押すと、錆による音もなく静かに扉は開き奥に繋がる道を示した。
洞窟の時とは打って変わりTejasが先に入り、その背中を追うようにオリバーも後に続いたのだった。


158 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/07/18(土) 18:43:24.397 ID:yMC9/8xUo
二人にはそれぞれ話せない秘密があります。次で二章最終回。

159 名前:名無しのきのたけ兵士:2020/07/19(日) 19:37:33.928 ID:5jrhKbLY0
謎が謎を呼ぶ展開がすごいこういうのか期待感を湧き立てる・・・

160 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒編その1 :2020/07/25(土) 20:45:49.441 ID:0zzN1S8oo
扉の奥は先程までの洞窟内と同じく漆黒の闇が続いていたが、その趣は少々異なっていた。
一歩足を踏み入れた瞬間に、Tejasの耳にはヒューという風切り音とともに背後から外気の流れ込みを肌で感じ取った。
外は蒸し暑い初夏だというのに、軽く鳥肌が立つほどに中の空気は冷えきっていた。

Tejasは試しに足元にあった石ころを蹴飛ばしてみると、石はカン、カンと大きな反響音を鳴らしながら闇の中に消えていった。
地面に鉄板が敷かれていることもあってか音はよく響き、反響具合からもこの“室内”は相当広大なスペースであることは容易に想像できた。
まるで巨大な冷蔵庫に迷い込んだのではないかと一瞬勘違いしたほどだ。

後から続いてきたオリバーを追い越すように、火の玉は慌てたようにTejasの周りをぐるぐると浮遊し辺りを照らした。
すると、先程の土の壁はすっかりと鳴りを潜め、二人の眼前には規則正しく何本も並ぶ鋼鉄の柱が現れた。

Tejas「なんだここは…?倉庫か何かか?」

正確には保冷機能付きの巨大倉庫ではないかと突拍子のない想像をしたが、口にするのは流石に憚られた。

オリバー「…武器庫だよ」

Tejas「武器庫?」

さらに突拍子のない返事に眉を潜めTejasは振り返った。オリバーは顎をクイと突き出しつつ、口を真一文字に結びながら答えようとはしなかった。
どうやら“先に進め”ということらしい。

Tejas「これで“お宝”が大したことなかったら俺は泣くぞ」

火の玉に先導をしてもらいながら、鋼鉄の壁伝いにTejasたちは歩き始めたがその旅路はすぐに終わりを迎えることになった。
歩いて暫くすると鋼鉄の壁が唐突に消え恐らくは開けた広間に出た。
その直後、一行の目の前を“見えない壁”が立ち阻んだためである。


161 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒編その2:2020/07/25(土) 20:48:01.773 ID:0zzN1S8oo
Tejas「これは、ガラスか?」

行く手を遮る、壁と思しき物は目を奪うほどの透明さで透き通っており、火の玉の明かりを難なく透過し壁の向こう側へ光を届けていた。その透明度は今まで見たどのガラスよりも澄んで見えた。
事実、Tejasは壁に間近まで近づき、ようやく僅かな明かりの反射でその存在に気づける程だった。先を進んでいた火の玉が後続の二人に合図を送っていなければ、間違いなく壁に気づかず激突していただろう。

壁に近づいたことで、Tejasはさらに一つの新事実を発見した。
眼前の壁が冷気を発していたのである。僅かに冷気を放つ程度ではなく、水滴が凍った白煙がモクモクと湧き出る程に、透明な壁はこの広大な部屋を冷やしきっていた。

Tejas「なんだこれはッ…!?」

試しにTejasは指の関節でコンコンと壁を叩いてみた。
鈍い音すら響かない。想像以上に質量を持った物体であることが想像できた。

さらに火の玉がTejasの頭上を浮遊すると壁の正体が少しずつ見えてきた。
Tejasの首が傾けなくなるまで高さを保ったそれは、最上部近くになると綺麗に保っていた平面から少し角張り始め、最上部では鋭利な突起部を見せ、
それを境に数m程度進んだ反対の奥行き部と対称になっているようだった。

それならば、と今度は火の玉は左方向へ捜索を始めたがこれが容易ではなかった。
数十m程度火の玉が移動しても終わりが見えてこないのである。右方向も同様で、終いには火の玉も捜索を諦め再びTejasたちの下に戻ってきてしまった。
ただ、左右方向はいまTejasたちが見ている形状からは大分異なり、複雑な立体構造がちらりと垣間見えた。

眼前の壁は、数十m以上の左右に伸びた巨大な透明な結晶という表現が近かった。
冷気を発しているのであれば、巨大な氷菓アイスとでも言うべきか。

Tejas「おい、オリバー。見てみろよ、これは――」

Tejasは言葉を切った。否、口を噤まざるをえなかった。
不思議に思うべきだった。ここまで奇天烈な出来事があるのに、背後にいたオリバーから物音一つ発せられていなかったのだ。
目の前の神秘に気を取られていたTejas自身の落ち度だが、反省する時間は与えられなかった。


162 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒編その3:2020/07/25(土) 20:52:03.414 ID:0zzN1S8oo


―― ガチャリ。


背筋を凍らせるには十分な無機質な撃鉄を起こす音が背後で鳴った。
Tejasがすぐさま振り返ると、宙に浮いたオリバーが前足で握った小銃の銃口をTejasの眉間に定めていた。
彼の周りには同じように複数の小銃が浮かびそのどれもが一様に同じ狙いを定めていることから、魔法によるものだろう。

Tejas「どういうことだ、これは?」

Tejasは静かに両手を上げオリバーと相対した。

オリバー「わるい。巻き込むつもりは無かった。でも事情が変わったんだ」

オリバーは淡々と、だが自身の言葉を脳内に反芻させるかのようにゆっくりと言葉を口にした。
彼の様子に加え、彼自身が召喚した筈の火の玉が目の前の事態にオロオロと彷徨っている様子からも、Tejasには彼の言葉が嘘ではないと判った。

Tejas「これがお前の“仕事”か?オリバー」

オリバー「いや、本来これはおれの“仕事”の範疇ではない。それに…それに、おれの真の名前はオリバーですらない。黙っていてわるかった」

オリバーは一度言い淀んだが、目線を外し俯きながら自身の名が偽名であることを告げた。
別にいいよ、とTejasは心のなかで彼を許した。


163 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒編その4:2020/07/25(土) 20:54:30.126 ID:0zzN1S8oo
Tejas「別に生かすも殺すもお前次第だが、冥土の土産に少しでも教えてくれ。此処はどこだ?」

オリバー「此処は会議所領内だ。既にな」

Tejas「本当か?こんな広大な地下施設、俺は知らないぞ」

オリバー「隠された場所だからな。限られた者しか知らないのさ。

実は、おれには“主人”たる人間がいてな。
本当に、本当に、たまたまなんだがかつてお前の様な“特異”な人間についてその主人が語ったことがある。
曰く、もしその人間を見つけたら決して会議所に戻してはいけない、と。

おれはあいつにはこれまで歯向かってばかりでな。だから、奴のために人肌脱ごうかなと思ってよ」

Tejas「へぇ、それは素晴らしい考えだ」

一緒に話を聞いていた火の玉がTejasを離れオリバーの近くに向かい、改めて彼の顔を明るく照らした。
軽い口調とは裏腹に、眉間にシワを寄せその顔は覚悟に満ちていた。
【大戦】で、敵軍の本陣に総攻撃をしかけんとする突撃兵の表情によく似ていた。

―― ここまでか。

Tejasも覚悟を決め、今日一日で溜め込んだ体内の空気を一息で吐き出した。
事情はよく分からないが、オリバーは自らの主人に恩を立てるためここでTejasを始末する気だろう。
自身の能力は会議所内では極一部の人間にしか話していなかったが、信頼したオリバーに話したことは仕方がないことだ。

思えば、自身の右腕に呪いがかけられた際に一命を取り留めただけでも運が良かったのだ。今日まで生きながらえたのはひとえに運の良さでしかない。
それが、一日という短い時間ながらともに過ごした信頼する相手の手にかけられるのならば寧ろ行幸だ。
公国兵に討ち取られるよりも余程良い。
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164 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒編その5:2020/07/25(土) 21:03:26.262 ID:0zzN1S8oo
Tejasはオリバーをチラリと見た。覚悟を決めたはずのオリバーの顔は先ほどと違い少し曇り始めていた。

―― どうした、早く決断しろ。

逆にTejasがオリバーの決断を急かすように目を細め訴えかけた。
意志を汲み取ったのか、考え込んでいたオリバーは重々しい様子で口を開いた。

オリバー「本来、ここまで来られたからにはお前を生きては帰せない。

おれもつい先ほどまでそのつもりだった。

だけど、同時におれの頭の中には一つの“バカげた”プランが浮かんじまってな。

実行するためには助けがいる。
おれの“仕事”には、お前が必要不可欠なんだ――」

―― だから、慎重に言葉を選べ。

銃を握り直したオリバーを見ながら、“生命を握られている状況で直ぐに冷静な判断ができるものか”とTejasは半ば諦め気味で見つめ返した。

オリバー「おれと協力して―― “このバカげた戦争”を終わらせてくれるか?」

随分と大事になったものだ。
Tejasは彼の途方も無い提案を、頭の中で反芻してみた。


武器庫?此処が会議所?戦争?

一体なんだ。どういうことだ。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

165 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒編その6:2020/07/25(土) 21:06:07.684 ID:0zzN1S8oo
Tejas「いまの話に答える前に、改めて俺の決意をきいてくれないか」

オリバーは頷き先を促した。

Tejas「俺はな。“マイスター”と自称はしているが、会議所きっての変人として名を馳せている異分子だ。
周りからは扱いづらいと思われているだろうし、事実そうだと思う」

オリバーは容易に彼の会議所内での振る舞い、立ち位置が想像できた。

Tejas「俺は何においても拘りが強い。だからこそ他人は俺に付き合いきれないし、俺もまた半端な人間とは相容れない」

オリバーは再度頷いた。

Tejas「だが、もし“俺が信頼したる”相手を見つけたとしたら俺はそいつに従うし、力になりたいと思う。

俺が信頼した相手からの頼みには、文字通り、“生命を賭けて”それに応えよう。それが、俺の決意だ」

目の前の“マイスター”の物騒な言葉に眉をひそめたオリバーは、少し考え込んだ後に、唖然とし慌てて口を開いた。

オリバー「おい、待てッ!お前の言ってた【制約】ってもしかして――」

Tejas「―― 二つ提案がある」

Tejasは上げたままの左手を突き出し、オリバーの言葉を遮った。


166 名前:Episode:“マイスター” Tejas  相棒編その7:2020/07/25(土) 21:07:22.762 ID:0zzN1S8oo
Tejas「まず一つ。お前の話は受けよう。だが、俺には事情がさっぱり分からないから、真相を教えてくれ」

オリバーは神妙に頷いた。Tejasは満足そうに頷いた。

オリバー「二つ目は?」

Tejasは鋭い目をさらに細めた。ゴクリとオリバーは固唾を飲んで彼の言葉を待った。

Tejas「俺の目の前にいる“友達”の、本当の名前を教えてくれないか?」

オリバーはキョトンとした顔の後に、彼の突拍子もない提案に笑った。
Tejasも笑った。
真剣な空気は緩和され、笑い合う二人を見ながら火の玉も楽しそうにゆらゆらと揺れていた。

いまこの時は、昨夜夜中まで喋ったように屈託なく笑いあったのだった。
張り詰めた緊張感が解けたからか、いつもより多めに笑ったせいで目に浮かんだ涙を拭い取りながら、オリバーは彼の提案を受けることにした。

オリバー「ああ、いいぜ。真相はこれから話す。その前に、まず二つ目の提案から片付けよう。
おれの本当の名は――」




これより一人と一匹は、カキシード公国とオレオ王国間で勃発した戦乱を終結させるという大事を為すことになる。





(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

167 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/07/25(土) 21:11:11.846 ID:0zzN1S8oo
二章、完!
Tejasさんの設定はまた出てきますが、裏設定は書けないかもしれないのでまたwikiかどこかで。

三章 加古川さん編ではようやく真相に近づいていきます!お楽しみに。

168 名前:名無しのきのたけ兵士:2020/07/25(土) 21:14:12.873 ID:HiQGqkII0
引きがまねしたい

169 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/08/02(日) 10:57:05.932 ID:28btstrso
今週はお休みといたします。

170 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/08/08(土) 19:01:47.969 ID:i0fgnP7Yo
もうちょっとだけお日にちかかります。

171 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/08/12(水) 15:44:21.166 ID:8gGE/IPgo
休んじゃってた。第三章開始!

172 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川かつめし :2020/08/12(水) 15:46:18.646 ID:8gGE/IPgo




・Keyword

兵(つわもの):
1 武器をとって戦う人。兵士。軍人。
2 真相を究明する探究家。想像を超える真理に立ち向かう勇士。






173 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川かつめし :2020/08/12(水) 15:46:58.895 ID:8gGE/IPgo





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きのたけカスケード 〜裁きの霊虎<ゴーストタイガー>〜
Episode. “赤の兵(つわもの)”

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174 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 男たちの日常編その1:2020/08/12(水) 15:52:00.085 ID:8gGE/IPgo
【きのこたけのこ会議所 BAR “TABOO<タブー>”】

きのこたけのこ会議所自治区域の中心部に存在する【会議所】本部から程近い繁華街の一角に、“TABOO<タブー>”というバーは存在する。

きのこたけのこ会議所自治区域内には多くの住民が点在し暮らしているが、地図上で中心にある会議所本部の存在する場所が、名実ともに自治区域の中心街だ。
中央政府機関となっている会議所本部前の大通りは朝から多くのビジネスマンの往来で混み合う。

その人々の往来を支える中心通りから一本外れた脇道を歩いていくと、程なくして自治区域内随一の狭さと濃さが反比例する歓楽街・【ポン酢町】に到着する。
ポン酢町は昼間こそ閑散としているが、夜になるとどの店もネオンをギラつかせ、疲れ切ったビジネスマンたちを飲み込む欲望と遊楽の町へと早変わりする。

“TABOO<タブー>”は、所狭しと軒を連ねるそのポン酢町の中でもさらに裏道に入った奥地に存在する。
特に看板や案内板を出すことなく、馴染みの客の手引がなければ初見の客はまずたどり着けない隠れた存在だ。

ようやくたどり着けたとしても、掃除もされずくすんだ窓ガラスやこぢんまりとした入り口の様子を見て、初見の客からは廃墟か、さもなければ古ぼけた理髪店かと間違えられる程に、
人々の欲望を吸収する筈のその店には覇気の欠片もなかった。
しかし知る人ぞ知るこの老舗の店内は、夕闇が落ちた頃にはいつも熱気であふれかえっていた。

たけのこ軍兵士 加古川かつめしも“TABOO<タブー>”の常連の一人だった。
【大戦】が近くなるといつも残業が多くなる。
今日も疲れきった心と身体を癒やすため、他の流行っている飲み屋には目もくれず、加古川は店選びをしている通りの客を避けるようにいつものように細道に入り、いつものように店の扉を開けた。


175 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 男たちの日常編その2:2020/08/12(水) 15:56:41.018 ID:8gGE/IPgo
カランカランと小気味よいドアベルの音とともに、一気に店の中の熱気が押し寄せてきた。ま
だ底冷えする外気とのギャップになぜか思わず身震いしてしまう。
みすぼらしい外観とは裏腹に店内は広々としており清潔さも保たれていた。
今夜も既に夜更けに近い時間帯だというのにも関わらず店内はほぼ満席に近く、客同士の話し声が心地よい賑やかさとして耳に届き、加古川の冷えた心を温めた。

「いらっしゃい旦那。“いつもの”でいいかい?」

店のマスターで元・きのこ軍兵士 軍隊蟻はコップを磨いていた手を止め加古川に声をかけると、目の前の空いているカウンター席を目で案内した。
加古川は一度だけ頷くと、入り口のハンガーラックに羽織っていたコートと中折れ帽を掛け、指定されたカウンター席にするりと腰掛けた。
途端に、店主はシャカシャカと小気味よい音でシェイカーをシェイクさせ始めた。加古川はこのシェイク音を聞くと一日の仕事の疲れを忘れ、穏やかな気持ちになる。

軍隊蟻「はい。“カルーアミルク リキュール抜き”お待ち」

首元のネクタイを緩めていると、早速カウンター上でカクテルグラスがスライドされ放たれた。加古川は自然に受け取り、静かに口に付けた。
ほのかな香りに続いて口の中に一斉に広がる甘みに思わずクラクラする。
至福の一時だ。


176 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 男たちの日常編その3:2020/08/12(水) 15:58:48.025 ID:8gGE/IPgo
「美味しそうなカクテルですね。僕も同じものを貰おうかな?」

加古川が一息ついたタイミングを見計らい横の客が気さくに彼に声をかけてきた。
聞き慣れた声に加古川が顔を横に向けると、隣の席では同じ会議所兵士のたけのこ軍兵士 埼玉が微笑みながら挨拶をしてきた。

加古川「やあやあ。埼玉さんもこんな遅くまで居るということは残業かい?」

埼玉「部署が変わってばかりでして。仕事も慣れてない上にここにきて大変なんですよ。ほら、今は【大戦】強化月間じゃないですか。
先日【大戦】を終えたばかりなのに、近く他の国からお偉いさんが来る【特別大戦】もやるものだから、終わった後の交通規制やら宿泊先の手配やら色々な問題がありまして」

埼玉は会議所本部の【大戦業務課】という部署で働いている青年兵士だ。
定期的に会議所本部主催で全世界から人を呼び戦いあう【きのこたけのこ大戦】の裏方業務を一手に担っている。
【大戦】が近づけば準備の手間も増え、帰る時間は遅くなる激務を要求される部署だ。

加古川「それは苦労するな。おいマスター。埼玉さんにも私と同じものを一杯つけてやってくれ。支払いはこちらでいいよ」

マスターの軍隊蟻はチラリと加古川を見やると一度だけ頷いた。店主の寡黙で落ち着いた雰囲気が、この店の隠れた人気の秘訣だ。

埼玉「いいんですか?お気遣いありがとうございますッ!」

ニカッとした人懐っこい笑みを浮かべた埼玉を見て、先輩受けの良い後輩だと加古川は感じた。
きっと部署内でもかわいがられているに違いない。


177 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 男たちの日常編その4:2020/08/12(水) 15:59:47.985 ID:8gGE/IPgo
埼玉「加古川さんは【市民課】ですよね?最近忙しいと聞きますけど、大丈夫ですか?」

加古川「その通り、こちらも最近忙しくてな。【大戦】の影響か、特に最近は若い人の流入が多くてな。対応にひっきりなしさ」

加古川は【市民課】という受付部署で、会議所内の住民登録や証明書の交付、両軍の軍籍の交付など、会議所自治区域に関する行政業務を行っている。
市民課も時期によっては非常に混み合うため、激務と噂される部署の一つだ。

軍隊蟻「“カルーアミルク リキュール抜き”お待ち」

カクテルグラスを受け取った埼玉は加古川とグラスを軽く合わせ、日々の多忙を互いに労った。

その後は互いに杯を重ねながら仕事の他愛もない話を交わしていたが、二人で何杯目かのカクテルを飲んでいた時、“そういえば”と埼玉がある話を切り出した。

埼玉「おもしろい話がありましてね、加古川さん。

最近巷で話題になっている“きのたけのダイダラボッチ”という伝説、ご存知ですか?」

聞き慣れない言葉に、思わず加古川は眉を潜めた。


178 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 男たちの日常編その5:2020/08/12(水) 16:01:58.492 ID:8gGE/IPgo
加古川「“ダイダラボッチ”というと、あの伝承に出てくる巨人のことか?いや、知らないな」

そう答えながら、マスターの好意で出されたビターチョコをかじる。
甘いカクテルには少しぐらい苦いビターフレーバーの方がより味を引き立てる。マスターはよくカクテルというものを理解しているなと、改めてこの店を再評価した。

埼玉「そうです。その“ダイダラボッチ”です。それがチョ湖のほとりにも現れるというんですッ」

チョ湖とは、加古川たちが今いる会議所本部からは少し離れ、北東に幾ばくか進んだ先にある、オレオ王国とカキシード公国に面す国境代わりの広大な湖だ。

加古川「その湖に現れる巨人が“きのたけのダイダラボッチ”なのか。
誰かの魔法が暴走して犬か猫が巨大に化けたとかではなくか?」

今でこそ“チョコ革命”で動力物の熱源はチョコに置き換わりつつあるが、加古川の若い頃は魔法が全ての根源であり動力源だった。
街には無人の魔法の馬車が走ったり寒いときには爪先から火を灯し寒さを凌いだりと、いま以上に魔法は人々にとって身近なものだった。

同時に、魔法の詠唱失敗によるトラブルは日常茶飯事だった。
当時、加古川の隣家で誤って自分のペットを巨大化させてしまい自らの家を木っ端微塵にさせてしまった兵士もいて、ちょっとした騒ぎになったこともあった。
今となっては古き良き時代だ。

その時の若かりしたけのこ軍 社長の青ざめた顔を思い出し、今になって加古川は思い出し笑いをしてしまった。

埼玉「そうだったら笑い話ですが。目撃者も多いらしく、決まってみんなが夜中に見るというんですタマッ!」

先程までの疲れ切った顔とは打って変わり鼻息を荒くして語る埼玉を見て、加古川は彼がゴシップ好きの若者なのだと悟った。


179 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 男たちの日常編その6:2020/08/12(水) 16:07:08.519 ID:8gGE/IPgo
加古川「別に悪さはしていないんだろう?」

埼玉「そうです。ただ湖の上に突っ立っているかその場を歩き回るだけみたいで。
さらに面白いことに、みんな口を揃えて『明け方になると日光に溶けるようにスゥーッと透明になり姿を消してしまう』というんですタマッ!」

相当酔いが回ったのか、埼玉は次第に語気を強め熱心に語り始めていた。
彼の強い語尾の訛りは、確か大陸の最西部近くにあるネギ首長国由来だったはずだ。
彼が会議所区域から遠く離れた首長国出身だということを、加古川は今になり初めて気がついた。

加古川「不思議な話じゃないか」

加古川は静かにグラスを傾けた。

埼玉「嘘か本当か、ダイダラボッチが見えた後の【大戦】はきのこ軍かたけのこ軍、どちらかが大勝するらしいタマッ!
周りからは、嘘か本当か“戦の神”と呼ばれ崇められているんですって」

加古川「ほう、それはおもしろい。真理は、想像を超えると言ったところか」

埼玉は楽しそうに話を終え、つられて加古川もニヤリと笑った。

噂はあくまで噂だ。
それに、【会議所】本部で仕事をする二人にとってチョ湖周辺に行く機会などほとんどない。
休日にふらりと行くか、それこそ不測の事態でも起きて現地に仕事で行くでもしない限りこの噂の真偽を確かめる術はない。
それを承知の上で埼玉は語り加古川も承知の上で聴いているのだ。
要するに、盛り上がる話のネタで二人は酒の肴にしているに過ぎなかった。


180 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 男たちの日常編その7:2020/08/12(水) 16:08:39.293 ID:8gGE/IPgo
グラスの中の氷が溶けカランと氷の跳ねた音が響いた時、魔法が解けたように加古川は意識を戻し時計を見た。
もう日付けはとうの昔に跨いでいる。普段ならもう寝ている時間だ。

加古川「まだ飲んでいくのかい?」

埼玉「明日はたまたま非番でして。まだいらっしゃるのでしたらお付き合いしますよ?」

加古川「悩ましいお誘いだが今日はやめておくよ。酔いも覚まさないといけないしな」

店主に埼玉分の代金も払い終え、加古川は席を立った。

埼玉「すみません。払ってもらっちゃって」

加古川「気にするな。ユニークな話をきいた駄賃さ」

おやすみなさいという埼玉の声に、手にもった黒の中折れ帽を上げ応えながら、加古川は店を後にした。

彼が出ていった扉を見つめながら、ふと疑問が湧いたのか、埼玉は手元のグラスを眺めポツリとつぶやいた。

埼玉「そういえば、酔い覚ましと言っていたけど。

カルーアミルクのリキュール抜きって、それはもうただのカフェオレでは…?」


静かに夜は更けていく。



181 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/08/12(水) 16:09:23.323 ID:8gGE/IPgo
私はぐうたらぼっちです。

182 名前:たけのこ軍:2020/08/12(水) 21:23:28.790 ID:4kLxZHuY0
こういうのみてるとモチベーションあがる

183 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/08/22(土) 09:55:51.201 ID:EY8MH9h2o
今回、少し長めの更新です。

184 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その1 :2020/08/22(土) 09:57:27.713 ID:EY8MH9h2o
【きのこたけのこ会議所 本部事務棟】

明くる日、加古川は会議所議長の滝本から驚きの話を告げられた。

加古川「えッ!私がチョ湖支店に出向ですか?」

滝本「ええ。お願いできないかと思いまして…」

徹夜明けなのか青髪をボサボサにした滝本は、困ったように頭を掻いた。

滝本「チョ湖支店にいた責任者の方が過労で倒れてしまいましてね…最近、あそこの支店は周辺の急な人口増加で仕事が切迫していまして。
私としても信頼できる方を後任に充てたいところで…」

“大変心苦しいお願いですが”と続ける滝本を見ながらも、加古川の脳裏には昨夜の埼玉が語っていた空言が頭の中に浮かんでいた。

埼玉『そうです。その“ダイダラボッチ”です。それがチョ湖のほとりにも現れるというんです』

加古川はひとしきり考えた後に、力強く頷いた。

加古川「その話、受けましょう。すぐに準備をします」

打診したはずの滝本は逆に目を丸くし驚いた。

滝本「そんなあっさりといいんですか?加古川さんはご家族も居るというのに…」

加古川「なに、単身赴任ですから。定例会議の際には会議所本部に戻ってくるようにしますよ。それに…いや、なんでもありません」

加古川は一瞬、滝本に昨夜の与太話を話そうか悩んだが、すぐに止めた。
仕事の最中に茶々を入れることになるし、そもそも真偽が不明な話で目の前の疲れ切った顔の彼を混乱させることもない。


185 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その2:2020/08/22(土) 09:58:19.983 ID:EY8MH9h2o
それに突然の異動にも関わらず、加古川は内心で湧き上がる興奮を抑えきれなかった。

加古川は、子どもの頃から人一倍探究心が強かった。
分からないことがあればすぐに周りの者に聞き回り自分が納得するまで繰り返し聞いた。身の回りにあふれている謎も進んで解明したがった。
裏山にある廃墟に人が潜んでいるとの話があれば仲間を引き連れ進んで探検に向かった。結果は狸だったが。

そうして青年になった頃の彼の芯には、探究心の強さとともに謎を残すことを良しとしない生真面目さも加わった。
壮年期を迎えるに連れ生真面目さが表立ってきていた彼は周りから緻密な人間だと評価され、現在の事務方で役職を得るまで至った。
しかし、彼の心底には幼少期から宿る“探究心”が今も確かに強く残っていた。

昨夜聞いた“きのたけのダイダラボッチ”の話は子どもの時以来の探究心を心の奥底から喚び起こした。
そして運命のようにチョ湖へ赴く話が転がり込んだ。

これでワクワクするなという話が無理なのだ。
仕事に忙殺され枯れかけていた彼の心は、再び熱く燃え上がる兆しを見せていた。

滝本「ありがとうございます。すぐに向こうの邸宅はこちらで手配しますので。宜しくお願いします」

滝本は深く頭を下げた。
こうして加古川のチョ湖支店への異動は決まったのだった。


186 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その3:2020/08/22(土) 09:59:41.342 ID:EY8MH9h2o
【きのこたけのこ会議所 チョ湖支店】

滝本の言葉に嘘偽りは無く、異動後の加古川は周りへの挨拶などろくにする暇も無く仕事に追われる日々だった。

続々と訪れる住民の住民登録や相談対応に奔走し、気づけばあっという間に数日が過ぎ去っていた。
加古川の新しい職場はチョ湖ほとりにある【会議所】支店だ。古城のようにそびえ立っていた【会議所】本部と違い、チョ湖支店は田舎町の劇場といった具合のこぢんまり具合だ。
しかし、その劇場に例年にはない人々が押し寄せ支店は既にパンク寸前だった。

仕事を整理しているうちに、その日はあっという間に深夜を迎えていた。
加古川は椅子の背もたれに背を投げ、大きく伸びをした。

加古川以外に働いている者はいない。

加古川「仕事になれた…なんて言えないな。疲れすぎてて、先日の【大戦】にも出られなかったし。年はとりたくないものだ」

【きのこたけのこ大戦】は会議所自治区域の南部にある【大戦場】にて行われる世界規模の模擬戦だ。
自治区域民であれば無条件に参加できるし、事前登録さえすれば他国からでも参加は可能だ。

事前に戦場で実弾抜きの銃器を借りるか持ち込み、定められたルールに則りきのこ軍、たけのこ軍という架空の軍に分かれ勝敗がつくまで戦う。
これが【大戦】のルールであり、会議所自治区域を収益でも精神的にも支えている一大イベントだ。
会議所区域民で余程のことがない限り大戦を欠席する人間はいない。
年間の参加割合で減税等の優遇措置が取られるといった制度の恩恵を各々が受けられるといったことも背景にはあるが、単純に区域民が【大戦】をゲームとして愛しているのだ。


187 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その4:2020/08/22(土) 10:01:45.852 ID:EY8MH9h2o
【会議所】は【大戦】を恒久継続させるために、様々なルールで参加者を飽きさせないように努力させている。
参加者全員に階級章を配り戦いながら自身の階級を成長させる【階級制】ルール、兵種という役割に振り分けられ部隊が団結し敵軍と戦う【兵種制】ルール、
さらには大戦場内に複数の陣地を設け陣取り合戦を行わせる【制圧制】ルールなどルールの豊富さには枚挙にいとまがない程だ。

【会議所】は人々を飽きさせないようにこうしたルール作りに加え、【大戦】遂行にあたり交通インフラの整備や大戦終了後の交通規制などを率先して執り行う。
当日は数百万もの人が一気に移動するためにてんやわんやだ。
だが、その後会議所で働く人々も一緒に【大戦】に混じり戦い疲れを吹き飛ばしながら銃を乱射する様はストレスの捌け口としても優秀なのだ。

加古川も【大戦】を心待ちにする人間の一人だった。
それだけに、異動後の業務に忙殺され【大戦】を欠席してしまった自分自身に、歳をとってしまったという感想が出てくることは至極当然なのだ。

加古川「しかし、チョ湖付近の人口増加率が対前年比で400%超えか。それは前任者も過労で倒れるわな」

前任の支店長だったきのこ軍 じゃがバターが倒れるのも無理はない。
今、加古川のいるチョ湖の湖畔沿い地域は【大戦場】から相当離れており、これまで住民の頻繁な移住など殆どなかった地なのだ。

観光地としての役割も対岸のオレオ王国カカオ産地の観光地帯に奪われ、この地で潤うものといえば湖畔の陸に並ぶサトウキビ畑ぐらいだ。
生産量こそカカオ産地とほぼ同等規模だが、昨今のチョコ革命でカカオに注目が集まる今、角砂糖に注目が集まることなど殆どなかった。

なので、現在の人口増加は異常と言ってもいい。突然の人口増に備えのない地方支店では限界などすぐに超えてしまっていたのだ。


188 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その5:2020/08/22(土) 10:03:03.613 ID:EY8MH9h2o
加古川「こんな辺境の地への突然の人口流入。流入者の多くが新規就農者。鍵となるのはこの教団か…」

数日ではあるが、加古川は事前のリサーチで人口増加の原因をほぼ突き止めていた。
手にしていたクリップ留めの資料をバサッと机の上に投げつけると、表紙に書かれていた文字が改めて目に止まった。


『ケーキ教団』


自らまとめた報告書の表題にマジックペンでデカデカと書いたこの教団は、最近になり信者数を増やしている新興宗教団体である。
まだ会議の議題に上がったことは一度もないが、先日も新しい部下に訊いたところ、殆どの人間が教団の存在を認知していた。

加古川自身も会議所本部にいた頃に、酒場で話を何度かきいたことがあったが気にも留めていなかった。
それが、この町に来るや否や街中に教団の公告は溢れ、教団後任のケーキ屋も多く立ち並び、ケーキ教団は自然と街と同化していた。
教団本部は人里離れ広大な山の中に本部を構え多くの信者を呼び寄せているという。
ここまでの認知度の高さだとは内心驚いた。会議所中央と地方とではかなりの温度差があることを実感した。

また、ついでだからとあわせて“きのたけのダイダラボッチ”についても訊いてみた。
こちらについてもケーキ教団程ではないものの反応した部下は何名かいた。
しかし、その内容はどれもメチャクチャなもので、ある若手の部下は“ダイダラボッチは湖ではなく鬱蒼とした森で雨の日だけ現れる”と言い、
またある部下は“何年かに一度、大戦場に現れ大戦をメチャクチャに荒らして帰っていく”と言った出処のない話をするなど、その話はいずれも支離滅裂で容量を得ないものばかりだった。

ある意味で“きのたけのダイダラボッチ”が都市伝説として確立され、その存在だけが独り歩きしていると言えるだろう。
この話を聞いて、加古川はダイダラボッチ伝説について当初ほどの熱は無くなってしまった。


189 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その6:2020/08/22(土) 10:04:54.986 ID:EY8MH9h2o
加古川「【ケーキは食と世界を救う】が教理、か。
年のいったこの身からすると、こんなバカげた考えに若者の賛同する理由がわからないな」

いま、ケーキ教団は会議所自治区域内で急激に信者を増やしていた。
そして教団本部のあるこの地に、ケーキの材料に使う角砂糖となるサトウキビを収穫するため、若者が続々と移住してきていることが今回の人口増加に繋がっていると推測できた。
なんと涙ぐましい努力だろうか。

加古川「しかし、なぜここまで角砂糖が必要になる…?」

若者のケーキブームが来ているからか。
その可能性も考えられるが、わざわざそのために若者が今の職を捨てサトウキビ畑農家に転職するだろうか。
そもそも角砂糖が足りなくなっているという話も聞いたことはない。


何か言いようの知れない違和感が加古川を包んでいた。


加古川「まるで教団が…手引を…している…ような」

一つの推測に到達しかけた加古川だが、途端に急速な眠気に襲われた。
もともと、何日も働き詰めだったからか疲れがここに来て一気に押し寄せたのだ。

抗うこともできずに、加古川は深い眠りへ落ちていった。


190 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その7:2020/08/22(土) 10:06:51.929 ID:EY8MH9h2o
【きのこたけのこ会議所 チョ湖支店】

加古川はハッと目を覚ました。気づかぬうちに机の上に突っ伏して気を失っていたようだ。
壁の時計を見ると夜中はとうに過ぎ、もう明け方に近い刻だ。
窓の外はまだ漆黒の闇に包まれているが、直に白み始めるだろう。

顔を起こし、身体を伸ばすと節々が痛む。
若い頃は夜通し働き続けられたものだが、年老いた今ではデスクワークも一苦労だ。首を曲げると自分でも不安になるほど骨のなる音が響いた。

加古川「一旦、家に引き上げてシャワーでも浴びるか…」

身体を起こし勢いよく椅子から立ち上がると、その風圧で机の上の調査書が足元に滑り落ちた。
ケーキ教団という踊る文字を見て、居眠り前にたどり着いた推測を加古川は思い出しかけたが、結局思い出せずに資料だけをケースに戻し、その場を後にした。


加古川「この季節だと夜中はまだ若干冷えるな…」

ブラウンのチェスターコートに身を包ませ、加古川は外へ出た。
この辺りの地域は温暖な天候だ。一年を通じてあまり気候は変わらず、だからこそサトウキビが成長しやすい。
しかし季節の移り目もあり、本格的な温暖な気候に向けてはまだ幾分かの時は必要だった。
中折れ帽を目深に被り厚手のコートに身を包むその姿は、この地方からすれば少々厚着のように思えるが、加古川はこの格好を気に入っていた。

ずっと屋内にいたからか、寒気は無視しても外気を吸うことは新鮮で加古川の気を軽くした。
昼間の喧騒が嘘のように、誰も出歩いていない中心街はひたすらに静寂を保っている。

加古川「そういえば、此処にきてからまだまともに湖を見ていないな」

加古川の家はチョ湖とは反対の内陸方向だ。だが、まだ幾分の時間はある。
どうせ帰宅しシャワーを浴びて少し経てばすぐに夜明けだ。
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191 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その8:2020/08/22(土) 10:08:22.217 ID:EY8MH9h2o
湖畔近くに並ぶ住宅街を通り過ぎると、さっと視界が広がり小高い丘へ続く道かサトウキビ畑へと下っていくY字路が出てきた。
上り坂に続く道の方を選び、目の前の丘にとぐろを巻くように続く轍を進んでいくと、すぐに周辺の住民が“展望台”と呼ぶ頂へと到着する。

加古川「展望台、と呼ぶには少々手入れが行き届いていないみたいだがな」

加古川は苦笑しながらも雑草の生える木のベンチに腰掛けた。
展望台はまるで民家の裏山の先端をちょん切ったような、こぢんまりとした広さだった。

季節柄、草木は枯れ見通しこそ良いが夏になれば背の高い木々が視界を邪魔するだろう。その程度にはこの展望台は荒れている。
異動した初日に若手社員からこの場所をきいていたが、まさに“穴場”のスポットのようだ。

加古川「それでも綺麗だな」

既に月は沈んでいたが、湖面はどこからか光を受けキラキラと反射していた。
薄明を控える湖畔は、乾いたサトウキビ畑の揺れる音と湖の波打ち音が絶妙のハーモニーを奏で加古川の心を癒やした。


暫くぼうと湖を眺めていた加古川だが、耳に届く音をより感じたいと思い目を閉じた。

湖の波は丘から少し離れた眼下の崖にぶつかり、静かなさざなみを発生させていた。
まるで海に来たかのような感覚だ。
そういえば、もう長く家族で遊びに出かけていない。

思えば仕事一筋で生きてきた人生だ。家族のことは何よりも愛しているが、家族の食い扶持を稼ぐためという理由で、いつしか仕事に没頭していた。
今回だってそうだ。
妻子を残し一人辺境の地にやってきて初日から残業三昧だ。こうしてちゃんとした休憩を取るのも久々な気がする。


192 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その9:2020/08/22(土) 10:09:55.553 ID:EY8MH9h2o
静かに一定の周期で、さざなみ音は加古川の耳に心地よく届いた。
加古川の心は次第に落ち着き、仕事で凝り固まった身体や気持ちは少しずつほぐれていった。
いつしか加古川は幼少期の思い出を振り返るほどに感慨深く自省し、繊細になった彼の心にそっと寄り添うように波打ち音が静かに響き渡った。


静かに。

静かに。

徐々に早く。

段々と早く。

次第に周期を早めて激しく。


いつしかさざなみは暴れ、お互いの波を打ち消しあい、岩壁に殴りつけるかのような乱暴な音を発するようになった。
波音はタクトを早める指揮者の奏曲のように加古川の耳にどんどんと押し寄せてきていた。

加古川「…なんだ?」

どれほど経っただろうか。いつしか異変に気づき、加古川は目を開けた。
ベンチから立ち上がり少し先の眼下の岸壁を眺めた。湖の波が激しいほどに暴れている。強風も吹いていないし、波が荒れる要素などないはずだ。大型の船舶でも近づいているのだろうか。

加古川「一体なにが――」



ふと顔を上げた先に、“答え”はあった。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

193 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その10:2020/08/22(土) 10:12:34.390 ID:EY8MH9h2o
瞬間的に加古川は言葉を失った。
あまりに自然と巨人が周囲と同化していたからである。
まるでずっと前からそこにいたかのように、巨人はまんじりともせずに立っていた。

ある程度の距離があるからか加古川は巨人を一望できているが、
近くに寄ろうものなら首を垂直にしても視界からは見切れてしまう程に巨大さを誇っていることは、容易に想像できた。

加古川「ダイダラ…ボッチ…」

酒の席で埼玉からきいた“きのたけのダイダラボッチ”の話と瓜二つの状況だ。
当時は話半分に聞き流していたが、なんの前触れもなくこうして目の前に現れてしまっては信じるほかない。

加古川「なんなんだ、あいつは…」

ダイダラボッチは顔と思わしき部分を上げ、空を見上げているようだった。
というのも、彼に目鼻は無かった。顔と胴体の部分が首で区切られていることからようやく顔だと認識できるほどだった。
漆黒の闇に紛れ全貌は伺いしれないが、長い手足はともに湖に付き、身体の輪郭は流線型で、彫刻のような造形美が見て取れた。

彼は夜の闇の中でなにもせずぼうっと突っ立っていた。
時折、思い出したように膝の部分までつかっている脚を数歩動かすも、少し動いただけで歩みを止めてしまう。
一歩動くたびに身体は前のめりになりながらよろけ、転ばないように一々止まっているようだった。

まるで幼い動物が歩行練習をするようだ、と加古川は感じた。
波打ち際に押し寄せてきた乱暴な波の原因は彼がむやみに足をばたつかせているからに他ならなかった。


194 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その11:2020/08/22(土) 10:14:12.270 ID:EY8MH9h2o
加古川は急ぎ展望台を降り、サトウキビ畑を抜け少しでも巨人の下に近づこうか寸分悩んだ。

眼前の“巨人”に何故だか加古川は言いようの知れない安心感を覚えていた。彼は街を襲わないし自分が近寄っても何もしないという根拠のない“確信”があった。
第六感が働きかけているのか、自身の心の探究心が彼自身をけしかけているのかは定かではなかったが。
しかし、目を離したら途端に姿を消してしまいそうな、彼にはどこかしら儚さがあった。

“きのたけのダイダラボッチ”を見ながら幾分か冷静になった加古川は、ふと巨人の横で煌めく輝きを発している“存在”に気がついた。
灯台だ。展望台から数km近く離れたところで光を放つ小さな灯台が、仄かに巨人の足元を懸命に照らしていた。

加古川「あの近くにある城は…教団本部の建物か?」

巨人の背後には、展望台よりも標高の高い小高い山がそびえ立っていた。その山の頂きには廃城跡があり、小さな灯台はその天辺から懸命に光を放っているようだった。
先程資料で見たのだから間違いない。あの廃城は加古川の仕事を苦しめているケーキ教団の根城だった。

加古川「灯台の光に照らされているのならば、あの巨人の存在に気づいてもおかしくないな…」

ケーキ教団という異質な存在について考え始めようとした瞬間、白み始めていた空から一気に暁の陽が差し込み始めた。
上空の厚い雲から漏れた陽が湖を照らし、湖面はそれに応えるようにキラキラと反射し始めた。
数分もすると辺りはあっという間に朝の陽に包まれ、水面により散乱した太陽光に思わず加古川は手で目を覆った。

そして、指の隙間から再び湖を見ると、さらに不思議なことが起きた。


195 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その12:2020/08/22(土) 10:15:02.542 ID:EY8MH9h2o
加古川「なッ!?消えたッ!?」

先程まで巨人が立っていた場所に巨人の姿は跡形もなかった。

後にはゆらゆらと湖面が揺れるだけだ。

加古川は目を細め辺りを探してみた。
しかし、移動した痕跡どころか、先程までの光景が夢なのではないかと勘違いしてしまうほどに、巨人の痕跡は一切見つけられなかった。

あれ程巨大な図体を持った巨人が何の音も立てず消えることなど物理上不可能だ。


埼玉『みんな口を揃えて、明け方になると日光に溶けるようにスゥーッと透明になり姿を消してしまうというんですタマッ』


目の前で起きている現象は、先日の埼玉の与太話通りになっていた。
巨人の姿が無くなってもなお、波は暴れたように岩壁に押し寄せ乱暴な波打ち音を発していた。

加古川「なにか妙だな…」

大抵の人間ならば、きっと首を傾げながらも一度家に帰り、本棚の奥にしまっていたオカルト図鑑を引っ張り出しては、今日の“きのたけのダイダラボッチ”と空想上の妖怪の特徴点を探し想像に耽けていたことだろう。
そして夜に酒場に赴き、自らの体験談を多少誇張してでも伝説を目の当たりにした自身の体験を吹聴するに違いない。


しかし、加古川という人間は、自分が思っている以上に“探究家”であった。



196 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 遭遇編その13:2020/08/22(土) 10:17:32.584 ID:EY8MH9h2o
加古川「チョ湖での出現。夜中に突然現れ、明け方には突然消える。何をするわけでもなく佇み、その近くには…ケーキ教団の本部がある」

彼の頭の中には、巨人伝説をただの都市伝説にしない左証の欠片が次々に思い浮かび上がってきていた。

加古川は額に人差し指を当て少し考えた。

彼は元来、真実を追い求める探究家だ。喰らいついた謎は解明しないと気がすまない。その性格ゆえ、幼い頃は得もしたし同様に損もした。
成人し会議所で働くようになってからは、些細なミスも見逃さず不明確な処理があればひたすら原因を追求する名事務方として名を馳せるようになった。
そんな彼の性格が此処にも出た。



“きのたけのダイダラボッチ”の謎を解き明かしたい。



そう強く願う彼を誰が否定できようか。
もし仮に、彼のこれからの悲劇を全て承知している第三者が現れ彼を静止しようとしても聞く耳を持たないだろう。
先日、埼玉から“きのたけのダイダラボッチ”の話を聞いたことも、そして今日加古川がこの場所を訪れたことも、全ては偶然であり同時に必然なのだ。


ただ加古川にとって不幸だったことは、この“きのたけのダイダラボッチ”伝説は彼の口癖通り、“真理は想像を遥かに超える”出来事を孕んでいたということだった。



197 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/08/22(土) 10:19:18.504 ID:EY8MH9h2o
真実はいつもひとつ!

198 名前:たけのこ軍:2020/08/23(日) 00:14:02.812 ID:e.QjV2JY0
謎かけがわくわくしますね

199 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その1:2020/08/23(日) 21:08:33.958 ID:rLe6kz26o
【きのこたけのこ会議所 チョ湖付近 中心通り】

休日の支店近くの中心通りは多くの人で賑わっていた。
久方ぶりの休みを取った加古川は、休日に多く並ぶ露店の中で狙いの店を見つけると、ゆっくりと歩みを進めた。

加古川「こんにちはお嬢ちゃん。少し話をきいてもいいかな?」

「おじちゃん。だあれ?」

被っていたブラウンのシルクハットを取りにこやかに挨拶する加古川に、可憐な少女はきょとんとした顔で首を傾げた。
露店の前の積み上がった上の木箱に、店番とばかりに少女は退屈そうにちょこんと座っていた。

加古川「通りすがりのおじちゃんだよ。君たちの教団について教えてほしいんだ」

「わたしはお兄ちゃんのかわりに座っているだけなの。詳しいことはお兄ちゃんが戻ってからにして」

木箱の上で足をぷらぷらとさせ、青髪の少女は雑踏の中にいるだろう兄の姿を探した。


200 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その2:2020/08/23(日) 21:10:03.474 ID:rLe6kz26o
スティーブ「これはこれは、新しい希望者か?」

ケーキ教団のスティーブは背中越しに加古川に話しかけた。
少女は彼の姿を見るとすぐに笑顔になった。

「お帰りなさいお兄ちゃんッ!」

スティーブ「ただいまロリティーブ。いい子にしていたご褒美だよ」

同じく青髪のスティーブは少女に向かい棒付きキャンディを差し出した。
ロリティーブは満面の笑みでそれを受け取ると人目も気にせず早速舐め始めた。

加古川「教団に興味があってね。ここなら色々と教えてくれるときいたんだが」

加古川が指差した露店の看板には『ケーキ教団 体験入団応募口』と書かれていた。

スティーブ「その通りッ。あんたは運がいい。今から他の希望者も合わせて教団本部へ見学会に行くところさ。来るかい?」

加古川「定員オーバーでなければ、是非」

休日を使い加古川は市内の中心部を練り歩いていた。
『ケーキ教団』の勧誘出張所が露店で出ているとの話を風の噂できいたためだ。

スティーブ「なら馬車を呼んでくる。ここで少し待っていてくれ」

ロリティーブに“すぐ戻るから良い子にしていろよ”と言い聞かせ、加古川より一回り以上は年下だろうスティーブは走り去っていった。


201 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その3:2020/08/23(日) 21:15:35.903 ID:rLe6kz26o
加古川「ロリティーブちゃんは普段からスティーブお兄ちゃんと一緒なのかい?」

少女は少し間を置いてキャンディから顔を離すと、警戒感なく口を開いた。

ロリティーブ「そうだよ。お兄ちゃんとは【儀式】の時以外は、一緒だよ」

加古川「【儀式】?」

聞き慣れない言葉に思わず加古川は聞き返した。
ロリティーブは加古川と話している合間も再びキャンディをなめ始めた。

ロリティーブ「お兄ちゃんはね、毎日夜にね、仲間の人たちと一緒に礼拝堂に籠もってお祈りを捧げるんだって。
選ばれた人しか入れないからロリティーブは行けないの。つまんないの」

加古川「ほう…」

すると“おーい”という呼びかけとともに、スティーブが走って戻ってきた。

スティーブ「ちょうど馬車が来るぜ。ちょうど今から出るところだッ!のりなッ!」

加古川「お嬢ちゃん、ありがとう」

加古川はポケットからココアシガレットを取り出し渡した。

ロリティーブ「これなあに?」

加古川「甘い砂糖の棒さ。後で食べてごらん。おじちゃんのお気に入りだ」

すぐに踵を返し、加古川は通りに停まっている大型の馬車に向かって小走りで歩き始めた。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

202 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その4:2020/08/23(日) 21:17:53.589 ID:rLe6kz26o
【きのこたけのこ会議所 ケーキ教団本部】

加古川「あいたた…馬車の揺れは腰に堪えるな。やれやれ、やっと着いたか」

小一時間程かけて入団希望者たちを載せた馬車は必死に山道を登り目的地の教団本部前に停まった。
すると間髪入れず満面の笑みを顔に貼り付けた一人の人間が馬車に駆け寄ってきた。

クルトン「ようこそ、ケーキ教団本部へ。私は案内役を務めますたけのこ軍 クルトンと申します。どうぞよろしくッ!」

クルトンの格好は神父というよりも寧ろ料理人のそれだった。クリーム色のコックコートと長めのコック帽の着こなしは、まるで厨房から飛び出してきたんじゃないかといわんばかりの格好だ。
ただ、シワも汚れもなくパリッとした服からみるに厨房で料理をしているわけではなさそうだ。

馬車を降りながら加古川はケーキ教団本部の周りを一瞥した。

ケーキ教団本部は湖畔の小山の頂上にある誰も住まわなくなった廃城を再活用している。
古城のすぐ横は岩壁で湖と面しており、眼下のチョ湖をよく一望できる。

もし先日の“ダイダラボッチ”の現れた同じ時間帯に此処に居たら、さぞあの巨人の横腹がさぞよく見えたことだろう。
先日巨人を照らしていた灯台は、今いる本部よりさらに奥地にある高台にちょこんと建っているのが見えた。


203 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その5:2020/08/23(日) 21:19:40.846 ID:rLe6kz26o
クルトンの先導で、加古川を含む入団希望者は本部の見学ツアーの案内を受けることになった。

クルトン「数百年前の戦乱の世でこの一帯を収めていた領主のお城を、今は教団本部として利用させてもらっています。
王族が住んでいた部屋は幾つものキッチンへとリフォームし、王の間は巡礼者を迎える聖堂へと様変わりしています」

彼の言葉通り本当に古城をそのまま利用したようで、部屋の内装を除く外壁や古城を取り巻く塔などは当時の歴史がそのまま残されていた。
本来の目的が無ければ、城好きの加古川は見惚れてしまうほどに生々しい歴史が残っている。

「城の奥にある建屋は何ですか?煙が出ているから、工場かなにかですか?」

教団本部の古城の奥には、朱色の細長い屋根に続いて工廠と思わしき建屋が何棟も左右奥にも連ねていた。
いずれも細長く突き出た煙突から黙々と薄黒い煙を吐き出している。

クルトン「ああ、あれはケーキスイーツ工場ですよ。教団の資金源は市販用、業務用スイーツの製造販売なのです。
最近巷で人気となっている【ポイフルケーキ】や【ミルキーウェイブクッキー】などは全て教団工場で真心こめてつくっているものなのですよ」

加古川と同じ希望者たちの何人かから“おお”と歓声が上がる。加古川は巷のスイーツ事情には詳しくなかったが、いずれも有名なブランド品らしい。
知らぬ間に日常にまで教団が接近していた事実に、加古川は少なからず衝撃を受けた。


204 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その6:2020/08/23(日) 21:21:09.014 ID:rLe6kz26o
クルトン「それでは皆さん、城の中に。ここが礼拝堂兼食堂です。
ここでは皆で作りあったケーキやスイーツを食べ、一時の幸福を噛みしめる神聖な場です」

大広間に案内された一行は、教会の聖堂に並べられた長椅子を取り払い、全てレストランの長テーブルに置き変えたかのような食堂に通された。
いずれのテーブルも、信者の全員が皿の上に並べられたケーキを一心不乱に食しているところだった。

クルトン「我々は厳しい戒律を求めません。 “ケーキは食と世界を救う”を教理としています。ケーキを食文化に根付かせるために、我々はケーキを作り食すことを至高の喜びと感じます」

クルトンはわざとらしい作り笑いでそう語るので、加古川は一瞬、彼が冗談で説明しているのかと思った。
だが、彼と同じ笑みを顔に貼り付けた信者たちが『ありがたい、ありがたい』とつぶやきながらケーキを食す姿を見て、これが宗教かと思い直した。

「教団に入ったら何か厳しい修行のようなものがあるのですか?」

希望者の一人が恐る恐る質問した。加古川がチラリとその人間を見やると、質問をした彼は背筋が良く、着ている服もシワひとつない清潔な白シャツだ。

“駄目だな”。
こういう付け入る隙を自分自身で無くしていると思い込んでいる人間ほど、宗教にのめり込む。
加古川は経験則で知っていた。


205 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その7:2020/08/23(日) 21:22:13.347 ID:rLe6kz26o
クルトン「とんでもないッ!我々の教えに修行などというものは存在しませんッ!ですが、そうですねえ。
強いて言えば、修行の代わりにここで何種類ものケーキを食べ続け、信仰を深めているのですが、それが時々お腹にたまりましてねえ。
厳しいのは、その時ぐらいですねえッ!」

その質問を待っていたとばかりに、営業スマイルを二割増しにしたクルトンは一気に捲し立てた。
クルトンがツバを飛ばすほど熱心に語る様に、入団希望者たちの持つ警戒感が一気に薄らいでいくのを加古川は肌で感じ取った。

クルトン「特に古い慣習など我々は許容しません。上納金や会費などで皆さんの生活を圧迫することもしません。
皆さんは、ケーキを食べその美味しさを追求し、周りに広めることが教団の望みであり皆さんの喜びにもなるのです」

クルトンの語る理想に、先程質問をした人間も安心したように何度か小さく頷いた。

加古川「この教団には階級があるんですか?教祖も誰だかわからないし」

端にいた加古川は手を上げ質問をした。クルトンはすぐに加古川へ顔を向けた。

クルトン「教団には教祖というものは存在しません。皆は平等ですが、そうですねえ。
教団内で地位を持つ方は“職人”と呼ばれます。そうした人たちは誰よりもケーキを食べ、ケーキを作った人たちになりますね」

ハハハと笑うクルトンに続き、周りもつられて笑い、辺りは穏やかな空気に包まれた。
加古川も口元では笑みを作りながら、何か小さな違和感を覚えていた。


206 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その8:2020/08/23(日) 21:23:02.621 ID:rLe6kz26o
加古川「それでは、特に信者が集まるための集会やらミサはないんですか?」

クルトン「みなさんも参加できる“ケーキフェス”という食事会は定期的に開かれますよ。みんなでケーキを作り合って食べるんです」

何かはぐらかされている気がする。そう加古川には感じられた。
事態の本質にたどり着くのをやんわりと拒まれている気がする。
長年の勘だ。

加古川「それでは、信者になっても本部や支部に夜通し集まり何か、言うなれば、儀式や座禅のようものはないと?」

クルトン「ええ、そんな話は聞いたことがないですね。信者の皆さんはただイベントに来てケーキを食べるだけです。それがなにか…?」

加古川は内心でしまったと思った。
仕事柄、細かいミスを指摘する事に慣れていたからか、つい仕事と同じ口ぶりで相手を問い詰めるように訊いてしまった。
あまりのしつこさに不審に感じたクルトンも眉をひそめている様子が見えた。


207 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 教団本部見学編その9:2020/08/23(日) 21:23:55.867 ID:rLe6kz26o
加古川「それは――実に素晴らしいですねえ」

咄嗟の加古川の機転に、一瞬眉を潜めたクルトンはすぐにパアと顔を綻ばせしきりに頷いた。加古川も満面の笑みで同調するように頷いた。

その時、加古川は確信をした。


―― 加古川「【儀式】?」

―― ロリティーブ「仲間の人たちと一緒に礼拝堂に籠もってお祈りを捧げるんだって。その間は選ばれた人しか本部に入れないの」





教団かスティーブ。どちらかが嘘をついている、と。



208 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/08/23(日) 21:24:22.439 ID:rLe6kz26o
今週は筆が進んだので二回更新じゃあ。

209 名前:たけのこ軍:2020/08/23(日) 21:37:42.724 ID:e.QjV2JY0
しぶい・・・おたくしぶいねぇ

210 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その1:2020/08/30(日) 22:50:52.495 ID:AIXgRpAoo
暫くして加古川は【きのこたけのこ大戦】と会議所で開かれる【定例会議】に参加するため、会議所本部に戻ってきた。

離れてからまだ一月も経っていないというのに、少し前に自分が居た目の前の都市はひどく大きく見えた。
会議所自治区域は国家承認を受けていないため首都は存在しないが、実質的に政府機構を持つ会議所本部一帯が自治区域内の中心都市である。
その発展度は他の地方よりも群を抜いているため、チョ湖町の実態を見てから本部一帯に戻ってくるとあまりのネオンの明るさや交通網の発達ぶりに、まるで田舎者が都会に出てきたかのように目がチカチカしてしまう。

先日一参加者として【大戦】できのこ軍を大いにいたぶった老兵は、明後日会議所本部で開かれる【定例会議】の前にとある友人と会う約束を交わしていた。
その人物とは“馴染みの”BARで待ち合わせていた。



【きのこたけのこ会議所自治区域 BAR “TABOO<タブー>”】

出張の日の夜は、普段の仕事も持ち込むことはないから録に残業をすることもない。
宵の口から指定席のカウンターを離れ、窓際のテーブル席で一人飲んでいた加古川は、この時間帯からでも店を賑わしている客が多いことに、今になり初めて気がついた。

加古川「この時間から飲めるなんて、幸せなことだ…」

「その幸せは、貴方たちみたいな善良で勤勉な社会人のお陰で甘受できているということを、ここにいる皆はきっと知っているに違いないさ」

グラスを傾けながら独りボヤいていると、頭上から聞き慣れた声がかかった。
加古川が顔を上げると、頭上の銀髪を短く刈り込んだ男はニヤリと笑い、向かいの椅子にスルリと座った。


211 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その2:2020/08/30(日) 22:52:39.715 ID:AIXgRpAoo
加古川「やあ、魂さん。こんな時間から飲み始めなんて、さてはサボりかな?」

たけのこ軍兵士 筍魂は目の前の友人の言葉を意にも介さず、手を上げ優雅に挨拶をした。

筍魂「よお、加古川さん。チョ湖の方にご栄転になったと聞いて寂しかったが、またこんなに早く会えるとはな」

加古川「別に向こうに永住するわけじゃあないしな。今回のように【大戦】や【会議】がある時はこちらに寄るさ。
それに栄転じゃあない。言うなれば、前線への兵士の補充さ」

筍魂は笑いながら、肩をすくめた。
スーツ姿だとオーバー気味のアクションも様になる。

筍魂「チョ湖周辺の人気が上がっているとは聴いていたが、そこまでとは。俺も移住しようかな」

加古川「それはいいッ。友人のよしみだ、移住の手続きは早めに終わらせよう。なんなら今からやってもいいぞ?」

筍魂「ありがたい申し出だけどやっぱりやめておく。この店のミルクチョコレートを食べられなくなるのは辛い」

ワイシャツのネクタイを緩めながら、ウエイターが運んできたカクテルグラスを手に取り、筍魂は加古川と再会の祝杯を上げた。

筍魂は加古川よりも半周り程年下の中堅兵士だ。
自治区域への移住は加古川よりも遅かったが、【会議】での発言の積極性や持ち前の掴みどころのない性格で信頼を集め、【会議所】内では一定の地位を得ていた。

彼とは【会議】でも積極的に顔を合わせていたが、互いにBAR“TABOO”の常連だと分かってからは頻繁に顔を合わせ飲んでいた仲だ。
加古川は気を使わず彼に話しかけ、誰ともフランクな口調で話す彼もまた加古川とは特に馬があった。


212 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その3:2020/08/30(日) 22:57:59.968 ID:AIXgRpAoo
筍魂「貴方から“仕事”の依頼が来た時は驚いた。俺が探偵だということをちゃんと覚えてくれていたんだな」

額にかかった銀髪を掻き上げる仕草は、いま脂のノッている時期の彼に色気を出させる所作だ。

加古川「私も少し前までは君のことを只の飲んだくれと思っていたが。この間、家の掃除をしていたら“たまたま”君の名刺が出てきてね。
飲み仲間として、普段払っている酒代の一部くらいは君の仕事に還元してもいいんじゃないかと思ったのさ」

二人は再び笑いあった。

筍魂「貴方から調査を受けた【ケーキ教団】と【ダイダラボッチの伝説】について調べてみた。これが報告書だ」

飲みきったグラスをテーブルに置き早々に、革のポーチから封筒を取り出した筍魂は加古川の前にそっと置いた。
加古川は手に取り封筒をすぐに裏返した。封筒の口に飾り気のない朱の封印が見えただけだ。

筍魂「おいおい。ただの封筒だから、特になにも無いぜ」

加古川「そうだったな。いや、つい癖でね。
“魔法使い”の性で、封書になにか魔法の術が施されていないか警戒してしまうんだ」

筍魂「これはいい話を聞いた。今度から何かイタズラをしてみようかな」

“やめてくれ”と苦笑しながら、加古川は封筒の口を開けた。

封筒の表面の隅には『魂探偵事務所』と整った印字で自己主張されている。

筍魂はこのポン酢町の近くに仕事場を構えているらしい。
“依頼とくれば浮気調査に借金滞納したパブの店員の身辺調査などシミッタレた仕事が多い”とよく愚痴をこぼしていたからか、教団見学後に今回の仕事を依頼した時にはやけに乗り気だったのが印象的だ。


213 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その4:2020/08/30(日) 23:01:10.590 ID:AIXgRpAoo
封筒の中には数枚の報告書が入っており、一枚目には目次と要旨を規定の様式にまとめられた表紙が差し込まれ、後の詳細報告書に続いていた。
要約書がある辺り、彼の生真面目さが伺える。

筍魂「結果から言う。まあ報告書にも書いているが。

まず教団についてはあまり深くまで調べられなかった。
精々、自治区域内に点在する支部の数や信者の想定人数ぐらいの情報だ。

本部についての情報もそれ程多くはない。
古城だけじゃなくその周りの広大な森林やスイーツ工場を教団本部と自称していることぐらいだな」

筍魂の言葉を耳にしながら、加古川は彼がまとめた報告書の文字を目で追った。

加古川「本当に、教団は急速な拡大を見せているな。半年前に比べて信者の数が爆発的に増えている」

データが記載してある頁を見る。
棒グラフで見れば、ある期間に比べ直近では見事に倍以上の信者数に増大している。
このデータを先日の希望者たちに見せればコロリと入信しそうだ。

筍魂「俺も知らなかったよ。会議でも議題に上がってなかっただろう?でも若者の間ではもう相当有名なんだそうだ」

加古川「先日、見学会できいたよ。有名菓子を作っているんだってな。
若者は何よりも勢いと流行り品を好む。

それで、最高指導者が誰かは分かったかい?」

書類に目を通しながら加古川は尋ねた。
困ったように筍魂は諸手を挙げた。


214 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その5:2020/08/30(日) 23:02:25.497 ID:AIXgRpAoo
筍魂「残念ながらNoだ。この教団、規模がデカイ割に実態がほとんどわからない。
誰が立ち上げたのか、幹部が何人居るかもはっきりしない。
信者に接触しても、ただケーキを食うイッちゃった奴らか不摂生な奴らばかりだ」

“ただ――”と、小皿に出されたミルクチョコレートの一片をかじりながら、筍魂は特ダネを見つけた記者のようにニヤリとして話を続けた。

筍魂「何人かの信者に接触する中で、奴らには二種類の傾向があった。

極端に教団と関わりがないやつらと、そうではないやつらだ。

前者はただ週末に開かれるイベントの時だけ教会に行きケーキを食らう。
後者は、それ以外にも度々教会に行く。
それこそ夜通しな」

加古川は報告書から目を離し、顔を上げた。

加古川「理由はあるのかい?」

筍魂「奴らは公には教会通いを否定する。
だが、一部の拠点となっている支部や本部の灯りは夜半でも消えることはない。
夜通し、お祈りでもしているんじゃあないか?」

運ばれてきたチョリソーをかじりながら、筍魂は『奴らの考えていることはわからんね』と呟いた。
加古川は額に人差し指を当て、暫し考え込んだ。


215 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その6:2020/08/30(日) 23:05:44.433 ID:AIXgRpAoo
筍魂「それと、奴らがひたすらケーキを作っているからか。自治区域内だけでなくどうやら世界中の角砂糖が不足気味になりつつあるらしい。
おかげで角砂糖の価格は目に見えて上昇している」

加古川は目を丸くし驚いた。その事実は初耳だった。

加古川「それは本当か?そんなに消費するものか?」

筍魂「さあな。でも、見学会だと古城の奥にスイーツ製造工場があるのを見ただろう?ならば本部の奴らは夜通しケーキを作りまくっているんじゃあないか?」

そこで何かを思い出したように筍魂は言葉を切ると、周りに目線を配りことさら声を落として話を続けた。

筍魂「ただ、これはここだけの秘密にしておいてほしいんだが。

その製造工場だが、なぜかガードが非常に硬い。

同じ教団員でも迂闊に近寄れないらしい」

加古川「…ただの製造工場じゃないのか?」

釣られて、加古川も声を落とした。

筍魂「工場であることは間違いない。事実、教団の手掛けるスイーツは人気だし、品切れも続出しているから稼働率を上げるために工場がフル稼働していることはおかしくない」

ウエイターが新たなカクテルグラスを運んできたところで彼は一度言葉を切った。
仕事を終えたウエイターの背中を目で追いながら、筍魂は再び加古川に目線を戻した。

筍魂「だが、俺が聴いた奴らの中に、その工場から出荷された品物を見た者は誰もいない。
誰一人もだ。
いったい何時、工場から出荷しているんだろうな?」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

216 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その7:2020/08/30(日) 23:08:02.079 ID:AIXgRpAoo
加古川「…」

情報は断片的に集まっている。
この間のスティーブやクルトンの反応も含め、ケーキ教団本部は間違いなく“何か”を隠している。
だが、何を起こそうとしているのか教団の目的が今ひとつハッキリとしない。

純粋な若者は興味本位から入信し、一部の敬虔な人間はチョ湖へ移住し自ら畑を耕し角砂糖の元になるサトウキビを収穫する。

また、さらに教団と繋がっている一部の信者は夜通しで教会に通い詰めている。
果たして純粋な祈りを捧げているのか、何か表には出せない作業をしているのか。

スイーツ製造工場の存在も怪しいものだ。
筍魂曰く異常なまでに高い機密保持性は、スイーツの製造過程を知られたくないのか、それとも工場で“何か”別のモノを生産しているのか。

加古川「どうにも、まとまらないな…」

加古川は胸ポケットからココアシガレットを一本取り出すと、徐に口に加えた。
考え込む時の癖だ。口に咥えているだけで甘さが口中に広がり、パンク寸前の脳内に程よい糖分を与えスッキリできるのだ。

筍魂「おや、火が必要かい?」

タバコだと勘違いしたのか、筍魂は胸ポケットからライターを取り出すと加古川の口にそっと近づけた。

加古川「いや、これはココアシガレット。ただの砂糖の棒さ。魂さんもいるかい?」

筍魂「こいつは失礼。よく似ていたものでな。じゃあ一本貰おうか」

彼との会話で一度思考の糸が切れてしまったので、加古川は筍魂にシガレットを渡しながら感謝の意を示し、続いて“きのたけのダイダラボッチ伝説”の報告書に目を移すことにした。


217 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その8:2020/08/30(日) 23:10:05.810 ID:AIXgRpAoo
加古川「これはすごいなッ。詳細な聞き取り結果、それにダイダラボッチの出没日時まで事細かに調べられている。よくまとめたな」

報告書には地域毎で住民にインタビューしたヒアリング内容、それに基づいたダイダラボッチの直近の出没日時が表でまとめられていた。
加古川が遭遇した日もまとめられていることから、データの信ぴょう性は高いと見て間違いないだろう。
表にまとめられているだけで5回以上の出現が確認されていることから、“きのたけのダイダラボッチ”は結構な頻度でチョ湖に出現しているようだ。

筍魂「会議所本部にまで話が来てないだけで、チョ湖周辺でダイダラボッチを見ている人はわりかしいたよ。ただの噂では無かったということだな。
そいつらの情報を統合しただけさ」

加古川からの賛辞の言葉への照れ隠しか、筍魂は目の前のチョコカクテルを傾け一気に飲み干した。
そうとは気づかず報告書を読み進めていた加古川は、ある事実に気がついた。

加古川「全て、【大戦】の一週間後なのか…」

ポツリと呟いた加古川の言葉に筍魂は眉をひそめた。

筍魂「【大戦】…ああ、昨日の話か?
たけのこ軍の圧勝だったなあ。きのこ軍の奴ら、まるで覇気が無いように総崩れだった。
それに終わった後もすごい騒ぎだった。
何処かの国のお偉いさんが来られてるもんだから帰るのにやけに時間がかかった」

加古川「いや、そうではないんだが――なんでも無い」

喉まで出かかった言葉を既(すんで)の所で噤んだ。



目の前の友人を、言いようの知れない闇に巻き込んでしまうことを恐れたのだ。


218 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その9:2020/08/30(日) 23:12:32.939 ID:AIXgRpAoo
筍魂は周辺住民からの情報をもとに、ここ最近のダイダラボッチが出没したと思われる日付を調べ上げた。

加古川は再び額に人差し指を当て考え始めた。
仕事柄、加古川は会議所区域内のイベントの日程を大まかに把握している。
会議所本部で行われる会議の日付、会議所区域内の大戦場で行われる【大戦】開催日などは空で言えるほどだ。

その職業柄のせいか、加古川は筍魂の気づかなかった違和感にすぐに気がついた。



“きのたけのダイダラボッチ”の出没日は、どの日付も【大戦】開催日と連動していた。

【大戦】開催日の一週間後の日付に必ずダイダラボッチが出没しているのだ。


思い起こせば、“きのたけのダイダラボッチ”と出会った日も【大戦】の一週間後だった。

一度や二度だけではなく加古川が覚えているだけで直近の五回の【大戦】と出没日は全て連動している。
これをただの偶然と片付けてしまっていいのだろうか。加古川は、自身が徐々に背筋の凍る思いを持ち始めていることに気がついた。


219 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その10:2020/08/30(日) 23:15:37.827 ID:AIXgRpAoo
筍魂に“きのたけのダイダラボッチ”と出会った話はしていない。
今回の調査の依頼は、自らの興味本位とほんの少しの友人への気遣いによるものだ。

与太話として、筍魂に当時の話をしていれば違った結果を生んだのかもしれない。

ただ、直感で加古川は遭遇談を筍魂に話すべきではないと感じていた。
今日の報告次第で、“きのたけのダイダラボッチ”はただの【大戦】の新ルール用の兵器で伝説でも何でも無かった、とでもなれば加古川も安堵して自らの体験を笑い話にしただろう。

埼玉から“きのたけのダイダラボッチ”伝説の話を聞いてから、滝本にチョ湖への異動を命じられ、その直後にダイダラボッチと出会った。
話が出来過ぎだ。

加えて、ダイダラボッチの出没日は【大戦】と連動していることがわかった。
埼玉や周りの部下は“きのたけのダイダラボッチ”を大戦の神と崇める者も少なくないと語っていた。
理由は不明だが、【大戦】後に決まって現れるからそう結びつける者もいるのだろう。もし噂通り、彼が大戦の神ならかわいいものだ。


だが、加古川はこの寸分狂わず一週間後に現れる日程の羅列から、微かに“事務的な無機質さ”を感じ取っていた。

もし。

限りなく可能性は低いが。

もし、このダイダラボッチが“何か”目的を持ってチョ湖に現れているのだとしたら。

“どこかの誰か”の管理下でダイダラボッチが現れているとだとしたら。



得体の知れない不気味さを前に加古川は、自分のワイシャツが冷や汗でべったりと濡れていることに気がついた。


220 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その11:2020/08/30(日) 23:17:35.820 ID:AIXgRpAoo
筍魂「どうした、加古川さん?」

神妙な顔をした加古川に疑問を持ったのか、筍魂は呑気に声を掛けた。

思考の沼に囚われていた加古川はすぐに意識を戻した。
咄嗟に作り慣れた仮初の笑顔を浮かべたのは、彼の年の功に因るものもあるし、口元に細くなったカカオの味が一斉に広がったことも大きかった。

加古川「いや、なに。部下と比べてあまりに資料のまとめ方がキレイだから、職場のことを考えたら却って頭が痛くなってね。
魂さん、よければうちで働いてくれないか?」

筍魂「嬉しい話だが、残業の虫にはなりたくないんでね」

追加で運ばれてきたカクテルグラスに目を写しながら、二人は再び杯を重ねた。

加古川「報酬は弾もう。まずは成功報酬の代わりとして、今夜の代金は私持ちだ」

筍魂「随分と気前がいいことだ。別に奢りでなくてもいいんだが、お言葉に甘えよう。
ついでに一つ教えてくれないか?」

加古川はグラスを傾けながら、目で続きを促した。

筍魂「こんなに調べて、いったい何をするつもりで?」

真意を探る質問を前に、加古川は飲み干したグラスを置き暫し凝り固まった首を回し時間を置いた。


221 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 探偵はBARにいる編その12:2020/08/30(日) 23:18:43.764 ID:AIXgRpAoo
加古川「さあ、私にも分からないんだ。
ただ、気になったことはとことん調べたい性格でね。それに…」

筍魂「それに?」

筍魂も手に持ったグラスを置き、神妙な顔で加古川の次の言葉を待った。

加古川「何かとてつもない発見をしそうなんだ。
それを見つけて、今のところどうこうするつもりはないがね」

筍魂「あんたの口癖の“真理は想像を超える”、だっけか?
そんな展開になるってことかい?」

加古川は肩をすくめ困ったように笑った。

加古川「そこまで掴んでないがね。目の前の花と謎は摘んでおきたい性質でね」

冗談を言ったつもりだったが、筍魂は途端に押し黙り眉間に皺を寄せた。

筍魂「それがたとえ茨の道になろうともか?」

加古川は筍魂からの視線と質問には向かい合わず、目の前のグラスを手に取ると静かに飲み干した。


いつも飲んでいるはずのカフェオレは、こころなしか苦かった。


222 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/08/30(日) 23:19:47.143 ID:AIXgRpAoo
咄嗟に嘘を隠す態度の余裕さで、大人かどうかわかりますよね。

223 名前:たけのこ軍:2020/08/30(日) 23:24:45.104 ID:wyQ1jM4A0
大人な渋い会話かっこいい

224 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その1:2020/09/06(日) 00:24:05.381 ID:tngxbY9Ao
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 会議場:議案チャットサロン】

滝本「それでは只今の議題について確認を取ります。
会議所自治区域内の人口増加に伴う新たな大戦場の増設について、反対はないですか?…はい、反対の方がいないということで本議題は可決されました。
すぐに空いている荒れ地を整備し、新たな大戦場を整備するという方向で調整いたします」

静まり返った会議室に、お経のように抑揚のない滝本の声が響き渡る。

議題が進むほど兵士たちの沈黙は濃くなっていく。
各人ともやる気がないわけではないのだが、ある程度の答えや方針が既に示されている議題については、“何も自分が発言しなくてもいいだろう”という遠慮に似た理性のブレーキが働くのだ。

加古川もそのようなことを考える一人だった。
【会議】が始まってそろそろ二時間程となる。当初は加古川も積極的に発言していたが、今では滝本が一人で喋るのみだ。

会議室には長い円卓テーブルを挟んで両側にはきのこ軍、たけのこ軍に分かれ何十人もの出席者がいたが滝本以外に誰も口を開く者はいなかった。
地方の法事にでも参加している気分だ。
だが、これが会議所本部で開かれる【会議】という伝統行事の日常風景だった。

滝本「おや、もうこんな時間ですね。参謀、他にもう議題はないですよね?」

滝本はチラリと掛け時計を見ると、きのこ軍側の上座に座る参謀B’Z(ぼーず)に声をかけた。

参謀「そうやな」

手元の書類に目を落とした参謀は一度だけ頷いた。参謀の答えに、親しい者にしかわからない程度の変化で、滝本は微笑を浮かべた。

滝本「それでは今日の【会議】を閉会とします。皆さんお疲れさまでした」

ペコリと頭を下げ、滝本は【会議】の終了を宣言とした。


225 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その2:2020/09/06(日) 00:24:47.202 ID:tngxbY9Ao
加古川「ふう。ずっと座ったままでは腰が痛くなるな」

滝本の宣言とともに途端に喧騒を取り戻した会議室で、周りに遅れて加古川も椅子から立ち上がって軽く伸びをした。

抹茶「お疲れさまです、加古川さん。これからお昼でもどうですか?最近、近くに新しい定食屋ができましてご一緒できれば」

加古川が立ち上がるのを見越してか、たけのこ軍兵士 抹茶(まっちゃ)が声をかけてきた。

彼は加古川よりも二周り程度年下の若者だが、その歳で大戦企画部の責任者にまで上り詰めている実力者だ。
会議所への加入は寧ろ加古川のほうが遅めのため抹茶は【会議所】では先輩にあたるが、年齢から見れば二人は子と父ぐらい離れている二人は気兼ねなく話せる仲だった。

加古川「おお、それはいい。ただ、あまり濃い味付けじゃないところがいいなあ。またカミさんに怒られるから」

抹茶「その点はご安心ください。味の美味しさは保証しますよ」

緑髪の髪が愉快そうに揺れる。画して、二人は昼食のために外出することになった。


226 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その3:2020/09/06(日) 00:27:51.819 ID:tngxbY9Ao
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部近く 小料理“葱亭”】

会議所本部とは、自治区域内の実質的な政府機構を持つ【会議所】を含む庁舎群の総称である。
一帯は周りと区別するために塀で仕切られてはいるものの、中心にそびえ立つ巨大な本部棟以外に部署毎にそれぞれ庁舎が分けられており、そこでは数え切れないほど多くの自治区域民が汗水を垂らし働いている。
さらには、本部内にはポン酢町を始めとした飲食街や公共施設、さらに多様なショッピングモールなどが存在し、会議所本部自体が一つの都市としても他国の大都市と遜色ない程の充実さを有していた。

抹茶が勧める小料理“葱亭”は、本部棟から歩いて数分も経たない庁舎内の一角でひっそりと暖簾を出している小料理屋だった。

抹茶「ここが穴場でして。加古川さんが異動した直後あたりに出来たんですよ。特にこのネギのお吸い物が絶品ですよ」

出された膳の吸い物に口を付けながら、抹茶は笑顔で舌鼓をうった。

加古川「たしかに薄口でしっかりとした味付けだな。ただ、滝本さんはこの店には来られないだろうな」

一番人気の定食は葱御膳でネギハンバーグ、ネギの煮物、ネギの吸い物と全ての料理にネギが使われている。
大のネギ嫌いで通っている滝本は絶対にこの店には寄り付かないだろう。

抹茶「ははは。一回、騙してこの店に行かせようと思ったことがあるんですけどね。失敗しちゃいました」

抹茶は屈託なく笑った。抹茶と滝本は仲が良く、ふたりで個別に議題検討会を開き【会議】について話し合うこともあるらしい。
滝本の年齢はわからないが、案外抹茶と年が近く気が合うのかもしれない。


227 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その4:2020/09/06(日) 00:30:34.248 ID:tngxbY9Ao
加古川「ネギと言えば、前議長の集計班さんも大のネギ嫌いだったな。ウチの議長はネギ嫌いじゃないとなれない決まりでもあるのかね?」

抹茶「そう言われてみたらそうですね…ん?あれは?おーい、¢さんッ」

向かいの抹茶が手を振るので、加古川も振り返り視線を入り口に向けた。
すると、濃緑のきのこ軍の軍服を着た、くたびれた顔のきのこ軍 ¢(せんと)が立っていた。

¢「んあ?抹茶さんに加古川さんなんよ」

舌足らずの方言で彼は目を丸くした。

抹茶「混んでますよ。相席でよければ隣空いてます」

¢「ではお言葉に甘えるんよ」

¢は加古川たちのテーブルに座った。

こうして¢とともに食事をするなんて珍しい。
彼は正に会議所自治区域の誇る“頭脳”だ。
今日までに至る【大戦】のルールをほぼ一人で作りあげた英傑として、会議所でその名を知らない者はいない。
今も【大戦】統括責任者として自治区域を支えており、議長の滝本、副議長の参謀に続く【会議所】の三番手に位置する人間と目されている。

その英傑はしかし孤独を好むのか、あまり表立って外に出てくることはせず専ら引きこもっていた。
特段人付き合いが悪いというわけではないのだが、出不精なのか誘われない限りはあまり外に出てこないのだ。

彼は外出よりも庁舎に籠もり新たなルールの研究を進めるほうが性に合っている研究家肌の人物のように加古川には見えた。
【会議所】発足時から一貫してこの態度は崩さない。
敢えて孤独を好むその姿勢は、加古川もある種共感できるところはあるので否定はしない。


228 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その5:2020/09/06(日) 00:33:01.040 ID:tngxbY9Ao
抹茶「外出なんて珍しいですね。どうしたんですか?」

¢「ぼくだって外に出て食事することぐらいはあるんよ…」

呆れた口調で¢は言葉を返し、出された茶を啜った。
加古川の持つ¢という兵士のイメージ像は初期と今とで大きく異なる。

十年前、加古川が会議所本部にたどり着いた時、¢(せんと)はきのこ軍の確固たるエースとして君臨していた。
彼自身も今とは違い自信に満ち溢れた喋り方と物言いで、当時はその端正な顔立ちもあわさり、きのこ軍の“顔”として圧倒的な人気を誇っていた。

しかし前議長の集計班が亡くなった五年前ぐらいからだろうか。
彼はめっきり老け込んでしまった。
それに相関するように自信満々な物言いも影を潜めていき、次第に舌足らずな方言が口をついて度々出るようになった。
老人のようにか弱いその口調からも、今では自信の無い弱々しさだけが前面に出るようになってしまった。

いま目の前に座る彼は、当時と違い金髪はだらしなく垂れ下がり、頬はたるみ顔には皺が深く刻まれている。
彼は今も【大戦】の仕組みを一手に担う重責を負っている。いつの間にか顔に刻まれた多くの皺は、時々自身よりも老けて見えるのではないかと驚かされることがある。
それゆえ激務で、同時に会議所自治区域は大きく発展したということでもあるのだ。


229 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その6:2020/09/06(日) 00:37:23.708 ID:tngxbY9Ao
¢が食事を待っている間、三人は軽く雑談を進めていたがほんの少しの沈黙の最中、近くの話し声が耳に届いた。

「数日前の【大戦】、お前はどれだけ撃破したよ?」

「俺はたったの5撃破。ほとんど何もさせてもらえなかったよ」

何気ない世間話も聞き耳を立ててしまうのは悪い癖なのかもしれない。
加古川から見て右に座っていた二人の男はその格好からきのこ軍、たけのこ軍兵士のようだった。

「お前、きのこ軍だもんなあ。手酷くやられたんだろう?どの大戦地でも壊滅的だったときくぜ」

「うるせえ、きのこ軍をバカにするな。でも軍全体に勢いが無かったな。どうも軍を動かす人が出てこれなくてボロ負けした感じがしてさ」

二人はそこで言葉を切った。出てきた食事を食べ始めたようだ。
加古川は二人の発言になにか引っかかるものを感じた。だが、何かまではわからない。


230 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その7:2020/09/06(日) 00:38:36.962 ID:tngxbY9Ao
丁度いいとばかりに、手持ち無沙汰にしている¢に向け、吸い物を飲みきった抹茶は二人の話に関連して話題を振った。

抹茶「そういえば¢さんはこの間の【大戦】どうでした?やはりエースですから二桁撃破ぐらいはいきましたか?」

何の変哲もない話だが、なぜか¢はピクリと肩を震わせた。

¢「ぼくは…全然活躍できなかったんよ」

歯切れ悪く¢は答えた。
小さな違和感を覚えた。

加古川「¢さんはどの大戦場にいたんです?私と抹茶さんは第5大戦場でしたが」

今や膨大な参加者を抱える【大戦】では、大戦場を何箇所にも分けて同時多発的に戦いを行っている。
個々の戦場の結果を統合して最終的にその戦いの勝者を決める仕組みに少し前から移行したのだ。

¢「…第7…いや、第8戦場だったかな。すぐにたけのこ軍に撃たれて戦線離脱したからか、あんまり覚えていないんよ」

目を泳がせる¢だったが、そのとき丁度彼の前にネギ御膳のお盆が置かれた。
香ばしいネギの薫りが、隣りにいる加古川たちにもただよってきた。

¢「美味しそうだけど、滝本さんにはこの店は紹介できないんよ」

苦笑しながら、小さくなった背中を丸め目の前の食事に手をのばすかつてのエースの姿は改めて印象的で、同時に加古川にある決心を思い至らせた。


231 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その8:2020/09/06(日) 00:39:42.511 ID:tngxbY9Ao
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 wiki図書館】

抹茶と¢との食事を終えた加古川は、余った時間を利用し本部一帯の外れに位置する図書館を訪れた。

参謀「おお、加古川さんや。此処に来る加古川さんを見るのは久々やな」

司書と図書館長を兼ねる参謀B’Zは受付の前で加古川を見つけると、“さっきの会議ぶりやな”と手を上げて歓迎の意を示した。

加古川「そういえば此処に来るのは久しぶりだ。資料室に入ってもいいかい?」

参謀「どうぞご自由に。許可なんていらんよ。俺の職場は生きた人よりも無機物な書物たちと向き合っている時間の方が多いからな」

互いに苦笑し、加古川は書物棚の奥にある資料室へ歩みを進めた。

wiki(ウィキ)図書館は【会議所】設立時から存在する歴史ある図書館だ。
数十万点以上の書物が保管されており、図書館長の参謀B’Zの指示の下、全ての書物は棚に整理整頓してあり利用者には大層評判がいい。
ただ、最近では客足が遠のいているようで、昼過ぎだというのに見渡す限り訪問客は加古川しかいない。
参謀が嘆くのも無理はない。

書棚が並んでいる大広間の奥には通路を隔てて幾つかの書物部屋に分かれており、その内の一室が資料室だ。
大戦に関する歴史がまとめられている部屋で、大戦の歴史や戦評などの詳細資料がまとめられている。
加古川も【会議所】に入りたての頃はこの部屋によく足を運んでいたものだ。


232 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その9:2020/09/06(日) 00:41:23.204 ID:tngxbY9Ao
加古川「綺麗に並べられているな…」

あまり人が足を踏み入れてないのだろう。
資料室の中は他のフロアと比べると少し湿っぽく埃臭かった。
それでも書棚を見れば直近の大戦の資料を並べられている辺り、参謀B’Zという人間の几帳面さが伺える。

加古川は部屋の中央棚の一角のラベルに書かれた『大戦参加者名簿』という列のファイリングを手に取った。
部屋の灯りを付け、テーブルに資料を広げ過去の大戦の両軍の参加者を確認し始める。

昨日の筍魂の資料を宿泊先でも読み返し、加古川は改めて“きのたけのダイダラボッチ”に関して不思議な点があることに気がついた。
そして先程の定食屋での話も相まって、いてもたってもいられなくなり【大戦】の歴史を漁り始めた。

―― 加古川「全て、【大戦】の一週間後なのか…」

―― 「うるせえ、きのこ軍をバカにするな。でも軍全体に勢いが無かったな。どうも軍を動かす人が出てこれなくてボロ負けした感じがしてさ」

―― ¢「…第7…いや、第8戦場だったかな。すぐにたけのこ軍に撃たれて戦線離脱したからか、あんまり覚えていないんよ」

昨日からの色々な人間の会話が、頭の中で何度も反芻される。

ケーキ教団。
 角砂糖の高騰。
  きのたけのダイダラボッチ。
    そして【きのこたけのこ大戦】。

一見、何の繋がりも見られない要素たちは、いま、加古川の調査により一つの“線”で繋がろうとしていた。


233 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その10:2020/09/06(日) 00:43:02.180 ID:tngxbY9Ao
加古川「やはりッ!この大戦にも“いない”。その前の大戦は…やはりいない。そうかッ」

加古川がめくる資料自体は何の変哲もないただの参加者名簿に過ぎない。
しかし、脳内には昨日の筍魂の調査内容とあわせて、不完全ながら一つの仮説が出来上がりつつあった。

加古川「そうすると、教団は一体何の目的でこんなことをッ――」


自らの考えをまとめようとしていた最中。


突如、パリンという小気味よい音とともに頭上の灯りが全て消えた。
資料室は途端に暗闇に包まれた。

加古川「なんだ、停電かッ――」





ガチャリ。




酷く冷酷な金属の重厚な音が室内に響き渡った。
心臓をキュッと掴まれたように加古川は言葉をつぐみ、無言で手を上げた。


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

234 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その11:2020/09/06(日) 00:44:23.386 ID:tngxbY9Ao
「警告だ。これ以上、首を突っ込むようなら容赦はしない」

しゃがれた声で銃の主は、背後から加古川の耳元で囁いた。
端的な言葉は驚くほど明快な殺意と威圧を放っていた。

聞き慣れない声だが、きっと何らかの道具で声を変えているのだろう。
喋り口調から声の主を聞いたことがあるかもしれないし、ないかもしれない。
そこまで気を回す余裕はなかった。

加古川「どこの誰かは知らないが、ありがたい忠告をどうも」

加古川は腹から絞り出した自分の声が存外に震えてないことを確認した。
ハッタリは元々得意分野だ。

加古川「でも人違いじゃあないかい?私はただ大戦の歴史を調べるのが好きなだけなんだ」

とりわけ明るい声で応対するが、背後に突きつけられた腰の銃が下がることはない。

「即刻手を引き、平和で多忙な日常に戻るといい」

加古川「もちろんさ。仕事の合間でこうして趣味に没頭することが平和じゃなく何という?」


235 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その12:2020/09/06(日) 00:46:10.955 ID:tngxbY9Ao
「…警告はした。次はないぞ」

途端に腰の辺りから銃の違和感がなくなり、背後の気配も同時に消え失せたことを瞬時に察知した。
すぐに振り返るもそこには誰の姿もなく、資料室の外の通路は先程と同じ様に煌々と灯りが灯っていた。

ファイリングをパタリと閉じると、加古川はたらりと垂れた額の汗を静かに拭った。

加古川「真理は、想像を遥かに超えるな…」

しかし同時にこの忠告で、加古川は自分の推理は間違っていないという確証を得た。

何か得体のしれない闇に飲まれているのではないかと不安に思っていたが、何ということはない。


“すでに飲まれていた”のだ。


加古川「これぞ正に反証の理、というやつだな…」

自嘲気味に笑おうとするも、歴戦の兵士も流石に今回の出来事に顔はひきつり気味だった。
一度深く息を吐き出し、資料を元に戻した加古川は電球が割られた室内には目もくれず再び歩き始めた。


236 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 警告編その13:2020/09/06(日) 00:47:22.128 ID:tngxbY9Ao
参謀「おう、お帰り。ってどうしたんや、すごい汗だぞ」

加古川「いや、資料室内は熱気がすごくてね。そういえば、私の後に誰か客は来たかい?」

参謀「いや、今日はまだ加古川さん以外に誰も此処には来ていないが…」

参謀の言葉に加古川は作り笑いで一度だけ頷いた。
今度はひきつらずちゃんと演技できている。

加古川「それは苦労するね。そういえば、資料室の灯りだけど古いからか全部割れてしまっていたよ。後で交換しておいてくれ」

そう言い残し、加古川は図書館を出た。
一刻も早く外の空気を吸い、自らがまだ生きている実感を得たかった。


237 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/09/06(日) 00:48:13.835 ID:tngxbY9Ao
あと5回ぐらいの更新でこの章は終わる予定です。

238 名前:たけのこ軍:2020/09/06(日) 01:27:16.143 ID:OkrZNOqs0
緊迫する感じいいですね

239 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その1:2020/09/13(日) 23:24:25.133 ID:Xqoo728so
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団本部】

図書館での一件があってから加古川は急ぎチョ湖支店に戻り、すぐにスティーブ経由でケーキ教団への入信を告げた。

本部前で馬車を降りる彼に、相変わらずコック帽とコックコートを着こなしたクルトンが諸手を挙げて待ち構えていた。

クルトン「いやあ。いやあ。待っていましたよッ。貴方も入信してくれるとは嬉しいですよ、加古川さんッ!」

やわらかで穏やかな季節風が吹き始めた中、加古川の格好もチェックシャツにブラウンコートと相変わらずやや厚手のままだ。
加古川は彼の言葉に口元をニッコリとさせた。

加古川「この歳になり仕事一本で何も趣味を見つけられなくてね。この間の説明で心も穏やかになると思ったし、いいかなと思ったんですよ」

彼の言葉に、クルトンは敬虔な教祖に戻ったように仰々しく何度も頷き同調した。

クルトン「それでは早速食堂で加古川さんの入信を祝してお祝いケーキパーティを開きましょう」

二人は城門前の広場を横切り、井戸の脇にある入口から続く回廊を歩き始めた。


240 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その2:2020/09/13(日) 23:25:56.760 ID:Xqoo728so
加古川「そういえば、何か信者になった証のようなものはあるんですか?」

先頭を歩いていたクルトンは急に立ち止まったため、少し後ろを歩く加古川は思わずつんのめった。
彼はゴソゴソとズボンのポケットを漁り始めた。

そして徐に振り返り、手のひらに持つピンバッジを見せた。

クルトン「忘れていました。これがケーキ教団へ入信した証のバッジです。
別に付けても付けなくても構いませんが無くさないでください。今後はこれがあれば教団本部に出入りできますよ」

加古川「それはありがたい。いつでも出入りできるんですか?」

クルトン「朝と夜は奥のスイーツ工場しか稼働していないので入れませんが、それ以外は自由に出入りできますよ」

加古川はケーキの形をしたピンバッジを受け取り一瞥すると、すぐにポケットの中に仕舞い込んだ。

クルトンは笑顔を顔に貼り付けたまますぐに踵を返し、食堂へ向かい歩き出した。

加古川「時に、以前この本部は古城を再利用していると言っていましたね。それは数百年前の大戦乱時の遺物とききましたが、実際は250年程前に建てられたものではないですか?」

加古川の言葉に再度クルトンは立ち止まった。

クルトン「どうでしょう。生憎と私はあまり歴史には詳しくないもので。お詳しいんですか?」

振り返らずに語る彼の表情までは読み取れない。

加古川「ええ、趣味のようなもので。この山城の造りはガルボ・ルガノン風という、中世から近世の間で流行ったゴシック城郭の形式です。
城壁に接する円塔を多く造り、全方位からの攻撃に強くする防御力の高い仕組みです」

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241 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その3:2020/09/13(日) 23:27:02.506 ID:Xqoo728so
加古川「この時代の古城は既に少なくなっていましてね。好事家からするとヨダレが出るものですよ。あとで城を少し見学しても?」

クルトン「それはご自由にどうぞ。我々も全てを把握できているわけではなくて物置のような部屋も多いのでがっかりされるかもしれませんがね」

加古川「ああ、それと」

話は終わりだとばかりに歩きはじめようとしたクルトンを再び制す。
加古川は回廊越しに見える奥の工場地帯を指差した。

加古川「あの奥にあるスイーツ工場は、私でも働くことができるんですか?」

今度こそクルトンは振り返った。口元は微かに笑っているが先程に比べ目つきは急に細く鋭くなった。
露骨に他者を警戒している眼だ。

クルトン「加古川さん。貴方は確か会議所の役人だったはずだ。
工場で働く余裕がおありで?そもそも今日は平日ですが仕事は平気なのですか?」

身辺調査も完了済みか。
心のなかで加古川は舌を巻いた。
まだこの街に来て一月も経っていないというのに大した耳の速さだ。

もしくは加古川が気づいていないだけで、職場の中にもう信者が何人もいるのかもしれない。

加古川「最近、明らかに疲れ目で、長いこと文字を読むことができないんです。娘にも聞いたらここのスイーツのファンでして、今度は子供のために働くというのも悪くないかなと思いまして。
それに今日は元々休みの予定でした」

たははと頭をかき笑う加古川を、クルトンは暫く無言で見つめていたが、すぐに作り笑いを戻してともに笑い出した。

クルトン「もし第二の人生を歩まれる際には言ってください。ご紹介しますよ」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

242 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その4:2020/09/13(日) 23:31:08.396 ID:Xqoo728so
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団本部】

加古川「さて、と。本番はこれからだな」

闇夜に紛れ、加古川は動き出した。
昼間にケーキパーティも終わり教団本部を後にしたが、日が暮れるまで教団本部近くの森に身を潜めていた。
そして今は森林地帯を通りながら城門とは反対側の城壁に周り、崩れた一部分を乗り越え、今度は許可を得ずに教団本部に忍び込んだ。

クルトンの会話の後に食堂へ案内された加古川は、他の信者から次々に出されたケーキの山々をなんとか食べきり乗り切った。
入団の“洗礼”にふらつきながらもなんとか食堂を後にして、古城見学という名目で城の内部と城壁の周りを歩いて見て回ったのだ。

闇夜の中、加古川は城門近くにある門塔へ城壁伝いに走る。
昼間の見学で城壁の一部が崩れたままであったことに加え、使われていない古い門塔まで見つけられたのは僥倖だった。
ガルボ・ルガノン様式の城は城壁塔や側塔をとにかくたくさん造り防御力を高めたものが多いため、何処かに忍び込む余地はあると感じていたが至って順調だ。

少し離れた工場傍にそびえ立つ灯台からのサーチライトを避け、加古川は草木で茂った塔の脇の入り口から中へ入った。
螺旋階段で頂上まで着くと、吹き抜けの最上部は城門前の広場だけでなく古城を挟んだ奥のチョ湖も見渡すことができた。

加古川「運は全てこちらに味方しているな」

今日で【大戦】から一週間。
筍魂の報告書によれば巨人は【大戦】開催後、一週間後に必ず現れる。
間違いがなければ、今日“きのたけのダイダラボッチ”がチョ湖に出現するのだ。

“きのたけのダイダラボッチ”とケーキ教団の何からの繋がりを予感していた加古川は、敢えて教団員として潜り込むことで、巨人の登場と夜半の教団の動きを一度に確認しようと画策したのだ。


243 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その5:2020/09/13(日) 23:33:23.916 ID:Xqoo728so
加古川「しかし胃がもたれるな。食べすぎたか…」

階段を登り終え最上部へ着いた加古川は、壁に背中を預けその場に座り込んだ。
昼間に生涯分のケーキを食べてお陰で空腹感はないものの、ケーキの甘ったるさにしきりに胸をさすった。
歳を取ると食事も受け付けなくなるのは悲しいことだ。

背中越しの吹き抜けから月の光が降りかかる。
息を整えた加古川はチラリと吹き抜けから外の様子を伺った。

昼間の賑やかさが嘘のように、教団本部は静まり返っている。聞こえるのは、城門とは反対側の城壁沿いに並ぶ工場群から漏れる僅かな機械音と、眼前に広がるチョ湖のさざなみだけだ。
あまりの静寂さに鳥の羽ばたく音すら本部に響き渡りそうだ。

加古川は吹き抜けから顔を離し、再び壁に背を預けた。
思い出されるのは先日の図書館でのやり取りだ。

―― 「警告だ。これ以上、首を突っ込むようなら容赦はしない」

【会議所】に来てから初めて生命の危険を感じた。

今日ここに来るまで、加古川は散々葛藤した。
若い時はまだ自分一人だけの生命だけで済んだ。しかし、今は家庭を持ち愛する家族の生命も預かっている。
昔のように無茶な行動はできないのだ。


244 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その6:2020/09/13(日) 23:35:00.722 ID:Xqoo728so
加古川「…」

しかし、加古川という人間は一度動き始めたら立ち止まれない性格だ。

彼自身の仕事は、日々【会議所】を訪れる人間に対して、繰り返し同じ手続きを案内し同じ処理をする決まりきった常識を作るものだ。
その領域内で、彼はトップ層にまで上り詰めたことからよく周りからは“加古川は独創性よりも模倣性の仕事を好む”と言われることも多い。

だが、彼の本質は真逆だ。
定食屋に行けば毎回違うメニューを注文する。新聞欄のクロスワードパズルは自ら解き終わらない限り、絶対に答え合わせをしない。

本心では探求家であり、好奇心を絶対に無くさない童心をも持ち合わせている冒険家だ。

これが彼の強さでもあり弱さでもあった。

悩んだ末に、彼は先日の警告を無視し謎を解き明かすことを選んだ。
当然、他の誰にも相談できない。家族には逐一手紙を出して無事を確認しているが、用心はしないといけない。

【会議所】も敵か味方かは分からない状況だ。
先日の図書館での資料でその疑念はさらに深まった。

このご時世、加古川本人に害が及ぶことがあっても家族まで危害がいくことは色々と疑念を呼ぶ。
わざわざ警告をしてくる敵に、そこまでの短絡さは無いと加古川は読んでいた。
あくまで敵に冷静さがあればの話ではあるが。

加古川「愚かな俺を許してくれ…」

葛藤しながらも、加古川は目を閉じ静かに待ち続けた。
“きのたけのダイダラボッチ”が出てくるその時まで。


245 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その7:2020/09/13(日) 23:36:33.646 ID:Xqoo728so
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団本部】

「…ああ…やく…休憩だよ…」

「本当…外の…吸いたく…なるぜ」

いつの間にかまぶたを閉じていた加古川は、外から聞こえてくる男たちの会話でハッとしたように目を覚ました。

瞬時に空の月の位置を目で確認する。
加古川の位置から月は見えず建物の背後に廻ったようだ。夜中はとうに過ぎた時間のようだ。
そろりと頭だけを上げると、吹き抜けから城門前に二人の男がたむろしているのが見えた。
二人ともススで真っ黒になった革のツナギを着ている。姿格好から見て、スイーツ工場で働いている作業員のようだ。

「…全く生産量を倍に増やせなんて無茶な話だよな…」

「それだけじゃあない。各支部から出来上がって届いた角砂糖も錬成しないといけない。本当に人使いが荒いよ」

二人の若い男はどうやら指示を出している教団について悪態を付いているようだった。
小声で喋っているようだが、喋り声は壁に反響し数十m離れた加古川の耳にもよく届く。

「そういえば、ここで作られた武器や角砂糖のコーティング剤って何処に使われているんだ?」

聞き慣れない単語を加古川は耳にした。

武器。いま、武器と口にしたのか。


246 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その8:2020/09/13(日) 23:38:27.552 ID:Xqoo728so
「【大戦】じゃあないのか?【メイジ武器庫】に保管しても【大戦】の時になるとごっそり減ってるからなあ」

聞き間違いではなかった。
スイーツ工場では武器を製造している。それも製造した武器はメイジ武器庫という倉庫に保管している。

「全く、俺たちも早く【大戦】に参加したいぜ。毎回、【大戦】の時に納入だろう?特別報酬がケーキ1ホールじゃあ割に合わないぞ」

「次のローテーションの時は参加できるだろう。まあ、今回の【大戦】は人気の階級制ルールもあるって話だったから参加したかったけど」

「ああ、スイーツ製造ラインの奴らはお気楽でいいよなあ。こっちなんて誰に指示されてるのかも分からず、誰からも感謝されず銃器やどでかい砲台とかを作ってるというのによ」

「まあお陰で並の生活を教団から保証されてるんだ。表立って文句は言えないさ。さあッ、そろそろ戻るぞ。もうすぐ朝番と交代だから、それまでの辛抱だ」

ぶつくさと文句を言い終わった二人は休憩時間を終えると、そそくさと工場の方へ戻って行った。


247 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その9:2020/09/13(日) 23:40:53.451 ID:Xqoo728so
加古川は興奮気にポケットから取り出したメモ用紙に今の話を書きなぐった。

同時に胸ポケットからココアシガレットを取り出し一本咥える。
混乱した頭にシガレットの甘さが行き渡り、加古川の脳内を一気に活性化させた。

加古川「やはりッ、やはりこちらの読み通りだッ。教団本部の工場地帯はスイーツだけでなく武器の密造が行われているッ」

【大戦】に使われる重火器類は全て【会議所】認可の軍事企業品しか用いられてはいない。
そもそも宗教団体が銃火器を製造販売しているなど聞いたこともないから、今の話が本当ならば密造で間違いない。

加古川「角砂糖のコーティング剤とも言っていたな。
どういうことだ?ケーキのために角砂糖を作っているわけではないのか?」

教団本部で栽培されているサトウキビだけでも相当な角砂糖が収穫できるはずだが、筍魂の話では世界各地で角砂糖の不足につながっていることから、今回の話と何らかの関連がありそうだ。
未だに謎が多い。新たに出てきた【メイジ武器庫】という単語も聞き慣れない。そのような名前の武器庫は自治区域内には無かったはずだ。


248 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その10:2020/09/13(日) 23:41:52.585 ID:Xqoo728so
暫く考え込んでいた加古川だが、途端に訪れた突風にメモ用紙がはためいたのを機に、顔を吹き抜けから出しチョ湖の方に向けた。

音もなく、正に“きのたけのダイダラボッチ”が湖面から姿を現さんとしていた。

加古川「…なんて大きさだッ」

ただただ加古川は圧倒された。
大きさだけでなく、それは美をあわせもった美術品のように透明な胴体を持つ怪物だった。
湖面まで100m程離れた位置で眺めているが、大きさから察するに巨人の全長は20mでは済まないものだ。

新たに気がついた点もあった。
以前、遠目で見た時の巨人の身体は漆黒の闇の中に現れた影響か鉄色の図体を持っているように見えた。
しかし、近くで見るとその身体は対岸のカカオ産地を映していた。
身体が“透けて”いるのだ。

また、その身体にはところどころ角張った幾何学模様のような立体彫刻のように張り合わせたか削られ磨かれた跡が随所に見て取れた。
その仕上げは美しく見事なもので、近くで見なければ継ぎ目は見えず、丸形のグラスのように見事な流線型と見間違うだろう。

彼は湖の精霊ではなく、やはり人工的に造られた怪物であることを改めて実感した。


249 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その11:2020/09/13(日) 23:43:45.439 ID:Xqoo728so
加古川「凄い迫力だな…まさか特撮ドラマの撮影でした、なんて冗談ならいいがな」

闇夜の湖面に浮かび上がった巨人は前回と同様に暫くその場に突っ立っていたが、暫くすると何かを思い出したかのように片足を上げ歩く素振りを見せた。
上げた右足を踏み降ろすと、思いの外湖が深かったのか、巨人は着地の衝撃で前のめりに身体を傾け両の手を湖面に付けた。

巨人によって生まれた衝撃は波となり、岸壁に荒々しい衝撃音とともに加古川の耳に届いた。
とてつもない衝撃だ。ケーキ教団本部や工場内に人がいれば間違いなく驚いて窓を開け放ち確認することだろう。

事実、食堂がある本棟の上層階には灯りが点いていた。
しかし、何時まで経っても誰も出てこない。
それどころから工場内の灯台は意図的に巨人に向かい灯りを照らし、彼が暗闇でも歩けるように補助しているように見えた。

加古川「これで“きのたけのダイダラボッチ”とケーキ教団本部に何の関わりもないと言うのは無理があるな…」

巨人は体勢を安定させ、前傾になっていた姿勢を伸ばし再び歩き始めた。
今度は慎重に、辺りをぐるぐる周るように歩くその風景は、生まれたての子鹿が生きるために行う歩行練習と同じように見えた。


250 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その12:2020/09/13(日) 23:47:42.790 ID:Xqoo728so
一時間程度だろうか。その間、よちよちと周辺をぐるぐる歩き続けていた巨人を、加古川は食い入るように見つめていた。
箱のココアシガレットもいつの間にか食べ尽くし、加古川は最後の一本を咥えたまま、我が子の成長を見守る親のように我も忘れ巨人を見つめていた。

暫くすると、以前と同じように空が突然白み始め向かいの山々から出てきた陽が湖面に差し込み始めた。


加古川「もう朝かッ。前回はここで巨人が姿を消してしまったが…」

そして、朝陽の太陽光が巨人に差し込んだ、その瞬間。

加古川「そういうことかッ…!」

加古川は気がついた。


巨人は確かにまばゆい光に当てられ、次の瞬間視界からは消えてしまっていた。

否、しかし巨人は消えてはおらずその場に佇んだままだというのが目を細めるとうっすらと理解できた。

驚くべき透明度を誇るその身体は、太陽光を当てられるとその光を屈折せずに透過する。
つまり、見た目上は“透明”になる。
限りなく凹凸のないその身体は光を反射させることもなく全て透過し、見る者にその姿を消失させたと勘違いさせる。

これが、“きのたけのダイダラボッチ”が明け方になると姿を消す答えだったのだ。
何ということはない。拍子抜けしてしまうようなトリックだった。


251 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その13:2020/09/13(日) 23:51:12.957 ID:Xqoo728so
加古川が目を細めたまま巨人を凝視していると、目の前の本棟から一人の男が広場に出てきた。
純白の白衣を身につけた科学者然とした老人だった。

「今日も実験は成功だな。その身体は馴染んだろう?さあ戻るがいい」

老人は存外ハキハキとした声で湖面にいるであろう巨人に話しかけた。

加古川はその男を前に見たことがあった。
だが、名前が思い出せない。何処で見たかも思い出せない。

男の声と同時に、微かに幾何学模様が反射してその姿を捉えた“きのたけのダイダラボッチ”は、顔を湖面に付けるまでに身を屈むと、身体を湖中に沈めその姿を消した。
老人が続いて建屋に戻っていった。
あっという間の出来事だった。

続いて、閉じられていた城門の扉が開かれる音が響き渡った。

加古川「まずい…さっさと撤収しないとバレるな…」

このまま此処に居続けたらまずい。
若干の動揺から、咥えていたココアシガレットを口から手放し落としてしまったが、気にせずに加古川はその場を後にした。
城壁沿いに音を立てないように走り、薄明の中を懸命に市街地に向け下っていった。
一度、家に戻り仕事の準備をしないといけないから時間もない。


252 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 潜入編その14:2020/09/14(月) 00:59:27.823 ID:DRRykwhso
教団本部からの坂道を下っている最中、唐突に加古川はあの老人と初めて出会った日の出来事を思い出した。

名前は思い出せない。
だが、当時の状況は覚えている。


―― 「君が加古川君か。よろしく、私は……だ。もう引退したしがない化学者だよ」


たしか、当時まだ新米だった加古川が【会議所】の定例会議に向かう途中に廊下で出会い、挨拶をしたのだ。
今と同じ純白の白衣を身につけ、彼は当時から同じように老人だった。

そして、その老人は。


新米の加古川と挨拶を終えると、目の前の“議長室”に入っていった。


加古川「ッ!」


【会議所】が、ケーキ教団と通じている。


確定ではない疑念が、加古川の脳内を浸食していく。



253 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/09/14(月) 01:00:17.300 ID:DRRykwhso
加古川さんは大胆なおじさまです。

254 名前:たけのこ軍:2020/09/14(月) 19:54:24.674 ID:U570cGko0
謎が謎を呼ぶ展開がわくわくする

255 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その1:2020/09/19(土) 00:06:04.233 ID:uha7bd/Io
【きのこたけのこ会議所自治区域 チョ湖支店】

次の日から、加古川は本業の仕事に精を出し今まで以上に働き始めた。
会議所本部で働いていた時と違い行きつけのBARもないので、必然的に家に帰るのは毎日深夜を過ぎてからとなっていった。
家に帰れば死んだように眠り、そしてすぐ次の朝がくる。繰り返しの激務にも、加古川は眉一つしかめず日々目の前の仕事に没頭した。

加古川「三頁目の表だが、引用元のデータが誤っているな。すぐに作り直してくれ」

別の書類に目を向けながら静かに報告書を突き返す新上司の冷静な仕事捌きに、若き部下たちはまるで死神のようだと怯える者か、クールな姿勢に憧れる者とに二分された。

ケーキ本部での一件があってから数週間が経ったある日。
久々に深夜になる前に自宅へ戻ってきた加古川は、家の外にあるポストに一通の封筒が投函されていることを確認した。
裏蓋から封筒を取り出し、手元で回しながら差出人を確認する。

くすんだ茶色の封筒には署名や宛先もなく消印も付いていなかった。
差出人が自ら投函したと思われる怪しい封筒を普通の人間は気味悪がるものだが、加古川は一度だけニヤリとし、封筒を手にしながらすぐに自宅の扉を開けた。


256 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その2:2020/09/19(土) 00:07:10.982 ID:uha7bd/Io
逸る気持ちを抑えながら、リビングでブラウンのチェスターコートをハンガーラックに掛け、ネクタイをソファに脱ぎ捨てると、足早に自室に入り鍵をかけた。

身の安全を確保できた安心からか、加古川は身体に溜まった空気を吐き出すように深く息をついた。
そして、手に持った封筒を目線の高さまで上げ改めてしげしげと眺めると、徐にもう片方の手でコンコンと封筒を叩いた。

すると間髪入れず叩いた腕に“封筒から”一定のリズムで振動が返ってきた。

加古川は書斎の机の上にそっと封筒を置くと、再度ニヤリと笑った。

加古川「“封魔信書”だな、これは」

封魔信書とは、魔法で防御された手紙のことである。
古代、人々が重要な手紙を秘密裏に贈らなければいけない際に確立された手法で、信書自体に“反射”の魔法をかけ第三者からの閲読を防ぐ術である。

通常は信書を覆う封筒側に施されていることが多く、封筒に対する行動や与えられた負荷がそっくりそのまま対象者に返ってくる。
封筒を落とせば落とした者も全身を痛めつけられ、封筒を無理に破こうと力を入れれば対象者の腕が切れるといった仕組みだ。
昔から存在する古典的魔法ではあるが、お手本の術ゆえに今では主流の方法ではなくうっかり見過ごし罠にハマる魔法使いも多い。


257 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その3:2020/09/19(土) 00:08:54.708 ID:uha7bd/Io
用心深い加古川は普段の手紙から術のチェックを怠らなかったため、今回も簡単に見破ることが出来た。
長椅子に腰掛け、加古川は机の上に置かれた封魔新書と向かい合った。

加古川「イタズラを仕掛けてきたか、魂さん…」

指先に魔力を込めながら、加古川は封筒の表紙に人差し指を近づけた。

封魔新書を解除する術は、共通の“キーワード”を決めておくことである。
通常、手紙の出し主と受け取り主にしか分からない鍵となる言葉を決めておき、魔力でそのキーワードを入力し解除する。

今回の場合、差出人の筍魂からのほんの少しの意趣返しのため、キーワードを加古川は知らない。
だが、筍魂が本気で封魔新書を仕掛けるわけがなく、魔法を解くために互いに連想できる言葉を鍵としているのは間違いなかった。
加古川は流れるような手付きで表紙に“キーワード”をなぞった。

“TABOO”

なぞった跡の文字だけが赤く光り、頻繁に訪れるBARの名前をネオンのようにキラキラと光らせていた。
間髪入れずに、カチリという音をたて封筒は独りでに口を開いた。
封魔の術は解かれたのだ。


258 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その4:2020/09/19(土) 00:11:49.マオウ ID:uha7bd/Io
ケーキ教団本部の一件後、加古川は秘密裏に筍魂に追加の調査依頼を出していた。
先日の警告からの監視の目を逃れるため、ここ数週間は真面目に働きながら本問題から関わりを断ったように振る舞っていたが本心では探究心は寧ろ燃え盛っていたのだ。

加古川は封筒の中に手を突っ込むと報告書を取り出した。
同封されていた数枚の書類とともに、小型の付箋が机の上にポトリと落ちたが、気にせず加古川は報告書に目を通し始めた。




以下に、追加で調査依頼を受けた内容についての報告を掲載する。

・ケーキ教団支部の【儀式】活動の実態について

 結論から述べると、ケーキ教団に【儀式】という行為は存在しない。

 これはヒノキというたけのこ軍兵士で、元・ケーキ教団信者だった人間の話を基にしているため信憑性の高い情報だ。
 ヒノキは自治区域南部の教団支部に属していた教団員だが、脱退前は支部で夜半に行われる【作業】の監督を任せられていた。
 教団には信仰を深めるための【儀式】は存在しないが、夜半に教団兵士たちは招集され教会で、ある【作業】を行わされていたと言うのだ。実に興味深い話だ。

 【作業】の内容とは、何処からか教団支部の教会に搬入された大量の角砂糖を一度“適切でない”手段できめ細やかで綺麗な粒に砕き、
 複数人が必死で再度“適切でない”手段で綺麗な飴をつくっているというものだ。
 これで、先日離した角砂糖が不足しているというニュースの謎は解けた。
 この出来上がった大量の飴はどうやら教団本部に贈られているらしい。貢物か上納金の代わりにしているのかは不明だ。

 詳細については、次項にヒノキ兵士のインタビューをまとめているのでそちらを参照されたい…




259 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その6:2020/09/19(土) 00:15:51.156 ID:uha7bd/Io
―― ロリティーブ「仲間の人たちと一緒に礼拝堂に籠もってお祈りを捧げるんだって。その間は選ばれた人しか入れないの」

ケーキ教団に【儀式】はない。
その実態は、本部では武器工場で働かされ、支部では本部近くのサトウキビから精製した角砂糖で飴を錬成する【作業】を秘密裏に行うための方便に過ぎない。

文中にある“適切でない”という表現は、恐らく魔法錬成の使用を指している。
以前、偶然にもチョコに錬成魔法をかけ資源へと変化したことがオレオ王国にて明るみになったことがある。俗に言う“チョコ革命”である。

世界が産業革新に湧く中、世界の覇権を奪われたくないカキシード公国は『“適切でない手段”でチョコを錬成した』と公然と王国を批判し当時話題になったものだ。
その過去の迷言を隠語にしていることから、敢えて明言を避けて説明をしていることが推察できた。

加古川「教団の本部ではスイーツ工場に隠れて武器を密造し、支部では通常ではない手段で飴を錬成する。いよいよおかしな話になってきたな」

人差し指を額にあて、加古川は考える。

武器密造の目的は相変わらず分からない。
当初は密造武器を用いて教団が【会議所】転覆を狙っているのではないかと邪推したが、教団側の人間の意識が極めて希薄なことに加えて、
【会議所】に出入りしていた化学者風の老人含め【会議所】陣営が関与している疑いが強くなった今、その可能性は薄い。

何処かの国に横流しし資金調達をしていた線も可能性としては考えられる。
だとすれば、教団本部は資金に困っていたことになるが有名スイーツブランドの売上も好調で一大工場まで立てた本部が、極度の資金難に陥っているとは考えにくい。


260 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その6:2020/09/19(土) 00:19:41.827 ID:uha7bd/Io
武器密造の話は一旦脇に置き、次に加古川はなぜ教団が角砂糖と飴の錬成に入れ込むのか考えることにした。

教団本部でケーキ意外に角砂糖や飴が消費されている場面はほとんど無かった。
わざわざ魔法錬成で角砂糖へ変換するというのも妙な話だ。技術の進歩により今や角砂糖の生成は比較的容易にできるからだ。

文中で示されている錬成後の角砂糖の表現も気になった。
“きめ細やかで綺麗な粒”という表現が、頭の中で何か引っかかる。
粒子のような角砂糖から錬成された飴は典麗で清澄な色合いに成るに違いない。

加古川はこれまでの出来事をつなぎ合わせるために、敢えて声に出して読み上げてみることにした。

加古川「ケーキ教団本部では、スイーツ製造に隠れ角砂糖のコーティング剤製造に加え武器の密造を行っている。
この武器は何処に流れているか不明。

さらに、各地の支部では教団が角砂糖を広く調達し飴を魔法錬成し本部に逆輸送している。

そして、【大戦】の一週間後には必ず透明な“きのたけのダイダラボッチ”が現れ、教団の監視の下で湖内を歩き回り――ッ!」


パチリッ。


頭の中で何か電流が弾けるような閃きが訪れ、同時に脳内ではこの可笑しな事象を説明するためのとんでもない推論が思い浮かんだ。
個々の出来事はてっきり何の関連性も無いように見えるがケーキ教団という一つの線で繋がっている。それが鍵となる。


261 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その7:2020/09/19(土) 00:20:56.085 ID:uha7bd/Io
加古川は急いで紙にいま口にした出来事を書き出し、書いた文字の部分を千切り何枚かの即席のカードを作った。

カードを何度も並び替えて辻褄があう推論を作り上げようとする。

加古川「仮に教団の目的が武器の密造ではなく、“きのたけのダイダラボッチ”を湖に出すことだとしたら…?」

加古川は思わず口からこぼれ出た自分の言葉に目を見開き、急いで過去の筍魂の報告書を引っ張り出した。

幾度となく目を通した報告書に再度目を通す。


自分の考えはバカげているかもしれない。


カードの出来事同士を結ぶ説明は、その途中で多くの推測を含まなくてはいけない。
しかし、巨人の出没時期や教団の動きを組み合わせ直すと、加古川の前に一つの“真理”が浮かび上がってきた。


誰にも信じてもらえないかもしれないが、もしこれが“真理”だとすれば。






加古川「世界は、ケーキ教団を発端とした大きな“厄災”に巻き込まれることになる…」



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262 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川 真実への探求編その8:2020/09/19(土) 00:23:17.864 ID:uha7bd/Io
端に置いていた封筒は並べられていたカードを必死に動かしている中で、いつの間にか机からはらりと落ちてしまった。
拾い上げようと身を屈め封筒に手を伸ばした時、加古川は初めて自らの手が小さく震えていることに気がついた。

同時に、最初に封筒から落ちた小型の付箋が近くに落ちていることに気が付き加古川は封筒と一緒に拾い上げた。


握りこぶし程度の大きさの付箋には走り書きで、次のような文章が記してあった。

『貴方が調べている内容は非常に危険なものだと俺の第六感が告げている。
これ以上の支援はできないし、依頼されても協力はできない。貴方もあまり首を突っ込みすぎると火傷だけでは済まないだろう。
火傷する前に、火の元はすぐに断つのがいいだろう』

『この危険な調査の追加報酬として、次の待ち合わせの時の支払いは是非お願いします』

加古川「全くなんて狡い人だ…」

付箋の内容にニヤリとさせられ、同時に幾分か平静さを取り戻した。
彼の意を汲み、加古川はぱちんと指を鳴らし目の前の報告書を魔法で消し炭にした。

先程の震えは、もう無かった。

加古川にある決意が芽生えた瞬間でもあった。


263 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/09/19(土) 00:23:47.387 ID:uha7bd/Io
真理に気がついてしまった加古川おじさま。
あと2回の更新でこの章は終わります。

264 名前:たけのこ軍:2020/09/19(土) 00:26:02.464 ID:ig2Z2/yg0
真相を追い求める感じがワクワクする

265 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その1:2020/09/22(火) 15:40:14.738 ID:kReOdFRko
【きのこたけのこ会議所 ケーキ教団本部】

夜空の星が綺麗に見えるまで宵の口が進んだ時刻。
加古川は例の門塔の吹き抜けから空を見上げていた。

今日、会議所自治区域では定期【大戦】が行われようとしていた。
加古川の記憶が正しければ今日は確か王様制という変則ルールで、戦場で召喚された王様同士が参加している兵士の力を吸収し、兵士たちの代わりに戦うという一風変わったルールだ。
何度もルール試用は行ったし、¢が自信を持って作ったルールだから問題はないだろう。

特に近頃は世界各国の賓客が大戦場に訪れ、既に自治区域内で根付いている【大戦】の文化を世界中に発信している。
通例的に昼間に行われている【大戦】だが、長期連休も多いこの時期は毎年夜に開かれている。さぞ周辺の観光業は大賑わいを見せていることだろう。

加古川「今日の王様制はレアルールだから、参加したかったなあ…」

賛否両論あるルールだが、加古川はそのルールでの戦いが好きだった。


【大戦】開始の号砲が鳴らされたであろう正にその時刻。
加古川は先日潜入した時と同じ場所に身を潜めていた。

今日【大戦】を欠席してまで、ケーキ教団本部に再び忍び込んだことには理由がある。
先日の潜入、そして筍魂の追加報告で加古川は一連の謎を“ほぼ”究明できた。

完全ではないものの、なぜきのたけの“ダイダラボッチ”が【大戦】後の決まった曜日に出現するのか、またなぜケーキ教団本部が武器を密造し角砂糖を乱獲しているのか。
根幹と成る謎はいずれも解けているし合理的な説明もできる。


266 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その2:2020/09/22(火) 15:41:26.828 ID:kReOdFRko
後は99%を100%にするための確証が必要だった。
そのために、今日【大戦】開催日にケーキ教団本部にいる必要があった。

【大戦】で殆どの住民が出払っているこのタイミングにあわせて、教団は密造武器を秘密裏に何処かで取引をしているはずだと踏んでいたがやはりそれも正しかった。

開戦と同時刻、静まり返った本部内で三人の教団員とともに城門前には大量の荷台が並べられていた。
幌で覆われていた荷台の中身はどれもこんもりと膨らんでおり、明らかに質量を持った物資を積んでいることを想像させた。
その中身が工場で製造した密造武器であることは間違いないだろう。
取引がどの場所で行われているかまでは想像できなかったが、今日で解明の糸口を掴めるはずだ。

―― 『警告だ。これ以上、首を突っ込むようなら容赦はしない』

あの言葉と腰に突きつけられた拳銃の感触を思い出すと、未だに加古川の行動は一瞬鈍くなる。
しかし、目の前で起きている不正を握りつぶすという選択は取れない。

彼は探求家であると同時に正義でありたいと願う誠実な人間でもあった。
先日、覚悟を決めたのだ。

もう彼に逃げるという選択肢はない。


267 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その3:2020/09/22(火) 15:42:34.661 ID:kReOdFRko
「そろそろ時間ですね」

城門近くに居た兵士の一人がポツリとつぶやいた。それ程大声で離していないにもかかわらず、彼らの話し声は今日もよく響いた。
荷台の周りに三人の兵士と馬にまたがる兵士を数名確認できるが、全員が茶色のフード付きのローブをまとっており、その顔まで伺うことはできない。

「先程、船の姿は確認したんよ。問題なければあと半刻も経たないうちに港に到着する。いまはクルトンさんが現場でいつもの確認をしているはずだ」

三人の中心にいた兵士が後方を振り返り、サトウキビ畑を超えた灯台のあたりを見ている様子が見えた。
ここからではそちらの様子は丁度伺いしれないが、湖上には船舶が見えているのだろうか。

「今日は少し時間が遅れているようですが」

「慌てるな。今日は王様制【大戦】だ。大戦時間は間違いなく長引く。そう決まってるんよ」

焦れた様子で隣の兵士が言うが、中心にいるリーダー格の兵士は落ち着いた様子で制した。

「よしッ!出発だ」

リーダー格の兵士の掛け声とともに、手綱を引く兵士の掛け声とともに大量の荷台に繋がれた馬が動き始め、城門から出発を始めた。


268 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その4:2020/09/22(火) 15:43:38.340 ID:kReOdFRko
加古川「“取引”ッ!やはり武器は他国に横流しされているということか…見返りに受け取ったものは…ということは、やはり…」

加古川は目の前の出来事に俄に興奮した。

密造武器は他国に横流しされている。
港と言っていたが、チョコ付近での港となると相当距離は離れる。恐らく、湖沿いの何処かで船を停め取引をしているのだ。
迂回貿易も考えられるが、チョ湖に面している国との交易となれば相手側は相当の絞り込みができる。

頭の中でパズルのピースが次々に埋まっていく。
加古川は自らの推理がほぼ正しいことを悟り興奮するとともに、自分の推論通り進んだ場合の世界を考えて同時に息を呑んだ。

加古川「やはり真理は、想像を遥かに超えるな」

小声でも声に出すことで、逸る気持ちを少しでも抑えることが出来た。
一息ついた後に、今起きている出来事を忘れないように、加古川はすぐさま胸ポケットからペンと手記を取り出し記録を始めた。


手記に気を取られている加古川は微塵たりとも気づいていなかった。


破滅の時が刻一刻と近づいている事実を。


269 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その5:2020/09/22(火) 15:46:10.863 ID:kReOdFRko
「さて。無事、荷台も出発し始めたんよ」

荷台の音に紛れながら、中心に居た兵士はポツリと呟いた。

「少し気が早いけど…」

荷台を一瞥しながら、視線を静かに“門塔の最上部”へと移す。


「…“始末に移るんよ」


瞬間、加古川は、背中越しに強烈な悪寒を感じた。
ゾクリという背中を伝う不気味な感触だ。

咄嗟に背を付けていた壁から身を離したのは何も今後の展開を予期したからではなく、歴戦の兵士として身体が勝手に反応したまでだ。
だが、その行動が結果的に加古川の生命を救った。


  バアン。


加古川「なッ!馬鹿なッ!!」

加古川が先程まで背をつけていた石壁は、ガラガラという石の砕け散った音とともにポッカリと“穴が空いてしまった”。

人の顔ほどの大きさの穴からは外の光景がよく見えた。勿論、加古川の姿もこれでは外から丸見えである。

恐る恐る穴越しに外をチラリと見やると、中心に居た兵士がこちらに銃口を向けている様子が見えた。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

270 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その6:2020/09/22(火) 15:47:45.419 ID:kReOdFRko
加古川「ッ!!」

先程と同じ予感。今度は明確に全身で悪寒を感じた。



これは殺意。


強烈なまでの殺意を、あの兵士は加古川に向けている。


  バアン。


間髪入れずに発泡される。自ら空けた穴に再度弾丸を通すという離れ業だ。

今度は咄嗟に左に身体を反らし避けたが、頬を掠めた弾丸は背後で石の壁を粉々にしながら爆ぜた。
頬ににじんだ血を拭う暇もなく、加古川は窮地に追い込まれたことを実感した。

そして考えるより先に、全てをかなぐり捨てる勢いで、加古川は転げ落ちるように目の前の階段から必死に降り始めた。


271 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その7:2020/09/22(火) 15:49:25.461 ID:kReOdFRko


  バアン。 バアン。


まるでそんな加古川をあざ笑うかのように銃弾は次々と塔を貫通し加古川を狙っていく。
銃声が鳴る度に、階段を走る加古川のすぐ背後から石の砕け散る乾いた破裂音が聞こえてくる。


走る。走る。走る。


その間も銃声は止まない。
二周目の螺旋階段を下り始めたところで、加古川はすぐに気がついた。

銃の主は、まるで追い込み漁のように、敢えて階段を降りる加古川の背後を撃ち退路を断っている。
つまり、加古川は階段を降りることしかできず、降りきった先は――

加古川「ッ!!」

勢いよく塔の出口から出てきた加古川と数十mの位置で相対したリーダー格の兵士は、冷静に銃口を彼に向け待ち構えていた。
反対に残りの二人の兵士が驚愕の様子で加古川を見返しているのが対照的だ。


272 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  決定的瞬間編その8:2020/09/22(火) 15:50:34.245 ID:kReOdFRko
加古川「これは恥ずかしいところを見られてしまったな。やはり歳は取りたくない」

加古川はコートにかかった砂を払い、持っていたペンと手記を胸ポケットに仕舞った。

「やはり貴方でしたか加古川さん…」

冷静な声で、銃口を落とすこともせずリーダー格の兵士はそう告げた。
やや甲高くそれでいて鼻に突く声。そして舌足らずな方言。

声色を低くしていても、加古川は声の主を確信した。

加古川「その声には聞き覚えがあるな。













こんなところで会うとは奇遇じゃないか、“¢さん”」



(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

273 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/09/22(火) 15:51:26.784 ID:kReOdFRko
すみません私の配分間違いでこの章は今回入れてあと3回の更新で終了予定でした。
あと2回で終わります。

274 名前:たけのこ軍:2020/09/22(火) 20:53:15.977 ID:F.hGAQuY0
兵士が敵という展開にワクワクする

275 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その1:2020/09/26(土) 20:32:50.034 ID:py5sioxko
思いがけない¢の言葉に、両手をあげたままの加古川は鼻で笑った。

加古川「“忠告”?おいおい、図書館での一幕は完全に脅しだったろう」

¢「あれは、ぼくたちからのある種の優しさでもあったんですよ。
貴方は知りすぎてしまった。そして闇の深くまで追いすぎてしまった。
わざわざ【大戦】を欠席してまで此処に居るのが、何よりの証だ」

¢は銃口を向けたまま背後の二人に目で合図を送った。
彼の視線にフード姿の二人はすぐに加古川の背後に周り、身体をまさぐり始めた。

加古川「おいおい、歳もいったおじさんにベタベタと触らないでもらえるか。気色悪い」

顔をしかめる加古川に構わずコートの上から身体検査を進めていると、兵士の一人がコートのポケットから彼の私物を発見した。

「ありましたッ!武器と思われる、メガホンと応援用のミニバットです。ミニバットは紐で繋がっている二本セットのものです」

加古川「あまり汚い手でさわるなッ。それは家族から貰った大事な物でなッ!」

両手を上げたまま加古川は悪態を吐いたが、二人は気にも留めず彼の私物を預かった。
さらに一通り検査を終えた二人は、再び¢の背後に戻った。


276 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その2:2020/09/26(土) 20:34:17.655 ID:py5sioxko
加古川「このままだと私は秘密を知った罪で消されるのか、¢さん?」

この期に及んで少しでも情報を聞き出せないか、加古川は意地悪く訊いてみた。
¢はフードの中で深緋(こきあげ)の目を光らせながらも、一切表情を変えることはなかった。

¢「それには答えられないけど、概ね加古川さんの想像通りとだけ言っておくんよ」

加古川は“やれやれ”と、分かりやすく嘆息した。

加古川「それは残念だな。
なら、せめて死ぬ前に最後のシガレットをもう一本だけ食べさせてくれないか。
胸ポケットに入っている。¢さんも好きだから分かるだろう?
最期の一服ってやつだよ。まあ私は嫌煙家だが」

そこで¢は初めてローブの中から胡散臭そうに彼を睨んだが、脇で直立していた兵士に顎を付きだし、胸ポケットを探るよう命じた。
兵士の一人は再び背後から彼の胸ポケットを探ると、“オレンジシガレット”と書かれた小箱の駄菓子が出てきた。

兵士が手にとった小箱を眺めていると、加古川はニヤリとした。

加古川「残念。今日はココア味が切れてしまっていた。
死の間際に好きな味で逝けないのは大変残念だが。
この際駄々をこねることはしないから安心してほしい」

「…いいんですか?」

兵士の視線は小箱と背後の¢の顔を行ったり来たりしていた。自分の行動が正しいのか自信がない様子だ。

¢「御老体の最期の楽しみだ。一本ぐらい吸わせてやるんよ」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

277 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その3:2020/09/26(土) 20:36:00.305 ID:py5sioxko
目の前で差し出された一本を勢いよくぱくりと咥えた加古川は、すぐに離れた兵士に構わず、口に広がるオレンジの風味を暫し堪能するために眼を閉じた。

加古川「これだよ、これ。口に含んだ瞬間にたまらない」

両手を上げたままの格好で、加古川は口元でラムネを器用に転がしつつ口内に広がる甘さを堪能した。
この瞬間だけは目の前の窮地から思考を切り離すことができた。
世の中から煙草を無くし全て駄菓子のシガレットに変えれば、世界は幾分か平和になるに違いない。

再び眼を開き、黙って見守っている¢たちのほうを一瞥した。

加古川「ありがたいねえ」

口の端にラムネを移動させながら、加古川は器用に喋った。

加古川「本当に、ココア味じゃないことだけが残念だが。
冥土の土産としては上等だ。

貴方達はただの外道だと思っていたが良いところもあるじゃないか。
本当に――」

加古川は喋りの途中で、徐(おもむろ)に前歯を閉じた。
いきなりの衝撃に耐えられるわけもなく、シガレットはいとも簡単にポキンという音をたてて二つに砕けた。


砕けたラムネの一部が、加古川の口を離れ自由落下を始める。

一見、何の変哲もない行動。


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

278 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その4:2020/09/26(土) 20:37:45.001 ID:py5sioxko

2秒。



1秒。



地面に落ちるその瞬間に、ラムネ棒が閃光花火のように真っ赤に光る様子を見て、¢は初めて異変に気がついた。


¢「まずいッ!下がッ――」


加古川「――阿呆で助かるよッ!」


魔法でオレンジシガレットに擬態された火薬玉は、地面に触れるとともに起爆し、鮮やかな赤色の光とともに勢いよく爆ぜた。

加古川はすぐにその身を引くと同時に爆風が起こり、¢たちの眼前は途端に大量の爆風と巻き上げられた土煙に包まれ視界を封じられた。


279 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その5:2020/09/26(土) 20:39:05.205 ID:py5sioxko
「ぐあッ!¢様ッ!」

咄嗟に顔を覆う二人に対し、中心にいた¢は爆風に構わずすぐさま辺りに気を払った。

加古川は土煙に紛れ姿を消したが、シガレットの大きさから爆薬は限定的な規模のものでしかない。

彼らの背後にある城門には人影が変わらずない。
土煙にまみれて加古川が脱出するとすれば、城壁を伝いあたりに広がる森林地帯から市街に抜け抜け出す手段しか残されていない。

¢「畜生ッ!あの人は一流の魔法使いでもあることを忘れていたッ!

グリコーゲンさんと鉛の新兵さんはすぐに城壁沿いを追えッ!

この間の壊れていた壁沿いの箇所だッ!あの人はこの間もあそこから侵入したッ!
逃げられては困るんよッ!」

二人はすぐに頷き爆風でできたすり傷をさすりつつ、未だ巻き起こっている土煙を避けすぐに走り去っていった。

一人残った¢は悪態をついた。
密会を敢えて見せつけ、加古川をこの場で始末しようと考えていたが、これではとんだ誤算だ。


280 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その6:2020/09/26(土) 20:40:31.224 ID:py5sioxko
クルトン「¢様。この騒ぎはいったいッ!?」

聞き慣れた声に¢が顔を背後に向けると、城門から現れた教団員のクルトンは目を丸くして駆け寄ってきた。

¢「これは、クルトンさん。

ちょっと今、“鼠”を捕まえようとしている最中なんよ。
それよりも、取引の方は順調ですか?」

クルトン「はい。問題ありません。順調に進んでおります。

それで、その“鼠退治”の件ですが。

先程、“指令”を受けまして。
これを¢様にお渡しするように、と…」

¢はクルトンの差し出した指示書を受け取った。
それは指示書というよりもメモ書きだった。ページの切れ端を千切った程の大きさの紙切れに、走り書きで数行書かれた文章に¢はすぐに目を通すと。
目を細め、指令書を静かに握りつぶした。

クルトン「せ、¢様ッ!?」

¢「作戦変更なんよ…ぼくもあの二人の後を追う。
この場はクルトンさんに任せたんよ。
それと、すぐに本部内に応援人員を呼んで加古川さんがこの場に留まってないかを確認させるんだ。また塔の中に隠れられると厄介だからなッ」

言い終わらないうちに、¢は姿を消した。
あまりの慌ただしさに、居なくなってから慌ててクルトンは頭を下げたが、すでに後の祭りだった。


281 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その7:2020/09/26(土) 20:42:18.005 ID:py5sioxko
【きのこたけのこ会議所 ケーキ教団本部近く森林地帯】

崩れた城壁から外に広がる鬱蒼とした森林地帯に足を踏み入れた追跡組の二人は、すぐに足元の暗さとぬかるみに四苦八苦することとなった。

鉛の新兵「このぬかるみなら、向こうもまだこの林は抜けていないはずッ。本部内は味方に任せ我々は追跡を続けましょうッ!」

グリコーゲン「若者はずいぶんと威勢がいいなッ。こちとらここまで足を取られると、腰にくるんだッ」

ハツラツとした様子で語るたけのこ軍 鉛(なまり)の新兵に対し、古参のたけのこ軍 グリコーゲンは悪態をつきながら走った。

グリコーゲン「ええい、木々がジャマで鬱陶しい。もう我慢ならんッ!燃やして消し去ってやるゥ!」

グリコーゲンは立ち止まり、勢いよくローブを脱ぎ去った。
教団員に似つかわしくない黄の戦闘服を来た彼は、ずっと背中に背負っていた小型燃料タンクから噴射ノズルを取り出すと、ノブを引き勢いよく炎を噴射し始めた。

見る見るうちに目の前の林は燃え盛り、木々の悲鳴にも似たパキパキという音とともに、枝や幹が連なるように折れ始めた。

鉛の新兵「や、やりすぎでは…それに、これ消せるんですか」

グリコーゲン「安心せいッ!僕の水魔法でどうとでもなるッ!それにもし前に奴がいたとしたら、今頃はカリカリのベーグルのようにこんがりと焼けているだろうよォ!」

密集した林には、次から次へと火が伝搬していく。
彼らの眼前はあっという間に炎で支配された。


282 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その8:2020/09/26(土) 20:43:47.492 ID:py5sioxko
鉛の新兵「す、すごいッ。でも、どうなっても知りませんよ」

グリコーゲン「ハハハッ!この炎がケーキを焼くのに最適なんですよォッ!」

炎の色を見て気分が高揚しているのか、グリコーゲンは唇の端を吊り上げて笑い始めた。
鉛の新兵はその凄みに少しぎょっとした。

鉛の新兵「も、もうこのあたりでいいのでは。私は後ろにも気を配りますね」

相棒の狂気から目を背けるように、彼は背後を振り返った。



それが、悪手だった。


加古川「ふむ。鉛さんの言うとおりだ。見晴らしがよくなっても、それは相手に自分の居場所を知らせているのと同じだ。違うかな?」

グリコーゲン「なッ!」

いつの間にかグリコーゲンと鉛の新兵の間に立っていた加古川は、間髪入れずに掌底をグリコーゲンの顎に喰らわせた。

グリコーゲン「ッ!!」

声も上げられず、グリコーゲンはその場に倒れ伏した。

倒れた衝撃で彼がポケットに入れていた加古川のメガホンとミニバットが地面にぽとりとこぼれた。
すぐさま身を屈め回収する。

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283 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その9:2020/09/26(土) 20:47:54.396 ID:py5sioxko
鉛の新兵「くそッ!」

加古川の奇襲に遅れること数秒。
グリコーゲンの背後で警戒にあたっていた鉛の新兵は、遅れた反応を取り戻すように振り返り際すぐに、手に持った鉛玉を瞬時に投げ込んだ。

加古川「きかないなッ!」

放たれた鉛玉は魔法で初速から大幅に加速して加古川に向かっていった。
その一瞬の時間の中で、加古川は先程取り返した木製のミニバットを自身の身体の前に突き出した。
腕一本分程度の長さしか無い大きさだったが、鉛玉はバットの芯に丁度あたり弾かれた。

鉛の新兵「ばかなッ!魔法で超加速させた鉛玉を、どうしてそんなヘナチョコバットで弾けるんだッ!」

加古川「これが愛の力、というやつではないかな?」

鉛の新兵「へらず口をッ!」

さらにポケットから取り出した二個の鉛玉を握り。
加古川から敢えて少し距離を取り、鉛の新兵は振りかぶり鉛玉を投げ込んだ。

加古川との距離はせいぜいが数mだが、サイドハンドから放たれた二つの鉛玉は途中からそれぞれが別の軌道を描き始めた。
これこそが鉛の新兵が敵との距離を離した最大の理由だ。

片方の鉛玉はブーメランのように弧を描き、もう片方は回転方向とは逆の弧を描きながら向かう。
加古川の左右方向から二つの鉛玉が同時に横腹を狙う構図となった。
片方を防御しても、反対の鉛玉が彼の横腹を貫く。

同時の回避は不可能。
これこそが魔法で鉛玉の軌道を変える策で、“鉛の投法”と恐れられる彼の戦闘スタイルだった。


284 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その10:2020/09/26(土) 20:51:49.170 ID:py5sioxko
加古川「考えたな。だが、あいにくと――」

しなやかに腰を折り次の瞬間、加古川は上半身を大きくのけぞらせた。

鉛の新兵「なッ!?」

地面と水平に近くなるまで上半身を逸らせ、加古川の左右から向かっていた鉛玉は、先程までそこに立っていたはずの敵の姿を捉えられず空振りする形になった。
同じく反対方向でも同様の現象を起こした互いの鉛玉はそのまま弧の軌道を描き続け、次の瞬間加古川の心臓の位置の上部で勢いよく互いを衝突させ弾け飛んだ。

加古川「――デスクワーク続きで、目は鍛えられているものでね」

鉛の新兵「ば、化け物だッ…」

燃え上がる業火を背にゆらりと半身を起こす加古川に、鉛の新兵は恐怖で顔を青ざめた。


彼は先輩教団員から、ある【大戦】で起きた伝承を聞かされたことがあった。

“かつて、黎明期の【大戦】には多くの精鋭のたけのこ軍兵士がいた。

そのうちの一人は、敵のきのこ軍陣地の中でひとり潜入し味方も知らぬ間に敵を殲滅した。
味方が駆けつけた時には既に敵陣は激しく燃え上がり、敵陣の中心には一人の男がタバコのようなものを咥え、余裕綽々の表情で味方を待ち構えていた。

燃え上がる敵陣地を背に、余裕の表情で構えている彼の姿は印象的で、味方は畏怖をこめてこう呼んだ…”



鉛の新兵「“赤の、兵<つわもの>”ッ!…」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

285 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その11:2020/09/26(土) 20:53:07.807 ID:py5sioxko
前進しながら威圧感を含む彼の物言いに、鉛の新兵は恐れから一瞬躊躇を見せた。
だが、すぐに自分を奮起するために自らの頬を一度叩いた。

鉛の新兵「ふざけるなッ!貴様はここで仕留めてやるッ!くらえッ!」

ローブを脱ぎ捨て、たけのこ軍の軍服を顕にした鉛の新兵は、両手の指の間に大量に仕込んでいた鉛玉を再度投げ込んだ。
十個近くの鉛玉は一斉に加古川に向かい、一様に空中で超加速を始めた。

加古川「これじゃあただのパチンコ、だなッ!!」

加古川は二本のミニバットを繋いでいた紐を引きちぎり両手にそれぞれ持つと、まるでテニスのように手首を返し全ての弾を払い除けた。
打ち返した鉛玉の何個かは地面に当たりその勢いで反跳し、鉛の新兵の方に玉が跳ね返ってきた。

鉛の新兵「まさか、跳弾ッ!?狙ってなんて、そんなッ!」

防ぐ術もなく、加古川の狙った跳弾は、全て鉛の新兵の鳩尾に食い込んだ。

鉛の新兵「バカなッ…そのバットじゃあ鉛など、打ち返せないはずッ…」

鉛の新兵は悶え、苦しみからその場に倒れ伏した。

加古川は相手が倒れたことを確認すると、首をコキコキと鳴らし落ちていた鉛玉を拾った。

加古川「いやあ。こんな木製のミニバットでも強化魔法で硬度を増せば、鉛などゴムボールより弾むのさ。
よい勉強になっただろう?」

城門へ続く林の道は燃やされてしまったので来た道を戻ろうと、足を動かした次の瞬間。


286 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その12:2020/09/26(土) 20:54:38.772 ID:py5sioxko

  バアン。


炸裂音とともに、目の前の林から銃弾が飛んできた。
加古川は瞬間の反応で身体を仰け反らせ避けた。
直後、眼前にローブを被った¢が林の中からぬっと姿を現した。

¢「本当に、貴方には困らせられるんよ」

銃のリボルバーに新しい弾を込め始めながら、¢は溜息をついた。

加古川「歴戦のエース¢(せんと)。
貴方が、ケーキ教団を隠れ蓑とした大規模な隠蔽工作に加担していたとは。
正直、ショックだ」

¢「でも、ぼくが関わっているのは知っていたんですよね?」

加古川「まあ図書館で【大戦】の参加名簿を見た時に、綺麗に貴方を始めとした数名が順繰りに【大戦】を欠席している内容を見れば、誰だって疑うさ。

貴方のことは最後まで疑いたくはなかったが。
一緒に昼飯をともにした後にその相手に銃を突きつけるなんて凄い根性だよ」

¢「それはすまなかったと思ってるんよ」

¢は素直に頭を下げた。


287 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その13:2020/09/26(土) 20:55:36.008 ID:py5sioxko
加古川「貴方を始めとしたケーキ教団の幹部は交代で戦いを欠席して、人目のつかない【大戦】にあわせて教団本部から武器を密輸をしていたわけだ。

これが、“きのたけのダイダラボッチが現れたら【大戦】がどちらかの圧勝に終わる”と噂されているカラクリだ。

貴方のいないきのこ軍が、楽に勝てるわけがないんだッ」

¢「きのこ軍の人材難には今も昔も困りっぱなしですよ」

¢はふっと自嘲気味に笑った。
ローブの中の顔はほんの一瞬、自軍を憂い悩むエースの表情を見せていたが、すぐに笑みを消し暗殺者としてのそれに戻った。


288 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  教団との対峙編その14:2020/09/26(土) 20:56:19.774 ID:py5sioxko
¢「貴方がここまで調べ上げるとは思っていませんでした。存外、好奇心旺盛な方だったんですね」

加古川「幼少期に立ち返って素直な気持ちになってみたのさ。
おかげでこの数ヶ月、実にイキイキとさせてもらったよ。

でも、参加者名簿を捏造していなかったのは正直、悪手でしたよ」

¢「後で直しておくんよ。貴方をこの場で倒してね」

加古川の背後でグリコーゲンの燃やした炎の熱が迫ってくるのを肌で感じた。
背後に逃げ場はなく、目の前の¢を倒さないと活路は開けない。

加古川は再度、覚悟を決めた。
手に持つミニバットにもいつも以上に力が入った。


289 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/09/26(土) 20:56:47.900 ID:py5sioxko
次回、加古川さん章最終回。ぜったいみてくれよな!

290 名前:たけのこ軍:2020/09/26(土) 21:03:27.754 ID:4nSfvMe.0
ひそかなる陰謀が進む感じがいいですね

291 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  :2020/10/04(日) 22:27:50.128 ID:m5ISCwiAo
今回は最終回ということで結構長めです。

292 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その1:2020/10/04(日) 22:29:59.381 ID:m5ISCwiAo
¢「真実を知ってどうするつもりなんですか?」

加古川を睨みながら、¢は慎重に間合いを取るようにじりじりと下がった。
もはやボロボロになったチェスターコートを脱ぐこともなく、加古川も腰を少し落としいつでも動けるように構えた。
互いに不用意に動いたほうが負けることを直感で悟っていたのだ。

加古川「知れたことをッ。

悪事を働く輩には痛い目を見てもらわないと困る。

全て、真実を公表する。

【会議所】の会議でも話すし、同時に全世界のマスメディアにもこの内容をリークしよう。

ケーキ教団で密造武器を製造し、秘密裏に他国へ密輸していること。
その見返りとして他国から角砂糖を受け取っていること。そして――」

チラリと、今は巨人の居ないチョ湖の方を一瞥した。

加古川「『最終兵器』のことを。全てね」

ローブの中で、¢は口元を歪ませた。

¢「本当に困ったお人だッ――」

言い終わるや否や高速で銃のスライドを引くと、¢は間髪入れずに加古川に向けて発砲した。


293 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その2:2020/10/04(日) 22:31:39.209 ID:m5ISCwiAo
予め奇襲に備えていれば歴戦の兵士である加古川にとって、放たれた弾丸に対する防御は難しいことでもない。
加古川は左手に持っていた硬化したミニバットで、先程の鉛玉と同じように手首のスナップでを効かせ叩こうとした。

しかし ――

加古川「ッ!!」

先程の鉛玉と違い、彼の銃弾はいともたやすく硬化バットを打ち砕いた。
そのままバットを通り抜けた弾は、勢いよく加古川の腕を貫通した。

加古川「ぐあああッ!!」

左腕に走る激痛を堪え、冷静に加古川は折れたバットをすぐに投げ捨てた。
この状態で持っていては寧ろ邪魔なだけだ。

焦る気持ちを抑え、前を向く。
すると深緋の瞳の暗殺者は銃口を加古川の右腕に狙い、間髪入れずにすぐに発射したところだった。



 バアン。


加古川「させるかッ!【すいこミット】ッ!」

右手で持っていたバットを宙に放り投げる。

すると、バチバチという音とともにミニバットの周りに電撃が漂い始め、小さな玩具は空中で巨大な茶色の野球ミットへ姿を変えた。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

294 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その3:2020/10/04(日) 22:34:42.199 ID:m5ISCwiAo
ひとまず窮地の去った後で、加古川は狙撃された箇所を確認した。

銃弾は左腕の上腕部をコートごと貫いていた。
コート越しに血が滴り始めていることからかなりの出血量であることは間違いない。
アドレナリンが分泌されているから未だ他人事で分析できるのは不幸中の幸いと言えるだろう。

ただ、撃たれたのは左手だ。
まだ利き腕は使える。

¢「ぼくの強化魔法の方が勝りましたね。歴戦の兵<つわもの>もデスクワーク続きだと衰えるんですね」

一連の攻撃を終え敵の動きを待っていた¢は、ポツリと呟いた。
嘲るわけではなく、本気で驚いているような声色だ。

加古川「そこまで私を買ってくれていたとは。ありがたいかぎりだ」

彼の言葉に過度に乗せられてはいけない。
悪気はないだろうが少しでも意識を向ければ雑念で動きが鈍ってしまう。

静かに神経を研ぎ澄ませるために、下唇を一度噛んだ。

加古川「なら、期待に応えないとなッ!!」

加古川は右手の指同士をパチンと鳴らすと、背後で燃え盛る木々が見えない糸で操られたかのように宙に浮いた。

¢は目の前の光景に思わず目を見張った。
彼の背後に視界を覆うほどの“赤い”火炎が空中で漂っていた。並大抵の魔力ではここまでの木々を扱うことは出来ないだろう。


295 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その4:2020/10/04(日) 22:35:51.406 ID:m5ISCwiAo
¢「ッ!」

加古川「【コエダバースト】!!」

彼の掛け声とともに、燃えた小枝や木の葉が小さい竜巻のように錐揉み状に回転しながら、イワシの群れのように勢いよく¢に襲いかかってきた。

¢「これはまずいんよッ!」

突然の攻撃に内心驚いた¢だったがその後の動きは見事だった。

まず、咄嗟にその場で勢いよく跳び、足元に迫りくる燃え盛る竜巻を避けた。
間髪入れずに彼の横腹を?き喰らんと襲いかかってきた第二陣の竜巻は、宙に浮きながらも拳銃の側面を盾のように振り、火炎を払い除けた。

払い除けた反動で、敢えて運動エネルギーに逆らわずそれらを自らで全て受け止めた¢は、まともに吹き飛ばされた。

しかし、それすらも計算通りといった具合に、空中で回転しながらも見事に体を捌きながら受け身で地面に転がり、第三陣の攻撃も見事避けきった。

彼の一連の行動は全て数秒以内の出来事だったが、それはまるで舞台の上でワルツを披露する踊り子のようにしなやかで優雅なものだった。

あれ程小さく見えていた¢の老体は、この窮地で寧ろ全盛期の時の姿よりも大きく加古川の目に映った。

加古川「これはすごいな…」

思わず加古川は困り果て、しかたなく笑ってしまった。

¢がなぜ数多もいるきのこ軍のエースとして長年君臨していたかを思い出したのだ。
彼は身体能力が高いだけでなく瞬発力や咄嗟の勘も冴える。
さらには、戦いの中で自らアイデアを出しそれを実行に移すだけの器用さもある。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

296 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その5:2020/10/04(日) 22:37:38.592 ID:m5ISCwiAo
¢「ありがとうなんよ。でもローブが焦げた。加古川さんを見くびっていたんよ」

起き上がった¢の指差した先はローブの裾の端で、ほんの少し焦げた程度のものだった。
一瞬、煽られているのかと思ったが¢の表情の変わらない様子を見ると、真面目に語っているらしい。
再度、加古川は苦笑するしかなかった。

¢「もう終わりですか?」

ローブの瞳が怪しく光る。獲物を狩る前の熊のように小動物を見定めているような目だ。

その目には覚えがある。
かつて加古川も¢と同じ立場だった。
大戦場で怯えるきのこ軍兵士を前に、彼と同じ目で彼らを心の中で哀れんでいた。

自らの全盛期に、¢と何度も刃を交えなかったことは奇跡だったに違いない。
きっと自身のプライドが粉々に砕かれ再起不能になっていたかもしれない。
それ程に昔も今も、¢は脅威で、かつ惚れ惚れする程に強かった。

確かに自身の戦闘能力は¢には遠く劣る。
だが、加古川でも一つだけ¢に決して負けないものがある。

加古川「いや。まだ、とっておきの秘策がある」

顔についた返り血を拭おうともせず、加古川はニヤリと笑い未だ無事な右腕を振り上げた。

彼に負けないもの。



(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

297 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その6:2020/10/04(日) 22:38:36.114 ID:m5ISCwiAo
振り上げた右手には、自身の手帳から切り抜いた紙で折られた小さな紙ひこうきを携えていた。
密かにコートの胸ポケットに忍ばせておいたものだ。

不思議そうな顔で¢は、紙ひこうきを見つめ次いで加古川の顔へ視線を移し“どういうことですか?”と目で訴えた。
加古川は頭上で紙ひこうきを掴んだ右手をヒラヒラとさせ笑った。

加古川「これは事の真相を全て書き記した告発文書だ。
先程、貴方たちが教団内で井戸端会議をしている最中に書き終えたものだ。

これを私の魔法力で大戦場の方に飛ばす。
丁度、【大戦】は佳境を迎えているか、もう終わっている頃だろう。

大戦場から帰還中の誰かがこの紙ひこうきに気づき、中身を読むことになるだろう。


そして、誰かが私の意志を継いでくれることを願う。


老輩は去り、後進に道を譲るだけさ」

¢からの言葉を待たずに、加古川は右手のスナップで紙ひこうきを綺麗な夜空の中に放った。

折り目が丁寧に着いた小さな紙ひこうきは、数秒間は空中をふらふらしていたが、よくありがちな地面へ垂直落下すること無く。
まるでジェットエンジンでも点いたのか、途端に推進力を増してさらに上空を目指し浮上し始めた。


見る見るうちに、遥か上空に紙ひこうきは小さくなり――


298 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その7:2020/10/04(日) 22:39:36.750 ID:m5ISCwiAo
¢「こしゃくなッ!」


――飛んで行くことはなかった。

¢はすぐさま視線を空に向け、利き腕に持った愛銃で紙飛行機の中心を綺麗に撃ち抜いた。


僅か数秒。


¢の視界は、夜空の中にある小さな紙ひこうきに囚われており、加古川に対しての意識は一瞬途絶えていた。





この瞬間を待っていた。



加古川「しめたッ!」

¢が紙ひこうきを撃ち抜いたその瞬間、加古川は瞬時に身を低くしその場を跳んだ。

彼との距離はせいぜいが十m程度なので、二秒も経たずに彼の懐に到達する。
上空を見上げがら空きとなっている彼の腹部への一撃が通れば、戦いは決着する。


299 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その8:2020/10/04(日) 22:41:00.705 ID:m5ISCwiAo
耳に風切り音を感じながら、コートのポケットからメガホンを取り出し同時に硬化の術をかける。
彼の鳩尾を硬化メガホンで吹き飛ばせば、幾らか弱い小動物でも獰猛な肉食獣を撃退することができる。


¢との距離がどんどん詰まっていく。


  あと1秒。




       0.5秒。



一瞬がまるで数百倍にも引き伸ばされたように静止したように目に映る中、遂に目の前に¢が見えた。
彼はまだ目線を上空に向けており、こちらに気づいた様子がなく彼の胴体はがら空きだ。

心臓の鼓動が早鐘を打ち始める。


焦るな。


  逸るな。

    
    仕損なうな。


300 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その9:2020/10/04(日) 22:41:55.804 ID:m5ISCwiAo
メガホンを振りかぶる手が僅かに震える。
だが、対象から空振って外すほどの狂いではない。

勝利に向かい、加古川は何も考えずにメガホンを彼の鳩尾に向け、振り抜こうとした。


そして、次の瞬間――



















 バァン。
 

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

301 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その10:2020/10/04(日) 22:43:00.662 ID:m5ISCwiAo
乾いた炸裂音とともに、加古川は文字通りピタリとその場で身体を静止させた。

先程まで¢に近づくまでの時間でも長く感じたのに、それを上回る程の、永遠に感じられる長い一瞬が始まった。



加古川の眼前からは、色という色が全て消えていた。

暗い森も。目の前の暗殺者も。背後の火災も。

全て遠くに置き去りにしたように、まるで加古川の意識だけ急速に遠く飛ばされたように。

網膜には、今やフラッシュで視界が霞む時よりも眩く、全面を覆い尽くす白い光しか映していなかった。


同時に、状況把握のために必死に動かしていた頭の中は、眠りに落ちる直前のように空っぽになっていることを実感していった。

なぜ、自分が今ここにいるのか。
直前まで何故こんなにも焦っていたのか、手が震えていたのか。
血まみれになり垂れ下がった左手を見ても、まるで思い出せない。

そして自らの身体が、足が、手の先までも。
まるで身体の中にセメントでも流し込まれたかのように急速に感覚を失っていった。

自身の身体はなぜかガラスのように透き通っており、手先や足先から白いセメントのようなものが流れ込んでくるのが見えた。


しかしそれもほんの瞬間の出来事で。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

302 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その11:2020/10/04(日) 22:43:37.443 ID:m5ISCwiAo
身体の血管という血管に流れていたセメントはどす黒く染まり、一瞬で自身の身体は黒く染められた。
墨汁は身体のあちこちで逆流し、手先や毛穴までも全て漆黒に染められてしまった。

自らの身体に次々と降りかかる異変に理解は追いつけず、咄嗟の防衛本能として加古川は口を開き叫ぼうとした。


しかし、その魂の叫びさえも、神経系のさらなる“上位指令”により阻害された。














それは嗚咽。







303 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その13:2020/10/04(日) 22:44:07.294 ID:m5ISCwiAo
込み上げる吐き気。



悪寒、そして慟哭。




それらは全て加古川の口から、どす黒い吐血という形で現れた。









それは、紛れもない“死”の予兆だった。






304 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その13:2020/10/04(日) 22:45:31.240 ID:m5ISCwiAo
ようやく意識を現実に戻した加古川は残った僅かな理性で状況を確認した。

自らの腹を、¢の利き腕ではない“左手”に構えられた二丁目の銃口が正確に貫いていた。

恐らくポケットに忍ばせていたのだろう。敢えて目線を戻さず加古川を自身の側に引きつけてもう一方の銃で仕留めたのだ。
加古川は狩られる側になりようやく自覚した。
やはり、彼にとってこれは全て“狩り”の一環だった。

加古川はメガホンを構えたまま¢の数cm前という距離で、二度目の吐血とともに前のめりに倒れ伏した。

加古川「二丁…拳銃…そうか…すっかり…忘れていた…あんたが二丁使いの、名手だということを…」

完敗だった。
意識を反らし相手の隙をついたとばかり思っていたが、歴戦のエースは全てを見越し二丁目の銃を隠し持っていたのだ。

¢「良いアイデアだったけど、ぼくには効かないんよ」

頭上から¢の言葉が投げかけられる。
もはや、悔しいという感情すら湧く余裕はなかった。
地面と接した横顔に伝ってくる暖かい水が、実は自らの血だということを加古川は倒れて暫くしてからようやく気がついた。


305 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その14:2020/10/04(日) 22:46:19.264 ID:m5ISCwiAo
血とはここまで温かいものなのか。

後悔はしないつもりだった。
だが、この惨めな自分の姿を少しでも俯瞰して考えようものなら、愛する家族に申し訳がたたない。
思わず懺悔の言葉を口にしようと思ったが、まるで目の前の¢に対し媚びているようにも受け取られかねないので、幾ら瀕死でも加古川の内に秘めたプライドがそれを拒んだ。


しかし。
薄れゆく意識の中で、加古川はふとまだ突破されていないであろう“仕掛け”を思い出した。
思わず痛みを忘れ、瀕死の中で加古川はクツクツと笑った。

¢「…なにがおかしいんよ?」

息も絶え絶えの加古川に近づき、¢は不思議そうに首をかしげた。

加古川「いやね…戦いは確かに…負けたが、…“出し抜いた”。そう思ってなッ…」

最後の言葉は、小声で¢にも届いていなかったかもしれない。

もう声を出すだけでも精一杯だ。
だが、加古川は笑って、笑って、笑い続けた。

まるで残りの生命の輝きを全てそこに充てるように、彼は最後まで自分の生き方を貫こうとした。
¢はそんな彼をじっと傍で見つめていた。

そして、一通り笑った後に、ふと意識のゆらぎを感じた。


306 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その15:2020/10/04(日) 22:46:46.107 ID:m5ISCwiAo
“死”とはどのような実感なのだろう。

現世に置いていく妻子が気がかりではある。
しかし、目の前の謎を見つけてしまったからには解き明かさない限り夜も満足に眠れない。



いま、探究家・加古川にとっては自らの死さえも解明の対象になった。



意識を手放す間際、重くなった瞼の外側で一筋の光が発せられたのを加古川は薄っすらと感じた。

加古川「これが…死か?…存外…明るい…もの…だな…」


そこで、加古川は意識を失った。


307 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その16:2020/10/04(日) 22:47:36.774 ID:m5ISCwiAo
彼が最後に見た光は何も常世の世界からのものではなく、¢が加古川に施した治癒魔法の光だった。

¢「加古川さん、貴方を死なせはしない。“あの人”の命令だからなッ。
ただ、貴方には体調不良の“病欠”という形で一線を退いてもらうッ」

気を失った加古川の空いた腹部に、懸命に治癒魔法をかけ続ける。
止血をしなければ本当に生命を落としてしまう大傷だ。
致命傷を避けようとわざと急所は外して撃ったはずだったが、加古川がかえって熟練の兵士で避けようとしたことで意図せず致命傷になってしまったのだ。

鉛の新兵「ぐッ、すみません¢様。お手数をおかけして…」

グリコーゲン「こんな筈では…」

¢の下に、起き上がった二人が慌ただしく現れた。
治癒魔法をかけたまま、¢はキッとした目で二人を睨んだ。

¢「鉛の新兵さん。貴方はすぐに教団指定の病院の手配ッ!

それと他の者に連絡し、すぐにチョ湖の加古川さん宅を燃やしておくよう指示するんよッ!

そして、グリコーゲンさんはすぐにこの山火事を消すんだッ!はやくするんよッ!」

¢の強い口調にまだ傷も癒えない二人は震え、何度も頷きながらすぐに走り去っていった。


308 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その17:2020/10/04(日) 22:51:35.959 ID:m5ISCwiAo
¢「終わったんよ…これでとりあえず死ぬことはないだろう」

治癒魔法をかけ終え、疲れからか¢はその場に座り込んだ。
加古川の顔を覗き見てみると、心なしか笑みを浮かべているように見えた。
何か満足したような、やりきったような笑みだ。

次いで顔のローブを脱ぎ、¢は上空を眺めた。
山火事でポッカリと空いた夜空は、上空に浮かぶ星々が一望できた。

¢「“あの人”に終わったことを報告しないとな。
これ以上、この計画を遅延させるわけにはいかない」


―― 加古川『いやね…戦いは確かに…負けたが、…“出し抜いた”』


最後の加古川の言葉が少し引っかかったものの、¢は事後処理に当たるためにすぐにその場を立ち去ったのだった。


その後、チョ湖付近の加古川邸は証拠隠滅のため、火の不始末という理由で焼き払われた。

同時に、加古川本人は過労と火事による心労が祟り突然倒れたということになり、¢の息のかかった専用の病棟で長期入院という手立てが取られた。



こうして、全てが闇に葬り去られた。





309 名前:Episode:“赤の兵(つわもの)” 加古川  真の探求編その18:2020/10/04(日) 22:54:00.479 ID:m5ISCwiAo
さて、加古川邸が教団員によって焼き払われる丁度数刻前。

彼の書斎机にて描かれた魔法陣から、とある魔法が起動した。

それは術者の身に危険が迫ると自動で発動するもので、加古川程の術者だからこそ起動できる高位魔法術だった。

魔法陣の中心に置かれていた“もう一枚”の告発文書は、生を受けたかのように独りでに起き上がると、自ら勝手に折り目をつけ紙ひこうきへと姿形を変えた。
そして、わざと開け放たれていた窓の隙間から飛び出すと、先程と同じ様に推進力を経てふわふわと闇夜に消えていった。

加古川は自らの危険を予見し、二重の策を取っていた。
この“告発書”が果たして誰の手に届いたのか、そもそも無事、誰かの手に委ねられたのか確認する術は今となってはない。



しかし歴史は紡がれていく。

一見、第三者から見ると“トンデモナイ事実”が書かれたインチキ告発文も、見る者によっては強力な武器へと変わる。






その結果を、誰もまだ知らない。





(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

310 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/10/04(日) 22:54:38.350 ID:m5ISCwiAo
加古川さん章おわり!次回から、みんな大好き791さん章のスタートですよお楽しみに

311 名前:たけのこ軍:2020/10/04(日) 22:55:21.310 ID:5RIE3OKQ0
結末がRoute:Aちっくで面白いです

312 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/10/10(土) 09:01:27.121 ID:TukoEIz6o
それでは皆大好き791さん章のスタートです。

313 名前:Episode:“魔術師” 791:2020/10/10(土) 09:03:09.863 ID:TukoEIz6o




・Keyword
魔術師(まじゅつし):
1 不思議な術を使う者。魔法に携わる人。
2 純粋無垢な人間で策謀家。且つ強欲。






314 名前:Episode:“魔術師” 791:2020/10/10(土) 09:03:59.404 ID:TukoEIz6o





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きのたけカスケード 〜裁きの霊虎<ゴーストタイガー>〜
Episode. “魔術師”

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315 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その1:2020/10/10(土) 09:06:00.433 ID:TukoEIz6o




カキシード公国。



“霧の大国”と呼ばれるこの国は、大陸の西部に広大な領土を構える大国である。

世界地図で見れば実に用紙の八割以上を占める中央大陸には、合わせて九つの国家と一つの自治区域がひしめいている。
各々は絶妙に均衡を保ち合っているが、その内同じく大陸西部で公国に隣接しているネギ首長国とミルキー首長国は事実上、公国に従属している。
つまり九大国家のうち、自らを含め三国を手中に収めている公国は軍事力と領土の広さだけで見れば、世界の覇権を握るに十分な力を有している。

事実、過去の世界史を読み解けば、歴史の中で何度か公国は大陸の統一寸前まで達したことがある。
しかし、その度に運命の悪戯か、ひょんなことから公国は大陸制覇という覇道を逃し続けた。
その度に各地で暴動が起き、皮肉にも公国以外の国家が次々と樹立する切欠を与えることになった。


316 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その2:2020/10/10(土) 09:07:24.541 ID:TukoEIz6o
そして、ある時を境にカキシード公国は他国との交易を含む関わりの一切を断ち、歴史の秘匿を始めた。
完全な鎖国である。

その理由は今になっても分からない。
だが、過去の歴史から見て、統一戦争は全て失敗に終わり挙句の果てに自身の領土は縮小し、もしかしたら国としても諸外国と関わることに嫌気がさしたのかもしれない。
次第に国家の首脳陣が額を合わせ話し合う世界会議にも姿を表すことは無くなり、国境の検問は完全に封鎖された。
歴史家からは “実態の見えない霧のような国”だと揶揄された。

今になり幾分か規制は緩和されたが、未だこの国には秘密が多い。
そもそもカキシード公国という大国が創り上げられたのは数百年以上も前の話で、過去の戦乱を経て幾つもの小国を吸収し今の大国を作り上げた。
その創世記からは、『ライス家』という貴族が深く関与している。

当時、地方貴族にすぎなかったライス家の初代当主モチ=ライス伯爵は、自らの資産を叩いて武器を仕入れ、周辺住民を焚き付け地域一帯を瞬時に制圧した。
彼は扇動家として他人の心に火を付けることに長けた人物だった。
そして、その指導力により瞬く間に領土は拡大しカキシード公国の成立と繁栄へ繋がっていったのである。

以来、今に至るまで代々この大国家はライス家が変わらず支配統治を続けている。

なにも特段ライス家の統治力が素晴らしかったからではない。
元々の領土内で大きな反乱も起きず、一貴族が大国を支配している現構造に変革を唱える者がこれまで居なかったのは、偏に“歴史的慣習だから”と納得している国民の温和さや感受性に依るところが大きいのだ。


317 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その3:2020/10/10(土) 09:08:17.853 ID:TukoEIz6o
また、この国を語る上で外せない存在が【魔法使い】である。

ライス家とその関連した一部上流貴族は支配階級として位置し、その彼らを支えているのは多くの魔法使いだ。
地政学上、古来より公国の領土内には魔力の温床地が多く点在した。その温床地で生活を送る人々の多くは知らずのうちに魔法使いとしての素養を持ち、世に排出されてきた。
今日に至るまで、長きに渡りカキシード公国は魔法文明の祖として絶対的地位を築いているのである。

魔法文明に頼るこの国では魔法使いが日常生活のみならず国家単位で重用される。
魔法使いを魔道士として国家資格を与えているのは数多の国家の中でもカキシード公国だけである。
その中でも行政府である王宮付きの魔法使い、いわゆる“宮廷魔道士”の職に付くことは最上級のモデル職種とされ、地方に住む若者の多くは宮廷付きになるために日夜勉学に励んでいる。


318 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その4:2020/10/10(土) 09:12:05.419 ID:TukoEIz6o
公国の首都機能を持つ“公国宮廷”は大陸北西部の港湾付近に位置する大きな商工業都市の中にある。

海に面した港湾都市はどの国境とも面しておらず、戦乱を経ても街自体はのどかな雰囲気を数百年来の間維持し続けている。

昨今のチョコ革命からは遅れ気味で地方の都市としての風情は残り続けているものの、人々もガツガツとしておらず温和で、生活水準も決して低くない。
ある程度行き届いた生活をライス家が与え続けていることも国民に不満の目を向けさせない一つの策でもあった。

のどかな港町の工業地帯から少し足を進めると、すぐに“公国宮廷”へと続く巨大な石畳の階段が姿を表す。
地方から出てきた若者はこの宮廷へと続く石畳の階段を上りきることをいつも夢想する。憧れの宮廷魔道士となることを至上の憧れとしているのだ。

行政機関と中央政府のひしめきあう首府の別称であるこの宮廷はとても広大で、その広さは【会議所】本部に匹敵し、オレオ王国の王宮の広さを遥かに凌ぐ。
初めての来訪者であれば入って一分も経たずに迷ってしまうことだろう。

特に行政府毎に建物の異なる【会議所】と違い、公国宮廷の行政府の建物間は必ず何処かで連結しており、外から見ると巨大な宮殿となっている。
だがその実、絢爛豪華な見た目や中身に反し、実態は蛇のように入り組んだ構造をしていることから毎月必ず宮廷内で遭難者が出る始末だ。
今さら移転もできず、今日も公国宮廷は人々の羨望の的となりながら静かにそびえ立っているのである。


319 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その5:2020/10/10(土) 09:14:12.814 ID:TukoEIz6o
さて、その公国宮廷の中を奥へ奥へと進んでいくと、途端に開けた広大な庭園へ出る。

何千人と人を揃え集会ができるほどの広さを持つ名園には、季節の花々が規則正しく咲き誇り庭園内を綺麗に彩っている。
合間を縫うように敷かれた石畳の遊歩道には何人かの若き魔法使いたちが談笑に花を咲かせながら歩いている。
澄んだ青空からの日光に庭園は光り輝き、そこには生命が芽吹いていた。

791「今日もお日様に当たって花が綺麗だね」

会議所兵士であり公国出身の人間でもあるたけのこ軍兵士 791(なくい)は、庭園に面したガラス張りの建物からそんな外の様子を眺めていた。
紫紺(しこん)色のローブを羽織っている彼女は、目を細めながら自身専用のロッキングチェアを一度揺らす。
すると、あわせてセミロング気味のワンカールした清潔感ある黒髪もふわりと楽しげに揺れた。


320 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その6:2020/10/10(土) 09:16:10.517 ID:TukoEIz6o
791の居る植物園のようなガラスドーム場の造りのこの建物は、【魔術師の間】と呼ばれる立派な執務室である。
一面が全て透過性の高いガラスで覆われており、部屋に入った者は一見すると外にいるのか室内にいるのか混乱するほどの錯覚と開放感を与えている。
室内は下手な図書館のフロアホールよりも広いが、部屋の中心にはちょこんと執務用の机が置かれ、そこに791が座っているのみである。
その背後には観葉植物が幾多も置かれ、がらんとした室内により温かみを与えている。

791「あれ。メロンソーダが無くなっちゃったな」

机の端に置かれていたグラスを手に持つと、先程まで鮮やかな翠の光を放っていた中身はすっからかんになっていた。

「すぐにお代わりを持ってまいりますッ!」

791の声をきくと、部屋の端で控えていたメイド姿の少女がすぐに走ってきた。

791「ああ、ありがとう。でも違うものを貰おうかな?“チョコドリンク”を持ってきてくれる?」

すると、彼女の弟子であるメイドはすぐに顔を曇らせた。

「あいにくと…いまチョコを切らしていまして…」

申し訳無さそうに語る彼女に対し、791は考え込むように暫し無言になったが、すぐに笑顔になった。

791「そうだったねッ!忘れていたよ。でも安心して、“もうすぐ心配なくなるよ”。
それじゃあもう一杯メロンソーダをお願いできるかな?」

791の返事を聞いた彼女はぱあと顔を明るくすると、すぐに踵を返し走り去っていった。

パタパタと走り去る彼女を一瞥し、視線を再び庭園に戻す。
空は快晴で、木漏れ陽の差すお昼時を少し過ぎた頃。

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321 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その7:2020/10/10(土) 09:17:24.165 ID:TukoEIz6o
「791様」

彼女の背後で、先程とは違う弟子の囁く声が聴こえてきた。
先の者とは打ってかわり感情を押し殺したような低い声。顔を向けるまでもない。

愛弟子のNo.11(いれぶん)が戻ってきたのだ。

791「ご苦労さま。みんな戻ってきた?」

No.11「はい。すでに会議場に集まっています。いかがしますか?」

彼女は姿勢良く791の前に立った。
薄い緑髪を耳よりもやや高い位置で後ろにまとめあげ、爽やかなハツラツさがある。
表情を消していても分かる端正な顔立ちと宝石のように澄んだ瞳は、見ていると思わず引き込まれそうになるほど綺麗で791はいつもドキドキしてしまう。

791「すぐに行くよ」

肘掛けに手をあて、“よいしょ”と声を出し立ち上がる。

No.11が手を差し伸べようとするが、791は手で制した。
今日はそれ程身体の調子も悪くない。

視線を室内に向けると数百人は雄に入るであろう広い室内には、791とNo.11を除いて、壁沿いに彼女の弟子数人しかいない。


322 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その8:2020/10/10(土) 09:18:34.724 ID:TukoEIz6o
No.11「今日は歩いていくのですか?」

791「転移ポータルまではね。今日は、調子がいいから」

その言葉を聞き、No.11は初めて柔和な笑みを浮かべた。
彼女は791の右腕として申し分ない才女だ。気遣いもでき世話周りも卒なくこなす。
羽織っているベージュ一色のローブが、傍目から見ると整体師風の格好に見えてしまうこともあるのがたまに傷だが、それも個性があっていいだろう。

宮廷会議場までの転移ポータルは部屋の入り口に設置されており、791の居た場所から入り口までは、短距離走が開けそうな程の距離があった。
いつもであれば、椅子に座ったまま魔法で移動してしまうのだが今日は気分がいい。
それに、たまには自分の足で動かないと足のついた身体も損になるというものだ。

「いってらっしゃいませ、791先生ッ!」
「お帰りをお待ちしています、先生ッ!」

791「ありがとう。行ってくるよッ!」

数人の弟子が嬉しそうに頭を下げ見送る姿を見て、思わず791は顔をほころばせた。

教育者としてこの国の育成期間に携わり幾ばくかの時が経つ。
最初は苦労もしたが、今では彼女の下に何十人、何百人という弟子が慕い集まってくれている。
彼らの笑顔を見るだけで幸せだった。儚い生命ながら、ここまで生きてきた甲斐があったというものだ。

数分かけて791とNo.11の二人は雑談も交えながらようやく入り口に到着した。
地に描かれている魔法陣の上に二人は立ち、791は手に持っていた、ネギをかたどった杖をトンと一度叩いた。

すると、二人は瞬時に身体を光の玉に変化させ宮廷内の遥か遠くに位置する会議場へと高速移動を始めた。
宮廷内の移動はこうした転移ポータルが欠かせない。無ければ恐らく誰も辿り着くことは出来ないだろう。


323 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その9:2020/10/10(土) 09:19:24.459 ID:TukoEIz6o
No.11「今日は一段と機嫌が良さそうですね?」

転移ポータルでの移動の最中、791の顔を覗き込んだNo.11は再度顔をほころばせた。

791「ふふ。昔ね、私のお師匠さんが言ってたんだ。

『魔術の血を絶やしてはいけない』って。

まだその継承はできていないけど、私の下にはこんなにも多くの仲間ができたんだなあって。
さっきのことを思い出したら、なんだかジーンときちゃって」

No.11「貴方は素晴らしいお人で、素敵な教育者でもあります。
継承の件はお気になさらず。まだ“彼”がいますので」

791「それに貴方もね、No.11?」

茶目っ気を持って微笑み返すと、ちょうど転移魔法は会議場の入口の前で停止したところだった。


324 名前:Episode:“魔術師” 791 公国の日常編その10:2020/10/10(土) 09:20:21.010 ID:TukoEIz6o
二人の肉体がポータルの上に現れ、何事もなかったように791は議場に向かい歩き始めた。

No.11「ではいってらっしゃいませ、791様」

後ろから声がかけられる。

791「うん。終わったらいつものお茶菓子を用意しておいてね」

そう告げ歩き始めた直後、“あっ、そうだ”と忘れ物を見つけた時のように声を上げた791は勢いよく振り返った。

791「さっきの子に伝えておいてッ。『メロンソーダ、飲めずにごめん』って」

一瞬目を丸くしたNo.11はすぐに優しく微笑み、そして洗練されたメイドのように頭を下げ自らの師を見送った。


325 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/10/10(土) 09:20:48.227 ID:TukoEIz6o
ほのぼのパートはじまるよ〜

326 名前:たけのこ軍:2020/10/10(土) 14:39:57.466 ID:UGEA0.t.0
ここからどう動くやら

327 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その1:2020/10/18(日) 22:11:01.291 ID:EAWgCpEco
【カキシード公国 宮廷 会議場】

791が扉を開け放ち議場へ入ると、帰還したばかりの公国使節団の全員が起立し、彼女の到着を待っていた。

室内は演奏会を開ける程の開けたホールになっており、ホールの中央には壇上が広がる代わりに、奥にちょこんとひな壇が設けられている。
その上には、目を引くような赤色の椅子が一脚だけ置かれている。

791はその椅子へ続く中央通路をゆっくり歩き始めると、左右から慣れない直立姿勢に焦れた貴族たちの吐息音が耳に届いてきた。
このような時は自らの身体の弱さを呪う。
すぐにでも走り去りたい気分だが、一歩一歩ゆっくりとした歩調で進むことしか出来ず、醜く守銭奴な特権階級たちの傍で同じ空気を吸わなければいけないのは酷く下劣で退屈だ。

数分かけて791はひな壇を上がり、赤色の椅子の前に立った。
演奏が終わり客の顔色を眺める指揮者のように、使節団の端から端まで視線を這わせ全員の顔を一瞥する。

彼女の眼前には何百もの客席の代わりに、無機質な焦げ茶色の長机と幾多の席が円形状に何列も並んでいた。
席の前で立っている人間もどれも歳のいった老人たちだ。そして皆一様に791を見て不安がった顔をしている。
とてもこれはまるでコンサート後のスタンディングオベーションだ、とは口が裂けても言えないだろう。


328 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その2:2020/10/18(日) 22:12:19.310 ID:EAWgCpEco
791「“あの子”は?」

全員を一瞥し終え口にした素朴な質問だったが、目の前の貴族たちには詰問するような口調に聞こえたのだろう。
彼らは途端に顔を青ざめ、さあどう答えようか、誰が答えるのかといった醜い逡巡を始めた。

カメ=ライス公爵「は、はッ!此処に戻り次第、既に“いつもの場所”に戻してありますッ」

その中で最前列中央にいた公爵は上ずった声で答え、せめてもの公国元首としての矜持を保った。
791は暫く無言でその慌てる様子を眺めていたが。

791「そう。それならよかったッ」

満面の笑みを浮かべながら791は先に一人だけ用意された椅子に着席した。
安心したように使節団の連中も着席した。

彼らと彼女の間には階級を超えた、絶対的な上下関係が存在した。
中央に陣取る791と彼女を持ち上げる貴族たち。構図だけ見れば教鞭をとる教師と生徒といったところだが、そこまで生易しいものではない。

草原でライオンにばったりと出会ってしまったヌーが足をすくませてしまうように、彼らにとって“宮廷魔術師”791との出会いは今まで周りの人間を下々の民と見下ろしていた人生観をガラリと変えるものだった。
彼女の言葉は絶対であり疑う余地もない程に貴族たちは怯え、彼女にヘコヘコと頭を下げ言い慣れない世辞で讃えた。

顔を少し傾けながら、肘掛けにつけた腕から伸びた掌を顎の上に載せる優雅な彼女の姿は、さながら玉座に座る為政者を想起させた。


329 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その3:2020/10/18(日) 22:14:35.489 ID:EAWgCpEco
791「それで。“どうだった”?」

「は、はい。協議の場において【要求書】を提出し、五日間の期限を設けました」

禿げ頭の大臣が立ち上がり、気弱そうな面持ちで答えた。

791「そうなんだ。連中は何か言ってた?」

791は脇机の上に置かれていたマグカップの中身を覗きこんだ。
黒く濁った液体の表面が反射し自分の顔が映っている。

「いえ。突然の展開に慌てふためくばかりでした。【会議所】側からも特段発言はありませんでした――」

これは嫌いなコーヒーだ。マグカップの横には色鮮やかなグミが積まれた皿が並んでいる。

「ああ、しかし。斑虎という者だけがこちらに食ってかかっていましたね。しかし、あの怒り様と喚き散らしは正に滑稽で――」

791「ちょっと。斑虎さんは私の会議所の大事な仲間なんだけど、いま馬鹿にしたかな?」

瞬時に顔を上げ、眉をひそめる。同時に場が一気に凍りついた。

791の睨みに、説明していた大臣は心臓を鷲掴みされたように顔を固まらせた。

「い、いえ。そ、そのようなことはッ!つい喩えで――」

791「前にも言ったよね?斑虎さんを舐めると痛い目を見るよって。
彼は会議所の時こそ無名だったけど、ここ最近の報道で名前が出始めているくらい有能な兵士だよ」

「はい、申し訳ございませんでした」
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330 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その4:2020/10/18(日) 22:16:08.591 ID:EAWgCpEco
791「まあ、いいや。それで、事は全て【予定通り】なんだね?」

手に取ったグミをしげしげと眺めながら、791はポツリとつぶやいた。

カメ=ライス公爵「はい。その点は抜かりありません。
彼奴らには反論の機会を与えず会議所を出て参りました。予定通り、五日後に作戦行動を開始できるよう全軍に通達も出しています――」




―― 全て“791様の計画通り”、オレオ王国侵攻作戦の準備は順調に進んでおります。




その言葉を聞くと、一瞬の沈黙の後、この場の支配者は満足そうに一度だけ頷いた。

791「うん。それはよかった」

「各国への“圧力”も抜かりありません。既にこの協議の内容を受け、賢い幾つかの国は我が国側に付くとの連絡も受けています」

791「もう結果は目に見えているからね。そこは引き続き外務大臣におまかせしちゃっていいのかな?」

「はい、勿論でございます」

髭を蓄えた大臣は深く一礼した。

【会議所】で開かれた公国と王国間の協議は、“予定通り” 決裂した。
戦力の無い弱小国は、“正義”の無い公国の主張に対しても支持することを決めたようだ。
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331 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その5:2020/10/18(日) 22:18:40.606 ID:EAWgCpEco
791「五日後までに彼の国が何らかのアクションを起こしてくる可能性は?」

「オレオ王国のナビス国王は平和主義者で有名です。それこそ、この窮地に考えを改めることはあってもこの短期間では間に合いますまい」

791「それじゃあ五日後には手筈を整えてカカオ産地へ攻め込むよう準備万端にしておかないとね。その辺りは軍務大臣に一任すればいいんだよね?」

「はッ!勿論です」

外務大臣の隣りにいた国務大臣も立ち上がり答えた。

その返事に791も一度頷き、ローブのポケットから懐中時計を取り出した。
そろそろ“授業”の終わる時間だ。

791「じゃあ後はしっかりとね。あとで話し合いの結果をまとめて私まで送ってね」

791が立ち上がると、慌てて全員も立ち上がった。

カメ=ライス公爵「いずこへ?」

791「魔法学校の生徒さんの見送りの時間なんだ。それに“あの子”にも会ってくる。後は頼んだよ」

目的は達したし早くこの淀んだ空気から抜け出したいというのが本音だ。
先程のNo.11とは程遠い、たどたどしいお辞儀を行う重鎮を尻目に791は会議場を後にした。
扉を開き先程の転移ポータルに立つと、再びポータルは光りだした。

791「入り口の前まで頼むよ」

転移ポータルは望めば他のポータルのある場所まで制限なく自由に移動できる。
791の身体は光り始め、歩けば半日はかかるだろう宮廷の入り口まで移動し始めた。


332 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その6:2020/10/18(日) 22:22:38.089 ID:EAWgCpEco
【カキシード公国 宮廷 大広間】

宮廷前の石畳の階段を上りきると、玄関口たる宮廷の大広間が人々を出迎える。
金銀をあしらった壁の装飾と薔薇のように高貴な真紅のカーペットにまず庶民の目は奪われ、天井には魔法のシャンデリアが魔法の力でひとりでに浮き沈みそんな人々を明るく照らし続けている。
さらに、魔法使い特有のローブを羽織った多くの宮廷魔道士が忙しなく歩き回り、正に国のために働かんという姿勢を知らずのうちに見せている。

庶民にとっては憧れの的であり、宮廷付きとして働く姿は地方から子を送り出す全ての親の悲願でもある。
この大広間そのものが観光地化しているのもその現れだろう。

791は大広間の奥に用意された転移ポータルで、議場から飛んできた。
すると、丁度授業が終わったのか大広間の前には多くの少年少女と、彼らを出迎える両親でごった返していた。
791が開いている魔法学校の生徒たちだ。
宮廷内にある校舎で丁度今日の授業が終わり、下校の時間となったのだ。
校長の791はわざわざ見送りのために会議を抜け出し、大広間まで来たのである。

ドン、という衝撃とともに彼女の膝に少しの衝撃があった。
顔を下げると、膝にローブの上からコアラのように抱きついている一人の少年がいた。
お気に入りのユーカリの木を見つけたように、両手で彼女の膝を抱えたまま離れようとしない。

791「こんにちは」

791が声をかけると、少年はそこで初めて顔を上げ彼女の顔を見て笑顔になった。

「あッ、【魔法使い】の791先生だ〜!こんにちは〜、最近は授業に来てないけど元気だった?」

791「ごめんね。最近、ちょっと体調が良くなくてね」


333 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その7:2020/10/18(日) 22:25:54.226 ID:EAWgCpEco
すると、母親とおぼしき女性が急いで近寄ってきた。

「こ、こらッ!失礼なことを言わないのッ!先生は【魔術師】でしょッ!すみません、791様。よく言い聞かせておきますので…」

母親の言葉に791は微笑みながら首を振ると、膝を折り、膝から離れた目の前の小さな魔法使いと目線を合わせた。

791「坊や。
君は【魔法使い】と【魔術師】の違いを知ってる?」

生徒はキョトンとした顔で首をぶるんぶるんと横に振った。ふふっと口元を緩めて791は微笑んだ。

791「魔法使いは、魔法を唱えることができる人。

魔術師は、その魔法を“創り出す”人なんだよ」

「へぇ〜。それじゃあ、“まじゅつし”のほうが偉いんだねッ!ぼくもなりたいなッ!なれるかなッ?」

791「ふふッ。きっとなれるよ」

途端に少年は笑みを浮かべ“わーい”と声を出しながら、辺りを駆け回った。

「こらッ!先生の前で失礼な態度をとらないのッ!本当にすみません、791先生」

791「いえ。知らないことを怖がりもせずに聞く、とてもいいお子さんですね。
お迎えの時間に間に合ってよかった。気をつけて帰ってくださいね」

母親は何度も頭を下げ、生徒は嬉しそうに何度も手を振りながら帰っていった。
彼以外にも791の元に次々と生徒が集まってきた。今の時間帯は児童の下校時間帯なのでとりわけ元気が良い。
これがもう少し時間が経てば上級生の下校時間帯となりもう少し落ち着きが出てくる。
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334 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その8:2020/10/18(日) 22:27:37.057 ID:EAWgCpEco
【カキシード公国 宮廷 地下室】

先程までの華やかな大広間の様子とは打って変わり、二度目の転移の末に辿り着いたこの部屋は劣悪の環境そのものだった。

壁に並べられた灯りの置き台の蝋燭は全て解けきり、台にこびりついた蝋を見るに長いこと手入れされていないことが伺える。
汚れた壁のタイルはことごとく剥がれ、灯りの無い通路は暗く底冷えするような寒さで、湿り気の高さからネズミが好んで住まう環境が整っている。

ここは正に、牢獄だった。

転移を終えた791は歩き始める前に胸に手を当て何度か深呼吸を繰り返した。
急な温度変化は身体に変調を来す恐れがある。寒さに身体が馴染むまでじっとしていなくてはいけない。
だから寧ろ暖を取らず寒さを和らげるために身を縮こまらせることもせず、791はただ口から入り込んだ外気が手足の先まで浸透するためにただ待ち続けた。

791「もう大丈夫かな…」

最後に一度だけ深呼吸をすると、魔法の力で爪先に火を点した。
ゆっくり歩き始めると狭い通路内には靴音がよく反響した。

暗闇の中を進んでいくと右手に鉄格子が見えてきた。罪人を囚えておくための牢獄だ。
そのどれもが空で、生気の無さを一層加速させる。
しかし、空の牢獄から進んで四個目。

791はそこに一人の若者が捕らえられていることを知っていた。


335 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その9:2020/10/18(日) 22:29:00.825 ID:EAWgCpEco
791「起きなさい、someone(のだれか)」

目当ての鉄格子の前に着くと、檻の中のうつ伏せになっている若者に声をかけた。

少しのうめき声を発しながらsomeoneは顔を上げ、こちらの爪先の明るさを嫌い途端に目を細めた。
使節団と一緒に【会議所】から帰還した後に無理やり此処に押し込まれたのだろう。
頬には少しの擦り傷で滲んだ血とススの汚れが混ざり合い黒ずんでいる。

彼はこちらを見ても自分から言葉を発しなかった。ただ一度だけ目を合わせるとうつ伏せにならず、顔だけを伏せた。

791「アイツラにやられたんだね、かわいそうに。ちょっと待っててね」

火を点していない指をぱちんと鳴らすと、someoneの身体はふわりと浮き上がり彼の周りを綿毛のように柔らかい泡が包み込んだ。
彼の身体や服の汚れは魔法の泡で洗い流され、彼の足元に移動した泡は檻の中で自らソファクッションへと姿を変えた。

791「綺麗になったね。本当に貴族どもは許せないよ。
でも、もう少しの辛抱だから待っていてね。もう少しで全てが片付くからね。
そのクッションは私からのプレゼントだから使ってね」

791はニッコリと笑い、檻越しに顔を伏せたままの愛弟子を同時に心配そうに見つめた。

someone「…貴方がッ」

791「ん?」

ワナワナと肩を震えさせる彼の言葉を聞き逃さんと、791は檻の方に顔を近づけた。



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336 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その10:2020/10/18(日) 22:31:26.807 ID:EAWgCpEco
【会議所】では普段感情を表に出すことはなかったsomeoneが、この時ばかりは親友の斑虎のように、目の前の恩師に向かい勢いよく怒りをぶつけた。

恩師たる“魔術師”791は彼の激昂を意にも介さず、小さい頃に魔法を教えてくれた時と同じようにニコリと笑った。

791「君は、私がこれまで育てた子の中で一番優秀だよ。その年で、もう【使い魔】も使役しているし、このままいけば間違いなく私の後を継げる」

“でもね”と、言葉を続けると、彼女の顔からは途端に生気が消えた。

someoneはこの顔を知っている。
よく貴族たちに見せている、彼女が“敵”だと認識した者に向ける顔だ。

791「君が悪いんだよ?

私に逆らおうとするから。

今は“オシオキ”の時なんだ。

君は優秀だから、生かされている。

こっちの方はNo.11が予定通り事を進めている。

だから、全てが終わるまでここで待っていてね――」


――そうしたら、また“お話”をしよう。


最後の言葉にsomeoneは肩をビクリと震わせた。


337 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その11:2020/10/18(日) 22:32:43.460 ID:EAWgCpEco
791の口ぶりは穏やかながら、内容には重みと凄みがある。

彼は目の前の師の“真の実力”を知っている。
本気を出せば、自分など数秒で存在ごと消し炭にされてしまうだろう。

それでも、【会議所】での生活や斑虎との出会いを経て、彼の心の中には譲れないものが芽生えつつあった。
意を決して、彼はキッと791を睨みつけた。

someone「…斑虎は、斑虎はどうなるんですかッ!」

791はそこで初めて目を丸くした。
自分の身よりも他人の事を気にする彼の言葉に、素直に驚いたのだ。

昔の彼はここまで感情を剥き出しにすることはなかった。

【会議所】に行き親友である斑虎と出会ってから、“魔法使い”someoneの運命は大きく変わったのだろう。
791は当初伝える予定だった言葉を飲み込み、彼の本音に答えるために笑顔を作り直した。

791「そうだね。

斑虎さんは私にとっても大切な仲間だよ。

オレオ王国侵攻の際に、兵士のみんなには彼を見つけたら可能な限り保護するように言っておくよ。

でも、激しく抵抗されたら、そうだね――」


―― その時はしかたがない、かな。


338 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その12:2020/10/18(日) 22:33:25.629 ID:EAWgCpEco
目の前のsomeoneは悔しそうに顔をクシャクシャにし、ローブの中に顔を埋めた。
彼の泣いている姿を見たのは、子供の時に周りの子から虐められていた時以来だ。

791「someone?」

優しい声色は、幼い頃にsomeoneが魔法学校でよく聞いた優しい791先生の声とまるで一緒だった。

今の状況を一瞬忘れ、思わず彼は再び顔を上げた。

膝を折って目線の高さを合わせていた恩師の顔が思いの外近くにあり思わず慄いた。
そんな様子にクスリと微笑み、火の点いた人差し指をくるくると回しながら、幼い頃にあやしていた時と同じように、791は優しく語り始めた。


339 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その13:2020/10/18(日) 22:35:47.269 ID:EAWgCpEco
791「教えたよね、someone?


【魔術師】は物事の全てに優先順位を付ける。

この世の中には優しさが溢れている。

君にとっての斑虎さんが正にそうだね。


でも君の師であり恩人は誰?
ここまで育て、魔法を教え、【会議所】にも行かせてあげたのは?





そう、私だよね。



だから、君の優先順位の一番上には、常に私が居るはずなんだ。



わかる?


今の君の行動は【魔術師】の考え方からは大きく逸脱しているんだよ?
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

340 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の日常編その14:2020/10/18(日) 22:36:21.028 ID:EAWgCpEco
someone「貴方の考え方はおかしい…それは強者の考え方だ」

必死に絞り出した自分の声は、震えが隠せていないのが丸わかりで惨めになった。
それでも791はそんな彼の様子をやはり意にも介さず、正解を答えた生徒を褒めるように顔をほころばせた。

791「そう。【魔術師】は何時だって強くなければいけない。よくわかったねsomeone」

“また来るよ”。
立ち上がり、くるりと踵を返した791は静かに鉄格子から離れていった。

絶望にさいなまれたsomeoneは再びローブの中に顔をうずめた。


341 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/10/18(日) 22:36:59.468 ID:EAWgCpEco
ほのぼのパート?そんなのねえよ!

342 名前:たけのこ軍:2020/10/19(月) 20:03:07.619 ID:lAYI73BY0
魔王様こわいんよ

343 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/10/24(土) 13:13:35.706 ID:WwT86jJso
今週はお休みでごわす。
そのかわりちょこっと用語設定を。

・魔道士 … 魔法使い、魔術師を含めた魔法に精通する術者の総称。

・魔法使い … 魔法を扱うことができる術者の総称。子供から老人まで幅広い年齢層まで存在する。
          決められた魔法を魔法陣、詠唱で唱えることができた時点で魔法使いである。
          特に魔法使いの中でランクはないものの日常魔法のみの使用までだと下級〜中級程度、実践魔法や既存の魔法をアレンジして新たな魔法を作ることができると中級〜上級程度の実力となる。
          作中だと加古川は中級〜上級の間に位置する魔法使いとなる。

・魔術師 … 全魔道士の中で上位1%にも満たない選ばれた術者。
         一から新たな魔法を“創る”実力があると魔術師の素質があるとみなされる。通常、既存魔法を元に亜種の魔法を作ることは出来ても、無から有を創リ出すことは並の魔法使いではできない。
         魔術師はそうしたオリジナルの魔法を創成する術を持っており、自分だけの秘技を有している場合が多いと言われる。

         魔術師になるための試験等は特になく、素質があると認められた際に自然と呼ばれ始める。魔法界のシンボルのような存在である。
         概念に近い存在ではあるが魔法史や歴史を塗り替えるような魔法を生み出したものが、魔術師として称賛と羨望を受けることになる。
         そのため、魔術師は総じて抜きん出た魔力を持っている者が多い。
         世界的に有名な魔術師はカキシード公国の“宮廷魔術師”791。


344 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その1:2020/11/02(月) 13:31:43.089 ID:hwYNJ6rwo
【カキシード公国 宮廷 魔術師の間】

someoneとの邂逅を終えガラスドームの部屋に戻ると、部屋の中心にぽつんと置かれていた執務机の上には彼女の好きなお茶菓子が並べられていた。

No.11「おかえりなさいませ、791様」

791「わあ。今日はネギせんべいかあ。さすがはNo.11、私の好みを把握しているねッ」

No.11「恐縮です」

No.11は主人の言葉に恭しく頭を下げた。その振る舞いはいつも通り一切の無駄はないが、心なしか発せられた声は少し弾んでいる。

791「かけなよ。お茶会にしよう」

手にしていた杖をトンと叩くと、No.11が座るための魔法のテーブルと椅子が地からヌルリと表れた。木目調のアンティークテーブルは術者である791の趣味だろう。
No.11は微笑を浮かべながら席に着いた。
同じく席に着いた791は並べられたお茶菓子の端に、並々と注がれたメロンソーダのグラスが置かれていることに気がついた。
さらにそのグラスの横にはメモが差し込まれており、“先程はメロンソーダ、間に合わなくてすみませんでしたッ!”と書かれている。

No.11「あの子が、お詫びにと」

791「そんなあ。別にいいのに、律儀でいい子じゃない。No.11の弟子だっけ?」

791の視線に気がついたのか、No.11も目尻を下げた。

時折、彼女はこうした顔を見せる。
魔術師である自身よりも一回りは年下のはずだが、時々弟子たちに見せる彼女の慈愛の目は、既に未来の希望を見守る教育者としての意味合いを含んでいるように見える。
沈着冷静な腹心がたまに見せるこうした一面は弟子の純粋な成長を実感でき、791自身も嬉しくなる。


345 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その2:2020/11/02(月) 13:33:17.303 ID:hwYNJ6rwo
No.11「あの子はまだまだです。私がもっと鍛えないと」

791「ふふふ。No.11の指導は厳しいで有名だからなあ。やり過ぎちゃダメだよ?」

そこで791は身体を一度ぶるりと震わせた。先程の地下室での寒さを身体がいまさら思い出したらしい。

No.11「お身体が冷えますか?暖かいお茶でもご用意しますか」

791「いやあ、そこまでは大丈夫。でも相変わらず地下室は寒かったからか思い出しちゃったのかもね」

No.11「そうですか。彼は元気にしていましたか?」

791「今日も元気に私に反抗してたよ。弟子の成長を見るのは嬉しいけど、じゃじゃ馬なのは困っちゃうなあ」

No.11「全くですね」

目の前に座るNo.11からは既に先程までの和やかな雰囲気は消え失せ、いまは冷徹な表情の仮面を被った仕事人の顔に戻っていた。
その冷徹さといえば、一度こちらが“貴族を懲らしめろ”と命ずれば疑問を抱かず、また自らの立場も顧みずに実行に移すことだろう。
ひたすら日夜研いで切っ先を鋭利にしたナイフのように、鋭くて危うい気が彼女には備わっている。
この気は鍛えて身につけられるものでもない、生まれ持ったものだろう。

791はふと、自ら教鞭をとっていた時代を思い返した。
思えば、幼少期から彼女は何事も寄せ付けない気を放っていたかもしれない。

ただ、本人は気づいていないかもしれないが、someoneの話をすると彼女は無条件でこのように心を閉ざしてしまう。

無理もない話だ。それだけの“理由”がある。


346 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その3:2020/11/02(月) 13:35:07.016 ID:hwYNJ6rwo
791「まあでもオレオ王国への工作は終わっているし、こちらの準備はほぼ整っている。
あの子の力がなくても最終的には問題ないよ」

No.11「仰るとおりです」

メロンソーダをストローで吸い上げた。

791「そういえば、“例のブツ”が届かなくなってどのくらいだっけ?」

話を変えながら、続いて目線を目の前のネギせんべいに向ける。
煎餅から発せられる焼けたネギの香ばしい匂いに思わず少しクラクラしてしまう。

身体の強くないこの身に、ネギは自らを支える原動力だ。
ネギが失った魔力を補充するという説を耳にしたことはないが、あながち嘘ではないはずだ。

なぜ、【会議所】にいる滝本が嫌いなのか想像がつかない。
そういえば、滝本の前の議長だった集計班も大のネギ嫌いだった。
二人には不思議な共通点があるな、と今さらながら791は思い至った。

No.11「先月、先方より唐突に打ち切りの通告を受けましたので、もう一ヶ月になりますね」

791「本当に¢さんも考えたものだね。
ケーキ教団を隠れ蓑にして武器を密造して、あまつさえ【大戦】の日に、定期的に船便で武器を送ってきてくれるなんてさ」

No.11「はっきり言って、常軌を逸しています」


347 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その4:2020/11/02(月) 13:36:11.830 ID:hwYNJ6rwo
791は最初に¢から提案があった日のことを思い出してみた。

彼はなんの前触れもなく単身、公国に乗り込んできた。
勿論、彼は“宮廷魔術師”791が既に公国を裏で支配しているとは、夢にも思わなかっただろう。

彼がおどおどとした様子で宮廷を訪れ、不審に思った受付係が尋ねるや否や、開口一番に告げた『国の最高権力者とお話したい』という無茶なお鉢は、すぐに“宮廷魔術師”の元に回ってきた。
何か良からぬ気を察知した791は代理でNo.11を出すことにした。そして彼女は彼をこの部屋に通し応対したのだ。

No.11「あの日のことを今でも覚えています。
あの人は到着早々、こちらがお出ししたネギティーに目もくれずに話を切り出したのです」




―― 『武器をご入用ではないですか?』




348 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その5:2020/11/02(月) 13:37:45.736 ID:hwYNJ6rwo
公国に訪れた¢は正に“武器商人”だった。
会議所自治区域で開かれている【大戦】で使用している公式の武器とは別に、独自に開発した武器を公国へ売り込みにきたのだ。

本来であれば鼻で笑い、突き返す話だろう。
しかし、突拍子もない話を無下にできない理由が公国側にも存在した。

その時点での公国は魔法文明の中興の祖であるという誇りと奢りが邪魔をし、オレオ王国が発端となったチョコ革命に乗り遅れ、産業移行が遅れていた。

気がつけば生活には魔法が必需となり、軍には魔法戦士が溢れ、他国が量産している防衛装備品の配備は遅々として進んでいなかったのである。
魔法戦士部隊は非常に強力ではあるが個々の育成に時間がかかることや、一度術者の魔法力が枯渇してしまえば途端に力を失い、銃器を持つ他軍からの驚異に晒されてしまう。

公国内では既に軍部改革が求められていたが、公国側が銃器を買い漁ることで周辺国から“カキシード公国は魔法を捨て野蛮な火器に頼った”という評価とともに、その支配力が低下することを何よりも恐れていたのだ。
結果として¢をすぐに追い返すという選択肢を、No.11は咄嗟に取れなかった。

とはいえ幾ら【会議所】の重鎮といえども、話を鵜呑みにすることは出来ない。
彼の語る話だけ聞いて今日のところは引き取ってもらおう。

何よりボロボロのローブを着込んだままの彼の姿は酷くみすぼらしい。
これでは何処かの童話に出てくるボロボロの魔女をあしらう傲慢な貴族、といった構図だが致し方ない。

そう思っていたNo.11だが。

―― 『ぼくたちは【大戦】での新兵器開発のために秘密裏に武器の開発を始めたけど、その過程で溢れた銃火器の処分に困っているんよ。
処分しようにもお金がかかる。輸出しようにも武器を始めとした防衛部品の正式取引は国家間でしか行うことができない。
だから、ぼくたちは秘密裏に買い取ってくれるところを探しているんよ』

当初話半分にきいていたNo.11も、目の前の武器商人の語る話に徐々に考えを改め始めた。
確かに、¢のいる会議所自治区域は、国ではなくあくまで独立自治区域だ。国家間の決めた枠組みの外にいるせいで、常に得も損もする。


349 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その6:2020/11/02(月) 13:39:01.103 ID:hwYNJ6rwo
――『この話は貴国に話したのが最初なんよ。
もしダメだったら信頼してくれるところに掛け合うしかない。
密輸の話が公になれば【会議所】は罰せられてしまう。だから限られたところにしかお話できないんよ』

彼の話には筋が通っているようにNo.11には感じられた。
何より語っているときの彼の姿は自信に満ち溢れ聞く者を錯覚させる力がある。

最初に彼を部屋に招いた時は、見慣れない場所におどおどとしながら、顔のフードを取ろうともしない。
そのような弱さが見えていた。

だが、席に着いた瞬間から彼は見違えるように生き生きとし始めた。
この交渉の席が彼にとっての戦場だと理解したのだろう。

戦闘狂。きのこ軍の大エース。【大戦】開発者。
No.11の目の前に座る彼にはさまざまな呼び名がある。
そのどれもが嘘ではない。

¢は間違いなく【会議所】を代表とする兵士の一人だ。
【大戦】で¢と相対したたけのこ軍兵士が受けるだろうものと同じ圧を、いまNo.11は肌で感じている。

ここにきて、No.11はこの話を前向きに考え始めた。
師の利に繋がると判断できれば、独自に判断して動けるところも791が彼女を重宝する理由だ。


350 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その7:2020/11/02(月) 13:40:26.727 ID:hwYNJ6rwo
唯一、不思議に思う部分があるとすれば、なぜ¢が公国を選んだか、だ。

彼らにとって公国は忌むべき存在ではないが、公国からの【大戦】の参加者は決して多くなく、さほど重要な国でもなかった筈である。

そう問うと、ローブにすっぽりと顔を包んでいた¢は、唯一フードから見えていた口元をニヤリとさせ笑ってみせた。

―― 『あなたは存外賢いんよ。
確かに、ぼくたちからするとカキシード公国との関係性はそこまで深いものではない。先程の言葉はおべっかだと思ってくれて構わないんよ』

その上で、公国を選んだのには二つ理由があると続けた。

―― 『一つは、791さんの存在。
あの人が【会議所】に加入されてから、非公式に自治区域と公国間で交流が生まれるようになったんよ。
あの人のひととなりの素晴らしさも知っているから、ぼくたちは公国に対して他国ほど遠慮する感情が薄らいでいる』

たとえ同席していなくても、他人からの師の評価は素直に嬉しい。
表面上は冷静を装いながら、No.11の心は仄かに暖かくなった。

―― 『二つ目は、公国自体の特性。
失礼ながら、貴国はいまもなお歴史の隠匿を続けている隠蔽体質主義だ。
他国は糾弾するかもしれないけど、それはぼくたちにとって“都合がいい”』

つまり、この問題を話しても公国側から外部に漏らす可能性は極力低いと踏んだのだろう。
どちらも理に適っている。


351 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その8:2020/11/02(月) 13:42:33.244 ID:hwYNJ6rwo
武器の調達経路や秘密裏に製造する手段、それに取引の見返りについて問い質すと、¢は再度ニヤリと笑い次のように答えた。

―― 『ここ半月以内に自治区域内に新たな信仰教団が設立されるんよ。


名前はケーキ教団。

明かしてしまえば、それは仮初の教団。

その本部内にぼくたちの新兵器製造拠点を造る。


調達経路は、そうだな。
チョ湖を使用するんよ。
夜半に船を行き来させ取引を行うんよ。ぼくたちは定期的に武器を開発しているから毎月、交易船でちょっとずつ武器を送るんよ。

見返り?
うーん、少量の金額で構わないんよ。
ぼくたちにとっては溢れた武器が捌ければそれでいいんよ。

ああ、でも少しの魔術書は貰いたいんよ。
うちの図書館長が蔵書に欲しがっている。


それを木箱の中に、角砂糖をカモフラージュとして送ってくれればそれでいい。
角砂糖であればケーキ教団がケーキの材料として欲しがっていると思わせられる。

是非、貴国のカメ=ライス公爵にこの話を伝え、前向きに検討してほしいんよ』


352 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その9:2020/11/02(月) 13:43:46.805 ID:hwYNJ6rwo
No.11「まさか交易日を、向こうの【大戦】日に指定してくるとは思いませんでしたけど」

煎餅を食べ終えた口元を拭きながら、No.11は当時の思い出を述懐した。

791「あの人はよく考えているね。
我々は【大戦】にあまり協力的ではないから動きやすいし、向こうは大多数の人間が【大戦】に目を向けられているから、自由に行動ができる」

ガラス越しに外を覗く。
庭園では魔法学校で授業の終わった何人かの子どもたちが、外に出てきていた。

No.11「喋り口は特有の訛りもあり、最初は何処の田舎モノかと思いましたが。
話はとても論理的でしたね」

791「¢さんは今の【大戦】のモデルを創り上げた人だからね。
集計班さん無き今、彼と参謀が会議所設立の根幹に関わっている人間だしね」

【会議所】には“きのこ三古参”と呼ばれる賢者がいた。

広報部門を取り仕切る参謀B’Z、運営を取り仕切る集計班、そして設計開発を取り仕切る¢の三人だ。
その内、二人はまだ存命だが集計班という人間はもうこの世にいない。
集計班の後釜に収まったのが滝本スヅンショタンなのだ。


353 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その10:2020/11/02(月) 13:45:34.244 ID:hwYNJ6rwo
No.11「やはり、この提案は“会議所の意志”と見て間違いないのでしょうか?」

791「そうだろうね。私は¢さんのことをよく知っている。
あの人は素晴らしい技術力を持っているけど、とても出不精なんだよ。
誰かにけしかけられない限り、こんな形で表舞台に出てくることはない」

三枚目のせんべいを頬張りながら再度考えた。

オレオ王国から見れば不幸にもこの提案が“宮廷魔術師” 791に、王国侵攻という予て秘めていた計画を進めさせる引き金にもなった。

個々に戦闘力が高い魔法戦士に銃火器が備われば、公国軍に隙はない。
元より抗戦力を持たないオレオ王国を制圧することは容易いが、戦後処理の際に他国から横槍を入れられるのが厄介なのだ。
その憂いも消すことができる。

こちらから見れば渡りに船だが、俯瞰して考えて見れば、こうした事態は【会議所】に踊らされているという見方もできる。

“武器商人”¢の裏には間違いなく【会議所】中枢の意志がある。
当時トップだった集計班はいなくなったが、その意志は確実に残っていると見ていい。

¢の語った武器の売り捌きという話も嘘ではないかもしれない。
だが、あまりの突拍子の無さとタイミングの良さが、791の猜疑心をより濃くさせた。

あれから【会議所】が新兵器を【大戦】に投入したという話は聞いていないし見てもいない。
しかし数年経った今でも、先月まで変わらず密造武器の供給は続けられていた。
何故だ。

No.11「与えた銃火器で我々はオレオ王国に侵攻しようとし、
それでいてナビス国王からの頼みには快諾し両国の仲介に入ろうとする…恐ろしい伏魔殿ですね、【会議所】は」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

354 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その11:2020/11/02(月) 13:47:24.682 ID:hwYNJ6rwo
791「先月から¢さんの武器供給は突如終わったよね。No.11はこの動きをどう見る?」

No.11「はい。いよいよ“その時”が来たかと」

791「恐らく、¢さんは公国がこの武器を王国侵攻に使うことを予期していた。
だから私たちが王国に“難癖”を付けるよりも前に、王国のことを思い武器供給を打ち切ったという見方もできる」

だが、その考えはとても甘い。
食後に出てくるモンブランのタルトより甘ちょろい。

791「だけど私はそう見ない。

恐らく、これは向こうからの“サイン”。

両国の緊張感が徐々に高まってきたいま武器供給を打ち切ることで、“いよいよ攻め込まなくてはいけない”という意識をこちらに根付かせるための言葉なき伝達。
非常にうまいやり方だ」

事実、公国は既に本日のオレオ王国との協議を打ち切り、武力行使の準備を終えている。
この推測が正しいとすれば、協議の失敗を何よりも望んでいたのは、実は他ならぬ【会議所】ではないのだろうか。
その理由はなぜか。


355 名前:Episode:“魔術師” 791 武器商人編その12:2020/11/02(月) 13:48:14.811 ID:hwYNJ6rwo
791「まあここまで来たからには考えても仕方がないか。五日後を楽しみにしておこうかな」

せんべいを食べ終えた791がぱちんと指を鳴らすと、自ら座る椅子はキャスターも付いていないのに、一人でに地面を這うように移動を始めた。
No.11もすぐに立ち上がった。

No.11「もうお休みですか?」

791「うん。少し動きすぎたからね。何かあれば起こしてくれていいよ」

その言葉にNo.11は頷くも、そう言いながら過去に一度も起こしに来たことはない。
小間使いよりも弁えている弟子の姿勢に涙が出そうになるも、堪えるように791はニコリと笑いかけその場を後にした。


356 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/11/02(月) 13:49:46.267 ID:hwYNJ6rwo
公国は王国に侵攻しようとする。そのアシストをしていたのはなんと会議所。
¢さんは武器商人もにあいますね。

357 名前:たけのこ軍:2020/11/02(月) 20:53:19.853 ID:zQlNnmUI0
会議所が暗躍する感じいいっすね

358 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その1:2020/11/08(日) 21:08:18.632 ID:JT93nRnIo
幼少期より791は病弱だった。
彼女の身体を蝕んでいる病名こそ判明していたものの、体力と精神力を奪う病は風土病とされ、当時の公国の医療技術ではまともな治療の手立てもなかった。

唯一の対処法は身体に過度な負担をかけないこと。
そのため、幼少期の頃は外に出ることさえ許されなかった。長く走ることも運動をすることもままならない。
匙を投げた医師たちの対処法は、幼少期の人間の真髄と尊厳を著しく欠いた対処法だった。

当然、友達などできる筈もなく彼女は一日の殆どを寝て過ごした。
日夜、枕を涙で濡らしながら彼女は、両親とたまに診察に来るだけの医師、それに枕元にある人形たちを友だちと見立て喋るしかなかった。

魔法学校の中等部に進む頃には病気も幾ばくか収まり、まともな歩行では問題ない程度に回復していた。
幼年期の成長史がすっぽり抜けてしまっている彼女にとって、初めての学校は孤独で不安一杯の始まりとなった。
既に幼年部で友達を作り終えていた大半は個別のグループでまとまり、孤立の中に独り残された彼女は周りから酷く浮いていたことだろう。

本人に多少の図々しさがあれば何人かの人間は彼女を認めたのかもしれないが、いきなり野に解き放たれた生まれたての小動物が獰猛な肉食獣たちを相手に大立ち回りをしろとは酷な話である。
グループから溢れた者たちもプライドだけは異様に高く、病気上がりの791と親しくすることは周りの目だけではなく本人自身も許せないことだった。

結局、791の学校生活は概ね順風満帆とはいえず、常に孤独に過ごすこととなった。


359 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その2:2020/11/08(日) 21:09:53.922 ID:JT93nRnIo
生来の魔法力の高さで学校では高成績を収めていた一方で、ここでも彼女は身体的な問題から周りから手放しに喜ばれはしなかった。
どんなに良い成績を取っても大人たちは口々にこう言った。

“素晴らしいが、惜しい”。“これで万全の身体だったら”。

二言目にはまるで彼女の評価を飾る修飾語のように薄弱さを惜しみ、その評価は勝手に最高ランクから一段引き下げられてしまうのだった。

何と歪んだ評価だろうか。
“あいつは外に出ずに本の虫だから、成績がいいのは当たり前だ”といわれのない妬みを受けたりもした。

791はあらゆる話から耳を塞ごうとした。
道端で何人かたむろしている集団を目にすれば、たとえ遠回りをしてでも誰にも会わないように怯えながら帰った。

学校でも授業以外は重い身体を引きずりながら教室の外に出て他者との関わりを極力絶った。
ただ、幾ら噂話を遮断しようとしても限界はあり、ひょんなことから漏れ出た話が彼女に伝わり、そして人一倍傷つけられた。

他人を気にするあまり、心がより繊細になっていることに、当時の彼女は気づいていなかったのだ。
思えば、いつもこの時は泣いてばかりだった気がする。

益々他者と触れ合うことをしなくなった791は、唯一の心の支えである魔法の研究に没頭した。
休み時間は図書室に籠もり、終わったら自室で覚えたての魔法を使う。
薄弱な彼女の心を支えていたのは他者よりも優れていた魔法一点だけだった。

それが今の“魔術師”を形成したのはやや皮肉な話ではあるが。


360 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その3:2020/11/08(日) 21:11:23.557 ID:JT93nRnIo
代わり映えのしない生活を791は辛抱強く、何年も続けた。
この頃になると成人に近づいていた彼女は自らの身の振り方に悩んでいた。

主席で卒業する彼女は、本来であれば大魔法学校へ進み、卒業後は宮廷付きの官僚となるエリートコースが確約されている。
しかし、ここでも彼女の薄弱さが邪魔をした。
大人たちや周りの級友たちは決して口にはしないまでも、彼女を見る目のどれもが一様に同じ心の内を語っていた。

“早く宮廷付きの夢を諦めてくれないか”、と。

身体的にリスクの高い彼女では、たとえ宮廷付きの道に進めたとしても激務の公国宮廷で働くことなどきっと叶わないだろう。
ならば、さっさとその儚い夢を砕き後塵にその道を譲ってくれないか。

ひしひしとそのような無言の圧を感じていた。


今ほど意志の強くなかった791は自らの夢である宮廷付きの道を邁進するべきか否か。
唯一の楽しみである魔法までも自分から奪うつもりなのか、と夜な夜なむせび泣いた。
陰湿な大人たちを、自分の身体を、そして世界を憎んだ。

しかしただ恨んでも事態が好転していないことも、聡い彼女は同時に自覚していた。


361 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その4:2020/11/08(日) 21:15:08.578 ID:JT93nRnIo
そんな彼女の人生に転機が訪れたのは、高等部の卒業を来年に控えた頃だった。

珍しく外の空気を吸うために中庭で本を読んでいた時、彼女の近くを通りかかったグループの話していたある噂話が彼女の耳に届いた。

―― 『聡明な【魔術師】が放浪の旅を終え此の地に戻ったらしい』

今思い返すと不思議なことだがその日の夕方、791は興味本位でその魔術師の家を訪れていた。
普段の彼女からは考えられない行動力だが、この頃は色々なことに悩み少しでも支えが欲しかったのかもしれない。
加えて、身近に憧れの【魔術師】が来たというのだ。興奮するなというのが無理な話だろう。

夕方、791は通常の三倍もの時間をかけて目的地に到着した。
噂されていた魔術師の家の前に立ち、その都度勘違いだろうとその家の周りを何周かしたが、周りには家屋もなく空き地や草むらが広がるだけで、
目の前のみすぼらしい母屋が目的地であることを間違いないと考えを改めるのに時間がかかったのだ。


魔術師という肩書きからは反し家のペンキは剥がれ、屋根が何枚か抜けていた。通常であれば廃屋だと素通りしてしまうところだろう。

てっきり華々しい豪邸を想像していただけに衝撃的だった。
ただ、柵を超えた中にあるこぢんまりとした庭園だけは芝が刈り取られており、きちんと手入れされていたのが印象的だった。

壊れかけの庭扉を開け、家の扉の前に立ち暫く観察と呼吸を整えるために立ち止まった。
横にある窓を覗こうとしてもくすんだ色のカーテンで覆われ家の中を覗き見ることはできなかった。

本当にこの家が、世間から手放しで評価され全魔法使いが憧れとする【魔術師】の住まいなのだろうか。
近づけば近づくほどにその疑念は大きくなっていた。

―― 違うに決まっている。ここは帰って真偽を再度確かめてから出直すべきではないか。

しかし、791はそのような甘い考えをすぐに振り払った。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

362 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その5:2020/11/08(日) 21:17:52.332 ID:JT93nRnIo
遂に意を決し791は家の戸を叩いた。

5秒。10秒。30秒。
耳を澄ませてみたが家内から何の音もしない。再度扉を叩いてみたものの反応は同じ。
やはりこの家ではなかったのだ。そもそも、【魔術師】などこの町には戻ってなどないのかもしれない。

791が諦め家を飛び出そうとしたちょうどその時。
不意にカチャリと扉が開け放たれた。

扉の前に立っていたのは、ボロボロのローブを着込んでいた老人だった。
フードで隠れた顔は伺いしれなかったが、老人だと分かったのはピンとした背中が首元でほんの少し丸まっていたことと、扉を手にした手の甲が皺だらけだったからだ。

みすぼらしい母屋にふさわしい貧相な身なりの人物だが、彼女にはこの人物こそが件の【魔術師】だと一目で分かった。
他の人間からは感じたことのない独特の“気”、そして皺の多さから相当な年齢のはずなのに凛とした佇まいは、魔道士の矜持を保ち続けようとする気高さを感じた。
思わず気圧され言葉を失っていた彼女に、フード越しに暫くその様子をじっと見つめていた彼は、ポツリと一言だけ発した。

―― 『何を望む?』

老いた【魔術師】は確かにそう訊いた。
その声はしゃがれているがしっかりとした口調だった。

いきなりそのような質問を訊かれると思っておらず、彼女は慌てた。
取り繕う暇もなく、気がつけば自らの思いを口走っていた。

―― 『魔法をッ。魔術を知りたいんですッ』

今にして思えば何と稚拙な回答だっただろう。
いま思い出しても恥ずかしい。

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363 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その6:2020/11/08(日) 21:20:47.730 ID:JT93nRnIo
元々、魔法力に高い素養のあった791は見る見る内に力を伸ばしていった。
魔術師の家にはたくさんの書物が溜め込まれていたから学校が終われば足繁く家に通い、休日は朝から晩までずっと入り浸った。

老いた【魔術師】は毎日のように訪れる彼女に対し、邪険に扱うでも特に挨拶をするでもなく接した。
特段無視されていたわけでもないので、いうなれば熟年夫婦のような阿吽の呼吸感で互いに過ごしていたのかもしれない。

ただ、791が散らかった部屋を掃除する時だけ、いつもはほとんどの出来事に反応しない彼はその身を縮こまらせ、部屋の端に椅子を引きじっと掃除が終わるのを待っていた。
邪魔にならないようにしていたのか、さもなくばここまで汚くしたことに対しての多少なりとも罪悪感を覚えていたのか。
今となっては分からないが、彼女も小言をいうような性格の人間でもなかったため二人の関係は非常に良好だった。

掃除が終わり居間に並べてある大量の書物棚から本を何冊か抜き取り日暮れまで読み込む。
同じテーブルに【魔術師】がいれば話しかけ、彼が自室で研究をしている時は一人で没頭した。それだけで十分な勉強になった。


無口な【魔術師】は多くを語ろうとはしなかった。
弟子を取ってもその癖は変わらず、791の質問に対しては最低限の内容で答える素っ気ないものだった。
老人特有の無愛嬌か、はたまた生来のものかは分からない。
だが、無愛想ながら言葉の節々に感じる彼なりの思いやりに、彼女は師の性格を段々と理解してきていた。


364 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その7:2020/11/08(日) 21:22:31.835 ID:JT93nRnIo
気がつけば何時からか彼女はその日、学校で起きた出来事をポツリポツリと語るようになった。

対面に座る師はただ黙って話を聞いていた。
頷くでも意見をするわけでもない。

彼女も返事が欲しいわけではなくただその場に居てもらい、話を聞いてほしいだけだった。
今思い返せば、恐らく話の大半は拙い内容だっただろう。
喋り方も話しぶりもわからず内容も、図書室で読んだ魔法書の内容や、帰り道にある商店のおじさんからオマケをしてもらったことなど特にオチも無いものばかり。
始めのうちは彼も聞いていて苦痛だったに違いない。

だが、頭に浮かんだものを自身の頭の中で変換して言語化するという行為は魔術にも通じるところがある。
今にして思えば、途中から“いかに相手に理解してもらえるか”という部分に着眼を置き頭の中で散らかった話を方程式のように整理し理路整然と話せるようになったのは、
彼女の対人スキルだけでなく今後の魔術師の能力の向上に一役買っていたに違いない。

第三者の目には、居間の椅子に腰掛けている人型の石造に一人の少女が身振り手振りを交え懸命に話をしようとしている、そのような滑稽な姿に映ったに違いない。
フードで隠れた師の表情は最後まで読み取ることこそできなかったが、いつからか彼は仕事場を居間に移し階上に上がることはなくなった。

嬉しかった。
人生の大半を自室で過ごしてきた彼女にとって、まともに話のできる相手など殆どいなかったのだ。
初めて話し相手を見つけ彼女は一人微笑んだ。


365 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その8:2020/11/08(日) 21:28:20.569 ID:JT93nRnIo
とはいえ、師はとにかく語るということをしなかった。
最初の問いかけ以降、二回目に彼の肉声を聞いたのは出会って一週間程度経ってからだ。

それも、彼女の魔法に関する問いかけに対し『違う』とだけ言うものだから、当時は嫌われているのではないかと酷く葛藤した。
しかし、彼女の落胆した様子を見かねたのか、次の日に訪れた時にテーブルの上に熱い茶が置かれているのを見て、ほんの少しの温もりを感じたのだ。

ここまで無口なのは、恐らく魔術の研究を極めれば話すことをせずとも相手の思考を理解できてしまうから、
極めた者にとって会話など煩わしさの産物になるのではないかと、791は最初勝手に想像していた。

しかし、彼女が幾ら本棚に本を綺麗に戻せと言っても、飲みかけのお茶を流しに捨てるように言っても、魔術論文を再度学会に出すように勧めても。頑として師は行動に移さなかった。
彼女の考えはどうやら彼に読まれてなどいないようだった。
もしくは思考が読まれていても、敢えて見ないふりをされている。なんて意地悪な魔術師だろうか。

通常の人間であれば一連の行動は“怠惰な人間”だ、と烙印を押されるだろう。
だが、目の前の師には、何か一言で怠惰とは言い表せない独特の“気”を放っていた。
若き791には、最初その正体が分からなかった。


その無口な師にも、口癖のように791に唯一語っていた言葉があった。




―― 『魔術は、受け継がれなければいけない』




366 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その9:2020/11/08(日) 21:29:59.398 ID:JT93nRnIo
魔術とは、魔術師の遺す痕跡である。

魔法と魔術の線引きは非常に難しくいつも専門家の間で議論が交わされるが、要するに魔道士が唱える魔法を根源的に読み解いたものが魔術であり、即ち原理である。
全ての魔法には読み解けば魔術の原理があり、それらの魔術は古くから【魔術師】が発明してきたのである。

魔術には各々の魔術師の痕跡が刻まれる。
言うなれば、全てのケーキ職人が作ったショートケーキには全く等しいものなどなく少しずつ違う味、形のものができる。それと同じことである。
スポンジの厚みやクリームの質、イチゴの大きさなどで味や見た目に少しずつ差が出る。

同じように、各々の魔術師が生み出した魔術には差があり、“秘伝のレシピ”は受け継がれなければ後世には一切残らない。
師の語る“魔術”とは自身の血の滲むような努力の結晶の塊であり、全ての魔術師は自らの魔術の流れをくんだ魔法が後世で誰しも気兼ねなく使っている姿をいつも夢見る。

師の言葉に、791は彼の奥底にある魔術師としての熱い思いを垣間見ることができた。
ならば、なおさら彼から教えを乞わなければいけない。

彼女は躍起になり研究を進めた。了解を得て、彼の魔術の研究までも読み解き始めた。
いつもは夕方で帰っていた彼女も、次第にその帰りは遅くなっていった。
難解な内容を読み解くために彼女はいつも魔法辞書を横に開き、細かな内容まで自分でわかるようにメモを取り、日夜文書を読み進めていった。
師はそんな彼女の姿を遠くから静かに見つめていた。

魔術の研究を進めていくに際し、791は彼が公国を離れなぜ世界放浪を始めたのか気になった。
過去の論文を含めた断片的な情報を紡いでいくと、どうやらきのこたけのこ会議所自治区域にいたこともあるらしい。

当然のことながら、無口な師は自らの出自や旅の目的について語ったことはなかった。
だがある時、いつものように二人で昼食のスープを啜っている時に、一度だけ自身の旅について語ったことがあった。


367 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その10:2020/11/08(日) 21:32:39.696 ID:JT93nRnIo
―― 『昔、ある森に移り住んで研究をしていた時。村の若者たちが私の家を襲ったことがあった』

突然の彼の独白に、791は手を止め師の顔を伺った。
窓際のカーテンからこぼれた日差しは弱く、フードの中の彼の顔は浮かび上がらなかったが、テーブルに置いていた手の甲の皺の陰影を濃くした。
なぜだか、視界に映る師の姿が途端に小さくなったように感じられた。

―― 『そのような仕打ちには慣れていた。とりわけ子供ともあればかわいいものだ』

師の語りは続く。

―― 『しかし、その頃の私は新しい魔術に魅了されていた。
そして、あろうことか家に侵入してきた一人の子供に、その魔術を放ってしまった』

曰く、その魔術は未完成だった。
完成すればその魔術は『再生』を顕したものだったと、師は語った。

たとえば魔法陣を動植物に描くと、彼らと魔術を介し人語で会話できるようになる。
相手の知られざる声を聞くだけでなく、自らの根底に眠っている意志や考えを伝え植え付けることも可能となる。
たとえば、枯れかけている植物に対し“甦れ”という意志を送り、その意志を受け取った植物に自生の能力が残っていれば、再活する。


完成すればその魔術は“キュンキュア”という魔法名で世に知らしめる予定だったらしい。


368 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その11:2020/11/08(日) 21:35:31.959 ID:JT93nRnIo
しかし、その魔術は強力な“副作用”を孕んでおり、魔術をかけた動植物はその強大な負荷に耐えられず、やがて死に至ってしまうという不完全なもので改良が必要だった。

その日、山中の薬草を摘んだ帰りだった師は、邸宅内に侵入する若者たちの姿を遠くから視界に捉えた。
油断して邸宅の周りに防御結界を貼っていなかったため、誰でも容易に侵入できてしまったのだ。

すぐに戻った師は興味本位で自らの研究を荒らそうとする数名の若者のたちに対し、脅しのつもりで魔術を行使する“フリ”をした。

指先から青白い炎を点す彼を恐れ大半が家から飛び出していった中、一人だけ、背丈の一番低い少年がその場に残った。
彼は恐れを知らない度胸の良さでニヤリと笑い、家主がいるのにも気にせず家の中を物色し始めた。

そして、机に描かれていた“キュンキュア”の魔法陣に少年が手をかけたその時、彼の身体は自らの魔術を奪われると咄嗟に判断し、防衛のために指先が動いてしまった。
自身の指先から発せられる青光の稲妻がほんの幼い子供を包み込むその瞬間を、彼はまるで他人事のようにボウと眺めていたという。


369 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その12:2020/11/08(日) 21:36:57.209 ID:JT93nRnIo
――『その後の事は判らない。私は慌てて飛び出し、そのまま戻らなかった。
そして、暫く魔術とは無縁の生活を送った。
だが、魔術というものは使い方を間違えると恐ろしい』

師はそこで言葉を切り、テーブルの上に置いていたスプーンを再度手に取ると、いつものように音も立てずスープを飲み始めた。
話はそこで終わったようだった。


今にして思い返せば、何故、師がこの話をしたのかは今でも定かではない。
決して気持ちの良い話ではないし、本人にとっても話すメリットは殆どない。

だが、彼なりに弟子の身を案じていたのではないかと思う。
自身を含め、魔法に取り憑かれ自らの身を滅ぼしてきた者を何人も見てきたのだろう。
自分の弟子にはそのような目にはあってほしくないし自らのように当事者であってほしくもない。

遠回しではあるが、きっとそのような願いをこめて話をしたのではないかと思う。
それは彼なりの優しさだった。

ただ、791はそのように考えなかった。
話を聞いて真っ先に感じたことは――





―― 魔術とは。なんて素晴らしいものだ。



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370 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その13:2020/11/08(日) 21:38:05.053 ID:JT93nRnIo
情動を突き動かされた。

幼少期から病床にあり、感動という味を舐めることのない無味乾燥な日々を送っていた彼女は、師の話で初めて心を大きくときめかせた。



“魔術”を使い自らが創った魔法を唱えることで、人を生かすこともできるし殺めることもできる。



自らの判断で杖を振り、眼前の人間の生死を自分で決められるのだ。


   愉悦。
       快楽。
           幸福。



これこそが正に自分の求める“道”だと気がついた。



歪んだ情動だった。


371 名前:Episode:“魔術師” 791 彼女の過去編その14:2020/11/08(日) 21:39:10.014 ID:JT93nRnIo
791は物心付いた時から魔法に魅入られていた。

ただ、彼女の深層心理が元々常人とかけ離れていたからかは定かではないが、魔法を極めつつあるこの時点に至っても、彼女は魔法を“自分を楽しませるため”の単なる遊び道具としか見ていなかった。


そして師の話を聞き、点と点が魔術という線で結ばれた。
魔術の奥深さと、自らが強大な力を持ちつつある実感を得た。

幼少期より同年代の人間から感化を受けることなく成長した791は、“自分以外の全て”を遊び道具にすることでしか自らの欲を満たせなかったのだ。
皮肉にも、魔術の危険性を説いた師の話が決め手となり、彼女は内に眠る狂気をはっきりと自覚し魔術師となる決意を固めたのだった。


弟子の屈折した思いを、老いた【魔術師】は最後まで見破ることは出来なかったのだ。


372 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/11/08(日) 21:40:07.492 ID:JT93nRnIo
文章パート多くなっちゃいました。魔術師がいかに生まれたかを回想ベースでお送りしています。

373 名前:たけのこ軍:2020/11/08(日) 23:55:04.731 ID:r/jg5VW60
魔王様の内面エピソードがいいっすね

374 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その1:2020/11/15(日) 22:14:50.309 ID:YpaUy5SQo
その後、師との交流は僅か二年足らずという期間で続いた。

師の創り出した魔術は見事の一言だった。文献だけでは学べないような実践的で創意工夫の凝らした魔術の数々に791は興奮した。

最初は既存の魔術研究だけに留まっていたが、最後の方になると、彼は内に抱えたままの未完成の魔術まで全てを彼女に明かしていた。
以前、彼女に打ち明けた“キュンキュア”の魔術は全て破棄してしまったとのことで最後まで分からず終いだったが、その他の魔術については原理を概ね理解できた。

遂に自分が真の弟子として認められたのだと分かり内心嬉しくなった。
同時に自分の死期を悟っているような師の振る舞いに、反面複雑な気持ちにもなった。


この頃になると、791の魔法力はいよいよ常人が到達できるレベルを超える高みに達しようとしていた。
あまりに圧倒的な実力を前に、以前まで陰口を叩いていた連中もさすがに閉口せざるを得なかった。
だが、この時期になっても、やはり彼女は自分の進路に迷いを持ったままだった。

【魔術師】になる。
大いなる野望をはっきりと抱きはしたものの、今後宮廷付の道を進むことで否が応でも組織の一員となり自身の目的到達は遠ざかるだろう。
加えて、やはり自身の身体的な不安も取り除けていなかった。

このまま高等部を卒業し、師の小間使いとして研究を続けるほうが【魔術師】になる道は早いのではないか。
しかし、彼は【魔術師】という名誉ある称号と実力を持っていながら、まるで綺麗さっぱり諦めてしまったように魔法協会に魔術論文を提出することをセず、791をやきもきさせた。

いずれにせよ、彼女は色々な選択肢の可能性に潜む問題点を考えるあまり、知らずの内に自らの可能性を狭めていたのだ。


375 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その2:2020/11/15(日) 22:17:10.788 ID:YpaUy5SQo
そんな最中。


呆気なく、無口な魔術師は亡くなった。


ある日病気で寝込むと、看病もむなしく数日後には眠るように息を引き取った。

悲しみに暮れる間もなかった。
最期まで彼は沈黙であり続けた。

自室のベッドで安らかに眠る彼を見た時、791は初めて師の放っていた独特な“気”の正体が分かった。


それは、人生への失意。


彼は生きるということに真の意味で絶望していたのだ。
それは森の小屋の一件から生まれたのかもしれないし、別の理由からかもしれない。
死の間際に抗うことをせずに受け入れたということは、即ち生への執着を捨てていたということに他ならなかった。

看取り終わった彼女は、顔のフードをそっと外し初めて師の顔を見た。

皺を深く刻んだその顔は、酷く穏やかな顔つきをしていた。


376 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その3:2020/11/15(日) 22:22:01.052 ID:YpaUy5SQo
共同墓地に師の亡骸を葬っている最中に、791は学んだ。

幾ら常人を凌ぐ実力を有していても、表現する術が無ければその人生に意味など無いのだと。

彼の最期は791以外に誰も看取りに来ることはなく、実力に反した哀しきものだった。
誰からも気づいてもらうことなく死んでいく。
いざ自分がその立場になったと考えてみると、悔しくかつ恐ろしかった。

彼女の方針は、此処にきて完全に定まった。



―― 『魔術は、受け継がれなければいけない』


まず始めに、791は師の訓えを忠実に反映した。

彼の家の整理をする傍ら、遺した魔術を全て理解し受け継いだ。
たとえ、世間が師の功績を忘れてしまっても、自分だけは彼の事を憶えていようと決めた。

続いて、大魔法学校への進学も断念する旨を周りに伝えた。
特に学校関係の人間の反応は大袈裟だった。皆一様に驚き、口では“もったいない”、“残念だ”と語っていたものの、内心では席が一つ空いたことにほくそ笑んでいたに違いない。
だが、覚悟を決めていた彼女には既に関係ないことだった。


377 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その4:2020/11/15(日) 22:24:43.206 ID:YpaUy5SQo
魔法学校を作ると両親に相談したときには流石に猛反対された。
師の遺した財があったため資金面では困らなかったが、場合によっては宮廷付きよりも激務となる教師の道は、自らの寿命を縮めるだけだと繰り返し説得された。

両親の説明はもっともだった。宮廷付きはもし激務であれば途中で辞めても組織なので自分の代えがきく。
しかし、個人での学校運営となるとそうはいかない。途中で逃げることなど許されない。
自らの退路を断つ危険な選択を娘が選ぼうとすれば反対もするだろう。

ひたすらに泣きついてくる母の言葉には胸を打たれた。

“せめて大魔法学校は出てからでも遅くない”

何度もそう諭された。

しかし、大魔法学校を卒業してからでは遅いのだ。
確信は持てないが、自分の命は他人よりも限られた時間しか刻めない。
もし師のように、志し半ばで失意の内に命の針が止まる時、791は自分自身を決して許すことはできないだろう。

一分一秒も無駄にはできず、彼女は自身の人生設計を立て実行に移すことが必要だった。

それだけ、彼女には諦められない夢ができていた。


378 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その5:2020/11/15(日) 22:26:58.476 ID:YpaUy5SQo
周囲の反対を押し切り、高等部を卒業したばかりの791は、師の家を改装した小さな魔法学校を開校した。

最初は生徒など集まるはずもないので、幼児だけでなく遺児や孤児なども積極的に引き取り学び舎だけでなく孤児院として運営を始めた。

師の時とは違い、彼女は周囲に大変有名な人物となった。勿論いい評価などはない。

“あの子は変わり者”、“一人が寂しいから子どもたちを囲っている”、“病気を移すから近づかないほうがいい”

散々な評価だったが、寧ろ奇異な目で見られることさえ嬉しかった。
寂れた家の中で、師と二人で飲むスープはほんのり暖かった。しかし、何人もの将来有望な子どもたちと飲むスープはとても心が温まった。

表立って嫌がらせをされないだけマシだとさえ感じた。
昼間は子どもたちの面倒を見て、夜は魔術の研究を進める。
当時は休みなど存在しなかった。
だが、生命を削ってでもやりがいを感じていた。


学校運営の中で最初に発表した魔術論文は、瞬く間に791という若き魔法使いの名を知らしめるに至った。
師の理論と自身の独自解釈を加えた新魔術は魔法界に新風をもたらし、高齢化が進んでいた魔法協会の思惑も重なり半ば実力以上に持ち上げられた。

また、指導者の面としても彼女は才覚を表し始めていた。

学校を設立してから五年は経とうとしていた頃、最初の年長組が卒業し徐々に世で力を発揮し始めた。
彼らは彼女の下で学んだ知識や自由な校風を受け継ぎ、既存に囚われない魔法を使ったベンチャービジネスで成功を収め始めていた。


379 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その6:2020/11/15(日) 22:29:06.224 ID:YpaUy5SQo
七、八年を過ぎる頃には、791の名は既に公国全土に轟くほどになっていた。
彼女の知名度の高さで入学希望者は膨れ上がり、宮廷内に専用の校舎を構えるほどに安定した運営ができるようになっていた。

しかし、彼女は決して慢心しなかった。
次なる手として、彼女は単身きのこたけのこ会議所自治区域へ乗り込み、【会議所】主要メンバーの一人となったのだ。
世界中が注目する【きのこたけのこ大戦】で、魔法を駆使した圧倒的な戦闘スタイルで敵軍を屠っていけば、遂に“大魔法使い”791の名は公国を出て世界中に認知された。
【大戦】に参加する傍ら、引き続き魔法学校の運営にも手を抜くことなく精を出した。
自治区域と公国の友好の架け橋として加速度的にその名声は高まっていった。

いつしか、“大魔法使い”791は【魔術師】791へとその名を変えた。
そして世間に推される形で、遂には公国宮廷から宮廷付きへの逆オファーが来るにまで至った。


ここに、【宮廷魔術師】791が誕生した。


彼女の下からは優秀な魔法使いが何人も生まれ、さらに数名の優秀な生徒は自らの傍に置いた。
全ては好循環で予定通り。

師の死後十五年足らずで、彼女は公国宮廷内を裏から操る陰の支配者にまで成った。
自らが魔術師となり、師の教え通り“魔術を継承させていく”ための準備も抜かりなかった。


380 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その7:2020/11/15(日) 22:34:27.188 ID:YpaUy5SQo
【カキシード公国 宮廷 魔術師の間】

明くる日。

外は雲ひとつなく、朝陽が庭園を包み込んでいる。
791はその美しい光景をガラス越しに眺めながら、No.11の出した紅茶を飲むのが好きだ。

No.11「以前よりご指示いただいた通り、昨日のうちに各国には“根回し”を完了しています。
ハリボー共和国、カルビー王国は協議の前より我が国への支持を内々に表明していました。
唯一、“三大国家”の一角であるトッポ連邦だけが態度を渋っており手こずっておりましたが、急進派が議会を掌握しオレオ王国への支持を主張する一派は追いやられています。

このままいけば、オレオ王国は間違いなく孤立します」

791の前で報告書を読み上げる彼女の姿は今日も華麗だ。

791「ありがとう。
でも、トッポ連邦の椿さんには少しかわいそうなことをしたなあ。次期首相候補だったんでしょう?」

No.11「最後まで抵抗していたのは最大勢力の椿国務大臣の派閥でしたが。
日和見の首相の判断で、ほぼ更迭に近い形で謹慎処分となっているようです」

791「内部工作は上々だね。過去のお偉いさんたちもこうやって内々に動けば大陸統一に失敗することなんて無かったのにね」

No.11「オレオ王国内の扇動も順調のようです。公国との関係悪化の責任をナビス国王に押し付ける形で、各地でデモを起こしています。
足並みが揃わない王国はすぐに総崩れとなるでしょう」

791「目覚めの良い朝とはまさにこのことだね」

昨日の会議の報告書も見終わり791は椅子の上で指をパチンと鳴らすと、手に持った紙は独りでにふわふわと宙を舞い部屋の端に置かれた棚に仕舞われた。


381 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その8:2020/11/15(日) 22:35:35.580 ID:YpaUy5SQo
791「こんな日は外に出たいけどねえ」

昨夜の雨露がガラスに反射し光る様子に、791は僅かに目を細めた。

No.11「お身体が優れませんか?」

791「最近は特にね。【大戦】に参加してた頃はまだ良かったけど、朝起きるのが辛いときもあるよ。
だからこそ、さっさとオレオ王国は制圧しておかないとね」

791にとって王国制圧はさしたる問題ではない。

問題は“その後”だ。

791「王国制圧後の“お掃除作戦”は進んでる?」

No.11は、恭しく頷いた。シワひとつないベージュのローブが僅かにはためいた。

No.11「軍部への根回し、協力機関への連絡も完了しています。
何時でもライス家を締め上げる準備はできています」

791「それは良かった。卒業生の子たちにも多く協力してもらってるから早くやらないとね」

ライス家に取り入り、その後に実権力を掌握するまでは容易だった。
しかし、こうして名を隠し公国を影から動かすことにも限度はある。

ライス家を政権から追放することが、791にとってこの戦争の真の狙いだった。

王国を制圧した後は速やかに現政権を切り崩し、貴族共の悪しき利権構造と圧政を解き放たないといけない。
そのために時間をかけて宮廷内部に根回しを行い、ライス家追放後を見据えて関係機関への工作を繰り返し行ってきたのだ。


382 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その9:2020/11/15(日) 22:36:21.781 ID:YpaUy5SQo
791「あーあ。私が元気なら王国制圧も一人でやるし、その後の“お掃除”も一人でできるのになあ。
これじゃあ策謀家ばりの暗躍っぷりだね」

No.11「違いありません」

二人は微笑んだ。

すると、丁度良くメイド姿の又弟子がパタパタと走り寄ってきた。

「791先生、魔術協会の方が宮廷にお見えになりましたッ」

紫紺のローブをはためかせ、791は杖を握り直した。

791「さて、と。私は魔術師協会の講演があるから出てくるよ。
No.11は彼にちゃんと食料と水を与えておいてね。死なれたら困る」

杖を一度地面に叩くと、座っていた椅子は転移ポータルに向かい静かに移動を始めた。
No.11はまたも恭しく頭を下げた。


383 名前:Episode:“魔術師” 791 いかに魔術師が生まれたか編その9:2020/11/15(日) 22:36:42.097 ID:YpaUy5SQo
いま気がついたけどこの章の登場人物少なくないすかね?

384 名前:たけのこ軍:2020/11/15(日) 22:45:05.867 ID:4pI0uKSU0
魔王が本当に恐ろしくて震える

385 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その1:2020/11/18(水) 22:35:37.140 ID:oFRzQ.fUo
【カキシード公国 宮廷 講演ホール】

宮廷内には、幾つものイベントホールが建っている。
先日、貴族たちと話をした会議場だけでなく、宮廷内を歩いていると数多のミュージックホールに公演会場が次々と顔を覗かせる。
それぞれ出来上がった年代はさまざまで、一説には時のライス家の当主が自分の権力を誇示したいがために造らせたとか、音楽好きな貴族がいたから自室に近い場所に次々造らせた等、
色々なことが囁かれているがその理由はどれも確かではない。

いま、その群の中でも収容人数の多い大ホールの中央で、791は壇上の上に立っていた。
講演は既に終盤に差し掛かっていたが、彼女の語るその言葉に、目の前に座る数千人の聴衆は熱心に耳を傾けていた。

791「…さて、みなさんが一番気になっている【魔術師】という生き物について、最後に少しお話ししましょう。

まず、私たちが生み出す魔術には様々な術式が存在しますが。
代表的なものは、“無”から“有”を生み出す呪術式と、この世の森羅万象を使い“生物”を創り出す召喚術式ですね」

疲れる素振りも見せず、791の語り口調は軽快に続いていた。

791「前者の呪術式の場合は、皆さんが最も日常でよく見かける魔法も含んでいますので、こちらが一般的ですね。

魔法陣や詠唱を媒介として人智を超えた不思議な魔法を呼び出すのです。

この詠唱呪文や陣術を生み出すのが【魔術師】の仕事です」



386 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その2:2020/11/18(水) 22:37:15.886 ID:oFRzQ.fUo
魔法の拡声マイクで、彼女の言葉はホールの端っこに座る聴衆たちの耳にもよく届いた。
聴衆の中に眠気に誘われている者は一人もいない。
全員が、壇上にいる一人の【魔術師】の一挙一動に注目している。

791もその期待はひしひしと感じていたから、今日の公演中は座らずに立ちながら身振り手振りを交えて話を続けている。
彼らの求めている、強くて頼りになる【魔術師】を演じなければいけないのだ。

791「さらに、魔力を持った一部の【魔術師】は、対象者に固有魔術をかけることで永久に束縛するなんて恐ろしいこともできてしまいます。
文字通り“呪い”ですね。
私が生徒を叱る時によく使う手です」

彼女の小粋な冗談に、聴衆からは思わず笑いが漏れた。


791は今や公国内で知らない人間などいない程の大変著名な【魔術師】だ。
【魔術師】としては最年少ながら、当代随一の魔法力で最強の称号を手に入れながら、表に出る彼女の性格は温厚であっけらかんとしている。
さらに茶目っ気もあり、誰からも愛される人気者だった。

今日の講演も『宮廷魔術師が語る、今後の魔法界の動向について』という題で、数千の観覧席に対し全国から何十倍もの応募があった。

791には宮廷魔術師としての魔法関連の業務運用の取り仕切りや、魔法学校での運営以外に、こうした外部からの仕事が非常に多い。
特に講演の仕事は一度も断ったことがない。一人でも多くの人に自分の語る言葉を聞いてほしくて、多忙の身ながら何度も会場に赴くひたむきさは、まさに国民的英雄に相応しい振る舞いだった。


387 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その3:2020/11/18(水) 22:38:20.569 ID:oFRzQ.fUo
791「後者の召喚術式は【使い魔】を呼び出す形式が代表例ですね。
たとえばこんなものです」

791は目を閉じ手に持った杖を軽く振ると、壇上の中央でポンッという綿あめが弾けたような音とともに、絵本に出てくるような小さな天使が現れた。
途端に固唾を呑んで話を聞いていた聴衆から感嘆の声が上がった。

791「思いの外かわいいでしょう?
これが召喚です。

召喚自体には非常に高度な技術を要しますが、原理は先程の呪術式と同じです。
魔法陣や詠唱で魔法を呼び寄せるように、基本的に術者は魔法で【使い魔】を呼び出し、創り出します」

パタパタと羽ばたきをしながら、【使い魔】の天使は会場内を飛び回っている。
小さい彼女が飛び回る周辺では次々と黄色い歓声があがっている。

791「ただ、この状態の【使い魔】は魔力を供給する術がないので、暫くすると消えてしまうのです。
ほら、こんな風にね」

飛び回っていた天使は再び綿あめが弾けたような音を出すと、跡形もなく消えてしまった。
会場内から上がった軽い悲鳴に、壇上の791はくすくすと笑った。


388 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その4:2020/11/18(水) 22:39:18.304 ID:oFRzQ.fUo
791「驚かせてごめんなさい。
でも実は、【使い魔】を呼ぶまでは皆さんも頑張ればできるのです。

先程の天使ちゃんは、いうなればただの魔法を結集させた集合体なのです。
皆さんが思い浮かべているような【使い魔】は、自分で喋り動く個別の生き物だと思います。

そうした強力な【使い魔】は召喚時に、頼むから現世に留まってくれ、と術者からお願いをするのです。
これが契約です」

契約まで見せてしまうと膨大な魔力を消費してしまうので見せられない、とはあまり大声では言えなかった。
見せてもいいが数日はたっぷり眠りこけてしまうことだろう。この大事な時期にその選択は取れない。

791「契約が終わればもうひとりの自分の完成です。

つまり、自分の分身を創り出すものと思ってください。

そのため基本的に術者と【使い魔】の記憶は共有されます。

さて、【使い魔】とは召喚時に追加で契約を交わすこともできます。我々はそれを制約と呼びますが――」

そこで一度言葉を切り、聴衆を見渡した。皆が聞き入っている様子だ。
安心して話を続けられる。


389 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その5:2020/11/18(水) 22:40:42.250 ID:oFRzQ.fUo
791「簡単にいえば【使い魔】に自身の分身としての機能だけでなく、追加で空を飛んでもらいたいやら、力持ちになってもらいたいとか。
そういったことを願うとしましょう。

その希望が術者の魔力に見合うものであれば契約は成立します。

ですが、代わりに【使い魔】の基本的な能力の一部が代償として失われます。

たとえば少し視力が悪くなったり、言葉を発せなくなったりといったものです。

いずれもこれらを召喚できるのは強大な魔力を有する【魔術師】でないといけないのです」

現実で【使い魔】を見たことがある人間など数えるほどしかいないだろう。
791自身も自分で呼び出せるようになるまでは見たこともなかった。

791「さて。こんな話をしていると、【魔術師】にお詳しい何人かのマニアの方はこう思うかもしれません。


“魔術を創るだけが【魔術師】ではないだろう”、とね?」

一部の聴衆の息を呑む声が聞こえてきた。
その様子に、子どもたちのイタズラを容認するような教師の微笑みを見せ、仕方ないとばかりに791は言葉を続けた。

791「今日は随分と【魔術師】事情にお詳しい方がいらっしゃいますねッ。

では、時間も少し余りましたので最後に少しだけ語りましょうか。



【魔術師】が持つ、【儀術】について」


390 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その6:2020/11/18(水) 22:41:40.651 ID:oFRzQ.fUo
そこで言葉を一度切り、演台の上のメロンソーダをストローで一度啜った。
甘さは全ての源だ。魔力も疲れも全て取り去ってくれる。

791「さて、【儀術】とは。

広義では魔道士が固有に持つ術のことですが、最近では専ら、魔術師が自分で創り出す必殺魔法を指す場合がほとんどのようですね。

魔術師は通常、多くの人々に使ってもらえるような魔法を創り出す研究をしていますが。

極一部の人間は、その創り出した魔法を自分だけの必殺技にしてしまうこともあるのです。

それが、【儀術】です」

791の脳裏に、かつての無口な師がちらついた。

彼は自分と出会う前、“キュンキュア”という魔法を創っている途中だった。
仮に完成したら世界に公表していたかもしれないので、彼自身は【儀術】にするつもりはなかったかもしれない。

だが、彼の魔法をほぼ全て受け継いだ彼女も、キュンキュアの原理だけは遂に分からず終いだった。
結果的に、“再生のキュンキュア”は無口な師の最後の【儀術】となったわけだ。

791「【儀術】は最終秘技なので、出し惜しみする魔術師も多いと聞きます。

大技にして段違いの威力の魔法とも聞きますが、本当のところはわかりません。
そもそも私も他の人の技は見たことありません。
生で見たことがある人は相当ラッキーでしょうね」


391 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その7:2020/11/18(水) 22:42:15.034 ID:oFRzQ.fUo
791「私の【儀術】ですか?ふふふ、秘密です。
でも、過去に私も創ろうとして失敗したことはあります。
メロンソーダを手から常時出すという魔法にしようとしたけど。うまくいきませんでした」

楽しげに笑う彼女に釣られ、聴衆たちも朗らかに笑った。
これで話ももう終わりだ。

791「さて。最近は“チョコ革命”で、術式の発明を生業にする魔術師も大きく数を減らしました。
ですが、公国に生まれた皆さんには素晴らしい魔法使いの血が流れています。
私が保証します。
その素質を開花させるかどうかは、皆さんの努力次第なのです」

話を終えた791がペコリと頭を下げると、数千の聴衆は万雷の拍手で公国の英雄を讃えたのだった。


392 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その8:2020/11/18(水) 22:53:54.655 ID:oFRzQ.fUo

「お疲れさまでした、791先生」

「今日も見事な講演でしたね」

講演を終え舞台裏に下がった彼女を、途端に多くの新聞記者たちが取り囲んだ。
講演の内容など一切聴かずに、恐らく最初から舞台裏で陣取っていたのだろう。

ブン屋はその見た目ですぐに一般人との区別ができる。

まず彼らは一様に髭も剃らずボサボサに伸びた髪で清潔感の欠片もない。
その癖、知り合ってもいないのに、取材相手とまるで友だちにでもなったかのように距離を詰めてくる。
極めつけは人を射抜かんとする眼光だ。おかげで友好的な行動に反し近寄りがたい圧を感じる。

自らが腐臭を漂わせているハイエナに対し、好んで近づく者はいない。
しかし、魔術師の修行過程で腐敗した魔物を何体も召喚してきた791からすれば、目の前のブン屋たちなどかわいいものである。
骨も全て溶けてどれが顔だか分からない魔物を召喚したときは隣家で異臭騒ぎとなった。その時に比べれば、騒ぎにならないだけマシである。

ブン屋たちも自分たちを邪険に扱わない791に好んで取材を行った。
何より、国のご意見番と化した宮廷魔術師の発す言葉は人々を惹きつけるのだ。

すべての新聞は彼女の行動を逐一記事にし、事あるごとにインタビュー記事を掲載している。
特に、とある新聞が掲載している『今日の791様』というミニコラムは巷で大変人気らしい。
791自身も一度読んだことがあるが、全く身に覚えのない発言や行動が書かれていたので思わず笑ってしまった。

特に、宮廷内のやり取りの多くは物語仕立てでやけに詳細な人物描写がされており連載物も多い。
大抵は、お高くとまる貴族に宮廷魔術師791があらゆる手でギャフンと言わせる勧善懲悪仕立てになっている。
安い三文芝居だが、長期連載なところを見ていると一定の読者は獲得しているのだろう。

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393 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その9:2020/11/18(水) 22:54:52.463 ID:oFRzQ.fUo
「こちらは公国大新聞です。最近のオレオ王国との関係悪化について一言いただけませんかッ!」

「カキシード新報ですッ!こちらにもコメントをお願いしますッ!」

挨拶もそこそこに興奮気味にブン屋から投げかけられた質問に、彼女は珍しく顔つきを険しくし、暫し押し黙った。

場数を踏んでいるブン屋たちは彼女の反応に、一瞬息を呑んだ。

意地汚い彼らを前に、かつて彼女が顔を曇らせたことなど決してなかったからである。

791「本当に信じられませんッ。強い憤りを覚えています。誰にって?それは勿論――」



―― 我が国上層部の下した判断に、です。



語気を強めた791の物言いに一瞬、ブン屋たちは互いに顔を見合わせ、すぐに眼下の手帳に一言一句を書き留め始めた。


394 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その10:2020/11/18(水) 22:56:12.361 ID:oFRzQ.fUo
「それはライス家への批判ということでしょうかッ!?」

791「もちろん。先日のオレオ王国との協議だって、話を一方的に打ち切ったのは我が国の方です。
非礼な行いにオレオ王国の民の皆さんには、寧ろ私から謝罪をしないといけないと思っています」

強気な彼女の発言に、思わず色めき立ったブン屋たちは獲物を見つけた獣のようにうなり声を出した。
世紀のスクープになるぞと言わんばかりに、手に持つペンを紙に擦り付けるように書き付け、耳では彼女の言葉を一言一句逃さぬようにと気を張っているのがわかる。

「それでは先日の決定に、791先生は関与していないと?」

791「ノーコメントで。ただ、以前のオレオ王国への我が国からの挑発的発言といい、なにかおかしな方向に物事が進んでいると言わざるをえません」

「質問を変えましょう。これまで国の閣議に791先生は参加していたと言われていますが、今回の件について先生に話は言っていなかったと?」

791「国家の内部情報について私から明かせることはありません。
ですが、皆さんも驚かれたように。
私も一国民として非常に驚き、そして哀しみました」

わずかな腐臭が791の鼻をついた。
これは周りの記者から出たものか。



それとも、息を吐くように嘘を吐き続ける自分から出たものか。



395 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その11:2020/11/18(水) 22:56:57.454 ID:oFRzQ.fUo
「しかし、実際のところ。これで両国間は一触即発の事態になりました。国境付近に我が国の魔戦部隊が集結しつつあるという情報もあります。
ライス家含め、我が国は今後どうすればいいとお考えでしょうか?」

791「オレオ王国との間に生まれた齟齬を、冷静にもう一度両者が見直すことです。

我が国のトップは冷静さを欠いている。
このまま戦争に進んで良いことなんて一つもありません。

私も宮廷魔術師として、今から公爵にその旨を訴えてきますッ!」

取材は終わりとばかりに、791は手を振り上げハイエナたちの群れを散らせた。

今度は歩く度に、横からカメラのフラッシュを焚かれる。
明日の各紙の記事の見出しは、穏健派の宮廷魔術師791がライス家に反旗を翻した、との記事で持ち切りになるだろう。

791「全ては想定通りだね」

小さく呟いた言葉は、カメラのフラッシュ音の中で誰も聞こえずに消えていった。


396 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その12:2020/11/18(水) 22:57:49.194 ID:oFRzQ.fUo
今日の講演後に、記者がこちらの下に詰めかける様は容易に想像できた。
そこで791はマスメディアを利用した戦術を思いついた。

彼女の強気なコメントを、マスメディアを使いこぞって報道させる。

今日彼女がブン屋たちに語った内容は、自ら政権内の要職にいながら、明らかに政権トップにいるライス家に反目した言動だ。

今夜の記事を眺め、夕飯の準備を整えながら民衆はこう思うだろう。

はて、はたして元首のカメ=ライス公爵を信じるべきか。
もしくは、“陰の元首”と噂される791を応援すればいいか、と。

カメ=ライス公爵は弱気を挫き、自らに富を集中させる典型的な豪族であり、その明け透けな思想は陰で民衆から多くの不評を買っている。

それに比べ、宮廷魔術師791は市民層から出世をした人々の希望の星であり、公爵に唯一反目できると見なされるほどの存在感と人気を放っている。

民衆がどちらを選ぶかは明白だ。


397 名前:Episode:“魔術師” 791 驕らない策謀編その13:2020/11/18(水) 22:58:43.557 ID:oFRzQ.fUo
そして民衆の思想誘導を確固たるものにすべく、今夜の記事を前に791はこれからの公務を全て取りやめる。

今日も公爵に会いに行くとは語ったがそんな予定は毛頭なく、魔術師の間か自室に閉じこもり、公に自らの姿を一切見せなくするつもりだ。

すぐに彼女の動向を目にすることのできる民衆は、そしてまことしやかにこう囁くようになるのだ。


『悲劇の宮廷魔術師791は、カメ=ライス公爵に楯突いたせいで半監禁状態にある』と。


民衆は腐臭を垂れ流す国の指導者よりも、民の位置に近い宮廷魔術師を必ず支持するだろう。
世論の誘導さえ済ませれば“お掃除作戦”の準備もほぼ整ったに等しい。


791は心の中で嗤いが止まらなかった。


その感情が顔に出ないことだけを気にかけながら、急ぎ足で彼女は自室へと戻った。


398 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/11/18(水) 22:59:07.029 ID:oFRzQ.fUo
たまには腹黒い魔王様も悪くないでしょう?

399 名前:たけのこ軍:2020/11/18(水) 23:03:23.643 ID:1eea.BLg0
暗躍するテーマの似合う人だ…

400 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その1:2020/11/28(土) 18:00:05.696 ID:c2N6zHg.o
【カキシード公国 宮廷 大広間】

No.11「申し訳ありませんが791は現在、全ての公務を取りやめておりますので会合に出席することが出来ません。要件は私の方から本人に伝えておきますので」

今日十件目の断りの連絡を先方に伝えた後、No.11は来客者を入り口まで案内した。
背広を着た来客者たちが階段を下り見えなくなるまで深々とお辞儀をしながら見送る様は、雑多な人で賑わう大広間内でもとりわけ際立ち、その所作は一流のバトラーを想起させた。

彼女は公国宮廷内でもかなりの有名人だ。
“宮廷魔術師”791の秘書番のような立場として彼女の傍で正確に仕事をこなすその姿は、周りから見れば羨望の的となり、
業務に携わる関係者は彼女の射抜くような視線と、笑み一つ零さず冷静に処理する技量の高さに恐怖した。

そして、付いたあだ名が“氷の指圧師”だ。
指圧師とは、トレードマークのベージュ色のローブが傍目から見ると巷のマッサージ師のように見えることからついた名で、当初は彼女を妬む者が蔑称として使っていた。
しかし、本人がそのような戯けた渾名程度で動じる筈もなく、気がつけば渾名になっていた。
逆に言うと彼女には外観程度しかケチをつける要素がなかったとも言えた。


401 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その2:2020/11/28(土) 18:02:09.297 ID:c2N6zHg.o
見送りが終わると、No.11はすぐに踵を返し歩き始めた。
何人かの宮廷付の魔道士たちがギクリと肩を震わせ、そそくさと彼女の視界から姿を消すように歩き去って行った。
目線は一定を保ちながら、気にすることなく彼女は前を向き転移ポータルに向かい歩を進めた。

“氷の指圧師”と呼ばれるだけあり、彼女の表情は滅多なことでは変化しない。
他人から見れば常に表情を消した彼女の考えなど読み取れるはずもなく、畏怖の対象にもなるだろう。

だが、791の他に他の誰もが気が付かないだろう。
彼女の心の中にも、大変に熱く代え難い“信念”を持ち合わせていることを。


791の野望は、四年も前から本格的に動き始めた。
図らずも例の¢からの提案が、彼女の魔術師としての感性を最大限研ぎ澄ませ策謀を巡らす切欠となったのだ。

No.11もその時に彼女を支えることを誓った。
その出来事は今でも昨日のように脳裏に焼き付いている。

歩みを続けながら、791ぐらいにしか気づかれない程度でほんの少しだけ目を細め、No.11は当時を顧みていた。



402 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その3:2020/11/28(土) 18:04:04.313 ID:c2N6zHg.o
━━
━━━━

【カキシード公国 宮廷 魔術師の間 4年前】

791『¢さんはもう帰った?』

No.11『はい。宮廷を出たところまでしかと確認しました』

その日、“武器商人”¢が単独で乗り込みNo.11への提案を行った後。
離れた場所から事態を見守っていた791はすぐに姿を現した。
隠していた自分用の机と椅子を魔法で元に戻し、彼女は自らの椅子を手元に引き寄せ深々と体を沈めた。

791『君は¢さんの話をきいてどう思った、No.11?』

その言葉に、セミロングの緑髪を揺らしながらNo.11は背筋を一層よく伸ばし、どう答えようかと思案した。
頬杖を付き物憂げに視線を落としている目の前の師の顔からは、考えを読めそうにない。

新たに791の補佐係になったばかりのNo.11だったが、その力は周囲の予想を遥かに上回る出来だった。
まず、791から与えられた課題や業務はどれも迅速にかつ正確にこなした。

“街中での魔法の不正利用の実態を調査しろ”、“宮廷内のもめ事を解決しろ”、“巷で人気の劇団のショーを見にいき、あらすじをこの場で話せ”、“甘いホットケーキとチョコドリンクを作り提供しろ”。

彼女から命じられた課題は宮廷業務に関わるものから、どう考えても冗談としか思えないようなことまで多岐に渡った。
しかし、No.11は表情を一切変えることなく沈着にかつ冷静に彼女の予想を上回る結果を残し続けた。

報告のたびに彼女はNo.11を称えた。
宮廷内で痴話喧嘩を発端とした小間使い間で巻き起こった大騒動を速やかに鎮圧した際には、手を叩いて喜んでいた。


403 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その4:2020/11/28(土) 18:06:32.855 ID:c2N6zHg.o
いつしか、誰よりも彼女のことを理解した気遣いや行動、そして冷静な業務遂行能力は791だけではなく周りの人間から厚い信頼を集めていた。
彼女の身体が優れない際には代行して執務を任せられるまでになり、名実ともに791の右腕としてたったの数ヶ月でその地位を確固たるものにした。

だが、未だに師とこうして相対すと、No.11は緊張で表情筋が強張り口の中がよく乾いてしまう。

魔法学校を卒業し、すぐにNo.11は師の“本性”を彼女自身から明かされた。

誰にでも優しかった学校時代の彼女の姿と、目の前に座る魔術師としての姿は性格、振る舞い、考え方から全てがまるで正反対だった。
魔術師791は誰よりも冷徹で権謀術策に長け、他人の生命を自らの利になるかどうかで利用価値を決める残忍酷薄な人間だ。
対して“教師”791は誰にでも笑顔を振りまき、損得感情で他人のために動かず相手に寄り添う、一見するとまさに理想の人間像だった。
“教師”791の面しか見えていなかった当時のNo.11は、最初こそ、その正体に衝撃を受けた。

しかし既に791が見抜いていた通り、魔力だけでなく非凡な精神力も持つNo.11は、驚いたものの、その時間はほんの一瞬だった。
すぐに、心の中で絶望している“愚か”な自分にもうひとりの自分が喝を入れ、彼女の精神はパチリとスイッチを付けたように切り替わった。

―― No.11よ。これがお前の目指す【魔術師】という生き物だぞ。これぞ徹底的な現実主義。実に、素晴らしいじゃないか。

元来、両親がおらず自暴自棄になっていた自分を救い出してくれたのは、誰であろう791だった。
生きる道を示してくれただけではない。魔法学校に通わせてもらう中で、魔法の素養もあるということを教えてくれた。

その恩師が国士無双と世に名声を轟かせるまでに至ったのは、誰よりもいち早く世界に目を向けながら、冷静に自分の価値を高めるために策を張り巡らせていたことだった。
魔法力の足りない自分にはとても【魔術師】など一朝一夕で目指せるものではないが、彼女が近くに居ることで、そのパラダイムを感じることができるのではないか。

若きNo.11はそう考えた。
幸い彼女に見初められたNo.11は、卒業を控えた間近に直々に補佐役への打診があり、卒業後も隣に居ることを許された。


404 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その5:2020/11/28(土) 18:09:16.340 ID:c2N6zHg.o
いま、彼女からの質問には細心の注意を払わないといけない。
元々、No.11の前任者は不用意な発言で彼女の気を削ぎ、彼女からの“優先順位”を下げた結果、ある日宮廷から忽然と姿を消してしまったのだ。

凡庸な発言は自らの首を締めるだけだ。
補佐係になってから新しく卸した、サイズが少し大きいローブの袖の中で、No.11は両の拳を強く握った。

No.11『忖度なしに申し上げると…彼の提案には怪しさしかありません』

一瞬で思考を整理した彼女は、結果として正直に自らの考えを述べることが最善策だと考えるに至った。

No.11『我が国にとっては、リスクも極力低い代わりに実利を取れる。そんな魅力的な提案に思えます。
しかし、会議所は明らかに何か思惑があります。それは、公国に罠を仕掛けようとしているかもしれません。
彼の素振りや自信に満ち溢れた話し方がその疑念を強めているように思えます――』

―― 791様はどう思われますか?

言葉を続けようとしたNo.11は、目の前の師を見て唖然とした。






腹を抱え嗤っている。


今まで見たことのない“邪悪”で、“純粋”な笑みを。


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

405 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その6:2020/11/28(土) 18:10:25.325 ID:c2N6zHg.o
791『ふふッ!あははははッ!!
待っていたんだよ、こういう話をッ。実に都合がいい話をねッ!』

肩を震わせて笑っていた彼女は、思わず目尻に浮かんだ涙を手で拭った。
その異常さに、密かに周りから“氷の女”と呼ばれつつあったNo.11も困惑するしかなかった。

No.11『都合がいい、とは一体?』

791『¢さんのお陰で、あの“木偶の坊”たちを追い払う手段が出来たんだよ。
これでようやく、この国が私のものになる』

木偶の坊、という表現がカキシード公国を支配しているライス家を始めとした貴族たちを指していることは、No.11もすぐに理解できた。


彼女は誰よりも強大な力を有していながら、誰よりも慎重な人間だ。
もしくは【魔術師】になる人間はみなそうした性質を有しているのかもしれないが。

“宮廷魔術師”の称号を経てから今日に至るまで、何度も政権を手に入れられる立場にいながら、彼女は一貫して表向き貴族たちを立て続けた。
貴族たちの前で頭を下げていた度に、その後すぐに立場が逆転し彼らが頭を下げに来た時も、そのでっぷりとした腹の脂肪に少しでも火を点ければ、と何度も思ったに違いない。


406 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その7:2020/11/28(土) 18:12:12.057 ID:c2N6zHg.o
しかし、彼女がライス家をすぐに国から追い出さず裏から利用しているのは、偏に“正当性”が無いからだ。
仮にライス家を追放し791が国主になり、幾ら民衆が彼女を支持しても、世界から見れば彼女はクーデターを起こした首謀者だ。
少なからずカキシード国は軽んじられるようになり、実権支配後を考えると最善策ではない。

つまり、既に彼女は自分が国を支配した後のことを考えながら行動しているのだ。
そのような策士である彼女をNo.11は末恐ろしいとも思うし同時に誇らしいとも感じる。

No.11『…なるほど。オレオ王国へ侵攻しようとする公爵を“宮廷魔術師”791が止め、そのまま世論の支持で公爵一族を追放する、と』

わざとライス家に密造武器という餌をチラつかせてその気にさせたところで、事前に戦争を防げば彼女がライス家を倒す“正当性”が生まれる。
No.11は一人納得した。

しかし、791は途端にキョトンとした顔をした。


791『え?オレオ王国には予定通り“侵攻”するよ』

No.11は珍しく目を見開き驚きの表情を見せた。魔法学校時代に、実技試験で“彼”に初めて負けた以来の衝撃だ。


407 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その8:2020/11/28(土) 18:12:47.429 ID:c2N6zHg.o
No.11『では。

オレオ王国とカキシード公国。
どちらもお手になさるおつもりで?』

それまで穏やかな顔で語っていた目の前の魔術師は、途端に唇の端を吊り上げて再びニタニタと嗤い出した。




791『欲しいものはすべて手に入れる。

授業で教えたでしょう、No.11?――』


―― それに私は甘いチョコが特に好きでね。昔からカカオ産地には興味があったんだ。




おもわずNo.11はゾクリとした。
自分の耳に届く優しい語り口調は、かつて魔法学校で皆の前で優しかった791先生そのままで。

しかし、状況と言葉だけが絶望的に乖離していた。


408 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その9:2020/11/28(土) 18:14:08.023 ID:c2N6zHg.o
791『この話を公爵に持ちかける。
彼は馬鹿だから目先の利益に囚われ、何も考えずに領土拡大策に乗るだろうね。

武器の供給量、毎月の取引量から見て全軍の再武装化までには結構な時間がかかるかな。おそらく数年単位。

逆にその時間が私にとっては丁度いい。
この間、公国軍部から秘密裏に切り崩していって、ライス家無き後に使える人材を用意する準備期間に充てるよ。

そして、機を見てオレオ王国にはこちらから侵攻させる。

オレオ王国は非武装国。孤立している国に抗う士気なんて残ってない。仮に抵抗されても、すぐに全土は堕ちるだろうね』

791『そして王国を攻め落とした後に世論を誘導し、この戦争の“不当性”を訴える記事を多く出し民衆を煽る。
民衆の不満が頂点に達した時、民の代弁者として私が立ち公爵たちを追放し、新たな元首になる。

そのためには、侵攻に“理不尽な理由”が必要だ。
明らかにカキシード公国がオレオ王国に難癖をつけて、侵攻に及んだと思われる程の方が尚良いね』

穏やかな顔でとうとうと語る791から、No.11は目を離すことができない。
いま、自分はとんでもない話を聞いているのだと改めて感じると、握った拳の中で大量の手汗が噴き出した。


409 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その10:2020/11/28(土) 18:15:38.941 ID:c2N6zHg.o
791『オレオ王国はカキシード公国に不当に制圧される。

表向きは公国に文句を言えない世界も、均衡の崩れる状況を内心容認しているはずもない。
公爵の立場は国内外から批判にさらされ、追い詰められる。

私は政権内でも立場上、要職に付いていない“ご意見番”のような立場だし、自由に動くことができる。
こうして私は公国だけでなく、カカオ産地のあるオレオ王国までも手に入れることができるんだよ。

ようやく公国の“ゴミ掃除”ができるよ、No.11ッ!』

目をキラキラとさせながら無邪気に語る師の姿を見て、No.11は改めて791という人物を見直した。

彼女の力になりたいと思った。
目の前の恩師は、自分の祖国だけではなく。併せて隣国も支配するという遥かに大きな野望を抱いている。
【魔術師】になるという自らの目標など、大志を抱く彼女を前にしたら取るに足らない小さな願いだと思うほどに、野望を持つ彼女の姿は巨大な宝石よりも輝いて見えた。


元々、ゴミ捨て場のような所から恩師が孤児の自分を救い出してくれなかったら、自分の命運はそこで尽きていたかもしれない。
絶望の淵から拾い出し自分を見出してくれた恩師には、まだまだ返しきれないほどの恩がある。

宮廷魔術師だけで終わる人間ではないと思っていたが、まさかほんの小一時間の間にここまで先々の事まで見据えていたとは思っておらず、No.11は自らの矮小な考えを恥じ、改めて791に敬意を示した。
そして、補佐係を務める初日に決めた覚悟を、今一度心のなかで反芻した。

  彼女の悲願のためなら、自分の生命など投げ払っても構わない。


410 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その11:2020/11/28(土) 18:16:29.448 ID:c2N6zHg.o
そうした強い決意を宿したゆえ、No.11は真剣に考えた結果。
浮かび上がった当然の“疑問”を口にした。

No.11『素晴らしいお考えだと思います…しかし、そこまでうまくいくでしょうか?』

口に出してから。しまったとばかりに、No.11はすぐに口をつぐんだ。

目の前の師は、話の腰を折られることを酷く嫌う。
普段から主人の気に触らないように人一倍慎重に行動していたNo.11だが、この時ばかりは自らの興味と疑問が勝ってしまった。

案の定、うんうんと頷きながら考え込んでいた791はすぐに彼女に顔を向けた。
しかしその顔は笑みを浮かべたままだった。授業で正解を答えた生徒に向けていた顔と同じだ。

791『疑問はもっともだ、No.11。
なによりこの勘定には、【会議所】の動向が全く懸念されていない。

No.11の読み通り、争乱に乗じ【会議所】は動いてくるはずだ。
そうじゃないと¢さんが危険を冒してこちらに提案をした意味がまるでないからね』

No.11『【会議所】の狙いは何でしょうか。¢さんたちは何を考えているのでしょうか?』

791『ある程度までは想像できるけど、その手段までは私にも分からない。

だから、私の目に【会議所】を見てもらう魔法使いが必要だ。

そうだな。

“あの子”を呼んでくれる?』


411 名前:Episode:“魔術師” 791 追憶編その12:2020/11/28(土) 18:17:07.196 ID:c2N6zHg.o
“あの子”が、誰を指しているかは一瞬でNo.11は理解できた。
恩師の一番のお気に入りで、No.11の最も忌み嫌う人物だ。

普段は口ごたえなどすることもなく二つ返事で頷くのだが、その日は気も昂ぶっていたのだろう。
気がつけば、No.11の口からは本音が溢れていた。

No.11『お言葉ですが…彼はまだ魔法学校を出たばかりの新米です。素質は素晴らしいですが精神面では未だ――』

791『――No.11。あの子を連れてきなさい?二度は言わないよ?』

彼女の圧を前に、No.11はすぐに頭を下げることしかできなかった。




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412 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/11/28(土) 18:21:02.718 ID:c2N6zHg.o
No.11ちゃんかわいい。

ということでこっちも若干のTIPSを。
詳しい設定は終了後、wikiで公開しようと考えています。

https://dl1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1045/No.11.jpg


413 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/11/28(土) 18:24:13.933 ID:c2N6zHg.o
本章はあと2回の更新で終わります。

414 名前:たけのこ軍:2020/11/28(土) 22:31:40.593 ID:fsDNdTj.0
魔王様とイレブンちゃんの暗躍する感じがいいですね

415 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/04(金) 21:39:41.798 ID:XTm5tPUQo
あと2回で終わると言ったな?中途半端な文量になったからこの一回で本章は終わることとす。

416 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その1:2020/12/04(金) 21:42:08.404 ID:XTm5tPUQo
【カキシード公国 宮廷 魔術師の間 現代】

早朝。
自室で目覚めた791が転移ポータルで魔術師の間に入ると、早い時間だというのに数人の又弟子たちが笑顔でペコリと頭を下げて挨拶をしてきた。
その様子を見て彼女は、今日という一日が最高の日になることを確信した。


杖を突きながら数分をかけて、大ホールの中心にある自分の椅子まで歩いていく。

もう慣れてしまったから気にしていなかったが、よく考えればこの部屋は先日の講演ホールよりも遥かに広い。それに、形も歪で一面がガラスで覆われている。
そんな透明の球体状の部屋の中心で、独りだけポツンと仕事をする彼女の姿は、傍から見ればさぞ奇妙に映るだろう。

恐らく一部の貴族からは、“自らの力を顕示したいから広大な空間を魔術師791が選んだのだろう”と、やっかみを持たれていると思うに違いない。
だが事実はなんてことない。
カメ=ライス公爵が自分に“宮廷魔術師”の職を与える時に、わざわざ中心から離れた植物園を改装した部屋を執務室に選んだのは、
この部屋が他のどの部屋よりも一番外の景色を眺めることができたからだ。


大人になってから仕事や【会議所】に行く用事で外出することも増えた。
その度に、ふと気づけば立ち止まりその場の風景をゆっくりと眺める時間が増えたように思う。
幼少期に比べると体調は良くなってきているとはいえ、未だに“外”への憧れは捨てきれないのだろう。

全面がガラスで覆われているこの部屋は、まるで外にいるような錯覚を与えてくれる。
たまに陽の光が入り込んできて鬱陶しいと感じることもなくはないが、そう感じられるだけ贅沢な悩みというものだろう。
最近は本格的な夏が近づいてきたので、そろそろ薄手のローブを用意しようとは思ったが。


417 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その2:2020/12/04(金) 21:43:15.654 ID:XTm5tPUQo
いつもよりも早く辿り着いた791は自分の椅子に腰掛けた。
すると、タイミングよく待ち構えていたNo.11が頭を下げ、朝食用の脇机を魔法で出しその上に朝食を並べはじめた。
鼻孔をくすぐるこの良い香りは、ホットミルクとカステラだ。

昨日の夜はあまり食が進まなかったのを見越したのか、カステラはやや大きめだ。
自らの補佐として横に立つ彼女は、専属の栄養士よりも791の身を案じているのがよく分かる。

“いただきます”の掛け声とともに791がフォークを手に取り食べ始めると。
彼女の前に立っていたNo.11が、また計ったように頭を下げた。

No.11「報告します。本日、公国軍がカカオ産地へ侵攻を開始しました」

791「ふーん。

あッ。それよりも、今日のカステラ美味しいね。
ミルクがよく合うよッ」

No.11「自信作ですので」

主人からの賛辞の言葉に、No.11は恭しく頭を下げた。
目の前のカステラの頭をフォークでツツきながら、791は鼻歌を歌い始めた。


418 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その3:2020/12/04(金) 21:44:45.441 ID:XTm5tPUQo
791「今日はあいにくの雨模様だね。壮大な目論見の最終盤なんだから、晴れて出陣を迎えたかったけどね」

No.11「雨はお嫌いですか?」

791「ふふ、知ってるでしょ?個人的に雨は好きだよ。
晴れたらっていうのは、あくまで願掛けとしての意味合いでさ」

マグカップをテーブルに置き上空に目を向ける。
ガラス越しの空は薄黒い雲で覆われ、明るく照らされた室内と対比すると、その距離は存外近く感じられた。
耳を澄ませると、ポツポツと雨粒の天井に落ちてきた音が断続的に聞こえてきた。

事実、雨は嫌いではない。
あくまで個人の感想ではあるが、雨の中で使う魔法の調子は良い。丁度よい湿気、抑えられた気温などの軽微な変化が、自らの体調に良い影響を及ぼしているのかもしれない。
低気圧による自律神経の悪化で頭痛や肩こりを訴える人が多いと聞くが、791はまるでその逆だ。
おかげで今朝目覚めた際の僅かな湿気の変化で空が雨模様だと分かると、思わずにんまりと笑顔を浮かべてしまったほどである。


本来、当代随一の魔力を持つ791にとって、体調の好不調で有象無象の魔道士から遅れを取るような軟弱さは持ち合わせていない。
彼女の放つ魔法は鮮やかで、かつ熾烈で見る者をいつも圧倒した。

しかし彼女の身体は自身の魔力に耐えうるほど強靭ではない。
一発の強大な魔法により常人よりも遥かに魔力を消耗してしまうのだ。過去の経験がそれを証明している。


419 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その4:2020/12/04(金) 21:45:59.770 ID:XTm5tPUQo
当時、初めて国を出て【会議所】に辿り着き、【きのこたけのこ大戦】でたけのこ軍として鮮烈な戦線デビューを果たした彼女を前に、ただ人々は恐れ慄いた。
華奢な体の中に秘められた強大で破壊的な魔力で具現化した魔法光弾は、瞬く間にきのこ軍陣地を火の海にした。
自らの魔法をようやく披露する場を得た791にとってこれ程愉悦なことはなく、子どものように最大限の火力を使い、戦場を楽しげに走り回ったのだった。

しかし、その代償は計り知れなかった。
魔力を消耗した後は週単位で寝込み、回復をしても満足に身体を動かすことも難しくなる程痛む日もあった。
力を抑えて戦わなければ自分の生命の火はすぐに燃え尽きてしまうことを、この時に初めて悟った。

それゆえ、791は考える時間が増えた。
大戦では力を抑えながら活躍を続ける一方で、【会議所】の会議にも積極的に参加していった。
彼女の慧眼、好奇心、見識はこれまでの参加者にはない程卓越したものがあり、それ故彼女の発言権は瞬く間に高まっていった。

結果として、彼女が椅子の上から盤面の大局を見極め、的確に駒を動かすがごとく策謀家に変身を遂げたのは、偏に自身の体調に寄り添う形で仕方なく選択したものだったが。
天性の才能からか、彼女は戦闘力だけでなく頭脳的役務の才能も著しい程に高かったのだ。

周りに推される形で瞬く間に階段を上り、祖国ですっかりと公務という名のデスクワークに慣れてしまっていた彼女だが、たまに昔のように目一杯魔力を開放したいという気分に駆られることもある。
そんな時、窓の外に広がる一面の空が雨模様だと、791は少し胸が詰まる。
自らの活力が増す実感を得るとともに、心の中にある微かな感情に火が灯るのだ。


“ああ。今日のような天気なら。
初めての大戦のときみたいに、魔法で十分楽しめるのになあ”、と。



420 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その5:2020/12/04(金) 21:48:10.823 ID:XTm5tPUQo
791「ごちそうさま。さて、と。“あの子”に会ってくる」

No.11「…いってらっしゃいませ」

791の言葉に、少々ぎこちなくNo.11は頭を下げた。
彼女が彼に嫉妬にも似た複雑な感情を持ち合わせていることには前から気づいている。

【魔術師】とは平時から泰然自若でないといけない。
彼女は外見こそ無表情で眉一つ動かさず仕事をこなす精密機械のような魔法使いだが。
その実は年頃の女子らしく、様々な気持ちが渦巻き、時折こうして表に出てくることがある。

感情の起伏さは常に一定でないと雑念を生み、自らの魔法に影響を及ぼす。
その点で、【魔法使い】No.11は未熟だ。
それだけが、残念でならない。


しかし、同時にそんな彼女を愛おしくも思う。

征服者としてではなく一教育者として見れば、子どもの頃から感情を表に出すことが苦手だった彼女は、someoneという同年代のライバルを得て、ほんの少しだけ人間らしくなった。
教育者としてこれ程嬉しいことはない。

人間とは常に悩み、葛藤に苛まれ選択を迫られる存在である、と人生の折返しも来ていない791は既に達観している。
目の前の愛弟子も、これから幾度も悩み立ち止まる機会がくるだろう。
ぜひ考え抜き悔いのない選択をして、乗り越えてほしいと思う。
791は彼女の肩に手を置き何度かポンポンと叩くと、口笛を吹きながらしっかりとした足取りで歩き始めた。


421 名前:DB様のお通りだ!:DB様のお通りだ!
DB様のお通りだ!

422 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その6:2020/12/04(金) 21:52:53.845 ID:XTm5tPUQo
【カキシード公国 宮廷 地下室】

地下室の檻の中には、先日よりも衰弱しきった様子のsomeoneが力なく横たわっていた。

彼女が訪れても顔を向けず一切反応しないことから、一見すると生きているのか死んでいるのか分からない。
その場でしゃがみ込み、爪先に点した魔法の火を彼に近づけても反応はない。
が、一瞬だけ身体がピクリと動いたのを彼女は見逃さなかった。

彼はまだ生きている。

続いて檻の中に目を向けると、以前、791が魔法で創り出した泡のソファクッションは檻内の端に追いやられており、彼の決意の固さと彼女への反抗心が見て取れた。

791「おはようsomeone。
ちゃんと食事は取ってる?
No.11には食事の量を増やすように私から言っておくよ」

恩師の喋りにも、someoneは地面に伏した顔を上げずにいた。
気にせず791は近況を話し続けた。

791「今日ね、公国軍がカカオ産地に攻め込んだんだ。“君たち”の活躍で王国全土はすぐに制圧できると思うよ」

そこで初めてsomeoneに反応があった。
明確にピクリと身体を震わせ、そして機械仕掛けの人形のように汚れた顔を懸命に彼女の方へ向けた。

someone「…王国には斑虎がいます。そう安々とうまくはいかない」

791は彼の睨みには一切動じなかったが、決意の篭もったヘーゼルカラーの瞳の色に惚れ惚れとした。
吸い込まれそうなほどに美しく脆いと思った。


423 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その7:2020/12/04(金) 21:53:43.587 ID:XTm5tPUQo
791「君は私よりも彼のことを買っているね。いいよ、ならば君の忠告を受けよう」

パチンと指を一度鳴らすと、途端に791の足元に巨大な魔法陣が展開された。
暗闇の中に光る魔法陣は彼女を煌々と照らし続けたが、数秒も経たない内に陣は消え去った。

次の瞬間、彼女の横には、甲冑姿の一人の兵士が無言で立っていた。

791「これは私が事前に呼んでおいた【使い魔】だよ。
これを軍隊の中に紛れ込ませて、私のかわりに目となって動いてもらおうかな。
使い魔の召喚は魔力を多く消費するからあまり好きじゃないけど、弟子からの忠告じゃしょうがないね」

彼女の意を受けた使い魔は一度だけ無言で頷くと、踵を返しすぐに地下室を出ていった。

791「ねえsomeone。私はすごく君に期待しているんだよ。
君なら私の跡を継ぐ優秀な【魔術師】になれる。

だからさ、教えてほしいんだ――」




―― 【会議所】は一体私に何を隠しているの?





424 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その8:2020/12/04(金) 21:54:47.267 ID:XTm5tPUQo
someoneは目の前の“大敵”を前に、目を瞑り下唇を噛み恐怖に耐えた。
そして、青ざめた顔で静かに首を横に振った。

檻の傍にあった椅子を引き寄せると自然と腰掛けた791は、困ったように頬杖をついた。

791「時間をかけて、君を縛る制約の呪文は解除してあげたよ?
それでもダメなの?

そもそもさ。私がどうして君に洗脳魔法をかけずに、君から話してくれるのを待っているか分かるかい?


someone、君は私の家族なんだ。


大切な家族にひどい仕打ちをするわけがないでしょう?」

791の言葉に嘘偽りはない。

だが、どうして彼女の言葉はここまで猜疑心を煽るのだろうか。

someoneは恐怖を通り越して目の前の“魔王”にただ憎しみを覚えることで、自らの反論のための原動力にした。

someone「貴方は自分以外の人命を軽視しすぎているッ。
だから、幾ら僕が貴方の弟子だからといって、【会議所】の秘密を明かすことはできませんッ!」

791「自分と自分の守りたいものを優先してなにが悪いの?
そういう君だって初めての親友になった斑虎の身を何よりも案じているよね?
哀れなオレオ王国の民のことは気にかけなくていいの?」


425 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その9:2020/12/04(金) 21:56:03.034 ID:XTm5tPUQo
someone「もちろん僕にも一番果たしたい目的はあるし守りたい人だっている。
…ですが、だからといってッ、目的のために他のものを蔑ろにし、挙句の果てには他者を“壊れてもいい玩具”扱いにするような、貴方の考え方は絶対におかしいッ!!」

“おやおや、随分な言われようだねえ。”

笑みを崩さずに、791は指を一度鳴らした。
暗闇から宙に浮いたハンカチが表れたと思うと、ふわふわと目の前の熱(いき)り立った愛弟子まで移動し、涙を伝っていた彼の頬をそっと拭った。

someoneは歯を食いしばり、下を向いた。

この人には何を言っても通じない。
表面上は家族のように接しながらも、自分の言葉は決して彼女の本心には響かない。弟子の戯言だとしか感じていない。
彼女の根底には絶対的な自信があるのだ。

someone「恥と無礼を承知の上で、言います…」

再度、ほんの一瞬、目を瞑った。
両の目から涙が溢れ頬を伝っていく。

someone「【魔術師】791ッ…あなたはッ、狂っているッ!!」

弟子からの熾烈な言葉に、寧ろ791は満面の笑みを浮かべた。

791「【魔術師】にとって、“狂気”とはただの褒め言葉にしかならないよ?someone」

檻越しに791は彼の頭をそっと撫でる素振りをした。
someoneはもう避ける気にもならなかった。


426 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その10:2020/12/04(金) 21:57:22.730 ID:XTm5tPUQo
791「優しいんだね。小さい頃からいつもそうだった。

君はいじめられ泣いている子を見るといつも助けていたね。
いじめの標的が君自身に移っても何一つ言わずに耐えていた。

困っている子がいると覚えたての魔法を使って、その子が笑うまで無言でずっと魔法を披露していたね。



君は優しい心を持った子だ。

偏に優しすぎた。



someone、君はね。



目標とする【魔術師】にしては“正常すぎる”。




でも、それこそが【魔術師】からすると“異常”であり。
君は既に類まれなる素質を得ているという裏返しにもなる。



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427 名前:Episode:“魔術師” 791 魔術師の条件編その11:2020/12/04(金) 21:58:31.281 ID:XTm5tPUQo
がっくりと項垂れるsomeoneを尻目に、791は立ち上がった。

791「君からの話を待っていたけど、もう時間が来ちゃった。

だからもう話さなくていいよ。
予定通り、カカオ産地は制圧され直にオレオ王国は滅亡しカキシード公国に飲み込まれる。
そんな強硬策を強いたカメ=ライス公爵は民衆の力を借りた宮廷魔術師791によって遂に駆逐され、平民から成り上がった者によりこの国は統一される。

私が玉座に就いた暁には君の手を借りなくてはいけない。
だから、今回のことは特別に不問にしてあげるよ。
でももうちょっとだけここにはいてもらおうかな」

“魔術師”791は狂っている。
だが、その狂気は純粋無垢な清純さゆえ来るもので、本人に悪意は無かった。


428 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その1:2020/12/04(金) 22:00:32.820 ID:XTm5tPUQo
【カキシード公国 宮廷 魔術師の間】

地下牢から戻った791は、機嫌よくメロンソーダの入ったグラスをストローで啜った。

雨は先程よりも強さを増してきたようだ。
遠く離れたカカオ産地の天気も同じだろうか。それとも、そんなことを気にする暇もなく人々は逃げ惑っているだろうか。

791「しかし、自主的な軟禁生活というのも楽じゃないものだね」

溜まっていた仕事も数日前に片付けてしまった791は、手持ち無沙汰気味に首を回した。

No.11「そうですね。ですが、いつもとやる事は大して変わってないようですが」

791「むっ、失礼なッ。
それじゃあ今日は久々に自分の魔法の整理でもしようかな。
数百以上あるし、過去の自分の魔法って稚拙だからあまり見返したくないんだけどね」

No.11「私はとても興味があります」

791「手伝ってもらおうかな?突然、暴発する魔法もあるから気をつけてね」

No.11「受けて立ちます」

二人は微笑んだ。


429 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その2:2020/12/04(金) 22:02:15.134 ID:XTm5tPUQo
「や、やめてくださいッ!いったいなにをッ!」

「ここに“宮廷魔術師”がいることはわかっているッ!おとなしくしろッ!」

突然のガシャガシャという鎧の擦れる音とともに、重装備に身を固めた近衛兵たちが一斉に室内に侵入してきたことで平和の一時は破られた。

彼らは部屋の端にいた又弟子たちの動きを封じると、続いて中心にいた791たちをすぐに取り囲んだ。
その動きは無駄なく洗練されており、入念に準備された計画性を予感させた。
魔術防衛のためのクリスタルの盾まで用意している周到さだ。
ざっと見渡しても百人はいるだろう。随分と大勢でやってきたものだ。

「“宮廷魔術師” 791ッ!“国家転覆罪”の罪でお前を捕縛するッ!おとなしく連行されろッ!」

銃を二人に突きつけ、先頭にいた兵士ががなり立てた。
椅子から立ち上がった二人はキョトンとした様子で顔を見合わせた。

791「あらら。公爵に私の企みがバレちゃったかな?」

No.11「ここ数日、大々的に動いていましたから。無理もないかと」

791「どうする?作戦決行までまだ日があるけど」

No.11「構いません。外の軍には既に合図一つで動けるように手筈を整えています。
791様には悠々、この宮廷内を“調理”していただければ十分かと」

791「あいかわらず優秀だね我が弟子は。恐ろしくなるほど」


430 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その3:2020/12/04(金) 22:03:14.654 ID:XTm5tPUQo
「何をごちゃごちゃ言っているッ!カメ=ライス公爵がお待ちだッ!」

791はすぐに怒号の主に顔を向けた。
笑っているはずなのに彼女から発せられる気を前に、兵士たちは一瞬言葉を失った。

彼女は人差し指を立て、生徒をあやす教師のように優しく兵士たちに語りかけた。

791「三秒あげるよ。公爵か私。どちらに付くのが利口か考えて選んでごらん?」

彼女の言葉に一瞬呆気に取られた兵士たちの緊張感は、その突拍子もない提案にすぐに緩み、嘲笑をもった笑いで上塗りされた。
百人程度の屈強な兵士に囲まれながら、なお優位な姿勢を見せようとする目の前の魔術師の浅はかさと滑稽さに思わず魔が差したのだ。

周りの笑い声を受けながら、先頭の兵士は気分良くさらに凄んだ。

「ふざけるなッ!抵抗するなら宮廷魔術師といえど容赦は――!」











    ジュッ。


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

431 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その4:2020/12/04(金) 22:05:45.926 ID:XTm5tPUQo
兵士たちは最初、その異変に気づくことが出来なかった。
しかし、そこに立っていたはずの兵士が消えていること、兵士のいた足元に不自然な焦げ跡ができていること、
そして鼻孔をくすぐる微かなシトラスの香りが漂ってきたことで、ようやく事態の“異常さ”に気がついた。

「ひ、ひいッ!」

「な、なにをしたッ!!」

兵士たちは、中心で肩を震わせ笑いをこらえている敵の姿に慄き、襲いかかることもできず足をすくませた。
791は笑いながらも残念そうに首を横に振った。

791「三秒。時間だよ?」

兵士たちは絶句した。

唯一、隣りにいたNo.11だけが心配そうに師の顔色を伺った。

No.11「いま“使ってしまっても”、良いのですか?」

791「構わないよ。
今日は気分も体調もとても良くてね。
絶好の魔法日和だよ」

そこで初めて791は自分たちを取り囲んでいる兵士たちを、ぐるりと舐め回すように眺めた。
武具で身を固めていたはずの兵士たちは、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなり、そこで何人かは本能が働いた。

狩られるのは相手ではなく自分たちだ、と。


432 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その5:2020/12/04(金) 22:06:24.202 ID:XTm5tPUQo
791「三秒ッ。

君たちは瞬間の判断ができない、愚か者だね。

そんなんじゃあ“イラない”。

私の弟子たちには遠く及ばない。十人、百人かかっても同じことだよ。
その手に持つ武器も、誰が君たちに与えたと思っているの?


まあいいや。反省してももう遅い。

そんな全てが遅い君たちは――

公爵と同じく、この大地の藻屑となるがいいッ!!」

瞬間、彼女の足元に巨大な魔法陣が展開された。

赫々(かっかく)とギラつくその陣の光を見て。
ようやく兵士たちは意識を戻し、同時に気がついた。

“あの魔法陣の輝きは、これから尽きる自分たちの生命の最期の光そのものだ”、と。


433 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その6:2020/12/04(金) 22:07:30.283 ID:XTm5tPUQo
展開された陣の中心で、久々の高揚感に791は感動し深く息を吐いた。

下唇にべっとりと付いた油の不快さも最早懐かしい。
いかにうまく燃やしても、どうしても油分は空中に漂ってしまうのだ。


身体が芯から暖まるこの感触。
久方ぶりだ。

そう。この感覚こそが【魔術師】にとって、最大の幸福。

791にとって最高の瞬間だ。


“この魔法”を撃つのは何時以来だろう。


434 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その7:2020/12/04(金) 22:09:09.091 ID:XTm5tPUQo
彼女が人を殺める魔法を産み出すのに、そう時間はかからなかった。

初めは扱いに苦労した。
何しろ外傷を及ぼす死の魔法は、寧ろその後の処理が大変なのだ。

改良を進めていく中で、“その魔法”は急速に洗練されていった。
初めは黒焦げになるほどに高火力で、次第に獲物の身体内部で魔法を点火させることで跡形も無く焦がす術を身につけた。
最後には骨すら残さず瞬間の火力を調整できるようになった。

それでもいくら工夫しようとも、やはり肉と骨の焦げた臭いは鼻をつき、不快にもその場に残り続けた。

これでは幾ら魔術が成り立っても“綺麗”ではない。
魔術とはやはりエレガントでなければいけないのだ。

考えた末に、爆発と同時に自分の好きな匂いで上書きさせれば、気持ちよく術を行使できるのではないかと思いついた。

考えはうまくいった。
本来、面倒だったはずの殺戮の作業は、途端に最高の魔術へと変わったのだ。

その魔法はいつしか彼女の【儀術】となり、その名は魔法後に薫る彼女の大好きな匂いの名前へとなった。


435 名前:Episode:“魔術師” 791 解放編その8:2020/12/04(金) 22:11:24.524 ID:XTm5tPUQo
兵士たちは遅れた数秒間を取り戻すように、途端に目の前の“魔王”に向かい銃、剣を突き出した。

「う、撃てッ!!!仲間をかまうな!撃って撃って、奴を止めろおおおおおお―――」

兵士たちは自分を鼓舞するように大声を上げて突撃し始めた。

クラシック音楽でも聞くかのように、うっとりとした面持ちで生者の最期の言葉を聞き終わった791は、
名残惜し気に眉尻を一瞬だけ下げると、あっさりと片手を突き出し詠唱し叫んだ。




791「儀術『シトラス』ッ!!!!!」






直後、室内にはむせ返るほどかぐわしい香りが立ち込め。

勢いを増した雨の天井を叩く音が、うるさい程響き渡った。







(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

436 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/04(金) 22:12:16.396 ID:XTm5tPUQo
魔術師章 完!
次にちょっとしたTIPSを書いちゃうぞ。

437 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/04(金) 22:16:26.157 ID:XTm5tPUQo
・儀術
究極儀法魔術の略で魔法使いにおける必殺技のこと。
特に、魔術師が自ら創り出した必殺魔法のことを指す。

◆儀術名:シトラス  術者:791
必消(ひっしょう)の儀術。指定した相手を内部から爆発破壊し、木っ端微塵に粉砕する。分子レベルで破壊するため跡形も残らず相手を消す。
時限爆弾的に発火の魔法を身体の内部に植え付ける形となるため、シトラスを埋め込まれた時点で術者を止めない限り、勝ち目はない。
術者が視認できている限り指定人数に限度はないが、人数の多さに比例して魔力消費は激しくなる。


438 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/04(金) 22:20:21.727 ID:XTm5tPUQo

791能力グラフ
https://dl1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1046/791%E8%83%BD%E5%8A%9B.jpg

No.11能力グラフ
https://dl1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1047/No.11%E8%83%BD%E5%8A%9B.jpg


次回から会議所章に突入!


439 名前:たけのこ軍:2020/12/04(金) 23:53:28.968 ID:RuVSnPeo0
魔王様の純粋な狂気にほれぼれするんよ

440 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/11(金) 19:08:53.952 ID:NDdxqdXMo
それでは会議所章はじめます。
だいぶ核心に突っ込んでいきます。

441 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン:2020/12/11(金) 19:10:42.093 ID:NDdxqdXMo




・Keyword
黒ネズミ(くろねずみ):
1 黒い毛色の鼠。黒みがかったねずみ色。
2 コソコソと裏で悪事をはたらく策謀家。個ではなく集団で意志を持つ獣。






442 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン:2020/12/11(金) 19:11:30.289 ID:NDdxqdXMo





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きのたけカスケード 〜裁きの霊虎<ゴーストタイガー>〜
Episode. “黒ネズミ”

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443 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その1:2020/12/11(金) 19:13:41.416 ID:NDdxqdXMo



人に物心がつく時期は、いったい何歳頃からなのだろうか。



大概の人間は、自らの記憶を辿り一番古い時期を答える場合が多い。
ある者は三回目の誕生日を迎えた際だといえば、もうひとりは五歳でサンタクロースがいないことに気づいた時だと言う。

それを聞いた見栄っ張りの人間は、一歳で乳母車の中から空を見上げた時だと嘯く。
また別の者は恥じながらも、初めて学校の門をくぐった時に感じた感慨深さを、物心ついた時期だと正直に明かす。

このように、人により記憶や感情の芽生えた時期は多少なりとも前後する。
しかし、いかに記憶力が乏しく意識が希薄な人間でも、大概は成人するまでに必ず自我を確立させる。

他者の何気ない所作や行動に意識を向け、次に“個”という自らの存在に疑問を投げかけ考え始める。
そして、最終的には自らと他人を区別する認識を身につける。

こうして物心がつき、自我が芽生えるのだ。



その理論でいえば。


きのこ軍兵士 滝本スヅンショタンの物心ついた時期は、常人より遥かに遅かった。



444 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その2:2020/12/11(金) 19:14:42.293 ID:NDdxqdXMo
滝本には生まれてからの記憶がなかった。

正確に言えば、以前までは覚えていたが、ある時を境にすっぽりと自らの記憶から抜け落ちてしまったのだ。
夢にも出てこないことから脳の記憶領域からも完全に消え失せてしまったらしい。

したがって滝本にとっては再度記憶を持ち始めたその時からが、人格形成の開始点だと定義せざるをえなかった。



自らが“生まれ変わった”ときの事を、今でも昨日のように覚えている。


耳元に微かに届いた数人の話し声で、滝本は目を覚ました。

まるで【大戦】後、激しい運動をした次の日の朝のような、全身の倦怠感があった。
いつも寝ているマットではない無機質な固さを背中越しに感じ、ここが自室ではないことをまず体感で理解した。

瞼だけをようやく開けると暫く視界は滲んでボヤケていたが、次第に焦点が定まり始めた。
眼前にはシミ一つない白い天井が映り、その下には自分を取り囲むように、見知らぬ人間たちが群がっていた。

滝本は自室ではない何処かで寝かしつけられていた。


445 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その3:2020/12/11(金) 19:16:27.103 ID:NDdxqdXMo
『おお、目覚めたぞッ!“実験”は成功だッ』

『どうですか、いまの気分は?』

視界の端にいた白衣を着た兵士たちが、長年探していた骨董品を偶然見かけた時のような、そんな感嘆さを含んだ声で話しかけた。
明らかにニヤついた笑みを隠そうともしていない。

困惑気に滝本が眉をひそめると、それを返事だと捉えたのか彼らはニヤついた笑みをさらに大きくした。

『君がこれから集計班氏の“遺志”を継いで会議所を率いるんだ』

『よろしく。滝本スヅンショタンさん』

下卑た薄ら笑いを一切隠そうともせず口の端に浮かべ、彼らは滝本の覚醒を喜んだ。





酷く、気分が悪い“目覚め”だったことを、今でもはっきりと覚えている。




446 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その4:2020/12/11(金) 19:17:45.058 ID:NDdxqdXMo
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 議長室】

滝本「…また寝ていたのか、私は」

机に突っ伏していたままの顔を上げ、きのこたけのこ会議所自治区域の議長・きのこ軍 滝本スヅンショタンは寝ぼけ眼を擦った。

咄嗟に机の左端にある置き時計に目を向けると、針は夜半を指していた。道理で冷えるわけだ。
近くに置いたカップコーヒーからすっかり湯気が消えてしまっているところを見るに、数時間は寝入ってしまっていたらしい。

滝本「ああ、承認書がヨダレで汚れている…」

今朝方、たけのこ軍 抹茶(まっちゃ)兵士が滝本に裁可を求めていた、“会議所の家庭菜園にネギを植える”計画書は、ヨダレでシワシワになってしまっていた。
どのみち承認の予定はなかったので不幸中の幸いではある。
滝本は人差し指で紙をつまむとゴミ箱に放り込んだ。


447 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その5:2020/12/11(金) 19:19:56.707 ID:NDdxqdXMo
きのこたけのこ会議所自治区域は世界の中でもとりわけ異彩を放つ存在である。

太古の歴史から存在した各国家に比べ、会議所自治区域はまだ発足して数十年に満たない若手格だ。

区域内の中心にある【会議所】は国家でいうところの首都にあたり、それ自体が一つの街となっている。
その中心にそびえ立つ会議所本部棟は政府機構にあたる要所だ。
区域内では細分化された行政区を持たずに、会議所本部と各々にある会議所支部が行政を見守っている。

明確な法は幾つかあるが、会議所本部から発せられる“御触れ”や発表に皆が耳を傾け、善意を以て行動する。
とき往々にして、善意が法より優先されるのだ。

会議所本部も日々会議室で“会議”という名目で自治区域の継続発展に向けた話し合いが行われるが、議会という形式は取られておらず、参加も必須ではなく人の出入りも自由だ。
その日の議題も決まっていないこともしばしばで、ほとんど雑談に終わることもある。
今日の昼間の定例会議もついに話すことも尽き、最後の議題は“きのこ鍋とたけのこご飯はどちらが美味しいか”という題目で、案の定会議は早々に終わった。

国家のような厳格な体系も法もなければきめ細やかさもない。
ただ、その代わり圧倒的な自由度とポテンシャルを秘める地。それが会議所自治区域だ。

このように根幹の部分で黎明期の曖昧さを残したまま、【会議所】は発展してきた。


448 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その6:2020/12/11(金) 19:21:29.864 ID:NDdxqdXMo
会議を取り仕切るのが議長たる滝本の役目だが、【会議所】内での議長という役職は、一般のそれとは意味合いが大きく異なる。

会議所自治区域においては、議長とは会議だけでなく区域を治める実質的な元首である。

滝本は自治区域内で生活する数百万以上の兵士たちのトップに君臨している。その分、彼に降りかかる仕事も尋常な量ではない。

内政だけでなく世界にも目を向け、外交や国際会合への出席など、通常であれば閣僚毎に割り振られる仕事を全て担わなくてはいけない。
そのため、ほぼ毎日徹夜続きだ。
議長になってから五年程経つが、未だゆっくり寝られる時間はほとんど無い。

と、ここまで語ると滝本の超人さが際立つが、その実彼は少々の面倒くさがり屋である。

先代とは違い担える仕事量にも限界があるため、最近は周りの人間に積極的に仕事を割り振るようにしている。
そうして空いた時間は、このように昼寝に勤しんでいるというわけだ。

起きたてのぼんやりとした意識の中で、腰まで届こうかという青の長髪をポリポリと掻いていると。
丁度、コンコンと部屋の扉を叩く音がした。

返事をすると開け放たれた扉から、焦げ茶色のマントに身を包んだきのこ軍 ¢(せんと)がヌッと姿を表した。

¢「時間です。お迎えにきたんよ」

舌足らずな口調で、仏頂面の¢は淡々と告げた。

もう一度時間を確認すると、時計の針はちょうど約束の刻を指していた。
何も先程から時間が急に進んだわけではない。単に滝本が忘れていただけだ。


449 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その7:2020/12/11(金) 19:22:12.201 ID:NDdxqdXMo
滝本「おや、もうそんな時間ですか。分かりました、行きましょう」

目の前の書類から離れたい気持ちもあり、滝本は自分でも思った以上に軽やかに立ち上がると、議長室から飛び出すように扉の外に出た。
そこで暗闇の通路が、まだ春特有の底冷えの真っ只中にあることに気がついた。

いま彼の服装といえば、深紫(ふかむらさき)のアオザイにインナー代わりに黒のスキニーパンツと薄手の格好だ。
きっとこの格好ではこれからの道中は冷えるに違いない。

一度外に出た滝本はすぐに踵を返し、部屋のハンガーラックにあったコートを何着か覗きみ、丁度いいものを羽織った。
そして、外で待たせていた無言の¢に言い訳するようにトレードマークの青髪をもう一度掻いてみせた。
“寒すぎるのが悪い”、と。


450 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その8:2020/12/11(金) 19:23:07.211 ID:NDdxqdXMo
暗く冷えた本部棟の廊下を二人で歩いていく。

普段は何人かの兵士とすれ違うが、明かりのない夜半は二人の靴音が反響するだけだ。
知らない人間が肝試しとして訪れれば相当怖いだろうが、あいにくと本部棟の構造は分かり尽くしているため今さら恐怖という意識はない。

滝本「馬車はもうあるので?」

先を進む¢は何も言わずに頷いた。
チラリと見えたフード内の彼の横目は、暗闇の中で仄かに朱く光っている。

無理もない。
こんな夜更けに二人がいることを誰かに感づかれては、これまでの“計画”が全て無駄になるのだ。
彼が気を張っているのも、今夜の“密会”を誰にも見つからないためだ。

実に殊勝な心がけだと思う一方で、滝本は未だ欠伸を噛み殺すのに必死で、どこか緊張感を欠きながら¢の背中を追いかけて進んだ。


普段は使わない裏口から外に出ると、目の前には馬車が停められていた。
扉を開け二人が乗り込むと、既に構えていた運転手は音も発さずに鞭をしならせ、馬車は静かに動き出した。


451 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その9:2020/12/11(金) 19:24:45.448 ID:NDdxqdXMo
深夜の中、馬車は静かに【会議所】を出て郊外へ進んでいく。

向かい合いで座っていた二人だが、しばらくは互いに言葉を交わすことなく、滝本は車輪の地面を擦る音を聞いていた。

思えば、目の前の¢とは長い付き合いになる。
出会ったばかりの頃の彼はまだ若く、端正な顔立ちと太陽のような輝く金髪から、巷では二枚目兵士として大変な人気だった。
今は苦労の分だけ薄くなった前髪と、餅のように垂れ下がった皺と頬のたるみでかつての姿からは見る影もないが、時折見える横顔にはかつての名残を少し感じることができ懐かしい気持ちになる。

彼とは別に不仲ではなく、寧ろ気心知れた仲だからこそ言葉を介さなくても平気なのだ。
確かに彼は口下手で必要以上に会話をしない人間ではある。だが、【会議所】が抱える様々な問題には共通で取り組みその度によく会話を交わしてきた。
澄ました顔をしながら、熱い心を持った人間だということも滝本はよく知っている。

そういえば、と思い出したように滝本は¢に声をかけた。

滝本「現在の進捗はどうですか?」

¢「順調です。先日は“9号機”の稼働テストまで終えました」

それは結構、と滝本は呟き。
自らの背後の窓にかかっていたカーテンを開け、外の景色をチラリと見た。

夜半ということもあり外の田園地帯には夜闇が広がっている。
唯一、自分たちが先程までいた【会議所】は大分小さくなったが、仄かな光を放っていた。

¢「チョ湖まではまだ少し距離があります。少し休むといいんよ」

彼の気遣いに、滝本は僅かに口元を緩めた。

滝本「ありがとうございます。ですが生憎と先ほどまで休憩は十分とっていましてね」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

452 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その10:2020/12/11(金) 19:26:16.131 ID:NDdxqdXMo
馬車は遥か前に街中を出て森林地帯に差し掛かっていた。

だいぶ時間も経った頃だ。【会議所】は遥か前に見えなくなった。
気温が少し下がってきたように感じる。息を吐くと白いのは、山間部が近い証拠でもある。

滝本「改めて、“先日”はご苦労さまでした。大変でしたでしょう」

形式的に滝本は頭を下げた。
¢も一息つき、その白い息は馬車の中で少しだけふわふわと漂った。

¢「問題ないんよ。それに、危ない資料は全て処分したからこの間の二の舞にはならない」

滝本「良かったです。今日の会議でも言ったように、今は各国のお偉方を呼び込む特別大戦の継続実施を呼びかけたばかりです。
先日のように“パパラッチ”に嗅ぎつけられては、我々の計画は頓挫します」

¢「でも良かったのか?」

滝本「なにがですか?」

彼の言いたいことはわかっていたが、滝本はとぼけて窓の外に広がる常闇を眺め続けた。
彼がローブの中で眉間に皺を寄せたのが、見ていなくても手に取るようにわかった。

¢「加古川さんをあの場で始末すれば、後顧の憂いも断てたというのに」

滝本「彼を殺すと単純に【会議所】上での手続きや処理が面倒ですので」

“それに”、と言い訳すると同時に。
そこだけ早口になったことをやや反省しながら、滝本はゆっくりとした口調で説明を続けた。


453 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その11:2020/12/11(金) 19:27:11.832 ID:NDdxqdXMo
滝本「…加古川さんは暫く目を覚ましません。それでいい。
彼が目を覚ます時には全て終わっていますよ」

説明を聞き終わっても、¢はしばらく無言で滝本の青髪を睨み続けた。
この無言の間が意味するところを滝本も気づいている。

先日、加古川がケーキ教団に侵入し一戦を交えた際、こちらの“絶対に殺さず生け捕りにしろ”との指令に、現場の¢が強い不快感を覚えていたのは既に聞いている。
その後、赤の兵<つわもの>は瀕死の中で捕縛され、滝本たちの息がかかった緊急病棟で、敢えて目を覚まさないように治療を続けられている。

暫くすると¢は根負けしたのか一度深いため息を吐いた。
窓越しに彼の白い息が見えた。
滝本は敢えて聞き流した。

その後にぼそりと呟いた“甘いんよ”という彼の本音も、あわせて滝本は聞き流すことにした。


454 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その12:2020/12/11(金) 19:28:58.835 ID:NDdxqdXMo
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団本部】

数時間の後。
馬車は急な坂道を登り始め、暫くすると古びた鉄門を抜け丘の上にある古城に到着した。

ケーキ教団の本部だった。
窓越しに数人の兵士が到着を待ち構えている様子が見えた。

「お久しぶりです、滝本さん」

滝本が馬車から降りると、白衣に身を包んだ老研究者が諸手を上げ到着を喜んだ。
二人は軽く抱擁した。

滝本「どうも、化学班(かがくはん)さん。変わらずお元気そうで何よりです」

化学班「数年ぶりじゃないか?君がここに来るのは」

滝本「そうかもしれません。もうすぐ“仕上げ”の時期ですから」

きのこ軍 化学班から離れた滝本は軽く伸びをしながら、チラリと湖畔の方に目を向けた。

滝本「順調そうですね」

湖畔を歩く“きのたけのダイダラボッチ”を見ながら、特に驚く様子もなく滝本は淡々と感想を述べた。

化学班「これは10号機です。“彼”はまだまだ器との融合を完全に果たしていないのか、歩行がぎこちないんです。
“現役”のときは誰よりも疾く戦場を駆け回っていたのに」

滝本「安心してください。それもすぐに“思い出す”でしょう」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

455 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その13:2020/12/11(金) 19:30:30.783 ID:NDdxqdXMo
古城の外れにとりわけ古い塔が一本そびえている。
周りは草で生い茂り、蔦は巻き付き自然の中に溶け込んでいる。
普通の教団員であれば誰もが通り過ぎてしまうような古びた塔の中に、一行は躊躇いもなく進んでいった。

外から見るよりも塔の中は意外と広く吹き抜けになっていたが、風も吹いてないのに冷気が漂い酷く底冷えした。

滝本「この間の戦いで、ここの存在に気づかれなくてよかったですね」

¢「加古川さんと戦ってる時も、それがずっと気がかりだったんよ」

全員が塔の中に入ったことを確認すると、化学班はつかつかと壁際まで歩いた。
内部まで蔦や苔が自生している中で、よく目を凝らすとレンガの一片だけが微かに浮いている場所がある。
彼は何の躊躇いもなくそれをぐっと押し込んだ。

すると数秒の無音の後。

全員が立っていた塔の台座は、内部にある機械仕掛けの歯車を微かに軋ませながら、ゆっくりと地下へ下がり始めた。

化学班「歳を取ると、この落下していく感覚がたまらなくてですなあ」

滝本「ご老人は相変わらず、変な感性をお持ちだ」

ニカリと笑う様子は、白衣さえ来ていなければその辺にいる老人と何ら変わりはない。
だが、彼の頭脳がこの“計画”の肝だったのだ。そして、その見立ては見事に正しかった。

数分もすると一行を載せた台座は、静かに湖畔の地下階層に到着した。


456 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その14:2020/12/11(金) 19:32:18.633 ID:NDdxqdXMo
地下の様子は、一言で表せば巨大な格納庫だった。

鍾乳洞よりも遥かに高く奥行きがある開放的な空間に、天井には人工の照明灯が幾つも付けられ内部を明るく照らしていた。
奥に続く通路は人工的に敷かれ、辺りには所狭しと機材も並べられ、あまりの整備具合に初見の人間ではここをチョ湖の地下だとは気づかないだろう。


彼らはここを、秘密裏に【メイジ武器庫】と呼んでいた。



そしてその武器庫の大部分は、巨大で透明なオブジェで占められていた。
ゆうにで数十mの幅はあるだろう。

その所狭しと並べられている透明な結晶体の周りに天井から吊り下がった機材やホースが幾つも伸びているところを見るに、
事情を知らない者も、この彫刻のようなオブジェを格納するための場所だということだけは予感させるものがあった。



そのオブジェは、先程まで湖畔上を歩いていた“きのたけのダイダラボッチ”そのものだった。


メイジ武器庫には、彼らは何体も、暗闇が広がる奥までズラリと横たわって並んでいた。


457 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その15:2020/12/11(金) 19:32:52.375 ID:NDdxqdXMo
滝本「いやあ。これは壮観だな…」

久々に武器庫に足を踏み入れた滝本は、眼前に広がるダイダラボッチの巨体に改めて感嘆した。

化学班「あと二月もすれば、目標の台数に到達します。
そうしたらいつでもご命令で外に出せますよ」

隣で化学班がそう告げると。滝本は、今日初めて笑みを浮かべた。

純粋ではない、濁った笑みを。


458 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 夜陰編その15:2020/12/11(金) 19:34:21.968 ID:NDdxqdXMo
https://download1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1048/5%E6%BB%9D%E6%9C%AC%E3%80%80%E6%A1%88%E5%86%85%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89.PNG

この章の主人公。
間抜けそうな面をしておる。

459 名前:たけのこ軍:2020/12/11(金) 22:32:10.132 ID:OGkBNIQ20
闇が見えていくのがたまらん

460 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その1:2020/12/18(金) 22:44:47.168 ID:lMa9vqFIo

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『新議長は滝本スヅンショタン…?誰だ、そいつ。知らねえな』

『集計班さん亡きいま、どこの馬の骨とも知らない奴が議長とあっては、【会議所】はもう終わりだな』

『集計班さん直々の指名とは言うけど…正直、誰だか分からないやつに従うなんてできないよなあ』



五年前。

議長に就任したばかりの頃は多くの陰口を叩かれた。

新議長として会議所本部に初めて足を踏み入れた日のことを今でも覚えている。
歓迎とは程遠い、大勢の冷めた視線を一身に受けながらの初日だった。

当時【会議所】で味方だったのは参謀や¢を始めとする一部の兵士たちだけだった。
大多数の人間は廊下ですれ違った滝本を胡散臭そうに見つめながら、心の中では品定めしては彼が通り過ぎるとすぐに後ろ指をさしていた。

無理もない。
会議所自治区域の運営が軌道に乗り始め、発展期から安定期へと移り変わろうとしている最中に、大黒柱である先代議長・集計班(しゅうけいはん)が突然亡くなったのだ。


集計班という人物は温和で協調性に優れる一方で、世界の大国とも渡り合えるだけの度胸や積極性もあった。皆が憧れるお手本のような兵士だった。

【大戦】では、集計係という名のゲームマスターを積極的に務め、【会議所】では議長として個性的な面子を一致団結してまとめ上げ、時には緊迫した二国間の交渉事に仲介者として参加するなど、他国からの信頼も厚かった。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

461 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その2:2020/12/18(金) 22:46:32.797 ID:lMa9vqFIo
その訃報とともに、滝本を後継者として新議長に指名するという旨の彼の遺言は、たちまち世界に知れ渡ることとなった。


こうして滝本スヅンショタンという人間は、唐突に歴史の表舞台に姿を現した。


それまでは【会議所】内でも禄に要職に付いたこともなく、【大戦】でも目立った戦果を上げていない、所謂パッとしない兵士だったのにも限らずだ。

当然【会議所】内外から批判が相次いだ。
血縁関係も無ければ生前から知己の間柄でもなかった。その本人といえば特に驚くことも戸惑うこともせず、あっさりと議長の要請を受諾した。
区域内の住民は滝本という人間の得体のしれなさに不安がり、心の内に芽生えた恐怖を抑えるために、ある者は顔をしかめ、またある者は日々暴言を浴びせ続けた。


もし自分も同じ一区域民だったら周りと同様のことを毒づいていただろう。
それ程、当時の区域内は不安に揺れていた。


そんな歓迎されない中での新議長としての初仕事は、先代の葬儀準備と世界中から訪れる弔問客への対応だった。


酷く暑い夏の日だったことを、今でも覚えている。


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462 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その3:2020/12/18(金) 22:48:24.655 ID:lMa9vqFIo
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団本部 地下 メイジ武器庫】

滝本たちの目の前には、横たわった“きのたけのダイダラボッチ”たちが生鮮市場の魚のように、ずらりと規則正しく並んでいた。
ホウと思わず口から出た息の白さは、先程馬車で出た息のそれよりも濃さを増していた。

滝本「あまりの壮大さに思わずくらくらしますね。
もう接続試験は全て終えているのですね?」

化学班「はい、今のところ“器”と“魂”の致命的な乖離(かいり)は起きていません。
95黒(くごくろ)主任、報告を」

呼びかけを受け、彼の足元にいた白猫がスッと前に出た。
否、それは白模様の猫ではなく白衣を纏った元・きのこ軍 95黒(くごくろ)兵士だった。

95黒「はいッ。現在、新型陸戦兵器<“サッカロイド”>は9体までの動作確認を終了しています。それぞれ個人差はありますが、進捗は良好です。
ここにきてペースは上がっています。このまま順調に推移して、あと二月もすれば全て出撃可能な状態となります」

¢「あと二月…そろそろ “計画”を実行に移す本格的な準備を始めたほうがいいでしょう」

横で囁くようにつぶやく¢の声に、厚手のコート姿の滝本も力強く頷いた。

滝本「そうですね。
まあ、実際に動いてもらうのはカキシード公国とオレオ王国ですが…
専用武器の準備はどうですか?」


463 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その4:2020/12/18(金) 22:49:37.113 ID:lMa9vqFIo
95黒「こちらは一足先に既に全員分の武器を完成させています。
実験も行い火力、出力ともに問題ありませんでした」

化学班「最近は上の方で【大戦】をよくやってくれているからね。
海で実験するのも注目を浴びなくていい。こちらとしては楽で助かるよ」

滝本「まあ、そのための【大戦】強化月間ですので」

会議で了承されているため、ここに来て【大戦】の開催を頻発することに問題はない。
皆が【大戦】に目を向ければ、少し外で“おかしな事が起きても”早々気づかれはしないのだ。

滝本「他に、現時点で何か問題はありますか?」

猫姿の95黒は困ったように前足で頭を掻いた。

どうでもいいが、彼がこの姿になったのはいつからだろうか。既に五年前の時点で人間の容姿を捨てていたように思う。
滝本は昔に思いを馳せてみたが、記憶が曖昧なためすぐに思い出すことをやめた。

95黒「分かっていたことですが。“器”と“魂”の定着率は、完璧ではありません」

95黒は地面においていた紙の資料を前足で器用にめくった。

95黒「今日現在で70%程度ですね。
つまり“魂”の出す命令を、10回に3回“器”が受け付けないということになります」

¢「この確率をいかに100%に近づけるかが喫緊の課題なんよ」

予想していたように、芝居がかった様子で滝本は繰り返し頷いてみせた。


464 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その5:2020/12/18(金) 22:50:34.456 ID:lMa9vqFIo
滝本「なるほどなるほど。わかりました。
その件についてですが、私に幾つかプランがあります。
ですが準備が必要なので、追って検討としましょう」

言い終わると、滝本は目の前で冷気を発しながら横たわっている、一体のきのたけのダイダラボッチこと陸戦兵器<サッカロイド>に近づいた。
そして、すぐ傍まで近寄ると、親が子を撫でるようにそっと優しくその身を撫でた。
通常の人間であればドライアイスに触れるが如く、その冷たさに思わず手を引くほどの反応を示すものだが、彼は凍傷を気にすることなくただ撫で続けた。

すると彼の慈愛に応えるように、白く透き通る巨体の中心から微かに赤い光がサッと漏れた。


陸戦兵器<サッカロイド>の心臓部だった。


その反応に、滝本は思わず笑みを零した。

滝本「ふふッ、“竹内さん”はせっかちだなあ。
待っていてくださいね、もうすぐ戦場に行けますから…」

再度陸戦兵器<サッカロイド>の“魂”は、燃え上がる炎のようにメラメラと何回も点滅を繰り返した。

その光景を、白衣を着た一人と一匹は背後から物珍しそうに見つめていた。
さらに背後にいた¢はローブの中から黙って彼を見守っていた。


465 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その6:2020/12/18(金) 22:51:13.441 ID:lMa9vqFIo
滝本「残りの“魂”をここへッ!」

滝本の呼びかけに、白衣の兵士が小型の昇降台車を引きずりながら現れた。
台車の上には、人の顔以上の大きさはあるだろうガラス瓶が綺麗に二つ並べられていた。


瓶の中には黄色、朱色。


色鮮やかな空気の“モヤ”のようなものが立ち込めている。


滝本は手を広げ両手で二つの瓶を囲うと、自分の身体に抱き寄せるような形で引き寄せた。

滝本「“とある”さん。“ゴダン”さん。待っていてくださいね。
あなた方もすぐに“器”と融合できますよ。そうすれば、現役の時のようにすぐに暴れられましょう…」

彼の言葉に呼応するように、瓶はカタカタと独りでに震えた。

まるで歓喜にうち震えるように。

95黒「さすがは滝本さんですね。
歴戦の英霊たちをあそこまで奮い立たせるなんてッ。僕にはとてもできないな」

化学班「純粋だなあ、君は」

猫の研究員の素直な感嘆に、隣の老いた科学者は笑いをこらえきれないようにクツクツと声を漏らした。


466 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その7:2020/12/18(金) 22:52:25.894 ID:lMa9vqFIo
95黒「どういうことですか班長?」

化学班「三人の英霊は滝本さんだけと話しをしているわけではない、ということだよ」

その言葉にすぐに95黒は合点がいったのか、“なるほど”と前足でもう一方の前足をポンと叩いた。


滝本は魂の入った瓶たちを最後にもう一度だけ抱き寄せると。
名残惜しそうに台車にそっと戻すと、そのまま¢の下へ戻ってきた。

¢「もういいのですか?」

滝本「ええ。あまり此処に長居するのも得策ではない。
今日は進捗の確認だけです」

¢は頷き、いの一番に踵を返した。
滝本も後を追うように歩き出したが、すぐに立ち止まると再度振り返り、武器庫全体を感慨深げに眺めた。

滝本「それでは皆さん。これから特に忙しくなります。
私もこれから定期的に顔を出すようにしますので、引き続きよろしく頼みますよ」

95黒は小さい背筋を伸ばし前足で敬礼を、化学班は首を曲げダラけた様子でニヤケながら彼らを見送った。


467 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その8:2020/12/18(金) 22:53:34.207 ID:lMa9vqFIo
地上の教団本部に戻った二人は、停まっていた馬車に再び乗り込んだ。
すぐに音もなく馬車は動き出し、【会議所】への帰路を辿り始めた。

¢「陸戦兵器<サッカロイド>の出来は見事だったでしょう」

馬車が動き出すと、行きとは違いすぐに¢は興奮気味に話しかけてきた。
青髪を揺らしながら滝本も満足気に頷いた。

滝本「ええ、ええ。素晴らしい。
¢さんからの報告書である程度全容は把握していましたが。いやあ、実際想像以上でしたよ。

まさか彼らが、超コーティングされた“飴型”の歩行兵器だとは。

誰も想像つかないでしょう」

¢「その飴も、全世界の角砂糖をブレンドした特別製です。
特にカキシード公国産の角砂糖は土地柄か、微量の魔力が詰まっているからか、ブレンドさせると水晶より高い硬度を造りだすことができる。
この事実に気づいているのは我が会議所自治区域だけです」

滝本「いや本当に。
¢さんの着想力を元に、化学班さんと95黒さんの繰り返しの実証実験で、遂にとてつもない硬度を持った飴を創り出すことが出来た。
正当な運用ならば世界から表彰されてもいい程の発見です」

¢「本当です。まさか公国も、武器提供の見返りの真の目的が“角砂糖”だったとは、気づくまい」

彼はローブの中でくくくと愉快そうに笑いを漏らした。
滝本から見れば、彼も地下の二人に負けない程の研究者肌な人間だ。
一度思い描いた理論を形作るためにとことんまで考え抜き、その達成のためならばあらゆる努力も惜しまない。
本来ならば彼も研究者として地下部隊の一員として働いたほうが、本人にとっても良かったのかもしれない。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

468 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その9:2020/12/18(金) 22:55:16.464 ID:lMa9vqFIo
滝本「さて、数日後にはまた【大戦】ですね。
今回は¢さんが公国との密取引の当番なんでしたっけ?」

¢「いや、今回は別の人にお願いしているんよ」

滝本「そうですか。ならば今回は¢さんが参戦できるから。きのこ軍の大勝は間違いなしだな…」

事実、彼の戦闘能力はピカイチだ。
純粋な継戦能力ならたけのこ軍でも肩を並べる者はいないだろう。

彼には類稀なる能力が多々ある。
心の中では、そんな彼をいつも羨ましく思っている自分がいる。
自らの素質で、努力で手にしてきた過去と未来が滝本の目にはいつも眩く輝いて見えるのだ。与えられ、ただ言われてきたことをこなしてきただけの自分とは違う。

だからこそ隣にいてほしいのかもしれないと、滝本は自分の中に芽生えた感情に対し一つの答えを見出した。
自らとは真逆のタイプの人間だから強い刺激を感じているのだ。
もし彼がいなくなれば、いよいよ滝本の心は雨の日のガラスのように曇りきり、遂に感覚までも麻痺してしまうかもしれない。



そんな知らずのうちに怯えている自分の矮小さを、同時に心の中の別の自分は嘲笑った。



なんて無駄で、愚かな感情なのだと。




469 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 闇路編その10:2020/12/18(金) 22:56:43.204 ID:lMa9vqFIo
そうこう考えている内に、馬車は再び会議所本部に到着した。

時間は丑三つ時を少し回った程度だ。
一足先に馬車から降り凝った首を回していると、後から降りた¢は“さて”と声をかけた。

¢「ぼくは家に帰るけど、まだ仕事していくん?」

背後からの言葉に、滝本は振り返った。
ローブの中の瞳は、今はそこまで強く光っておらず、切れかけの電球のような仄かな温かみの色を宿している。

滝本「ええ。もはや議長室が家のようなものですから」

¢「なるほど。だからよく寝てるんだな」

滝本はニコリと笑い、彼の皮肉を無言で受け流した。

¢「それじゃあ、おやすみなんよ」

滝本「ええ、おやすみなさい」

二人は本部棟の前で別れた。
不穏な夜は、こうして静かに更けていく。


470 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/18(金) 22:57:30.302 ID:lMa9vqFIo
考え抜いた結果、95黒さんは猫のまま出すことにしました。

471 名前:たけのこ軍:2020/12/18(金) 23:30:44.982 ID:z.2MHdwo0
角砂糖だからサッカロイドはなるほどぉ〜〜〜

472 名前:たけのこ軍:2020/12/19(土) 23:00:57.492 ID:l8lRnlf60
これはサッカロイドのカードフレーバーが気になりますねぇ…

473 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2020/12/26(土) 21:41:32.193 ID:ORB7yMpoo
今日少し長いけど許してちょ

474 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その1:2020/12/26(土) 21:44:25.613 ID:ORB7yMpoo

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『集計班さんは本当に優しい方だ。貧しかったこの村も【会議所】の領内に加えてもらい、【大戦】に使用する武器製造の仕事まで与えてくださった。あの方には感謝しかしとらんよ』

『集計さんには多大な恩義を感じているわ。病気で【大戦】に参加できなかった息子を勇気づけるために、きのこ軍エースの¢様を連れてきてくれたのよ。あの子、すごい喜んでいたわ。
その後、病気も良くなって今では【大戦】で撃破王を取るまでになったのよ』

『俺は昔、自治区域内で反ゲリラの活動をしてた不穏因子ってやつでよ。ヤンチャしてた時期があったんだ。ある時、【会議所】にしょっぴかれた時があってな。
でもあの集計班の奴とくれば、俺を罰すことなく笑顔で解放したんだ。“その勇敢さを是非【大戦】にぶつけてください”ってな。以来、あの人には頭が上がらねえんだ』

新議長として地方を行脚する中で、色々な話を聞いた。
そのどれもが、前議長の集計班への感謝と恩義の言葉だった。

滝本はただ人々の話を聴き相槌をうつことしかできなかった。それは何も自分でなくてもできることだった。
彼らも目の前の新議長と話をするという特別な感情よりも前に、集計班という人間に思いを馳せることに夢中のようだった。

仕方がないことだと思った。怒りも悔しさも感じなかった。
実績の無い自分にとって、今は人々の話に耳を傾けることしかできないことを理解していた。


475 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その2:2020/12/26(土) 21:45:15.147 ID:ORB7yMpoo
791『シューさんの人気は本当にスゴかったんだね…気負いすぎないでね、滝本さん。
貴方のことはみんなで支えるから』

同行していたたけのこ軍 791(なくい)が無言の自分を見かねて、気遣いの言葉をかけた。

その時の滝本は別に気負いすることもなく、同時に過度な責任感も持ちあわせていなかった。何も感じていない、という気持ちが正しい。
だが、彼女の気持ちには感謝の態度で示そうと思った。

滝本『大丈夫ですよ791さん。
あの人の遺志は、たしかに私が継いでいます。

亡くなったとしても、あの人の心はきっと私の心に“働きかけて”いると思います』

その返しを詩的に感じたのだろう。
彼女の浮かべた柔和な笑みが印象的だった。


滝本の言葉は嘘ではなかった。
二代目議長に就任した際に、滝本は確かに彼の“遺志”を継いだのだ。



476 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その3:2020/12/26(土) 21:46:34.164 ID:ORB7yMpoo
自治区域の政策決定、数百万規模で人が動く【きのこたけのこ大戦】のルール運用策定、【会議所】の人事配置他定期的に起こる両軍でのいざこざの仲裁、諸外国との外交交渉など。

きのこたけのこ自治区域の議長の務める業務量は、他国から見れば常識外の一言に尽きる。
並大抵の人間ならばその重責にすぐに押しつぶされてしまうに違いない。

だが、滝本は辛抱強い人間だった。
それも自分で思っているよりもかなりの粘り強さがあった。
議長に就いてからその才能が開花したといってもいいだろう。

【会議所】を自らが率いると決まったその瞬間から彼は一切の私情を捨て、少しも弱音を吐かずに働き続けた。
常人なら途中で倒れてしまうに違いない量の仕事も、時間をかけながら少しずつ捌いていった。

全ては自治区域の継続発展のため。その一心で闇雲に働き続けた。

昼夜を問わず議長室に籠もり働き続ける彼の姿を見て、最初は批判的だった人々も次第に考えを改めていった。
まず【会議所】が彼の味方となり、時間を置いて自治区域民の多くが彼の支持に転換した。
舌舐めずりをしながら自治区域の内乱を期待していた諸外国も、滝本が自治区域をまとめ上げていく様子を見て、【会議所】が一筋縄で瓦解しないことを悟った。
ここに知らずのうちに、自治区域崩壊の危機は去ったのだった。

のんびりした振る舞いながらテキパキと仕事をこなしていた前任者と違い、滝本は表情を消しながら言葉少なめに目の前の仕事を処理する精密機械のような人間だった。
周りの人間は前任との落差で、彼を大層冷たい人間だと思ったに違いない。
滝本からすれば、元々表情の変化に乏しい人間だったから別に冷徹な人間ではなかったのだが、こればかりは不幸だった。

最初は穏やかな空気が流れていた【会議所】内も彼の態度を受け、次第に緊張感を持ちピリリと張り詰めた空気に包まれるようになってしまった。
何も狙ってそのような空気を作り出したわけではなかったが、前任者と同じような態度でいればすぐに仕事も手につかずに倒れてしまうため、自身の性格を変えるわけにはいかなかったのだ。
自身の余裕の無さから生まれた全体の空気の変化に、滝本は若干の罰の悪さを感じたものだ。


477 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その4:2020/12/26(土) 21:47:52.363 ID:ORB7yMpoo
以前よりも静寂さが増した会議の中で、滝本は仕事以外の事を考える時間が少し増えた。
それは正確に言えば、考えるだけの余裕ができたと言い換えたほうが正しいのかもしれない。議長になって数年経って、ようやく自身ついて真剣に向き合う時間ができたのである。

ある時、定例会議で地方の抱えている問題について話を聞いていたときだ。とある一つの話が目についた。

“チョコ革命”で動力源が次々にチョコに置き換わる中、資金の乏しい一部の地域では漁船や連絡船の動力を未だに動物の力に頼っているという。
具体的には船の内部に回し車を付け、そこに馬を載せひたすら走らせることで動力に変換し船を動かしているというのだ。
基本は複数で走らせるが、一頭でも疲れてしまい止まると船が止まってしまうほか、無理に走らせることに因る動物への倫理的問題などから議題に挙げられたのだった。

会議資料を眺めた時、滝本は自身の今の状態を正にこの馬だと思った。
つまり、自身を回し車の中で走り続ける馬のようなものだと感じたのだ。


478 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その5:2020/12/26(土) 21:48:30.020 ID:ORB7yMpoo
カラカラと滑車を回し得られた運動エネルギーで豆電球を照らし続ける程度の発電を、一生続けていると喩えてもいい。
自分以外が一切の暗闇の中で終わりなく滑車を回し続け、光が弱まってきたら再びペースを上げて走り続ける。自分の一生とはいかに忙しないのだろうか。

一瞬、走り続けることを止めてみたらどうなるのだろう。

そんな興味に駆られることがある。

だが、恐らく目の前でピカピカと煌めく唯一の明かりが無くなれば、周りの闇があっという間に自身を包み込むだろう。
まるで涎を垂らしている獰猛な肉食獣のように、闇はすぐにその歯牙を自分へ向けるに違いない。
継続には大層な努力が必要だが、中止するのはほんの一瞬気を抜くだけ。そしてそれは即ち崩壊を意味する。

闇に呑まれてしまえば恐らく自身の体は動かなくなり、二度と走り出すことはできなくなるだろう。
そう思うと、恐怖で走る速度が上がる。

滝本は余計な感情を持たずただひたすら走り続け、【会議所】という明かりを照らし続けることで自我を保ち続けていた。



それこそが、前任者の残した“遺志”ではないかと感じていた。


そう仕向けた彼の“遺志”は非常に残酷なものだったが、滝本にはそう感じる余裕も無かった。


━━━━
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479 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その6:2020/12/26(土) 21:49:29.739 ID:ORB7yMpoo
きのこたけのこ会議所自治区域の南部には広大な大戦場が広がっている。
世に名高い【大戦】を行うための戦場である。

大戦場は大型のテニス競技場のコートのように長方形角で区分けされており、その数は拡張を重ね今や十数個まで存在する。
一区画には両軍あわせて数十万の軍勢が剣や銃を交え戦えるだけの広大さを有している。まだ更地の部分も多く残っているため、今後の参加人数増加で増設の余地を残している。
広大な土地に初めは緑も芽吹いていたのだろうが、今は人々の激しい往来や重火器の使用で荒れ果てた砂地に変わっている。


【大戦】の正式名称は【きのこたけのこ大戦】という名で、きのこ軍とたけのこ軍という仮想軍に分かれて戦う模擬戦形式のイベントである。
十数個それぞれの大戦場で都度勝敗を付け、最終的に残存兵力、勝利区分け数などの重要項目を総合しその大戦での勝利軍が発表されるという、所謂参加型のゲームイベントである。

人々は所属軍の勝利に向け、また個人での戦果もあげるためゲーム感覚で戦いに挑んでいる。
軍、とはただの名ばかりで日常的な拘束や干渉は皆無だ。
【会議所】内に両軍本部も構えられてはいるもののあくまで形式的なもので、実態はただの寄り合いだ。
このように適度な“緩さ”を保っているところも人気の秘訣だ。

【大戦】はおよそ二十年前から始まったイベント戦だが、今や全世界で大人気のスポーツイベントになっている。
合法的に重火器を使用して戦う危険と隣合わせの面白さ、大戦場自体の仕様で被弾しても決して死ぬことはない担保された安全性、決められたルールで頭や身体を使い戦うスポーツ性や紳士さ。

自治区域内だけではなく諸外国民からも多くの人気を集めているため、開催日になると他国民は船を乗り継いでまで次々と自治区域に渡ってくる。
その参加人数は数百万規模にも及ぶのだから、波及する経済効果も計り知れない。


480 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その7:2020/12/26(土) 21:50:31.255 ID:ORB7yMpoo
このようにほぼ区域内の一大事業と化している【大戦】の運営に、自治区域内の中心的存在である【会議所】も多くの労力を割いている。

【会議所】内で働く職員のうち、実にその八割以上が【大戦】に携わる職種である。
そのほとんどは運営スタッフとして、当日に訪れる数百万の兵士への武器の配布、戦場振り分け、集計作業などを分担して行う。
大戦場では貸し出し用の武器を用意して参加者に貸与しているが、一部の兵士たちは自分の武器を持参し戦うこともある。

最近では自分だけの武器を作ることが御洒落に繋がると考えられており、カスタムメイドの武器製造の話が増えている。この武器は【大戦】専用のもので実戦には使えない。
不思議なものだが、運営スタッフからすると余計な仕事が減るのだからありがたいことこの上ないのだ。


数百万の人間が動く戦場内で起こる様々なトラブルに都度翻弄される運営スタッフだが、特に当日に激務を強いられるのは【大戦集計課】に属する集計係と呼ばれるスタッフたちである。

彼らは【大戦】時には直接戦闘には参加せずに、戦場内から離れた位置にそびえる集計本部で、十数ある大戦場の結果を逐次集計し、戦闘終了か継続の判断を行う審判的な立ち位置のスタッフだ。
各戦闘場での戦況の数値化は魔法である程度自動化できるが、一つの戦場内で数十万の人間が動く交戦結果を逐次取りまとめるには限界がある。
そのため、最終的には各大戦場内外に集計担当者を複数人配置し、終戦までの集計作業はほぼ人力で行われる。

特に【大戦】中も戦闘に参加せずに激務を強いられることから、【会議所】内でも屈指の過酷な部署と噂される。
課内でも定期的に人員を入れ替えたり交替制で【大戦】に参加できる課員を増やしたり、有給日数を他の課より増やしたりと涙ぐましい工夫を続けているが、決して人気は高くない。

ただ過去の歴史上、進んで集計係をこなす兵士が【会議所】に二人存在した。


先代議長の集計班と、現議長の滝本である。


481 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その8:2020/12/26(土) 21:52:29.927 ID:ORB7yMpoo
【きのこたけのこ会議所 大戦場 バーボン墓場】

荒れ果てた戦場郡の最南端には、広大な丘陵地帯が広がっている。
眼下の数多の大戦場を一望できるその草原には、視界を覆い尽くすほどの十字の墓標が秩序を持って整然と並んでいた。

初めて大戦場にきた兵士がこの場所に来ると、大量の墓標を前にまず間違いなく足をすくめるだろう。
意気揚々とした兵士の心に、危険とは無縁の【大戦】で突如予感させる“死”の場所に、兵士たちは強力な威圧感を感じると同時に恐怖感を覚える。

特に新参兵士の多くはこの“墓場”をトラウマに感じてしまうことも多い。
なぜなら新参の多くは、まず間違いなく“人で賑わう前”にこの場所を訪れることになるからである。

「ちくしょうッ…もう少しだったのにッ」

今日もまた大戦後すぐに、一人の新参兵士がバーボン墓場にやってきた。
名をきのこ軍 お姉ちゃんと言う。

彼は第2大戦場で戦闘をしていたきのこ軍兵士だ。
開戦の合図とともに特攻してきたたけのこ軍兵士を相手に取っ組み合いとなっていたが、あと一歩のところで逆に仕留められてしまった。

お姉ちゃん「次は武器をハンマーに代えないとな…遠距離でちまちま狙ってたんじゃ物足りないッ」

「はははッ、新参かな?随分と威勢がいいな」

背後から投げかけられた言葉に、戦場の勘そのままに彼は勢いよく振り返ると、近くの墓標にもたれかけ腰掛けている兵士を視界に捉えた。
身にまとった全身カーキ色の軍服。彼はたけのこ軍兵士だった。


482 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その9:2020/12/26(土) 21:54:20.052 ID:ORB7yMpoo
「そんな露骨に警戒するところを見ると、君は紛れもなく新参兵だなッ。そう構えるな、ここはもう“墓場”さ」

敵軍兵を前に睨むお姉ちゃんだったが、彼の言葉を受け改めて辺りを見回した。
突如として眼前に広がる無秩序な墓標の数々。
噂には聞いていた。ここが“バーボン墓場”か、と彼は思った。

お姉ちゃん「俺は死んだってことですかね?」

盾専「そうだ」

自らをたけのこ軍 盾専だと名乗った兵士は、静かに頷いた。
背後に轟く地鳴りのような戦場の喧騒から離れ、心が安らぐほどにバーボン墓場は静寂を保っていた。
数km進んだ先に見えてくる海岸の波打ち音すら聞こえてきそうだ。

お姉ちゃん「こんな早くに残念です。あなたも死んだんですか?」

盾専「名誉の死だ。戦場にあった大筒で敵軍を射抜こうと思ったら暴発しておじゃんさ。
まあ隣に座れ。私が話を聞いてやる」

お姉ちゃん「ですが、死者の墓標に背をつけて話すとは…倫理上、遠慮したいんですが…」

盾専「ん?これか?」

盾専は隣に並んでいる白い墓標に手を当てると、そのままグッと力を押し付けた。
すると墓標はグニャリとしなり、彼が手を離すと弾みでまた直立に戻った。

盾専「これはただの“座椅子”だ。悪趣味な、ね。早く座らないとすぐ埋まっちまうぞ?」

彼が言い終わらないうちに、途端にお姉ちゃんの周りには数十の魔法陣が展開され自分と同じような兵士たちが“転送”されてきた。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

483 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その10:2020/12/26(土) 21:55:16.851 ID:ORB7yMpoo
ここは、バーボン墓場と呼ばれる“待機所”である。

待機所とは何か。

戦闘中に致命傷を浴びた兵士は戦場に留まることを許されない。
許してしまえば集計作業に著しい弊害を与え、集計係が過労で倒れてしまうからである。

本人たちに一切のダメージはないものの、一般的に戦闘不能と判断された兵士は大戦場全体に張り巡らされた巨大な魔法陣下での力により、死者として何処か別の場所にて終戦まで待機させないといけない。
即ち、このバーボン墓場は【大戦】で“死んでしまった”人間たちの待合所なのだ。

バーボン墓場に着いた兵士は残りの大戦場での戦いが終わるまで、眼下で広がる戦いや近くにある集計本部から公表される情報に一喜一憂する。
人がいないうちは無味乾燥とした墓地だが、暫くすると多くの兵士でごった返してしまう。
戦いの終わった多くの兵士は気楽なもので、酒を片手に先程まで敵軍だった兵士たちと肩を組み飲み明かす。
新参兵士が恐怖を抱くのもほんの一瞬。見掛け倒しの墓場は、兵士たちの心をほぐす社交場として人気が高い。


484 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その11:2020/12/26(土) 21:56:22.699 ID:ORB7yMpoo
さて、バーボン墓場の外れにはレンガ造りの重厚な大教会がある。
赤レンガの壁に白の洋瓦が用いられた建物は集計係たちの集う集計本部である。
教会様式であることに特段意味はなくバーボン墓場と併せた製作者の茶目っ気だが、お陰でその重厚感から最近では若者の中でも集計係を目指す人間が増えているという。

入り口を抜けると巨大な吹き抜けが広がるところまでは普通の教会と同じだが、その細部は通常の教会とは全く異なる。
通常、木製のベンチが何列も並べられているはずの巨大な講堂には縦長の長机が置かれ、
その上には机を埋め尽くすほどの地形図と、両軍を見立てた駒、そして両軍の軍服を身につけた兵士たちがその駒を動かし戦況の分析を行っていた。
戦況把握のためひっきりなしに走り回る両軍兵士の軍靴の慌ただしい足音をきくに、講堂内はさながら戦場での司令室を想起させた。

“集計総責任者”の滝本は、その講堂最奥の一段高い壇上で戦況図を眺めながら、各戦場の報告を待っていた。

「第一大戦場より目視で確認ッ!たけのこ軍陣地より白旗が上がりました!」

「続いて報告ですッ!現地集計責任者より連絡が届きましたッ!きのこ軍の圧勝ですッ!残存兵力比82:0で、きのこ軍の勝利です」

滝本「ご苦労さまです。第一大戦場の運営係は速やかに両軍に武装解除を呼びかけ、終戦後の手続きを取ってください」

走りながら本部に駆け込んできた二人の集計係の報告を受け、机の傍にいた兵士は地形図上のきのこ軍を見立てた駒をたけのこ軍の陣地の真上まで進ませた。


485 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その11:2020/12/26(土) 21:57:18.141 ID:ORB7yMpoo
また一人の兵士がドタドタと講堂に駆け込んできた。屈強な身体を持ったたけのこ軍兵士だが、その胸板を激しく前後させ額からは汗も噴き出している。

「第五大戦場より書簡が届きましたッ!原文ママ読み上げますッ!

『こちら第五大戦場、集計担当の抹茶です。現在、残存兵力比は30:12できのこ軍が有利な状況です。悔しいですが、このままいけばあと数分できのこ軍の勝利がッ…
くそッ!きのこの野郎ども、此処まで攻めてきたかッ!文面終わり、失礼しますッ!』とのことですッ!」

滝本「了解。すぐに返信を打ってください。
『頑張ってください抹茶さん。でも大戦の女神は最後にきのこ軍に微笑みますよ?』」

兵士は滝本の言葉に頷き、すぐに踵を返し走り去っていった。
集計係に命じられると、戦場に出る機会が少なくなるため体力の少ない兵士でも勤まるのではないか想像をされがちだが、その実は真逆だ。

各戦場の集計報告は現場にいる集計担当者、現場から届く集計担当者の情報を受け取る集計係、そして集計本部にいる本部スタッフという三者の連絡で繋がっている。
各戦場での兵力比は補助魔法で数値化はされるものの、戦況については現場に居る集計担当者の情報をもとに集計係が集計本部に伝える必要がある。
橋渡し役の集計係が特に激務で本部と戦場付近を繰り返し往復することになるため、戦場の兵士よりもよく動くことになるのは集計課でもよく知られた話だ。


486 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その12:2020/12/26(土) 21:58:14.379 ID:ORB7yMpoo
「報告しますッ!第八大戦場の集計報告が十分以上途絶えています。
担当の集計係の観察でも、たけのこ軍がきのこ軍本陣に激しい攻撃を仕掛けているところまでは確認していますが、きのこ軍の偽装煙幕により戦況の把握が著しく困難になっていますッ!」

「まったく、これだからきのこの野郎は…」

また、一人の集計係が走り声を張り上げて報告すると、第八大戦場を担当していた本部スタッフのたけのこ軍兵士は軽口を叩いた。

滝本「分かりました。私が現場に行ってきます」

本部にいる集計係たちはギョッとして彼を見返した。滝本は平然とした顔で壇上を降りた。

「ですが、担当の人間に直接、戦場に行かせますので――」

滝本「そうしたら集計結果を本部に伝える人間が足りなくなってしまうでしょう。私が代わりに戦場に行きますので、戦況把握をお願いします」

彼の言葉に、第八大戦場の地形図を前に頭を悩ませていた兵士は力強く頷いた。
こうしてトラブルが発生した際に真っ先に対処にあたるのも、責任者たる滝本の役目だ。

滝本「ジンさん。第八大戦場のきのこ軍側の集計担当者を教えて下さい」

たけのこ軍 ジンは駒を動かしながらもう一方の片手で器用に書類を読み上げた。

「はッ!責任者はきのこ軍 someone(のだれか)兵士ですッ!」

滝本「ありがとうございます。ああ、それと――」

「はッ?」

再度呼び止められたジンは駒を動かす手を止め、顔を上げた。
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487 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その14:2020/12/26(土) 21:59:23.563 ID:ORB7yMpoo
【きのこたけのこ会議所 第八大戦場】

キコキコと錆びついた音を発しながら、ボロボロの自転車で第八大戦場に辿り着いた滝本は小高い丘の上から大戦場の風景を一望した。

滝本「これは…すごいな。激戦すぎて何が何やらわからない」

数十万の両軍兵士が激突し、爆炎と土煙が混ざり怒号と銃声しか聞こえてこない。
だが、先程よりも喧騒音は幾分か小さくなったように感じる。終戦していない様子を見ると、小康状態に戻ったということだろうか。

滝本「きのこ軍陣地が燃えている。ということはやはり攻められているのか。仕方ないなあ」

滝本は自転車に乗ったまま、勢いよく坂を下り砂煙舞う大戦場の中に突入した。
すぐに硝煙の匂いと、耳元に轟音と怒号が響いてくる。

そのうち、滝本の前を数人のきのこ軍の集団が立ち塞いだ。

「誰だテメエはッ!
エッ!?滝本さんじゃないですかッ!」

濃緑色の軍服を着たきのこ軍兵の一人は目を丸くすると、構えていたライフル銃をすぐに下ろした。

滝本「戦闘ご苦労さまです、炭(すみ)さん。状況はどうですか?」

炭 大佐▽「見ての通り悲惨なものです。自陣は攻め込まれ数を減らしながら司令部を転々と移動させている始末でして…」

滝本「敵の奇襲にあいましたか。ここの隊長が立てた作戦は敵軍に看破されたみたいですね。
そういえばsomeoneさんを探しているのですが、見かけませんでしたか」


488 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その15:2020/12/26(土) 22:00:26.494 ID:ORB7yMpoo
炭 大佐▽「それでしたら移転した司令部隊とともに移動したはずです。
X7セクションのあたりかと」

滝本「わかりました、ありがとうございます。お気をつけて」

滝本は自転車に再びまたがるとキコキコとペダルを踏み込んだ。
錆びついているからか、最初に車輪を回転させるまでが力を込めないといけないのが足にくる。

炭「滝本さんこそ、お気をつけ…なッ!たけのこ軍だッ!敵襲ッ!敵襲ッ!」

滝本がその場を離れた数秒後、戦場の反対側から怒号とともにカーキ色の軍服を纏ったたけのこ軍の突撃部隊が迫ってきた。
煙幕の中から放たれたタタンという小気味よい銃の発射音とともに、炭は銃弾を一身に受けた。

炭「む、無念…」

そう呟き地面に突っ伏すと。
数秒後にその身体は青白い光を発しながら消え失せ、バーボン墓場へと転送された。

滝本「これはまずい。急がないと」

叫びながらきのこ軍を追うたけのこ軍兵士と、逃げ惑うきのこ軍兵士を尻目に、滝本は急ぎ自転車をこぎ続けた。


489 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その16:2020/12/26(土) 22:01:13.838 ID:ORB7yMpoo
炭の話していた場所まで来ると、きのこ軍の暫定司令部はすぐに見つかった。

ボロボロになった天幕にちょこんときのこ軍の軍旗が立てかけられている。
数十万の軍勢の本陣にしてはあまりにも頼りない姿だ。

錆びついた自転車を天幕の端に立てかけると、滝本は外から声をかけた。

滝本「戦闘中のところすみません。someoneさんはいますか?」

someone 大尉「滝本さん」

天幕の中からひょっこりとsomeoneが姿を表した。
まだあどけなさが残る顔に群青色のローブは少し大人びて見える。
彼のように【大戦】でも軍服を着ていない人間は一定数いる。気分高揚のために配っているもので、別に着用を強制しているわけではないのだ。

滝本「ご無事でしたか。定時連絡が無かったもので、心配して来てみました」

someone 大尉‡「ご心配おかけしてすみません。
バタバタしていて、戦況を伝える時間が見つけられなくて…ありがとうございます」

丁寧に頭を下げるsomeoneを気遣うように、滝本は大袈裟にかぶりをふった。

滝本「状況は聞いています。手酷くやられているようですね」

someone 大尉‡「敵軍の欺瞞作戦に引っかかり挟み撃ちを食らったんです。
いまの残存兵力差の比率は12:65程かと。危機的状況です」

「敵襲ッ!敵襲だッ!」

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490 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その17:2020/12/26(土) 22:01:57.502 ID:ORB7yMpoo
someone 大尉‡「そのようなわけです。ここもすぐに激戦地になります。巻き込まれないうちにお帰りください」

滝本は彼の言葉に答えず自身の軍服のポケットをまさぐり、中からくすんだ勲章を一つ取り出し胸に挿した。

滝本 二等兵=「さて。敵兵を迎え撃てば良いんですね」

彼は驚いたのか、ほんの少し目を丸くした。

someone 大尉‡「でも。滝本さんは集計総責任者だから戦闘に参加しては…」

彼の不安げな物言いを遮るように、滝本は人差し指を口に当て笑った。

滝本 二等兵=「一人くらい増えてもわからないでしょう。
それに、私も憂さ晴らししたいところでしたので」

天幕に立て掛けてあったライフル銃を手に取り、滝本は颯爽と慌てふためく兵士たちの前に躍り出た。
そして敢えて注目を集めるように両手を勢いよく開き、声を張り上げた。

滝本 二等兵=「きけッ!皆の衆ッ!敵軍は強大だッ!
だが他の戦場ではきのこ軍が大勝している戦場もあるッ!ここも諦めず、最後まで戦うぞッ!オー!」

「あれ、滝本さんか?」

「滝本さんじゃないかッ!うおおおッ!」

「よっしゃあッ!きのこの底力を見せてやるよッ!」

滝本の鼓舞にあてられたのか、集まったきのこ軍兵士たちは手に持った武器を掲げ次々に湧いた。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

491 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その18:2020/12/26(土) 22:03:07.243 ID:ORB7yMpoo
【きのこたけのこ会議所自治区域 大戦場 バーボン墓場】

「第八大戦場 階級制大戦の結果を報告します。
結果は0:63でたけのこ軍の圧勝となりました。繰り返します…」

魔法の拡声器のアナウンスに、賑やかなバーボン墓場がさらに一層湧いた。

既に今回の大戦も佳境に差し掛かっているのか、バーボン墓場は大変な混み合いだ。
墓標の形をした“悪趣味な”ソファ席は全て埋まり、溢れた兵士たちは肩と肩がぶつかりそうな距離感で少しでも空いた場所を探すために動き回っている。
その間にも次々と兵士が転送されてくるため兵士たちは新たな来訪者のために道を開ける。
墓場は終戦間際になるといつもパーティ会場のような密集度となる。

また、あちこちで運営スタッフが露店で飲食物を販売している。
そのため、既に大分待っている兵士たちはグラスを片手に、先ほどまで争いあっていたことはコロッと忘れたのか両軍で肩を組み、互いに笑いながら手を叩き互いに盛り上がっている。
飽きを防ぐために墓場周辺には射的会場や訓練場などの場所も用意され、さながら縁日のような活気を見せている。

目の前に広がる温かい団欒(だんらん)の光景を、目を細めながら滝本は無言で眺めていた。


492 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その19:2020/12/26(土) 22:04:13.396 ID:ORB7yMpoo
someone「ここにいたんですね」

背後からかけられたややか細い声が自分に向けられた言葉だとは気づかず、滝本は数秒遅れてようやく振り返った。
そこには群青色のローブを目深に被ったsomeoneがちょこんと立っていた。

滝本「おやおや。お疲れさまです、someoneさん。
いやあ、啖呵を切って突入したところまではよかったんですけどね。まさか真っ先にやられるとは。恥ずかしい限りです」

someone「いえ、仕方ないですよ…」

滝本「身体がなまっているなあ」

お恥ずかしいとばかりに、滝本は青髪を掻いた。
someoneは話す内容が尽きたのか、黙って俯いていた。

彼はいつもこうだ。
不必要な会話以外は喋らず、なかなか心を開かない。

いつもならばもう話を切り上げるところだが。
折角向こうから話しかけてきてくれたことを考慮し、もう少しだけ彼に付き合ってみようと思い直し。
滝本は再度話しかけてみた。

滝本「私はいの一番にやられたのでわかりませんでしたが。
someoneさんはどなたにやられたんです?」

すると、一瞬だけ彼の顔がパッと上がった。先程までとは違い、その目は少し輝きを取り戻したようだった。

someone「斑虎です。斑虎にやられましたッ」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

493 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 大戦編その20:2020/12/26(土) 22:04:49.969 ID:ORB7yMpoo
滝本「ふふッ。仲がいいようで安心しました。ああ、そういえば――」


―― 一週間後の夜、“例の場所で”お待ちしていますね。

滝本の口から発せられた言葉にsomeoneはビクリと肩を震わせ、途端にフードの中で一切の表情を消した。

someone「…はい」

彼の抑揚のない返事にも滝本は満足したのか数回頷いた。

滝本「結構。では私は集計本部に戻ります。あらためて、今日はお疲れさまでした」

対称的に滝本は笑みを浮かべたまま、人混みを掻き分け去っていった。

直後に終戦を伝えるアナウンスが墓場中に響き渡っても、someoneには耳鳴りのように煩わしく感じられた。



494 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/26(土) 22:05:25.875 ID:ORB7yMpoo
現実の大戦のバーボン墓場もこんな感じでワイワイできる感じならよかったのにね。

495 名前:たけのこ軍:2020/12/26(土) 22:08:37.455 ID:vXvv.fQI0
大戦の雰囲気が出ていていいですね

496 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その1:2020/12/29(火) 22:04:15.731 ID:m1zWBMqko
長い戦乱の世が終わり、大陸に数百あった国は僅か十一までその数を減らした。

搾取と奪取の限りを尽くした各国は疲弊した。
そして、各国は暫くの間外に目もくれず自国内の立て直しを行うようになった。
何時終わるかもわからない仮初めの平和を少しでも長続きさせようと、まるで示し合わせたかのように国境を越えた干渉を過度に控えるようになった。
世界には敢えて大陸から目を背けた時期が、確かに存在した。

その最中、大陸南西部の一角にどの国も支配していない“空白地帯”が残っていることに世界が気づいたのは、戦乱の世が終えて数年が過ぎようとした頃だった。

間隙を縫うようにその空白地帯を制圧し、【きのこたけのこ会議所】を立ち上げたのが一部の古参兵たちだった。
その迅速さはさすがの手練ぶりだった。

国ではなく【会議所】という自治区域の形式を取ったのは、国家を宣言してしまえば途端に他国の目の敵にされ食い物にされてしまうからだ。
戦乱の終結から数年が経ったとはいえ各国軍は臨戦態勢を維持したままだ。
不用意に他国を刺激しないための苦肉の策だった。
当時は大きな発展よりも小さな存続を選び、黎明期の兵士たちは他国の目に怯えながら小さな【会議所】と先で焼け野原となった平野の中で日々、生を実感していた。


497 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その2:2020/12/29(火) 22:05:44.814 ID:m1zWBMqko
さて、勢いよく発足を宣言した【会議所】だったが、広大な領土を恒久維持し続けるためには領土内の人口を増やし他国からの脅威に備えるための戦力が必要だった。
しかし、移民の呼びかけはともかく、軍備増強といった表立った行動はたちまち他国を刺激してしまう。

考え抜いた挙げ句、【会議所】は“奇策”に打って出た。

【きのこたけのこ大戦】という模擬戦を領土内で開催し、合法的な戦闘を許可したのだ。
領民だけではなく他国民の参加も歓迎し、自治区域内への人の出入りを活性化させた。

なおかつ、“大戦のため”という名目で公然と軍需産業を立ち上げ発展させたことが大きかった。
途端に地域の産業は潤い経済は循環し始めた。さらに各国に散らばっていた技術者が噂を聞きつけ、こぞって【会議所】に押し寄せた。
チョコを始めとした食料品等についての一部は輸入に頼るしかなかったが、兵器産業を始めとした工業技術の発展は目覚ましかった。

さらに【大戦】により、自らをゲーム上の“兵士”と呼称する自治区域内住民の練度も一気に高まっていった。
【大戦】で使う銃弾は全て偽物だったが、銃火器に関しては全て本物を使用していたのだ。
彼らは一時期、【会議所】から有事の際の“兵力”と本気で見做されていた。

【大戦】のゲーム性が全世界で評判となり始めてから、急速に【会議所】は発展し始めた。
世界は当初、会議所自治区域を大した脅威とは捉えていなかった。
自治区域の宣言時期と前後し同じような準国家の樹立は何例かあったが、そのどれもが上手く行かずに解散か、さもなければ大国に呑まれていったからである。

しかし自治区域の樹立宣言から暫くし、【大戦】に魅入られた多くの移民が領内に住み着き始めた。
彼らの中には混迷の戦乱を生き抜いた強力な兵士たちも混ざっており、自治区域では知らずのうちに最強の傭兵集団が出来上がっていった。

他国からすれば、この“奇策”は非常に合理的でかつ強かなものだった。
国家という機構を持たずに、ものの数年で【会議所】は世界の列強と肩を並べるまでに急成長を遂げたのである。


498 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その3:2020/12/29(火) 22:07:25.191 ID:m1zWBMqko
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加古川『そういえば滝本さんはどこの国の出身ですか?昔はどこも大戦乱の最中で、大変でしたでしょう』

今日も懐かしい夢を見た。
議長に成り立ての頃、会議所本部の詳しい案内を彼から受けていた時の出来事だ。

滝本『実は…覚えてないんです。つい最近までの記憶が一切なくて…』

前を歩いていた加古川は足を止め振り返った。
その時、彼の瞳が戸惑いで微かに揺れていたことを覚えている。
やり手の兵士でもそのような顔をするのか、と思った覚えがある。

加古川『それは知らなかった。失礼しました。一時的な記憶喪失かなにかですか?』

滝本『恐らく…そのようなものだと思います』

ふと加古川は口元に笑みをつくった。


499 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その3:2020/12/29(火) 22:08:31.440 ID:m1zWBMqko
加古川『戻るといいですね、記憶』

滝本『…そうですね』

嘘はついていない。
だが通常の記憶障害とは違い、自分の記憶が今後も戻ることはないだろうという微かな予感があった。

今の自分はかつての記憶の手がかりすらつかめない。綺麗まっさらな状態なのだ。
いま記憶のある人格こそが本当の滝本で、かつて生きてきた自身の記憶はもはや別の人間なのではないかという誤った感覚すらある。
それ程、滝本にとっては過去の自分などどうでもよいし、気にもしない。

もし。
もしも。

仮に“失われた”記憶が戻ってきたとして。
その時、本当に自身はその記憶を受けいれられるのか。


自分は自分のままでいられるのだろうか。


酷く不安になったことを今でも覚えている。


━━━━
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500 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その5:2020/12/29(火) 22:10:01.096 ID:m1zWBMqko
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 wiki図書館】

wiki(うぃき)図書館は会議所本部一帯の外れにひっそりと建っている。

自治区域内随一の蔵書量を誇るこの図書館は、次々に建増を重ねた【会議所】の中では最初期から存在する歴史ある建物だ。
定期刊行物から一般書、研究会集録に至るまでありとあらゆる書籍を収蔵し、建物の規模も合わさり、さながら博物館という様相を呈している。

だが、wiki図書館自体が【会議所】の中でもいまいち目立たない立ち位置にいるのは、偏に人々がこの図書館をあまり利用しないことにある。

参謀「事実は小説より奇なり、なんて言葉があるわな。正にそれやに」

訛りの強い言葉でそう語るのはきのこ軍 参謀B’Z(ぼーず)で、図書館長だけでなく【会議所】の副議長も務める、自治区域きっての重鎮である。
彼はいま、図書館入り口にある受付で退屈そうに欠伸をかいていた。

つられて滝本も欠伸を返しては、徐に入り口近くの雑誌棚から一冊を手に取った。
『大戦ルール徹底解剖大全集』と書かれたムック本だ。


501 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その6:2020/12/29(火) 22:10:56.714 ID:m1zWBMqko
参謀「みんな、【大戦】以上のおもしろい話に見向きもせん。
それも人気やから置いとるが、もっとおもしろい本は奥にたくさんあるわさ」

滝本「私は好きですよ、図書館。館内の気温も一定だし、何より小言をいう部下がいない」

参謀はこれみよがしにハァと深いため息を吐いた。分かっていないと言いたげだ。
分かっていないと言えば、彼はいつも白の着物に紺の袴といった出で立ちで、西洋風の館内の装飾に対しミスマッチしている。
何度かその話しをしたが、彼は頑として袴姿から変えない。存外に頑固者なのだ。

滝本「奥で書物の空気を感じてきます」

胡散臭そうに視線を送る彼にひらひらと手を振り、滝本は歩き始めた。


辺りは蔵書で満載だが、人気がほとんどないからか通路内に革靴の反響音がよく響く。
館内の広さに反し司書の数が少ないのは、何も参謀の趣味ではなく少数でも運営ができてしまうという表れでもあった。

最奥の閲覧室に足を踏み入れ、中央に置かれた丸テーブルに備え付けの椅子に深く腰掛ける。

仕事に疲れると、滝本はこうして図書館に足を運び、暫らく羽根を伸ばす。
【会議所】内の喧騒から離れ、静寂の中に身を置いているこの時間が好きだった。
書類の山は無いし、厄介事を持ち込まれることもないし、何より寝ていても叱られることはない。
あまり長居できないが極上の時間だ。


502 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その7:2020/12/29(火) 22:13:42.321 ID:m1zWBMqko
凝り固まった首を回していると、普段は気にもしない書棚の方にふと目がいった。
最近はまたレイアウトを少し変えたのか、書棚の一つが傾斜棚に変わり、並べられた本の表紙が見えるように配置されている。
恐らく参謀の手によるものだろう。彼は非常にマメな人間だ。

滝本は立ち上がり、彼の努力に少しだけ敬意を払う意味も込め、傾斜棚を一瞥した。
図書館長の好みか伝統的な傾向なのか、この図書館はベストセラーよりマニアックな書籍を本棚に並べることに力を入れている。
恐らく前者だと思うが、並んでいる本も一昔前に流行った本ばかりだ。

一瞬だけ目を通してすぐに戻ろうと思っていたが、滝本の目にある一冊の本が留まった。

牢獄に囚われた白髪の少年が描かれたハードカバー本だ。
小説は普段読まないが、描かれた表紙には何か言葉では言い表せない不思議な魅力があった。
魔が差したのだろう。本を手にとりテーブルに戻ると、興味半分でページをめくり始めた。



―― タイトルは『牢獄の中の正義』。

主人公は白髪の青年警官。
彼は孤児院で育った。両親は物心付く前に病死したのだという。

さらに不幸なことに、彼には人生の大部分の記憶が無かった。
成人間際までの記憶がスッポリと抜けてしまっているのだ。

そのため物語は、彼が警官としてチームメイトと犯罪集団を追う日常から始まる。

身寄りのない彼には、唯一“育ての親”と慕う警察官がいた。
父親としては少々若いその警官は、暇を見ては彼の下を訪れ励まし勇気づけていたようだ。
その甲斐あってか孤独な彼は立ち直り、同時に警察官という職業に憧れを持つようになった。


503 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その8:2020/12/29(火) 22:14:56.968 ID:m1zWBMqko
そして、念願叶い“父”と同じ職場で働き始め、職場で新たな仲間もできた。
性格は明るく誰にも優しく、課内の人気者。

そんな順風満帆に思えた彼の人生。

だが、ある時から彼は夜な夜な同じ悪夢にうなされるようになる。

決まって同じ場所で凄惨な犯罪現場に、自分が血まみれで立っている夢だ。
そして今の青年姿の自分に、血まみれの少年姿の自分が問いかける。

『早く、“目覚めさせて”?』

さらに、ある犯罪グループの一人を捕まえ尋問した時。
主人公の姿を見た犯人は驚愕し思わずこう聞き返す。

『お前…“本当の自分”を覚えていないのか?』

自分はいったい何者なのか。
制止しようとする周りを振り切り、主人公は悪夢で見た場所をたよりに失われた過去を探し始める……


504 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その9:2020/12/29(火) 22:16:23.069 ID:m1zWBMqko

気がつけば思っていた以上に時間が過ぎていたことに、滝本は驚いた。

冷やかしで読み始めたつもりだったが随分と夢中になって読み耽ってしまったようだ。
早く【会議所】に戻らないと仕事が滞る。

途中まで読んだ本を手に取り、滝本はすくっと立ち上がった。


滝本「本を貸してくださいな」

来場者のことなど気にせず手元の文庫本に目を落としていた参謀は、まるで異国の言葉を聞いた時のような面持ちで顔を上げた。

参謀「そんな言葉、知ってたんやな」

滝本「ここが図書館であることに今日気が付きまして」

悪気もなく滝本はニッコリすると、受付台に先程の本を差し出した。
途端に目の前の彼から“おおッ”と感嘆の声が漏れた。

参謀「【牢獄の中の正義】、七彩さんの往年の名作やな」

そこで滝本は改めて表紙の作者名を見返した。

七彩(ななさい)。
かつて【会議所】にいたきのこ軍兵士だ。数年前に亡くなったきのこ軍の英傑でもある。


505 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その10:2020/12/29(火) 22:17:15.570 ID:m1zWBMqko
滝本「全然気が付かずに読んでましたよッ。七彩さんだったんですか。
これは今度までに読んで、彼に感想を“伝えないと”」

参謀「そうしたらええに。内容もなかなかええやろ?」

滝本「先が気になりますね。それに、どこか“懐かしい”気分にもなる作品かな、と…」

その言葉に、参謀は細い目をさらに細め、貸出カードの日付欄に刻印を押した。

参謀「現実なんて、空想と比べて平々凡々なことしか起こりえん」

滝本「そうですね。起こり得ないことが頻発する。
だから空想の世界は楽しい」

挿し込まれたカードと一緒に本を受け取ると、滝本もポケットから栞程度の一枚のメモを参謀に差し出した。


506 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 空想編その11:2020/12/29(火) 22:18:10.194 ID:m1zWBMqko


―― 『三日後。丑一刻。例の場所にて』



滝本「良かったら一緒にいかがですか?“非日常の世界”へ」

メモを手にした参謀は暫し無言だったが。

持っていた文庫本にそのメモを栞代わりに挟み、パタリと閉じた。

参謀「ちょうどいま読んでた小説ももう終わりでな。
次の新しい“非日常”に行くとするかね」

滝本「よろしい。では、また」

笑顔でそう答えると、持った本を脇に抱え、滝本は図書館を後にした。


507 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2020/12/29(火) 22:19:16.868 ID:m1zWBMqko
参謀、あなた悪いことはしないって約束したじゃない!(してない)
次の更新分が長いため、急遽このパートを追加しました。

508 名前:たけのこ軍:2020/12/29(火) 22:42:35.686 ID:kdHxTSNY0
記憶がまっさらなのが怖い

509 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2021/01/04(月) 13:18:07.852 ID:/QEW4mKwo
あけおめことよろ。ageるぜ。ということで更新はじめます。

510 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その1:2021/01/04(月) 13:22:15.264 ID:/QEW4mKwo
会議所自治区域の成長を主導したのは、自治区域内の政府機構ともいえる【会議所】本部だった。
各国が水面下で互いに警戒しあっている状況の中に、まるで人懐っこい犬のようにスッと前議長の集計班は入り込んだ。
そして、絶妙な均衡を保つ橋渡し役として重要な役回りを担うようになったのだ。
その甲斐もあり、今や会議所自治区域には数百万人もの移住者が定住し、列強諸国も無視できる存在では無くなった。


だからこそ、他国には会議所自治区域という存在が気に食わないのだろう。


議長である滝本はそう分析している。



会議所自治区域は【国家】にならなければいけない。

あくまで自治区域の住民たちは移住者という名目で自治区域の国籍を持たない。
また、【国家】にならなければ他国と対等な同盟も結べないし、通商交渉でも有利に立ち回ることはできない。

過去、何度も会議所自治区域は世界会議で【国家】引き上げを訴えてきた。
しかし、その度に各国から“時期がまだ早い”だの“世界の飢餓問題が解決したらいずれ”などと、何かと理由をつけられては先延ばしにされてきた。
ある国からは面と向かって“会議所国が誕生すれば我が国にも脅威だからすぐに経済封鎖を行う”とまで言われたこともある。

一連のやり取りを経て遂に【会議所】は、自分たちがただの道化師に過ぎないことを痛感した。同時に、ある決意を覚悟した。

正攻法では、いつまで経っても【会議所】を【国家】にすることなど叶わないのだと。

下水に棲まうネズミよりも黒ずんだ、どす黒い思いを彼らに抱かせるには十分な時間だった。


511 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その2:2021/01/04(月) 13:23:55.339 ID:/QEW4mKwo

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今日も夢を見た。

いつもの【会議所】の会議室で、三人の男たちが額を寄せ合い話し合っている夢だ。そこに自分の姿はなく、ただその光景を天井付近から俯瞰しているようだった。

『まただッ!どうしてッ、どうして【会議所】は【国家】になれないんですかッ!?
おかしいんよッ!こうなったら再度世界会議に駆け込むしか手がないッ』

悔しそうに拳で机を何度も叩き、金髪の男は肩を震わせながら悔しそうに叫んだ。

否、話し合いというにはいささか冷静さを欠いていた。
正しくは悲しみの慟哭のぶつけ合いだ。

『諦めるんや、¢(せんと)。何度も同じことを繰り返したやろ。これが実態や…諸外国は俺達の存在を危険視しとる。
あまり刺激しては、軍事力はともかく経済力できっつい【会議所】はすぐに世界から捻り潰される。耐えるしかないんや』

彼の横にいた袴姿の男も沈痛の面持ちながら、俯いている彼の背をさすり繰り返し慰めようとしているようだった。
二人の様子を見ていると他人事ながら胸が痛い。
彼の語る言葉は悲痛ながら真実で、抗うことの出来ない現実を示していたからだ。

『うう、悔しいんよ。ある国なんか貧窮に喘いでいると言うから【大戦】関連の仕事を分けてあげたのに、経済が回復したと思ったら途端に手のひらを返して。
…もう、ぼくたちは何を信じたら良いかわからないんよ』

そこで若き¢はなにかに縋るように、顔を上げた。
端正な顔は涙と鼻水でくしゃくしゃになり、とても人前では出られない表情をしていた。


512 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その3:2021/01/04(月) 13:25:18.165 ID:/QEW4mKwo
その姿を見て、ふと“思い出した”。

何時だったかは忘れてしまったが、かつて彼のこの顔を見たことがある。
自分の“記憶”の中に、この場面は確かに残っている。

『私は人の善意というものを過信していたのかもしれない。
施されたら施し返す。これが全ての大原則で、当然それは国家間でも守られるものだとばかり思っていた――』

―― しかし、そうではなかった。

それまで黙っていた三人目は、座っていた議長席から静かに声を発した。しかし、その声は怒りで震えている。
¢ほど感情を顕にせずとも、充血したかのように真紅に滾らせたその瞳には、怒りと憎しみを宿していた。

『参謀、¢さん。私は決めました。会議所自治区域を何としても【国家】に引き上げてみせる。
そのためであれば…私はどんな策を弄しても、どんな犠牲を出しても構いません』

『まさか…前に話していた“計画”を?』

『本気なんやな?』

二人の顔をみやりながら、男は慎重に一度だけ頷いた。

『私が考えた“壮大な計画”をお二人だけにお話します。

自治区域を【国家】とする計画です。

時間や準備に手間がかかりますが、順調に行けば会議所自治区域は【国家】となるだけでなく領土拡大までできる。
私は自治区域内に住む多くの住民の生命を預かる身として、現状に満足はできない。
そのために“全てを利用する”。それこそ国ごと、ね――』
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

513 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その4:2021/01/04(月) 13:26:39.108 ID:/QEW4mKwo
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団 地下 メイジ武器庫】

三日後の丑一刻。
その日、教団地下のメイジ武器庫に備え付けの会議室には、珍しい客が三人も集まっていた。

一人は現議長の滝本スヅンジョタン。
もうひとりは副議長で、【会議所】内部を支える大黒柱 参謀B’Z(ぼーず)。
そして、大戦統括責任者で【大戦】のルール波及に務める¢(せんと)。

現議長に、英雄と名高い“きのこ三古参”の二人が加わるという、【会議所】の幹部勢が深夜に額を寄せ合い話すとは、傍から見れば只事ではない。

事実、只事ではない話が行われようとしていた。


参謀「遂に12体全ての陸戦兵器<サッカロイド>が完成する。そうすれば“計画”の準備は完了やな」

参謀は茶をすすり、【会議所】の会議室からはやや小ぶりな会議テーブルの上に、自ら持ち込んだ湯呑を静かに置いた。

¢「長かったんよ…ここまで来るのに五年はかかった」

一方で対面に座る¢は両肘を付き、手を組み合わせ、五年分のため息を吐いた。
顔のたるんでいる皺もその振る舞いにさらに振動し伸びているように見える。

ここでも議長席に座る滝本は、左右に座る二人の対称的な姿を見て思わず口元で笑みを作った。


514 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その5:2021/01/04(月) 13:27:39.089 ID:/QEW4mKwo
滝本「寧ろ五年で済んだ、と見るべきでしょう。
“あの人”があなた達に計画を打ち明けた当初、自治区域にはメイジ武器庫も無ければメイジ武器庫の隠れ蓑にするためのケーキ教団すらなかった。想定どおりです」

¢「そのケーキ教団だけど、最近はぼくの想像以上の勢いで信者数が増えているんよ」

滝本は少々大袈裟に目を丸くした。

滝本「これには驚きました。¢さんには宗教家の一面もあったんですねッ」

¢「自分の才能が恐ろしいんよ…」

参謀「宗教家って言っても、あんたは表にでてけーへんやろ」

芝居がかった様子で滝本は驚き、¢もそれに乗り軽口を叩く。そして、参謀だけが冷静に突っ込みをいれる。
三人の関係性はいつも、凡そこのようなものだった。

滝本「まあ元々は、カキシード公国への密輸武器と陸戦兵器<サッカロイド>を作るための隠れ蓑でしたが…ここまで教団の働き手が増えるとは、素直に¢さんの才能ですね」

“さて”、と滝本は逸れかかった話を戻すべく一息ついた。
その雰囲気を察知したのか、二人もすぐに背筋を正した。

滝本「【国家推進計画】は六年の歳月を経て最終局面を迎えています。
今日集まってもらったのは他でもありません。
計画の振り返りを経て、最終の見直し、問題の洗い出しを行いましょう」

【国家推進計画】。
今の三人にとって、この言葉ほど重い響きはない。
実質五年間、彼らは文字通り生命を賭してこの計画に取り組んできたのだ。


515 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その6:2021/01/04(月) 13:29:04.394 ID:/QEW4mKwo
滝本「今から六年前。“あの人”がお二人にある計画を打ち明けました。
題して、【国家推進計画】。
力を持たない【会議所】が、世界の喰い物にされる前に“自衛”のために打ち出した策です」

六年前。
当時議長だった集計班は、¢と参謀の前で【会議所】を【国家】にするための非正攻法の策を打ち明けた。

それは、謀略に次ぐ謀略の策を必要とする、“大きな回り道”だった。


滝本「会議所自治区域が【国家】として認められるにはどうすればいいか?
何度世界会議で訴えても、友好国に根回しをしても無駄だった。
つまり正攻法では駄目なのです」

参謀「裏道を通らなきゃいけないってことやな」

相槌をうちながら、参謀は懐から取り出した竹皮の包みを開き、おにぎりを頬張り始めた。
夜中だというのに随分と食い意地が張っている。後で一口貰おう、と滝本は決心した。

滝本「そうです。
そして、裏道を通った先にあるゴールは即ち、【会議所】を【国家】として認めざるをえない情勢にしてしまうことです。

そのためには幾つかの手段がありました。
一つ、自治区域の領土を拡大し、その影響力を世界が無視できないところまで膨れさせること。
もう一つは、自治区域が既存の国家を併合し従えることです」

¢「でも前者、後者の策とも、簡単に世界が許すはずもない。
特に少しでも表沙汰になれば、世界中から批判され必ず妨害にあう」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

516 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その7:2021/01/04(月) 13:30:23.410 ID:/QEW4mKwo

会議所自治区域を【国家】として自立させる。


それこそが前議長 集計班の悲願だった。

なぜ、自治区域から【国家】への昇格をこれ程までに彼らが拘るのか。
それは自治区域と諸外国を取り巻く、不公平を超えた関係性にあった。
曰く、集計班は諸外国との関係を、一言で次のように語った。

“我々は奴隷である”、と。


【会議所】は二十年の歴史の中で、密かに窮地に立たされていた。
それは偏に、諸外国との交渉事で優位に進められない構造上の問題に起因した。

自治区域が急成長を遂げる一方で、戦乱中に大戦禍を遺したこの土地には、凡そ動植物が再び芽吹くほどの度量はすでに残っていなかった。そのため、自治区域の自立に他国と交易は欠かせない問題になる。
だが、あらゆる交渉事で【会議所】は交渉の主導権を、諸外国に奪われてきた。全ては、発足当時に結んだ一つの“不平等合意”に端を発していた。

元々【会議所】が発足を宣言したのは、世界が今ほど安定していなかった時代の話だ。
弱小以下の存在が他国に飲み込まれず、だが波風を立てずに存続できる方法といえば、身の安全の保証の見返りに、相手の要求に対し表向き従うほかなかった。

【会議所】が苦労に苦労を重ねとある国と結んだ最初の合意は、平和を担保する代わりに凡そ【会議所】を文明国としては見ていない、酷く不利なものだった。
その内容は次の二点に要約される。

まず、関税の自主権はなく交易の自由性は常に諸外国に握られることになった。
さらに【会議所】が国家ではないことを利用され、治外法権を認めさせられ、自治区域内で起きた犯罪如何によっては、
【会議所】の合意なしに国籍の本土に強制送還をして裁かせるという無茶な要求までも呑まざるを得なかった。
過去にこの合意で、無理に【会議所】の要人を強制送還させた例が幾つか存在したため、その都度、発展を大いに阻害してきた。


517 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その8:2021/01/04(月) 13:31:41.222 ID:/QEW4mKwo
不平等合意がある限りは、いずれ国家になってもその主権が完全ではなく、半植民地状態下のままだ。合意の改正は【会議所】の自立に不可欠な課題だった。

それでも、集計班を始めとした過去の重鎮たちは必死に耐え忍んだ。
弱小の自治区域を発展させるためには他国の協力なくしては成り立たない。そして、いつか列強国と自治区域が力を並べられるようになった時に、初めて不平等合意は解消される。

冬を必死に耐え忍ぶ小動物のように、彼らは互いを励まし合いながら“春”を待ち続けた。


しかし、いつまで待てども“冬”が明けることはなかった。


最初に結んだ合意が、【会議所】への交渉のスタンダードとして残りの諸外国も続々と同じような合意を要求した。
五年、十年と時間が経つ毎に、【会議所】が【大戦】の爆発的特需で恐ろしい程の勢いで力をつけても、その状況は一向に改善しなかった。

さらに彼らに向かい風だったのは、長く続いた戦乱の世は終りを迎え、世界が均衡を重視し始めたことにあった。
世界は安定を重視し現状維持を望んだ。
不必要に国家を増やさず、それに反発し各地で蜂起した反乱分子は全力で叩き潰された。

【会議所】は容易に国家樹立宣言ができなくなった。
その時点で彼らにできるのは、同等の国力を持つ友好国に根回しを行い、数年おきに行われる世界会議で【会議所】を国家に引き上げてもらう口添えをお願いすることしかなかった。

それでも過去に、何度か【国家】になれる機会はあった。
だが、その度に【会議所】は裏切られた。他国に裏切られ、要人に裏切られ、そしてまた世界に裏切られた。

諸外国は、規模が大きいながら主体性を持たない【会議所】という集団から甘い蜜を吸い続ける“旨味”から抜け出せなくなっていた。
そのために、理性では自治区域を【国家】に引き上げる妥当性については容認しつつも、中堅国たちがこぞって徒党を組んで妨害した。

【会議所】の中堅幹部たちはこの“捻れた”問題を理論として理解はしているものの、危機感を覚えているのは極一部の上層部だけで表立って共有はされなかった。


518 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その9:2021/01/04(月) 13:33:10.075 ID:/QEW4mKwo
そして遂に六年前。

集計班を始めとした“きのこ三古参”は内々で、大きな決断を下した。

非正規の手段で、【会議所】を【国家】に引き上げる。

通常の定例会議で議論するというプロセスを経ず、完全に密室で独断的に決められたものだった。
問題の流出を防ぐために、この計画は【会議所】本部内では三人しか知り得ない最重要機密として扱われた。


以来、彼らは自治区域を【国家】に押し上げるために暗躍の道を進み始めた。

暗い排水管を伝うネズミのように。暗い地下を這いずり回り地上を目指し。
どんなに汚れ辛くても弱音を吐かず、ただひたすらに地上の光を目当てに暗躍し始めたのだ。


その最中、集計班は斃れた。
彼の生前のうちに、その目的を達成することはできなかった。
そのため、彼は死の直前に後任の者に全てを託すこととした。

その後任が、滝本スヅンショタンという人間だった。
集計班から見て、彼は自身の“遺志”を受け継ぐことのできる最適な人物だった。


519 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その10:2021/01/04(月) 13:35:37.251 ID:/QEW4mKwo
滝本「まず、狙いを定めたのが隣国のオレオ王国でした。
王国は武力を持たない非戦闘国家。攻め込めば我々でもたやすく占領することができる」

だが、素直に侵攻してはすぐに世界から袋叩きにあってしまう。
その戦争に“正当性”はないのだ。

滝本「正当性を以て、オレオ王国を手中に収めるにはどうしたらいいか…」

参謀「それに対する答えが、“カキシード公国にオレオ王国を侵攻させ、公国が王国まで入り込んだタイミングで【会議所】が乱入し、両軍ごと壊滅させる”。
つまり漁夫の利を狙うっていうのは、とんでもない回答やな…」

カキシード公国とオレオ王国間で戦争を引き起こす。
二国間の戦いが勃発すれば、ともに隣国に位置する【会議所】は戦争終結という名目で、“正当性”を以て介入できるのだ。

滝本「だが、“霧の大国”は強大な軍事力を持っている。
彼の国ごと屠るためには、強力な対抗策が必要になる。
長い歳月をかけたのは、我々が公国の軍事力を無に帰すだけの、全く新しい兵器を作るための牙を研ぐ期間。
そして、その“切り札”がここにきて、遂に完成しつつある」

その切り札が、メイジ武器庫に並ぶ超コーティング飴型陸戦兵器、通称・サッカロイドである。

¢「陸戦兵器<サッカロイド>は超コーティングされた飴でできているから、銃火器は受け付けないし魔法の耐性もすごく高いんよ。公国軍なんかには負けない、最強兵器なんよ」

途端に顔を上げ誇らしげに語る¢の様子は、さながら成果を必死に誇る研究者のようだった。


520 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その11:2021/01/04(月) 13:37:32.545 ID:/QEW4mKwo
陸戦兵器<サッカロイド>は角砂糖の魔法錬成により、ダイヤモンド以上の硬度を誇るようになった飴をもとに造り上げた人造兵器だ。
飴の硬度強化は化学班と95黒の研究の末に、遂に秘密裏に解明され実践化された。

20mを有に超えるその巨体は、いかなる銃火器の攻撃を受け付けず戦場を進撃し続ける。
十数体の陸戦兵器<サッカロイド>が戦場を蹂躙するその姿は、敵軍からすればパニックを起こすこと間違いないだろう。
さらにあわせて彼らの専用武器も用意しており、その防御力と火力の高さはこれまでの戦いを根本からひっくり返す革命的な兵器だ。

それだけではない。
陸戦兵器<サッカロイド>を“最強”だと¢が語る理由は他にもある。

¢「選ばれた12体には“歴戦の兵士の魂”を注入しているから、“自分で考えて”動くことができる。自律型決戦兵器なんよ」

―― “歴戦の兵士の魂”を注入している。

彼の言葉は誇張でも比喩でもない。
陸戦兵器<サッカロイド>の動力は魔法でもチョコでもない。


人間と同じ“気力”である。

それを担うのが、陸戦兵器<サッカロイド>に搭載されている歴戦のきのこ軍、たけのこ軍兵士の“魂”なのだ。


521 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その12:2021/01/04(月) 13:39:53.835 ID:/QEW4mKwo
参謀「陸戦兵器<サッカロイド>を隠しておくためには広大な貯蔵庫と、飴を錬成するための原材料と成る大量の角砂糖が必要やった。
そのために、合法的に角砂糖を集められるケーキ教団を設立した。
同時に、教団内に武器製造工場を作り、公国に着々と軍事力を用意させた。
さらには武器供与の見返りに公国から魔力付きの角砂糖を収集していったってことわな」

こうしてケーキ教団という隠れ蓑を用意した三人は、教団の支部にケーキ製作という名目で飴を生成させ本部に集約させた。
さらに、一部の敬虔な信者には“【大戦】でいつか使う時のため”という名目で密輸武器を製造させた。

五年という歳月がかかったのはケーキ教団の拡大と、サッカロイドの製造にそれだけ時間をかけたからに他ならない。

滝本「カキシード公国には力を付けさせ、来たるべき時にオレオ王国に“侵攻させる”。
オレオ王国は広大ですが、あそこの王は元来の反戦主義者だ。
まともな対抗手段を持たないので公国軍はすぐに王都まで攻めかかるでしょう」

参謀「そして公国軍の伸び切った補給路に向けて、王国に陸戦兵器<サッカロイド>を出撃させて…
【会議所】はその横っ腹を突く」

他の会議所兵士がいまの二人の姿を見たら腰を抜かすことだろう。
無表情で抑揚のない話し方だが温厚な議長、かたや黎明期から英雄として崇められた副議長。
二人がともに“国を壊滅させる”という共謀案を真剣に話し合っているのだ。

¢「敵の公国軍は壊滅。そして、オレオ王国を保護するという名目で、【会議所】は王都を実効支配する」

滝本「ついでに王都も崩壊させ王国の指揮系統を喪失させておきましょう。
こうなれば後は王国全土を支配下に置くのは、そう難しい問題ではないでしょう」

明日の天気予報を告げるような口調で、平然と滝本は物騒なことを口にした。

そこで計画の振り返りは済んだのか、会議室は一瞬静寂に包まれた。


522 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その13:2021/01/04(月) 13:40:45.205 ID:/QEW4mKwo
¢「しかし、こうもうまく行くとは思えないんよ」

沈黙を破る形で¢はポツリと呟いた。
彼はいつもこうだ。
三人の中では一番の心配性で、一度物事に囚われると思考の沼にハマってしまう癖がある。

そのせいで何年経っても若々しい参謀と比べると、彼の老化は顕著だ。
元々、比較対象の参謀が年齢よりも老けて見えていたという問題はあるが、それを差し引いても顔には苦労の分だけ皺が刻まれているように見える。

参謀「たしかに。この仮定には大きな問題を見落としている。他国の動き、とりわけ裏では協力関係を結んでいるカキシード公国の動きを想定していない」

滝本「公国といえど、実質動いているのはたけのこ軍兵士でもあり“宮廷魔術師”でもある791さんでしょう。彼女に我々の考えが看破されていれば、この計画は破綻します」

三人は途端に押し黙った。
滝本はちらりと時計を見た。約束の時間まで“もうすぐ”だ。

参謀「791さんが読んでないと思うか…?」

¢「あの人は表面上こそ天真爛漫な善良なたけのこ軍兵士だが、ぼくが武器商人として公国に行ったことも全て把握している筈。
それでもなお平時の態度を崩さず接しているのは肝が座っている証なんよ」

滝本「如何に【会議所】に有益な兵士といえど、彼女は宮廷魔術師です。
そして、¢さん、参謀。
お二人は“魔術師”というものの恐ろしさを791さんよりも“前に”既に承知の筈です。そうでしょう?」

二人は再度押し黙った。
それが答えだった。


523 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その14:2021/01/04(月) 13:42:01.234 ID:/QEW4mKwo
滝本「ただ、ご安心ください。
791さんが気づいていないという確信を、私は持っています」

二人は眉をひそめた。

参謀「なぜそう言えるんや?まさか791さんが教えてくれたわけでもないろうに」

滝本「それは後でご説明しましょう」

そら始まった、と参謀は露骨に呆れ顔をした。

彼は勿体ぶって言いたいことを最後に回す癖がある。おかげで話は長くなる。
会議の時間も必要以上に伸びるのは、彼の性格が三割ぐらい原因だ。

参謀の顔に気付いたのか、滝本は芝居がかったように一度咳払いをして誤魔化した。

滝本「計画はここまで怖いほど順調です。ですが、こういう時ほど落とし穴が潜んでいることを、また私たちはよく理解しています」

今の彼は、普段会議で喋る姿よりも大分イキイキとしている。お得意の芝居がかった口調にさらに磨きがかかっている。
普段はまるでお経を読み上げるような抑揚のない話しぶりで幾人も眠りに誘うが、今は身振り手振りを交え二人の言葉に口元をつりあげ身体を揺らしている。
かつてこのようにおどけた姿で会議を仕切っていた人物がいたことを、参謀はふと思い出した。

参謀「たとえるなら、【大戦】で勝利目前のきのこ軍が慢心してたけのこ軍に大逆転を喰らう。その場面と同じやな」

滝本は苦笑しながら肩をすくめた。
この場にいるのは全員きのこ軍兵士だ。【大戦】初期から、頻繁にたけのこ軍に苦汁をなめさせられている過去を、この場の全員が理解しているのだ。


524 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その15:2021/01/04(月) 13:43:25.297 ID:/QEW4mKwo
滝本「さて。ここまで色々とトラブルはありましたが、陸戦兵器<サッカロイド>の完成まで残り2ヶ月です」

¢「公国への武器供与はどうするんで?」

滝本「今月で打ち切りましょう。聡い“宮廷魔術師”のことだ。それを合図と見て、本格的にカカオ産地侵攻を検討し始めるでしょう。
向こうをその気にさせれば、事態は劇的に動き出しますよ」

¢「了解なんよ」

六年前が“思い出される”。
あの頃、滝本はまだこの座に収まっていなかったが、今と同じように二人と額を寄せ合い話していた“記憶”はある。

参謀「“王国戦争”までのシナリオは想定通りやな。
ただ、陸戦兵器<サッカロイド>の問題はどうするんや?この間も、95黒が魂との“定着率”について心配してるようなことを言ってたんやろ?」

“流石は参謀です”と言いながら、滝本は余裕のある笑みを見せた。

滝本「そう。いま、問題になっているのは陸戦兵器<サッカロイド>と魂との定着率の低さについてです。
そして、先程¢さんが危惧していたように。そもそも791さんがこちらの動きを察知しているかどうかがこの“計画”の成功を大きく左右します」

参謀「自分で言っておいてなんやが、定着率の問題については“一つの解決策”があるやろ。利用するわけにはいかんのか?」

参謀の発言に対し、¢は口をすぼめて異議をとなえた。

¢「確かに、その解決策だと定着率を大きく向上させることはできるかもしれないんよ。
でも、荒療治だしそもそも科学的に証明されている方法でもないから、ぼくも含め化学班さんたちは反対しているんよ」

滝本はその二人をなだめるように“まあまあ”と声をかけた。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

525 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 密議編その16:2021/01/04(月) 13:44:02.805 ID:/QEW4mKwo
滝本「来たようですね。

さて、ここでもうひとり新たな“協力者”を迎えたい。

我々にとっては強力で劇薬ともなりうる存在ですが、ここまで頼り強い人もいないでしょう」

二人は互いに顔を見合わせた。
今日、この場に自分たち以外の人間が同席するとは聞いていなかったのだ。

滝本「どうぞ。お入りください」

同意を得ずに滝本がパチンと指を鳴らすと、扉がひとりでに開き。
扉の外から一人の兵士が姿を現した。

その姿を見た途端、たちまち二人は驚愕した。


someone「…」


扉の前には、群青のローブを身に纏った若ききのこ軍兵 someone(のだれか)が立っていた。


526 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/01/04(月) 13:44:55.917 ID:/QEW4mKwo
遂に明かされた会議所の計画。
ちなみに私は指パッチンができません。むかつきます。

527 名前:たけのこ軍:2021/01/04(月) 17:57:50.278 ID:rMzx38EY0
会議所を巡る陰謀計画、ワクワクするんよ

528 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その1:2021/01/10(日) 11:14:19.306 ID:1a0tukcco

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夢はいつだって好き勝手に過去の場面を切り取り脳内に映し出す。
深層心理を映し出す鏡だと思えば幾分か気は晴れるのかもしれない。なぜなら夢の光景は、そのほとんどが自分の“記憶”に無いものか表層上忘れてしまった思い出ばかりを投影しているからだ。

警告と言ってもいいのかもしれない。無意識の心理が、自分自身に思い出せ、忘れるなと忠告しているのだろう。
スピリチュアリズムに心底傾倒しているわけではないが、いつか肉体が消え霊魂だけ残ったとして、この思念も果たして残り続けるのか、時々不安になる。
もしかしたら内なる心理は後々を見越し、今のうちにたくさん思い出せと諭しているのかもしれない。

今日は珍しく、“自分”が主人公の夢だ。

滝本『それでは今日の会議を終わります。お疲れさまでした』

いつもの会議の風景。この場面だけ切り取れば夢か現かははっきりしないだろう。
ただ夢だと断言できるのは、その光景を俯瞰して見ており、自身の意識が天井付近に離れていることで分かった。

『初めての会議お疲れさま。しかし、なんでそんなに会議がうまいんだ。滝本さん?』

多くの兵士が席を立ち議場を後にする中、一人の兵士が近づいて自分に声をかけた。彼はきのこ軍兵士 黒砂糖(くろざとう)だ。
夢の中の滝本は書類をまとめていた手を休めると、肩をすくめた。


529 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その2:2021/01/10(日) 11:15:07.363 ID:1a0tukcco
滝本『身体が勝手に動くんですよ。それに、皆さんの支えあってのものですから』

黒砂糖『なんだそれ、おかしいな。以前に何処かで経験あるとかかい?』

滝本『どうでしょう。少なくとも私自身は無いはずですよ』

夢にいても、気づくことは幾つかある。
まず、自分は思った以上に表情の変化に乏しい。もう少し親しみやすさを出していたつもりだったが、いま見る限りはかなりの愛想の無さだ。これでは他人も声をかけづらいだろう。
それに、思わせぶりな態度も鼻をつく。参謀の文句の意味をようやく理解できた気がした。

とはいえ、これはあくまで夢なので現実の光景とは離れているかもしれない。あくまで深層心理が見せつけているだけかもしれないので、信じすぎることもないだろう。
そう適当に理由をつけ反省を二の次にし、夢が醒める時までボウと光景を眺めることにした。

滝本『黒砂糖さんにも大分助けてもらいました。今度、【大戦】で前人未到の撃破数を稼いだ“鉄人”のコツを教えて下さい』

黒砂糖『はははッ。気力だよ、気力。しかし、集計班さんを思い出すような捌きっぷりだったよ。なにか会議の進め方について、遺言でも残されていたのかい?』

滝本『そんな遺書が残されているのなら一番に読みたいですね。
ですが、強いて言うならば、そうですね…あの人の遺志、なんてものがもしかしたら私にはほんの少し宿っているのかもしれないですね』

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530 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その3:2021/01/10(日) 11:16:58.542 ID:1a0tukcco
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団 地下 メイジ武器庫】

突如扉から現れたsomeoneを視界に入れながら、参謀は彼を招いた滝本の真意を解りかねていた。
普段あまり態度を表に出さない¢までもが露骨に顔をしかめている。

¢「これが今日、ぼくたちをここに呼んだ理由ですか。滝本さん?」

滝本「そうです。
彼は優秀な魔法使いにして、“宮廷魔術師”791さんの指示で【会議所】の動向を掴むために送り込まれた公国のスパイです」

サラリと滝本が語った言葉に、二人は思わず耳を疑った。

参謀「公国からのスパイッ!?本気か、滝さんッ!?」

someone「…」

当事者のsomeoneは何も語らずにただ俯き、その顔はローブに隠れている。

¢「someoneさんは新進気鋭のきのこ軍兵士。【大戦】の新運用ルール“制圧制”を考案した期待の新星。その人が、公国の送り込んだスパイと?」

滝本「最も難しいとされる【大戦】ルールを考えたその力は、間違いなく彼の才能でしょう。
後者については、本人が自ら認めました。そうですね?」

そこで初めて自分に話を振られたことに吃驚したのか、someoneは少しだけ肩を震わせたが。
ローブの中で静かに目を閉じ、観念したように一度だけ頷いた。

参謀の目の前に座る¢は、血色の悪い顔をさらに悪くさせ、ヒステリック気味に立ち上がった。


531 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その4:2021/01/10(日) 11:18:24.859 ID:1a0tukcco
¢「ならば、この場に敵のスパイを呼ぶなんてッ、なおさらマズイんよッ!!」

彼の態度まで折り込み済みといわんばかりに、滝本はゆったりと片手を上げ彼を制した。

滝本「私も驚きましたよ。
先日、someoneさんが自ら『会議所の秘密を知っている』と打ち明け始めた時には、私も内心慌てたものです。
ですが、彼はどうやら恩師に従うつもりはなく、今は独断で行動しているようなのです」

“独断”。

参謀はその言葉に大きな違和感を持った。
わざわざ強大な師から離れ、あまつさえ敵陣に乗り込む必要が何処にあるというのか。
彼の自信無く、頼りない姿を見る限り、とても自分の意志で来たとは思えない。これも791の策略ではないか。
そう考えたのは参謀だけではなく、向かいの¢も同じようだった。

¢「ぼくはsomeoneさんを信じすぎるのは危険だと思うんよ。
正直、言葉だけではなんとでも語れる。こうしてここで話した情報を秘密裏に公国側に流されたら全て水の泡だッ!」

滝本「ご心配ももっともです。
でもご安心ください。
彼には既に私が“制約の呪文”を施しているので、秘密が漏洩するリスクもない。
もし彼が他の誰かにこの秘密を喋ろうとすれば、制約の術でその瞬間に彼の心臓は止まります」

“制約の呪文”とは呪術式の魔法で、術者が対象者を一定の条件下で拘束、束縛する際に用いられるものである。
特に対象者が同意さえすれば魔法の威力が増し、当人間で結んだ制約を破った際に生命を奪うものまで存在する。

今回、滝本がsomeoneにかけた魔術はまさに後者の呪文で、即ち対象者の彼が制約に同意したということでもある。
その言葉を聞き先程よりも少し安心感が増す一方で、益々疑問が強くなる。


532 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その5:2021/01/10(日) 11:20:28.193 ID:1a0tukcco
参謀「それならまずは一つ安心やな…ほんで、そもそもsomeoneをここに呼んだ理由はなんや?」

someone「…僕が“優秀な魔法使い”で。
皆さんが頭を悩ませている“兵器の欠陥”について、専門家として意見を貰いたいから、ではないですか?」

三人は一斉に彼の方を向いた。

俯いていた顔はいつの間にか上がり、いまは逆に三人を見返している。
ヘーゼルカラーの瞳は鋭く光り、その目は挑戦的な意志を宿しているように参謀には感じられた。
先程までの弱々しい姿から一転し、今の彼の面は余裕綽々たるものがあった。

普段の彼はおどおどとした様子で、会議でも口数は少ない。孤独を好むのか、仲の良い斑虎と話している時以外では一人でいる印象しかない。
この場で啖呵を切れるような豪胆な性格の持ち主だとは知らなかった。この数分で随分と印象が変わったものだ。
今の精悍な顔つきは、まるで何処かの小説にあるような、荒々しい別人格が顔を覗かせる変貌ぶりだ。

参謀「ほう。随分と知っている口ぶりやな」

心を落ち着かせるために茶を啜りながら、参謀は暫し考えた。そして、滝本がこの伏魔殿に彼を呼んだ理由について、すぐに合点がいった。

参謀「なるほどなあ。つまり、陸戦兵器<サッカロイド>の定着率の問題を、ここで解決しようっちゅうわけやな?」

“さすがは参謀”と、芝居を見終わった観客のように、滝本は拍手で応えた。

滝本「我々のメンバーの中には、彼のような優れた魔法使いはいなかった。
唯一の悩みで弊害です。ですが、someoneさんが協力してくれれば最後のピースが埋まるかもしれない。そうでしょう、¢さん?」

¢「…」

逸った気持ちを抑えるように仏頂面に戻った¢は、静かに椅子に座り直した。


533 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その6:2021/01/10(日) 11:22:24.645 ID:1a0tukcco
その様子を見て、someoneも近くにあった椅子を手繰り寄せ、スルリと腰掛けた。
そしてポケットからパイプ煙草を取り出し咥えると。魔法で灯した指先の火をパイプ口に近づけ、静かに蒸し始めた。

someone「失礼します」

パイプから口を離し静かに紫煙を吹く彼の姿は、とても様になった。
子供から背伸びをして大人になろうとするような不格好さは残るものの、同時に達観した余裕と研ぎ澄まされた緊張感も彼から滲んでいる。絶妙なバランスで彼に一種の“凄み”を与えている。
彼の度胸に、参謀は再度驚いた。

滝本が、“ね?すごいでしょ?”と好奇の目を送ってきているのが分かった。
【会議所】のsomeoneといま目の前にいる彼はまるで別人だ。
元々の性格に因るものか、幾多の出来事が彼の性格を変えたのだろうか。

もし、後者だとしたら彼の人生の転機は何時訪れたのだろうか。
俄然、参謀は彼に興味が湧いた。

someone「滝本さんの言ったように、僕は自分の意志で皆さんに協力したいと思っています。
安心ください。791先生は、【会議所】が陸戦兵器<サッカロイド>を保有しているという状況を一切知りません。一番弟子の僕が保証します」

滝本「確証は取れました」

“ほらね?”と言うように、滝本はしきりに視線を送ってくる。
煩わしいので参謀は敢えて気づいていないふりをした。

滝本「公国について、もう少し詳しく教えて下さいな」

someone「表向き、カメ=ライス公爵が国を治めていることになっていますが、数年前から791先生がライス家を支配し裏で実権を掌握しています。
僕を始めとした魔法学校の卒業生は、優秀な者は国内で成果を出し先生の名声を高め、さらに優秀な者は先生の下で働き彼女を支えています」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

534 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その7:2021/01/10(日) 11:25:17.546 ID:1a0tukcco
someone「四年前。¢さんが公国に単身乗り込んだ際に話した“旨い話”に、先生は喜びつつも警戒感を顕にしました。曰く、【会議所】は何かを企んでいると」

¢「流石は791さんだ」

someone「そこで呼び出されたのが僕です。【会議所】の内情を探るようにと指示を受けました」

参謀「事情は理解したが…someone、お前はどうして791さんを裏切る?」

そこで、再びパイプを口から離したsomeoneは深々と息を吐いた。
途端に紫煙がドッと彼の口から吐き出された。

someone「僕には、先生の考えが理解できない」

ポツリと呟いた言葉もすぐに煙の中に消えた。
まるで彼を守るように紫煙が小さな主をスッポリと包み込む様子を見て、参謀は初めて彼の危うさを垣間見た。

someone「何の罪もないオレオ王国を危険に晒すあの人の企みを、生命の重みなどまるで知らないだろう狂人の企てをッ、食い止めたいんですッ!」

再び紫煙から現れた彼の顔は、霧が晴れた空のように凛々しく決意に満ちていた。
キリッとした顔つきは童顔ながら、昔の¢を彷彿とさせる二枚目ぶりだ。
参謀は曇りなき彼の瞳に、少々見惚れていた。

同時に、滝本が今夜開いた会合の“真の”意味を、徐々に理解し始めた。


―― なるほど、そうか。そういうことか。


535 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その8:2021/01/10(日) 11:26:42.961 ID:1a0tukcco
someone「791先生は戦争の準備を進めています。都合がよければ近く軍を出せると仰っていました」

滝本「そうですか…それは我々にとって実に“不幸”なことです」

彼が大袈裟に落胆する様子を見て、薄々この“茶番劇”を理解し始めている自分に同時に嫌気もさした。

参謀「信じられひんな。本当に791さんが戦争を起こそうとしているんか?」

滝本の魂胆に乗っかり、参謀も少々大袈裟に眉をひそめた。
さすがのsomeoneにもその真意までは分からないだろう。

気づかないうちに、いつの間にか【会議所】が彼を罠に嵌めようとしていることを。

参謀の言葉を受け、滝本はすぐにバネ仕込みの人形のように椅子から跳ね上がり、威勢よく¢に顔を向けた。

滝本「¢さん、すぐに公国への武器提供は打ち切ってください。
“意図せず”、我々は公国軍を支援していたことになる。事態を知った今、看過することはできない」

¢「わかったんよ」

先程交わしたやり取りとは矛盾する内容に、何の疑問もなく¢は頷いてみせた。
彼も伊達に二十年来、【会議所】で揉まれてきていない。

滝本「someoneさん、貴方の提案で我々も目を覚ましつつあります。
取り急ぎ、助けてほしいのは陸戦兵器<サッカロイド>の抱えている問題について、魔法使いの観点から貴方よりアドバイスを戴きたいのです。
お願いできますか?」


536 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その9:2021/01/10(日) 11:27:59.695 ID:1a0tukcco
下唇を噛みながら握りこぶしをつくる彼の姿は、事情を知らない者から見れば大国に立ち向かおうとする熱い青年議長として映るだろう。
だが事情を知っている参謀からすれば、逸る気持ちを抑えようと声を低くし、しかし気持ちを抑えられず思わず鼻息を荒くする狡猾な肉食獣に見える。
つまり今回の会合の目的は、今の提案をsomeoneに認めさせることにあるのだ。

そんな一人で盛り上がる滝本の熱から避けるように、彼の周りの紫煙は壁をつくるように三人との間に層をつくり、彼自身も容易に頷こうとはしなかった。

彼の慎重な姿勢に、参謀は素直に好感を持った。
いま見せている彼の露骨な警戒心は、目の前に座る自分も含めた狡猾な兵士からすれば既に格好の餌食となっているが、警戒すること自体は決して悪いことではない。

用心深さは自分の生命を永らえさせる。これまでの【会議所】でも幾多も実感してきたことだ。
慎重すぎると目の前の友のように変わり果てた姿になってしまうが。

someone「改めて確認ですが…

本当に外にある陸戦兵器<サッカロイド>は、【会議所】の“自衛用”として開発したもので、侵略用に開発したものではないんですよね?」

核心をついた質問に、部屋に微かな緊張感が走った。

参謀は表面上平静を装いながら、彼には分からないほどの変化で滝本に横目を向けた。
やはり、滝本は彼に【会議所国家推進計画】の全貌を伝えていないのだ。
恐らく陸戦兵器<サッカロイド>の話だけしかしておらず、彼から魔法使いの専門家として意見を引き出し、利用するだけにしようとしている。

当の滝本は眉一つ潜めず、至極落ち着いたものだった。
こうした時は下手に表情を変えるよりも普段の様子でいるほうが信用性を増すことを本能で理解しているのだ。


537 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その10:2021/01/10(日) 11:31:33.241 ID:1a0tukcco
滝本は立ち上がったまま、何度も強く頷いてみせた。

滝本「当たり前ですッ!
以前もお伝えした通り、我々は“カキシード公国からの不当な横暴に備えるため”に、陸戦兵器<サッカロイド>を用意しているのです。

いうなれば、抑止力は最大の武器ッ!
強力な兵器は国家間では抑止力にしか働きませんよ、someoneさんッ。考えすぎですよッ!」

安い三文芝居だ、と思う。

しきりに拳を振り上げ、何度となく頷く彼の首といえば、カクカクと動く壊れかけの首ふり人形のようだ。
先程の“静”とは一転して、今度は“動”で相手の心を揺さぶる。
大袈裟な所作に相手も疑いそうなものだが、この化かしあいは一瞬でも相手に“本当にそうかもしれない?”と思わせたほうの勝ちなのだ。

普段の滝本しか知らない人間からすれば、いつもお経を読み上げるような口調の議長がまくし立てる激しい言葉を、知らずのうちに彼の心の内に潜む熱情なのだと感じる。感じてしまう。
頭脳明晰な人間ほど、脳が拡大解釈をしてしまうのだ。よく考えれば矛盾している発言を、信じてしまうだけの器量の良さがあだとなる。
そしてsomeoneもその思考の沼に陥っている。眉をひそめ悩んでいる姿を見れば一目瞭然だ。

滝本「我々は国家ではない分、大きな制限なく動ける。
その点で、公国に武器を横流ししていたことは過ちでした。
陸戦兵器<サッカロイド>開発資金、材料確保のために密造武器を製造していたことは、仕方がないとはいえ人道的に許されることではない。

せめてもの罪滅ぼしですが、我々も公国の横暴を抑えたい。なによりこれから災禍に見舞われるだろうオレオ王国を救いたいのですッ!
一緒に彼の国の野望を食い止めましょう、someoneさんッ!」


538 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その11:2021/01/10(日) 11:33:55.093 ID:1a0tukcco
個人的に、参謀は彼のこうしたやり方に諸手を挙げて賛同しているわけではない。

他者を利用するだけ利用し終わったら切り捨てる。それは他者を厭わない狂気の手法だ。
ただ、非情さにおいては寧ろ¢の方が上だろう。彼は時々他者に対して情けをかけてしまう時がある。
それは暗殺を生業とする¢からすれば“隙を見せる弱さ”であり、文化人の参謀から見れば“人間らしさ”としての評価点だった。

その点で目の前の二人に比べれば、自分はかなりの穏健派だ。暗く汚い仕事は専ら二人に任せてきた。
そのため、この【国家推進計画】における自らの役割は二人に比べ一歩下がりがちだ。
二人から面と向かって糾弾されたことはない。互いに暗黙の了解という形で今日までやってきたのだ。それは二人の優しさの表れだった。

参謀は、そんな自身の踏ん切りのつけられなさを卑怯だと感じている。
計画に加担すると言いながら彼らのような非情さを持ち合わせることができず、かといってここまで反対もせず。寧ろ計画を推進してきた自身の矛盾を、心の中で悔いている。

今だってそうだ。
計画を完遂するためには、someoneにはここで滝本の言葉に従ってほしい。

だが、個人的な考えを言えば。

  彼には抗ってほしい。
  疑った気持ちを持ったままでいてほしい。

どうして相反する気持ちを持つのか、時々自分が不思議になる。
目の前の小さな魔法使いを気に入ったのか?そうかもしれない。
哀れんでいるから?それもあるだろう。既に彼はまな板の上の鯉だ。

しかし、根本にはもっと別の理由がある。それを心のうちで理解しながら、脳は言語化することを本能で嫌がっている。

そして、ずっと悩んでいた小さな魔法使いは――

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

539 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 籠絡編その12:2021/01/10(日) 11:35:29.373 ID:1a0tukcco
¢「助かるんよ。早速、この後メイジ武器庫で化学班さんたちと一緒に、陸戦兵器<サッカロイド>の問題点について意見を貰いたい」

参謀「…決まりやな」

ああ、彼も駄目だったか。

若き魔法使いに、権謀渦巻く【会議所】は早すぎたのだ。
そして彼の未来は今日、ここで確定した。望む未来とは真逆の結果を自身の手で手繰り寄せ、近く絶望する破滅の未来だ。


その未来から逃れることも、また【会議所】が逃がすこともしない。


自身もその一員でありながら、若い兵士の未来を摘んでしまったことに、参謀は心の底より嘆息した。


540 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 :2021/01/10(日) 11:36:59.544 ID:1a0tukcco
この章は結構心情描写が多めですね。許してくだしあ、そういう気分なんです。

541 名前:たけのこ軍:2021/01/10(日) 16:16:31.181 ID:SI2TuOhg0
参謀もなんかいろいろとあやしくねぇ?

542 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その1:2021/01/11(月) 21:37:14.607 ID:rwxI6qQYo

―― 「僕の夢は、誰かの英雄<ヒーロー>になることだった」

            ―― 「なら、もう十分なれたじゃないか?」心の中の“彼”がそう囁く。

            ―― 「そろそろ夢から“醒める”時さ」

―― 「ふざけるなッ!いまの僕には父から教わった正義の心があるッ。もう昔の僕には戻らないッ!」僕自身が、心の中のもうひとりの“彼”に反論すると。

            ―― 「くくッくくくッ、ハハハッ」“彼”は徐に声を上げ笑い始めた。
           
            ―― 「正義?ハハッ。俺が悪なら、お前らも“悪”だ」吐き捨てるように言った。
           
            ―― 「俺たちはその日を生きるために必死だった。生きるためなら、仲間を生かすためならそれこそ何でもやったさ。
                一方で、お前らがやったことはなんだ?
                俺たち弱者の思いを踏みにじり、一方的に糾弾し、仲間の生命を散らすことだ。それがお前たちの仕事。
                さて、俺たちとお前たち。いったいなにが違う?」


                                                     七彩・著『牢獄の中の正義』より



543 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その2:2021/01/11(月) 21:38:14.811 ID:rwxI6qQYo
【きのこたけのこ会議所自治区域 議長室】

コンコン、と扉を叩く音で滝本は意識を戻した。
ガチャリと扉が開くと、たけのこ軍の軍服を身につけた抹茶(まっちゃ)が姿を現した。

抹茶「また寝てました?」

滝本「失敬な。目を開けて休憩していましたよ。人を眠り魔と勘違いしてやいませんか?」

抹茶「これは失礼。働いている姿より寝てる姿のほうが似合っているものですから」

からかうように微笑を浮かべながら、抹茶は脇に抱えていた大量の書類をドサリと机の上に置いた。
途端にゲンナリとした滝本の顔を気にすることもなく、彼の手元で開かれていた書籍に気づくと、抹茶は目を丸くした。

抹茶「読書ですか…珍しいですね」

滝本「ああ。wiki図書館で借りたんですよ。七彩さんが昔に書いた本らしくて」

抹茶「へぇ…七彩さんですか。懐かしいですね。まだ【会議所】で事務方だった時、あの人に色々と教えてもらいました」

滝本が捺印し終えた書類の束をチェックしながら、抹茶は昔を懐かしむように目を細めた。

滝本「あの頃はまだ多くの豪傑がいましたね。きのこ軍だとアルカリさんに、アンバサさんに、ゴダンさん。たけのこ軍だとシャンパンさんにまいうさんにチャンプルーさん」

抹茶「竹内さんに、とあるさんもいましたね。リコーズさんなんて、二度目に復帰した時はショボクレて見た目がすっかり変わっててびっくりしたなあ」


544 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その3:2021/01/11(月) 21:39:25.815 ID:rwxI6qQYo
滝本「Ω(おめが)さんなんて、生涯現役だなんて言ってて、亡くなる少し前まで兵士に稽古を付けてた熱血漢。あれには驚かされた」

抹茶「本当ですねえ…みんな強くて優しくて尊敬できる人だったなあ。
そういえば大事な人を忘れていた。
集計班さんですよ、あの人なくして【会議所】は語れない」

滝本「なんといっても、【会議所】を興した偉人ですからね」

最初の束は確認し終えたのか、抹茶はすぐに次の稟議書群の確認に入った。滝本は議長だが、実質抹茶がこうして秘書役として最終チェックに入る。
こうして待っている時は少しだけ緊張する。滝本は、答案用紙の採点を待つ生徒の気持ちが少しだけ分かった。

抹茶「優しくて人格者で本当に凄い人でしたよ。いつも飄々として憧れてたなあ」

滝本「集計班さんを悪く言う人を見たことないですね」

抹茶「僕が最初に【会議所】に来たのはかなり幼い時ですが、その時から例外的に色々な役職で学ばせてもらって、育ててもらった恩があります。
話も論理的で筋が通ってるし、少し茶目っ気もあっておもしろい人でした。今とはちがっておもしろかったなあ」

滝本「…まるで後任の私には一切備わってないように聞こえるんですが?」

抹茶「あれ、そう聞こえちゃいました?」

滝本の憮然とした表情をおかしく思ったのか、抹茶は“冗談ですよ”と笑い、濃い緑髪のマッシュヘアとあわせて愉快そうに揺れた。

不思議と彼とは波長が合った。年齢は恐らく滝本より年下だが、立場を越えて二人は対等な関係で話し合うことが出来た。
¢や参謀とはまた違う安心感だ。彼らと違い“計画”の話など一切無く、肩肘張らずに気軽に話せる間柄だからかもしれない。


545 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その4:2021/01/11(月) 21:42:18.761 ID:rwxI6qQYo
抹茶「その七彩さんの本。どんな内容なんです?」

抹茶は書類の確認の手を一旦緩め、滝本の机の上に置かれている本に興味を示した。
“ああ、ネタバレとか気にせずいいですよ”と語る抹茶を思わず見返すと、もう次の確認作業に取り掛かっている。
器用な人間だ。次の【会議所】を担う期待のホープと呼ばれるだけのことはある。

滝本「主人公は駆け出しの青年警官なんですが記憶喪失なんです。
真面目に仕事していたんですが、ある凶悪犯罪グループを追いかける過程で悪夢にうなされるようになってね。

その夢の内容が、まあ簡単に言うと記憶喪失前の元の人格の時のもので。
なんと過去の自分自身が、追いかけていた凶悪犯罪グループの元親玉だったという、驚愕の事実に気付くんです」

抹茶「なるほど。それは随分とどんでん返しな展開ですね。タイトルについている“牢獄”は、自分自身がかつて牢獄の中にいたという暗示なんですね」

抹茶は、大量の書類を仕分けし終えまとめているところだった。相変わらず仕事が速い。
意外と抹茶が話しに乗ってくるので、滝本も興が乗ってきた。

滝本「まだ読み終えてないんですが、なかなかおもしろいですよ。
後半の章からは過去の自分との対峙がメインになるんですが、このときの葛藤がなかなか真に迫っててね」


―― 「“夢”から醒めたら、僕はどうなるんだ」僕が問いかけると、“彼”は笑った。

            ―― 「なにも起こらないさ。幸せな夢からこの身体が醒めるだけ。俺は俺、お前はお前のままさ」

―― 「僕は怖いんだ。僕という夢が終わることで、これまでの全て消えてしまうことがたまらなく怖いんだ」まだ“彼”を受け入れるわけでもないにのに、身体は恐怖でガタガタと震えている。

            ―― 「元に戻るだけなのさ。お前も目が醒めて、少しだけ泣いたらそれでお終い」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

546 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その5:2021/01/11(月) 21:43:36.682 ID:rwxI6qQYo
抹茶「すごい刺激的なシーンですね」

滝本の語る内容に、思わず抹茶も手を止め聞き入っている。

滝本「主人公の僕、つまり“夢”の存在ですね。彼は必死に元の人格に抗おうとする。そうして抗って、抗って最終章へと進んでいくんです。

でも、私にはどうしても彼の気持ちがわからないんですよ。
元の自分がいるとすれば、身体を返して戻してあげるのが筋でしょう。後発的に彼という人格が生まれたのならば尚更だ。
そこまで仮初めの生活に拘り続けることは、本当に正しいことなんでしょうか?」

抹茶は眉を寄せ複雑な表情をつくった。

抹茶「うーん。まあこの場合、人格を戻す先が、自分の追っていた犯罪グループの親玉というところで、彼の抵抗感を強めているのかもですが。
普通は誰しも、手に入れた幸せを噛み締めたいものじゃないですか?」

抹茶の話を聞いてもなお、滝本は腑に落ちなかった。
彼の幸せは手に入れたものではなく、“与えられた”もののはずだ。
ある種、危機回避のために代理で発現した自分が、本来の自分に反逆しようとするなどおこがましいにも程がある。
滝本は質問を変えてみることにした。

滝本「抹茶さんが彼と同じ立場だったら、どう思います?」

抹茶は顎に手を添え、少し考え込むような仕草をした。


547 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その6:2021/01/11(月) 21:44:57.318 ID:rwxI6qQYo
抹茶「そうですねえ。僕も同じことを突然言われたら、たぶん必死に抵抗しちゃうと思います。
でも、もしこのストーリーのような背景を薄々でも気付いていたとしたら。
もしかしたら最終的には受け入れちゃうかもしれませんね」

滝本「ほう?」

抹茶「自分自身がこの世からいなくなるということは、本来凄く“悔しい”ことだと思うんですよ。それはたとえ、自分が仮の人格だと自覚していても同じことです。

自分が夢に戻るっていうと聞こえがいいですけど、要は自分という個の存在が無に帰す。
これ程悲しいことはないです。

よく、生きた痕跡が残っていればその人生は無駄にならないと哲学的に語られますが、僕はこの考えには反対です。
その評価を最終的に行うのは他人でなくあくまで自分自身な筈です。

他人と話し笑い合い誰かを支え支えられながら生きる。
意志を持ち行動することが人生の本懐だと思うんですよ」


548 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その7:2021/01/11(月) 21:45:31.927 ID:rwxI6qQYo

―― 自分という個の存在が無に帰す。これ程悲しいことはない。

夢と現の境界線は曖昧なものだと思う。
夢も非常に精巧な出来になれば、見ている風景は現実と全く変わらない。
唯一の違いがあるとすれば、夢では最終的に自分自身が筋書きを決められるが、現実で想定通りに動く筋書きなど存在し得ないということだ。
ただ、それも驚くほど精巧な夢の中であれば知覚することもできず、夢の中での配役の一人と化している当人でも分かる術はない。

いま、滝本は現実の中に居る。

しかし、本当にそう断言できるのだろうか。

滝本という人格には五年前以前の記憶が一切ない。
五年前のあの日、知らない部屋の固い手術台で起き上がったその時からの記憶しか残っていない。


果たしてそんなことが、本当に現実で起こりうるのだろうか。


今の自分には、この本の主人公や抹茶が語るような現世への執着など一切ない。
同じ“遺志”を持ち、【会議所】の発展という目的に向かい、手足を動かしているだけ。そこに自身の意志など一切介在しない。


それは、生きていると言えるのだろうか。


549 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その8:2021/01/11(月) 21:48:18.978 ID:rwxI6qQYo
抹茶「ただ、まあそう駄々をこねたってどうしようもない時はあるので。
僕は霊魂説なんて信じてませんけど、魂だけになってもみんなを見守ることはできるし、“記憶”がその身体に残り続けるなら。生きてきたことは無駄にはなりませんからね。

…滝本さん。顔色が悪いけど、大丈夫ですか?」

滝本「…ああ。大丈夫で――いやいや、どうやら働きすぎたようで。これは休憩の時間をたっぷり貰わないといけないようです」

抹茶「いや、今まで散々休憩したって言ってたやろッ!
どうですか、これ参謀の真似です」

滝本「ふふッ。全然似てないです」

滝本の表情を見て安心したのか、“新しい書類の処理が終わったら、たっぷり寝ていいですよ”と声をかけると、抹茶は大量の書類を抱え部屋を出ていった。

滝本はもう一度手元の本を開いた。
目に飛び込むのは、主人公の激烈な独白だ。


―― 「消えろッ!恨んで、恨んで、死んでからも恨み続けてやるッ」



550 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その9:2021/01/11(月) 21:51:43.735 ID:rwxI6qQYo
この本の主人公と違い、滝本は一度も心の中の“彼”を恨んだことなどない。
これからもきっとそうだろう。

寧ろ感謝の念しか浮かばないのだ。無味乾燥とした自身の人生に意味を持たせることができた。
【国家推進計画】に携われ、【会議所】で議長として働くことができた。
与えられた幸せを噛み締めることこそすれ、抗うことなどしない。
今日、突然自分の人生が“彼”に奪われるとしても、笑顔で消えていくことだろう。

ただ、本来の滝本の人格が五年前に一度無に帰しているのは間違いないだろう。
夢で見る風景は、【会議所】に来てからの回想に“彼”の追憶ばかりだ。

もし、無に帰したはずの元の滝本の人格が戻り、この本のような状況に陥ったらどうなるだろう。

滝本自身はもしかしたら了承するかもしれない。仕方ないと同情するかもしれない。
だがもうひとりの“自分”が了承するだろうか。


分からない。
            ―― 嘘つき。

想像したくない。
            ―― 容易に思い浮かぶだろう?

理解したくない。
            ―― 本当は分かっているくせに。

“死”とは一体なんなのだろう。
            ―― それはね。留まり続けることをやめた時さ。


551 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 蜃気楼編その10:2021/01/11(月) 21:52:53.336 ID:rwxI6qQYo
これまで滝本は、生と死の概念について一切の疑問を感じたことはなかった。
だが、【国家推進計画】の最終盤を迎えようとしている時に、彼はこの本を通じて大きな疑問に直面していた。
無意識に抑え込もうとしても、疑問は泉の水のように心の中で溢れた。蓋をしても暫くすれば再び溢れてしまう。

困惑していた彼はその正体を知らなかったが、これこそが滝本スヅンショタンにとっての自我の芽生えだった。


そもそも、なぜ成人をとうに越えた彼が、誰しもが乗り越えてきた悩みを、あるいは幼少期の内には素通りしてきた悩みに今、苛まれないといけないのか。

その根本を探るには、一旦時計の針を六年前にまで戻さないといけない。









それは、ある“魔術師”の、酷く冷酷な思いつきから始まった。



552 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/01/11(月) 21:53:11.752 ID:rwxI6qQYo
思わせぶりなところで更新を終わります。また来週!

553 名前:たけのこ軍:2021/01/11(月) 21:56:00.103 ID:0.DWrLjc0
どこどこまでも闇が見える感じがいいですね

554 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その1:2021/01/16(土) 15:57:37.392 ID:URJVSue6o
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━━━━


『ついに…ついにできたぞッ!人類史で誰もなし得なかった究極の【儀術】の完成だッ!』

また、夢を見ている。
薄暗い自室で興奮気に鼻を鳴らしている“自分”の姿を眼下に、滝本はいつものようにふわふわとした意識で眺めていた。

すぐに理解した。
これは過去の、“別の自分”の記憶が映し出されているのだと。

部屋の中は開きかけの書物と書きかけの紙くずの山で連なっては散らばりとにかく雑然としている。
机の前に陣取る自らの黒髪のくせ毛の無秩序な跳ねも、不思議と周りの雑物に馴染んでいる。

【儀術】とは、魔術師が創り出す究極魔法のことだ。
つまり、言葉通りの意味であれば、夢の中の自分は“魔術師”で、正にいま【儀術】を完成させたということになる。


555 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その2:2021/01/16(土) 15:58:42.101 ID:URJVSue6o
『これで皆の遺志を集めておけるッ!
そして、そうすればッ…夢物語も夢じゃなくなるッ』

ここまで興奮している“自分”を見るのは初めてではないかと感じた。
目の前の【儀術】に俄に興味が湧く程には、普段は飄々としあまり動じることのない性格なのだ。

『早速試してみよう…誰がいたかな。そうだ、あの人がいたッ!さっそく試しにいこうッ!』


そして、夢の中の“自分”は ――












                        ―― “魔術師”集計班は、実に愉快そうに笑った。


━━━━
━━



556 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その3:2021/01/16(土) 16:01:24.283 ID:URJVSue6o
【きのこたけのこ会議所自治区域 ¢の執務室 6年前】

¢『“うまかリボーン”?なんですかそれは?』

若き¢はペンを動かしていた手を止め、聞き慣れない単語を前に顔を上げた。

集計班『【儀術】の名前ですよッ!私が作ったんですッ!儀術“うまかリボーン”です』

机の前には、破顔した集計班が立っていた。彼がここまで無邪気に感情を顕にするのは珍しい。仕草や口調こそ剽軽(ひょうきん)だが、感情の起伏は少なく滅多なことでは動じない人物だ。
彼が議長だからこそ幾多の困難も乗り越え、弱小だった【会議所】が十四年を越え今も存続しているのだ。

目の前の議長には感謝の思いしかないものの。
まだ日も昇らぬ明け方だというのに、彼の高揚したキンキン声は、徹夜で【大戦】ルールの策定に挑んでいた頭によく響いた。
サラサラと流れる金の前髪を一度掻き分け、¢はもっともな疑問を口にした。

¢『…その“うまかリボーン”というのはどんな魔法なんですか?もしかしてお菓子を永遠に手から出し続けられるものとか?』

ふざけて提案してみたが案外その魔法は悪くない、と¢は思い直した。特に徹夜明けにはよくきくだろう。

その答えに集計班は“違いますよッ!”と少し声を荒げ、やや大袈裟にしかめっ面を作った。
彼も徹夜明けなのかややツリあがっていた目はさらに上がり、癖っ毛はあちこちに跳ね、襟の立った紺のマオカラースーツもところどころよれている。
やはり互いに徹夜明けが良くないのだろう。今日の彼の興奮気な口調は、¢の頭痛をひどく加速させた。

集計班『そんな内容よりも、よりオモシロイですよ。“うまかリボーン”はですね――』




―― 人の魂を身体から切り離せるんです。


557 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その4:2021/01/16(土) 16:02:49.742 ID:URJVSue6o
¢『…え?』

さらりと口にした彼の発言に、最初¢は、自分の耳がおかしくなったのかと疑った。

集計班『だから、生きた人間から魂だけを分離できる儀術なんですよ、“うまかリボーン”はッ!
魂を実体化して、箱か何か用意すれば中に閉じ込めておけるんですッ!」

まるで虫を捕まえにいくかのような口調で語る彼の話を聞き、ようやく¢の脳もネジを回したように動き始めた。
普段の彼からは決して語られないだろう話を耳にし、一瞬、脳内が硬直していたのだ。おかげで頭痛もどこかに吹っ飛んだ。

¢『じょ、冗談ですよねッ!?』

徹夜明けでジョークのキレが悪くなっているのだろう、と少しの期待を込めたが。
執務机の前に立つ彼はいつもと変わらないニコリとした笑みをつくり、それがかえって¢の絶望を加速させた。

¢『ちょ、ちょっとぼくの理解が追いついていません。
ちなみに…魂を分離した後の肉体はどうなるんですか?肉体の元の主は?』

集計班『え?もちろん死にますよ、当たり前じゃないですか』

わかりきったことを聞くなと言わんばかりに、満面の笑みで集計班は答えた。
まるで悪意の篭もってない彼の返答に、¢は顔を青ざめた。

集計班『そうだッ、私の部屋にきてください。おもしろいものをお見せしましょう。
ああ、そうだッ。参謀も呼ばないとッ、呼んできますねッ!』

慌ただしく集計班が部屋から飛び出してから、¢は今この瞬間、夢の中にいるのではないかと疑った。
しかし目の前に置かれている未完成のルール草案の山を見て、現実であることを急速に実感した。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

558 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その5:2021/01/16(土) 16:04:55.966 ID:URJVSue6o
【きのこたけのこ会議所自治区域 議長室 6年前】

集計班『――というわけで。これがきのこ軍 アルカリさん。こちらがたけのこ軍 まいうさん。そして左端がきのこ軍 七彩さんの“魂”です』

彼が机の上に置いたガラス瓶には、それぞれ鮮やかな色のモヤが立ち込めていた。
これが本当に英傑の“魂”だとしたら、あまりにも実感がなくかつ呆気ない。
活力の源であり人を突き動かす心臓部の“魂”がただのガス状の霞だという事実に、人間という神秘の存在をズケズケと明かされた思いになり、¢は茫然としていた。

同じく横で話を聞いていた参謀B’Zも衝撃を受けた様子だったが、それは¢が抱くような科学的な喪失感よりも前に、凡そ倫理の欠如した行動にひどく困惑しているものだった。
仕方がない。先程、¢も通った道だ。

参謀『正気か、シューさんッ!?
いまシューさんが口にした人たちは、いずれも直近で亡くなった偉大な【会議所】の英傑たちやッ。つまり、つまりその話が本当やとしたら――』


―― “シューさんが、三人を殺したってことか”。


恐ろしい内容を、流石の彼も最後まで口にすることは躊躇われたようだった。
緊迫した光景に¢も唾を飲み、あらためて彼の語る異様さと、彼自身の放つ狂気を肌で感じた。

参謀の言葉に彼は少し沈黙した後に、“そんな些細なことか”と言わんばかりに露骨に顔をしかめた。

集計班『嫌だなあ、参謀。私が仲間を手に掛けるわけ無いじゃないですか』

そこで彼は穏やかな目で瓶の中の“モヤ”を見つめながら、とうとうと語り始めた。


559 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その6:2021/01/16(土) 16:06:26.625 ID:URJVSue6o
集計班『全て死の間際の英雄の方々からの“同意のもとで”行ったんです。

最初はまいうさんでした。彼は死の数ヶ月前から体調を崩し、自らも死期を悟っていた。
そこで病床の中で、私にこう語ったんです。

“【大戦】での栄光が忘れられない。望むなら、永遠に生きたい”、と。

だから当時、完成したばかりの儀術“うまかリボーン”の話をしたんです。身体を捨て魂だけになれば永遠に生き続けられますよ、ってね。

不安もありましたが、結果は成功でした。
彼の肉体から見事魂だけが分離し、こうして魂が手に入りました。見てください、彼はこうして今も“生き続けています”』

うっとりとした顔で語る目の前の集計班に、二人は初めて恐怖した。
とても、正気の沙汰とは思えなかった。

参謀『は、話はわかったわ。だけど、何のためにこんなことをやるんやッ…』

集計班『“なんのために?”決まりきったことを聞かないでください、参謀。この間の話をお忘れですか?』

集計班は途端に笑みを消し、瓶をさすっていた手を止めた。
今は彼の一挙手一投足全てが恐怖の対象だ。

集計班『全て、会議所を【国家】にするため。その遠大な計画の一つですよ。
選りすぐりの魂を集め、強固な“器”に投入すればどうなりますか?』


560 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その6:2021/01/16(土) 16:10:42.ウンコ ID:URJVSue6o
― 『参謀、¢さん。私は決めました。会議所自治区域を何としても【国家】に引き上げてみせる。
そのためであれば…私はどんな策を弄しても、どんな犠牲を出しても構いません』

先日、【会議所】が何十度目かの国家昇格に失敗し¢がすすり泣いていた時、彼は二人の前で真剣な口調で語ったのだ。
オレオ王国とカキシード公国を争わせ、【会議所】が漁夫の利を得て最終的には世界の覇権を握るという壮大な空想案を。

幾ら国同士を動かすとはいえ、【会議所】が容易に介入できる手段も方法も無い。当時は二人とも本気にしていなかった。二人を慰めるための彼の気休めだと思ったのだ。
しかし、彼だけは諦めていなかった。【国家推進計画】の肝となる【会議所】の戦力を創り出すために、自ら【儀術】を発明したのだ。

¢『…見た目は兵器。しかし、その中身には【大戦】で活躍した兵士たちの魂が入る。【大戦】で培った精鋭の動きと経験をあわせもった、最強の兵士ができますね』

言葉にしてから、¢は自らの身体が小刻みに震え出したことに気付いた。
これは恐れからくるものか。
否、違う。
身体の奥から全身に広がっていく熱い激情と、同時に抱く高揚感。

そうか。ようやく、彼の考えを理解できてきた。

集計班『そう。私の開発した“うまかリボーン”は、対象の魂を抜き出す強力な儀術です。使い方を違えれば、対象をすぐ死においやります。
ですが、そんな“愚かな”使い方を、私はしません。
身体は老いても儀術を使えば、当時の素晴らしい経験、そして輝きを放つ兵士の魂を戦力に使えるのですよ。
死という螺旋に囚われることのない、最強の兵士として永遠にね』

参謀『そ、それはいくらなんでも非人道的な行いになるんとちゃうん?』

集計班『安心してください。ですから、英傑たちには事前に“承諾”を得ています』

参謀『それでも…いや、もうええわ』

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

561 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その8:2021/01/16(土) 16:12:31.675 ID:URJVSue6o
確かに、彼の儀術は死者を冒涜する行為だと¢も思う。幾ら今際の際で“永遠に生き続けたい”と言質を取っても、臨終の彼らには真意の言葉でない可能性も十分にある。
意識が混濁している場合もあるはずだ。全て正当に同意を得られたとは到底考えにくい。

だが、目の前の大事を為すためにはそのような道徳的感情など“些細なこと”だ。

最強の兵士を創り上げる。
世界中どの人間も気付いていない理論を組み合わせ実現することができれば、今まで経験してきたどの【大戦】の戦いよりも、スリルで且つ一方的に蹂躙する戦いができる。

世界を根本から変える、世紀の大発明だ。

¢『ククククッ…』

自分でも気づかぬうちに、¢の口からは、くぐもった、奇妙な笑い声が漏れていた。
横にいた参謀はぎょっとした表情で¢を見て、対照的に集計班は普段見せないような顔でニタニタと笑い始めた。

¢『素晴らしい。実に素晴らしいんよ、集計さん。
ぜひ成し遂げましょうッ。会議所を【国家】にしてみせましょう』

“魔術師”は同調するように何度も頷いた。

集計班『¢さんならわかってくれると思っていましたよ。
この儀術があれば、我々が負けることはありません』

¢『最強の兵器を創り上げるためには、器の選定も必要です。ただの硬材では敵の銃弾に貫かれてしまう。
ダイヤモンドよりも硬度の高い材質を作り上げることができれば、我々は無敵になります。ぼくにいい案があるから試してみたいんよ』


562 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その9:2021/01/16(土) 16:13:33.371 ID:URJVSue6o
集計班『わかりました。兵器については¢さんに一任しましょう。さて…』

そこで、集計班は参謀に向き合った。

集計班『参謀。どうします?』

参謀に見せた彼の表情は、先程までとはうってかわり、皆に見せる“いつもの”慈愛に満ちたものだった。

そこで参謀は口をつぐみ、目を閉じた。

どのみち、彼に拒否権はないのだ。仮にいま断ったとしても、最重要機密の【計画】を知ったまま野放しにはできない。
彼の“魔術師”としての側面を見た今、幾ら黎明期の仲間とはいえ無事で済む保証はない。
この無言の間は、寧ろ彼自身の中で浮かび上がる疑問や道義心を必死に抑え込むための猶予といえた。

暫くすると、参謀は目を開けハァと一度ため息を付いた。

参謀『…ここまできてノーという選択肢はないやろ。
一蓮托生や。【会議所】をなんとしても【国家】に押し上げたる』

集計班『ありがとうございます、必ず成し遂げましょう。
安心ください。必ずうまくいきます』

彼のつり目の中に浮かぶ真紅の瞳は、背後から差し込む陽射しの光よりも赤くたぎりかつ濁っていた。

暁光が議長室を微赤く染め上げる中で、一人笑顔を浮かべる彼の姿は、狂気を含んだ“魔術師”と形容するには十分な姿だった。


563 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 鶏鳴編その9:2021/01/16(土) 16:15:39.022 ID:URJVSue6o
黒幕、登場。

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564 名前:たけのこ軍:2021/01/17(日) 00:54:48.900 ID:ONJISP2g0
SKさん恐ろしい…

565 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その1:2021/01/23(土) 14:36:11.357 ID:XBziG5cUo
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 議長室 現代】

その日、議長室は物々しい雰囲気に包まれていた。

抹茶「ナビス国王からの書簡を持ってきましたッ!」

滝本「ありがとうございます」

急ぎ走ってきたのだろう。目の前で息を荒くしている抹茶から差し出された封筒を手に取る。
のっぺりとした表面を一瞥しすぐに裏返す。小麦色の縦長な封筒の口にはオレオ王国の紋章を象った封蝋(ふうろう)印が押され、この書簡が紛れもなく信書であることを予感させた。

滝本「…」

抹茶たちの前で、滝本は無言で丁寧に封蝋印を剥がし取る。

いまさら中身を見るまでもなく、これはオレオ王国からの支援依頼に他ならない。
ナビス国王は、カキシード公国からの圧力に困窮し【会議所】に助けを求めてきている。全て仕向けたのは他ならぬ自分たちであるから、間違いはない。
予定通りの事の運びにその場で小躍りでもしたいところだが、目の前には一切の事情を知らない抹茶も同席している。

表面上は冷静を装いながら、滝本は高級そうな洋紙にしたためられたナビス国王の悲痛の“叫び”を暫し堪能した。

参謀「なんと書いてあるんや?」

抹茶の隣にいる参謀が白々しくそう問いかけてきた。不安気な抹茶の表情の横で背筋よく立つ彼の表情は、不自然なまでに白い。
彼は、緊張すると血の気の引く癖がある。いまの彼の顔といえば、自ら身につけている着物の色よりも白いくらいだ。隣りにいる抹茶が彼に目を向けていなくて本当に良かったと思う。


566 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その2:2021/01/23(土) 14:38:34.426 ID:XBziG5cUo
滝本は手紙に視線を戻し、ボサボサの青髪を何度か掻くと大袈裟に眉をひそめた。

滝本「はい。これは、実にまずいことになりましたね…
報道されているよりも事態は深刻なようです。オレオ王国はカキシード公国から類を見ない程の圧力をかけられ困り果てています。このままでは、戦争になると。
この危機に対し、【会議所】が公国との間に仲介勢力として介入してもらえないかと。そのような依頼です」

¢「仲介勢力…でもぼくらは、国ではないから彼らにどこまで働きかけできるかわからないんよ」

書簡から目を離し、抹茶の脇にいた¢を一瞥する。不安気な言葉に反し、老いた彼の目からは深緋(こきあけ)色の光が妖しく放たれている。戦いを望む目を隠しきれていない。

まさか自分を含むこの場に居る四人のうち、実に三人がこの事態の間接的な首謀者だとは、明敏な抹茶も気づかないだろう。

滝本「ナビス国王が頼むほど、【会議所】勢力が世界にもたらす影響は大きいということでしょう。
我々が今すべきことは、戦乱回避のために、両国に使者を送るかどうか協議することです。

抹茶さん、すぐに緊急会議の招集をお願いしますッ。
会議所本部に居る兵士のみならず各地に散らばっている同士をすぐに呼んでください。事は緊急性を要しますッ!」

抹茶「わ、わかりましたッ!」

滝本の深刻めいた言葉に、まだ息の荒い抹茶は柚葉色の髪を揺らしながら何度も頷き、慌てて部屋を飛び出していった。
彼には少しかわいそうなことをしたかもしれない、と少しの反省をしたのも束の間。

¢「クククッ…」

不気味な鶏が囀(さえず)るような、くぐもった嗤いが聞こえてくる。
きのこ軍の軍服を纏った¢は、まるで戦場で大戦果を上げた兵士のように歓喜に打ち震えていた。


567 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その3:2021/01/23(土) 14:39:45.659 ID:XBziG5cUo
¢「ここまで全て予定通りなんよ。流石は791さん。
武器供与を打ち切ったら、すぐにこちらの意図を察して攻めに転じてくれた」

参謀「あとは予定通り、互いの国に使者を送り、【会議所】の行動の正当性をアピールすれば問題はないわな。
でも問題は、誰を送るかや。考えはあるん?」

不思議なもので、不気味な彼の嗤い声を聞くことで却って参謀は落ち着いたようで、朱色の頬を見るに再び血が通いつつあるようだった。慣れとは怖いものである。
椅子の背もたれにもたれ掛かった滝本は、机の上に手紙を放り投げた。

滝本「“一人”はもう決まっています。“彼”に最後の仕事をしてもらいましょう。

この間もお話しましたが、彼はもう“使い終わった”人間ですから最適です。
結果的に我々の手でTejas(てはす)さんを捕まえなかったのは失敗でしたが、まあ公国の状況を探れただけ招いた価値はありました」

参謀「彼を公国の使者に充てると?」

滝本「そうですね。公国に戻らせ状況を探らせる予定ですが、最近はこちらの計画に勘付いている節があります。
いまが“切り捨て時”でしょう。
あとは791さんに、煮るなり焼くなりしてもらいましょう」

その言葉で、参謀の表情は僅かに暗くなった。
気にせず滝本は思案気な表情で言葉を続ける。


568 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その4:2021/01/23(土) 14:41:18.368 ID:XBziG5cUo
滝本「もう一人ですが、御しやすい人がいいでしょう。情に厚く清廉潔白で、かつ裏切らない兵士がいい」

¢「…ぼくに一人、心当たりがあるんよ。彼ならオレオ王国に行き全力で行動するだろう。
【会議所】に不利益なことはせず、ただ任務を全うしようとする。そんな兵士だ」

参謀「決まりやな。ただ残念なのは、いくら彼が王国で尽力しようと、戦争は防げないっちゅうことやな」

そう、どれだけ足掻こうとも、オレオ王国は最初から詰んでいるのだ。

¢「思えば長かった。六年前のあの日、“あの人”が計画を話した時から全て計画は始まった。
でも最後まで油断は禁物なんよ。特に791さん率いるカキシード公国は何をするか分からない」

滝本「そうですね。それに、戦後処理も考えないといけない。
王国戦争が終われば、公国がこちらに戦いを仕掛けてくることも考えられる。その備えもしないといけません」

参謀「そのあたりは事前の打ち合わせ通りに、やな。
このまま、最後まで突き進むんやッ。大丈夫、俺たちならできるさッ」

滝本は目の前にいる二人の顔をじっと見つめた。
彼らの表情や話しぶりを見れば、その考え方まで手にとるようにわかる。二人に関しては、周りの誰よりも詳しい自信がある。

いま、向かって左に立つ¢は、少ない口数ながら早口で喋り、非常に高揚している様子だ。
やや猫背気味に丸まった背中を規則的に揺らしながら、【大戦】中に敵軍に発するような圧を放っている。
枯れかかった枝垂れ(しだれ)柳のように普段はだらしなく垂れ下がっている前髪も、かつての輝きを取り戻したように心なしか生き生きとハネているように見える。


569 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その5:2021/01/23(土) 14:43:40.936 ID:XBziG5cUo
彼と“最初に”出会った時のことを今でも覚えている。

某国の酒場で、腕利きで眉目秀麗の傭兵がいると聴いた時のことだ。
興味本位で彼の住まう家を訪ねてみれば、果たして彼はそこにいた。

しかし噂通りの実力を有しながらその時の彼は、任務中のとある失敗が原因で他者との関わりを一切断っており、家から一歩も出ない隠居生活を送っていた。
酒場で聞いた評からはかけ離れたでっぷりと肥えた姿で、他人を前にしても際限なく菓子を口に運ぶその様は、まるで農場にいる家畜の食事風景を彷彿とさせた。

そこから彼を立ち直らせるのには苦労した。【会議所】の話を持ちかけ興味を抱かせ、そして次には全ての菓子を取り上げ更生させた。
隠れて菓子を貪っている姿を見つければ、すぐに罰を与え扱いた。

健康体に戻った彼はすぐに本来の輝きを取り戻し、【会議所】では全兵士の憧れの的として活躍した。
集計班の死後、彼が老いたのは何も過労のせいだけではない。お目付け役がいなくなり再び菓子を摂取し始め、不摂生を加速させた末の末路なのだと滝本は知っている。
興奮で身体を小刻みに揺れる行為には、武者震いだけではなく糖分摂取の禁断症状が含まれていることも知っている。彼は筋金入りの甘党なのだ。


570 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その6:2021/01/23(土) 14:45:04.009 ID:XBziG5cUo
対して参謀B’Z(ぼーず)も、態度には出さずとも同じく興奮している様子が伝わってくる。
彼はその名に反し、先頭に立ち味方を鼓舞する統率者として、【大戦】や【会議所】の窮地を幾多も救ってきた。彼のかける言葉には弱りきった他人を励まし勇気づける力がある。

彼との“最初”の出会いも印象的だ。
世界を放浪していた最中、とある村に立ち寄った際のことだ。余所者を歓待する珍しい村だった。

村人の勧めでひょんなことから武道場で子どもたちと竹刀を握り、ともに汗を掻くことになった。子供剣士の中でとりわけ元気良く、周りをまとめあげていたのは坊主姿の彼だった。
稽古の終いに彼と練習試合をすれば歯が立たず、完膚なきまでに打ち崩された。

稽古後、年甲斐もなくその場で座り込んだ自分に対し、彼は遠慮なく近づくと自らの竹刀をスッと差し出した。
“今日が俺の引退試合や。お兄さん、良かったら記念にもろてや”、と。

彼に興味が湧き、その夜、道場の縁側で話しをきくと、一家の食い扶持を稼ぐために彼は近々自ら丁稚奉公に向かうのだと語った。
取り乱すこと無く落ち着いて語る彼の姿を見て、なんと精悍な少年なのだと思った。
彼を失うことは大きな損失だと深く感じた。

そう思い立ったら、すぐにその足で彼の両親に仁義を切り彼を引き取った。
その際の、驚きでポカンとしていた彼の間抜け面が印象深い。

先程の彼の言葉には、他人だけではなく自分自身をも奮い立たせようと活を入れたのだろう。小さい頃から繰り返し実践してきたことだ。


571 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その7:2021/01/23(土) 14:45:58.395 ID:XBziG5cUo
今の思い出は、滝本が彼らと知り合った五年前より遥か昔の出来事だ。
それが自身の記憶でないことをとうの昔に理解している。

まるで歴史の年表を読み上げるように、追想の彼方に仕舞われている回顧録を頭の中に引っ張り出し読み上げる。
そこに感情など持ち合わせない、ただ純然たる事実として再生しているだけだ。

恐らく自らの脳の記憶領域に滝本自身の思い出など塵や埃程度しか遺っていないのだろう。自らの行動を顧みるより前に、別の“自分”の思い出が次々と浮かんでくる。
それは彼自身の意識が希薄なせいのか、それとも思い出そうとする際に邪魔されているのかは定かではなかったが、いずれにせよ彼はこの事態を許容せざるをえなかった。
それ程までに夢では度々、回顧録が再生され、彼らとの話の中では経験したことのない“思い出”がこうして脳内に映し出されるのだ。

滝本は、自らの記憶ではない回想を見ることで、二人の考えが手に取るようにわかるようになった。
それだけに、彼らは時々滝本と話をせず、別の“誰か”と会話をしている時がある。
その誰かの正体も、勿論ながら彼自身は理解している。

滝本「ええ、そうですね。ここまで準備したんです。我々に立ち向かえる敵などいませんよ」

だが、滝本は二人を責めることはしない。

彼は“皆を導く議長”という役を演じるしかない。
【会議所】の中枢として、自治区域をより良い方向へ導く船頭を。



“心”の命ずるままに、全力で演じるしかないのだ。


572 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その8:2021/01/23(土) 14:47:54.578 ID:XBziG5cUo
【きのこたけのこ会議所自治区域 議長室 5年前】

¢『つい先程、コンバット竹内さんの葬儀が終わったんよ』

集計班『お疲れさまでした。生前の活躍に見合う、盛大な葬儀でしたね』

集計班は、たけのこ軍 コンバット竹内の魂の入った瓶に話しかけると、そっとテーブルの上に瓶を置いた。

参謀『これで魂は12体…悲しいことに、ここ最近は初期から支えてくれていた英雄たちが相次いで病床に伏していたから思いの外、魂は集めやすかったやんな。
正直、複雑な気持ちだが』

集計班『一兵士としては、悲しみの手向けを。

ただ、一黒幕としては喜ばしい限り。

そもそも、また“皆さん”と一緒に戦えるんですから、悲しい、なんていう気持ちは可笑しいんですよ』

椅子をきしませ、集計班は愉快そうに笑った。

¢『魂を入れる器の研究所と武器製造工場のことだけど、立地は選定し終えたんよ。
チョ湖ほとりの丘の上に使われていない古城があるので接収して改修します』

参謀『チョ湖のほとりなら人目にもさらされることもないからよさげやね。それに、新兵器の始動も色々と都合が良さそうや。考えたもんやな、¢。
でも暫く見ない間にだいぶ老けたんやないか?』

¢『ほっといてほしい…』

ゲッソリとした¢の呟きに、二人は笑った。


573 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その9:2021/01/23(土) 14:48:58.437 ID:XBziG5cUo
集計班『参謀の声がけで、【大戦】を引退していたきのこ軍兵士の化学班さんと95黒さんにも協力を仰いでおいたのは正解でしたね。
あの人達は根っからのサイエンティストだから、計画をバラして得る利よりも自ら発明できる創造の利を選ぶ』

¢『隠れ蓑として新興宗教団体を立ち上げるというのも、参謀のナイスアイデアだったんよ。おかげで仕事は倍に増えているけど…』

参謀『よせやい照れる』

集計班は椅子から立ち上がり、背後の窓から外の風景を眺めた。
お昼時の大通りには昼食を取りに出かける多くの兵士たちが往来し、目の前の中庭にはサンサンとした陽を浴びながら、弁当を広げ楽しげに談笑する兵士たちの姿も見られる。

十五年かけて作り上げた、平和で平穏な日常だ。
これからも守り続けなければならない世界が広がっている。


574 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 揺動編その10:2021/01/23(土) 14:50:13.596 ID:XBziG5cUo
集計班『実に順調です。
私の予想ではあと五、六年で計画は最終段階まで持っていけるでしょう。それまではもう暫く雌伏の時です』

¢『五年で会議所が【国家】になれる。寧ろ早いぐらいです』

参謀『そうやな。絶対にそうなるんやッ。
“この三人”で今と同じように国家になった【会議所】を見届けられると思うと、今から楽しみやな』

集計班『ああ。残念ながらそれは無理です』

二人は唖然として、穏やかな顔で外を眺めていた集計班を見つめた。

視線を一身に浴びた彼はくるりと振り返ると、笑いながら言葉を続けた。







集計班『だって、私はもうすぐ死にますので』


575 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/01/23(土) 14:53:20.650 ID:XBziG5cUo
あと二回の更新で5章も終わり。明日1回更新できるかもなので、1月中には終わらせる予定です。
今日の人物カード更新よ。

https://download1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1050/%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%8F%AD%E3%80%8195%E9%BB%92.jpg


576 名前:たけのこ軍:2021/01/23(土) 17:05:24.704 ID:IeLuMMKQ0
これもまた静かな狂気…

577 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その1:2021/01/24(日) 19:38:31.029 ID:ZWXZSp9Ao
集計班という人間についての評価は、評価する人間の立場や地位によって細かな違いこそあれど、概ねみな一様に同じである。

自治区域に住む者は、彼を【会議所】を興した英雄として持て囃し、世界各国の首脳陣は、彼を名君と称賛しその実力の底知れなさに恐怖する。
たったの十五年で、会議所自治区域を並み居る国家と渡り合うだけの実力に引き上げたのは、紛れもなく彼の才覚あってこそだからである。

人々は一様に、彼を稀代の英雄と表現し称えた。

しかし、彼を英雄と評価たらしめているのは、あくまで【会議所】を興してからの行為に対してのものだ。
【会議所】を興すまでの彼の生い立ちを知る者は殆どいない。

それこそ、最側近の¢や参謀さえも知り得ない話だ。本人に聞いてもノラリクラリとかわされ、僅かに聞いた情報を統合すれば【会議所】を興す直前まで世界各地を放浪していたという話だけだ。

彼の歴史は闇に包まれている。


だが、そこにこそ“真実”が隠されている。


578 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その2:2021/01/24(日) 19:40:36.425 ID:ZWXZSp9Ao

彼はある日突然、戦災孤児になった。

初めて脳に鮮明に焼き付いた映像は、昨日まで住んでいた町が、家が目の前で激しく崩れ燃え上がる光景だった。

それまで平穏な生活を送っていた少年・集計班は、そこで初めて、皮肉なことに、まず“生きている”という実感を得た。
そして、目のチカチカとした感覚が収まってくるとともに、彼は、立ち込めるスレた硝煙の臭いや遠くから地鳴りのように迫ってくる怒号や叫び声など、活字ではとても味わえない臨場感を味わわざるをえなかった。
当時、戦乱の渦に巻き込まれた各地の町村では、住民の意志とは無関係に名も知らない敵軍により殺戮と略奪の限りが尽くされていた。彼の町は不幸にもその標的に選ばれたのだった。

少年だった集計班は、先程まで暮らしていた我が家が家族ごと砲弾で木っ端微塵に消し飛んだことをようやく理解すると。
おぼつかない足取りで必死に足を動かし、ただ闇雲に人のいない方向に走り、逃げた。

涙を流す暇すら与えられなかった。
裏庭で昼寝をしていた少年は瞬間の災禍にこそ巻き込まれることはなかったが、姿の見えない敵から逃れるべく、着の身着のままの格好で駆け出すしか無かった。
それは親から教えられたわけでもない、生まれ持った野生の本能だった。
少年はいま目にした光景から必死に逃れるように、本能で裏手の山間部へと逃げ込んだ。

逃げた森林の先にも追手の何者かにより火が放たれ、彼は足を止めることなく森の終わりまで走り続けた。
裸足で駆けていたため、足の裏に小枝や岩が食い込み血を流しても。
さらに、火の手が背後から迫りくる中で、ずっと並走していた小動物たちが飛び散る火の粉を受け、隣で苦しげなうめき声とともに次々と足を止めていっても。

集計班は気にする暇も与えられず、走って、走って、また走り続けた。


579 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その3:2021/01/24(日) 19:41:36.726 ID:ZWXZSp9Ao
その結果、既のところで追手を振り切り、森を抜け平地まで辿り着いた。
ようやく立ち止まり、背後を振り返った時。

視界は、赤一色に染まった。

自分のこれまで住んできた場所が、走り抜けた山が、全て毒々しいまでに赤い色に染まる光景を目にして、
まるで先程まで自分が見捨ててきた生命の健気な主張のように思え、少年は拒絶感から激しく嘔吐した。

なぜこのような仕打ちを受けなければいけないのか。
何も恨みを買っていないはずなのに。どうして。


それからは夜眠る場所もままならず、時には岩陰の間で一夜を過ごし、また時には橋下で雨風をしのぎながら転々と歩き続けた。
惨劇からただ一人生き延びた少年は、やせ細りながらも反比例するようにどんどん真っ赤に充血させつり上がらせた目で、視界に映る全てを憎んだ。

のうのうと暮らす別の町民を、呑気に囀る小鳥を、世界を憎んだ。
平和な日常は、かくも簡単に崩れ去るのだと理解した。


580 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その4:2021/01/24(日) 19:44:40.305 ID:ZWXZSp9Ao
故郷と家族を失った若者の行き着く先といえば大体が決まっている。
余程運よく富豪にでも拾われない限り、“ゴミ”扱いされる人間は体の良い労働力として掃き溜めの中でまとめられ、その一生を終える。そのように世界はできている。
あまりにも安い賃金の見合わない対価として、彼らはでっぷりと肥えた雇い主からひたすら罵倒を浴びせられ、昼夜問わず汚くきつい仕事を強いられる運命にあった。

彼の場合は鉱山での採掘作業を命じられた。
職場の環境は最悪だった。

鉱山の中は常軌を逸するほど蒸し暑く、文字通り休み無く働かされた。現場責任者の指示でひたすら奥へ奥へと掘り進め、採掘された廃石をトロッコに載せ何度も外に掻き出す。
そうして目当ての鉱物へ掘り当てれば、全員が犬のように舌を出してハァハァと荒く喘ぎながら、自分たちの生命の価値よりも遥かに重い石ころを大事そうにトロッコに積む。

誰しもが閉鎖空間の作業の連続で、気をおかしくしていた。
天盤から湯となった水滴が滴り落ち、肩に落ち焼けるような痛みを覚えても誰も泣き出さなかった。寧ろ感謝したほどである。

―― そうか。“痛い”という感覚があるということは、まだ自分は生きているんだな。

そう、実感できたからである。

正に奴隷のような生活だった。
毎日夜中まで働かされヘロヘロになりながら、若者たちは就寝時間になると自分たちが掘った坑道に横並びにして寝かされた。
当時の坑道作業は危険と隣り合わせで坑道ごと崩落したり、有毒ガスの放出で作業員が全滅したりすることは珍しくなかった。
今にして思えば、下手に生き残りが出るよりも坑道内で全滅してくれたほうが代えの作業員の補充も楽に済むという雇い主の判断もあったのだろう。
一部の人間の手間暇の惜しみのために、若者たちは過大なリスクを取らされていた。

数時間後に朝を告げるドラの音が響き渡るまで、作業員たちは死んだように眠った。
僅かな平穏の時間の中で、集計班は決まって夢の中で、いっそ炭鉱ごと崩れこの苦しみから解放されればいいのにと何度も願い続けた。


581 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その5:2021/01/24(日) 19:47:54.541 ID:ZWXZSp9Ao
閉鎖空間の中で昼夜問わず働きに出されれば、人々の楽しみなど限られてくる。
彼らの数少ない楽しみの一つといえば、当番制で回ってくる“トロッコ番”にありつくことだった。
トロッコを抗口まで運搬する役目を担う“トロッコ番”は、人力で数百kgを超える手押し車を押す過酷さはあるものの、一瞬でも陽の光を浴び外の空気を吸うことを合法的に許される。
それが人気の理由だった。若者たちは、たまに回ってくるトロッコ番を待ち焦がれ、時にはなけなしの賃金を手放してまで裏で取引された。

集計班がようやくトロッコ番にありつけたある時。
何十往復目かのトロッコを押していた際、一緒にトロッコ番となったバディからある相談をもちかけられた。

―― “なあ。どうしても休みを取りたいんだが協力してくれないか?”

労働に休みは決してない。
たとえ過労で倒れても抗口には医療部隊が常駐し、無理やり栄養剤を注入されては、凡そ通常の医師とは異なる判断ですぐに現場に戻された。
もし仮病やサボりが判明しようものなら、五体満足で戻ってこられる保証はない。

彼は作業の手は緩めず、半信半疑でどうやって休むのかを訊いた。特段期待していたわけではなく、半ば呆れていたのだ。
未だに休みなんていうものを求めているのか、と。

彼の問いに対し、隣の若者から帰ってきた返答は度肝を抜くものだった。


―― “このトロッコで俺の小指を轢いてくれないか”


休み無く働かされる彼らが休みを得るときは斃れる時か、働き手にならないと判断された時だけだった。即ち、労働力にならないと判断された人間はこの地獄から抜け出せる。
大抵は無事ではなく、生命を散らした状態がほとんどであったが。

彼の言う小指の轢断程度では、到底鉱山から抜け出せる重症とは見做されない。手当てが終わり数日も経てば問題なしと判断され、現場に引き戻されるだろう。鉱山作業員の中では常識の事実である。
若者は全て承知の上で話をしているのだ。
自らの小指と引き換えに、治療にあてがわられる僅か数日だけでも安息を得ようとしているのだ。


582 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その6:2021/01/24(日) 19:48:53.132 ID:ZWXZSp9Ao
全ての人間の感覚が麻痺していた。

本来、僅か数日でも横になりたいだけで、自らの小指を差し出せるはずがない。そのような等価交換は成り立つはずがない。
だが、鉱山で長く働けば働くほど、若者たちの顔からは生気が消えていく。唯一の私語が許される食事の時間でも誰しもが口をつぐみ、“希望”という二文字を胸に抱くことそのものが罪だと思うようになった。

だから集計班からすれば、目の前の若者がまるで一睡の蜘蛛の糸に縋るように懇願してくる様は、正直に言えば、滑稽だと感じた。
だが、それはあくまで鉱山作業員からの視点であり、若者が人間本来の感情を未だ捨てきっていないことに、同時に羨ましいとも思った。


その後、どう返事をしたかはもう覚えていない。
ただ、未だに脳裏に焼き付いているのは、レールの前で泣きじゃくる血まみれの若者と、それを見下ろし呆然としている自分の姿だった。


それから紆余曲折あり、作業が一区切りついた段階で、集計班は運良く鉱山を抜けることが出来た。
あれからバディの若者は希望通り数日の休暇をもらうことができたが、予想通りすぐに現場に復帰させられた。
しかし、雑な治療のせいか、傷口から雑菌が入ったのか、その後すぐに作業中に倒れ再度抗口に搬送された。
その後、一度も姿を見ることはなく、どうなったのかは遂に知らされることはなかった。


583 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その7:2021/01/24(日) 19:52:20.284 ID:ZWXZSp9Ao
次の職場は、ある学者の小間使いだった。
壮年の学者は、町外れに一人で暮らしていた。

これまで土煙が舞い灼熱地獄のような場所から急に外界に出たためか、屋敷の入口で体温制御の不調で震えが止まらなくなった集計班を見ると、彼は心配そうに駆け寄った。
大丈夫だ、と丁重に答えると、彼は心配そうに自らのカーディガンを集計班にかけると、微笑みながら話しかけた。

―― “君は魔法に興味があるかい?”

彼が稀代の【魔術師】だと知るのは、仕えて暫く経ってからだ。
集計班はここで長い間、“魔術”を学び、同時に世界の仕組みと構造を学んだ。

その後、彼がどのように仲間を集め、戦乱後の空白地帯に赴き、そして【会議所】を興すのかまでは然程大事な話でもない。



重要なことは、これ程までに凄惨な経験を積んでおきながら。


彼自身には、この悲惨な経験を“糧にしようと”する気持ちが一切なかったことにある。


584 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その8:2021/01/24(日) 20:01:43.500 ID:ZWXZSp9Ao
通常の人間であれば今までの出来事に少なからず絶望し、強い精神力を持つ人間であれば反骨精神を持ちある者は復讐心に身を宿し、別の者は忍耐力を糧にさらに研鑽を積むだろう。
どの道を辿るかは個々人により分かれるが、いずれの道に進んだにせよ、取捨選択し突き進む強さは、精神という名の魂を宿す人間の表れでもある。

だが集計班の場合、最初に絶望した後は、常人とは全く異なる道を進んだ。

彼の精神は既に壮絶な体験を経て、すり減ってしまっていたのである。
その結果、憎悪し、絶望を越えた先に待ち構えていたのは、“無”であった。



全て過ぎ去った出来事。

身内は全て死に絶え。
  他者を見捨ててでも自分だけが生き残り。
    【会議所】を興すまでに幾多の裏切りにあい。
      最終的に、師と意見の相違から決別し別れても。


時勢に拠るもの。人の感情とは移ろいゆくもの。この世は諸行無常。


全てひとえに、仕方がない。


そう思うようになった。


諦めの極地に達し、彼は全ての出来事を許容するようになった。
過去を顧みることをせず、いかなる危険や事象にも感情を持ち合わせることは無くなった。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

585 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その9:2021/01/24(日) 20:04:50.633 ID:ZWXZSp9Ao
そこに、師から教わった“魔法”というツールが合わさった。
集計班には魔法の才能が高く備わっており、師の教えでその素質を開花させることができた。
しかし、特段魔術で何かを成し遂げたいと思ったことはない。
終生、魔術の研究は続けたが、元々、師と同じ魔術師になろうとしたわけでもない。

あくまで、おもしろそうだから研究を続けたのだ。

だから、ある時から彼が始めた生体研究も特段深い意味はなく、人の生命を弄ぶという危うさを味わいたいと感じたからだ。
彼は倫理観など端から持ち合わせていなかった。倫理の逸脱した行為をこれまでに多く受けてきたため、その判断を担う思考回路はとうの昔に焼き切れてしまっていたのだ。


人を助けるためでもない。

かといって自分のために動くわけでもない。


目の前でおもしろいことができそうだから、都度選ぶ。
だから個性的な仲間を各地で探し、一緒に【会議所】も興したのだ。

【会議所】を発展させることだけを願い、それ以外は全てどうでもいい。
どうなろうと構わない。

早くから家族を失った集計班に道徳的感情は無かったため、最後まで【会議所】に対し“家族”意識が芽生えることはなかったが、【会議所】という極上のエンターテイメンを奪われることに対しては唯一抵抗した。
発展を妨げる者がいるとしたら排除しなければならない。邪魔だったら、その場からどかしてしまえばいい。
家の周りにゴミが落ちていたら拾って捨てるように、感情を移入せずに、淡々と敵の存在ごと抹消する。

済まないと思うことはない。仕方ない。ひとえに、仕方がないことなのだ。

通常の人間であれば多少の躊躇を見せる場面でも、彼は逡巡する素振りもなく重大な局面を切り開いてきた。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

586 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 陰日向編その10:2021/01/24(日) 20:07:21.044 ID:ZWXZSp9Ao

幼少期からの壮絶な体験で精神がすり減ってしまった末に、遂に一切の情動は欠落し、それと引き換えに彼は究極の自我の無さを手に入れた。
“怪物”の誕生だった。

根底の感情は失われ、子供の時に習うべき倫理観は存在せず、心理面は発達段階で崩壊し止まった。
しかし、その内面を補うだけの魔術の力と、他人を振り切るまでの決断力と実行力の速さ、そして他者への“一切の”興味の無さが同時に彼に備わった。


それは結果として、人前では慈愛の優しさとして、誰にも別け隔てなく接することのできる人間だと捉えられた。


人々は、そんな彼を人格者であり稀代の英雄だと称賛した。











それこそが “魔術師”集計班の、最大の問題点だった。


587 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/01/24(日) 20:09:38.251 ID:ZWXZSp9Ao
来週の更新で5章は最終回の予定です。
だいたいストーリーは出尽くすと思います。

https://download1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1051/%E9%9B%86%E8%A8%88%E7%8F%AD%E8%83%BD%E5%8A%9B.jpg

588 名前:たけのこ軍:2021/01/24(日) 22:40:18.954 ID:28n5X2Mw0
魔王様とは別ベクトルで怖い

589 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その1:2021/01/30(土) 18:08:25.938 ID:K/a/jdMQo

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【きのこたけのこ会議所自治区域 議長室 5年前】

集計班『この身体は不治の病に侵されています。もう三月も持たないと医者からも匙を投げられていましてね』

彼はそう告げ、青ざめた顔の二人に、そっと微笑んだ。
幼少期からの壮絶な経験と、【会議所】を興してからの激務が原因で、彼の身体はすっかりと弱りきり、病魔に侵食されていた。
各種の臓器が悲鳴を上げるように痛みだし、身体は外敵を拒むように繰り返し痙攣を起こし、酷い時には歩く度に頭痛を起こし、吐き気を催すようになっていた。

それでも集計班は表向き顔色一つを変えることなくケロリとしながら、日常を過ごしていた。
精神をすり減らしていた彼は、遂に数年前から痛覚すら麻痺してしまっていたのだ。

集計班『判明したのは一年前ほどですか。ちょうどお二人に“計画”を打ち明けた時あたりですね』

唖然としていた二人は、そこでようやく彼の言葉を理解できたように震え、叫んだ。

参謀『なんでやッ!なんで言ってくれんかったんやッ!』

¢『そうなんよッ!突然そんなことを言われてもどうすればいいかわからないですよッ!』

集計班『落ち着いてください』

当の本人が一番落ち着き払いながら、なだめるようにニコリと笑った。


590 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その2:2021/01/30(土) 18:09:07.532 ID:K/a/jdMQo
集計班『人はいつか必ず死んでしまいます。
その順番がたまたま早かった。ただ、それだけですよ』

教会の神父が語る死生観のような、穏やかな口ぶりで話す彼の言葉に、だが¢は納得できない様子だ。

¢『折角、英雄たちの魂が揃って、いざ計画を前進させようと思った矢先に…集計さんがいなくなったらぼくたちだけではどうにもならないんよ…』

端正な顔がクシャクシャに歪む。
他の英雄と同じく、彼も当代一の戦闘力を誇る英雄だが、多少引っ込み思案であることと、涙腺が他人より緩いのが玉にキズだ。

集計班『安心してください。私に一つ名案があります――』

すべてを見越しているかのように、集計班はゆったりとした口調で話を続けた。

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591 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その3:2021/01/30(土) 18:10:40.252 ID:K/a/jdMQo
【きのこたけのこ会議所自治区域 議長室】

ナビス国王の書簡が【会議所】に届いてから早いもので、今日で一ヶ月と幾ばくあまり。

その間、【会議所】は両国に使者を送り、必死にこぎ着けた二国間協議も決裂し。
一方的にカキシード公国に決められた五日間の最後通牒を経て、公国がカカオ産地に突如侵攻。
全て、予定通り。

そして開戦から一週間。
今日、公国軍がオレオ王国の王都に総攻撃をかける。

最後の総仕上げを始めなくてはいけない。

表向きは【会議所】の議長として世界に停戦を呼びかけ続け、会議では敵の脅威に備えるため公国の国境線上に予備隊を配備する案など緊急事態策を矢継ぎ早に可決し、準備は着々と進んでいる。

公国使者のsomeone(のだれか)は音信不通、対して王国使者の斑虎(ぶちとら)は、交渉決裂の負い目から自ら王都に残り、カカオ産地侵攻後にも王国の軍部顧問として急遽編成された王国軍を率いている。
彼の士気と知名度の高さで義勇兵や援助物資が各地から集まり、公国圧勝に終わると見られていた王都決戦は、思いの外苦戦するのではないかとの見立てだ。
それでも終戦が数時間ほど先延ばしになる程度のものだろう。

王都に主たる人員を集めるその力は彼の実力にほかならず、それだけにここで失うのには惜しい人材だと感じる。
同時に、実に“素晴らしい”動きだとも思う。戦力を王都に集中してくれることで、いちいち各個撃破する手間が省けた。
今から【会議所】が王都を壊滅させれば、オレオ王国の戦力は一切喪失し、戦力を集中させている公国軍も大打撃を受ける。全て目論見通りなのだ。

滝本は、辛辣に王国戦争を批判する新聞記事を読み終えると、時計を眺め少し慌てたように新聞紙をゴミ箱に放り投げた。
時刻は闇も深まった寅の刻頃。これから日が上れば、公国軍は王都に一斉攻撃をかけるだろう。
戦場で両軍の入り乱れている瞬間こそが、【会議所】にとって最大の好機だ。


592 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その4:2021/01/30(土) 18:11:32.640 ID:K/a/jdMQo
滝本は机の上に置いてある本を手に取ると立ち上がった。
そのままハンガーラックにかかるコートに手をかける寸前で、季節柄今はそこまで寒くないことに気づき、アオザイの格好のまま慌ただし気に議長室を飛び出した。

昼間は王国戦争への対応に追われ、いつも以上の慌ただしさを見せている本部棟だが、さすがに深夜過ぎともなると深夜の病棟のようにシンと静まり返っている。
本部棟の廊下にカツカツ、と靴音が反響して伝わってくる。

いつもより早めに聞こえてくるその足音に、滝本は一度はたと足を止めた。
自分でも気づかないうちに、気持ちが逸っているらしい。
無理もない。六年前から待ち焦がれた瞬間が今日訪れるのだ。興奮するなと言うのが難しい。

だが、急いては事を仕損じる。大事で足を掬われる瞬間は、自らの油断と慢心が極地を迎えた時だと相場が決まっている。
滝本は深く息を吸い込むと、ゆっくりと時間をかけて吐き出した。これまで経験したことのない速さで心臓の鼓動が烈(はげ)しくなり響いているのが嫌というほどに伝わってきた。
こんな自分にも血は流れているんだな、と滝本はいまさらながら不思議な感想を持った。

そして時間をかけ呼吸も整え、いざ歩き出そうとした矢先。

「行くん?」

目の前の暗闇から声をかけられ、落ち着いていた心臓は再び鼓動を早めた。
近づいてくる靴音とともに、通路にかけられた燭台の光にヌッと顔を出したのは袴姿のよく見知った人物だった。

滝本「参謀か。驚かせないでくださいよ」

通路で待ち構えていたのだろう。今の一連のやり取りを全て見られていた事の気恥ずかしさから、滝本は困ったようにボサボサの青髪を掻いた。
参謀がここに来た目的は凡その推測ができる。


593 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その5:2021/01/30(土) 18:12:36.950 ID:K/a/jdMQo
滝本「参謀。先日も言ったように、私の考えは変わりません。
いくら陸戦兵器<サッカロイド>が最強だといっても、戦場では何が起きるかもわかりません。不足の事態に対処できる判断力を英霊たちに求めるのは些か酷だと思いませんか?
誰か戦場でお目付け役が必要でしょう。だから、私が王都に陸戦兵器<サッカロイド>とともに趣き、指揮を執ります。¢さんには大反対されましたが、いまさら気持ちは変わりませんよ」

滝本の言葉に、意外にも参謀はあっさりと頷いてみせた。

参謀「いや、俺はもう止める気はないんや。
ただ、この機会にお前に少しだけ正直な話をしようと思ってな」

はあ、と滝本は間抜けな声を出した。
この忙しい時にいったい何の話だろうか。他の人間ならば無神経な行動に苛立つところだが、彼の頭脳明晰さには全幅の信頼を置いている。
この話にもなにか意味があるのだろうと思い直し、滝本は逸る気持ちを抑えるように腕組みし続きを促した。

参謀「滝本、俺はな。今だからこそ言わなくてはあかへんことがある。

俺はお前の…いや、シューさんのやり方に、全て賛同していたわけやない」

気付いてはいた。
¢や自分と違い、彼はこの計画の根本にある“狂気”に染められていないように見えたからだ。

瀕死の人間から魂を抽出し、あまつさえその魂を兵器に仕立て上げ。
他方では他国を扇動し最終的に戦争を引き起こしその領土ごと奪い取る。
倫理観の欠片もない行為に、善良な彼は心の何処かで違和感を持ちながらこれまで行動していたのだろう。

だが、それでもいいと思っていた。
三人とも配管下を這いずり回るネズミになる必要はない。一人ぐらいは地上から空を眺め、たまに地下に情報を届けてくれるだけでもいい。
全員が地下に染まりすぎては、平衡感覚を失ったネズミたちは、地上に上がってもたちまち外敵に駆逐されてしまう。
だから、二人とって参謀は光のような存在であったし、闇に染まりきらないことが彼の強みなのだと感じていた。


594 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その6:2021/01/30(土) 18:13:33.319 ID:K/a/jdMQo
彼は途端に苦虫を噛み潰したような顔をした。

参謀「でもな。俺のその考え自体が逃げやった。
自分だけどこか安全な場所から見下ろすように、お前たちを見ていただけやッ」

滝本「冷静に周りを見渡す力があるということです。それこそが参謀の持ち味です」

彼は真剣な表情で頭を振った。燭台の光に浮かび上がった彼の顔は心なしか白い。

参謀「それだけじゃいけなかったんやッ。お前たちの気持ちをわかっているつもりになっていた。

俺の心はなッ、汚いもんやッ。お前が暗躍するとき、心の中で別の自分が嘲笑うんやッ!

“どうせ成功するはずない、こんな行動はおかしい”とッ!」

彼がここまで気持ちを吐露するのは珍しい。
どういう言葉をおくればいいか分からない。こういった場面は、決して得意ではない。

参謀「ある時な、気付いた。
素直にお前を応援できず、一歩ひいていたのはきっと“悔しかった”んやと。
熱中できるお前たちが羨ましくて、同時に悔しかったんや。

二十年前に【会議所】を興した時の情熱を思い出してな。
あの時から変わらない¢やお前の心と比べて、冷めてしまった自分に絶望してたんや」

滝本「参謀…」


595 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その7:2021/01/30(土) 18:14:25.312 ID:K/a/jdMQo
参謀「大人になりすぎたってことなのかもしれんわ。

それでもな。時代が過ぎようと、俺自身が変わろうと。

俺には【会議所】設立時から、唯一変わっていない信念がある。


“お前たち”を支えるっちゅうことや」

「ぼくもそう思ってるんよ」

滝本「¢さん…」

聞き慣れた舌足らずな喋り口が耳に届いた。
参謀の背後から明かりの中に現れた¢は、在りし日のような精悍な顔つきをしていた。

なにが起きているのか、理解できていない。
なぜ二人がこの場にいるのか。
困惑気な滝本に二人は真面目な顔でじっと見つめ返している。

滝本「お二人とも、どうしてここに?【会議所】内の流れについては先日の打ち合わせでお話したはず…」

参謀「俺たちはそんな些細なことを確認しにきたんやない。これは、せやな。なんちゅうか、友人の見送りや」

友人。

聞き慣れない言葉に、滝本は思わず頭の中で反芻するように数度呟いた。
その様子を見かねてか、二人は悲しげな視線を送る。


596 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その8:2021/01/30(土) 18:15:15.268 ID:K/a/jdMQo
参謀「滝本、お前は本当に可哀想なやつや。
いきなり議長を、そしてシューさんの後釜に指名された。その結果、お前の意思とは関係なく、【会議所】に縛り付けられ、降りかかる激務の全てをお前一人に任せた。

俺たちもお前の激務を見ていながら、知らずのうちに見て見ぬ振りをしてきた。

それは偏に、お前にかつてのシューさんの面影を重ねていたからや。俺も¢も本当にすまないと思っている」

滝本「いや、それは――」

参謀「――でもな、俺たちはようやく気付いた。

滝本、お前はお前や。お前は決してシューさんではない。

滝本スヅンショタンという一人の兵士なんやとな」

滝本は口を開いたまま、ピタリと静止した。

―― 何だろう、この気持ちは。
―― 胸にずしりと響いてくるこの感覚は。

¢「滝本さんのおかげで今日も【会議所】はこうして平和でいられる。
僕たち二人だけじゃこれまでこの平穏をとてもじゃないけど保てなかった。本当に感謝しているんよ」

―― 冷めきった心の中に広がっていくこの温かな気持ちは。


597 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その9:2021/01/30(土) 18:16:36.072 ID:K/a/jdMQo
参謀「本来、議長であるお前が【会議所】を空けるのはまずい。俺も¢も大反対や」

彼の言葉に、横で¢も強く頷いている。

参謀「でもな。念入りに準備を重ね六年かけた【国家推進計画】の集大成が今これからだとすれば、戦場に赴かんとするお前の“心”を、俺たちは決して止めることはできひん」

¢「留守にしている間、【会議所】は二人で何とかしようと参謀と話し合ったんよ」

―― ドス黒い何かで浸っていた心に。一筋の光が差し込むように。

参謀「死地に赴こうとしている“友人”を支えてやるのが、俺たち二人の役目や。

俺たちは今までも何度も危ない橋を渡ってきた。
それは、お前が議長である以前に、俺たちがお前を支えようと思ってきたからや。

責任はお前一人には背負わせない。そうさせたくない。


滝本。何かあれば、俺達は三人一緒や」

滝本の心のなかで何かが弾け、静止していた身体はピクリと大きく揺れた。

頭の中で急速に情報が集約され、一つの結論が導かれる。
修行の末に悟りに到達した僧のように、彼の頭の中はいま澄んだ空のように晴れ渡り冴え渡っていた。

熱い思いの丈が喉元から目元にまで達することを恐れ、滝本は思わず目を伏せ細めた。


598 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その10:2021/01/30(土) 18:18:08.697 ID:K/a/jdMQo
滝本「借りた本をね。読み終わったんですよ」

震えた声を誤魔化すように滝本はポツリと呟き、腕の中に収まっている七彩の本を見つめた。

参謀「…どうやった?」

滝本は微笑を浮かべた。

滝本「正直…展開はありきたりでした。
実は、記憶を失う前の主人公は犯罪グループのボスで。
とある重大事件で記憶を失い、その監視のために“父”と仰ぐ警官が付き彼は仮初めの更生をする。残酷な事実です。

その事実に全て気付いた時、主人公は絶望し、心の中に潜んでいた別人格である本来の自分と入れ替わり、再び狂気の破壊者へと回る。
あらすじを見たときからある程度予想はしてましたよ」

でも、と続けながら、滝本は牢獄にとらわれている少年の表紙絵を見つめていた。

滝本「気になるシーンがありましてね。
最後に、結局主人公は警官である人格を捨てて、元の犯罪者の自分に身体を明け渡すんですが。その時に彼がこう言うんです。

『空っぽだった自分にも唯一、捨てきれないものがある。仲間と過ごした日々、会話、生活。その全てが詰まった“記憶”だ』と。
『叶うならば自分が死んでも、その“記憶”だけは心のなかに残しておいてほしい』、そう懇願するんです。

記憶とは、ただ会話を交わした履歴だけではない。その時に自分がどう思い感じ、どのように行動するに至ったか。
生者の痕跡こそが“記憶”だ、とこの本では語っている。
私はこの言葉を理解できなかった。馬鹿げているとすら思った」

そこで滝本は顔を上げ、不安がる二人に精一杯の笑みを返した。


599 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その11:2021/01/30(土) 18:18:50.334 ID:K/a/jdMQo
滝本「いま、ようやく意味がわかりました。

私は今のこの三人でのやり取りを決して忘れたくない。

かけがえのない思い出として遺しておきたい。


これが本当の“記憶”、なんですね」

心の中になにか熱いものが宿るのを確かに感じた。
今まで酷く冷めていたからだろうか。人肌程度の暖かさのはずなのに、不思議と身体には燃え盛る熱のように深く沁み渡った。

いま、滝本の心の奥深くに “記憶”が刻み込まれた。
今まで追体験していた回想ではない、彼自身の感じた生の経験だ。

もし死に行く際にも、最期はこの光景を思い出しながら息絶えたい。
そう感じるほどに温もりはあった。


600 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その12:2021/01/30(土) 18:20:04.362 ID:K/a/jdMQo
滝本「ありがとう。参謀、¢さん。
先程の言葉はとんでもない。お二人がいたから、私はここまでやってこれたんです。本当にありがとう」

暫く頭を下げたままの滝本を、二人は穏やかな顔で見つめていた。
“でも――”と言葉を続け、再び頭を上げた彼の顔は茶目っ気に溢れていた。

滝本「――かわいそう、というのは随分と心外ですね。

これでも私はこの職を気に入っているんですよ?激務、大いに結構。その分、寝ますけど。
【会議所】の役に立てるなら、この身体を喜んで差し出します。本当ですよ?」

参謀「とんだマゾ野郎やん」

敢えて捻り出した彼の強めのツッコミに、思わず三人は笑いあった。
この五年過ごしてきた中で、一番穏やかな時間がこの暗く無機質な通路内で流れていた。


滝本「では、行ってきます。後を頼みますよ。
ああ、そうだ参謀。お返しします、いい本でした」

手にしたハードカバー本を参謀に渡そうとすると、彼は微笑を浮かべたまま静かに頭を振った。

参謀「返却は、お前が無事に戻ってから図書館で受け付けるわ」

滝本「無事に帰ってこられるか不安なんですか?大丈夫ですって」

参謀はその言葉には何も返さず、なおも無言で再度頭を振った。
滝本は渋々、本を脇に抱えた。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

601 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その13:2021/01/30(土) 18:21:02.507 ID:K/a/jdMQo
滝本「それでは。行ってきます」

名残惜しそうに別れの挨拶を終えると、滝本はツカツカと歩き去って行った。
二人はその背中が闇に溶けるまで見送っていたが、参謀は静かに嘆息した。

参謀「なあ、¢。歴史の評価っちゅうもんは後世の人間がするもんだが…
いま俺たちがやっていることは実際どうなんやろな?」

¢「ぼくたちがやっていることは悪そのもの。悲しいけどそれは事実だ」

躊躇いもなく言い切る彼の姿勢には、既に覚悟を決めている者の決意をひしひしと感じ取れた。
その言葉に、参謀もかえって自信を貰えた気がした。

参謀「せやな。きっと俺たちの行動を後の時代の奴らは、突拍子もないことを計画し実行した“信じられない阿呆”とでも言うんやろうな」

¢はキョトンとした目で参謀を見返した。参謀は大丈夫だと言わんばかりに、ニヤリと笑った。

参謀「でも、そんな阿呆こそ世界を変えるってのが、時往々にしてあるやろ?」

¢「…そうだな。そう信じているんよ」


いつだって世界を変えるのは、突拍子もない事を考える阿呆だ。

さて。

もし、自分たちよりもさらに頭のネジの外れた“ド阿呆”がいたとしたらどうだろう。


(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

602 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その14:2021/01/30(土) 18:22:05.138 ID:K/a/jdMQo
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【きのこたけのこ会議所自治区域 議長室 5年前】

集計班『不治の病に侵されたこの身体では、私は最期まで見届けられません。
まああくまで、“私のこの眼では”、ですが…』

含みのある言葉に¢はすぐに彼の企みに気付き、再び驚愕した。

¢『まさか、集計さんッ!貴方は、もしかして“うまかリボーン”を――』

その言葉を遮るように、集計班は机の上に一枚の写真を投げた。
町中で撮ったのだろう。雑踏の中に、ボサボサの青髪姿の一人の若者が写っていた。

集計班『私に“合いそう”な兵士を選びました。すぐに後継者として起て、彼を連れてきてください。私は【儀術】の準備をします』

¢『本気なのか、集計さん…?』

集計班『冗談など言いませんよ。いいですか?これから行われるであろう、魂を違う“器”に込める作業は、これまで集めた12人の英霊を差し置いて、私が初めてとなります。

魂を押し込める手段はあなた方にお任せします。化学班さんに相談されるのがいいだろう。

たとえ失敗してもいい。それで最適な方法を考え直せるなら、私は喜んでこの身を差し出しましょう。

まあ元々、本来死ぬ人間ですから未練などありませんよ。
でも、もしうまく行けば、姿形は違えどまたこうして皆で会うこともできましょう』


603 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その15:2021/01/30(土) 18:22:48.297 ID:K/a/jdMQo
彼の言葉は何時だって苛烈で果断だ。
本来は批判し止めないといけないのだろう。だが、参謀は思わず聞いた。

参謀『彼は、シューさんの血縁者かなにかなん?』

集計班『いいえ、全く違います。縁もゆかりもない、所属軍が同じだけのきのこ軍兵士です。
ただ、彼は私ほど魔力がなくかえって適合しやすそうだということ。それと――』

参謀『それと?』

集計班は笑いながら答えた。

集計班『目元を見てください。どことなく私に似ていませんか?』

一人の兵士の運命を完全に狂わせようとしているのに、悪意を一切に感じずに見せる笑顔に二人はクラクラした。

純粋な狂気だった。


集計班『それでは皆さん。お元気でしたら“また”お会いしましょう』

今生の別れとは程遠い声のトーンで、“魔術師”集計班は二人に最期の別れを告げたのだった。

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604 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その16:2021/01/30(土) 18:23:47.539 ID:K/a/jdMQo
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団地下 メイジ武器庫】

滝本がメイジ武器庫に到着すると、武器庫内は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
それまで横に寝かせられていた陸戦兵器<サッカロイド>たちは全て立ち上がり、その全長は広大な天井に届かんとする高さだ。
胸の部分に埋め込まれた英雄の魂たちは、戦を前にしてやる気十分といった具合にメラメラと揺らいでいる。

その巨人たちの足元を、白衣を纏った数人の研究者たちが慌ただしそうに走り回っている。
元々、陸戦兵器<サッカロイド>計画は秘密裏に行われていたため、化学班を始め限られた人間でのみ武器庫を運用していたのだ。
いよいよ決戦が始まるのだと思うと、【大戦】前に感じる高揚感のように、滝本の胸も高まってくる。

陣頭指揮を執っていた化学班と猫の姿の95黒(くごくろ)がこちらを見つけると、急ぎ近寄ってきた。

化学班「やあやあ、お待ちしていましたよ。思いの外、早く戦いが始まっているようで準備に慌てておりましたわ」

滝本「いえいえ。こちらも遅れてしまい申し訳ありません」

95黒「12体の陸戦兵器<サッカロイド>、全て出撃完了していますッ!…と言いたいところですが、すみません。
“Ω(おめが)さん”が戦争ということで興奮したのか、我々の制止を振り切り先程既に出撃してしまいまして…」

95黒の言葉に改めて格納庫を眺めると、確かにΩの保管されていたスペースだけスッポリと空いてしまっている。


605 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その17:2021/01/30(土) 18:24:44.521 ID:K/a/jdMQo
滝本「ふふっ。それは実にΩさんらしい行動ですね。
大丈夫ですよ、事前にこの王都決戦の話は彼にも伝えてあります。予定通り向かってくれることでしょう。我々はその後に続けばいい」

化学班「本当に一緒に行くのですか?なにも貴方が行く必要はないのでは?」

滝本「名目上、私は新型兵器で公国軍を蹴散らし、オレオ王国を救いに行くのです。
わたし自ら行かなくてどうしますか。¢さんには強く反対されましたがね」

その言葉に、化学班は“まあ私は面白ければなんでもいいのだがね”と言い肩をすくめた。
老いても変わらずの狂科学者然とした振る舞いに、もはや感動すら覚える。

95黒「魂との定着率は完全に100%には到達できていませんが、極力コンディションは整えました。そもそも陸戦兵器<サッカロイド>は通常の攻撃を受け付けないので、何か起きても大丈夫だとは思いますが」

95黒は、読み終えた報告書を器用に背中に載せた。

滝本「分かりました。それでは手筈通りいきましょう。念の為、私達の身に何かあればこの武器庫は即刻破棄してください」

化学班「あい仕った。安心して地上で暴れてきてくださいな」


606 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その18:2021/01/30(土) 18:25:44.841 ID:K/a/jdMQo
そこに、一体の陸戦兵器<サッカロイド>が滝本たちの前に身を屈め、右の掌の甲を地面に付け握りこぶしを開いた。
この掌に乗れ、という意思表示だ。

滝本「失礼しますよ。“まいう”さん」

たけのこ軍 まいうの魂にそっと優しく声をかけ、滝本は掌の上に収まった。ひんやりとした冷気が、今は興奮した気を少しでも冷静にするのに丁度いい。
巨人は呼応するように掌の滝本をそっと上げ、自らの肩に彼を載せた。

滝本「よろしい。ではそろそろ、戦争を終結させに行きましょうかッ!
ハッチを開けなさいッ!」

滝本の命令とともに、機械音とともに武器庫の天井が開いていった。
頭上が、徐々に仄かな陽の差し込む湖面の光で覆われていく。
魔法の膜で覆われた武器庫は、陸戦兵器<サッカロイド>たちが通過すればすぐに湖上に向かえる仕組みとなっているのだ。


607 名前:Episode:“黒ネズミ” 滝本スヅンショタン 狂宴編その19:2021/01/30(土) 18:27:13.008 ID:K/a/jdMQo
滝本「陸戦兵器<サッカロイド>部隊、出撃なさいッ!!」

ガチャリ。

手にした専用武器を抱え、一斉に外へ向かう彼らの一糸乱れぬ姿は、統率の取れた歴戦の精鋭部隊を彷彿とさせた。

滝本の心が俄に騒ぎ始めた。
否、これは滝本“だけ”の気持ちではない。きっと“彼”も興奮しているのだ。

滝本「“私たち”でケリをつけにいきましょうッ」

滝本は心のなかに向かい、独り呟いた。
答えるように、心臓の鼓動がドクンと一度跳ねた気がした。


地下を這いずり回ったネズミは、一縷の光を目がけ、遂に地上へ上がる。
親の遺した極めて残酷な意志を胸に宿し、子ネズミは親の遺言通り、仕組まれた舞台の上で狂宴を始める。


夢見た、最後の“ラストダンス”を踊るために。








                            To be continued...


608 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/01/30(土) 18:31:39.273 ID:K/a/jdMQo
第5章完!次から最終章に突入します!
補完のための小ネタを投稿。

参謀
https://download1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1052/%E5%8F%82%E8%AC%80.jpg

¢
https://download1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1053/%EF%BF%A0.jpg


◆儀術名:うまかリボーン  術者:集計班
禁忌の儀術。指定した相手の魂を肉体から分離させ、魂を実体化させる。
魂を抜き取られた肉体は死亡する。分離した魂を別の肉体に埋め込めば、記憶の融合も可能だが別人格が既に入っている場合は不完全に終わることもある。


609 名前:たけのこ軍:2021/01/30(土) 20:30:31.849 ID:H5sgWnJo0
すべての主人公が絡むであろうラスト楽しみんよ

610 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/02/05(金) 20:20:44.776 ID:0qPK6pPQo
ttps://download1.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1055/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%89%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%AB%A02.jpg

今週はお休みでごわす。
そのかわり最終章に向けたポスター風紹介画像を作ったぞ。

611 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/02/12(金) 10:46:01.876 ID:eUypB9bMo
それでは最終章の更新を開始します。これまでの章よりも少し長いですが、がんばります。

612 名前:Episode:“トロイの木馬” someone:2021/02/12(金) 10:48:41.485 ID:eUypB9bMo




・Keyword
トロイの木馬(とろいのもくば):
1 データ消去や改ざんなどの破壊活動を行うプログラム。
2 内部に潜入し、破壊工作を行う者のたとえ。この物語で言うところの英雄。






613 名前:Episode:“トロイの木馬” someone:2021/02/12(金) 10:49:44.674 ID:eUypB9bMo





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きのたけカスケード 〜裁きの霊虎<ゴーストタイガー>〜
Episode. “トロイの木馬”

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614 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その1:2021/02/12(金) 10:52:56.201 ID:eUypB9bMo
【カキシード公国 宮廷 地下室】


長く檻の中に閉じ込められていると、幾つか発見がある。


まず生物だ。
この地下室には不思議なことに生き物がほとんど寄り付かない。灯りも無く、暗く湿り気もある環境下では、夜行性の動物にとって絶好の活動拠点だ。
服の一つぐらいかじられても良さそうなものだが、なぜか自分の周りにはネズミ一匹近寄らない。
恐らく、この部屋を訪れる791があまり好きではなく彼らを引き離す魔法を使っているのだろう、と推測ができる。

次に、物音だ。
地上の喧騒さとは裏腹にこの地下では何も動きがない。
もたれている壁から身を離す時であったり、冷えきった地面の居心地の悪さから逃れるように身体を拗じりでもしない限り、この部屋には“音”という一切が何も響かない。

否、違う。
よく気分を落ち着かせて冷静になれば、耳元に微かなチョロチョロという音が聞こえてくる。檻の向う側の入口付近にある壁を伝って落ちる水滴の落下音だ。
唯一、それだけは起きているときも寝ているときも変わらずにずっと響いていた。
ただ、あまりにも規則的すぎて、いつしかその存在を忘れ、知らずのうちに自身の心臓の鼓動音かなにかと重ね合わせ、同化していたのだ。


そうして檻の中の住人であるきのこ軍兵士 someone(のだれか)は、今日も地面に横たわったまま、気だるげに身体をもぞつかせた。

身につけている群青色のローブはすっかり汚れ、くすんだねずみ色に変色している。
彼の端正な顔も壁のタイルに似た土気色に変色し、お世辞にも顔色が良いとは言えない。


615 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その2:2021/02/12(金) 10:54:52.272 ID:eUypB9bMo
数ヶ月前まで、彼は地上で活躍するきのこ軍兵士だった。
それがとある出来事を境に宮廷魔術師791の怒りを買い地下室に幽閉され、そろそろ一月が過ぎようとしている。
これまで決して器用な生き方をしていなかったsomeoneの人生の中でも、今回は取り分け困難に直面しているといっていい。

someone「…」

深く嘆息する。白い息が目の前で霧散した。
自分の短い人生に反省や後悔の念を抱いたことはこれまで無かった。しかし、今回ばかりはこれまでと違う。彼は決定的な“失敗”を冒し、その結果として牢獄に捕われている。

その原因は明らかだ。偏(ひとえ)に自らの判断の甘さに因るもの。
困難な道のりではあったが、終盤に重要な判断を見誤ったことについては、いま思い出しても大きな悔いが残る。

耳元と鼻先に意識を集中させる。
遠くから足音が響いてくる様子はない。まだ今日の食事の時間には早いようだ。
自分以外の誰かが地下室へ訪れるとそれだけで空気の流れが変わる。既に寒さで麻痺した鼻先でも、冷気の渦の変化を察知できるようになった。
これも長い地下生活で身につけた知恵かもしれない。

“彼”からの連絡も無く、まだ僅かに時間も残っている。
少しぐらいはこれまでの出来事を振り返っても罰が当たらないだろう。


someoneはそう思うと、そっと目を閉じ、これまでの自身の人生に思いを馳せることにした。



616 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その3:2021/02/12(金) 10:56:03.115 ID:eUypB9bMo

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【カキシード公国 過去】

幼少期のsomeoneに、両親の記憶はほとんどない。
生まれてすぐに里子に出されたからだ。

生家で子供たちを養っていけるだけの食い扶持がなかったためだが、子どもたちには一切そのような素振りを見せることはなかった。
当時、まるで遠足に行くかのように快く手を振られ送り出された場面が、彼にとって両親を見た最後の瞬間だった。少し長い期間の遠足で、いつか帰れるものだとばかり思っていたのだ。

彼がその事実に気づいたのは、ちょうど幼年を経て学舎に通い始める間際の時だった。
外で遊んだ帰りに居間の近くに立ち寄ると、いつも笑顔を見せる養母が手にした手紙に向かい顔を伏せ、すすり泣いていた。
彼女の弱々しい姿をこれまでに見たことがなく、someoneは思わず困惑し、居間に入る直前で足を止めてしまった。

気持ちを落ち着け再度居間を覗き見ると、隣にいた養父は彼女の肩を支え、“大丈夫だ。俺たちが支えてやろう…”と慰めるように何度も肩をさすっていた。
なぜだかその時、someoneはその場に入り込むことができず遠巻きから二人を見守ることしかできずにいた。
その光景を眺めながら心の中で、“もしかして自分は捨てられたのではないか”と邪推したのが、彼の最初の気づきだ。

小さい頃からsomeoneは察しが良く、他人からきいた少しの話を自らの頭の中で咀嚼し推測し結論に導く豊かな思考力と想像力に恵まれた。
また、言葉にせずとも自分で考え行動に移せるだけの器量と要領の良さも備わっていた。
その分、他人よりも口数は少なく近所からは寡黙な少年だとよく言われた。


617 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その4:2021/02/12(金) 10:57:17.400 ID:eUypB9bMo
養父母の家で何回目かの誕生日を迎えたある日、彼は二人から“魔法学校”の紹介を受けた。
最近できた全寮制の学校で、若き魔法使いの教師が教鞭をとり、子どもたちの世話も一人で担っているらしい。

―― “魔法も習えるし、友達もたくさんできる。someoneちゃんにピッタリの場所よ。”

彼らはsomeoneを説き伏せるために、チラシに書かれた魔法学校の良さを繰り返し伝え、彼の入学を後押しした。

勘のいい彼は、すぐに気がついた。

そうか。この人たちは早く自分の世話を手放したいのだな、と。

養父母は高齢で既に二人とも仕事を引退し隠居暮らしをしていた。彼らの間にいた子供も何十年も前に家を出て以来、ほとんど帰ってこない。
半ば余生を過ごす二人に、育ち盛りの自分の世話はさぞ荷が重いだろう。
元々、里子に出されたのも一時的なもので、両親に食い扶持の目処が立てば実家に戻るという話だったのかもしれない。

いずれにせよ、決心は固まった。
成人もしていないsomeoneは、目の前の皺を刻んだ老夫婦を気遣うように年不相応に目を細めた。

二人を責める思いには一切ならなかった。
ここまで自分を育ててくれたのは両親ではなく紛れもない目の前の老夫婦であり。
捨て子だと自身で気付いてから、寧ろ彼らへの感謝の念はとても深まった。
養母から“貴方は我侭を言わない良い子だ”と繰り返し褒められてはいたが、他方でまだ目に見えた恩返しは何も出来ていない。

今こそ彼らの気持ちに応えようと決心し、彼らの言葉に黙ってsomeoneは一度だけ頷いたのだった。


618 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その5:2021/02/12(金) 10:58:49.553 ID:eUypB9bMo
【カキシード公国 魔法学校 791の家 14年程前】

791『えと。私の名前は791(なくい)と言います。今日ここに集まってくれたみんなは今日から互いに家族だと思ってッ!
時には喧嘩することもあるかもしれないけど、みんなで仲良くやっていきましょうッ!』

朗らかな笑みを浮かべ、若き学校長である791は新たに集まった子どもたちの前でぺこりと深く一礼した。

入学した学園は、魔法学校と聞こえはいいものの、その実、校舎はただの庭付きの一軒家で寮舎も兼ねているお粗末さだった。
彼女が一人で住んでいる家を改装したそうだが、彼女一人で住むにはその家は不釣り合いなほどに広く、また酷く朽ちていた。

someoneが入学した当時、朽ちた“校舎”には既に十名近くの先輩生徒たちが生活を送っていた。
同年代の子どもたちから背丈の大きい中等部に入る程の年齢の子どもまで、年代はさまざまで、生徒たちの中で彼は寧ろ若い部類に含まれた。

彼らはみな一様に自分と同じ身寄りのない子どもたちばかりで、一軒家で共同生活を続けるその様子は、孤児院と何ら変わりはなかった。
世間の評価も凡そそのようなもので、ある時に近くを歩いていたら、近所夫婦から慰めの言葉とともにキャンディを貰ったことさえある。

つまり、彼は実の両親に続き二度も捨てられたのだ。
それでも特段悲観的にはならなかった。送り出してくれた老夫婦に報いるためにも、卒業までこの学校に通い続けることが何よりの恩返しだと感じたし、事実学園の入学金は破格と言っていいほど安価だったことを彼は知っていた。


葡萄(えび)色のローブをはためかせながら、この頃の791はいつも忙しそうに家内を歩き回っていた。
子どもたちの実世話はある程度歳のいった子に任せながら、自身は昼間に子どもたちに授業で魔法を教え、夜は自室で魔術の勉強に励み、発明した魔法の使用料で皆の食い扶持を稼ぐ。
その合間に子どもたちの相談に乗り、炊事や家事も行い、授業のカリキュラムも組み立てる。

異常なほどに働いていた。元々身体が強くないと授業の時に話していたが、この頃の彼女は子どもたちに弱い自分を見せたくなかったのか、無理をしてまで動き回っていたように感じた。
ただ、子どもたちはそんな健気な彼女を実の親のように慕っていたし、彼もまたその真摯な姿勢に感銘を受けた一人だった。


619 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その6:2021/02/12(金) 11:01:00.870 ID:eUypB9bMo
魔法学校で日々を過ごす中で、someoneには大きな発見が二つあった。

一つは、自身の魔法力が思ったよりも相当高かったということ。
そしてもう一つは、思った以上に集団生活というものに不向きだったことだ。

元々、里子時代でも同年代の子どもが近くにおらず、someoneはずっと独りぼっちだった。
また、養父母が彼に温かく接する気遣いを感じるその度に、心のどこかで、自分が彼らの本当の子供ではないという引け目を知らずのうちに増長させていた。

その時点で誰かに悩みを打ち明けていれば彼の人生は大きく変わっていたのかもしれない。
しかし、幼年期から彼は思慮深く自分自身で苦境を打破しないといけないという思いに駆られるあまり、他人に頼る術をまるで知らなかった。
結果として、幼少期の彼が抱えていた心の痛みは解放されず、他人に心を開く機会は禄に無かったのだ。

その過程を経て、自らの心を閉ざすことで安息を得るように順応した彼に、いきなり同年代の子どもたちと共同生活を送らせるというのは、難しい話だった。
彼はすぐに周りから孤立し、彼自身も正当化するように孤独を良しと受け入れた。

ある時から、someoneは周りの子たちと庭で駆け回る遊びを横目に、リビングにある書棚の本を読み耽るようになった。
791曰く、魔法関連の書物を多く溜め込んだ書棚は、彼女の師匠が遺していった物らしい。
自由に読んでくれて構わないと彼女は諭したが、他の子どもたちに難しい学術書はまだ早かったようで、書棚に近寄るのは専ら彼だけだった。

孤独を好む彼は、誰も干渉してこない書棚付近に半ば陣取るようになり、その読書量の多さは同年代でも群を抜く程になった。
顔も見たことのない彼女の師匠に心のなかで感謝しながら、世間から逃げるようにsomeoneは魔法の奥深さに取り憑かれていった。


620 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その7:2021/02/12(金) 11:03:03.039 ID:eUypB9bMo
彼の学園生活に変化が訪れた切欠は、入学から一年近く経った際に行われた魔法試験だ。

その試験で歴代最高点を叩き出し、周りの彼への態度は一変した。
同年代の何名かは秀才の彼に羨望の視線をおくる者もいたが、残りの多くの者は“嫉妬”した。彼が周囲から浮いていたことで不幸にも、彼に対する妬みはストッパーのない陰湿ないじめという行為へと表れた。

翌朝から、彼を取り巻く環境は大きく変化した。
朝食を食べ終わり自分のベッドに戻ったら、寝具は誰かにビショビショに濡らされており、それを見た別の者から“someoneはおねしょをしたッ!”と吹聴された。
また、ある時には791の使いで外に出ようと思ったら誰かに靴を隠された。しかたなく、裸足のまま外に出た。尖った岩に足は擦れ血が滲み出た。
帰ってきた時には足の裏はズタボロになっており彼女は驚愕したが、彼はその事を一切に伝えず、無表情で日課の読書を始めた。


―― 『どうしてやり返さないの?あなたには力があるのに』

ある時、同年代の少女からこう訊かれたことがある。
この頃になると、“奴に話しかけるとバイ菌が移る”という名目でsomeoneに話しかける者は791以外にほぼ居なくなっていた。
彼が本から顔を上げると、薄い緑髪を後ろで束ねた気の強そうな少女は、眉間に皺を寄せ、鋭い眼光で答えを待っている様子だった。


621 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その8:2021/02/12(金) 11:04:01.187 ID:eUypB9bMo
someone『どうしてって…先生が言っていたじゃないか。“仲良くやっていこう”って』

少々面食らいながらも素直にそう答えると、彼女は一瞬目を丸くし。
すぐに、“バカじゃないのッ”と言葉を吐き捨て、走り去っていった。


同じ質問を後で791からされた時にも、someoneは同じように答えた。
少女と違い、彼女はきょとんとした後に腹を抱えて笑い出した。

791『ハハハハハッ。仕返しすると喧嘩になっちゃうから、君は彼らに言い返さないしやり返さないんだね?』

目元の涙を拭って、彼女はsomeoneの頭をそっと撫でた。


622 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 孤独の少年編その9:2021/02/12(金) 11:05:48.389 ID:eUypB9bMo
791『someone。君は優しい子だね。
私の教えを忠実に守ろうとしている。君はなんて、なんて――』

彼女はそこで言葉を切り、柔和な笑みを浮かべながら繰り返しsomeoneの頭を撫でた。

彼女の温かさに触れ、冷え切っていた彼の心の中に初めて仄かな光が灯った。
他者と距離を置き、自分自身の世界でしか生きられなかった彼にとって、彼女は養父母以来の頼れる人間だった。



だが、全て事情を知った今なら分かる。

彼女の思考の根底にあるのは教育者ではなく、根っからの“魔術師”のそれだった。

教育者の顔を装い自分の頭を優しく撫でながら、彼女は途中で打ち切った言葉を、次のように続けたかったに違いない。




―― なんて“使える”子なんだ、と。


623 名前:Episode:“トロイの木馬” someone:2021/02/12(金) 11:07:28.889 ID:eUypB9bMo
この物語、親がいない人多すぎィ!と気づきました。

624 名前:たけのこ軍:2021/02/12(金) 20:43:35.506 ID:QTRTTlsQ0
悲しい過去…

625 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その1:2021/02/20(土) 10:50:38.179 ID:N66x1.Roo
時が経ち、何人もの年長の子どもたちがsomeoneより先に魔法学校を卒業していった。

そして、一期生達で卒業した数名で立ち上げたとある魔法ベンチャービジネスがある時に大受けし、数年も経たないうちに彼らは世間で一大ムーブメントを巻き起こした。
若い彼らの功績だけが取り沙汰されるだけでなく、好奇の目はすぐに魔法学校へも向けられた。

これまで特筆する実績もない若者たちの活躍の理由を求める上で、魔法学校の存在はメディアにとって格好の“餌”だった。
出自にとらわれず自由な発想で生徒を育てる校風の791の魔法学校は連日のように記事が載り、すぐに評判になり生徒が殺到するにまで至った。
これまで腫れ物を触るような扱いをうけていただけに、建屋から生徒が溢れん程の光景を見て、さすがの彼女も苦笑いを浮かべていたのが印象的だ。

この頃から791は歴史の表舞台に姿を現した。
そして魔法学校の運営が軌道に乗り、自分以外の教師を何人も抱え名実ともに学府としての機能が確立されたことを確認するやいなや、彼女は会議所自治区域で開かれているきのこたけのこ大戦への参加を正式表明したのだ。
生徒たちも知らされておらず、someoneも新聞の記事で初めて目にした。

その時の衝撃は、計り知れないものがあった。

それまで公国民の諸外国への渡航は、公に禁止されてはいなかったものの、国家自体が半鎖国体制を敷いていることから特段推奨されてもいなかった。
ライス家は自らの目の届く範囲で臣民を監視し束縛を強化するために、諸外国に出ていく国民を内々に出奔扱いにすることで、国を出ていくことは即ち故郷を捨てることだという“負”の感情を植え付けていたのだ。
そのうち、人々は諸外国に出ることを敬遠するようになり、公国に棲み着くことが正しいことなのだと無理やり納得するようになった。


626 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その2:2021/02/20(土) 10:51:44.700 ID:N66x1.Roo
―― 公国に生まれ、公国の地に没し、魔力の肥やしになる。

かつて一世を風靡したこの詩文は、公国民の勤勉さ、不撓不屈さを示す名文であるとされ、半ばプロパガンダのように広められ刷り込まれていった。
公国に生まれたからには公国のために一生を尽くす。これが公国民の美徳とされた。誰しも口に出さずとも、国民の一生は生まれたときから半ば確定付けられていたのである。


その暗黙の了解を、彼女がいの一番に打ち破ってみせた。

これまでも【大戦】に参加している公国出身の兵士はちらほらいたものの、彼らはみな一様に自らの出自を隠し参戦していた。
どうしても後ろめたい気持ちが抜けなかったのだ。
しかし、彼女といえば純粋な目で世界を見据え、過去の慣習にとらわれることなく悪びれもなく敢えて大戦参加を表明し、挑戦者として外に飛び出していった。

国民は彼女の振る舞いに目を丸くし、そして半狂乱になり応援した。
国に縛られていることで慢性的に淀み、鬱屈としていた空気が、彼女の行動ひとつで霧散し弾け散ったのである。
元々奇異の目で見ていた他の国民も、彼女がもしかしたら長年続いた慣習を打破する救世主になるかもしれないと少しでも感じれば、周りの熱にあてられたように一様に応援した。

その熱気は当然、魔法学校にも届いた。
そして、周りの期待以上に遠い異国の地で持ち前の大魔法を駆使し活躍する師の話は魔法学校にもひっきりなしに届けられ、少年少女たちを大いに高揚させた。

この時代、誰もが彼女に憧れた。
公国中で“大戦ごっこ”が流行った。
誰もが彼女と同じように大魔法使いになろうと志を高くした。

当然、someoneもその一人だった。


627 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その3:2021/02/20(土) 10:52:36.550 ID:N66x1.Roo
【カキシード公国 宮廷 4年前】

真っ赤な絨毯の上を歩いた末にようやく辿り着いたアーチ状の大扉の前で、someoneはまず一息吐いた。

あれから異国の地での大活躍と世論の後押しを受け、遂にライス家は791の存在を看過できなくなった。その実績を認められ彼女には“宮廷魔術師”の称号が与えられた。
そしてあわせて魔法学校も古いボロ家から、宮廷内に立派な校舎を構えるまでになった。かつての教え子たちも次々に教師になり、生徒数は一端の学園を凌ぐ程にまで膨れ上がった。
彼女の傍でその変化を見続けたsomeoneも、あまりの順風満帆さに目を白黒させてしまったほどだ。
紛れもなく彼女は自らの力で運命を切り開いてきたのである。

息を整えると、意を決して扉を叩いた。

someone『失礼します』

『入りなさい、someone』

中から鈴のように安らかな声が聞こえると、扉は独りでに開け放たれた。
ガラスドームのように外気の光を受ける球体の部屋で、791は独り仕事をしていた。
巨大な部屋の中央でポツンと陽の光を浴びる彼女の姿は、まるで草原に咲く一輪の向日葵のようだと思った。

彼女の前まで歩くと、初めて彼女は顔を上げ微笑んだ。
初めて会った時から幾分か老け込んだものの、表向き彼女は未だ快活さを見せていた。


628 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その4:2021/02/20(土) 10:54:42.881 ID:N66x1.Roo
791『もうすぐ卒業だね。おめでとう』

パチンと指を鳴らすとsomeone用の椅子とテーブルが地面から生えてきた。
控えていたメイドが、タイミングよくテーブルの上にメロンソーダの注がれたグラスをそれぞれ置いた。

彼女から祝いの言葉を貰ったものの、何を以て卒業かと言われれば、厳密には決まっておらず難しい。
特に入学や卒業に年齢制限はないのだが、魔法界にはそのどちらも殆ど十代までのうちに済ませるという不文律がある。
人生の一番多感な時期に魔力を活性化させることは、魔法使いとしての今後の素質を見極める上で極めて大事だという論文が以前発表されたのだ。

特に最近の研究では、幼い頃から魔法を使い続けた人間と成人してから魔法を使い出した人間とでは同じ魔法習得の速度にかなりの差が出るという説もある。
someoneはこの説にはかなり懐疑的だが、事実最近では生活の豊かな家庭も子どもの将来を占う意味で魔法学校に預けに来るケースが多いようだ。
孤児院として見られていた時代から大きく変わったものだと、改めて心のなかで驚嘆した。

791『何かしたいことはあるの?』

someone『いえ、特には…』

本心だった。
結局、十年程学校に居たが、やりたいことも、さらに言えば友達も見つからなかった。
その間に養父母は亡くなり、彼は正真正銘孤独の身となった。

791『君ほどの優秀な魔力を持つ若者が、そんなことでは先が思いやられるね』

ふふっと笑いながら、791はストローで静かにメロンソーダを啜った。

表向きは変わっていない目の前の師だが、最近は外に出ることも少なくなった。若い時に無理をし過ぎたせいだろうか。
会議所自治区域と公国との行き来も、一時に比べて回数が減り今では公国に居る時間がかなり多い。


629 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その5:2021/02/20(土) 10:56:13.217 ID:N66x1.Roo
791『気づいての通り、最近の私はまたちょっと疲れ始めていてね。誰かの支えが必要なんだ。
だからsomeone。君に私のお手伝いをしてもらえると、すごく嬉しい』

予想はしていた。

―― 『魔術は、受け継がれなければいけない』

この言葉が791の口癖だった。

全ての魔法使いは魔術師を目指す。
しかし、魔術師になれる人間はほんの一握りで、またその教えを真に理解するためには才覚ある者しかその高みの入り口にすら到達できない。
それ故に、魔術師は生きている時から後継者を探さないといけない。
自らの功績を受け継がせるため、自らの生きた証を残すため。

someoneもいつか魔術師になりたいと思っていた。
そして、魔法学校内で唯一魔術師になれる人間が居るとしたら、自分しかいないだろうという予感もあった。それだけ、彼の成績は飛び抜けていた。

someone『手伝いと言っても、何をすればいいんですか?』

791『簡単なことだよ。私の周りで仕事の手伝いを少しと、これまで通り魔術の研究に勤しんでくれればいいさ。君には私の後を継いでもらいたいんだ』

彼女の答えに、常にポーカーフェイスを意識しているsomeone自身も、高揚した反動でビクンと一度だけ跳ねた身体を制御できなかった。
同年代の友達こそいなかったが、彼にとって師の791こそが唯一の支えだった。彼女だけは最初から最後まで自分の味方だった。
夜遅くまで魔法の練習に付き合ってくれれば、学校で浮いていた自分をひたすら気にかけてくれた。

結局、多忙な彼女に遠慮しあまり心を開くことはできなかったが、自分なりに恩義を感じ信頼も寄せている。他人のために力になりたいと思ったのは初めてだった。
彼女から直々に後継者として指名されるのは願ってもいない事だった。


630 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その6:2021/02/20(土) 10:57:21.751 ID:N66x1.Roo
答えは既に決まっている。

彼女の部屋の扉を叩いたその時から、既に覚悟を決めてきたのだ。
彼女のような人格者に、優れた人間になりたいと心の底から思っていた。

だから、迷いなく返事ができる。

この返事で一歩、先に踏み出そう。

someone『はい、わかり――』

彼にしては珍しく、上ずった声での前向きな返事は。










791『――いやあ。君が“使える”ようになれば、私にとってはすごく大きな前進となるよッ』

目の前の“魔術師”の策謀めいた言葉で、突然の閉口を余儀なくされた。


631 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その7:2021/02/20(土) 10:58:34.699 ID:N66x1.Roo
someone『…え?』

口をぽかんと開けたまま、someoneは思わず聞き返した。

791『ん?どうしたの?
ああ、君はまだ“魔術師”という生き物を知らなかったねッ。丁度いい、この機会に教えてあげるよ』

座ったままの彼女は両手に顎をのせこちらを見やると、嬉しそうに頬を緩ませた。

791『“魔術師”は全ての物事に優劣を付ける。全ての行動に意味を見出す。
それこそが魔術の本懐。

元々ね。君たちに教えを授けたのは、何も身寄りのない君たちを憐れんでやったわけじゃない。
全ては素質ある者を見極めるための“選別”。

そしてsomeone、君は選ばれたんだよ』

何を。何を言っているかまるで分からない。
一体全体、目の前の人間は何を話しているのだろう。

791『私はね、ずーッと探していたんだ。手足になってくれるような人間と、後継者をね。
someone。君はどちらの素質もあるけど、できれば後者になってもらいたいんだ。

君の前からね、何人か私の元に残ってくれている子たちがいるけど。
その中でも君はとりわけ優秀な人材だ。君だったら私の後を“継げる”。そう確信しているよ』

someoneはただ、彼女の大きく開閉する口元をぼうと見ていた。
頭が真っ白になるというのは正にこういった感覚だろう。
ただ、耳元には聞き慣れた彼女の柔らかな声が届いてくる。


632 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その8:2021/02/20(土) 11:01:25.655 ID:N66x1.Roo
791『学校での経験はいい勉強になったでしょう?君みたいに大きく虐げられればその反動で成長できるからね。
これから君は私の手によりこれまで以上に大きく飛躍する。
その結果、君を虐げていた全ての人間は、すべからく君“以下”になる。おもしろいと思わない?』

いつの間にか彼女からは師としての優しい顔は消え、そこにあるのは強欲な“魔術師”としての顔だけだった。
彼の抱いていた理想像とかけ離れた彼女の姿がそこにはあった。

791『まだ私の計画は途中なんだ。
君が私の“手駒”として使えるようになれば百人力だ。


ああ、ごめんね。私ばかりが喋りすぎちゃった。
そういえばまだ答えをきいてなかったね?』

これまでの誰にでも隔てなく優しい姿はあくまで表向きのもので、今の姿が彼女の本性なのだろう。

someoneは比類なき魔法力を持った少年だ。自他ともに認めるところである。それにより、謂れのない陰湿な虐めや嫌がらせを数多く受けてきた。
それでも、彼が魔法学校を退学せずに続けてこられたのは偏に791の存在にあった。

彼女は自分の傍に近寄り教師としてではなく同じ目線で話し、また話を聞いてくれた。無邪気に自分の過去の話を語る姿を見る時や、つくりたての魔法を披露して褒められた時はたまらなく嬉しかった。
自分の魔法力とは関係なく、一人の人間として認められた気持ちになったのだ。彼女が世間にどんどん認知され雲の上の存在になっても、彼に見せるその姿勢は変わらなかった。
いつしか彼にとってその姿は憧れとなった。
791という人間は、someoneにとって暗闇の中にある一筋の光で太陽だったのだ。

それが今、彼女自身の言葉により彼の理想像は脆くも崩れ散った。
自分と同じ目線で語っていたと思われる姿は実は“刈り取る側”で、あくまで優秀な魔法使いを創るという“生産者”目線での行動だったということに、someoneは瞬時に気付かされた。

本気で相談に乗っていたわけでもない。寧ろ現状が永続すればいいとさえ思っていたのだろう。彼が日々悩み葛藤する姿は、小さな魔法使いをより熟成させる最大のスパイスだとでも思っていたに違いない。
まるで物のように自分たちを扱う彼女の姿勢は、自分の理想とは最も対極に位置し、かつ忌むべき姿だった。
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633 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 純情で甘い少年編その9:2021/02/20(土) 11:02:19.796 ID:N66x1.Roo
先程までは自信を持って頷けていた答えを、今は口にすることすら憚れる。

someoneは途端に込み上げる吐き気に襲われた。

791『ん?返事は?』

満面の笑みで催促される。
抗うことが一番の意思表示であることは分かっている。


それでも。

someoneは弱い人間であるということを、彼自身が一番よく分かっていた。


someone『…わかり、ました』

表情を殺し、someoneはたどたどしく頷いた。

何も彼女へのこれまでの恩義から引き受けたわけではない。
他に生きるための手段はなく、何より正常な思考能力を働かせるだけの気力もいまの彼には残っていなかった。

ただ、今日のやり取りではっきりしたことがある。




彼は、また独りになった。


634 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/02/20(土) 11:05:41.328 ID:N66x1.Roo
ここでははっきりとは書けませんでしたが、791とsomeoneは純情すぎる思いをもった人間という意味では一致しています。
ただ、当時の彼には師の本心の奥底までを見抜くことはできなかったのです。

635 名前:たけのこ軍:2021/02/20(土) 14:54:46.742 ID:9RJD2pqw0
恐ろしき魔王。

636 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/02/28(日) 10:27:19.109 ID:.GTMygzco
今週はお休みでごわす。

637 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/03/06(土) 21:58:02.794 ID:N.tLVxe6o
すみません今週もお休みでごわす。ちょっとバタバタしているのが予想外だった。

638 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その1:2021/03/12(金) 21:25:17.533 ID:dYdx8bKwo
卒業してから暫くの間、someoneは791の補佐にあたった。

魔法学校の手伝い、宮廷魔術師としての業務補佐、魔術の研究など。

仕事に没頭している間は楽しかった。嫌なことを忘れられる。

しかし、自室に戻り目を瞑れば、すぐに“あの日”のやり取りを思い出す。


―― 君が“使える”ようになれば、私にとってはすごく大きな前進となるよッ


脳裏に浮かぶのは彼女の本性を表したあの言葉と、策謀家として冷酷な笑みを浮かべた顔。
自らをモノとしてしか扱っていない彼女の希薄さ、頭が真っ白になるあの感覚、信頼していた恩師から裏切られた深い衝撃と落胆。
全てが混ざり合いグチャグチャに溶け、頭の中を蛆虫のように這いずり回る。

そうして夜中に何度も起きては、その度に吐き気を催した。

信頼していた恩師からのあまりの仕打ちに、若き少年は今度こそ心を深く閉ざし、憎悪の気持ちごと胸の内に深くしまい込んだのだった。


639 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その2:2021/03/12(金) 21:27:25.232 ID:dYdx8bKwo
【カキシード公国 宮廷 魔術師の間 3年前】

ある日、師に呼ばれsomeoneは魔術師の間へ赴くことになった。
その日の彼の気持ちといえば、しばらく師と顔を合わせずに仕事ができていた解放感から一転し、深く落ち込んでいた。
その気持ちが天気にも通じたのか、遙か上空のガラスドームの天井からは、大粒の雨音が微かに聞こえてくる。それを聞きさらに辟易とする。

だが、目の前で椅子に深く腰掛けている師はどうやら極上の音楽だと感じているようで、目を閉じて聞き入っている様子だ。
おかげで物音一つ立てることもできず、まんじりともせずに待ち続けなければいけない。
暫くして演奏を聞き終わった後のようにうっとりとした表情の師が目を開けると、目のあったsomeoneに向け、朗らかな笑みを返した。

悪意なきその笑みに、嫌悪感すら抱く。

師への尊敬の念は既に薄れきってしまっていた。そんな彼の気持ちを知らず、彼女は“さてと”と一拍間を置くと、枕詞もなくいきなり本題を告げた。

791『someone。君にはこれより【会議所】に向かってもらいたい。そして、私の代わりの“目”になってもらいたいんだ。
No.11(いれぶん)。貴方は公国に残って引き続き私のサポートをしてもらう』

No.11『畏(かしこ)まりました』

横で黙って話を聞いていたNo.11(いれぶん)は恭しく頭を下げた。
微かに揺れる薄いセミロングの緑髪が彼女の後方に生えている観葉植物たちと重なり、その姿が一瞬視界の中で揺らいだ。

彼女はsomeoneより少しだけ年上の魔法使いだ。同じ魔法学校出身で彼の先輩にあたる。
冷徹な振る舞いと常に漏れ出るピリついた“気”は在学中から彼とは対極的に目立っており、その実力を見初められ彼女は卒業と同時に791の下で働いていた。

彼女は目の前の魔術師を崇拝している。師の本性を知ってもなお尊敬の念を崩さないその姿勢には、寧ろ感心してしまう程だ。


640 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その3:2021/03/12(金) 21:32:22.762 ID:dYdx8bKwo
someone『…』

対して、someoneはひとまず無言で返した。

No.11『someone、返事はどうしたの』

咎めるようにキッとつりあげた目で睨んできた彼女の視線の“圧”を、someoneは頬に痛いほど感じた。

巷で“氷の指圧師”と評判なだけあり、心臓を貫かんとする冷めた視線の凄みは、常人では震え上がるほどのものだろう。
学生生活の中で事あるごとにその視線を受けていた身から言えば、いまさら怖気づくことは無い。だが、正直に言えば彼女のことは苦手だ。

学生時代から、二人の関係性は最悪の一言に尽きた。
定期試験の結果で、決まって首席はsomeone、次席は彼女だった。
初めて彼が頭角を表したその日、書棚の前を通り過ぎる彼女にsomeoneはふと声をかけた。
内容までは覚えていないが、やや親しみを込めた旨の挨拶をしたことだけは覚えている。当時を思い返せば、高成績を残す彼女と魔術談義に花を咲かせたいといった少しの下心もあったのかもしれない。

しかし、それが却って二人の仲を引き裂いた。彼の登場までずっと首席の位置に座っていた彼女からすれば、自分からトップを奪った人間に同情のような慰みをかけられたと解釈したのだろう。
以来、彼女からは一方的に敵視され、彼自身も周りから虐めの標的にされたこともあり、学生時代も少しの会話しか交わさなかった。

数年の時を経て同じ職場で再会した二人だが、かたや791の熱心な盲信者、かたやその彼女に拒否感を示す一番弟子とあっては、その関係は正に水と油だった。
互いに分かり合えるはずもなく、学生時代よりも関係は冷え込み、二人は露骨に会話を避けるまでに到っていた。

someone『…わかりました』

本意ではないという意味を言外に含め、彼は低い声で答えた。
先程より恨みのこもった殺気を左の頬にヒリヒリと感じたが、“まあまあ”と眼前の師から投げかけられた朗らかな声に、二人は意識を前に向け直した。

791『No.11、落ち着いて。
somoneの気持ちもわかってあげてよ。突然親しんだ国を離れろという話に、彼が困惑するのも無理はないよ』
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

641 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その4:2021/03/12(金) 21:34:17.553 ID:dYdx8bKwo
791『でもね、someone。心配要らないよ。向こうで新参者だった私でもやっていけたんだ。君なら【会議所】でもうまくやっていけるよ』

someoneを勇気づけるようにニコリと笑う彼女は、学生生活の時によく見かけた姿そのものだ。自分や他人にも等しく見せる彼女の笑顔は太陽のように眩く尊いもので、ずっと憧れてきた。

しかし、今は彼女の裏の顔を知っている。
その笑顔の裏では他者を値踏みし、まるで目の前に並べられた家畜たちから、自分に使えるものだけを見極めようとしている。
そして家畜たちには安心させるように人畜無害の表情を見せるのだ。何も心配いらないよ、と。私に任せてくれればいい、と。
それは偽りではなく、本心だろう。

純粋に、彼女は自分以外の他者を使える動物としか評価していないのだろう。
心の通っていない、対等ではなく一方的に注がれる愛。それは、若く透き通った純粋なsomeoneにとっては、酷く気持ち悪いものだった。

791『このあいだ話したよね?【会議所】は去年から突然、公国に向けて秘密裏に密造武器を横流ししている。それも直々に【会議所】のお偉いさんがここにきてだから、相当の力のかけようだ。
それは私たちにとってもとてもありがたい話だけど、彼らの目的が分からない。だから――』

―― それを君に探ってほしいんだ、someone。

どうせ、そんなことだろうと思っていた。
全ての行動に意味を見出そうとするのならば、someoneを管理する791の指示にも意味がないといけないのだ。


642 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その5:2021/03/12(金) 21:35:37.439 ID:dYdx8bKwo
No.11『791様は、今や【会議所】でも知らない人はいない程の有名人。
表立って動くことができないからこそ、貴方が先生の“目”となり真相を探る。
映えある重要な仕事よ、喜びなさい』

someone『…』

No.11『貴方ねッ、なんとか言ったらどうなのッ!』

思わず掴みかからんとするNo.11に、791は再び彼女を宥めるように片手をあげた。

791『まあまあ。そんなに早く真意が掴めるとは思っていないよ。
それに、someone。君を選んだのは別の目的もあるんだよ?
私はね、君に【会議所】や【大戦】を楽しんでもらいたいと思っているんだ』

someone『楽しむ?』

聞き慣れない言葉に眉をひそめる。

791『魔法学校での君は才覚に溢れながら誰とも交わろうとしなかった。それに、皆が目指す方向も同じだから、周りも君に打ち解けようとはしなかった。

でも、【会議所】は違う。目的も方向もバラバラの人間が多く集まっている場所だ。
人々は【大戦】を行い、自治区域を良くする。この二点で協力しあい、国家でもないただの集合体にひしめき合っている。

本来ならまかり通らない出来事が、【会議所】では日常的に起こり得るんだ。

おもしろいと思わない?
わたしは楽しくて一時期向こうに通い詰めだったよ』


643 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その6:2021/03/12(金) 21:36:28.718 ID:dYdx8bKwo
確かに、今まで自分が身を置いていた環境とはまるで違う。
興味がないと言えば嘘になる。

彼の表情の僅かな変化を感じ取ったのか、791は口元をゆるめた。

791『決まりだね。公には君と私には何の関係もないようにしておくから。
暫くは自由に【会議所】で楽しんでおいで』

someoneの会議所自治区域行きが決まった瞬間だった。


━━━━
━━




644 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その7:2021/03/12(金) 21:37:32.830 ID:dYdx8bKwo
【カキシード公国 宮廷 地下室 現代】

someoneは回想を一度終え、静かに目を開けた。そして、寝返りを打つようにごろりと仰向けに転がった。
二日酔いのように頭は重く、ローブ越しに冷えた地面に接する後頭部の冷たさが、今はかえって心地よい。そして、冷たさを感じたことで、先程まで地面に接していた左頬の感覚がとうに麻痺していたことに、いまさら気がついた。

辺りは相変わらず暗闇で、耳をすませば微かに壁を伝う流水音が聞こえてくるだけだ。
いつもなら気にかけないその雑音も、今は濁った心の内を和らげるには丁度いい呼び水となった。

someone「はぁ…」

子どもの頃は魔法に夢中だった。
魔法使いの最上位にいる“魔術師”に憧れたし、自分の師が最年少の魔術師であることに憧れをもち誇りにもした。

だが、“魔術師”という生き物を見誤っていた。
“魔術師”になる過程で狂うのか、元々狂っているのかは分からない。ただ、自らの目的のためなら人を手駒扱いにし切り捨てることも厭わない彼女の思考は腹立たしい程に洗練されていて、完璧だった。
全て、“791先生のために働く”ことを当然の最優先事項だと考えている彼女の思考にもむかっ腹が立つ。

再び寝返りを打つ。今は悪態を吐いてもしかたがない。
時間は有限だ。someoneはまた目をつむり鑑みることにした。

親友との出会いの日々を。




645 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その8:2021/03/12(金) 21:40:42.480 ID:dYdx8bKwo

━━
━━━━

【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 3年前】

やはり、と言うべきか。
someoneは【会議所】でも一向に馴染めなかった。

791からの内々の指示で、【会議所】で定期的に開かれる会議や【大戦】に参加こそしていたものの、彼の方から打ち解けることができず、当然の如く友達はできなかった。
たとえ親切心から近寄ってくる人間がいても、過去の791から受けたトラウマから、優しく接する人間には裏があるのだと内心で怯え、彼らの真心に真摯に向きあうことができなくなっていたのだ。
魔法学校の時と違い魔法で競っていない分、周りの人間は純粋にsomeoneという人間性を評価することしかせず、それがより悪い方向へと進んでいた。

過去と変わらなければ、異国の地でも周りの人間は彼に同じ様な評価を下す。
結果として、someoneは“異国から流れ着いた寡黙な変わり者”という評価で、良く言えば尊重され、悪く言えば腫れ物に触るような扱いを受けていた。

『おい。またアイツがいるぞ』

『なに考えてるのか全然分からねえよな。顔もローブで覆ってて全然見えねえしよ』

『薄気味悪い奴だぜ』

この日も本部棟内にある中庭で読書をしていたら、近くを通りかかった周りのきのこ軍兵士たちから陰口を叩かれた。
三人組の男たちは読書をする彼に向かい、わざとsomeoneに聞こえる程度の大きさの声で喋っていることが分かった。


646 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その9:2021/03/12(金) 21:45:18.582 ID:dYdx8bKwo
―― でも、【会議所】は違う。目的も方向もバラバラの人間が多く集まっている場所だ。

791の言葉が思い出される。
魔法学校と違う人種がいるというから少しは期待したが、結局自分を取り巻く環境は変化せず同じだと思うと、周りの異国の風景が途端に色褪せていくように感じた。

横目で周りを見ると、レクリエーションでもできそうな程度の広さの中庭の中心にはカーキ色のたけのこ軍の軍服を着た一人の兵士が大の字で寝ている。
大口を開けて寝ていることから、先程の話し声は聞こえてはいないだろうが、少し申し訳ない気持ちにもなる。

『きいたか?あいつはカキシード公国出身だって言うが、ろくに学校も出ていないらしい』

『本当かよッ?口数が少ないのはおとなしいからじゃなく、言葉を知らないからなんじゃないか?』

『違いない。熱心に開いているご本も、果たして本当に読めてるのかねえ?』

彼が言い返さないことをいいことに三人組の声量はますます大きくなり、読書をしている彼を横目で見ては鼻で笑っている。
同じきのこ軍兵士とはいっても、それはあくまでシステム上の話で彼らには同族意識も無ければ仲間意識の欠片もない。

いじめっ子というものは、自分より下の人間を見つけるとまず軽く攻撃的な行動を見せる。その行動によるいじめられっ子からの反応を見ているのだ。
そして、いじめられる人間から禄に害を及ぼさない反応がかえってきたら、彼らは安心し攻撃をエスカレートさせ、ストレスの捌け口とする。
これが虐めの原理だ。生物が外敵を制圧する際の、極めて一般的な動物的本能だ。

someoneもその原理はよく分かっているし、集団から孤立する自分が標的に合いやすいことも理解している。
だが、あのような輩に一々反抗するのにも多少なりエネルギーを使う。彼らの蛮行を全て受け流せば虐めという構図は発生せず、自分自身も碌な力を使わずにやり過ごせる。
だから、魔法学校時代からいじめっ子に対しまともな反抗をせずこれまで過ごしてきたのだ。

これが彼の考える他人との接し方だった。
他人を知ろうとするのではなく、いかにやり過ごすか。閉鎖的な環境で育ってきた彼は、自ら主体的に動くという選択肢は無かった。


647 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その10:2021/03/12(金) 21:47:16.846 ID:dYdx8bKwo
そうして、いつものように彼らの言葉に聞こえない振りをして本を閉じた。休憩時間を終え本部棟に戻ろうと立ち上がろうとした。その時だった。

『おいッ、お前らッ!そいつに話があるんだったら、もっと大きな声で、面と向かって喋ったらどうだ?』

背後から発せられた大声はsomeoneに向けてではなく、例の三人組に投げかけられたものだった。
振り返ると、声の主は先程まで大の字で寝ていた若者だった。
彼はいつの間にか起き上がり、先程の間抜けな寝顔からは想像もできないぎらついた眼で彼らを睨んでいた。

『いや、その…』

『おい、なんだよあいつ』

『知らないのか?あいつはたけのこ軍の――』

『ああ?俺の話は今どうだっていいだろう。それで、どうなんだ?なんだったら俺も一緒に聞いてやるぜッ。言いたいことはちゃんと伝えないといけないって、親や先生に教えてもらわなかったか?』

彼のハツラツとした声に、近くを歩いていた周りの人間は足を止めsomeoneたちを見た。
分が悪くなったと感じたのか、三人組は一度大きく顔を歪めると、そそくさとこの場を去っていった。


648 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 初めての出会い編その11:2021/03/12(金) 21:50:08.115 ID:dYdx8bKwo
『まったく。悪口を言うんなら、目の前出て大声で言えっていうんだよな?』

いつの間に隣に来ていたのか、先程の若者はニカッと笑った。
陽射しを背に受け、黒髪を短く刈り込みしなやかながら引き締まった体躯は、見上げていることもあってか随分と大きく見えた。

一連のやり取りにsomeoneは目をパチクリとさせながら立ち上がった。
やはり身長差は大分あり、彼の大きさは見た目通りだった。

someone『あの…』

『ああ。勝手にごめんな?
でも、ああいう奴らは【会議所】には少なからずいるから、お前も気をつけろよ』

someone『いえ、その…』

『ん?どうした?』

someone『ありがとう、ございます』

ペコリと頭を下げる彼に、若者は再度歯を見せ笑った。

『気にすんなッ!お前、たしか名前はsomeoneだったっけか?
俺の名前は斑虎(ぶちとら)。見ての通りたけのこ軍兵士だが、まあ仲良くしてくれ』

斑虎はそう自己紹介を終えると、someoneが言葉を返す間もなく歩き去っていった。

揺れる彼の背中を眺めながら、なんと忙しない人間だろうかと思った。
だが、同時に自身の口元がほころぶのを自覚し、【会議所】もまだまだ捨てたところではないなとsomeoneは思い直した。


649 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/03/12(金) 21:50:59.595 ID:dYdx8bKwo
斑虎さん、第一章以来の登場。おひさ

650 名前:たけのこ軍:2021/03/12(金) 21:53:09.089 ID:q614HMjI0
虎ちゃんかっこいい

651 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その1:2021/03/21(日) 10:04:44.781 ID:DEDVMKHEo
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 3年前】

その後も、斑虎とは毎日のように顔を合わせた。
今まで気づいていなかっただけで、実は二人とも同じ中庭で同じ休憩時間を過ごしていたのだ。

斑虎『よう、また会ったな』

彼は大抵先に芝の上で寝転んでおり、後からきたこちらに気づくと、ひらひらと手を上げまた睡眠に戻った。

最初は鬱陶しいと思ったが、彼は一度挨拶を終えれば、その後はこちらに喋りかけることもなく、時間の限り昼寝に勤しんでいた。
先日のことを鼻にかけ喋りかけてくることもなく、昼休みの終わりを告げるチャイムの音とともにむくりと起き上がり、無言で職場に戻っていった。
それはsomeoneにとっては程よい距離感で、気を使われているのかどうかまでは分からなかったものの、素性を知らない彼には僅かに好感を抱いた。

さらに、先日の一件が本部棟内にも噂として広まったようで、彼の横で読書をしていると誰からもやっかみを向けられることもなくなったという思わぬ恩恵もあった。
こうして、someoneは自然と心地よい時間を享受していたのだ。


652 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その2:2021/03/21(日) 10:05:44.472 ID:DEDVMKHEo
そんな、ある日のことである。
いつものように日光浴と読書を楽しんでいると、程よく距離を取り横で寝ていたはずの彼の声が、風に流れて耳に届いた。

斑虎『一つ、聞いてもいいか?』

彼がこちらに話しかけてきているのだと気づくのには、少し反応が遅れた。ただ、周りに自分たち以外の人間が誰もいなかったためかそこまで時間はかからなかった。
多くの建物で軒を寄せ合う【会議所】本部内には、景観を保つためかあちこちに緑地や庭園が点在している。二人のいる中庭は本部棟の裏手に位置し、表通りからは少し外れていることもあり人気も少ない穴場なのだ。

読みかけの書物を腰の上に置き、someoneは彼の方に首を向けた。
彼は今日も変わらず草むらの上で大の字になり、快晴の空を見上げていた。

斑虎『someone。お前にとって【大戦】とは、なんだと思う?どう映っている?』

突然何を言い出すんだろうと、someoneは困惑した。
哲学的な話にしても脈絡がなく抽象的すぎる。

元来、会話はあまり得意ではない。議論ともなればなおさらだ。
筋道を立て結論を導き出すことはできるが、それを言語化し伝えることが苦手なのだ。

普段なら適当にあしらい読書に戻るところだが、先日の恩義もあるので彼の会話に少しだけ付き合うことにした。


653 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その3:2021/03/21(日) 10:07:25.396 ID:DEDVMKHEo
someone『ただの戦いじゃないの?』

斑虎『違うね。いや、違うと思うんだがまあ聞いてほしい』

そこで斑虎は半身を起こし、someoneと顔を合わせた。
存外に真剣な目つきをしている彼に、someoneは少し驚いた。

斑虎『【大戦】ってのは、互いを結ぶ友好の架け橋なのさ。

【大戦】をするぞと告知をすれば、全世界からは文字通り、何百万単位の人が動く。
人々が一同に会して戦って、勝った負けたを競い合う。

時にはいがみ合いもするだろう。でもスポーツマンシップの精神に則り、勝負が終わったらノーサイド。すぐに手を握り両者を称え合うのがほとんどだ。
そうだろう?』

直近の【大戦】を思い出し、someoneは頷いた。

斑虎『だから目に見えないだろうけど、【大戦】の開催で人々や国同士の距離感は、ぐっと近づいたと思うんだ。
まあ俺たちのところは国じゃないけど。そんなところだ』

ガサツな人間に見えたが存外にロマンチストの気質もありそうだ、とsomeoneは冷静に分析した。

斑虎『読書を遮ってまでわるい。でも、昨日の夜からそんなことを考え始めたら寝られなくなってな。誰かに聞いてもらいたかったのさ』

“だからさ”、とそこで斑虎は一瞬逡巡する素振りを見せた後に言葉を続けた。

斑虎『今度の【大戦】、同じ戦場で戦わないか?
敵軍同士、死力を尽くして終わったらノーサイド。仲良くしようぜ』

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

654 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その4:2021/03/21(日) 10:09:25.609 ID:DEDVMKHEo
someone『…それは結局、僕とただ闘いたいだけなんじゃないの?』

斑虎『そうとも言う。半分はそうさ。お前、すごく強そうだしな。
もう半分は、そうだな。もっとお前のことを知りたいと思ったのさ』

someone『なんだよそれ』

思いのほか素直に白状する彼に、思わず少し吹き出してしまった。
人を口説くにしても話の展開が強引でめちゃくちゃだ。もし小説で同じあらすじのものがあるなら三流もいいところだ。
ただ、真意を隠されるよりもこうして表に出してもらったほうがはるかに気持ちいい。someoneはそう感じた。

斑虎『それで、どうする?』

自信に満ちた、それでいて真剣な彼の目を見て、惹かれるものがないかといったら嘘になる。

これまで魔法学校にも、宮廷内にも彼のような人間はいなかった。誰もが心の中で壁を作り、ライバルでもある周りに真意を明かすことはなかった。
本音で語ろうものなら誰かが聞き耳を立て弱みを握られる。不快感のある緊張感が常に彼の周りに立ち込めていた。さらに師に至ってはあの性格だ。
一連のやり取りを経て人間不信に陥ったsomeoneにとって、目の前の彼は正に当初思い描いていた“奇抜で特異な【会議所】”を体現する人物のように見えた。

somoene『そのままでは頷けない』

斑虎『ほう。じゃあどうすれば受けてくれる?』

someone『…勝ったほうが、飲み物を奢る』

斑虎はニカリと笑った。

斑虎『痛い出費だな。わかった、お前の提案を受けよう』

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

655 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その5:2021/03/21(日) 10:11:40.188 ID:DEDVMKHEo
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 someoneの自室 1年前】

二人は扉を開け、部屋に入り込んだ。“適当に座ってよ”と言うsomeoneに対し、斑虎は辺りを見回し書物の山に埋もれていた座布団を無理やり引きずり出した。

斑虎『なあ。さっきの戦いは俺の勝ちってことでいいんじゃないか?』

someone『撃破数ではね。でも戦果に逸りすぎて、僕の部隊からの挟撃で壊滅していたから戦術面では負けだよ』

斑虎『厳しいなあ。今月の出費もかさむ』

バッグに大量に入れた酒瓶を下ろし、斑虎はチョコ酒の瓶をsomeoneに手渡すと、自身の分は一気に飲み干した。

二人は【大戦】後に“反省会”と称し、どちらかの奢りで持ち込まれた酒で、朝まで飲み明かすのが恒例となっていた。

あの日、斑虎から話を持ちかけられ【大戦】に参加したsomeoneは、敵兵を最も多く撃破した者に贈られる撃破王の称号を運良く手にした。
同じ戦場でたけのこ軍にいた斑虎も獅子奮迅の活躍を見せたが、魔法で何重も罠を仕掛け敵兵を次々に屠るsomeoneの姿は敵味方から恐れられた。

終戦後に再会した時の彼の表情といえば、今でもたまに思い出すほど印象的だ。
目を丸くし驚いているような、しかし本音では悔しいような、それでも最後には満面の笑みで喜び讃えてくれた。そこに彼の明け透けな人となりが見えた気がした。
それ以来【大戦】で対決する勝負は続き、今では腐れ縁ともいえる仲になっていた。


656 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その6:2021/03/21(日) 10:13:12.951 ID:DEDVMKHEo
すでに斑虎は三本目の瓶を空けながら、ほんのり頬を赤くしつつ部屋をぐるりと見回した。

斑虎『お前の部屋はいつも魔法グッズに溢れてるな。少しは掃除したらどうだ?』

someone『物に囲まれてるほうが落ち着くよ。それに全て魔術の研究に必要なものだから』

斑虎『限度がある。身も心も整理整頓しないと強くなれない。明鏡止水に至るための、武道の基本だ』

確かに、彼の部屋に比べると自室は書籍や魔具で溢れかえり雑然としている。
自由奔放で豪快な人間に見える斑虎だが、その実は質素な生活を好み日々の鍛錬を欠かさない武道家だ。
決して他人には見せないが、彼が裏で努力を重ねる武人だということは、長い付き合いで分かっている。そうした部分は、素直に尊敬する。
ただ、世話焼きすぎて、酒が回ると小言が多くなるのは玉に瑕だが。

斑虎『そういえば。前に話していたルールの話、どうなった?』

someone『うん。ちょっと見てほしいんだ』

彼の言葉にsomeoneは立ち上がり、地面に散乱した紙切れを器用に避けながら机までたどり着いた。
斑虎の呆れた視線を背中に一心に感じるが、魔術研究に時間をかけているから掃除の時間がないのだ。
机の上に置いていた“新ルール草案書”を手に取り戻る。

someone『どうかな。見てほしいんだ』

斑虎『あいよ』


657 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その7:2021/03/21(日) 10:14:40.687 ID:DEDVMKHEo
元々は、魔術研究の空き時間にはほんの息抜きで【大戦】の新ルールを考え始めたのが発端だ。
先日の反省会の際に斑虎に見つかってしまったが、彼は馬鹿にすることなく寧ろ感心し、このルールを完成させて会議で提出しようと言い出したのである。
大それた話に最初は拒否したものの、熱心な彼の説得に半ば折れる形で、本格的なルール作りを始めたのである。

斑虎『ふむふむ。大戦場に拠点を複数作り、先に制圧した方が勝利するルールか。いいじゃないかッ!おもしろそうだッ!』

someone『この【大戦】ルールを【制圧制】と名付けて、今度の会議に提出しようと思うんだ』

斑虎『それはいいッ!応援するぜ、someoneッ!』

感謝の意を込めて頷くと、someoneは懐からパイプを取り出し、火を付けた。
それに気づいた斑虎は、草案書柔らかな笑みを浮かべた。

このパイプは去年、斑虎から貰った嗜好品で、本人も以前異国の地で行商人から貰った舶来品だという。
彼自身は禁煙家のためずっと家に置いていたが、someoneが喫煙家だということを知り家の奥から引っ張り出してきたらしい。
きめ細やかなグレイン柄は大人びた色合いで、密かなお気に入りだ。

会議所に来てからというものの、someoneは幸せだった。
何より魔術師791と顔を合わせる機会が少なくなった、というのが最大の理由だ。表向きは面識が無いのだから、こちらも無理に振る舞う必要もない。


ただ、醒めない夢はない。

いつまでもこの幸せが続くことはないのだ。
次の会議になれば、嫌でも彼女と顔を合わせなくてはいけない。その際に、必ず近況を“報告”しないといけないのだ。


658 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 親友編その8:2021/03/21(日) 10:18:38.974 ID:DEDVMKHEo
残された時間は決して多くない。
ここ最近、徐々にではあるがカキシード公国のオレオ王国へのちょっとした圧力を随所に知る場面が増えてきた。小競り合いや、外交、交易など。
すでに戦いのための布石が打たれていると受け取らないといけない。

いつか時が来れば公国に召還され、魔術師791の命令の下で、オレオ王国侵攻の要を担う時がくる。

俯瞰して彼女の話を聞けば、侵攻の論理は滅茶苦茶で容認し難い。
征服欲のため、公国の支配者となるべく、何より甘いチョコが好きだから。
何の罪もない公国民と王国民の生命を弄ぶ行為はsomeoneにとって断じて受け入れられない。
一方で魔術師の側から言わせれば、王国侵略は国を治め公国を率いるために必要な覇道の一環だと語るだろう。それはただの詭弁だと頭の中では分かっている。

ただ、実のところを言えば、someoneは彼女の考え方を否定しきれない部分がある。
陰うつとした公国の貴族社会文化を打ち崩すため、彼女は遠回りしながらも立ち回り続け、今や国の影の支配者までにのし上がった。
その彼女の生命を削ってまで懸命に立ち向かう様を、幼い頃から間近で見てきた。
目にしてしまった。

幾ら、彼女の本性を垣間見て裏切られたと思っても、彼女の偉業そのものを否定することはできない。
さらに養父母が無くなっている今、彼にとって育ての親といえば彼女しかいない。
恩師であり“親”でもある彼女の存在は、いかに口では否定しても、その存在の大きさを無視できないほどに重要で尊いものだった。

もし近い将来に、彼女から面と向かい“協力しろ”と言われた時。

果たして拒否できるのだろうか。
支配による恐怖からではなく、“親”に反抗するという、世間一般でいうところの不義理を自分自身が選べるのだろうか。

someone『…』

口に溜まった紫煙が吐き出され、ふわふわと天井に向かう。
所在無げに天井に浮遊し立ち込める白い微粒子の集まりはまるで自分のようだと、someoneはぼんやりと思った。


659 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/03/21(日) 10:23:17.949 ID:DEDVMKHEo
親友のと出会いを経て変わろうとするも、同時に過去の呪縛から抜け出すことができず、someoneさんは葛藤しています。
次回、ストーリーが大きく動きます。

660 名前:たけのこ軍:2021/03/21(日) 21:09:09.024 ID:1gCEnaZE0
虎ちゃんがかっこいい

661 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/03/28(日) 19:47:12.445 ID:CXvWy3TMo
今日の更新は難しいので、今週のどこかで更新できるようがんばりまつ。

662 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その1:2021/04/01(木) 23:04:12.425 ID:mUruyWkso
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 791の部屋 4ヶ月前】

会議所本部の一角に建つ、上級兵士宿舎内のとある部屋の前に立つと、someoneは深く息を吐いた。
目の前の漆黒に塗られた扉を見るといつも気が重くなる。
人生で最も気の乗らない時間だとこの扉の前に立つ度に思っているが、つまり毎回同じことを感じているということは毎度更新され上書きされているということなのだ。

これ以上無駄な時間を過ごしても仕方がないので意を決し扉をキッチリと四度叩くと、中から“はーい”という純真無垢な声とともに、ガチャリと扉が開いた。

791『someoneさん、いらっしゃいッ!どうぞ入ってよッ』

群青のローブにすっぽりと包まったsomeoneを見るや否や、紫紺(しこん)のローブを着た791は満面の笑みで自室に招き入れた。
ワンカールした彼女の黒髪が、持ち主の心の内を表すように楽しげにたなびいていた。

791『上がってよ。そういえば久々だね?someoneさんと会うのはいつ以来だろうね?』

someone『五ヶ月と四日ぶりです』

791『すごいッ、よくそんな日にち単位で覚えてるねッ!もしかして待ち遠しかったかな?』

その逆だ。

苦痛とは、日が経ち当時の記憶が薄れようとも、決して心の中から消えることはない。再び同じ場面に遭遇すれば、嫌でも身体は当時のことを覚えているのだ。
それどころか思いがけずトラウマを想起すると、当時の精神的苦痛は打ち寄せた波のように、以前よりも勢いを増して襲いかかる。

それならば、忘れずにずっと覚えていれば良いのだ。
someoneは一番忌みすべき師との邂逅を全て記憶するようにした。
苦痛という螺旋の渦の中に自分自身が飲まれているということを自覚さえしていれば、少なくとも増幅する精神的苦痛を軽減することはできる。
他方で、普段から苦痛を自覚し続けることは大きな代償となるが、その感覚もとうの昔に麻痺してしまっていた。


663 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その2:2021/04/01(木) 23:05:45.581 ID:mUruyWkso
彼女の案内で、someoneは大広間に通された。
一息つきフードを脱ぐと、赤毛の前髪を払いながら、改めて室内をぐるりと一瞥した。
壁紙やカーペット、それに窓際のかわいらしい柄のカーテンはどれも淡いクリーム色で統一され温かさと清潔感を演出している。
壁に立てかけられた本棚には多様な書物が揃えられ中心には応接用のソファがちょこんと備え付けられている。通路を挟んだ奥には寝室と執務室があるのだろう。

上級宿舎となれば、今のsomeoneが住んでいる部屋の間取りとは大きく違う。広々としたリビングにキッチンルーム、寝室に客室。
ほぼ全てが一部屋に詰まっている自分の家とは天と地の差だ。【会議所】にとって彼女がいかに重要な人物であることかを示す表れでもある。

791『さてと――』

791は黒光りを放つソファに深々と腰掛けると、次の瞬間、パチンと指を鳴らし瞬時に防音の魔法を部屋中に張り巡らせた。

791『――someone。最近の状況はどうなっている?』

途端に、目の前の師は“魔術師”の顔つきになっていた。
冷酷で誰も信用していない、あの醜い目つきだ。

someone『…特に報告はありません。ケーキ教団は変わらず警備が固く、潜入できていない状況です』

791『そうなんだ。なら、いいよ』

直立不動で報告する弟子を気にもせず、あっさりと791は言葉を返した。
元より【会議所】の動向などあまり気にしていないとさえ思うほどの興味の無さだ。


664 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その3:2021/04/01(木) 23:07:32.913 ID:mUruyWkso
791『ここ最近、私が公国の方に付きっきりで、こっちに来てなかったのは知ってるよね?
向こうは変わらずだよ。内務はNo.11が頑張っているかな。一方で、着々と“準備”も進んでいる』

“準備”とは、即ちオレオ王国への侵攻と公国を仕切るライス家を一掃する行動のことだ。

someone『つい数日前、公国通関の査察で王国から輸入したチョコの成分量に問題があるとして、輸入手続きに支障が出ているという報道を見ました』

791『めざといね。あれはNo.11の発案でね、オレオ王国お抱えの業者に難癖をつけたのさ。成分に混じり気のあるチョコを出されると国家間での関係悪化になりかねない、とね。
こうした小さな問題をここ数ヶ月以内に積み重ねていく。

そうすれば、外交関係の悪化を引き起こし、いざ公国が王国を糾弾する立場となったときに、世界は間違いなくこちら側に付くよ。

世界は“理由”を求めているのさ、他人を叩き自分に火の粉がかからないための建前をね』

外交を熟知している彼女は、引き際と攻め際をよく心得ている。

オレオ王国がチョコ革命の覇権を握り非武装国家ながら世界最大級の経済発展を続けている現実を、快く思っていない組織は少なからず存在する。
しかし、三大国の一角である王国に楯突くこともできず、彼らは心の中で苦虫を噛み潰しながら彼の国の台頭を許している。

彼女は、そうした文句一つも言えない中小国家に寄り添うように、そっと“理由”を創っているのだ。
オレオ王国の横暴でチョコの輸出は締め付けられ価格は高騰し、世界の発展は著しく遅れる。
その悪しき事態に、国家群を代表してカキシード公国が王国に立ち向かう。
彼らがどちらに付くかは、火を見るよりも明らかだ。


665 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その4:2021/04/01(木) 23:08:31.923 ID:mUruyWkso
その後、someoneはここ最近の【会議所】の動向を報告した。大戦の結果や定期会議についてなどで当たり障りないものばかりだ。
毛先を弄りながら興味無さそうに話を聞いていた791だが、ある話題になるとその手を止めた。

791『そういえば、someoneがつくった新ルール。えーと、【制圧制】だっけ?その評判がすごく良いみたいだね?』

その言葉に、someoneは曖昧に頷いた。

someone『先日の定例会議に上げたところ、試験的に【大戦】のルールで使ってみようという話になりまして。気づけばいつの間にかメインルールとして組み込まれることになりました』

控えめな彼の物言いに、791はそっと微笑んだ。

791『それはすごい。その噂は公国まで届いていたよ。
魔法意外にも才能があるなんて、さすがはsomeoneだねッ』

―― さすがはsomeoneだねッ

彼女の最後の言葉が頭の中で何度も繰り返される。

思いがけない賛辞に、someoneは戸惑った。
何より、他愛もない称賛の言葉にここまで心を動かされる自分自身に驚いていた。
すでに目の前の師とは決別を決めたはずなのに、心の奥底では彼女を求めている。
その事実に愕然とした。


666 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その5:2021/04/01(木) 23:09:26.426 ID:mUruyWkso
791『斑虎さんともすごく仲がいいんだってね?彼は芯の通った勇敢な戦士だよ。
打ち解けられる友達ができるなんて。私としても本当に喜ばしいことだよ――』

しかし、そうして心の中に仄かに灯った暖かな火は。



791『――本当に、いい人を“選んだ”ね』



彼女自身の言葉で、いとも簡単に崩れ去った。



選んだ。

選んだとは、なにか。

791『someone、君の選択は間違ってないよ。私も同じ立場だったら斑虎さんを“選ぶ”。
彼は誠実だし裏切らない。傍に置いておくに最適な人物だ』

ひとつひとつの言葉が癪に障る。
決して、下心で斑虎と親しくなったわけではない。そもそも、友人とは打算を以て作るものではない筈だ。目の前の魔術師には決して分からない価値観だろう。


667 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その6:2021/04/01(木) 23:10:16.474 ID:mUruyWkso
791『私はね、嬉しいんだよ。君がこの【会議所】の生活を通じて着実に成長している。その実感を得ているだけでも、君をここに送り込んだ価値があった』

彼女に分からないように、someoneは独り下唇を噛んだ。

悔しかった。
斑虎を貶められているようで。

なにより、先程までこんな人物に心を動かされていたという事実を受け入れたくなかった。

791『引き続き【会議所】を謳歌しなさい、someone。
だけど、いつの日か君には当初の目的通り此処の動向を本格的に探ってもらわなくちゃいけない。
それまで、未来の“魔術師”として使える人間、使える道具を見極めておきなさい』

ただ、暗い影だけが残った。


668 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その7:2021/04/01(木) 23:13:04.837 ID:mUruyWkso
それから暗澹たる思いで日々を過ごしながら、三月程前。最大の転機が訪れた。

その後のsomeoneの人生を大きく変えたのは、一枚のよれた紙ひこうきだった。


【きのこたけのこ会議所自治区域 3ヶ月前】

その日【大戦】が終わり、いつものように斑虎と反省会と称した飲み会を終え、夜更け頃にsomeoneは彼の家を出た。
いつもであれば彼の家でたっぷりと睡眠を取り翌朝になってから帰路につくのだが、この日は少しでも早く戻りたい事情があった。
自身の魔術研究が大詰めを迎え、少しでも早く頭の中の論理を実践したかったのだ。

日夜独りで書物を読み漁り研究を重ねる中で、遂に長年の夢である目標に大きく前進するための一歩を踏み出せるところまできていた。
その興奮から眠気もほとんど無かった。妙な気の逸りに、思わず斑虎からも心配されたほどだ。それでも彼は大酒をくらい寝てしまったが。

斑虎の家は【会議所】本部から少し離れた郊外に存在する。
一方でsomeoneの家は本部内にある一般兵士宿舎のため、この町を抜け草原を越え【会議所】本部内に戻る。
普段は賑わいを見せる目の前の中心街も、当然のように夜更け頃には全くといいほど人通りがない。特に、【大戦】直後では皆も疲れ切っているためなおさらだ。

だから、それが良かったのかもしれない。

someone『あれは…?』

早足で歩いていると、戸障子の閉まったとある商家に自然と目が向き、someoneは歩みを止めた。

何か得体の知れない“気”を感じたのだ。
頬をそっと撫でられるような、こそばゆい感覚。この感触には覚えがある。
近くに魔力の痕跡がある時のそれだ。
果たして商家の屋根に止まっている一通の紙ひこうきを見つけることができたのは、その紙から微小な魔力が漏れているためだった。


669 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その8:2021/04/01(木) 23:17:04.884 ID:mUruyWkso
魔法学校時代より791の訓えで、魔法力を鍛えるために普段の生活から魔力の行使を要求された。普段から微小な魔力を使いながら身の回りの魔力を感じる訓練を続けていたのだ。
最初は辛く一時間も持続しなかったが、長く続けるうちにいつの間にか日常化し、自身で微小な魔力をコントロールできるようになっていた。
その結果、someoneは日常的に微量な魔力でも検知できる特異な能力を持つようになっていたのである。

紙ひこうきを見つけても、当初彼の気持ちはなびかなかった。
遊びの中で子供が魔法で飛ばし、そのまま放っておいたのかもしれない。よくある出来事だ、不思議でもない。

そう普通なら気にも留めない何気ない日常の出来事だが、その日は違った。
普段とは一切違う夜のしじまに変を感じたのか、はたまた自宅までの帰り道の途中の退屈しのぎに使おうとしたのか。

理由はわからないが、遂にsomeoneは念動魔法で屋根に引っかかった紙ひこうきをふと自分のもとに引き寄せた。

くしゃくしゃになり、手のひらサイズに収まる程の紙ひこうきは折り目の中から僅かな赤光を発していた。
妙な魔力の按分に中身を開こうとすると、指先に僅かな電撃が走るとともに紙上に文字が浮かび上がった。
これは軽い封魔文書だ。

『この文書が、何処かの見知らぬ探求家に届いていることを祈る。人の十分いない場所で読まれたし』

浮かび上がった意味深で仰々しい文に一瞬眉を潜めたが、すぐに子供の遊びだと思い直した。
そして、冗談半分で家まで持って帰ると、正直に警告に従い自室で開封した。

封魔文書はあくまで警告文だけで、特に鍵もなく中身をあっさりと開封することができた。



それは苛烈を極めた、【会議所】の内情を暴露した告発文書だった。


670 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その9:2021/04/01(木) 23:20:26.663 ID:mUruyWkso
someone『これは…ッ!』

頭の中から魔術研究のことなど抜け落ちすぐにわら半紙を両手に握ると、地べたに落ちる屑紙の山を押しのけ、その場にどかりと座った。
急ぎ目を通し始める。文書は筆者自身の軽い自己紹介から始まると、丁寧に事の次第が記されていた。

―― 【会議所】は裏でケーキ教団を隠れ蓑とし、【大戦】に使用しない密造武器の製造を行っている。

―― その武器を秘密裏に他国に横流しし、彼らは見返りとして大量の角砂糖を受け取っている。
角砂糖はケーキ教団の各支部に支給され、一部の幹部は夜な夜な“儀式”と称し角砂糖を溶かし、魔法錬成で強化された“飴”を生成している。

―― 各支部で生成した飴は再び教団本部に集められ、チョ湖付近でまことしやかに囁かれる“きのたけのダイダラボッチ”生成の材料となっている。
あの巨人は伝承上の存在ではなく実在する。飴細工の巨人だ。
巨人の正式名称は不明だが、ケーキ教団を介し【会議所】が秘密裏に準備している新型陸戦兵器であることは間違いない。

―― 確証を持てないが、【会議所】重鎮のきのこ軍 ¢(せんと)は本計画の推進者ではないかと考えられる。
参加名簿から他の数名とともに計画的に【大戦】を欠席しており、恐らくチョ湖での密輸に立ち会っているものと考えられる。

―― 巨人はチョ湖近くか教団本部内に貯蔵されており、その数は不明。湖内に格納庫へと通じる通路があると予想され、彼らはチョ湖を通じて地上に姿を現している。
巨人の使用用途、実力は一切不明だが自力で湖畔を闊歩している。その技術力の高さは計り知れない。

さらに、後半には筆者の今後の予想も語られていた。


671 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その10:2021/04/01(木) 23:22:22.151 ID:mUruyWkso
『ここからは全て小職の考察になる。

【会議所】が“きのたけのダイダラボッチ”を製造する目的は大凡(おおよそ)自衛のためとも考えられる。
【大戦】の継続開催で、大国と争うだけの戦力を整えつつあるものの、未だ軍防令は整備されておらず、今後自治区域として他国に立ち向かうには不安が残る。
ここ最近はカキシード公国とオレオ王国間で緊張が高まり、先の大戦乱を想起させる時局に近づいてもいる。
両国に接する自治区域は真っ先に巻き込まれることとなり、防衛のためと見れば新兵器開発には正当性があるように見える。

他方で、果たして本当に自衛のためなのかと勘ぐってもしまう。
他国を刺激しないために秘密裏に軍備を進める意図は分かるが、わざわざケーキ教団を介してまで回りくどい方法を取る理由がいまいち判然としない。
加えて、ケーキ教団内部から感じるただならぬ緊張感、さらに計画的なまでの彼らの暗躍めいた行動からは、なぜだか背後にとてつもなく大きな“闇”を感じてしまう。

恐らく【会議所】は、否、敢えて踏み込んで書けば。

議長の滝本を始めとする一部の上層部は、“きのたけのダイダラボッチ”という強大な軍事力を使い、何か恐ろしいことを考えようとしているのではないか?

これらは全て長年の勘による推測でしかないが、このおとぎ話のような仮説が外れていることを切に願う。

いずれにせよ、非合法の武器を他国に密輸している【会議所】の行動は間違っている。
努力したが、私一人では彼らの誤った“正義”を止めることは出来なかった。

この文書を読んでいる探求家へ。

頼む、【会議所】を止めてくれ。
世界を救ってくれ。


たけのこ軍 加古川かつめし』


672 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その11:2021/04/01(木) 23:25:42.461 ID:mUruyWkso
ねずみ色の半紙には綺麗な筆跡で、想像を超える規模の話がつらつらと書かれていた。普通の人間ならば何の冗談かと鼻で笑うだろう。
中にはよくできた作り話だと感心する人間もいるかもしれないが、所詮は三流小説の域を出ず精々は飲み屋の中での話のネタにする程度だ。まともに取り合う人間はいない。

someone『馬鹿なッ…』

だが、someoneは違った。

文書を読み終わり愕然とした。

不思議なまでに連動しているのだ。
この文書にかかれている【会議所】の思惑と、791の語った内容の一部が不可思議なほどに一致しているのだ。


四年前、武器商人¢(せんと)が公国を訪れた時、彼はNo.11に、ケーキ教団を立ち上げその内部に巨大な武器製造拠点を造るという話をした。
秘密裏に交わされたこの内容の一致だけでもかなり信憑性は高いが、極めつけは“角砂糖”だ。

彼が、武器提供の見返りとして魔法書と梱包材のための角砂糖を求めたと聞いた。公国側はてっきり魔法書の方を目当てにし、同封する角砂糖は梱包材代わりのカモフラージュなのだとばかり考えていた。
しかし、【会議所】の本当の狙いは公国産の角砂糖を手に入れ、新型の陸戦兵器を造るための飴材にすることにあったのだ。
“きのたけのダイダラボッチ”の話は、かつて一度だけ耳にしたことがある。よもやその巨人が【会議所】の新型兵器だとは夢にも思わなかった。

筆者の兵士の名にも覚えがある。最近、チョ湖支店に異動したが、温和で頼りになる性格で、本部時代には何度か世話になった年配のたけのこ軍兵士だ。
もし本当に彼がこの文書を書いているのだとしたら、あの人となりからここまで突拍子もない嘘をつくとは考えにくい。

someone『加古川さんに真意を確かめてみないといけないな』


673 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その12:2021/04/01(木) 23:27:25.899 ID:mUruyWkso
はたして次の日。

その加古川が過労のために意識不明で倒れ入院。彼の邸宅は火の不始末で全焼。

someoneの耳にその顛末が届いた時、昨夜の告発文書は真実であることを確信した。
彼は真実を究明しようとし、ほぼ解明してしまった。そして、恐らく外部に公表しようとして【会議所】の重鎮に口封じされたのだろう。
ここにきて【会議所】を取り巻く謎は急激に明かされ始めた。


一方でsomeoneは独り考えあぐねていた。
これで、【会議所】がなぜ突如としてカキシード公国に密造武器の提供を始めたかは明らかになった。
“きのたけのダイダラボッチ”を造り出すためだ。
だが、巨人を何の目的に使うのかまでが判然としない。大戦乱に備えるためか、あるいは【大戦】の新ルールに用いるためか、はたまた自治区域の最終兵器とするためか。
どれも全て可能性があり現時点で絞り切ることは難しい。唯一、加古川が身内に口封じされたのだとしたら、その物騒さから【大戦】の新ルールのためではないだろうと考える程度だ。


だが、そのような判然としない真実の探求以外に、彼は酷く重大な問題と直面していた。


それは自らの師である魔術師791への報告を行うかどうか、である。


674 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その13:2021/04/01(木) 23:28:46.753 ID:mUruyWkso
パイプを蒸かしながら考える。答えは出ない。

元々、【会議所】に呼ばれた彼の目的は、一連の真相を探ることにある。
彼女からの任を全うするためには、ここで報告しないという選択肢はあり得ない。

先の一件から、someoneの心はすっかり彼女から離れてしまっていた。
だが同時に、明確に裏切りという形で、彼女と縁を切るための踏ん切りを付けられていないことも、また事実だった。


楽しみ終わったパイプを再度蒸かす。まだ答えは出ない。

何も考えずにこの文書を彼女に手渡せば、この胸を締め付けられる苦しみから解放され、楽になれるのだろうか。

―― 『よくできたね、すごいよsomeone』

―― 『魔法意外にも才能があるなんて、さすがはsomeoneだねッ』


675 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その14:2021/04/01(木) 23:29:41.479 ID:mUruyWkso
脳裏に幼少期からずっと見てきた彼女の喜んだ顔が浮かんでは消える。
屈託のないあの笑みが好きだった。

パイプから口を離し、深く長い紫煙を吐き出す。
すると、まるでこれまでの恨み憎しみが紫煙とともに自分から離れていくように、彼の気持ちは不思議と穏やかになった。
なぜ自分が彼女に怒りの気持ちを抱いているのかも少し分からなくなってしまった。

裏切られたとはいっても、結局彼女は自分のことを他の誰よりも一番に評価してくれている。後継者として彼女の愛を一身に浴びているのは自分だ。
それに、【会議所】で穏やかに暮らせているのも、彼女の計らいによるものではないか。


もう一度だけあの笑顔を見られるのであれば。

彼女への協力も悪くないのかもしれない。



そう思ったのもつかの間。


676 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その15:2021/04/01(木) 23:31:04.349 ID:mUruyWkso



―― 『君が“使える”ようになれば、私にとってはすごく大きな前進となるよッ』



安穏とした心持ちは、途端に“あの日”に彼女から投げかけられた言葉を思い出すとともに、儚く無残にも砕け散った。


“あの日”に彼女から受けた仕打ちを、悲しみと憎しみの入り混じった怨嗟がフラッシュバックした。

思わずはっとしたsomeoneは口からパイプを落とし、慌て周りに漂う紫煙を勢いよく吸い込んでしまい、果てには咽(むせ)て咳き込んだ。
だが彼の脳内には、瞬時にかつての悲しみと憎しみの怨嗟の数々が駆け巡った。
それはまるで、先程パイプで吐き出した紫煙に憎悪の数々の感情が含まれ、再びそれを取り込むことで先程までの自身の情緒を取り戻したかのような、そんな移り身の早さだった。


―― 『私はね、ずーッと探していたんだ。手足になってくれるような人間と、後継者をね』

―― 『君が私の“手駒”として使えるようになれば百人力だ』

―― 『私も同じ立場だったら斑虎さんを“選ぶ”。彼は誠実だし裏切らない。傍に置いておくに最適な人物だ』


677 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その16:2021/04/01(木) 23:34:28.290 ID:mUruyWkso
心の通っていない言葉、口調、態度。
まるで泉から溜まった水が溢れ落ちていくように、脳内に次々と彼女とのやり取りが映し出されていく。

そうだ。
肉親から捨てられ、養父母からも厄介払いされ、最後に自分が信じ縋り付いた唯一の存在は。


自分をただの道具としてしか見ていない、最悪の人物だった。


裏切られた。

    踏みにじられた。

       蔑まれた。

           信じられなくなった。


自分という存在を真に認めていないのだと分かり、哀しかった。


落としたパイプを拾い、じっと見つめる。
心の底まで魔王に染まり切っている師への師事が、本当に自分の本意かと言われれば。

それは確実に違う。
彼女の思想、行動は間違っている。
全てが独善的で、排他的で、その行動の殆どは他者を顧みないものに過ぎない。


678 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 心に取り巻く呪縛編その17:2021/04/01(木) 23:35:50.833 ID:mUruyWkso

―― 791『“魔術師”は全ての物事に優劣を付ける。全ての行動に意味を見出す。それこそが魔術の本懐。君は選ばれたんだよ、someone』


パイプをまた蒸かそうとし、その手を止めた。
あれ程心のなかでは嫌っていても、彼女の言葉が自分自身の心を鎖のように縛り付ける。
どれだけ否定しても、自分もあの“魔術師”の思想を少なからず汲んでいるのではないか。
そう思うと途端に怒りの感情は不安へと変わっていた。


自分の取るべき行動に本当に価値があるのだろうか。

一体、自分はどうしたいのか。



完成間近の研究を放り出し、来る日も来る日もsomeoneは悩み続けたが、答えは出なかった。
彼は、791の呪縛から逃れられなかったのだ。


679 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/04/01(木) 23:37:17.463 ID:mUruyWkso
加古川さんの紙ひこうきがここで活きてきます。

680 名前:たけのこ軍:2021/04/05(月) 23:12:20.937 ID:A4QWruoI0
恐ろしき人々。

681 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その1:2021/04/11(日) 21:06:16.995 ID:JjUMM2OMo
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 2ヶ月前】

斑虎『おい、somone?』

斑虎からの心配そうな声で、someoneは暗く拘泥とした思いから意識を戻した。
気がつけば自分の身体はいつもの芝生の上で三角座りをしており、その隣には半身だけを起こした彼が心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。

最近は深く考え込むせいか、こうしていつの間にか意識をかすませてしまうことがある。それでも、身体だけは過去の記憶を頼りに動けているのは不思議なものだと、変なところでsomeoneは人体の反射行動に感心した。
そういえば以前に読んだ本で、犬を使い同様の実験を行った話があったことをふと思い出した。

斑虎『どうした、そんなに暗い顔して。なにかあったか?』

本心を探りあてられたようで、内心でドキリとした。

someoneは自身のことを無口で希薄な存在だとばかり思っていたので、周りから心配されるはずがないと決めつけていた。だが、唯一隣りにいる斑虎だけはこちらの変化に気づいていたようだ。
彼に理由を聞けば、“数年来の付き合いだから親友の様子はわかって当然だ”と、自信ありげに鼻の下でも擦りながら語るだろう。
そんなちょっとした指摘にも内心嬉しくなり、珍しくsomeoneは口元を緩めた。

someone『大丈夫だよ。なんでもない』

斑虎『そうか?ならいいんだが』

彼は肩をすくめると、しなやかな足を伸ばすとともに、再びその身を芝の上に投げた。
過度に問い詰めてこず適度な距離感を保とうとするのも、彼の良いところだ。


682 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その2:2021/04/11(日) 21:07:41.555 ID:JjUMM2OMo
果たして、自分はどうしたいのか。

この一月、someoneは自分自身へのその問いに答えを出せず、ずっと悩み続けていた。
師に屈するのか。否、彼女の暴挙は許せない、だがたった一人の“親”への裏切りになる。
そもそも、師への報告を怠ったとして自分なんかに彼女を止めるほどの力があるのか。

ある思いが浮かんではすぐにそれを打ち消す否定が飛び出し、それを否定すれば別の観点から疑問が生まれる。
いくら考えても堂々巡りで、胸が押しつぶされるように苦しくなるばかりだった。

ただ、心の中で自問自答を続けるうちに一つだけはっきりと自覚したことがある。


それは、この平和で忙しい【会議所】の風景を、someoneは存外に愛しているということだった。


いま、からりとした空模様だった晩冬が過ぎ、季節は花の春へと移り、中庭の周りは甘い新緑の匂いに包まれ始めていた。
蕾を持つ花々は待ち焦がれていたようにいっせいに花を開き、そよ風に花弁が吹かれ花吹雪を散らし、人々はその中をかき分けながら忙しそうに行き交いしている。

祖国にも同じ風景が無かったのかというと決してそんなことはない。
向こうでも同じように新緑は芽吹いているだろうし、木漏れ日の中で穏やかな日を過ごせる場所はここ以外に幾つもあることをsomeoneは知っている。

だが、この【会議所】という場所はまるで万華鏡のようで、知れば知るほど妙で、呆れるほど色々なトラブルに巻き込まれながらも、決して飽きることがないのだ。
壮大な規模の【大戦】に、呆れるほどくだらない議題を取り上げる定例会議に、そして隣りにいる親友を始めとした想像を超えた情熱を宿す人間たち。
いい意味でここは雑多なのだ。

祖国愛も無ければ帰心が募ることもない。
いまのsomeoneにとって、この会議所自治区域こそが故郷だ。

この平和な風景を、日常を守りたい。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

683 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その3:2021/04/11(日) 21:08:52.617 ID:JjUMM2OMo
胸に秘める熱い思いを感じ、自分らしくもないと嗤う別の自分もいる。
かつてのsomeoneは冷静に極めて冷めた目線で、周りから一歩引いて全体を見回していた。
ただ、このような心境の変化に達したのも、今は考えすぎで少し感傷的な気分になっているのかもしれないし、そもそもの原因は隣りにいる情熱を体現したような男の気にあてられているからだとも思った。

さらに今までこの季節に特段特別な感情を抱いたことはなかったが、春は心機一転し一年の始まりの時期といわれる通り、ここにきて彼には先の心境に加え、もう一つ大きな意識の変化が芽生えようとしていた。


それは、他者への信頼と相談。


過去、決して彼が採ろうとしなかった選択肢で、一番不得手としてきた手段でもある。
これまで自らの行いを正当化するために何の意味も無いと断じ逃げてきた。

だが、彼はいま八方塞がりで、正直に言えば、誰かからの救いを求めていた。

今まで全ての取捨選択を自分で決め、顧みることなく進んできた。
それは今後も変わらないだろう。

だが、鬱蒼とし出口の見えない藪の中を突き進む不安気な自身の背中を、そっと押してくれるような。
あるいは導きの光を横で灯してくれるような、そんな相棒が隣りにいてほしい。

someoneはいま強くそう願っていた。

そして、その先導役を務められるのは、横で大欠伸(あくび)をかきながら惰眠を貪る彼しかいないという確信もあった。
果たして、この感情が今までの自身と比較し弱気からくるものかどうかは、今のsomeoneには分からない。確かにそうなのかもしれない。
だが、当時には選べなかった選択肢を、今は選ぶことができる。ただ、それを強みにしようとした。


684 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その4:2021/04/11(日) 21:10:05.759 ID:JjUMM2OMo
意を決し、someoneは声を上げた。

someone『一つ、頼みたいことがあるんだけど』

斑虎はすぐに上半身を起こしsomeoneを凝視した。
目を丸くし正に驚愕、といった表情だ。

斑虎『どうした。何かあったか?』

someone『そんな大したことじゃないよ。単に斑虎ならどう考えるかを聞いてみたいんだ』

斑虎『そうか。お前からの頼みなんて、これまで一度もなかったからな。びっくりした』

ホッと息をつき、だがなおも半信半疑な彼の顔を見て、彼を落ち着かせるためにsomeoneは敢えて口元を緩めてみせた。
心のなかで一拍おき、あらためてこれから話す内容を組み立てる。
恐らくこの内容で齟齬はないはずだ。

someone『たとえば。

たとえば、自身の過去にずっと縛られている男がいたとする。

男は育ての親にずっと恩義を感じていたが、ある日、彼はその親に心無い言葉をかけられ傷つき、裏切られたと感じて以来、誰も信じられなくなってしまった。
心の奥底では報いたくないと思っている。
でも彼は面と向かっては反論できず言いなりになるしかなかった』

自分でも不思議なほどに、言葉は流暢に口から出た。


685 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その5:2021/04/11(日) 21:11:19.212 ID:JjUMM2OMo
someone『ある時、離れた土地で暮らす親は高齢になり、老後の面倒を見てほしいと言い出した。親に報いる最大の好機が巡ってきた。

だが、男には今いる地で果たしたい夢があった。

男はどうすればいいか悩んでいる。大嫌いな親を見捨て自分の夢を優先すべきか、たとえ忌み嫌っているとしても、育ててくれたという恩に報いるべきか。
でも、もし前者を選んだら、親とは二度と顔を合わせることもできないだろう。
大嫌いな親のはずなのに、男は踏ん切りをつけずにひたすら悩んでいる。

…という小説を、いま読んでいて。ちょっと感情移入してたんだ。
斑虎ならどう考えるかなと思って』

最後に無理やり取り繕ったが、斑虎は疑いもせずに真剣な顔でうんうんと唸り、“なるほど”と一言呟いてから、さらりと言葉を発した。

斑虎『なんだ。そんなことで悩んでいるのか、その男は?
それなら、答えはとてもシンプルだろ』

someone『そうなの?』

驚き半分、期待半分で聞き返す。
芝生の上で腕を組みながら、彼は特に考える素振りも見せず語った。

斑虎『ああ。その男の、育ての親への気持ちは何だと言った?』

someone『気持ち…?育ての親には裏切られて以来、心の奥底では嫌っているという気持ちのこと?』

斑虎『ほらな?』


686 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その6:2021/04/11(日) 21:12:13.259 ID:JjUMM2OMo
斑虎は嵐が去った後の空のようにニカリと笑った。

斑虎『それが“答え”だ。
育ての親など気にせず、自分の心で感じていることを、行動すればいい』

今度はsomeoneが目を丸くする番だった。

someone『確かにそうだけど…でも、男は幼少期から育ててもらった恩義を、少なからず感じている。
一方では縁を切りたい、でももう一方では血縁が無くとも親子関係があるから躊躇している。この相反する気持ちにずっと悩まされているんだ』

斑虎『育ての恩を考慮することは、たしかに大事だ。美徳だとも思う。
だが、本当に大事なことをその男は見失っている。

生きていくのはその男自身だ。
いちばん大事なのは、今の“自分の気持ち”なんじゃないのか?』

someoneは一瞬、言葉を失った。

斑虎『過去に縛られる必要はない。

昔はどうあれ、今の自分が何をしたいか。
心で考えていることをいの一番に優先しなくちゃいけない。

追加でひとつ聞くが、その男の果たしたい夢というのは、別に世間一般的にみれば悪い行いではないんだよな?』

慌ててsomeoneは頷いた。満足気に斑虎は何度も頷いた。


687 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その7:2021/04/11(日) 21:13:15.279 ID:JjUMM2OMo
斑虎『なら、なおさらだ。

いいか、someone。俺も昔ばあちゃんに言われたことだが。


程度こそあれ、誰しも心の奥底には、“正義”の火というものを宿しているんだ。

この火っていうのは人によって大きさは様々だ。
義憤に駆られ燃え盛る者もいれば、不正ばかりをはたらき中にはもう火種が消えてしまっている人間だっている。

でもな。心の中の正義の火が消えていない限り、自分が正しいと思う考えや行動は…
言葉遊びになってしまうが。



本当に、全て正しいのさ。



第三者から見れば、それは育ての親を裏切る背信なのかもしれない。
でも、考え抜いた末に裏切るという行為が、自分を含め他者に正しい選択なのだと思うのならば。






それは、間違いなく“正義”になる』


688 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その8:2021/04/11(日) 21:14:27.260 ID:JjUMM2OMo
脳天を金槌で殴られたような衝撃があった。

正義。

自分に最も程遠いものだと感じていた言葉を、目の前の親友は繰り返し使った。

正義という言葉は、実のところ苦手だった。
これまでのsomeoneの人生といえば、魔術師791に敷かれたレールの上を進む旅客列車のようなものだった。学校生活を与えられ、卒業後は働き口を提供され今に至る。
細かな地点での選択では自らの意志が介在するものの、俯瞰すれば少しカーブを曲がりながら遠回りしているだけで、結局は彼女の意志に沿いながら目的地へと向かっているに過ぎない。

彼女は公国の統一のため、魔法学校を起ち上げ単身で【会議所】に乗り込み、宮廷魔術師にまで成り上がった。過程や思想はどうあれ、全て自らの“正義”に基づき行動しているのだ。
対して、自分は結局彼女の言うところの手駒として日々を過ごしている。
そこに意思はなく、ここに決定的な彼女との差があった。
これまで悩んできた原因も、親への不義理という道徳的感情以外に、彼女との絶対的な思考の差を心では実感していたことによる卑下にもあった。

あらためて認めなければいけない。過去の自分は、目標に向かい邁進していた791に憧れていたと。

民衆を率い、国を起ち上げる彼らの掲げる正義の根本は、自らが正しいと信じ行動を起こす原動力だ。心から信じるものがあるからこそ、人は命がけで戦えるのである。
逆の面から言えば、信じるものがないのに戦えるはずがない。いわんや、自分自身を信じられず、他者と対峙することなどできる筈もない。


689 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その9:2021/04/11(日) 21:15:47.137 ID:JjUMM2OMo
someoneは勘違いをしていた。

正義とは、絶対的な結論を導く概念ではない。
人の数だけ正義が存在するのだ。

当たり前で普遍の真理に、何一つ気づけていなかった。
彼女が自分の掲げた正義の下でオレオ王国に侵攻しようとするのであれば、自らにもその暴挙を止め【会議所】を守るという正義を振りかざしても良い。
いわば、これは正義同士の対峙なのだ。

初めて、someoneは強大な存在と化す師と対等に対決するという実感を持ち、同時に麗らかな日の下だというのに、身体は不自然にも小刻みに震え始めた。
いくら口では強がっても深層心理では不安と恐怖で屈しそうになる。
彼は目を閉じ、心臓の中、深層心理の奥底に灯っているであろう “正義の火”のことをさっそく考えた。
小さな、だが暖かな火種を想像すると、彼の思いに呼応するようにその火は大きさを増し、すぐに身体の中心からじんわりと温かな熱が身体中に流れるようにポカポカとし始めた。
真冬の日に焚き火に手をかざした時の感覚と似ていた。

斑虎『まあ、ざっとこんなところだな。

別にいいんじゃないか?裏切ったって。
後ですべて終わったら“ごめんなさい”って謝ればいいんだよ。物分りのいい親は大抵許してくれるさ。

まあそれでも許されないこともあるが、そのときは…まあその時だな』

力強い論調から一転し最後の煮え切らない言葉に、思わずsomeoneはふっと吹き出してしまった。


690 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その10:2021/04/11(日) 21:17:12.817 ID:JjUMM2OMo
someone『なんだよ、それ。でも、斑虎らしいな』

斑虎『そうだろう?でもおもしろい話だな。なんて小説だ?今度貸してくれよ』

someone『読み終わったらね。でも…ありがとう、斑虎』

心を縛り付ける太くて重い鎖が、静かに溶けていく実感を持った。


魔術師791との訣別と対峙。
それは並大抵の努力では生き残ることはできないだろう。

さらに、someoneの掲げる“正義”には、彼女の暴挙を食い止める以外に別の条件も付記されている。
それは“【会議所】を今のまま公明正大に、平和を維持させる”こと。

彼(か)の魔王の歯牙から、この自治区域を守りたい。
平和なこの風景で、隣で斑虎と笑いあっていたい。

カキシード公国のsomeoneとしてではなく、きのこ軍兵士someoneとしてそう強く感じた。


691 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その11:2021/04/11(日) 21:17:57.686 ID:JjUMM2OMo
自らの抱く“正義”の体現のため、someoneは覚悟を決めた。

独りの力ではどうしても限界がある。だが、斑虎をこの問題に巻き込むには流石にリスクが大きく躊躇われた。

そして彼はすぐに、魔王と対峙する際に味方になれば強力な人物が近くにいることに気がついた。
とてつもない危険が付きまとうことは理解している。信頼に足る人物かも不透明だ。だが、試す価値はある。


“いつだって、世界を変えるのはド阿呆の振る舞いからである”。かつてどこかで読んだ本に書かれていた一文をふと思い出す。
敷かれたレールの上から独り離れたsomeoneはもう止まらない。今だけは、目的のために手段を選ばない師の考えを少し理解できた。

大人になったということなのかもしれない。
強大な魔術師に対峙するという突拍子もない行動は冷静に考えれば無謀だ。

生まれてからあらゆる事に無頓着に生きてきた彼は今、初めて熱き心でその情動を突き動かしていた。
幼少期にそのような経験をしてこなかった分、彼の振る舞いは、他の大人たちの目には青臭くさぞ不格好に映ることだろう。寧ろそれでいい。

彼はずっと子どものままでいたいと思った。

想像もつかない突拍子のない行動で、大人たちを翻弄させられるというのならば、いっそ成りきってみようと思ったのだ。



とてつもないド阿呆に。


692 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その12:2021/04/11(日) 21:18:40.952 ID:JjUMM2OMo
【きのこたけのこ会議所自治区域 議案チャットサロン 2ヶ月前】

滝本『それではこれにて会議を終了とします。お疲れさまでした』

室内に滝本の抑揚のない声が響き、静寂に包まれていた議場は途端に喧騒を取り戻した。
いつもの会議の風景だ。人々は熱心に会議に参加こそするが、難しい議題になると途端に閉口する。

困り果てた議長の滝本やその他の幹部級の兵士たちが案を出し合い、それを見て参加者は何食わぬ顔で議論を吟味する“振り”をして、最後には可決する。
公国で行われていた791の独断よりかは幾らか民主的ではあるが、些か偏ったものであると言わざるをえない。
この点、【会議所】はまだまだ不完全だった。

昼食のため足早に会議室を後にする兵士たちを尻目に、末席のsomeoneは席を立たずただじっと待ち続けた。
そのうち、数分も経たずに室内には滝本とsomeoneだけが残り、書類をまとめ終わった彼はようやくこちらに気づき、不思議そうな面持ちで近づいてきた。

滝本『おや、someoneさん。今日はお疲れさまでした。
そういえば、この間の【制圧制】ルールの【大戦】も好評でしたね。
貴方には¢(せんと)さん以来のルールクリエイターとして、これからも大いに期待していますよ』

someone『…』

滝本は、顔を俯向け黙ったままのsomeoneを不審に思い、顔を曇らせた。

滝本『どうかしましたか?』

someone『…僕は、【会議所】の“秘密”を知っています』


693 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の火編その13:2021/04/11(日) 21:19:51.369 ID:JjUMM2OMo
滝本『秘密、とは?』

彼は特に動揺も見せず、いつもの穏やかな口調で言葉を返した。見事なまでの平静さだと舌を巻く。普通の人間であれば面食らうか押し黙るが、会話の呼吸に乱れは一切ない。
しかし、普段の口調の奥には他者を探るような鋭さが垣間見える。この手の気は791でも同じだったから慣れている。
こちらの緊張感が彼にも伝わっているからかもしれない。someoneは慎重に言葉を選びながら話した。

someone『ケーキ教団。“きのたけのダイダラボッチ”。密造武器。
…この単語を言えば十分ですよね?』

滝本『…』

さすがの彼も何の返事もせず、暫く押し黙ったままでいた。
数分は経っただろうか、実際は数十秒程度だったのかもしれない。
焦れたsomeoneが、伏せていた目を上げると。

滝本『どこで、それを?』

カッと目を見開いた滝本が、いつの間にか翡翠(ひすい)から紅蓮に染まりきった瞳でこちらを見下ろしていた。
羽織っているアオザイの深紫(ふかむらさき)にボサボサであちこちに跳ねた青髪とあわせると、まるで神話に出てくる半獣のような禍々しさを放っている。

滝本『聞かせてください、someoneさん』

有無を言わさず無表情で凄む滝本に、someoneは怖気づくことなく言葉を返した。

someone『…私はなにも秘密を明かそうとしているわけではありません。寧ろ、その逆です』

滝本は初めて眉を潜めた。秘めていた言葉を、someoneはここで初めて明かした。

someone『僕も滝本さんたちの“仲間”に入れてほしいんです』


694 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/04/11(日) 21:21:28.565 ID:JjUMM2OMo
権謀渦巻く世界へようこそ。

695 名前:たけのこ軍:2021/04/11(日) 21:23:48.337 ID:6gOpr9uQ0
虎ちゃんがかっこいい

696 名前:きのこ軍:2021/04/17(土) 08:25:51.771 ID:M11AJfBEo
今週はお休みでごわす。

697 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その1:2021/04/25(日) 23:00:34.019 ID:3UqZRZxQo
【きのこたけのこ会議所自治区域 議長室 2ヶ月前】

議長室に入るのは三年前に【会議所】に初めて訪れた時以来だ。ダークブラウン色に綺麗に塗装された板張りの床と執務机が、厳かな雰囲気を創り出している。
この部屋の粛然とした様子と無機質さは息苦しくいつ来ても落ち着かない。
壮大な風景ながら同じように無機質だった魔術師の間を彷彿とさせるものがあり、そう思う度に比べること自体が滝本に失礼だと思っていたが、なんということはない。権謀術策の面で言えば彼らは同類だったのだ。

someoneは自らの生い立ちから今日に至る葛藤まで、ほとんど全てを正直に話した。
自らが里子に出され、魔法学校に入学したこと。791に師事する中で魔法に目覚めたこと。そして、卒業後、彼女に心無い言葉をかけられ裏切られ、本性を知ったこと。彼女の指示で【会議所】に向かったこと。

目の前の議長の提案で議長室に移った後に、言葉は少ないながら事細かに詳細を話し終えると、彼はただ無表情のまま、ボサボサ頭を何度か掻いた。

滝本『つまり。貴方は、当初の経歴にある生まれは公国、育ちはシロクマ皇国という出自はデタラメで、本当はカキシード公国の魔法学校出身で、かつ魔術師791の一番弟子でもあり。
三年前に彼女の命で【会議所】の動向を探るために此処に来た、と。そういうことですね?』

someone『はい』

対面で間髪をいれず頷くsomeoneを見て、滝本は両のツリ目をさらに鋭くした。


698 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その2:2021/04/25(日) 23:01:05.331 ID:3UqZRZxQo
滝本『そして加古川さんの封魔文書を偶然手に入れ、我々の計画に気がついたというわけですか。
なるほど。つくづく、あの人の行動は我々にとって大痛手だったな…まあ、でも殺そうが生かそうが、結果は同じ。生かした分だけまだ価値があるな』

ふっと息を吐き自嘲気味に青髪を掻く彼の行動からは、あまり真剣味が感じられない。
まるで【大戦】でたけのこ軍に負けたきのこ軍兵士のような真剣味のなさだ。
口調もどこか他人事のように感じられるのは、彼の話し方によるものからかどうか、someoneには未だその判断がついていない。

someone『そうでしょうか?寧ろ僕の提案は滝本さんたちにとって悪い話ではないはずです』

滝本『ほう?どんな内容です?』

すると、滝本は途端に翡翠(ひすい)の目をギラつからせsomeoneを射抜いた。
someoneはこれまで会議等の様子から、彼のことを無表情で感情表現が乏しい人間だと思っていた。だが、いざ接してみると意外と機微な変化が多い人間だと感じた。
参謀が彼に小言を多く言っていた理由の一端を少し理解できた気がする。

someone『それを語る前に、僕の覚悟を示します。
まず僕に、“制約の呪文”をかけてください』

滝本は思わず口を開け、信じられないという表情をして見せた。

滝本『本気で言っているんですか?貴方は791さんのスパイだ。私が制約の呪文をかければ。
今後彼女に我々のことを話そうとしたら、制約の呪文は貴方の身体を途端に蝕み――』

―― 生命を落とすことになりますよ。


699 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その3:2021/04/25(日) 23:01:58.000 ID:3UqZRZxQo
someoneはその言葉には答えず、ポケットに仕舞っていたパイプを静かに取り出し、指先に灯した火種で皿に火を付けてみせた。滝本は達観した彼の様子にさらに衝撃を覚えた様子だった。

余裕の表情を見せなければいけない。心の中で何度も平静になれと命じた。
交渉とは焦りを見せた方の負けだ。

someone『僕を信用される立場でないことは分かっています。
この場を離れ、僕がすぐに791先生の下に行けば、滝本さんたちの計画は全ておじゃんです。そして、その可能性が残る限り、僕は加古川さんのようにいつ斃れるかも分からない。
それでは困るんです。

だから、信用を得るために“先生に会議所の情報を明かせば生命を落とす”という制約を課してください。話はそれからです』

パイプを静かに蒸かせる。口から出た紫煙が優雅な室内に静かに浸透していく。
この煙は、彼の最後の迷いを断ち切った。

逃げるためではない、先に進む。
早鐘を打つ心臓の鼓動が、少し和らいだ気がした。

滝本『これはこれは。とんでもない新人が入ってきたものだ』

椅子を軋ませながら、滝本は喜んだように手を叩いた。

毒を食らわば皿まで。覚悟を決める。
先人たちの残した情報をもとにうまく立ち回り、カキシード公国の、791の野望を打ち砕くのだ。
someoneは心の中で何度も自分をそう鼓舞し続けた。


700 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その4:2021/04/25(日) 23:02:54.417 ID:3UqZRZxQo
滝本『分かりました。貴方の覚悟に乗じ、制約の呪文をかけましょう。
それで貴方の狙いはなんです?公国のスパイであるその身をこちらに投じる目的を教えて下さい』

someone『その答えの前に、こちらからの質問にも一つ答えてください。
承知の通り、公国は王国を攻めようとしている。
では、【会議所】は何の目的で陸戦兵器を用意しているのですか?』

哀しそうに滝本は視線を机に落とした。

滝本『…公国に武器を供与するのが我々の目的ではなく、未来への試金石のために“自衛用”に陸戦兵器を作ることが本当の目的でした。

表立って新兵器を作れば、世界は混乱し公国のような大国に目をつけられる可能性がある。世界会議の査問にかけられれば、これまで築いてきた我々の努力は全て泡になる。
だから、加古川さんに対し非情ともいえる手段をとらざるをえなかったのです。

新兵器開発には魔力要りの角砂糖が我々にはどうしても必要だったが、表のルートからではどうしても手に入らずこのような手を取りました。
それに乗じ、カキシード公国はオレオ王国を侵略しようとしている。
我々も責任の一端を感じています。

完成した陸戦兵器<サッカロイド>は、公国が王国領に侵入した際に投入する予定です。魔法も効かない硬さで公国軍を蹴散らし、たちまち王国を救うことでしょう』

淀みなく彼はそう答えた。

当時、彼の真摯な訴えを信じたが、今にして思い返せば分かる。
彼はとんでもない詭弁家だった。そして、この重要な場面ですんなりと嘘をつくだけの胆力と策謀力が備わっていた。
当時のsomeoneはまんまとのせられたのである。


701 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その5:2021/04/25(日) 23:04:57.064 ID:3UqZRZxQo
someone『あくまで王国を救うために、有事の際に陸戦兵器を投入すると?
公国と戦う覚悟をお持ちということですか』

滝本『勿論、最悪の場合です。ですが、我々は自治区域として他の国家よりも柔軟に動けます。
それこそ、突発的な戦乱に介入することぐらいはわけもない。国家でもないので自主的な呼びかけで軍を編成することだってできる。
最近、他国の重鎮を招待し【大戦】に参加してもらっているのも、そうした時に備えた根回しも兼ねている。外交策のひとつなのですよ』

まるで会議の答弁の時のように、滝本は抑揚無く流暢に答えた。
someoneは暫し思案するようにモクモクとパイプを蒸かせていたが、一度だけうなずき彼の考えに理解を示した。

someone『僕の目的は…791先生の、いえ“魔術師”791の横暴を止めることです。
あの人は罪なき数多の王国民や公国民を、自分の権限を拡大させたいがために危険に晒している。人の命をおもちゃの積み木よりも大事に感じずぞんざいに扱っている。
僕はそうした考えを受け入れることは断じてできない。狂人の思想を止めないといけない。だから僕は、貴方がたに協力します』

そこでsomeoneは一度言葉を切り、滝本の背後に広がる外の様子を窓越しに見た。今日も晴れ晴れとした天気だ。
【会議所】一帯は地域的にあまり雨が降らないのか、カラリとした晴れ模様が多い。この時間では、芝生の上でお弁当を広げ食べている人間も多いことだろう。

someone『さらに言えば、僕はこの平和で中立な“公明正大”な【会議所】を守りたい。
もし、公国が王国侵攻を敢行した際には、【会議所】側の人間として王国解放のために動きます。
これが滝本さんたちに協力する第二の理由です』

その言葉に滝本は意外そうに目を丸くしたが、すぐにその目を細め口の端をつりあげるように笑った。


702 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その6:2021/04/25(日) 23:05:45.640 ID:3UqZRZxQo
滝本『結構。貴方は勇敢な魔法使いです。
戦争を止めることができた暁には、世界を救った英雄として讃えられることでしょう』

滝本は右手を振り上げた。someoneの足元に薄白い光とともに魔法陣が描かれた。
“制約の呪文”が施行される。

滝本『汝、someoneに問う。偽の情報を言えば然るべき罰を覚悟せよ。
次に問う内容に汝が誓いその後相反する行動を取った際には、内臓にたぎる火が汝の罪を裁くだろう。

汝は、魔術師791に【会議所】の一切の秘密を喋らんと誓うか?』

someone『誓います』

途端に眩い光がsomeoneの全身を覆った。

痛みはない。ただ身体の内部に見えない鎖が巻き付いたような、そんな感触がある。
光は数秒ほどで消え失せると、満面の笑みで滝本は立ち上がり拍手で讃えた。

滝本『おめでとう。無事、制約の呪文は施行されました』

誰にとって“おめでとう”なのか、当然のことながらsomeoneはこの時知る由もなかった。


703 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その7:2021/04/25(日) 23:07:00.507 ID:3UqZRZxQo
【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団本部 メイジ武器庫 2ヶ月前】

先日の大戦後に滝本から呼び出しをうけ、初めてメイジ武器庫に足を踏み入れたsomeoneは、その規模の大きさにただただ驚愕した。

教団本部の地下に広がる見上げるほどに巨大な格納庫。
地上にある朽ちた古城とは打って変わり、近代設備で固められた計器類や機械類の数々。そして眼前に広がる巨人たちの横たわった姿。

加古川の手紙の通りの無機質な巨人たちの姿に驚愕したのも勿論だが、何より思った以上に【会議所】が大掛かりな準備をしているその事実に、someoneは驚いていた。

同時に、心の中にふとした疑問が湧く。


これではまるで、【会議所】が戦争の準備をしているみたいではないか、と。


滝本『武器庫内の案内は¢さんにお任せします』

¢『こっちだ。丁度“9号機”の歩行テストが終わったところだな』

滝本を始めとした三人の【会議所】重鎮と話を交わし、再び会議室から出たsomeoneは¢に連れられ会議室から出た。そして、丁度、眼前で動く透明体の巨人を目にした。

ただ、見上げるのが精一杯だった。
格納庫のあちこちから放たれた照明光を反射することなく全てを透過するその巨体は、近くで見ても果たしてそこに実体があるのか疑問を持ってしまうほどに完璧なまでに透き通っていた。
巨躯の先にちょこんと付いている顔には目も鼻も口もなく、彫刻のようにのっぺりとしている。唯一、心臓部に微かに色のついた靄(もや)のようなものが揺らめいているのが肉眼で確認できる程度だ。
目が慣れてくれば、その靄を起点として、各部の顔、胴体、手足といった全体像を視認できるようになってきた。


704 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その8:2021/04/25(日) 23:09:16.984 ID:3UqZRZxQo
someone『これが、陸戦兵器<サッカロイド>…ッ』

¢『先程話したが、この兵器には12人の英霊の魂がそれぞれ埋め込まれている。
さらに身体は超コーティングされた飴でかつ流線型の完成されたこのフォルムでは、通常の銃火器や魔法の攻撃は反射し受け付けない』

足を止めて眺めていたsomeoneに、横から¢が誇らしげに語った。
開発者としての矜持だろうか、その口はいつもよりも饒舌に回っている。この巨人たちにどれ程の思いを込められているのか、それまではsomeoneには分からない。

『ハッハッハ。これが研究の成果だよ』

すると、先程まで巨人の足元で計器をイジっていた一人の研究者が、大きな笑い声を上げながら近づいてきた。
someoneの前に立ったその人間は近くで見ると、白髪にぼうぼうの白ひげ、そしてシワ混じりの汚れた白衣を着こなす、いかにも非正規な老化学者といった風貌をしていた。

話には聞いている。彼がきのこ軍 化学班(かがくはん)だろう。
本計画における“頭脳”と呼ぶべき中心的人物だ。

someone『正直言って驚きました。僕には科学が分かりませんが…一目で凄いとわかります』

化学班『ハッハッハ。そこまで褒められるとこそばゆいなッ。
なに、老い先短いこの身に残された楽しみだ。生命を削ってでも取り組むさ』

老人は愉快そうに笑った。朗らかに笑うその姿からは、とても目の前の兵器群を作り出した科学者とは思えない。
近所に住む老人のような親しみやすさを覚えた。


705 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その9:2021/04/25(日) 23:11:19.258 ID:3UqZRZxQo
『ただ、魂との融合はまだ完全ではありません。現在、9体までの動作確認を終えていますが、行動時25%の割合で、期待した動作をせずに静止する傾向が見られています。
恐らく魂と器が馴染んでいないことが原因と考えられます』

突然、聞き慣れない声で話しかけられ、someoneはすぐに眉をひそめた。
辺りを見回しても¢と化学班しか立っておらず、はるか離れた前方には数人の研究者が慌ただしく走り回っているだけだ。

『ああ、ここですよ。下です』

彼の様子を見て、慣れた様子で声の主は再度声を発した。
言われたとおり地面に目を向けると、化学班の足元に、いつの間にか白猫がお行儀よく背筋を伸ばし座っていた。より正確に言えば、白衣を着た猫だ。
someoneと目が合うと、白猫は半目ながら片足を上げ“やあ”と、確かにその口から先程の声色で声を発した。思わず目を丸くした。

someone『…すみません。彼は【使い魔】かなにかでしょうか?』

791の授業でも、何度か動物の形で【使い魔】を使役している様子は見たことがある。
ただ、ここまでハッキリとした意思表示をする個体に出会ったのは初めてだ。使役するとなれば彼女ほどの魔力を有していないと難しいだろう。
近くに強力な魔法使いがいるのかもしれないと思うと途端に薄らいでいた警戒感が強まったのだが。


706 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その10:2021/04/25(日) 23:12:25.735 ID:3UqZRZxQo
彼の言葉に一瞬周りはキョトンとしたように黙りこみ、すぐに化学班を筆頭に腹を抱え笑い始めた。

化学班『ワハハハッ。何を言い出すと思えば、95黒(くごくろ)君。君は魔法のプロに言わせると、【使い魔】なのだそうだよ』

周りの反応を見てすぐに自らの過ちに気づき、思わずsomeoneは耳まで赤くした。

someone『すみません…とても失礼なことを言いました』

化学班と¢が肩を震わせる中、ただ目の前の95黒だけが、猫特有のなで肩を精一杯動かしすくめる素振りを見せた。

95黒『いえ、良いんです。勘違いされるのも無理はありません。まあ、使い魔と言われたのは初めてですが。
申し遅れました、私はきのこ軍 95黒(くごくろ)。元はれっきとした人間ですよ。
ちょっと過去の研究の影響で身体は猫になっていますが…』

someone『それは集計班さんの儀術(ぎじゅつ)の結果ということですか?』

彼の冷静な自己紹介が、恥ずかしさを和らげるいい機会にもなった。思わずsomeoneは気恥ずかしさを打ち消すように、いつもは聞かない他人の事情にまで片首を突っ込む羽目になった。
彼は冷静な表情で前足を突き出し、“違います”と告げた。人間であればキッチリとした科学者であることを想起させる動きだ。

95黒『個人的に、この件より前に化学班さんと一緒に生体実験をやっていたことがありましてね。
色々な有機物を融合させ新たな生命体を造ろうとしていたのですがうまくいかなくて』

化学班『その時に、集計班さんの【うまかリボーン】があれば実験は完璧にうまくいっていたんだろうがね』

老化学者のしみじみとした語りに、彼の足元で白猫もしたり顔で深く頷いた。


707 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その11:2021/04/25(日) 23:14:31.318 ID:3UqZRZxQo
95黒『それで、ある時実験が暴走してしまい、たまたま検体にしていた猫と近くにいた私が合体してしまったのですよ。奇跡的に意識は保ったままでね。
まあかなり、猫の成分が多めですがね…』

“こうして二足歩行もできますよ”との言葉とともに、すらりと両足で立ち上がった姿勢の良さは人間のときの名残を感じさせた。

化学班『いわばその筋の研究を進めていた我々にとって、集計さんの生み出した儀術は、理想的に魂を抜き出す最適なツールだったわけだよ。
正に渡りに船。この研究に携われて、彼には感謝の思いしかない』

この二人は、正確に言えば一人と一匹は、集計班の誘いで五年前から陸戦兵器の製造計画に関与しているという。
五年。たった五年で、十二体の“魂”を持つ巨人を創り上げた。驚くべき技術力と実行力だ。
公国内で791が進めようとしている内部改革とは違う方向で目をみはる物がある。

¢『ただ、その“うまかリボーン”で抜き出した魂の定着化は現状、完璧ではない。
こうしてsomeoneさんを呼んだのは、魔法使いとしてあの人の儀術により抜き出した魂を器に上手に詰める方法について、意見を貰いたいからなんよ』

someoneは滝本から粗方の事情を聞いていた。
まさか、あの名高い集計班が791と同じ“魔術師”で、“うまかリボーン”という儀術で人の魂を抽出する術を編み出していたとは驚かされた。

改めて、透き通った胴体の中心にゆらゆらと揺らめく英霊の魂に目をやる。
魔法と科学とは本来、文明の歴史を紐解けば必ずしも互いに相容れるものではない。なぜなら、魔法文明はカキシード公国で栄え、当の公国自身が科学を半ば放棄してきたからである。
だが、目の前にそびえ立つ、飴でできた結晶体は紛れもなく魔法と科学の融合に因る産物だ。霊魂の存在そのものは魔法界では容認されてきたが、それを実体化する術など高度で狂気に過ぎる。
今のsomeoneには未だに術の触りすら思いつかない。


708 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その12:2021/04/25(日) 23:16:45.564 ID:3UqZRZxQo
先刻の話の中で、someoneはこの話に協力することを承諾した。

滝本、¢、参謀といった三重鎮での話し合いの中に飛び込むことは内心で緊張こそしたが、自分なりに考え結論を出したつもりだ。
791の野望を食い止め【会議所】を守るためには、現状彼らに手を貸すことが最善だと感じたのだ。
即ち、陸戦兵器<サッカロイド>の完成度を高め、公国軍の進撃を止め王国を解放するシナリオまで視野に見据えてのことである。

そのために、魂という実体無き概念を生命体に繋ぎ止めるためにはどうすればいいか。
当然のことながら今まで考えたこともなかった議題に直面したsomeoneは、状況把握も兼ねて考えを整理することにした。

someone『今はどのように収めているんですか?』

目の前の化学班は、待っていましたといわんばかりに歯をむき出しに笑った。

化学班『色々な方法を試したが、中々うまくいかん。
幾つか試してみたが、最終的には密閉性の高い巨大なチューブを用意して器と魂の入っている瓶とをつなぐ方法が、最も魂のロスを少なく安定させられる方法だという結論に至った』

95黒『この方法も完全ではありません。
とはいえ、魂の数は限られているので無闇に実験をするにも慎重にならざるを得ない。

残念ながら試験的な方法を繰り返す中で、少なからず魂のロスは起こっているのです。
その分、兵器の性能は下がり我々としてもこれ以上の失敗は避けたい。
“うまかリボーン”で抽出した魔法のメカニズムと定着率に、何か相関関係があるのではないかと個人的には睨んでいます』

人の生命を扱っているという大前提を忘れているのではないかと疑うほどに、彼らはただ与えられた課題を解決するためにあらゆる試行錯誤を繰り返す研究者としての側面をのぞかせていた。


709 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その13:2021/04/25(日) 23:17:37.125 ID:3UqZRZxQo
someoneも敢えて倫理観を一度取り払い、顎に手を添え、魂の定着化について考えてみた。

儀術“うまかリボーン”は、恐らく二つの術式から成り立っている。
対象者自身を封印するための呪術と、魂という概念を実体化させる召喚術だ。召喚術で創り出された魂は形を持つ有機物となる。

だが、先程までの話を聞くと魂の実体はとても儚く脆い。恐らく外気に触れる中で、実体を保つことができず瓦解していくのだろう。ドライアイスのように外気に触れれば気体に昇華するメカニズムと似ている。
さすがの集計班も、魂を強固な殻で覆うことまではできなかったということだろう。

someone『魂とはいわば情報の集合体です。

95黒さんの言うように、なるべくロスが少ないほうがいいでしょう。
物理的な移動は衝撃や、知らずのうちに魂の瓦解を招いている恐れがある。避けたいところです』

¢『集計さんも、当時は特殊な環境下に細工した魔法瓶の中に魂を閉じ込めていた。
つまりは魂を実体化させている環境が外気に合わず融解、もしくは昇華していくということか』

こちらの考えなど見え透いているかのように、¢はすぐに理解を示してみせた。
事前に想定していたのかも知れないが、改めて彼を含めた科学者たちの思考力と理解力の早さには驚かされる。


710 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その14:2021/04/25(日) 23:19:03.807 ID:3UqZRZxQo
someone『魂を魔法の成果物とすれば、対象物までの移動も魔法に任せるのが最適です。

古来より、ある魔法での成果物は同系統の魔法との親和性が非常に高いことが知られています。
恐らく“うまかリボーン”は呪術式、召喚術式のどちらをも組み合わせた高位魔術。
ですので、どちらの術式でも拒絶反応は起こらないはずです。

何らかの移動魔法を用い、魂の中の情報だけでも器に送り込める手段があれば一番いいんですけど…』

頭の中で理論を組み立てながらゆっくりと喋る。
考えの基礎は全て、791の授業で教わったものばかりだ。
こうした時、嫌でも彼女の顔を思い出してしまうのは少し心苦しい。未だトラウマを乗り越えられていない証でもある。

彼の考察に、化学班たちは互いに顔を見合わせ、口元を緩めた。

¢『貴方を呼んだ滝本さんの判断は間違っていなかった。
someoneさん、貴方は優秀な魔法使いなんよ。おかげで僕らの仮説の正しさが証明された』

someone『…どういうことですか?』

¢『いま、someoneさんの話した内容は、僕らもプランの一つとして考えていた。
いま、識者である貴方からの情報で半ば確信に変わった。
そして、ぼくたちには移動魔法の“目処”がついている。それも特別、強力なものだ』


711 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その15:2021/04/25(日) 23:20:58.166 ID:3UqZRZxQo
先程までそのような話は上がっていなかった。敢えてsomeoneの考えを聞くために伏せていたのだろう。
隠されていたことに特段怒りは覚えないが、何か得体の知れない気味悪さが身体中を駆け巡る。いったいこの悪い予感はなんだろうか。

¢『詳しい話は一度戻って、参謀から聞くといいんよ』

彼は舌足らずな口調で喋り終えると、静かに嗤った。
焦げ茶のフードの中から肩を震わせるその姿は、いつかNo.11(いれぶん)が彼を喩える際に使った“死の商人”をそのまま思わせる不気味さだった。



参謀『魂の定着化を解決するのは、Tejas(てはす)や。奴の協力がいる』

¢の話で先程の会議室に戻ると、それを見越していたのか開口一番に参謀B’Z(ぼーず)からそう告げられ、話の突拍子の無さにsomeoneの心はひどく騒いだ。

someone『Tejasさん?どうして…』

Tejasといえば、つい最近【会議所】に加入したきのこ軍兵士だ。
自分よりさらに若く、時間ごとに行動を区切る程のやや神経質な人間だと聞いている。さらに自室でひたすら機械弄りに没頭する姿は、彼の独特の雰囲気とあわせ半ば近寄りがたい気を発している。
在りし日の一匹狼の自分のようで、少し親近感を覚えていたところだ。


712 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その16:2021/04/25(日) 23:22:41.203 ID:3UqZRZxQo
困惑気のsomeoneを横目に、参謀は静かに湯呑の茶を啜り終えると片手で席に座るよう指示した。
手前の椅子を引き寄せ座ったsomeoneを見て、彼はようやく話し始めた。

参謀『Tejasはここ一年で【会議所】に加入した新入りだが、まあ変人やん?
他人と混ざらず部屋で趣味の機械弄り、部屋の前には機械か何かのガラクタの山、会議には出席するが会議時間の延長には応えず、必ず決まった時間で退室していく。
奴は大胆でいてまた繊細や』

滝本『それだけ聞くと、たけのこ軍の社長(しゃちょう)を思い出しますね』

参謀『よせやい。奴はベクトルの違う変人やん』

手にしたおにぎりを頬張りながら茶々を入れる滝本に、参謀はしかめっ面で返した。
たけのこ軍 社長は彼らと同時期に【会議所】に加入した古参兵士だが、その言動や行動の偏屈さは群を抜いたものだと、斑虎から聞いたことがある。

参謀『社長の話は、今はどうでもええやに。

それで、Tejasの話に戻るが、奴は真夏でもずっと長袖を羽織っているやろ?少し不思議に思っとったが、大して気にもしてなかった。

ところが、最近旅行でたまたまあいつの地元近くに立ち寄ったことがあってな。
その時に、地元の住民から奴にまつわる不思議な話を聞いたんや。

曰く、“奴の右腕が青く光る瞬間を見たことがある”とな』


713 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その17:2021/04/25(日) 23:24:39.960 ID:3UqZRZxQo
someone『…どういうことですか?』

滝本『ここからは私が話しましょう』

おにぎりを頬張り終えた滝本が参謀の話を引き継いだ。

滝本『彼は小さい頃から筋金入りのワルでね。

幼い頃は生意気で度胸のある小さなガキ大将だったんですが、ある時を境に決定的に非行へと走るようになったそうなんです。
思春期の真っ只中だったのかもしれません。

ただ、不思議なのは仲間との交流も一切絶ち、まるで何かに取り憑かれたように独りで物盗りにはしるようになったとのことなのです。
それで仲間も一気に彼から離れていってしまった』

話の着地点が一切見えない。
彼らはなぜ、Tejasの身の上話を話し始めたのだろうか。

滝本『そこで、彼の当時のお仲間に話を聞いてみたんです。彼が変わったのは一体いつからだ、とね。

すると、とても興味深い話をしてくれました。

今から15年前。
彼らはとある老人の家に忍び込んだ。その時に最後まで残ったTejasさんがその老人から魔法の呪いをかけられたのを見たときから、彼の様子がおかしくなったと言うんです。
正確には、彼の残った小屋から青白い閃光が発せられるのを見ただけだそうですが』


714 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その18:2021/04/25(日) 23:27:51.388 ID:3UqZRZxQo
Tejasは老人から呪いをかけられた。恐らく呪術形式の呪いだろう。そのような事実は一切知らなかった。
誰からも語られたことがないところを見ると、彼自身が秘密にしていたのだろう。過去の後ろめたさからか、はたまた魔法の制約に因るものかは伺いしれない。

考えを整理するためにポケットからパイプを取り出し二人の前に掲げると、滝本は“どうぞ”と手のひらを見せ応じた。

滝本『私にはピンとくるものがありました。
詳細は割愛しますが、私は老人の正体を知っている。

彼はとある“魔術師”だった。
丁度その頃、思想の違いから一番弟子と共に起ち上げた楽園を一人去り、ほうぼうを旅していた。そんな最中に彼はTejasさんのいる地へ流れ着いた。

元々、その“魔術師”は再生の儀術を研究していた。
彼の願いは、あらゆる生き物と繋がることだった。
枯れかけている植物に話しかけ、“甦れ”という声を送れば、自生の残っている植物であれば再活ができるといった具合に、万物と会話をして操ろうとしたのです。

何の因果か私は彼のことを“よく”知っていましてね。
彼の性格は手にとるようによく分かるし、そういった研究をしていたことも知っています』

やけに具体的な彼の話に少し気に掛かったが、最後まで聞くことにした。
だが、先程から感じている悪い予感は、ここにきて胸騒へと変わり心臓が早鐘を打つように、someone自身に警告を発し始めた。

なぜだろう。自分は前にも似たような場面に居合わせたことがある。

そして、いざ本題とばかりに滝本は下卑た笑みを浮かべた。


715 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その19:2021/04/25(日) 23:30:18.617 ID:3UqZRZxQo
滝本『つまり、情報を合わせれば。
Tejasさんは15年前にその“魔術師”から呪いをかけられ、それ以降、森羅万象の有機物と “繋がる”術を得たのです。
そう考えられる証左は彼の周りに幾つも見受けられます。

この仮説が正しければ、彼の呪われた腕を介し本来言葉を発さない動植物と会話ができるし。
左右の手でそれぞれ有機物をつかめば、彼自身が媒体となり、左の手で掴んでいるものから右の生物に情報を流し込み、刷り込ませる。
なんていう離れ業も、きっとできることでしょう』

someone『そんな都合の良いことが…まさか…』

パズルのピースが嵌るように。一つの考えが、先程の化学班たちの悩みにすっぽりと埋まった。思わずパイプから口を離し、目を見開いた。
その様子を見たのか、種明かしをする奇術師のように、滝本はその場で両手を開いた。

滝本『さすがはsomeoneさん。
そうです。

彼の右腕の呪いは、貴方が先程¢さんたちに話した魔法移動の解決方法にピタリと嵌る。そうは思いませんか?』

まるで拍手を要求するかのようにニタリと嗤う彼を見ながら、someoneは溜まった紫煙をゆっくりと吐き出した。
心の中で、あるどす黒い感情が浮かび上がってくる。


716 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その20:2021/04/25(日) 23:33:14.708 ID:3UqZRZxQo
someone『…彼を“利用する”んですか?』

その質問には滝本は答えず、笑みを浮かべながらただ首を横に振った。

滝本『彼は近々長期休暇で此処を離れる予定になっています。
自由人ですから事あるごとに長期休暇を取っているんですよ。その前にケリを付けておきたいですね』

someone『戻ってからではダメなんですか?』

浮遊する紫煙の中をかき分けるようにヌッと出てきた滝本ののっぺりとした顔に、someoneは思わず仰け反りたい気持ちを、ぐっと堪えた。
彼は両手を机の上に付け、その反動で興奮気に立ち上がっていた。

滝本『それでは“手遅れ”になる』

なぜここまで急ぐ必要がある。

確かに、791がカカオ産地への侵攻を検討している話をした。だが、時期までは明言していないし、someone自身決行日が何時かまでは分からない。
滝本がここ一月、二月以内に動きがあるのではないかと読んでいる可能性は十分にある。自治区域の議長として世界情勢に気を配るのはある種当然のことだ。

だが、さらりと“手遅れになる”と発言した彼の真意を、遂にsomeoneは感じ取ることができた。


それは高揚、支配欲、焦燥感、そして圧倒的なまでの優越感。

―― 君だったら私の後を“継げる”。そう確信しているよ

これらは全て、someoneの師が持つ“本質”にそっくりなのだ。


717 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その21:2021/04/25(日) 23:34:28.589 ID:3UqZRZxQo
彼の発言は事あるごとに“魔術師らしさ”を発している。
言い換えれば下衆で他者を貶めようとする策を振りまく、そのような悪辣(あくらつ)さだ。

喉のつっかえが取れたような爽快感と、迫りくる不快感を同時に覚えた。先程から感じた既視感はこれだったのだ。

someone『…これから何回かこちらに来てもいいですか?
陸戦兵器<サッカロイド>について、魔法的見地からまだ何かアドバイスできるかもしれません』

滝本は能面のように、薄ら笑いを浮かべた。

滝本『喜んで。もう私たちと同じ志を持つ仲間じゃないですか。
何を遠慮することがありますかッ』

パイプを蒸し終えると、someoneは別れの挨拶を告げすぐに踵を返した。


718 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪しき潮流編その22:2021/04/25(日) 23:35:58.307 ID:3UqZRZxQo
飲み込まれる。

何か底の見えない闇に飲み込まれていく。


元々、最悪の事態を想定はしていた。
まだ彼らが791と同じ“人種”だと決まったわけではない。

だが、仮に滝本たちが私利私欲のために動く人間だとしたら。
陸戦兵器<サッカロイド>を王国解放とは全く別の目的のために運用するのだとしたら。
事前に、思い描いていた対791への策は、全て水の泡に帰す。

だが、悪しき潮流の渦を前に舵を切れない船頭のように、既にsomeoneから退路という選択肢は消えていた。
進み続ければ生命を落とすリスクは格段に増える。だが同時に進み続けなければ生き残ることもできないのだ。


いつの間にかメイジ武器庫を上がり、someoneは地上の教団本部の庭に戻ってきていた。考え込むと周りが見えなくなる癖は昔から変わらない。

夜の静寂の中、someoneは深く息を吐き出すと、静かに心臓付近に手を当てた。
本人の葛藤とは裏腹に、心臓は強く一定の鼓動を続けている。

someone『大丈夫だ、someone。“正義の火”はまだ消えていない』

こんな時、親友だったら自らをこうして鼓舞するだろう。そう思い、柄にもなく呟くと思いのほか前向きな気持ちになれた。

someoneは再び歩き始めた。
悪しき潮流から抜け出すためではなく、むしろ潮流そのものに向かっていくために。


719 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/04/25(日) 23:37:25.783 ID:3UqZRZxQo
思いのほかめっちゃ長くなり焦りました。このあたりは第五章の滝本たちの密議のあたりとリンクしています。

720 名前:たけのこ軍:2021/04/29(木) 22:04:37.617 ID:JPZNpvYY0
狂気が重なる。

721 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/05/03(月) 23:06:43.662 ID:urL9BTVYo
GW中に頑張って更新したいぜ。

722 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その1:2021/05/07(金) 19:47:47.741 ID:3iyw1yNko
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 someoneの自室 2ヶ月前】

someone『はぁ…』

自室に戻ったsomeoneは深く嘆息し、手に持ったメモの束を器用に机の上に放り投げると、すかさずベッドへ飛び込んだ。

初めて陸戦兵器<サッカロイド>を目にしてからある程度の日数が経過した後に、someoneは再びメイジ武器庫を訪れていた。
表向きは彼の巨人たちを魔法学的に紐解き意見するという名目だが、真の理由は違う。
先程、魔法道具で散乱している机に放り投げたメモ用紙の山の回収こそが本来の目的だった。

一見すると何の変哲もないこの紙束には、彼によりとある魔法が施されていた。

その名は“リフレQ(きゅー)ト”。
一昔前に発明された魔法を元に、someoneなりにアレンジし創作した盗聴魔法である。

大元の魔法の名は“ひもQ(きゅー)”。悪名高い判別魔法だ。
魔法学校時代に一人で書物を読み漁っていた中でたまたま目にした魔法だ。だが、見つけた本を含めどの本にも術の原理までは記されておらず、最終的には791に教えてもらい、基礎を理解した覚えがある。

なぜ、“ひもQ”が禁止魔法なのか、その背景も含めて。


723 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その1:2021/05/07(金) 19:49:25.700 ID:3iyw1yNko
“ひもQ”は、召喚式の基本魔法を応用したものである。
対象者は色のついたひも型のゴムを召喚し、ひもゴムに“吸収”させるための単語を、術者が声に出し覚え込ませる。インコのオウム返しと同じで、ひもゴムが自律的に単語をインプットするのだ。
そして、もし術者以外の誰かがひもゴムの前でその単語を口にすれば、ゴムは色彩を帯びるとともに伸長し、蛇のように余らせているその身をさらに弛ませる。
ただそれだけの魔法だ。

召喚魔法の礎として本来、後世まで語り継がれるべきこの魔法は、現在“禁止魔法”に分類されどの魔法教科書にも姿を見せない。
その理由は、創作した術者で魔法名の元にもなったひもQという人物が、乱世で悪逆非道を尽くした奸悪(かんあく)な賊であるということが多分に大きい。


彼はこの魔法を専ら拷問時に好んで用いた。

地方の豪族として根城を構えていた当時、特に無実の村民を捕まえては自らの城に誘拐した。
そして、召喚したひもゴムを彼らの首元にきつく巻きつけ、決まって耳元でそっとこう囁いた。

『さあ。殺されたくなければ“私は無実だ”と言え』

“無実”という言葉が、ひもゴムに覚え込ませた単語だった。


724 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その2:2021/05/07(金) 19:50:40.877 ID:3iyw1yNko
何も知らない善良の民は当然のことながら、大声で自らは無実だと叫ぶ。
助けてもらいたくて、この場から逃れたく、必死に金切り声を上げて繰り返し叫ぶ。

その度に、彼らの首元にスカーフのように巻かれているひもゴムは、彼らから発せられる無実という言葉を検知し、まるで毒素を含んだきのこのように、艶やかに変色を繰り返しながら自らの身体を伸ばした。
そして伸びた分の身体は植物の蔦のようにさらに首元に絡みついては、彼らの首を絞めあげていった。

その異常さに気づいた彼らは、自らの発した言葉とひもゴムの関連性など気づく暇もなく、必死にひもQに向かい、自分は無実だと繰り返し連呼する。
彼は口元で嗤いながら“分かっている”となだめ返す。
その様子を見て、さらに彼らは半狂乱になりながら繰り返し泣き叫ぶ。

そして、遂に際限なく伸び切ったひもゴムは何重にも巻かれた首元をさらにきつく巻きつけ、失意の中で彼らは絶命する。

善良な民の持つ生命の輝きが絶える。


ひもQにとって極上の“遊び”だった。
生命の火の燃え尽きる瞬間を眺めることが、快楽殺人者にとっては他のどの娯楽よりも愉悦だったのだ。


725 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その3:2021/05/07(金) 19:52:49.116 ID:3iyw1yNko
こうして魔法界の本流に残ることなく時代の終焉とともに、術者と同じ名前で悪しき時代を想起させるというただそれだけの理由でこの魔法は虐げられ、現代まで封印されてきた。

内容を紐解けば、“ひもQ”は言霊(ことだま)の魔法だ。

古来より人が発した言葉には霊魂が宿ると信じられてきた。
これはその言い伝えから着想を得た魔法で、指定の単語を霊魂と捉え無理やり実体化する術なのだ。

someoneの創作した“リフレQト”は、その言霊を実体化し記憶する魔法だ。
一見すると何の変哲もない紙は召喚された魔法紙で、近くの会話の言葉を“吸収”し、文字に実体化し転写する能力がある。

ただし、全ての言葉を吸収しようとすれば書き留める紙は何枚あっても足りないし、そもそも運用するだけの魔法力が足らない。
someoneは一考した結果、会話の中で繰り返し使われた言葉や、イントネーションや声量から強調性が強いと思われる単語を中心に紙に残すようにした。
こうすれば、全ての会話を残すことはできなくても、単語単位で会話の内容を推測することができ、かつ自立魔法としての消費も最低限で済むため他の術者に気づかれる可能性も低くなる。

離れた場所での他人の会話を魔法で盗み聞く方法は限られる。
一番手っ取り早いのは使い魔を使うことだが、膨大な魔法力が必要だしかつ大掛かりだ。
次に考えるのは、糸電話のように離れた場所と術者とを強制的に繋ぎ、物理的に盗み聞きする方法だが、これも魔法力の関係から他者に分かりやすく現実的ではない。

その点、この“リフレQト”は、一般人から見ればただのメモ用紙であり、魔道士でも気付ける人間は少ないほどに、隠密性が高い。
学生の頃に密かにこの魔法を創作してから、この魔法の完成度の高さには密かに満足していた。
初めての披露の場がまさかこのような場面になるとは想像もしていなかったが。


726 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その4:2021/05/07(金) 19:57:14.350 ID:3iyw1yNko
先程とは違い少し緊張した面持ちでsomeoneは再度嘆息した。
そして、気が変わらないうちに勢いよく半身を起こすと、念動魔法で机の上の魔法紙を自らの元に手繰り寄せた。

先日の滝本との会話の際に覚えた違和感。言葉の端々に表れた驕り、昂り。言うなれば、それは既視感だった。
魔術師791に似た底の知れない残虐性と策謀性をsomeoneは感じ取った。まだ自分に話していない大きな隠し事があるのではないか。そう感じたのだ。

だから後日に武器庫を訪れた際に、someoneはリフレQトをあらゆる場所に“仕掛けた”。
巨人を管理する幾つかの計器近くの棚の中に、通路に立てかけられた絵画の裏に、トイレに、そして会議室の机の中に。
とにかく相手が気を抜いて本音を語るであろう場所には全て術を展開した。

一度疑念を抱いてしまえば、白黒を付けるまで相手を信用することはできない。
自ら近づき相手から信用を得ても、寝首を掻こうとする彼のこの姿勢は、時代が時代であれば稀代の裏切り者として断罪されたことだろう。
彼自身も後ろめたさは感じている。だからこそ、先程から少し気が重いのだ。

昔からsomeoneは慎重だった。
その余計すぎる慎重さが自らの生命を永らえさせ、同時に他者との出会いを切り離してきたのだ。

手にとった白紙の紙には、束ごとに右上にそれぞれ変わった折り目が付けられ、事前に仕込んだ場所を判別する目印としていた。


someoneはベッドの上に紙の束をトランプのように敷き並べると、咥えていたパイプに慣れた所作で火を付けた。そして肺に紫煙を流すことなくパイプを口元から離すと、息を紙群にふっと吹きかけた。
それが封魔文書の解呪手段であり、白紙だった紙の上には次々と文字が浮かび上がってきた。

“起動”  “確率”  “陸戦兵器<サッカロイド>”

文字たちは紙面上でゆらゆらと揺れている。
無造作に紙面のあちこちで揺れるその様子は、まるで雨の日の湖面上に広がる波紋のようだ。
someoneはパイプを再び咥え直すと、ペラペラと手のひらサイズの紙をめくり始めた。


727 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その5:2021/05/07(金) 20:01:39.071 ID:3iyw1yNko
“徹夜”  “交代”  “休み”
“夕飯”  “眠い”  “仮眠”

通路や作業場付近に仕掛けた紙束にはどれも似たような文言が表れている。研究員たちの業務内容に関する内容がほとんどを占めていると見て取れた。
内容から推察するにかなり激務のようだ。元々、化学班を始め少人数であれ程の規模の武器庫を管理しているのだから休む暇もないのだろう。
何枚もめくっていくもどれも同じ内容の言葉が並ぶ。彼らのことを思うと、someoneは少々同情的な気持ちになった。

someone『なんだ、これは…?』

最後の紙束に手をかけたsomeoneは、そこでハタと手を止めた。
会議室に仕掛けていた紙群には、これまでにはなかった不思議な文字が、煌々と浮かび上がっていた。


“国家推進計画”


聞き慣れない言葉に、なぜか胸が騒いだ。
この言葉の周りには他に“計画”、“国家”といった重々しい響きの言葉が仕切りに紙面上を漂っている。
文字同士の近さは単語同士の相関性の高さを表す。つまり、一連の言葉は同じ会話の中で話された可能性が高いということだ。


728 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その6:2021/05/07(金) 20:04:36.335 ID:3iyw1yNko
someone『“国家推進計画”…?そんな話、聞いたことないぞ』

滝本や参謀から受けた話に、そのような計画の話は無かった。
慌てて次の紙をめくると、これまで影を潜めていた不穏な単語が次々と紙面上に踊り始めた。

“会議所”  “悲願”  “達成” 
“最終段階”  “カカオ産地”  “投入”

メイジ武器庫内の会議室を使うのは基本的に重鎮以上の人間だけだ。したがって、必然的に会話の主は滝本や¢たちということになる。
someoneはあくまで単語同士を結び合わせ、当時の会話を推測するしかない。

しかし、彼の頭の中にはある恐ろしい“筋書き”が出来上がろうとしていた。

“オレオ”  “壊滅”  “併合”  “事後承諾”
“公国”  “牽制”

someone『まさか…いや、だからこそ加古川さんは“消された”と考えれば…』

ブツブツと呟きながら、ジグソーパズルを組み立てる要領でsomeoneはバラバラの単語からある一つの物語を創り出した。
それは、オレオ王国に、カキシード公国にしても、さらには彼にとっても最も望まない結末を迎える最悪のシナリオだった。


729 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 悪魔の集う場所編その7:2021/05/07(金) 20:05:06.131 ID:3iyw1yNko
someone『これはあくまで仮説でしかない。明日、滝本さんに確かめないといけないな…』

早鐘を打つ心臓を抑えるために目の前の紙群を魔法で消そうとした瞬間。
先程まで見ていた紙面の端に、見慣れた小さな文字が浮かんでいることに今更ながら気がついた。

“someone” 

思わずビクリと身体が跳ねた。
よもや、自分の名が会話に出てきているとは思っていなかった。

自分の名前の横にはふわふわと、さらに小さな文字でこう続いていた。


“もう十分” “用済み”


someoneは無言で魔法紙を消し去り、その後に思わずくしゃりと顔を歪ませた。
そして、いつか大嫌いな師が【会議所】について語っていた際にふと吐いた言葉を思い出した。

someone『…791先生、確かにこの【会議所】はとんだ“伏魔殿”ですね』


730 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/05/07(金) 20:07:57.036 ID:3iyw1yNko
魔法で盗み聞きってなんか夢がありますよね。

ちなみに魔法を創作する定義について。
たとえば、メラを一から作るのは魔術師や上級の魔法使いなどほんの一握り。
メラを利用してメラミを作るのは、魔術師でなくても中級までの魔法使いならできるという感じです。無から有を創るか、既にあるものをアレンジするかの違い。

731 名前:たけのこ軍:2021/05/08(土) 03:20:28.003 ID:qIdtyzJs0
裏の世界の怖さ。

732 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その1:2021/05/14(金) 18:01:37.045 ID:VbfLzd.Mo
【きのこたけのこ会議所自治区域 会議所本部 議長室 1ヶ月前】

黒塗りの扉を叩くと、中から主の気の抜けた声が返ってきた。
戸を開け放つと、珍しく真面目に机に向かう青髪の頭頂部が見えた。

こちらが入ってきたことに気づいていないのか、彼は顔を書類に向け続け、someoneは無言で待ち続けた。
そのうち頭を上げた彼がこちらを見やると、“おお”と間抜けな声を上げた。

滝本『珍しい。貴方が昼間からここに来るなんて』

someone『お忙しそうですね』

滝本『抹茶さんが煩くてね。この紙の山を承認しないと昼寝できないんですよ』

“まあ否決ですけどね”と続け、しかめ面の滝本は、“【大戦】でネギ焼き露店を出店する計画書”という題の稟議書をひらひらとさせ、机の端に放り投げた。

someone『一つ訊きたいことがあります』

パチンとsomeoneが指を鳴らすと滝本はすぐに過剰に肩を震わせ、こちらが防音の魔法を張り巡らせたことに気づいたようだった。


733 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その2:2021/05/14(金) 18:02:11.834 ID:VbfLzd.Mo
書類をまとめ終えた彼は腰掛けるよう勧めてきたが、someoneは首を横に振った。

滝本『どうやら今日の昼ごはんを聞きにきたわけではなさそうだ』

someone『…数日考えてみたんです。
僕にも【会議所】にも、どう行動すればより良い結果になるのか』

滝本『どうぞ』

口元で微笑を浮かべながら、滝本は先を促した。
someoneは以前、斑虎に相談した時と同じように心のなかで一拍おき、話し始めた。

someone『僕は。僕は、791先生が憎い。
でも、そもそもは彼女をあそこまで増長させた公国自体が憎い。
そう思うようになりました。

一度、あの国は根本から痛い目を見ないと治らないでしょう』

滝本『ほう。ではどうすれば治りますかね?』

ポケットの中にあるパイプを取り出したい気持ちをsomeoneはグッと堪えた。今は一瞬でも集中力を切らしてはいけない。

someone『…幾つか方法があると思います。
ですが一番手っ取り早いのは、公国に太刀打ちできるだけの強大な存在に、【会議所】自身がなってしまうことではないですか?』

滝本の顔色は変わらない。


734 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その3:2021/05/14(金) 18:03:44.331 ID:VbfLzd.Mo
someone『…たとえば、オレオ王国にカキシード公国が攻め込んできたとして。
王国の地にて、陸戦兵器<サッカロイド>で公国軍を壊滅させた後に、王国を“ついで”に占領してしまえたとしたら?
【会議所】は王国の土地を合法的に実効支配できる』

変わらず彼は微笑を浮かべたまま、表情をぴくりとも変えない。
まるで精巧な人形に話しかけている気分だ。話を続けるしかない。

someone『領土を拡大し強大化した【会議所】を止める国はそう出てこない。
それこそ対抗できるのはカキシード公国だけでしょう。
しかし、陸戦兵器<サッカロイド>の登場で戦力を削がれ膠着状態に陥れば、後は陸戦兵器<サッカロイド>でこちらが公国に攻め込み――』

滝本『someoneさん』

そこで彼が口を開いた。


彼は――


滝本『そんな危ない考え。

他の人には、言っちゃあいけませんよ?』


―― 策謀家の顔をしていた。


よく見たことある、冷酷で下卑た笑み。


735 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その4:2021/05/14(金) 18:04:28.704 ID:VbfLzd.Mo
someoneは答えを待たず、彼の顔を見て確信した。

辿り着いた自らの予想が間違っていないことを。
そして、今語った“悪夢”が数ヶ月後に現実になるのだということを。

自分が守ろうとした平和で公明正大な【会議所】など、滝本たちは最初から維持するつもりなど毛頭なかったのだ。
吹けば飛ぶような口約束でこちらから情報だけを抜き出し、彼らは奇襲を以てオレオ王国を、そして全世界を危機に陥れようとしている。

someone『…考えすぎですね。すみませんでした』

ペコリと頭を下げ再度指を鳴らすと、すぐに外の喧騒が二人の耳に届いた。

滝本『想像力ゆたかですね。
小説とかお好きです?ちょうどオススメの本がありますが』

someone『やることができたので遠慮します』

丁重に遠慮し、someoneは静かな足取りで部屋の外に出た。
そこまで蒸し暑くない天気だというのに、ローブの中は汗だくになっていた。


736 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その5:2021/05/14(金) 18:06:38.439 ID:VbfLzd.Mo
滝本の先日の言葉を聞く限り、もう時間がない。
直に全ての陸戦兵器<サッカロイド>の動作確認が終わり、機を同じくして791もオレオ王国に侵攻を開始するだろう。

someoneの掲げる“正義”は791の野望を打ち砕き、平和な【会議所】を守ることだ。

正直に言うと、滝本たちの心理を読み違えたことはsomeoneにとっては最大の誤算だった。
彼らの甘言にのり、陸戦兵器<サッカロイド>を完璧なものにしてしまえば、公国への抑止力を超越した兵器となってしまう。

彼らをこの手で屠れば、【会議所】の野望は食い止められるだろう。だが、791の野望は止められない。
他方で、陸戦兵器<サッカロイド>で彼女の野望は食い止められても、その後に【会議所】が王国を滅ぼし世界の覇権を握るだろう。

一方を止めればある一方は止められない。

何と歯がゆく、理不尽な世界なのだろうか。


だから、今のsomeoneに出来ることは、791と滝本たちの野望を水面下で潰さずに進めることしかできない。
庭園に生える雑草のように、ある一種を摘めば、その分の栄養を吸い取りもう一種は図に乗り肥大化してしまう。
庭師としては、ジワジワと両方を弱体化させ、然るべきタイミングで両方とも切り取った方がいい。

そのために、次にsomeoneの向かう場所は既に決まっていた。


737 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その6:2021/05/14(金) 18:07:30.368 ID:VbfLzd.Mo
【きのこたけのこ会議所自治区域 通路 1ヶ月前】

Tejas『おお?滝本さんがもうOKを出したのか?』

いつものように一人で会議所内を練り歩いていたTejas(てはす)は、滝本からの使いだというsomeoneに呼び止められ、予てより申請していた長期休暇の承認が降りたことを告げられた。

someone『ええ。急ぎ伝えるように言われまして…』

Tejas『そうなのか?でも今朝会ったときも、“手続きに時間がかかるからもう少し待ってくれ”と言われたばかりだったんだが』

someone『手続きというものは水の流れと同じです。
配管内で詰まればいつまでも時間はかかるが、原因を取り除いてあげればすぐに流れ出す。
滝本さんもすぐに気を回したからこの様になったんだと思います』

自分よりも一回り小さいsomeoneの方便に、Tejasは暫く考え込んだが、やがて納得したように一度頷いた。


738 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その7:2021/05/14(金) 18:08:20.611 ID:VbfLzd.Mo
Tejas『それもそうだなッ。ありがとう、someoneさん。
すぐに家に帰って出発の準備をするよ。こうしちゃいられない、じゃあなッ』

Tejasは踵を返し、挨拶もそこそこにすぐに走り去っていった。

これで今夜にも彼が発てば、彼の腕の呪術での陸戦兵器<サッカロイド>の完成を防ぐことが出来る。器と英霊たちの魂とを完璧なまでに定着させる方法は失われた。
まず、滝本たちの野望を一つ砕くことはできた。

とはいえ陸戦兵器<サッカロイド>の完成を防いだ今でも、公国軍の侵攻を防ぎ大損害を与えるだけの力はなお健在だ。
当初の想定通り、公国軍の侵攻は陸戦兵器<サッカロイド>に食い止めてもらい、someoneとしてはその後の処理を考えなければいけない。


739 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 交錯する三つの思惑編その8:2021/05/14(金) 18:09:36.198 ID:VbfLzd.Mo
目の前の仲間が敵だと分かっていながら、彼らの力を頼らないと真の敵を食い止められないという、なんとも他力本願な結果にsomeoneは内心で落ち込んでいた。

元々、筋の悪い話ではあったが、自分一人での力にも限界を感じていた。
斑虎に相談すればよかったかもしれない。しかし、滝本たちにとって明確な“利用価値”がある自分に比べ、彼は一介のたけのこ軍兵士に過ぎない。
もし内通していることがわかれば、加古川のようにすぐに始末されてしまうのがオチだろう。


斑虎との一件を経て、自分自身は変われたつもりでいた。
過去の呪縛から逃れ、初めて他人に頼り、心の中の正義の火を灯すことで変わることができたと思っていた。

しかし、根本の部分でsomeoneは独りのままだった。
最後の最後で、独りで問題を抱え続けた。今までの自分にとっては当たり前の行為。ずっと現実を直視し続けてきた。

いま、不幸なことに彼の預かり知らないところで背後にある闇は肥大し続け、ついにか弱い彼一人を飲み込むには何不自由のない大きさまで成長を遂げた。
遂に、彼の世界は終わりの時を迎えようとしていた。


その瓦解を思い知らされるのは、もうすぐそこまできていた。


740 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/05/14(金) 18:11:21.304 ID:VbfLzd.Mo
がんばってsomeoneさん!大丈夫、まだ貴方には魔法が残ってる。貴方の働きで事態は着実に好転しているわ!
なんとか二大悪党の野望を食い止めるため奔走するのよ!

次回『失意と絶望』、お楽しみに!

741 名前:たけのこ軍:2021/05/15(土) 15:22:18.127 ID:ZeaPqHjk0
オリバーは何処に。

742 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/05/18(火) 00:31:24.653 ID:CuQf.AZgo


2021/05/18 00:30:33虎
まあアペンドとしてでも。調整とかする気がないので言いっぱなしで申し訳ないですが

2021/05/18 00:30:04虎
あまり意味はないけれども一応思いついてしまったのでアイディアだけ
・7-7できのカス(指揮官1-兵士6)
・6枚の兵士カードで普通にカスやる
・1試合に1度だけ指揮官カードに設定された能力を使える

743 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/05/18(火) 00:41:44.727 ID:CuQf.AZgo
スレ間違えました

744 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その1:2021/05/22(土) 20:04:14.435 ID:MdDuCySMo
【きのこたけのこ会議所自治区域 議案チャットサロン 1ヶ月前】

抹茶から招集をかけられた緊急会議の場で、someoneは自分の見通しの甘さを思い知らされた。

滝本『――オレオ王国側の交渉役は斑虎さんで決まりですね。カキシード公国側の交渉役はどうしましょう。791さんではないとすると他に誰かいますかね…?』

弱り目に祟り目という言葉が今の状況には正に当てはまった。オレオ王国側から【会議所】へ何かしらの話は来ると予想していたものの、まさかここまで早いとは思っていなかった。

さらに、両国に使者を送ることまではいい。だが、よりによって王国側の使者に斑虎が選出されるとは想定していなかった。
元々は791の提案とはいえ、話の流れを見ると滝本たちもどうも最初から彼を使者役と決めていた節がある。

オレオ王国の使者になれば、カキシード公国との一触即発の最中でも、彼は王国内に留まり続けるだろう。考えなくてもわかる、そういう男なのだ。
彼の働きにより奇跡を起こし、戦争回避まで漕ぎ着けられる可能性は僅かにあるものの、暗躍する791と滝本たちの思惑の前にはあまりに無謀な戦いとなる。

なんということだ。
これでは、一体なんのために彼を闇から遠ざけようとしてきたのかわからない。


745 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その2:2021/05/22(土) 20:04:46.209 ID:MdDuCySMo
ここにきて、someoneの顔は一層青ざめていた。
きのこ軍兵士側の末席に座る一兵士の面持ちを気にする者など殆どいなかったが、唯一斑虎だけは心配そうな目線をこちらに送っていた。
彼はこちらの表情の機微を鋭く察知する力がある。普段から気にかけてもらい、声に出せずとも内心ありがたいと感じているが、今だけはその目をこちらから外してほしいと強く願った。

自分は失敗した。今すぐこの場から消えていなくなりたいと思った。


すっかりと心を乱されていた彼は、この後の展開を予想できるだけの余裕を持ち合わせていなかった。

791『うーん…?誰が適任だろう』

先程、斑虎に決まった際の喧騒が嘘のように、議場内は水を打ったように静かになった。
それを見越しているかのように円卓テーブル中央に陣取る滝本は臆することなく一つ咳払いをしてから、“では”と前置きした。

滝本『今度は私から提案しましょうかね。
正直なところ、私はsomeoneさんにお願いできないかと思っています。』

someone『ッ!!』

思わず言葉を失った。


746 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その2:2021/05/22(土) 20:05:36.289 ID:MdDuCySMo
全員の視線が瞬時にこちらに集まる。
さまざまな奇異の目。その中には目を丸くしている斑虎に、僅かに薄笑いをする791と滝本も含まれていた。

791『いいんじゃないかな。
聞けばsomeoneさんも公国出身だと言うし、【会議所】への貢献ぶりから考えれば当然だと思うな』

向かいの席の最上座に座る彼女はすぐに薄笑いを引っ込めると、したり顔で何度か頷いた。
本音では、公国にsomeoneを連れ帰り王国侵攻計画の最終の要とするための口実ができたと喜んでいるに違いない。
渡りに船とばかりに、彼女は滝本の提案に乗ったのだ。

議場を取り巻く空気が僅かに緩んだことを、someoneは察知した。
意見を持たない兵士たちは互いに顔を見合わせ、小声で話し合ったり何度か頷いている。
この淀んだ緩い空気のことを、斑虎は過去に“会議病にかかったようだ”と断罪したことがある。

建設的な意見が誰からも発せられず、一人の挙げた意見に必死にしがみつくように会議全体が進行していく。
普段は声の大きい兵士も会議になると途端に閉口し他者に迎合するのは、偏に議場の重苦しい雰囲気が問題だと、酒の席で彼が熱く語っていたことを覚えている。
そんな彼も会議中になると“会議病”にかかってしまう張本人の一人だと、当時のsomeoneは既のところで黙っていたが。

斑虎『ちょっと待ってくださいッ!俺は反対だッ!
someoneはまだ若い。幾ら【大戦】ルール策定の実績があるとはいえ、それと今回の推挙は結びつかないはずだッ!』

ただ、同じくこの空気を打破しようしたのも彼だった。すぐに立ち上がると、怒号に近い形で滝本に意見を述べた。
親友からの全力の援護に、思わずsomeoneはローブの中に顔を埋めたくなった。


747 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その4:2021/05/22(土) 20:06:19.016 ID:MdDuCySMo
にわかに騒然とし始めた議場を見て、滝本の隣りに座る、白袴姿の副議長の参謀は、彼の抗議に対し顎に手をあて優雅に考える素振りを見せた。

参謀『斑虎の言う通り、確かに見た目上はそうかもしれんなあ。
でも、長年¢が一人で担ってきた大仕事をあの若さでこなしてみせたのは、陰で相当のプレッシャーがあったはずや。

それを成し遂げたsomeoneには並外れた力量と胆力が備わっとる。
滝本はそれらを買っての発言やないか?』

きのこ軍兵士側の最上座に座る¢もその言葉に頷いた。

¢『ぼくもそう思うんよ、someoneさんが適任だと思う』

目に見えて、空気は一変した。

参加者たちは途端に¢たちに同調するように賛同の声を次々に挙げた。先程のように迷う素振りを見せない、強固な意思だ。
先程まで二つの意見がぶつかり混沌の中にいた議場は、【会議所】重鎮の発言により瞬く間に話の方向性を決定づけた。

一度の議論を経て決まった議題の方針は、参加者たちに深層心理で“話し合いをして決めたのだから間違いがない”という自信を少なからず与える。
その時点で、面倒な問題をこれ以上考えずに済むための免罪符となるのだ。だから、参加者たちは逃げるように賛同する。

参謀と¢は会議の性質を理解した上で、斑虎に反対意見を一度出させた上で、滝本の意見を擁護する決定打を言い放ったのだ。老練ながら狡猾な手だ。


748 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その5:2021/05/22(土) 20:06:54.351 ID:MdDuCySMo
そして、嫌でもsomeoneは気付かされた。
彼らは意図的に自分を公国に送り返そうとしている。

―― “someone” 
―― “もう十分” “用済み”

脳裏に先日の“リフレQト”で浮かび上がった文字がちらついた。
つまり、791への内通情報をもたらし、魔法使いとして陸戦兵器<サッカロイド>の魂の定着方法に意見を述べた段階で、既に彼らの中で自分の役目は終わっていたのだ。

カキシード公国に送ることで不穏分子の厄介払いができるだけでなく、仮にもしsomeoneが791に【会議所】の秘密を喋ろうとしても、そのときは制約の呪いで彼の生命を奪う。

どちらに転んでも滝本たちにはこれっぽっちも痛くない。

パズルのピースがぱちりと嵌ったように、綺麗なほど“汚い”道筋が分かった瞬間だった。


これが策謀家なのか。
人を盤面上の駒のように考え、いともたやすく捨てる。

悔しくて、それ以上に何もできない自分の無力さが腹立たしくて、someoneは目を閉じ下唇を強く噛んだ。


749 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その6:2021/05/22(土) 20:07:51.440 ID:MdDuCySMo
斑虎『いや、それでも――』

someone『――わかりました。その任、引き受けます』

なおも語気を強める斑虎の言葉を遮り、someoneは静かに声を発した。
彼の小さな声を聴くためか、議場は再度静まり返った。
斑虎も同じように息を呑んだ。

斑虎『本気かよッ!?』

someoneは儚げに頷いた。

たとえ破滅へ向かうことになっても、最後まで“正義”を貫き通す。
そう背中を押してくれたは斑虎だ。

someoneは自らの正義を信じる。
正義のために最後まで全うする。

あの時、その覚悟を決めたのだ。

滝本『それは良かった。では斑虎さんとsomeoneさん、宜しくお願いします。
この世界の命運はお二人に懸かっていると言っても過言ではないのですから』

いけしゃあしゃあと語る滝本の口元の端は、僅かにつり上がっているようにsomeoneには見えた。


750 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その7:2021/05/22(土) 20:08:21.478 ID:MdDuCySMo
【きのこたけのこ会議所 会議所 大廊下 1ヶ月前】

斑虎『someoneッ!』

長い会議が終わり、策謀渦巻く場から早く姿を消したくて外に出たところを、斑虎に声をかけられた。
彼は血相を変えてこちらに向かってきた。someoneは困ったように僅かに眉尻を下げた。

斑虎『なんで抵抗しなかったんだよッ!カキシード公国の交渉役なんて、こんな仕事は面倒なだけだぞッ』

その直後、斑虎は言葉を切り少し眉を寄せた。
恐らく、勢いよく声に出したものの自分もオレオ王国の交渉役に選ばれた経緯を思い出し少し罰が悪いと思ったのだろう。
そんな目の前の親友を可愛く思い、someoneはほんの少し微笑んだ。

someone『仕方ないよ。決まったことなんだから』

滝本たちの懐に飛び込んだ時から全ては巧妙に仕組まれていた。
今はそれが全て分かってしまったのだ。諦めるわけではないが、今この時は足掻いてもどうしようもないというものだ。


751 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その8:2021/05/22(土) 20:09:09.352 ID:MdDuCySMo
斑虎『俺はまだいい。でもお前は生まれてから暫くカキシード公国に居たぐらいでほとんど祖国と関わりはないんだろ?
それに新人であるお前にこんな大役を任せるなんて、会議所はどうかしてるッ!』

何人か二人の前を通り過ぎた兵士がぎょっとしてこちらを振り返ったが、斑虎は気にせず【会議所】を非難した。
彼は昔からこうだ。おかしいと思ったことに対しては誰であろうと噛み付く。自分ではなく周りの人間が巻き込まれている時は殊更にだ。

彼は自分の“正義”を昔から体現し続けている。そんな姿が今となってはとても眩しく感じる。

someone『あまり感情的になってもよくないよ、斑虎。与えられた仕事はこなさないと』

someoneは冷静に斑虎を諭すように話した。自分を落ち着かせるための言葉でもあった。

someone『すぐに791さんとここを発たないといけないんだ。暫く会えなくなるね』

斑虎『俺もだ。今晩にはもう出発だ。でも791さんも水臭いよな。お前を推薦するんなら、自分が交渉役になってくれたっていいのにな』

彼女の話になると少し声を潜める彼が可笑しくて、someoneは少し笑ってしまった。
たとえ真相が分かっていたとしても、親友と話している今だけは笑っていられる。


752 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その9:2021/05/22(土) 20:10:16.457 ID:MdDuCySMo
someone『僕は791さんと一緒だから平気だよ。寧ろ、斑虎の方が大変じゃない?一人だから』

斑虎『これを放置プレイと言うんだろうな』

二人はそこで言葉を切り笑いあった。
彼に会えるのも今日が最後だと思うと、せめて目一杯笑わないといけないと思った。

斑虎『気をつけてな、someone。まあ互いに交渉役だから逐次連絡は取り合うし、その内協議の場でも顔を合わせるだろうが、暫くは会えなくなる』

斑虎の差し出した手を見て一瞬固まった。
彼の純真で純白に満ちた手を、自らの黒ずんだ手で汚したくなかったからだ。

だが、すぐにその思いを振り払い彼の手を握ると、自分とは違う戦士特有のゴツゴツとした手のひらから、何か言葉にはし辛い熱い思いを感じた気がした。

心の中の正義の火が一度だけ大きく跳ね、勢いを増した。
そんな気がした。

someone『…うん。斑虎も気をつけてね』

絶対に791や滝本の思い通りにはさせず、【会議所】を正しい方向に導いてみせる。

そしてその渦中にいる斑虎と一緒にまた再会してみせる。
その思いを抱き、someoneは彼の手を再度強く握り返した。


753 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その10:2021/05/22(土) 20:11:01.745 ID:MdDuCySMo
斑虎『じゃあ準備があるから行くな。次に会う時は両国間の協議の時かな?楽しみにしてるぜ』

斑虎は握った手を離すと、すぐに踵を返し自らの職場に戻っていった。
その背中を暫くぼうと眺めていたが、すぐにsomeoneは一息ついた。


someone『…やれやれ。仕事が増えるな』

小さな声で呟いた言葉は強がりだった。
しかし、絶望的な状況に身を置くこの身を鼓舞するには十分な言葉だった。


754 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その11:2021/05/22(土) 20:12:25.042 ID:MdDuCySMo
【きのこたけのこ会議所 someoneの自室 1ヶ月前】

その夜、someoneは出発の準備をそこそこに切り上げると、残していた魔法研究を完成させるために、まずは紙くずで散らばっていた床を掃除し、その後巨大な魔法陣を書き上げた。
魔法陣の構想自体は既に数ヶ月前から完成してたものの、試す機会もなく今日まで至ってしまったのだ。

someone『できた…』

そこで床から顔を上げると、someoneはもう戻って来られないだろう自室内を一度見渡した。

部屋は相変わらず汚いものの、汚いなりに年季が入り感慨深い。斑虎には受け入れられないだろうが、この汚さは年月の痕跡と自分の軌跡を表しているのだ。
床に転がる大量の紙屑は、魔法研究の過程で大量に消費されたものだ。
最初は僅かに持ち込んだ魔法書を載せていた書棚も、今ではぎっしりと埋まり、溢れた本が床から何層も積み上がり、一端の図書室のような体を呈している。
床の一角にある座布団だけポッカリと綺麗なのは、そこが斑虎の特等席だからと知っている。


三年前、初めてこの地に足を踏み入れた時にはまさかこのような事になるとは露ほど思っていなかった。
あの時は不安で、無味乾燥と思い込んだ世界に嫌気も差していた。791に裏切られ、会議所自治区域に送り込まれた時も、僅かな期待も打ち砕かれ、世界の色は褪せ外の風景は白黒に映った。

それを救ったのは他ならぬ斑虎だった。
彼との出会いが自分を大きく変えた。同時に、世界に色がついた。

【大戦】に触れ、【会議所】に触れる中で魔法研究以外のやりがいを見つけた。
斑虎という親友ができ、会議では自分の考えたルールが採用され、そのルールで【大戦】で数百万もの人間が一喜一憂している様子を目の当たりにした。
いつしか会議所自治区域という土地を真の故郷だと思うほどに、望郷への思いは育まれた。


755 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その12:2021/05/22(土) 20:13:06.370 ID:MdDuCySMo
自らを突き動かすこの“正義”の原動力がたとえ師への憎しみからくるものだとしても、【会議所】を、斑虎を守るためならばしかたないと思った。
そのために、今から大仕事を成さなければいけない。

someoneは一度深く息を吐くと、群青色のローブのフードを目深に被り、ホコリまみれの床に両手を付いた。

someone『魔の理に従い、偉大なる生命の源流を此処に召喚する。
己が願いを胸に刻み、此の身を魔の理に捧げる。我が名はsomeone』

詠唱を始めると、白のチョークで書いた魔法陣がバチバチとどこからともなく音を立て始め青く光り始めた。
詠唱手順は全て暗記している。後は待てばいい。

someone『己の姿を見るは、生命の源流を投影した己自身なり。此処に願うッ。
太古に潜む古の力を秘めたる傑物たちよ、我の願いを聞き届け給えッ!』

稲光のように魔法陣は激しく点滅し、同時に眩い光にも包まれ始める。
フードの中で、someoneは必死に詠唱を続けた。

someone『我願うは、熱き正義の火を踏襲する自らの化身。熱き血潮を分け与える赤き炎ッ。
生命の大樹よッ、魂を成し我のもとへ光となりて結集せよッ!






今ここに顕現せよ、【使い魔】よッ!』


756 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その13:2021/05/22(土) 20:14:23.926 ID:MdDuCySMo
突如、どこからか発生した爆裂音とともに、someoneは勢いよく吹き飛ばされた。
書棚に背中が当たり、本がバラバラと勢いよく上から落ちてきた。

someone『…ッ』

まるで稲光が部屋に落ちたような突然の衝撃に、頭がくらくらする。
召喚後の衝撃や反動を記した書物は無かったが、ここまでの衝撃とは思っていなかった。
数秒呻いたsomeoneだったが、本来の目的を思い出し、すぐに本をかき分け起き上がった。


果たして部屋の中心には、手のひらよりも一回り大きい程度の白いテリアがちょこんと座っていた。
魔法陣の中心で、子犬は先程の衝撃などどこ吹く風といった具合に前足で耳を掻いていたが、本の山からひょっこりと顔を出したsomeoneに向け涼しい顔を向けた。

『お前さんかい?オレを呼んだのは?』

子犬は口を開くと、間違いなくそう言葉を発した。
予想していたより低い声でそれと相まって相当な落ち着き様だと感じた。
目つきが鋭く近寄りがたい気も発しているのは、かつてのNo.11を少し彷彿とさせる。

someone『君が【使い魔】か…?』

埃を払い近づいてきた術者に、子犬はジッと見上げたまま目線を外さずに向かい合った。
術者を値踏みする色が、そのヘーゼルカラーの眼の光の中に含まれていた。


757 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その14:2021/05/22(土) 20:15:12.887 ID:MdDuCySMo
『ああ、そうさ。いま、ここで呼んだだろう?
それにしてもこの部屋は汚いな。ご主人にとって、掃除とは生きていく上で花への水やりよりも後回しにする行いらしいな』

大層生意気な口をきく犬だと感じた。
見た目はテリアそのものだが、口を開けば飲み屋にいる親父よりも口も態度も悪そうな気配を放っている。

魔法陣の紋章内や詠唱時に、術者は【使い魔】の風貌や性格の希望をある程度含ませる。ただそれはあくまで希望なので、魔法陣を通じて創り上げられたものが希望通りになるとは必ずしも限らない。
完成度は術者の魔法力や環境に左右されると言われているものの、詳しいことは未だ分かっていない。

someoneの場合は、自らには無い情熱的な性格を宿すようにしたが、どうも狙った方向性とは違う【使い魔】が顕現したようだ。

someone『助けてほしい。時間がないんだ』

気を取り直して、切実に訴えるsomeoneの顔を子犬は目を細めジッと見つめていたが、ふっと一度息を吐き目線を反らした。


758 名前:Episode:“トロイの木馬” someone そして少年は思い知る編その15:2021/05/22(土) 20:15:54.558 ID:MdDuCySMo
『ご主人。まずはあんたの名前を。そして次におれの名前を教えてくれ』

someone『僕の名前はsomeone。そして君の名は――』

そこで言葉に詰まった。名前なんて考えていなかったのだ。

迷った挙げ句に視線を辺りに彷徨わせると、足元に先程まで倒れていた本の山から転げ落ちていた二冊の本の表紙が見えた。

【降霊術大全】、【呪歌の詠唱について】という題の本だ。

降“霊”術と呪 “歌”。

あまり彼を待たせてもいけないだろうという思いで、someoneは咄嗟に本の題から名前を拝借することにした。

someone『君の名は、霊歌(れいか)。今日から霊歌だ』

霊歌『おう。よろしくなご主人』


そこで初めて、霊歌はニヤリと笑った。


759 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/05/22(土) 20:20:33.254 ID:MdDuCySMo
ちなみにsomeoneさんと斑虎さんの会話は第1章冒頭にもあった会話の、someone視点バージョンです。
見返して見るとおもしろいかもね。

そして霊歌ちゃんはけっこうバレバレでしたけど使い魔です。
説明文はまだネタバレを含むので今は少し隠しています。

https://downloadx.getuploader.com/g/kinotakeuproloader/1057/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%89ss%20%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%891.jpg

760 名前:たけのこ軍:2021/05/22(土) 20:22:47.044 ID:VtEp/ss20
予想通り〜

761 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/05/28(金) 23:21:49.965 ID:VZnFNH7go
今週はお休みでごわす

762 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その1:2021/06/05(土) 00:29:40.260 ID:D1EWW1soo
霊歌『時間がないと言っていたな。
安心しな、ご主人の記憶は召喚時点でおれにも共有されている。どうやらとんだ危機みたいだな』

霊歌はそこで首を上げることに疲れたのか、自らの身長の数倍の高さはあるだろう机の上にひょいと跳んだ。
彼の眼には、主人にも逆らわんとする挑戦的な色と若干の同情の色が見えた。どうやら口は悪いが、ある程度理解のある使い魔のようだ。

霊歌『それでどうするんだ?
おれを召喚したぐらいじゃあ、ご主人のお師匠の悪だくみは止められないぜ?』

someone『…追加の“契約”をしたい』

彼は長く垂れ下がった両の耳をピンと張り、驚きを表現してみせた。

霊歌『その若さでか。大丈夫か?十分な魔力がなければ契約に耐えられず死んじまうぞ。
ちなみに、どんな条件を付けたいんだ?』

someoneは、予てより考えていた条件を霊歌に告げた。
すると彼は今度こそ目を丸くし、直後に口を開け大声で笑った。

霊歌『ハハハッ!そりゃあとんでもない契約だ。
そんな大それた事を考えるのはご主人くらいだぜッ!』


763 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その2:2021/06/05(土) 00:30:21.816 ID:D1EWW1soo
【使い魔】と術者は互いの同意の上で、召喚後に追加で契約を交わすことができる。
ただ、その契約には代償も伴う。契約内容の規模に因り、【使い魔】の本来の機能が一部失われるのだ。
理由は不明だが、魔力を注入している【使い魔】の器が決まっているため、新たに注ぎ入れた魔力から溢れてしまったものは捨てなければいけないのだろう。someoneはそう理解している。

霊歌『普通なら無理だと笑い飛ばしたいところだが…ご主人にはどうやら途方も無い魔力があるらしい。契約はできる』

someone『本当?』

そこで霊歌は笑いを引っ込め、先ほどと同じく他者を値踏みするように目を細めた。

霊歌『教えてくれ。“そんな契約”を結んでも、とても今の状況を打開できるとは思えないが、何か策はあるのかい?』

彼の言うとおりだ。たとえ希望の契約を結べたとして、公国に戻り791と対決しても事態を打開できるだけのものではない。
そもそも、向こうには“必消”の儀術がある。戦おうとした瞬間に消し炭にされるのが関の山だろう。


764 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その3:2021/06/05(土) 00:31:05.521 ID:D1EWW1soo
だが――

someone『…1%でも望みがあるなら最後まで足掻く。そう、決めたんだ』

彼が真剣な口調で語った時、霊歌は主人の瞳の色をしげしげと眺めていた。
自分と同じヘーゼル色の眼だ。くすんだ色の中に、微かな光が灯っている。

分の悪い賭けだが乗ってみるのも悪くないかもしれない。
そう思わせるだけの雰囲気がsomeoneには備わっていたし、そう思うだけの器量が彼にも備わっていた。
しばらくすると彼は、ニカリと笑みを零した。

霊歌『あんた、生粋のギャンブラーだな』

再び床の上に舞い降りると、霊歌も真剣な顔つきでsomeoneを見上げた。

霊歌『知っているとは思うが、追加の契約は代償として何かを奪われちまう。そういう“決まり”だ。
恐らくだが、結構な能力を奪われる。

全ておれの予想だが、契約の代償として、まずおれの記憶を奪われる可能性は高い。
魔術にとって“記憶”は大事なエッセンスだ。いの一番に代償として狙われる』

someone『分かった。契約が終わったら改めて僕が今の状況を説明する』


765 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その4:2021/06/05(土) 00:31:43.124 ID:D1EWW1soo
霊歌『あー、それとだ。恐らくおれの性格も幾つか代償をもとに変わる可能性がある。
より具体的に言えば、多分生意気になる』

someone『これ以上!?』

途端に霊歌は口をへの字に曲げた。

霊歌『いまこうして話を聞いてやってるのに、おれが生意気とはどういうこったッ。

いいかッ!ご主人は物静かそうだから予め言っておく。
記憶を失い生意気になったおれは恐らくご主人の手に負えず、あんたの言葉もまともに聞かなくなるだろう。
それでもやるのか?』

someoneは膝を折り、小さな使い魔に目線を近づけた。

その時の彼の眼の色を、霊歌は記憶を失うその瞬間まで生涯忘れることはないだろう。
諦めにも見えた褪せた瞳の奥には、決して侵されることのない情熱の炎が芽生えていた。近くで見ると歴然だ。

someone『…僕には、もうこの手しか残されていない。君が最後の希望なんだ、霊歌』


766 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その5:2021/06/05(土) 00:32:44.441 ID:D1EWW1soo
記憶を共有している分、その辛さはわかる。
彼は育ての親に裏切られ、さらには“第二の故郷”にも裏切られた。全て彼の甘さが原因だと言えばその通りかもしれない。
そもそも、791は彼に対しただ本性を示しただけでそれは彼女なりの信頼の現れとも言える。
滝本は明確に彼に嘘をついたが、いきなり素性を明かした彼に警戒し本心を隠していたのは、何も一概に彼を陥れるために罠を張り巡らせたわけでもないだろう。


見通しが甘い。この一言に尽きる。
霊歌は主人の弱みをここ数分のやり取りで熟知するにまで至っていた。

彼の理想を追い求めようとする視点は、対極的に現実を視るこの眼には些(いささ)か濁って映る。そのような正反対の性格に仕向けたのは、他ならぬ術者の彼だ。
たとえ、こちらを召喚したとして、この負の連鎖から抜け出す方程式の解を導けるとはとても思えない。



だが、霊歌は彼のことを決して嫌いにはなれなかった。


霊歌は片方の前足を、目の前にいる、小さいながら強い心を持つ主人に差し出した。

霊歌『言っただろう?分の悪い賭けはキライじゃない。おれもひと肌脱ごうじゃないか』

someoneはその言葉に無言で頷き、差し出された彼の手を、ひたと握り返したのだった。


767 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その6:2021/06/05(土) 00:33:54.556 ID:D1EWW1soo
【カキシード公国 宮廷 魔術師の間 1ヶ月前】

791『やあ。ここで会うのは本当に久しぶりだねッ!元気にしてた、someone?』

三年ぶりに足を踏み入れた部屋の様子は、特段何も変わっていなかった。
彼女の周りの観葉植物が多少背を伸ばし、こちらを見下ろすようになったぐらいだろうか。植物も飼い主に似るのだな、とこの場面においてsomeoneは場違いな感想をもった。

既に中央の執務椅子には791が深く腰掛け、その背後にはNo.11(いれぶん)が直立不動で彼の到着を待っていた。

“宮廷魔術師”として久々に相対する彼女も、特段何も変わっていなかった。
トレードマークの紫紺(しこん)色のローブは今日もシワひとつ無く、ワンカールした黒髪も艶が出ており上部の硝子を通じて降り注ぐ陽を反射し煌めいている。
ただ、少し小さくなったかもしれない。もしくはsomeone自身が大きくなったのかもしれないが。

791『この三年。実に楽しそうにしていたね。
君があそこまで【会議所】に馴染めているとは、正直私も驚いたし嬉しいよ』

彼女はパチンと指を鳴らすと、someone用の椅子を用意した。

791『さて。三年の成果を聞かせてもらおうかな?』

someoneはすぐに返答をせずに、ポケットの中にあるパイプを一度撫でた。
親友から勇気を分けてもらおうと思ったのだ。


768 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その7:2021/06/05(土) 00:34:46.256 ID:D1EWW1soo
someoneは用意された椅子から一歩離れながら、一度だけ深く息を吐き、改めて前に座る師と向かい合った。

someone『…その前に、お見せするものがあります』

目を閉じ心の中で術を唱える。椅子の横にいつの間にか魔法陣が描かれ、青白く光った。
一度使い魔を召喚してしまえば契約を解除するまで、術者は好きなタイミングで簡易的に使い魔を呼び出すことができる。
心の中で詠唱を終えると、次の瞬間、魔法陣の中心には霊歌がちょこんと座っていた。

彼の姿に気づいた791は途端に満面の笑みを浮かべ、対して背後にいるNo.11は絶句したように驚愕の顔をはりつけていた。

someone『これが僕の【使い魔】、霊歌です。
口は悪くまだ僕の命令をなかなか聞きませんが…先生のお役に立てるとは思います』

霊歌『はんッ。ここが噂の策謀入り乱れる総本家か。思っていたより綺麗だな』

791は我を忘れ立ち上がり、両の拳を天井に突き上げた。

791『素晴らしいッ!その歳で自律型の使い魔を召喚し使役するなんてッ!
someone、君はどこまで優秀なんだッ。
若い頃の私を遥かに凌ぐ資質が、君にはあるよッ!!』

背後ではNo.11が無表情ながら、下唇を噛み必死に悔しさに堪えている様子が見えた。

彼女を哀れに思う暇はない。
今は“悟られないように”しなければいけない。


769 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その8:2021/06/05(土) 00:35:34.821 ID:D1EWW1soo
someone『オレオ王国の侵攻にあたり、この霊歌を先に彼の国に向かわせ、内部扇動の任を与えてほしいのです。
リスクを少しでも抑えられるし、いいかと思います』

791『うんうん。ぜひそうしよう。霊歌さんには今すぐオレオ王国に向かってもらおう。なにか必要なものはある?』

霊歌『あんたが主人のお師匠様かい?
そうだなあ…反乱分子をまとめあげるための資金と、大量のチョコをくれないか?途中で小腹が減るんでな』

791『すぐに手配するよ』

791は二つ返事で頷いた。今ならば多少無茶なお願いをしても手を叩きおもしろがりそうな興奮ぶりだ。
それだけ、使い魔の召喚が彼女にとって想像を超える出来事だったのだろう。

霊歌も頷き返した。
そして、一度だけこちらの顔をチラリと一瞥すると、すぐに踵を返し走り去っていった。


770 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その9:2021/06/05(土) 00:36:19.519 ID:D1EWW1soo
791『道を覚えているということは、君の記憶も継承できているということかな?』

someone『いえ。そこは不完全で…実のところ、僕の考えや真意はほとんど伝わっていないんです』

791はそんな彼を慰めるように、パンと小気味よく手を叩いた。

791『まあまだ初めての召喚だから仕方ないよ。これから精度を高めていけばいい。
いやあ、報告の前にいいものを見せてもらったなあ』

うんうんと何度も頷いていた彼女だが、熱も収まってきたのか、暫くすると身体を地面につけるほどその身を深く椅子の中に沈めた。

そして、“さて”、と途端に彼女は下卑た笑みを浮かべた。

791『では、そろそろ話してもらおうか。【会議所】の動向を。
君が隠れて滝本さんと何度も会っていたことは知っている。情報を掴んでいるんだろう?』

someone『はい』

彼女はますます下卑た笑みを浮かべた。

791『よろしい。では【会議所】は何を隠しているのか今すぐに話してくれるね?』

someone『いいえ、それはできません』


771 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その9:2021/06/05(土) 00:37:06.968 ID:D1EWW1soo
空気が、凍った。
部屋にいる誰もが彼の言い放った言葉を想定しておらず、動きを止めた。

someoneは空気の察知を一番に感じ取った。
当たり前だ。これも全て予定通りなのだからまだ心の余裕がある。

791は再度、口を開いた。
微笑みの口元を崩さず、だがクリクリとした両目はしっかりと彼を射抜いたまま。

791『ん?ごめん、何て言ったのかな?もう一度言ってくれる?』

someone『貴方にはお話できない、と申し上げました』

No.11『someoneッ!?貴方、自分の言ったことがわかって――』

思わず叫びかかった弟子を、目の前の“魔術師”は片手で制した。
先程までの余裕の表情は消え、今は相手を見下ろす“施政者”の眼を向けている。


772 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その11:2021/06/05(土) 00:38:16.894 ID:D1EWW1soo
791『どういうことだろう?この私に、君は、どうしてしゃべれないの?』

someone『喋れない理由ができましたが、真の理由は、貴方に話したくないからです』




ゾッ。



常人であれば恐れから立っていられないだろう気を、someoneは一心に受けた。
まるで火口から吹き出た焔風を眼前に受けたように、彼女の圧の前に両目を開いたままでいるのは困難だ。
それ程までに目の前の彼女から発せられている殺意は、深く極悪に満ちている。

だが、受け止めなければいけない。
たとえ、ここで焼け死んだとしても悔いの残る人生だけは示しがつかない。

彼は彼自身の矜持を盾に、魔術師の怒りを一心に受けながらも耐え忍んでいた。

791『someone。それが君の答えかい?
小さい時から目をかけ育ててあげた恩を忘れ、【会議所】に付くという阿呆の考えが君の出した結論かい?』

someone『僕は滝本さんたちに付くつもりもありません。彼らも間違っている。
ですが、強いて言えば策謀のない純粋な【会議所】に付く。そう決めました』

口を開くこと自体が無理だと思っていたが、心の内を一度言葉にしてしまえば、あとはすらすらと口からついて出た。


773 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その12:2021/06/05(土) 00:39:37.754 ID:D1EWW1soo
数分。数十分。
いつまで立っていたか覚えてない。

ただ、先に音を上げたのは791の方だった。
彼女はふう、と一息吐くと殺意の気を解除した。そして視線を外すと、だいぶ蒸発してしまっていたメロンソーダの残りをストローで啜った。

791『someone。君は次期【魔術師】になる者として、決定的にロジックが破綻している。

でも、君は同時に賢い。
私が君を屠れないと確信して、この話をしたね?自分を優秀な一番弟子だと見せるために、敢えて使い魔をこの場に出して自分の生命の価値を増した。
少し見ない間に随分と成長したね。その小賢しさに免じて消すことだけはやめてあげるよ。

でも相応の罰は受けてもらおうかな?』

目の前の弟子から興味を失ったように791は顔を背けると、同時に片手を振り上げた。
気を失ったように呆然としていたNo.11は彼女の合図に気がつくと弾かれたバネのように背筋をピンと伸ばした。
そして、先程までの失態を取り戻さんとばかりにツカツカとsomeoneの前まで来ると、彼を魔法の縄できつく縛り上げたのだった。

彼は、抵抗しなかった。
ただ、無表情で無言を守った。


ここで、魔法使いsomeoneの命運は完全に尽きたのだった。



━━━━
━━



774 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その13:2021/06/05(土) 00:40:26.916 ID:D1EWW1soo
【カキシード公国 宮廷 地下室 現代】

鼻先に届いた冷気で、someoneは目を開けた。
誰かが来た合図だ。

一定のリズムを刻みながら、段々と足音が近づいてくる。
足音はやがて檻の前まで来ると、最後に檻の前でドンと一音鳴らし止まったようだった。

顔を向けずとも誰かはわかるものの、彼女から発せられている無言の圧には応じないといけない。
少しでも罪滅ぼしになればと内心で感じているが、この考えが彼女を苛つかせる要因であることはsomeone自身も気づいている。
彼はぜんまい仕掛けの人形のようにぎこちなく首だけを檻の外に向けると、檻越しにローブの裾から伸びた、すらりとした足のヒールの根本と目が合った。


その頭上、ベージュ色のフードの中から、No.11(いれぶん)の鋭い目は道端の汚物を見るように彼を見下ろしていた。

No.11「貴方は本当に愚かなことをしたわ、someone」

someone「…」

何も反応を示さない彼を前に、苛立ち気に彼女は舌打ちした。


775 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その14:2021/06/05(土) 00:41:06.615 ID:D1EWW1soo
No.11「滝本に【制約】の呪文をかけられているということを先に話せばッ。
ここまでのことにはならなかったのよ」

someone「…それは違う。それでも僕はあの人に喋らなかったよ。同じことさ」

返答がくるとは思っていなかったのか、ローブの中で彼女の息を呑んだ音が耳に届いた。
それだけでもしてやったりという気分で、やっとのことで顔を起こしたsomeoneはぼろぼろになったローブの中でぎこちなく微笑んだ。

No.11「791様に楯突くなんてどういうつもりなのッ?」

someone「…」

フードを脱ぎ、顕(あらわ)になった緑髪を掻きながら、彼女の吐く荒い息は白くたちまち霧散した。
普段の地上での“氷の指圧師”を知る者なら、今の彼女の荒れ具合にたちまち驚くことだろう。

目の前で感情を顕にする彼女は、なんだか昔の姿を見ているようで。
壁に背中を預けながら、someoneは思わず少し懐かしい気持ちになった。

No.11「なんとか言いなさいッ!」

someone「…戦況は――」

突然の言葉に、彼女は不快気に眉を潜めた。


776 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その15:2021/06/05(土) 00:42:29.788 ID:D1EWW1soo
someone「――今の戦況を教えてくれないか、No.11」

彼女は再度舌打ちをしたが、すぐに“いつもの”無表情に戻った。
突然沸いてきた仕事を捌くことが使命だとばかりに、まるで目の前の憎らしい同僚から逃げるように、その切り替えは俊敏だった。

No.11「戦いが始まって、もう数刻経つ。
791様の使い魔越しの様子だと、戦況は意外にも拮抗している。

魔戦部隊に手落ちがあったわけではない。当初の想定よりも、王国軍が粘り強く地の利を生かして戦っているわ。
貴方のお友達の斑虎が、うまくやっているようね」

someone「そうか、それはよかった…」

静かに微笑むsomeoneに、彼女は露骨に端正な顔を歪めた。

No.11「貴方が先生のお気に入りでなければ、今すぐにでも私の手で消しているところだわッ。
貴方は国に背いたんじゃない、“恩師”に背いたのよッ!
何よりも大事にしなければいけない方を傷つけたッ!わかって――」

someone「No.11――」


777 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その16:2021/06/05(土) 00:43:08.327 ID:D1EWW1soo
彼女の言葉を遮るように、someoneは小さく、しかし力強い声で呼びかけた。
そこで、初めて彼女と目が合った。

綺麗なマリンブルーの瞳。
昔から変わらない、澄んだ色だ。羨ましいとさえ思う不変の意思を瞳に宿している。
その鋼の心を時おり眩しいと思う。

someone「――ごめん」

そこで、はたと彼女の動きが静止した。

No.11「…その言葉は私にじゃなくて、あの方に言うことね」

ポツリと呟いた彼女の言葉は、不思議とsomeoneの胸に響いた。

彼女は視線を切りフードを被り直し踵を返すと、一定の間隔でヒール音を鳴らしながら去っていった。


部屋は再びシンと静まり返った。

someoneはおでこに片手を当て、深く息を吐いた。
壁に当てている頭の背後がひんやりして心地よい。冷えきった室内なのに心なしか体温が高いと思うのは、体調が悪いのか回想で思いのほか脳を動かしたからか。どちらかはわからない。


778 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その17:2021/06/05(土) 00:43:48.594 ID:D1EWW1soo
―― おい。聞こえてるかッ!聞こえてるかよ、ご主人ッ!

静寂を切り裂いたのは、騒がしい使い魔の声だった。
正確に言えば、使い魔との交信機能でsomeoneの脳内だけに響いているため、辺りは変わらず静寂のままだったが。

someone「…ああ。聞こえているよ」

“頭痛の種だから声は抑えてほしい”と言うのを既のところで我慢し、押し殺した声でsomeoneは返した。
何処かにいるだろう霊歌は、彼の返答に食い気味にまくし立てた。

―― 大変だッ!いま、陸戦兵器<サッカロイド>が王都に着いて、街をめちゃくちゃにしててッ!

someone「ッ!間に合っていないじゃないかッ!」

霊歌と以前話していた“計画”では、オレオ王国の王都を攻撃する前に陸戦兵器<サッカロイド>を封じる手筈になっていた。

―― それはしかたねえんだッ!Tejasのやつがしくったんだよッ!あいたッ!

どうやら、横にいた彼に小突かれたらしい。


779 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その18:2021/06/05(土) 00:44:38.974 ID:D1EWW1soo
―― ッて、本題はそれじゃないッ!ここまでほぼ予定通りだが、計画に狂いが一つだけある。

someone「…なに?」

―― 王都にお前の大事な“親友”が迷い込んじまっている。


someoneはそこで大きく目を見開いた。

彼が巻き込まれる可能性について、ある程度予期はしていた。
だが、タイミングが悪すぎる。前線で戦う彼が、なぜ単身で王都にいる。

―― いま二人で後をつけているが、このままじゃあ陸戦兵器<サッカロイド>の攻撃に巻き込まれる。
どうする?おれたちだけじゃあ限界がある。

彼は強いから、きっと生き残れる。そう心のどこかで祈っていた。

だが、現実はそう甘くない。
幾ら斑虎が歴戦の兵士だとしても、陸戦兵器<サッカロイド>と初見で戦える兵士は存在しない。
赤子と猛獣を戦わせるようなものだ。それまでに規格外の彼らとは勝負にならない。

今こそ決断の時だ。


780 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その19:2021/06/05(土) 00:45:58.193 ID:D1EWW1soo
―― おいおいおいッ!奴さんがあいつに気づきやがったぞッ!
いま、攻撃されたら跡形もなく消されちまうッ!今すぐ決めろ、ご主人ッ!!


someoneは目を閉じ、心臓部に手を当てた。
心音は一定のリズムで拍動を打っている。

正義の火は未だ消えていない。彼により“生まれ変わった”この心の火を、彼のために使う。
その覚悟を決めた。


いま、使うしかない。










師匠の791にも隠していた、someone自身の【儀術】を。


781 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その20:2021/06/05(土) 00:47:18.839 ID:D1EWW1soo
someone「汝、霊歌に問う。生々流転なす生命の源流に、我を導くと誓うか?」

―― …誓う。術者someoneの使い魔 霊歌は此処に、契約履行の審判を仰ごう。

途端に足元に黄金色の魔法陣が展開された。同時に何処から吹いてきたのか、someoneの周りを突風が巻き上げた。
はためく群青のローブを抑えようと地面に手を当てていると、異変を察知したのかNo.11が急いで戻ってきた。

No.11「いったいなにごとなのッ!?」

someoneは彼女の言葉には応じず、額に手を当て詠唱を続けた。

someone「生命の大樹よッ!太古に潜む傑物たちよッ!我との血の契約を今こそ果たさんッ!」

吹き上がる突風で近づけずに彼を見ていたNo.11が、驚愕のあまり顔を青ざめた。

彼の“企み”に気づいたのだ。

No.11「まさか、貴方ッ!」

詠唱の中で、一瞬、チラリと彼の瞳がこちらを向いた。
光を失ったはずのヘーゼルカラーの眼は、いま意志が宿ったかのようにと燦然(さんぜん)と光り輝いている。この輝きに、No.11は覚えがあった。


尊敬し崇拝する、愛すべき師と同じ眼を、いま彼はしているのだ。


782 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その21:2021/06/05(土) 00:48:17.423 ID:D1EWW1soo
彼は困ったように、ほんの少しだけ眉尻を下げた。

学生時代からの癖だ。こちらが強い口調で返すと、彼は決まってそうした。
偽善のように、浅はかな謝罪を、その眠そうな半目とともに示してくる。
こちらの神経を逆撫でしているとも知らず、彼は昔から繰り返しそうしてきた。


しかし、いま。
No.11の受ける彼の印象は真反対だった。
最後の戦いへ赴く騎士のように、全てを受け入れ全ての覚悟を決めた顔つきをしている。
目的のためなら死をも厭わない、正真正銘の儚さと決意を身に纏っている。


その上で、彼の眼が最後に語りかけてきた。

先程も聞いた、飽きるほどに、繰り返し何度も聞いてきた言葉を。



“ごめん”、と。


783 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その22:2021/06/05(土) 00:51:01.495 ID:D1EWW1soo
―― 契約はいま、魔の理の下で聞き届けられた。ご主人よ――

猛烈な風切り音で聴覚を封じられる中、霊歌の言葉が脳内にしっかりと響く。

生意気な彼は、危機の中にありながらとても穏やかな声色をしていた。
そしてポツリと一言だけ、鼓舞の言葉を投げかけた。



―― しっかりな。

















someone「儀術『エクスチェンジ』ッ!!!!」


784 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 逆転への奇策編その23:2021/06/05(土) 00:52:23.414 ID:D1EWW1soo
途端に、someoneの身体が黄金色に輝き、直後にこれまでで一番激しい閃風が巻き起こった。


思わずNo.11は腕で顔を覆い、肝心の術式の行使の瞬間を見逃した。

しかし、次の瞬間には何が起こったのか、全てを理解していた。



檻の中には、先程まで彼が居た場所には、代わりにくすんだ色の小型犬がちょこんと座っていた。



霊歌「よお。久しぶりだなあ、ご主人のお友達さんよお」


檻の中にいる霊歌は、ニヤリと笑ったのだった。


785 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/06/05(土) 00:56:24.502 ID:D1EWW1soo
◆儀術名:エクスチェンジ  術者:someone
転移の儀術。自らも含む指定した二体の位置を瞬時に交換する。術者が指定対象の存在を認知できていれば、離れた位置にいても儀術は成功する。
ただし距離が離れている程、魔力消費は膨大になる。


786 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/06/05(土) 00:57:18.322 ID:D1EWW1soo
¢さんのカード効果を見て思いついた設定です。カスケード、ここでつながりがでましたね。
そしてようやくここまでこれました。最終決戦です。

787 名前:たけのこ軍:2021/06/05(土) 10:22:34.116 ID:nuhABasM0
霊歌ちゃんがかっこいい

788 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/06/08(火) 22:38:36.709 ID:MWNrUwX6o
予め今週はおやすみです

789 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/06/20(日) 16:52:39.529 ID:FWXiv.zYo
今日とんでもなく長いけどごめんなさい。

790 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その1:2021/06/20(日) 16:54:27.186 ID:FWXiv.zYo
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━━━━

【きのこたけのこ会議所区域 someoneの自室 1ヶ月前】

霊歌『ご主人もとんだ博打打ちだな。あんたの構想する儀術は単純だが強力だ。
だが、使い所を誤れば、二度同じことはできないと思ったほうがいい。それほど、追加契約の魔力消費は激しい』

someone『わかってる』

儀術“エクスチェンジ”。

指定した二人の位置を入れ替えるという、シンプルな魔術だ。対象となる相手の足元に仕掛けた転移の魔法陣で瞬時に互いの位置を入れ替えるもので、公国の宮廷内に張り巡らせている転移ポータルと元々の原理は同じだ。

ただし、この原理のままでは術者は視界の範囲内でなければ足元へ正確に魔法陣を配置することは出来ない。
距離の問題を解決したければ予め魔法陣を展開しておき、そこに足を踏み入れた人間を転送するという、落とし穴のような方法もあるが、実戦ではそう簡単に事が運ぶとも思えない。
単純な魔法ゆえ戦闘で使おうとすれば入念な準備が必要のため、転移魔法を攻撃戦法に使う手段は、あまり“流行らない”考えだった。

念動系の魔法を得意とするsomeoneは、魔法学校時代からこの転移魔法をなんとか実戦で使用できないか考えていた。
そして、魔法学校を卒業する間際に、遂に【使い魔】を用いた秘策を思いついたのだ。

以来、仕事に忙殺され構想段階での研究は遅々として進まなかったが、皮肉にも【会議所】に来てから時間に余裕ができ、先日になりようやくこの術式を完成させたのだった。


791 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その2:2021/06/20(日) 16:55:13.715 ID:FWXiv.zYo
霊歌『今後、おれとご主人の精神は根っこでほぼ同一化する。
それがご主人の望んだ“契約”だ。

互いに望めば、精神世界を通じテレパシーのように言語を発さずに会話することも可能になるだろうな。
ただ、その分日常的にご主人の魔法を消費して同一化を維持し続けることになるから、相当辛くなる。それでもいいか?』

someone『うん。日常的な魔法の消耗は学校時代から訓練されているから大丈夫』

使い魔と術者の精神を深く共有化させることで、離れていてもsomeoneは霊歌の位置を正確に把握できるようになる。
互いが遠地にいても、精神を伝い、霊歌の持つ魔力を手がかりに彼を含む周囲の対象者に魔法陣を仕掛け、転移魔法を可能とする。
二人の意識が繋がっている限り、転移距離は理論上無限となるのだ。

この奇襲戦法をより確かなものとするため、someoneは同時に転移魔法の研究を極めた。
今では他の誰よりも正確に、かつ高速に対象者の足元に転移魔法陣を仕掛ける術を習得した。

この一連の合算を、someoneは儀術“エクスチェンジ”と名付けたのだった。

霊歌『この儀術を使う時は、ご主人が公国から出なくちゃいけなくなった時だ。
それはつまり、かなり追い詰められた状況ということになる』

someone『わかっている…現状、僕は滝本さんに出し抜かれた。
陸戦兵器<サッカロイド>に対して打つ手もない。でも、それでも窮地から抜け出すための奥の手として持っておきたいんだ』


792 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その3:2021/06/20(日) 16:55:47.349 ID:FWXiv.zYo
儀術“エクスチェンジ”は奇襲的な技ゆえに、基本的に二度目は通用しない。
術者か【使い魔】のどちらかが倒れればその時点で技の行使は不可能となるからだ。この大技を使う時は、自分や他者を窮地から救うためだけに限定しないといけない、とsomeoneは予め考えていた。

霊歌『悲壮感たっぷりな顔つきだな』

呆れたように半目を向けこれみよがしに溜め息を吐いた霊歌だったが、すぐに顔を上げた。

霊歌『安心しな。ご主人は底抜けに暗いかもしれないが、おれはその真逆だ』

その顔は、悪戯っ子のように茶目っ気に満ちていた。
どこまでも楽天的で、それでいて危機を乗り越えられそうな“変な”自信に満ちている。
明日、自分と同じ立場でオレオ王国に旅立つ親友にそっくりだ。

真に求めていたものが、いまsomeoneには分かった気がした。
そして、彼の言葉に応えるように、一度だけ力強く頷き返したのだった。


━━━━
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793 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その4:2021/06/20(日) 16:56:32.209 ID:FWXiv.zYo
【オレオ王国 王都】

まるで脳を素手で直接握られ、激しく揺らされているような唾棄すべき感覚。

先程まで暗い室内にいた眼球は、目の前の眩い明るさに一瞬硬直し、遅れてすぐに視界がぼやけた。
左右方向だけでなく、まるで目の焦点が奥に引っ込みまた戻るような、そんな言葉にし難い目眩がひたすらsomeoneを襲った。

倒れたくなる気持ちをぐっと堪え、吐き気に耐えながら重い頭をやっとの思いで上げると、まるで綿あめがパンと弾けたようにそこらかしこで激しい光の点滅が視界中を覆った。

一生分の苦しみを味わったような気分を経て、ようやく彼の身体に正しい情報が集まり始めた。

蒸すような気温の高さ、焦げ付いた硝煙の臭い。久しぶりの晴れ間を覗けるはずが、地上から湧き上がった煤煙のせいで空は黒く隠れ、辺り一帯は薄暗い。
人の悲鳴は聞こえないが、代わりに悲鳴のように木が爆ぜ、自重に耐えきれず建物が崩れ落ちる音。





someoneはいま、確かに燃え盛る王都の中に居た。

儀術“エクスチェンジ”は完璧に成功していた。


霊歌を事前に791の前で見せたのは、自ら生き残るためだけではない。いまこの時のような窮地に儀術を活用するためにあった。
someoneは彼女の性格を理解していた。仮に自らが捕らえられたとしても、彼女はきっと【使い魔】の動きまで封じることはしないだろうと。
そして、その読みは正しかった。


794 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その5:2021/06/20(日) 16:57:27.393 ID:FWXiv.zYo
Tejas「斑虎さん、あぶないッ!!」

そこで初めてsomeoneは、自身のすぐ横にきのこ軍兵士 Tejas(てはす)が立っていることに気づいた。
彼はずたずたに破れた黒のレザージャケットを羽織っており、破れた右腕付近からちらりと呪いの紋章が見えた。すぐに意識を戻し、驚いた様子の彼の視線をすぐに辿っていくと。


爆炎の中心には、見慣れた“親友”が呆然と突っ立っていた。


口を開けた彼の顔の見上げる先には、巨大な陸戦兵器<サッカロイド>の腕先から伸びる小型銃の真っ黒な銃口が見えた。

その異質な存在に一瞬呆気にとられている彼と、表情もなくのっぺりとした透明体の怪物から放たれるギラギラとした殺気。
動物の捕食の瞬間を見たことはないが、きっと生命のやり取りとはこのように一瞬の間を経て行われるに違いないと思った。

今のsomeoneは頭に血がのぼりすぎ、かえって自らを酷く冷静にしていた。【大戦】で、たけのこ軍兵士を屠るために戦場で大立ち回りをする時の感覚によく似ている。
心と身体が分離する、あの感覚だ。
だから、彼を救おうと思った瞬間には、すでに身体が動いていた。

陸戦兵器<サッカロイド>が銃弾を発射する直前に、既にsomeoneは詠唱を終えていた。

someone「『ファイアジュール』ッ!!」

斑虎「ッ!?」


795 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その6:2021/06/20(日) 16:58:34.068 ID:FWXiv.zYo
突き出した手のひらから放たれた火炎の渦は、綺麗な弧を描きながら巨人の足元で赤色の光を発したと同時に弾け、器用に軸足周りの地面だけを溶かしきった。

発射体制に入っていた巨人は、軸足の支えを失い前のめりになると同時に腕に装着した銃を発射し、その極太い銃弾は斑虎の立っていた数m手前で炸裂し爆破した。
当たっていれば斑虎だけでなく後方にあった建物も巻き込んで消し炭になっていたことだろう。

someone「斑虎ッ!」

斑虎「お、おうッ!」

目の前の事態に目を白黒させていた斑虎だが、聞き慣れた親友の呼びかけにすぐに意識を戻し、反射的にその場で高く跳び上がった。

someone「『ヘビージャンボスノー』ッ!」

跳んだ彼の足元で一度空気の抜けたような音が鳴ると、次の瞬間、彼の身体はトランポリンに乗った時のようにたちまちさらに上空に跳ね上がった。

はるか上空から巨人を見下ろすと、敵はすでに銃器を持ち直し体制を立て直しているところだった。
体躯に見合わない素早い身のこなしに、斑虎は、敵が歴戦の勇士であることを確信した。

斑虎「『スコーンエッジ』ッ!」

空中から二刀の剣を勢いよく投げ下ろすと、地上に向かう剣と外気との間にすぐに空気の膜が作り出された。そのまま巨人の足元付近の地面に突き刺さると、双剣は勢いよく地面に潜った。
そして、カップに入ったアイスを掬うスプーンのように二刀は地面の中を器用に潜りきり、巨人の足元の地面を綺麗に抉り(えぐり)取った。

途端に足元の地面が崩れた衝撃で、巨人は今度こそ轟音とともにその場で前のめりに倒れ伏した。
数十mを超える巨体が倒れた衝撃で、地上のsomeoneたちには地鳴りのような衝撃音と大量の砂埃が巻き上がった。

巨人はそのままピタリと動きを止めた。


796 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その7:2021/06/20(日) 16:59:15.470 ID:FWXiv.zYo
someone「斑虎ッ!こっちだッ!」

地上に舞い降りた斑虎は、改めて親友の姿を目にすると驚愕した。
先程から彼の驚いた姿しか見てない気がする、とsomeoneは変に冷静になった。

斑虎「someoneッ、どうしてここにッ!?公国で捕まったんじゃないのかッ!」

someone「【使い魔】の霊歌と位置を入れ替えたんだ、僕の儀術でね。公国の牢屋から抜け出してきた」

Tejas「オリバー…もとい、霊歌の秘策っていうのはこのことか。
まさかあいつの代わりにsomeoneさんが出てくるなんてビックリしたが」

二人は分かったように頷いているが、斑虎からすればさっぱりだ。
考え込んでも仕方がない。分からないことは他にもある。
続いて、彼は広場の中央で横たわる巨人を指差した。

斑虎「それに、あの化物はなんなんだいったいッ!」

someone「あれは陸戦兵器<サッカロイド>。
簡単に言うと、滝本さんたち【会議所】の重鎮メンバーが、秘密裏にオレオ王国を不当占拠するために作り出した悪の兵器だよ」

斑虎「なにッ?なんだとッ?」

斑虎は自分の耳を疑った。

目の前の親友は【会議所】の作り出した兵器と言ったのか。
なんと馬鹿げた話だ。昔から彼は冗談の下手な男だったが、今の話はことさらセンスの欠片もない。


797 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その8:2021/06/20(日) 16:59:59.306 ID:FWXiv.zYo
だが、彼の言葉を肯定するように、隣に立っていたTejasも真面目な顔で頷いてみせた。

Tejas「斑虎さんは騙されていたってことさ、一部の【会議所】メンバーにね」

someone「驚かないで聞いてほしい。端的に言うと、最初からこの戦争は滝本さん…そして“魔術師”791に仕組まれていた。
公国は裏で791さんが支配しオレオ王国を滅ぼそうとしていた。
同時に、【会議所】は滝本さん、¢さん、参謀の三人が首謀者となり王国に攻め込んだ公国軍ごと、陸戦兵器<サッカロイド>で壊滅させ、不当に王国を占拠しようとした。

立場の異なる策謀家たちが、王国を食い物にしようとしているんだ」

あまりにも急な話に斑虎は思わず絶句した。

もし彼の話が真実なら。一体、自分は何のために戦ってきたというのだろうか。

斑虎「【会議所】は、最初からオレオ王国のことを裏切ろうとしていたのか?
手をこまねいて助けを求めてくる王国を、手ぐすね引いて待っていたというのかッ!」

激昂した斑虎の言葉に、気まずそうにsomeoneは一度だけ頷いた。
煤(すす)まみれのTejasはそれを見かねてか、取り繕うに肩をすくめた。

Tejas「無理もない。俺はカカオ産地でたまたまsomeoneさんの【使い魔】の霊歌という奴と出会ってな。それで事の次第を教えてもらったのさ」


798 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その9:2021/06/20(日) 17:00:47.710 ID:FWXiv.zYo
someone「信じられないかもしれない…でも、全て本当のことなんだ、斑虎」

肩を落とす斑虎に、someoneはおずおずと声をかけた。だが、彼は静かに頭を振った。

斑虎「信じないことなんてないさ。寧ろ、その逆だ。
お前が言ったことなら“全て信じられる”。
だからこそ、愕然としているんだ。滝本さんたちの起こした暴挙にな」

自分をオレオ王国の使者にしたあの日の会議から、既に騙されていたのだ。

目的は不明だが、オレオ王国を破滅させ非合法的に占領しようとした滝本たちの悪行を断じて見逃すことはできない。
オレオ王国内を必死にまとめ上げ協議まで漕ぎ着けたこちらの姿を、滝本はどう感じたのだろうか。

きっと裏で嘲笑っていたに違いない。

全て無駄な行動であると。カキシード公国と【会議所】の望み通り協議は破談に終わり、戦争に突入するのだから無意味に終わると。

斑虎の拳はいつの間にか強く、そしてきつく握られていた。
この拳の意味するところは一つしかない。

怒りだ。
罪なき王国の民を危険に晒し、私利私欲のために戦乱を撒き散らそうとした彼らの振る舞いを断じて許すことはできない。
彼の正義の火の勢いは、いま最高潮に達しようとしていた。


799 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その9:2021/06/20(日) 17:01:58.622 ID:FWXiv.zYo
ナビス国王「君たちッ!無事かねッ!?」

「王様ッ!危険ですッ!」

斑虎たちが王宮側を振り返ると、白馬に跨ったナビス国王が燃え盛る広場に出てきたところだった。
王宮からは遅れて数名の部下が走って向かってきていることから、どうやら部下の静止を振り切って来たようだった。

ナビス国王「これは、いったいッ…やはり報告の通り、公国軍の侵入を許したわけではなかったのか」

斑虎は目の前の賢王に真実を伝えてよいものかどうか逡巡した。
だが、唇の奥を一度噛むと、義憤に駆られた彼は王の前に歩み出た。

斑虎「王様、お下がりください。目の前に横たわる巨大な結晶体は我が【会議所】の新兵器です。
一部の重鎮が謀り、この場に集まった両軍を屠るために投入された巨人型の兵器です。
我々の“敵”ですッ!」

ナビス国王「なんと…信じられない。まさか、あの【会議所】が…」

国王の嘆きに呼応するように、瓦礫の崩れる音とあわせ、動きを止めていた陸戦兵器<サッカロイド>はゆったりと起き上がった。

起き上がった巨人の透明な身体越しに、これまで彼が破壊してきたであろう市街地の赤く燃え盛る様子がまじまじと見え、それだけで剣を握る斑虎の力はより強くなった。

顔と思わしき部分には目鼻や口すらもなく、角張っていないすらりとした身体では、巨人がいまどちらを向いているのかも見失うほどだ。
胴体からはすらりとした手足が伸び、彼の間合いに入ってしまえばたちまち接近戦では勝負にならないだろう。

陸戦兵器<サッカロイド>は足元で相対する人々を前に首を左右に傾けたり、両の拳を何度か握り直している。準備運動のつもりなのだろう。


800 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その11:2021/06/20(日) 17:02:46.397 ID:FWXiv.zYo
someone「敵の目標は王宮だッ。食い止めないとッ!」

ナビス国王「騎馬隊、構えッ!撃てッ!」

国王の命令に追いついた数名の兵士たちはライフル銃を構え、巨人の胴体に向け間髪入れずに発泡した。
放たれた銃弾は狂いなく胴体に当たり、そして身体に傷一つ付けることなくその場で弾は砕け散った。

斑虎「なんだあの硬さはッ!?」

someone「陸戦兵器<サッカロイド>は特殊な錬成の過程でダイヤモンドよりも硬くなった飴細工の巨人なんだ…銃剣どころか魔法でも容易に傷つけることはできない」

斑虎「おいおい。それは無敵ってことか?」

someone「少なくとも…今の僕たちに倒す方法はない」

斑虎は悔しそうに歯ぎしりした。
爆炎の中で陸戦兵器<サッカロイド>の周りだけが、冷気を放っているように空気がゆらめいていた。

斑虎「…王様。我々が時間を稼ぎます。すぐに王宮に戻り、ここから脱出の準備を」

ナビス国王「斑虎くん。言葉を返すようだが、私も一国の主として最後まで此処で――」

斑虎「――それでは駄目なのですッ!いま此処で貴方を失えばそれこそ敵の思うツボだッ!苦しいでしょうが、今はお逃げなさいッ!いつかきっと再起の目がでるッ!」

ナビス国王はなおも反論しようと口を開きかけたが、斑虎たちの決意に満ちた顔を見て思い直したのか神妙そうに眉を寄せ、そして強く頷いた。

ナビス国王「…恩に着る。斑虎くん、必ず生きて戻ってこい。皆の衆、戻るぞッ!」

国王の指示に、兵士たちはすぐに踵を返し王宮に引き返していった。


801 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その12:2021/06/20(日) 17:03:26.394 ID:FWXiv.zYo
ぐるぐると腕まで回し終えた陸戦兵器<サッカロイド>は準備運動も終わったのか、片足を上げ王宮に向かい近寄り始めた。

someone「斑虎…」

斑虎は困ったように眉を下げた。

斑虎「カッコつけた手前、戦わないわけにはいかなくなったな。悪いな、付き合わせちまってッ」

someoneは首を横に振った。
ところどころ破れたローブの中の彼の顔は、不思議と微笑んでいるようだった。

someone「いいよ。それが斑虎の“正義”だってことは、前から知っていたから」

Tejas「お二人さん、陸戦兵器<サッカロイド>が前進し始めたぞッ!」

ズシンと響いた揺れは、数十m離れた先で巨人の足が地に付いたことによる揺れだった。
今度の彼はこちらのことなど気にしていないのか、ただ三人の背後にそびえる王宮に向かい歩みを進めている。

斑虎「someone、援護を頼むッ!」

斑虎はそう言い残すとその場を跳び、近くの商家の屋根に移った。さらに間髪入れずに跳ぶと、彼は瞬く間に陸戦兵器<サッカロイド>に接近した。

someone「『ガルボルガノン』ッ!」

斑虎「おらあッ!その首とるぞッ!!」

someoneの唱えた魔法は、斑虎の持つ双剣の刃に渦巻くように炎の渦を作り出した。さながら炎の剣という出で立ちだ。
跳んだままの彼は巨人の首元に急接近すると、首の頸動脈部、つまり人間でいうところの急所部分に両の刃を振り下ろした。


802 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その13:2021/06/20(日) 17:04:14.519 ID:FWXiv.zYo
斑虎「とったッ!」

炎を纏った剣の切っ先が巨人の首元に触れる。実感はあった。
だが――


パキン。

呆気ない音を立てて、斑虎の持った双剣は巨人の硬度に耐えられず根本から折れてしまった。

斑虎「ちくしょうッ!もう一度だッ!」

巨人の肩に一瞬足を触れすぐに離れると先程の商家の屋根に戻った斑虎は、背中に背負っていた鞘からもう二本の剣を抜いた。
そして、呼吸を整えるために一度だけ軽く息を吐いた。



その一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。

Tejas「斑虎さんッ、くるぞッ!」

Tejasの洞察力がなければ、斑虎の生命はそこで散っていたかもしれない。

耳に届いた微かな風切り音とともに、彼の言葉を受け、咄嗟に刃を前に交差させた斑虎は、巨人から放たれた斬撃を既のところで受け止めた。
だが、その一撃はあまりにも重く、衝撃を吸収してもなお彼は数m程後方の民家に吹き飛ばされた。


803 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その14:2021/06/20(日) 17:05:32.169 ID:FWXiv.zYo
斑虎「なんて威力だッ…」

すぐに立ち上がった斑虎は、二つの事実に気がついた。
一つは、先程まで自分が立っていた商家は先程の攻撃で粉々に砕け散っていたこと。


そしてもう一つは、斬撃だと感じていた敵の攻撃は、実は蹴りによる風圧から生じる“真空波”だったことだ。

巨人は前進のための歩みを止め、片足をゆらりと上げた姿勢でこちらの方を見つめているようだった。顔こそないものの、相対する“気”のようなものを感じ取ることができた。
その戦闘手法には見覚えがあった。

斑虎「この構えはッ!?」

someone「気をつけて、斑虎。陸戦兵器<サッカロイド>には、かつて【大戦】で活躍した【会議所】の英雄の魂が宿っている。戦闘力もきっと当時のままだッ!」

―― 肉体は極めれば、トンファーよりも早い斬撃を繰り出せるようになる。

思い出すのは、【会議所】の鍛錬場での晴天の空模様。
そこで斑虎は、いつも教官である“彼”に鍛錬をつけてもらっていた。


804 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その15:2021/06/20(日) 17:06:40.609 ID:FWXiv.zYo
斑虎「そういうことかッ。あんたなんだな、“Ω(おめが)さん”ッ!!」

自らをトンファー使いと語りながら、手に持ったトンファーを一切使わず脚のみで敵を蹴散らしていたたけのこ軍 Ω(おめが)は全たけのこ軍兵士の憧れの的だった。

七年前、王国を飛び出し単身で【会議所】に飛び込んだ彼を待ち受けていたものは、鬼教官による容赦ない蹴りの応酬だった。
【大戦】黎明期に活躍したΩはその頃既に引退状態にあり、後進の指導に当たっていた。

戦いのいろはも知らない兵士たちはそこで彼の下で鍛錬を積み、両軍問わず立派な“兵士”として巣立っていくしきたりになっていた。
顔中に皺を深く刻みながらも、Ωはどの新兵よりも快活に動き、檄を飛ばしていた。

接近戦において、彼は現役兵士と混ざっても無類の強さを誇った。
片足を上げまるで武術の型のようにピタリとも動かず敵を待つ彼の姿は獲物を狙う鷹のようで、恐ろしくもあり憧れでもあった。

鍛錬では新米兵士全員で彼に向かっても彼の蹴りの前に容赦なく吹き飛ばされ、いつも全員は晴れ晴れとした空を見上げるしかなかった。
その度に、彼はそんな全員の傍に寄るといつも叱りつけ、そして最後には少し優しい声色で次のように語っていた。

―― 接近戦において。銃は抜き、構え、狙い、引き金を引くまでに四動作。
ナイフでも構え、切るの二動作。
それに引き換え、足は蹴るのみ。一動作だけで終わる。
お前たちにそのハンデを克服できない限り、一人前の兵士とは言えないな。


805 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その16:2021/06/20(日) 17:07:24.864 ID:FWXiv.zYo
ヒュッという風切り音とともに、巨体を靭やかに揺らしながら陸戦兵器<サッカロイド>は高速の蹴りを繰り出した。
今度こそ反応した斑虎は、瞬時に屋根から飛び降り彼の斬撃を交わした。

地面に飛び降りた後の彼は、巨人のことなど脇目も振らず燃え盛る家々の間を器用に進んだ。
背後から怒号のような殺戮音が聞こえてくる。恐らく、家々の中に隠れた小さな弟子を屠るために脇目も振らずに蹴りを繰り出しているのだろう。

思い出せ。【会議所】に来るまでの思い出を手繰り寄せろ。
子供の頃、親とはぐれ人混みの中で必死に人をかき分けながら、広場を歩き回ったあの時を。学校の授業をさぼり、広場の路地という路地を走り回っていたあの時のことを。

斑虎は長くない数秒間の中で自分にそう檄を飛ばし、必死に過去の記憶を頼りに、多少の火傷とも気にせず、器用に裏路地を進み続けた。

Ωの語るとおり、接近戦では手数の差で彼の蹴りの前に剣は意味をなさない。
だが、同時に斑虎は彼の唯一の弱点を知っていた。

斑虎「七年の時間は俺を強くしたッ!あの頃の俺と思うなッ!」

それは、彼の蹴りの届かない死角に回り込むことだ。

民家を利用し身を隠した斑虎は、彼の背後まで到達できる裏道を使い素早く移動していたのだ。
再び広場に出ると、巨人ののっぺりした全形が見えた。だが“気”は感じられないことから、いま相対している面が“背中”に違いないだろう。
出し抜いたという、かつての師を一瞬でも超えたという実感が、斑虎の内よりこみ上げる力をより確かなものに押し上げた。


806 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その17:2021/06/20(日) 17:08:34.759 ID:FWXiv.zYo
斑虎「『ジャガーライク』ッ!!」

今度はうなじの部分に向かい突撃をしようと跳んだ、その瞬間――



ガチャリ。


生命を刈り取る鈍い音が、斑虎の鼓膜の奥にまで響いた。

someone「『エアリアーリアル』ッ!!」

いつの間にか斑虎の方を向いていた巨人の腕の銃から放たれた銃弾は、someoneの咄嗟の機転で、斑虎を魔法の閃風で吹き飛ばすことで直撃を避けた。


先ほどと反対方向の広場に叩き落とされた斑虎は、打ちどころの悪い箇所をさすりながらも自嘲気味に笑みをこぼした。

斑虎「すまない、someone。本当に死ぬところだった…」

肩で息をする斑虎の脳内に、数秒前の光景がフラッシュバックした。

巨人は彼の背後からの攻撃を予め見越していたのだろう。
そのうえで腕を上げて装着されている銃の射線を確保し、彼が現れるまで敢えて待っていた。
あの時の、間近で撃鉄を引く音が耳にこびりつくように何度も反芻され、途端に斑虎の背中からはどっと汗が吹き出した。


807 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その18:2021/06/20(日) 17:09:41.244 ID:FWXiv.zYo
someoneとTejasの二人は、うつ伏せに倒れ伏している斑虎の下にすぐに走って駆け寄った。
Tejasは彼を抱き抱えると、珍しく必死の形相をつくりだした。

Tejas「斑虎さんッ!いまはあいつから逃げるしかないッ!
俺たちでは倒せないッ。だが、時間がくれば奴を止める手立てがある。それまでの辛抱なんだッ!」

斑虎「…いま逃げたとして、いったい誰が王宮を守るんだ?」

血の溜まった唾を吐き捨て、斑虎は遥か頭上の陸戦兵器<サッカロイド>を睨みつけた。
顔を持たない巨人は“涼しい”横顔で、既に斑虎たちのことなど興味を失ったように、歩みを再開しようとしている。

斑虎「くそッ。これじゃあ、まともな兵士の攻撃なんて通らないじゃないかッ。本当に、打つ手はないのかッ!」

悔しげな表情を露(あらわ)にし、やり場のない怒りを吐き出す情熱的な男を前にして、この男だけはいつもの“冷静さ”を以て言葉を発した。

someone「斑虎。僕に一つ、策がある」

二人はすぐに彼に顔を向けた。
彼は群青色だったボロボロのフードを脱ぎ取り、決意の目を斑虎に送っていた。その眼には、同じ果てなき“情熱”を宿しながら。

斑虎「いったいなんだッ!?」


someone「僕は、もう一度だけ、“儀術”を撃てる」


808 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その19:2021/06/20(日) 17:10:38.942 ID:FWXiv.zYo
彼の最初の説明はいつだって言葉足らずだ。
それは、彼が口下手である以上に、こちらを遥かに上回る聡明であるが云えに、端的な説明だけで相手も理解できるだろうという過ぎた認識を持っているからだろうと、斑虎はそう分析している。

だから、自分のような学もなく頭の動きも良くない人間は、何度も聞き返さないといけない。
恐らくその過程で煩わしさを感じた凡庸の人間は彼から去っていくのだろう。

だから彼に友達は殆どいない、自分一人を除いては。
凡庸で無知であることを自覚している分、彼と接することは百の利があっても一の害とはならなかったのだ。

そんな斑虎自身でも、珍しく今回の話は一度で理解できた。同時に、あまりの突拍子もない話に思わず笑みがこぼれた。
Tejasだけは分かっていないのか、横で不思議そうに首をかしげている。

斑虎「そういうことか。コンマ何秒かのタイミングの話になるぞ?任せていいのか?」

someone「【大戦】で競いあって、どっちが多く勝ったっけ?」

滅多に無い彼の勝ち気な言葉に、思わず斑虎は今の状況を忘れいよいよ声を出して笑ってしまった。

斑虎「良いだろう。俺の生命、お前に預けるぜ」

Tejas「よくわからないが、どうやら俺もそうせざるを得ないようだな…急がないとあいつが王宮をめちゃくちゃにするぞッ!」


809 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その20:2021/06/20(日) 17:11:49.266 ID:FWXiv.zYo
Tejasの言葉に頷き、彼の腕を借りて立ち上がった斑虎は、戦勝気分のようにゆったりと歩く陸戦兵器<サッカロイド>に向かい大声を張り上げた。

斑虎「“Ωさん”、聞いているかッ!
さっきから、そんなちまちました攻撃であんたらしくもない。そんな弱っちい攻撃で俺たちから勝ちを奪えるとでも思っているのかッ?!」

陸戦兵器<サッカロイド>は止まらない。
宮殿に続く正門前の広場をゆっくりと闊歩している。

斑虎「戦いたいという野郎を無視するなんて、あんたも随分と腰抜けになったなあッ!
“鬼たけのこ”の異名が聞いてあきれるぜッ!!」

ぴたり、と。
片足を上げたまま、巨人は確かに静止した。

斑虎「現役の頃のあんたは、そんな小技で敵をいたぶるような卑劣な兵士ではなかったはずだ。一撃で全てを葬る強さこそが強者の誇りであり掟だと。
そう俺たちに教えたのは他ならぬあんただッ!

俺たち新兵の憧れの象徴だった。

まだこの声は届いているんだろう?
来いよ、全てを決める一撃でッ。

俺たちを全力で消しにこいよッ!」

上げた足をその場で静かに降ろし、巨人はまるで暫し何かを考え込むように、頭を憂い気に少し下げた。


810 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その21:2021/06/20(日) 17:12:39.375 ID:FWXiv.zYo
すると。
まるでバレエのようにその場でくるりと方向転換をした巨人は、その胴体の正面を斑虎たちに勢いよく向けた。

そして、間髪入れずに自身の背中に長い手を伸ばし、擬態の術で透明になっていた特大の銃器を取り出すと、そこで初めて黒光りした大筒の姿が顕になった。
全長は斑虎たちの身長をゆうに超える大きさで、砲口の大きさといえば広場に出ている露店を二つか三つまるごと飲み込めるほどの大きさだ。
巨人が武器の側面に取り付いているコッキングレバーを勢いよく引くと、その鳴り響いた撃鉄の音は、先ほどとはまるで違う、まるで戦艦の艦砲射撃音のような地鳴りとなり、三人の鼓膜の奥まで響き渡った。

Tejas「鼓膜が破れるッ!」

斑虎「いいぞ、Ωさん。かかってこいよッ!俺たちと勝負だッ!」

巨人の両手で構える大筒の砲口に急速に光の集まっている様子が、正面にいる斑虎たちにはまじまじと見えた。
側面部に搭載されている魔力タンクから供給された魔力が光に変換されているのだ。
魔力が最大まで溜まりきったその時に、砲口に溜まった光は魔法光線として放出され、目の前の斑虎たちだけではなく、背後にある民家ごと瞬時に燃やし尽くすのだろう。

数秒後に自分たちの存在ごと消し炭にするだろう敵の準備を待っているというのは、someoneにはどこか不思議な感じがした。


811 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その22:2021/06/20(日) 17:14:04.107 ID:FWXiv.zYo
だが、ここにきて小刻みに身体が震え始めた。
隣の二人に悟られたくないが、恐れからか、それとも責任の重大さからくる自信のなさに怯えたからか、震えは収まるどころか加速していた。

死は怖くない。だが、自分の無謀ともいえる提案で、これから放つ技のタイミングを誤った瞬間に隣にいる二人を死においやってしまうかもしれないと考えると、
途方も無い広大な空間に自分が一人放り込まれたように、恐怖で足が竦みそうになった。

今までは一人で生きてきたから平気だった。
それがいま、二人の生命を預かるという重大さを心がようやく実感した。

たまらなく恐ろしい、逃げ出したい。心臓が警告を打つように何度も早鐘を打った。
こわい。こわい。こわい。目を閉じたい。







斑虎「大丈夫だ」


思いがけない言葉に、そこでsomeoneは隣に立っている親友の顔を見た。
彼はこちらの肩に手を置くと、静かに微笑んだ。

斑虎「お前なら、大丈夫だ」


震えが、確かに止まった。


812 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その23:2021/06/20(日) 17:14:51.473 ID:FWXiv.zYo
Tejas「くるぞッ!」

大筒は発射段階に入ると、一瞬その光を砲口内のある一点に凝縮させた。
その発射の過程は三人にもよく見えた。

無風。
その瞬間、全ての音が一瞬消え。


すぐさま、大筒から発せられた直後の轟音にかき消された。

砲口から目の前を覆うほどの輝く光が発せられたのを、確かに三人は見ていた。

斑虎「いま――」

斑虎の言葉は最後まで続かなかった。
なぜなら言い切っているうちに放たれた光線は三人を瞬時に捉え、消し炭すら残さずに粉々にしてしまうからだ。

そして、斑虎が叫ぶよりもほんの数コンマ秒早く。







someoneは“儀術”を放っていた。


813 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その24:2021/06/20(日) 17:16:10.672 ID:FWXiv.zYo
someone「“エクスチェンジ”ッ!!!」


その瞬間は一度きり。

失敗すれば当然のように全員がビームに貫かれ死ぬ。
仮に成功したとしてもその確率は、糸を針の穴に一度で通すぐらい低いものだ。

だが、それでもsomeoneは試した。

初めて、彼は他者を救うために、自分自身の力を信じた。
“親友”の後押しをえて。


放たれたビームを見て、someoneは残った魔力を振り絞り再び儀術“エクスチェンジ”を放ち、自分たちの足元に展開された転移魔法陣といつの間にか陸戦兵器<サッカロイド>の足元に展開していた魔法陣の位置とを入れ替えた。
someoneたちは巨人の立っていた場所に移動し、先程まで自分たちがいた窮地の立場を、目の前の巨人に押し付けた。

すると、何が起こるか。


轟音。


    爆音。


          大爆音。


814 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その25:2021/06/20(日) 17:16:48.013 ID:FWXiv.zYo
自分の放った必殺の光線を全て喰らった陸戦兵器<サッカロイド>は、何が起きたか把握する間もなく、耳をつんざく爆裂音を立てながらその身をひたすらに吹き飛ばした。
彼の巨体は背後の市街地をただただ巻き込み、ひしゃげて粉々にしながら、ゆうに数百メートルは吹き飛び、その動きを静止させた。

彼の転げた跡は民家や火災の後すら残らないむき出しの地面が露となった荒地となり、特大の嵐に襲われても同じことにはならないだろうという程に凄惨なものになっていた。
その更地の遥かかなたで、火災の赤い光を僅かに反射させた光で、そこに巨体が仰向けで寝ていることが三人にははっきりと判った。
あれ程の攻撃を喰らっても、その原型を保っているのは正直なところ恐怖でしかない。

だが、動きは止まっている。起き上がり、こちらに向かってこない。

someone「ハァハァ…」

限界を超えた魔力消費。
初めての本格的な死に近づいた体験を思い出し、いまさらsomeoneの額は大量の汗で溢れかえった。

斑虎「な?だから言っただろ?」

広場の中心で、なぜか斑虎だけは得意げに踏ん反り返った。


815 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その26:2021/06/20(日) 17:17:51.674 ID:FWXiv.zYo
同じように顔に大量に汗を流していたTejasは、顔にへばり付いた長い前髪を払うことも忘れ、彼の姿を見て呆れたようにため息を吐いた。

Tejas「これは全てsomeoneさんの力によるものでは?」

斑虎「そうだ。そして、someoneを信じた俺たち全員の勝利でもあるッ!」

Tejasは言い返そうと口を開いたがすぐに止めた。
底なしの彼の言葉に少し元気が出たのも事実だった。

斑虎「よくやったな、someone」

斑虎の手を借り、someoneは起き上がった。まだ激しい動悸が収まらないのか、言葉を発すことができず肩で息をしている。
この場を和ませるように、Tejasは肩をすくめ軽口を叩いてみせた。

Tejas「いや。あれはさすがの俺でも吃驚だ。三回は死んだ気分さ」






「それじゃあ。ここで四回目の死を迎えてもらいましょうか?」


816 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その27:2021/06/20(日) 17:18:41.193 ID:FWXiv.zYo
斑虎「ッ!?」

突如背後から投げかけられた言葉とともに、頭上に大量の光の矢が放物線を描きながらこちらに向かってきていることが、頭上に目を向けた斑虎にははっきりと見えた。
その数は数百本程度。逃げ場がないほどに矢は密だった。

斑虎「『エアロソード』ッ!!」

斑虎は咄嗟に二人を傍に引き寄せると、手に持った双剣を頭上にクロスさせ上空に真空波を放った。
彼らの頭上の矢は次々に真空波に払われるとともに、彼らの周りの地面には次々と矢が刺さり、結果的に彼らは四方を大量の矢に囲まれ身動きが取れなくなってしまった。



その矢を放った張本人は、いつもの能面のような表情を顔に貼り付け、斑虎たちを遥か高い頭上から見下ろしていた。

滝本「これはこれは、皆さん。おこんばんは」

会議所自治区域の議長・滝本スヅンショタンは、“別の”陸戦兵器<サッカロイド>の肩に乗りながらその姿を現した。


817 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その28:2021/06/20(日) 17:19:35.533 ID:FWXiv.zYo
斑虎「た、滝本さんッ!?ってことは、やはりあんたが…」

滝本「いやいや。先程までの戦い、遠くから拝見してましたよ。実にすばらしい。
きのたけ兵士らしい、思考を凝らした戦いだ。
弱兵が大敵に挑む。これこそが【大戦】の醍醐味。

思い出すなあ、【大戦】が始まって間もなく。
最強だったたけのこ軍に弱小のきのこ軍が襲いかかった“あの時”をねえ」

弓の弦を静かに下ろし巨人の肩に腰掛けていた滝本は、まるで会議所にいたときとは別人のように、芝居がかった口調で答えた。
数十m下にいる見知った兵士たちを見ても表情を変えず、口調だけは楽しげだ。

斑虎「まるで、見てきたかのような言い方じゃないか」

睨みをきかせながら、斑虎は吐き捨てるように言葉を返した。

先程の行動で、斑虎の中では全てが“解決”した。
あらためて、滝本は自分たちにとっての敵であると認識した。

滝本「私が【大戦】に参加し始めたのはほんの数年前だと?
まあ確かにそうだ。だが、そんな“些細な問題”はどうだっていいんですよ。

やはり¢さんの反対を押し切ってでも現場に来てよかった。
予想外の出来事には幾ら歴戦の兵士たちの魂とはいえ、対処できないですからね」


818 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その29:2021/06/20(日) 17:21:05.613 ID:FWXiv.zYo
そこで彼は、斑虎の隣にいるsomeoneに視線を向けた。

滝本「おかしいですね。貴方は“魔術師”791の任務を果たせずその怒りを買い、消されるか幽閉される。
そういう手筈でしたが、なぜここに居るのです?」

someone「種は明かせないですよ…教えたらおもしろくないでしょう?」

彼の答えに“それもそうか”と、滝本はそこで初めて余裕気にニヤついた。笑っても彼の顔が能面に見えるのは、きっと一つ一つの表情の変化が極端すぎて人間らしくないためだ、といまさらながらsomeoneは分析した。
続いて、彼の隣で場違いな私服で立っている兵士にも、チラリと目を向けた。

滝本「Tejasさん。貴方も私にとっては想定外だ。あれ程、カカオ産地に行くのはやめろと忠告したのに。てっきり戦いの最中で野垂れ死んだのかと思っていましたよ」

Tejas「生憎と、生まれつき悪運は強い方でね」

怒りに肩を震わせながら、斑虎は我慢ならないとばかりに一歩前へ出た。

斑虎「どういうことだ、滝さんッ!説明してもらうぞッ!
どうしてあんたが、【会議所】がオレオ王国を襲うッ!百歩譲って公国軍を蹴散らすだけならまだ分かるッ!
なのに、あんたは今、先程の“Ωさん”と同じように王宮を襲おうとしているッ!その理由を言えッ!」

彼の激昂を意にも介さず、滝本は冷たい笑みを浮かべた。

滝本「お隣にいる親友さんが全て知っていますよ。
全て“計画通り”です。最初から欲に目がくらんだ公国が王国を襲うことも、王国が我々に泣きついてくることも。

そして、我々が公国軍ごと王国を壊滅させ、その領土を全て手中に収めることまでもね」

斑虎「あんたは…最低の人間だなッ!!」


819 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その30:2021/06/20(日) 17:21:47.441 ID:FWXiv.zYo
滝本「分からないのですか?これも全て会議所自治区域の発展のため。
【会議所】を国家にするための策。ひいては、貴方たちの生活を豊かにするための苦肉の計なのですよ。これは貴方たちのためでもあるのです」

Tejas「とんだ詭弁だな。こんな強硬策で世界だけでなく自治区域内からでも支持されるわけがないだろう」

滝本は退屈気に陸戦兵器<サッカロイド>の上で、足をぷらぷらさせた。
彼の乗る巨人はまるで巨大な彫刻体のようにピタリとその場で静止しており、却って三人には底知れない恐怖と怒りを加速させた。

滝本「どうでしょうか。この戦いが終わり真相を知る人なんて残るでしょうかね?」

someone「だとしても、こんな強引なやり方は間違っています。無意味に人を戦禍に巻き込む、間違った手段です」

滝本はその言葉を、鼻先で笑った。

滝本「貴方がよく言えたものだ。“宮廷魔術師”の手足に成り下がった人形風情が」

someone「違うッ!僕の“正義”は、あの人のために働くことじゃないッ!」

確かに、最初は王国を解放するという滝本の考えに賛同し、公国軍を牽制するために投入されるという陸戦兵器<サッカロイド>計画も支持した。
だが、それも全て彼女の横暴を止めるため。そして、平和な【会議所】を守るため。

someone「僕を受け入れてくれた“公明正大”な【会議所】を正しく導くことだッ!

貴方のような歪んだ考えを持った【会議所】ではない、正しい【会議所】をねッ!」


820 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その31:2021/06/20(日) 17:22:33.497 ID:FWXiv.zYo
滝本「ひどい言われようだ。これまでの“私たち”の功績を全て否定するのですか」

悲しそうな顔をつくり、滝本は残念そうに何度も首を振った。

すると、遠くで怒号と爆音が響きわたった。
王都の外だろう。遅れて数多くの悲鳴が届いた。方角として、両軍がまさに今戦闘している戦場の方からだった。

斑虎「まさかッ!」

滝本「どうやら後続の陸戦兵器<サッカロイド>部隊も到着したようだ。両軍の殲滅を始めたところです」

斑虎「くッ!」

思わず矢を掻き分け駆け出そうとする斑虎を、巨躯から伸びた手が静かに制した。
戦場へ向かう道を、滝本率いる陸戦兵器<サッカロイド>は完全に塞いでいた。

滝本「さて。Ωさんを止めたのは大きな想定外でした。
あらためて、【会議所】議長として惜しみない賛辞を贈りたい。

ありがとう。

貴方たちのような猛者が【大戦】を盛り上げ、【会議所】を大きくしてくれたのです」

まるで幕の降りた劇に惜しみない賛辞を送るように、肩の上で立ち上がった滝本は三人に向かいパチパチと拍手を贈った。


821 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 戦いへの誇り編その32:2021/06/20(日) 17:23:35.006 ID:FWXiv.zYo
滝本「だが、貴方たちは二つ、大きな思い違いをしている」

三人の背後、つまり先程彼らが立っていた場所から、瓦礫の崩れる音とズシリと響く足音が繰り返し、確かに三人の耳に届いていた。

斑虎「まさかッ…」

振り返った斑虎が、先程まで倒れていたはずの“Ω”の陸戦兵器<サッカロイド>の姿を再び目にした時、一瞬彼は夢の中にいるのではないかと勘違いをした。
なぜなら先程あれ程の攻撃を与えたはずなのに、歩いて戻ってきた巨人の身には傷一つついていなかったからだ。

滝本「一つ。英雄たちの魂の入った陸戦兵器<サッカロイド>はあくまで無敵だということ。それに――」


ガチャリ。


滝本を肩に乗せた陸戦兵器<サッカロイド>は、腕の装着銃を斑虎たちに向けた。


滝本「――二つ。どうあがいても、貴方たちはこの場で死んでしまうということ」


822 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/06/20(日) 17:24:56.589 ID:FWXiv.zYo
ようやく1章のラストからつながりました。最終決戦の場にほとんどの主人公が揃いましたね(ふたり除く)

823 名前:たけのこ軍:2021/06/20(日) 17:38:12.934 ID:M48zCRUU0
繋がりがかっこいいんよ

824 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その1:2021/06/27(日) 12:17:39.319 ID:Y99lg8mIo
未だ大火に包まれていない王宮を背に、斑虎たちは二体の陸戦兵器<サッカロイド>に囲まれた。

いま一体は自分たちの目の前で銃を構え、もう一体は周期的な足音を地に震わせながら刻一刻とこちらに向かってきている。
腕と一体化している小銃の無機質な銃口が三人を捉えたままぴたりとも動かない。まるで居合いの間のように、先に動いたほうが負けるというような緊迫感が巨人から醸し出されていた。

小銃とはあくまで陸戦兵器<サッカロイド>を基準にしたときにそう見えるだけで、実際に間近で見れば砲台のような大きさを誇っているのだろう。
いずれにせよ、あの銃弾が炸裂すれば、自分を含めた三人は木っ端微塵になるだろうと斑虎は感じた。

滝本「私はね、常に疑問に思っていたことがあるんです。
よく、安いドラマのシナリオで、窮地に追い詰めた敵が主人公にベラベラと心情を明かして、その隙に大逆転を食らう。
そんなくだらない展開を何度も見てきた」

彼らの正面に向かい合っている、“遅れて”登場してきた巨人の肩の上で、滝本は堪え切れない愉悦を露にして嗤っていた。
顔よりも面積の広い青髪が風に吹かれ流れても、彼はその髪を払うことなく目の前の状況を目に焼き付けるように、じっと彼らを見下ろしていた。

滝本「なぜ、圧倒的有利に立っている敵が油断して足元を救われるのか。
今まで私には分かりませんでした。さっさと殺してしまえば、倒されることはないのにとね。

ですがね、いま自分がその立場になってみて気づいたのです。

これは油断でも奢りでもない。“同情”なのです。

これから死にゆく若者たちに向けて、せめてもの手向けを贈らないといけないという義務感。その憐れみだけがいまの私を突き動かしています」


825 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その2:2021/06/27(日) 12:18:53.457 ID:Y99lg8mIo
斑虎「べらべらと喋っているところすまないが、すでにその考え方が油断だと自分で白状しているようなものじゃないか?」

斑虎の挑発にも臆することなく、滝本は器の大きさを誇るように深々と一度頷いてみせた。

滝本「そうかも知れませんね。そういえば参謀にも油断するなと言われていました。
では、さっさと済ませましょうか。
“まいう”さん、“Ω”さん。貴方たちの手で【会議所】をより良い方向に導きましょう」

まいうと呼ばれた陸戦兵器<サッカロイド>はピクリと肩を震わせ、流れるような所作で小銃を構え直した。
あわせて次第に大きくなっていた地鳴りが止んだ。
斑虎が横に目を向けると、“Ω”の巨人がようやく広場前に戻ってきたところだった。彼も、ゆらりとした所作で長い片足を上げ、戦闘態勢に入った。

続いてすぐ横の仲間たちにも目を向ける。
すぐ横にいるTejasは顔を歪めているだけまだ元気そうだが、someoneは無表情ながら肩で息をするのもやっとの様子だ。魔法消費が激しすぎたのだろう。
そもそも先程の戦闘で斑虎自身もかなりの痛手を追っている。いまそこまで痛みを感じないのは、アドレナリンが大量に分泌されているからだろう。
交戦能力は殆ど残っていない。

三人の四方は滝本から放たれた矢に囲まれ、それを抜け出しても二体の巨人の攻撃を交わして進まないといけない。
だが、彼らを振り切って戦場に戻っても背後の王宮はがら空きになる。
どちらにしても詰んでいる。

滝本の会話を受け流しながら必死に活路を見出そうと考えていた斑虎は、ここにきて完全に諦めがついた。


826 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その3:2021/06/27(日) 12:19:41.605 ID:Y99lg8mIo
斑虎「万事休すだな」

someone「斑虎…」

心配気な声を送るsomeoneに、斑虎は下唇を噛みつつも振り絞って声を出した。

斑虎「すまない。someone、Tejasさん。俺ではお前たちを救えない」

今だけは周りの燃え盛る音も、遠くで鳴り響く地鳴り音も、悲鳴も止んだ気がした。

斑虎「せめて俺が攻撃を受け切る。だから、Tejasさんがsomeoneを連れて少しでも遠くに逃げてくれッ。それしか活路はない」

絶望的だとは分かっている。だが、今の自分に出来ることはそれしかない。
斑虎は二人の一歩前に出ると、手に持つ両剣を交差させ戦いの姿勢を取った。

横にいるTejasは、黙って二体のサッカロイドの顔を交互に見やった。

斑虎「でも、この行動は決して無駄じゃないッ。無駄じゃないんだッ。

俺たちの“正義”を受け継いだ誰かが、きっと奴らに“裁き”の鉄槌を食らわせるだろうよッ!!」

滝本「遺言はそのあたりでいいでしょうかね?」

生者の最後の苦痛の叫びを堪能し、肩の上で立ち上がったままの滝本は満足気に微笑んだ。


827 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その4:2021/06/27(日) 12:20:57.643 ID:Y99lg8mIo
滝本「では――」

あっさりと。躊躇いもなく。
タクトを振る指揮者のように、優雅に滝本は片手を振り上げた。

そして、終章を迎えた時の奏者のように、高揚とした顔で滝本は片手を振り下ろした。

滝本「終わらせなさッ――」



耳をつんざくような衝撃音。

直後に脳を揺らすような感覚。


軽い脳震盪程度のものではない。
予想事態の衝撃を受けた時に、脳は神経を遮断しきれず身体の全てに衝撃を食らう。
これが死の直前の感覚なのかもしれないと思うと、それはあまりにも苦痛と驚きに満ちていた。




いま。





(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

828 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その5:2021/06/27(日) 12:22:05.766 ID:Y99lg8mIo
滝本「なッ!!!??」

驚きから目を見開き、滝本は数秒後に訪れる地面への落下を備える暇もなく、ただ視界に映る風景を脳内に焼き付けることしかできなかった。

そこには、確かに“Ω”の蹴りが自分を載せていた巨人の胴体を捉え、態勢を崩す“まいう”の姿と、構えを崩さないままの彼の姿があった。

生前に彼が“まいう”に反逆の心を持っていたとも思えない。なぜ、なぜだ。


急な混乱から魔法を呼び出すこともできず、制御を失った滝本の身体は数十m上空から急速に落下をし始め――


someone「『サーシャメントフリー』」

滝本の身体が地面に直撃する直前、狙いすましたようにsomeoneは魔法を放った。

彼の指先から現れた紐状のロープは織物のようにひとりでに交差模様で結ばれ巨大な布地となり、滝本の身体と地面の間に割り込み、ちょうど救助幕のように彼の落下の衝撃を和らげた。
ただ、布地の薄さゆえ、布越しに落下の幾つかの衝撃を受けた滝本は苦悶の表情でのたうち回り吐血した。


829 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その6:2021/06/27(日) 12:22:52.476 ID:Y99lg8mIo
滝本「ガハッ!!」

someone「貴方をここで死なせるわけにはいきません。苦しんでもらいますけどね」

斑虎「な、な…なんだこれはッ!?」

斑虎にとっても、目の前の事態は想定外だった。

ほんの数刻前まで死を覚悟していた。“まいう”の銃弾と“Ω”の蹴りをどちらも一人で受け切る覚悟をしていた。
だが、実際には銃弾が発射されることはなく、彼の横にいた“Ω”の繰り出した真空蹴りはこちらではなく、横の“まいう”に向け放たれた。
鳩尾部に直撃した蹴りで彼は大きく体勢を崩し、滝本はその衝撃で肩から転げ落ち、はるか上空から落下したのだ。

そして、まるで“全てを知っていたかのように”someoneは狙いすまして滝本に魔法を行使した。
意味がわからないとばかりに、横のTejasに目を向けると。

Tejas「ようやく間に合ったな。最初、一体だけで来られた時は肝を冷やしたぜ」

彼の余裕めいた笑みを見たときに、さすがの斑虎も叫ばずにはいられなかった。


830 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その7:2021/06/27(日) 12:23:31.883 ID:Y99lg8mIo
斑虎「お前たちッ!?なにか知ってるなッ!?話してくれよ、なにが起こってるんだッ!」

直後に轟音が響き渡った。
斑虎がすぐに振り向くと、眼前では“奇妙”なやり取りが繰り広げられていた。

陸戦兵器<サッカロイドたち>が互いに殴りあっていたのだ。

巨体を揺らし、轟音を響かせながら、こちらのことなど気にもせずただ殴り、蹴り合う。
互いに取っ組み合い、一体が羽交い締めにすると、それから逃れるようにもう一体は足蹴にし、起き上がりまた殴りかかる。

先程までの涼し気で、生気の無い様子とはまるで違う。
優雅な戦いとは程遠い、まるで【大戦】にいる一兵士のように生臭い乱闘の様相を呈していた。

someone「全て僕たちの“計画通り”だったんだよ、斑虎」

呆然と見つめるしかない斑虎に向かい、someoneはポツリと呟いた。
どこからだと聞き返す前に、三人の足元で意識を戻した滝本が言葉を発する方が先だった。

滝本「ば、馬鹿な…二人とも、何をしているんだッ。すぐに、すぐに、斑虎さんたちごと王宮を消せッ!そう、命じたはず…」

地べたに這いつくばる格好になった滝本は、腹をよじりながら驚愕と苦痛の表情で英雄たちを凝視していた。
彼の横でsomeoneがパチンと指を鳴らすと、彼を守った布地はすぐにはらはらと解け、紐の一本一本が滝本の身体に再び巻き付き彼を縛り上げた。


831 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 英雄の敗北編その8:2021/06/27(日) 12:24:44.096 ID:Y99lg8mIo
Tejas「無駄だよ、滝さん。もう陸戦兵器<サッカロイド>たちは“手遅れ”だ」

その言葉に滝本は目を見開き、横に立っていたTejasの方を初めてまじまじと見つめた。

滝本「まさか…Tejasさん、あなた…ッ!」

Tejasは浅葱(あさぎ)色気味の長髪をかき分けると、滝本の横にどかりと座り込んだ。
彼に目を向けるグレーの瞳の色は好奇に満ちている。いま起きている出来事に、そしてこれから起きるだろう予測に待ちきれずうずうずとしている様子だ。

Tejas「“俺たち”が今まで何処にいたか、まだ言ってなかったな?
随分と寒いし暗い場所だったぜ。ずっと飯も食わず隠れてるのも辛かったさ」

斑虎「そういえばTejasさん。あなたは今まで何処にいたんだ?」

斑虎は訝しげにTejasに視線を送った。
someoneの行動は把握できたが、Tejasがここにいる理由について何も聞いていなかったことにいまさらながら気がついたのだ。

Tejas「お返しに、俺も語ってやろう。

そうだな。これは油断じゃない。

滝さん風に言えば、生者から負けた人間への“同情”さ」



832 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/06/27(日) 12:25:26.980 ID:Y99lg8mIo
先週、あと二回の更新で終わると言ったな。あれは間違いだ。
今日の更新を含めてあと三回の更新で終わるぞ。

833 名前:たけのこ軍:2021/06/27(日) 13:42:51.372 ID:xeAKNkJk0
カタルシスがよい

834 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その1:2021/07/04(日) 19:43:09.495 ID:vOujnt/Qo
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【きのこたけのこ会議所自治区域 ケーキ教団地下 メイジ武器庫 5日前】

Tejasが暗闇の中で奇妙な同行者オリバーに協力を誓った後、彼は自身の真の名を霊歌だと明かした上で、someone経由で聞いた【会議所】の目論見、そして自分たちが今どこにいるかをかいつまんで説明した。

霊歌『…というわけで。ここはケーキ教団を隠れ蓑にした【会議所】一部連中の保有する、“メイジ武器庫”という名の格納庫のわけさ』

全ての説明を終えた満足感からか、霊歌は両の前足を胸の前に組みさらに反り返った。
二人を照らしていた魔法の火の玉も、嬉しそうに彼の周りを飛び回っている。

一方で、Tejasは神妙な表情ながら困ったように何度か首元を掻き、目の前の友人から説明された突拍子もない内容を理解するために内心必死な様子だった。
こういう時に慌てふためないのは若者ながらさすがだ、と霊歌は思った。自らの主人のsomeoneと同じ冷静さが備わっている。

Tejas『あー。長々と説明ご苦労。いきなりの話に頭がついていけていないが、つまりここは滝本さんたち【会議所】中心メンバーの秘密基地で、こいつらは秘密兵器・陸戦兵器<サッカロイド>。
これを使って、【会議所】はこの戦争にタダ乗りしてオレオ王国を奪っちまおうと。そういうことだな?オリバー』

霊歌『さすがは“マイスター”だな。概ねその通りだ。ただ、オレの名前はオリバーじゃなくて霊歌さ、Tejas』

Tejas『ああ、そうだったな…ええい、偽名なんてものを使うからこんがらがるんだ…それで、俺はどうすればいい?』

霊歌はピクリと動きを止めた。

霊歌『オレの話を…疑わないんだな』


835 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その2:2021/07/04(日) 19:44:00.039 ID:vOujnt/Qo
“はぁ?”とTejasは素っ頓狂な声を上げた。

Tejas『最初に言っただろう?俺はお前を信じるよ、霊歌』

複雑さの中に霊歌はいて、この発言はどれほど彼を安心させただろうか。体の中心部にぽっと暖かいものが流れ、うるおっていくようだった。

【使い魔】である霊歌の存在理由は、主人であるsomeoneの生命を少しでも永らえるため。その一点に尽きた。
あくまで魔法使いsomeoneの利用価値の高さを791に説くための材料であり、その目的が終わりさえすれば、後はできるだけ従順なふりをして彼女らの警戒を解き、いつか訪れる“儀術”での脱出準備を整える。
当初の宣言通り、霊歌は王国内でクーデターを煽動したものの、その任務を終えるや否や霊歌は王国内の何処かに身を潜めていようと考えていたのだ。

それは何も自発的な案ではなく、あくまで消極的な妥協案だった。
主人を牢獄から逃がす際に少しでも宮殿から離れていたほうがいいだろうという、成り行き上の話だ。

だが、カカオ産地でたまたまTejasに窮地を救われ、自分たちを取り巻く状況はガラリと変わった。そして、目の前の“マイスター”は自分のことを手放しで信じると言う。

あの夜に二人が儀術のための追加契約を交わした際に運命の賽は投げられた。
そしてその賽の目は最高の形となり霊歌の前に表れた。自分たちはまだ戦える。その運と覚悟がある。
霊歌はようやくのことで唾を飲み込み、事態の重要性を理解できた。

霊歌『分かった。あんたの好意に感謝する。
でも、まず作戦会議をしたい。一度、ご主人と話してもいいか?』

Tejas『それはいいが…その“ご主人”とやらは何処にいるんだ?』

きょろきょろと暗闇を見回すTejasに、霊歌はニヤリと笑いながら前足で自らの頭をトントンと叩いた。

霊歌『ご主人は遠く離れたカキシード公国の牢屋の中にいる。会話は、頭の中でするのさ』

今度こそ、Tejasは霊歌の言葉を疑った。


836 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その3:2021/07/04(日) 19:44:38.057 ID:vOujnt/Qo
霊歌『ご主人…聞こえるか』

訝しげな彼の目線など気にせず、霊歌は頭の中でsomeoneを思い浮かべ呼びかけた。

―― 霊歌…か。今まで、いったい何処にいたんだ。

返事はすぐに帰ってきた。
頭の中に響く彼の声は、以前会話した時よりも弱々しくなっているように感じる。この様子では、監禁による疲労と自分への魔力供給があわさり相当堪えているようだ。

霊歌『すまねえな。王国での煽動任務は済ませたんだが、帰りに“ちょいと”野暮用に引っかかちまってな。今はカカオ産地にいる』

―― …カカオだってッ?なんて危ない場所にいるんだッ。すぐに避難を――

霊歌『もう遅えよ。戦争に巻き込まれ、おれたちはいま閉じ込められてる』

―― そんな…ん?おれ“たち”?

その言葉に、霊歌はまたもニヤリと笑った。事態を飲み込めていないTejasは彼のことを諦めたのか、再び陸戦兵器<サッカロイド>の透明な巨体を見物している。

霊歌『聞いて驚くなよ、ご主人。おれはいま、あんたが言っていた“鍵”とともに、メイジ武器庫にいる。この意味がわかるか?』

脳内越しに息を呑んだ声が聞こえ、数秒の沈黙の後に彼の震えたような声が返ってきた。

―― まさか…そんな“奇跡”が起こるなんて。

霊歌『ご主人はここ最近、不幸続きだっただろう?
たまにはこんな幸運あってもいいんじゃないか?まあ享受しているのはおれなんだが』


837 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その4:2021/07/04(日) 19:45:54.538 ID:vOujnt/Qo
Tejas『そろそろ話はついたかい、霊歌?』

Tejasは目の前の冷えた飴細工に考古学者のような熱視線を送りつつ、背後の同行者に声をかけた。
霊歌はそこで一度主人との会話を切り、器用に彼の肩の上に跳び乗った。

霊歌『ああ、実にスッキリとしたいい案が浮かんだ。
なあTejas。あんたは、その右腕で触れた生命体に精神上で繋がることができるし、無理やり洗脳するなんてこともできる。そうだよな?』

Tejas『ああ、そうだ。本格的に試したことはないが、できるはずだ』

火の玉の照らす彼の横顔には、少しの戸惑いの色が見え隠れしていた。どうやらこの能力を他人のために使用することには少し迷いもあるようだ。
年齢のわりに大人びて見えていたが、霊歌は初めて年相応の彼の姿を垣間見た気がした。

霊歌の頭の中である案が浮かんでいた。どうしても彼の力を借りないといけないのだ。
単純明快でいながら、これまで一度も考えてこなかった案だ。絶体絶命の危機にありながら、興奮でかえって彼の頭は冴えていた。

霊歌『きけ、ご主人。この事態を打開できるたった一つの名案をこれから伝える』

―― 聞くよ。

一言で返したsomeoneの言葉に、霊歌はこれから彼のあっと驚く反応を見られると思うと、にやついた笑みを抑えられなかった。

霊歌『Tejasに陸戦兵器<サッカロイド>の魂へ干渉してもらい、“自爆”するよう洗脳する』

―― ッ!

someoneとTejasの二人の息を呑む声が、霊歌には同時に聞こえてきた。


838 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その5:2021/07/04(日) 19:46:32.307 ID:vOujnt/Qo
霊歌『あんたとおれの目的は、魔術師791の野望を砕き、【会議所】のいけ好かない連中もギャフンといわせることだ。
前者の目的はこのままだと達成されるが、陸戦兵器<サッカロイド>が投入されれば王国は蹂躙され、立ち向かう手段はない。

それでは意味がない、だろう?
つまり、この図体のでかい巨人どもが歩き回っている限り、おれたちに未来はないということだ』

―― そうだ…僕はそれで一度、滝本さんたちに敗北して公国に戻され捕まった。

霊歌『いまが千載一遇の好機だ。
おれからしても、主人の仇を討つ絶好のチャンスというわけだ』

次第に事情を飲み込めてきたのか、Tejasは鼻まで垂れている前髪を何度か触りつつ、思案気に自らの考えを口にした。

Tejas『元々、奴らは俺を使って英霊たちの魂を完璧にこの陸戦兵器<サッカロイド>の器に締め付けようと計画してたんだろう?
でも、俺がいなくても動いているってことは、それはもう不完全ながら完成したってことだよな?』

―― …なるほど。“完成している”ということは、一般的に見れば、魂と器は既に定着していると考えられる。

Tejasの言葉になにか気づいたのか、someoneは感心したように意見を口にした。

霊歌『そうだ、つまり陸戦兵器<サッカロイド>は、既に完全な生命を持った“生物”になったということだよ』

Tejasも気づいたのか、思わず“あっ”と声を漏らした。
それに被せるように、脳内に珍しく興奮気なsomeoneの声が聞こえてきた。


839 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その6:2021/07/04(日) 19:47:11.698 ID:vOujnt/Qo
―― つまり、Tejasさんの呪いの力は、陸戦兵器<サッカロイド>の器越しにも通じるということかッ!

Tejasの右腕の呪いは、指定した有機物に対してコミュニケーションを取る儀術“キュンキュア”の成れの果てだ。
相手の知られざる声を聞くだけでなく、自らの意志や考えを伝え植え付ける方法も可能であることは、既に彼自身が過去に実証済みである。

陸戦兵器<サッカロイド>の器だけであれば生命を持たない無機物なので伝達の能力は使えないが、そこに英霊の魂が組み込まれれば眼前の兵器は命を持った有機物となる。

Tejas『確かに。こんな馬鹿でかい箱物だが、生命を持っているな。英霊とやらの声が聞こえてくるぜ』

ひんやりとした飴細工の身体に手を当てると愉快そうにTejasは笑った。

霊歌『へぇ。過去の偉人さんたちは、なにを仰られているんで?』

Tejas『なに。他愛もないことさ。“早く戦場に出してくれ、血とチョコに飢えている”だとよ』

霊歌はTejasの肩の上で、徐(おもむろ)にしかめ面をつくった。

霊歌『血気盛んな兵士たちなことだ。
初期の【大戦】には野蛮な戦いが多かったときくが、よもやここまでとはな』

脳内に期待と焦りの入り混じった主人の声が響く。

―― 僕にも見えたよ。霊歌の考えで、戦争を終結させる方法がッ。


840 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その7:2021/07/04(日) 19:48:02.463 ID:vOujnt/Qo
霊歌『すごいな。おれはこの方法までは思いついたが、最終的に公国軍をどうやって抑え込めるのかまでは想像もできない。すべてご主人に任せるぜ』

霊歌にsomeoneの考えまでは分からない。
だが、主人の言葉にこれまで間違いはなかった。信じないという道はない。

―― わかった。まずは、Tejasさんに、今から伝える内容で陸戦兵器<サッカロイド>に“自爆”を仕込めるかどうか確認してほしい。

霊歌『いいぜ。恐らく、ご主人とおれの考えている企みは同じだ。
もしこの手段が可能であれば、残り11体の陸戦兵器<サッカロイド>全てに同じ手法で“仕掛けられる”』

Tejas『それで、俺はこの偉大なる先人方に何を伝えればいいかね?』

冷気を発する身体に手を当て続けながら、Tejasも意地が悪そうににやりと笑った。

―― こう伝えてくれ。戦場で互いの陸戦兵器<サッカロイド>を見つけたら――


霊歌はsomeoneの指令を一通り聞き、その“性質の悪さ”にニヤリと笑った。

霊歌『ありがとうな、ご主人。たしかにTejasに伝えるよ。
ところで、あんた性格悪いと言われないかい?』

―― 霊歌、鏡でも見たのかい?

霊歌はそこで主人と通信を切り、若き“マイスター”に目を向けた。
彼は既に陸戦兵器<サッカロイド>の身体に手を当てたままこちらに顔を向け、待ち構えている様子だった。


841 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その8:2021/07/04(日) 19:48:58.538 ID:vOujnt/Qo
霊歌『待たせたな』

Tejas『いいぜ。準備はできている』

破れた右腕のジャケットからちらりと見えている腕の紋章は既に強く発光し、その青白い光線は透明な飴細工の中を綺麗に透過していた。

霊歌『じゃあ、今から言うことを英霊殿に伝えてくれ。
戦場で、互いの陸戦兵器<サッカロイド>を見つけたら――』

―― 戦場で互いの陸戦兵器<サッカロイド>を見つけたら、味方ではなく敵だと思え。
―― 奴らは戦場においては一切味方ではない。
―― かつての同胞の振りをした、まやかしの兵士である。

―― 貴殿は騙されてこの隊へ入隊した。
―― 誉れ高きその魂を護るために取るべき手段は只一つ。一体でも多く殲滅することである。
―― 最後の一体になるまで殲滅しあうのだ。

―― 奴らの身体から魂を奪い、空に解放しろ。
―― 魂をあるべき場所に戻せ。貴殿の戦う場所は地上に非ず、天にあり。

―― そして自分が戦場に立つ最後の一体となったら。

―― 同じように、自らの力で、自分の魂を空に解き放て。
―― これこそが、お前たち“感情無き”英霊が救われる唯一の道である。


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842 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その9:2021/07/04(日) 19:50:29.554 ID:vOujnt/Qo
【オレオ王国 王都】

Tejas「メイジ武器庫から戦場に出た陸戦兵器<サッカロイド>たちは最初こそ軍兵を襲うが、互いを戦場で視認した瞬間、俺の命じた“言葉”を思い出す。
そして、滝さんたちの話した内容などほっぽり出して、闇雲に殺し合うのさ。こんな風にな」

Tejasは一連の説明を終えた。最初からメイジ武器庫内で争わせず、公国軍と王国軍のいる戦場内で争わせることにも意味があった。
両軍兵は慌てふため戦争などしている場合ではなくなるからだ。

滝本「私たちは出し抜かれたというわけですか…」

陸戦兵器<サッカロイド>たちは捕まった滝本の姿には目もくれず、まるで宿敵を見つけ怒りに駆られた少年のように、互いに取っ組み合っては身体を地面に叩きつけあっている。
勢いよく巻き込んだ民家や建物など、子供のおもちゃの一部のように気にもとめず、目の前の“敵”を屠ることに一心不乱になっている。

地面に突っ伏したままの滝本は呆然と、まるで表情の変わらない仏像のような面持ちで、目の前の“暴乱”をただ眺めていることしかできなかった。

斑虎「滝さん。貴方はもう終わりだ。おとなしく投降してくれ」

そこで滝本は、目の前の光景から目をそらすように静かに頭を振った。

滝本「それはできない相談ですね。そうしたら、誰が【会議所】を国家にするのです?」

横から覗き込んでいた斑虎の目には、普段蒼い滝本の眼が仄かに赤く光ったように見えて、彼は一瞬疑うように彼の顔を見直した。

そのため、斑虎は周りへの気を一瞬解いてしまった。


それがよくなかった。


843 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その10:2021/07/04(日) 19:52:06.013 ID:vOujnt/Qo
someone「…ッ」

バタリ。

背後から鳴った軽い音に斑虎が振り返ると、そこにはsomeoneの力なく倒れた姿があった。

斑虎「someoneッ!!」

我を忘れ彼の元へ駆け寄り腕で抱き抱えると、彼は虚ろな目で上空を見つめ、息も絶え絶えといった様子だった。きっと、これまでの疲労がここにきて顕在化したのだろう。
投獄による憔悴、儀術を用いた脱出劇、Ωとの戦闘での再度の儀術の行使。考えてみれば、常人の消費する魔法力は遥かに超えていた。

なぜ、親友の異変に気づいてあげられなかったのか。寧ろ、危険な目に合わせたのはこちらの責任じゃないか。
斑虎がそう反省しかけたのも束の間――

滝本を簀巻きにしていた紐はsomeoneの気絶とともに制御を失い、跡形もなく溶けた。

次の瞬間。
まるでこの時を待っていたかのような瞬発力で、滝本はすぐに跳ね起き自分の身に治癒魔法をかけた。
そして回復も待たず、脇目も振らず陸戦兵器<サッカロイド>の方へ、その先の戦場に向かい、一意専心の思いで駆け出し始めた。

斑虎「『フランセーバー』ッ!!」

咄嗟に滝本へ剣を投げつけるも、まるでその動きすら読んでいるかのように彼は身体をしならせ、時には身を翻し不格好な姿勢ながら、巧みに斑虎の攻撃を避け続けた。
まるで鼠が外敵から逃げるときの様子とよく似ていた。

滝本はあっという間に巨人たちの足元まで走ると、争っている彼らに目もくれず、速度を緩めることなく彼らの股の下を通り過ぎ加速した。
直後に巨人たち同士の攻撃で舞い上がった砂埃も相まって、斑虎たちはすぐに彼の姿を見失ったのだった。


844 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その11:2021/07/04(日) 19:53:01.761 ID:vOujnt/Qo
斑虎「あの野郎ッ!!ネズミのようにちょこまかと逃げやがってッ!」

someone「斑虎…頼む…」

斑虎は怒りを抑え、すぐに腕の中で弱っているsomeoneへ目を下ろした。

いまの彼は、顔中に汗が吹き出しいつもはふわりとした赤髪も汗でべたりと顔に貼り付いている。
【大戦】でもあまり汗を流すことのない姿をいつも見てきただけに、彼のここまで弱った姿は衝撃的だった。

斑虎「ずっと魔力を使っていたんだよな。そりゃあ、倒れるのもあたりまえだろうッ。
あいつのことはいい。今はお前の無事が――」

someone「――それでは駄目なんだッ」

斑虎の言葉を遮り、someoneは荒い息を吐きながらも強い口調で制止した。
ヘーゼルカラーの瞳を潤ませながら、その内に“正義の火”を宿した親友の眼は、こちらだけをただ一心に見つめていた。

someone「ここで滝本さんを逃せば…これまでの努力が全て水の泡だ。
陸戦兵器<サッカロイド>は封じた。
あの人を捕まえれば、791先生の野望を抑える手立てもある。

斑虎、お願いだ。彼と彼女を止めてほしい」

斑虎「someone…」


845 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その12:2021/07/04(日) 19:54:10.019 ID:vOujnt/Qo
斑虎の心配をよそに腕の中でsomeoneは静かに、力強く言葉を続けた。

someone「さっき斑虎が口にした言葉だけど…違う。
誰かが裁くのを待つんじゃないよ、斑虎。


“僕たち”さ。


“僕たち”が、



                        裁きの鉄槌を下すんだ、斑虎」


ガツンと殴られたような衝撃が斑虎にはあった。

目の前の親友はいつの間にこれ程強くなったのだろうか。諦めかけていた自分を叱咤激励できる存在になったのだろうか。

someone「僕なら…大丈夫。気にしないで」

そこでsomeoneはいつものように取り繕うように、儚げに微笑んだ。
そして、こちらに差し出されたsomeoneの握り拳に、斑虎は何も言わずに自分の握り拳を一度だけ触れ合わせた。

二人には、それだけで十分だった。


846 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その13:2021/07/04(日) 19:55:35.452 ID:vOujnt/Qo
斑虎「…わかった。
お前の意志を継いで必ず【会議所】の野望を、791さんの野望を打ち砕くと約束しよう。

Tejasさん、悪いけどsomeoneの介抱を頼む」

Tejas「わかった。斑虎さん、お気をつけて」

横に控えていたTejasにsomeoneの身体をそっと移すと、頭に巻いたカーキ色のバンダナをきつく締め直し、斑虎も走り出した。


後ろの二人を振り返ること無く駆ける。
前方で揉みくちゃになっている陸戦兵器<サッカロイド>たちの横を通り、速度を緩めず駆け抜ける。

巻き上がった砂煙に包まれ、硝煙と粉塵で灰色に閉ざされた視界が、いまの斑虎にはただ心地よい。

この灰色の世界を抜けた先には、残酷な現実が待っている。
だが、同時にsomeoneと望んだ平穏な日常のための一歩を踏み出せるのだ。


“彼ら”の野望を止めるため。

               彼の意志を継ぐため。
    
                            “正義”の火を燃やしながら。


裁きの代行者たる斑虎は走る。走る。ただ走り続けた。


847 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その14:2021/07/04(日) 19:56:53.200 ID:vOujnt/Qo
【オレオ王国 王都周辺 ルヴァン平野】

滝本「ハァハァ…これは。¢さんと参謀に合わす顔がないな」

燃え盛る王都を辛くも抜け出し、戦場までをつなぐ小高い丘に辿り着いた滝本の眼には、目の前の光景は想像を絶する悲惨なものだった。

彼の想像通り、数km程度離れた前方の戦場には立ち込める爆炎の中に、透明な飴細工の巨躯が何体も浮かび上がっていた。
本来、それは全ての人間に未知なる恐怖を与える光景だった。

だが、彼らは本来の目的である足元の兵士を蹴散らすことなどせず、本来同胞だったはずの味方同士で血生臭い乱戦を繰り広げている最中だった。
路上で格闘家同士が出くわしたかのように、彼らは互いに一定の間合いを取り牽制していたかと思うと、次の瞬間に重みのある一撃を浴びせ始める。
まるで荒くれ者の喧嘩のように、無茶苦茶で気品も誇りもない。
そこにあるのは濁った“殺意”だけだった。

巨人が倒れるたびに激しい地鳴りが巻き上がり、数秒遅れて滝本の足にも揺れが伝わってきた。揺れが伝わってくる度に彼の心はひどく冷え込み、血の気の引いていく感覚が実感できた。

¢を始めとした陸戦兵器<サッカロイド>の開発者たちは、口を揃えて彼らを“最強”と表現した。
だが、それはあくまで彼らが人間と戦う時の話で、巨人同士の戦闘となると話は全く別だ。

巨人たちは自分の持つ“弱点”を理解している。即ち、器に込められた“魂”を剥ぎ取られることだ。
強固な飴細工の器に魂だけを埋め込まれたことを理解している英霊たちは、同胞の心臓部から魂を剥ぎ取れば、相手の身体はただの人形に戻ることを理解しているのだ。
そして、通常の人間であればこじ開けられない心臓部に取り付けられたハッチを、同じ陸戦兵器<サッカロイド>の腕力であれば壊し剥ぎ取ることが出来る。

だから、彼らは武器を手に取らず泥臭く素手で戦い、相手の心臓を抜き取ろうと躍起になっているのだ。
全てはTejasの命じた意思のまま、同胞の魂を天に返すことが正しいと信じ込んだままでいる。


848 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その15:2021/07/04(日) 19:57:53.539 ID:vOujnt/Qo
滝本が目を凝らすと、戦っている彼らの足元には、既に横たわったままピクリとも動かない透明な“器が”何体か転がっていた。
それは陸戦兵器<サッカロイド>“だった”抜け殻だった。

滝本「ベニマダラサンショウタケさん、ゴダンさん。アルカリさんまで…逝ってしまったか。
すみません、私の力が足りないばかりに…」

既に空に放たれた英霊たちの名を呟き、滝本は独り肩を落とした。
彼の落ち込んだ気持ちを増幅させるように、その間も振動は絶え間なく伝わってきていた。

しかし、彼は顔を上げるとすぐに辺りを見回した。

生への執着。

これこそが今の滝本に課せられた使命で、窮地の中で彼を生かし続けている強さの源でもあった。

いま滝本の足元、即ち丘のふもと部には巨人たちの狂宴から逃れた両軍兵士が続々と終結しつつ合った。
当初兵士たちは、突如として戦場に現れた巨人たちに驚き恐怖したことだろう。きっと両軍の垣根を超えて応戦しようとしたに違いない。
だが、そのうち突如として同族の殺し合いを始めた巨人たちに戸惑い、今は両軍兵士とも武器を捨てもみくちゃになりながらも王都付近まで退避してきていた。

軍属が違えども遅れている兵士には互いに手を取り叱咤激励しあい、今だけはいがみ合うことを忘れ、互いに手を取り合い危機に立ち向かっているようだった。

滝本は冷静に、この状況を逆に好機だと捉えた。
ここから丘を下り兵士たちの集団に混ざれば、追手から逃れることができる。

自らの役目は【国家推進計画】の火を絶やさないことだ。
生きて【会議所】に戻り、自分の背中を押してくれた二人に状況を伝えることだ。


849 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その16:2021/07/04(日) 19:58:57.149 ID:vOujnt/Qo
―― なにをしているんだい?はやくその足を動かしなよ。

心の中に“声”が響く。分かっている、分かっているのだ。いまやろうとしたところだ。

そうして、苛立ち気に足を動かそうとした丁度その時――


「滝本スヅンショタンッ!!」


背後から投げかけられた声に、苦々しい表情で滝本は振り返った。


そこには息を上げながらも、手に携えた双剣で退路を塞いでいた斑虎が立っていた。

斑虎「全て事情はきいたッ!お前の悪事はここで終わりだ。
俺が、いや“俺たち”がお前を此処で裁くッ!」

滝本「これだから直情型の人間は困る」

滝本は背中に手を回すと、透明になっていた魔法の弓の握(にぎり)の部分を掴み、静かに取り出した。

斑虎も鋭い目を細め、まるで獲物を狩る獰猛な肉食獣のように双剣を構えた。

張り詰める緊張感。
数秒ほど、無機質で互いに心の通っていない時間が流れた。


850 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その17:2021/07/04(日) 19:59:43.552 ID:vOujnt/Qo
その失った時間を取り戻すように、煤だらけになった滝本のアオザイから出る風に流れるハタハタとした音が、二人の緊張感を最大にした後に一気に破裂させた。

滝本「私の、いや“私たち”の野望はこんなところでは終わらないッ!終わらせないッ!

『マルチブルランチャー』!!」

先に動いたのは滝本の方だった。

顎を上げ上空に素早く弦を引くと、放たれた一本の光の弓矢は上空で花火のように数十にも四散し、その全てが炸裂弾となり斑虎に向かい急速に落下してきた。

斑虎「『マッシュラッシュ』ッ!」

すぐに反応した斑虎は上空の砲撃など目に止めず、自らに移動加速の魔法をかけ、その場を駆けた。

滝本の放った砲弾は追撃型で地面に落ちる寸前で向きを変え、次々と斑虎に向かっていったが、ある弾は加速した斑虎を捉えきれず爆発し、ある弾は斑虎に斬り伏せられた。
そうしながら、十数mはあった二人の距離はあっという間に縮められた。

滝本「くッ!」

身に迫った斑虎の斬撃に対し、滝本は咄嗟に弦を身体の前に出し、彼の斬撃を一度は防いだ。
しかし、彼の軟弱な身体は斑虎の放った一撃に耐えられず、その身は数m先まで吹っ飛ばされた。

それでも倒れることを奇跡的に堪えた彼は、なおもこちらに向かってくる斑虎に対し、砂地内に密かに展開していた魔法を解き放つべく、すぐに詠唱の準備に入った。


851 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その18:2021/07/04(日) 20:01:35.329 ID:vOujnt/Qo
滝本「『わたパ地雷』ッ!」

途端に斑虎の足元一帯に、仕掛けられていた赤色光の魔法陣が次々と顕になった。

斑虎「ッ!」

滝本「起動せよッ!!」


一瞬の間もなく、斑虎のいた一帯は轟音とともに途端に大爆発を起こした。

巻き起こる粉塵、砂煙に滝本はすぐに顔を背けた。
実践感覚の遅れから火力の調整を忘れ最大出力で魔法を放ったのは悪手だった。
次の動作に遅れを来す。だが、当たれば敵の身体は跡形もなく消し飛ぶから一長一短でもある。正真正銘、これが滝本にとっての必殺技だった。

あまりの爆音に前方の陸戦兵器<サッカロイド>たちを見つめていた兵士たちの一部も、驚いた表情で滝本たちのいる丘から吹き出た爆炎に目を向けていた。
それでもなおも炎上する王都の火災の一部と捉えたのか、こちらに向かってくる兵士がいないのは彼にとって幸運だった。


それでも、丘の上の滝本は満身創痍だった。
既に魔法力の大半を自身の治癒魔法と先程の攻撃魔法に充てており、魔力は枯渇しかかっている。

先程まで斑虎の立っていた場所は、巻き上がった土煙と硝煙でその姿は眼に映らない。


852 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その19:2021/07/04(日) 20:02:32.853 ID:vOujnt/Qo
死んだのだろうか。いや、死んでいてくれないと困る。
確認する手間を惜しみ、滝本はすぐにその場から駆け出そうと踵を返し――


斑虎「駄目だねえ。戦いの最中に背を向けちゃあ」

――煤にまみれた斑虎と相対した。

滝本「これは驚いた。まさか亡霊じゃないですよね?」

思わず足の止まった滝本に、黒まみれの“虎豹”はギラギラとした目を向けた。

斑虎「咄嗟に地面に突いた剣を踏み台にして跳んだから離脱できたのさ。
愛剣を一本失ったが、火力のおかげで残っていた追従弾も全部消失したし、俺にとっては良いことずくめさ」

ジリジリと後ずさる滝本に、斑虎は残った一本の剣で構えると冷たい眼差しで言い放った。

斑虎「来いよ。あんたも兵士だろ?」

その瞬間。

妙な意識に滝本は全身を支配された。

毛穴という毛穴が総毛立ち、手足の先から頭の頂点に向かい急速に血が湧き上がっていくような感覚。
頭の中が赤一色のペンキで上から塗りたくられ何も見えなくなり、考えられなくなるような先入観。

なぜだろう、なぜここまで全身が震えるのだろうか。
このような異常な感覚に出会ったことも、また制御する術も彼はまだ身につけていなかった。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)

853 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その20:2021/07/04(日) 20:03:49.310 ID:vOujnt/Qo
滝本は反射的に手に持った弓を投げ捨て腰の鞘から脇差(わきさし)を抜くと、がむしゃらに斑虎に突進した。

滝本「このッ、たけのこ風情がァ!!」

斑虎は、片手で持った剣の刃先で彼の一撃をすりあげると簡単に横へ払った。
相手を斬るためではなく、勢いを殺すための応じ技だ。

怒りに身を任せた突進は脇に逸らされ、滝本はそのまま無様にも丘から転げ落ちた。


転げ落ちる中で、滝本は些か冷静になっていた。


逃げなければならない。

卑怯者と罵られようとも彼との対決から逃げて【会議所】に戻り、¢と参謀の二人に計画が失敗したことを伝え、何処かに逃げ延びて再起を図るための準備をしなければならない。
此処で彼と退治しても百害あって一利もない。

そうして兵士たちのひしめき合う丘のふもとまで転げ落ちた滝本は、周りの目など気にせず、ただ手元に転がってきた脇差をじっと見つめた。


きっといま耳をすませば、心の奥底で“彼”がいつものように冷たい悪態をついていることだろう。

この行いは間違いだと。全てを無駄にする気かと。
何のために今日まで準備をしてきたのか、何が最善かを考えろと。


854 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その21:2021/07/04(日) 20:05:21.047 ID:vOujnt/Qo
だから、その“雑音”を打ち消すため。




滝本は、腹の奥底からただひたすらに叫んだ。


滝本「ああああああッ!!」

すぐに起き上がり脇差を手に取ると、歩いて下ってきている斑虎に向かい再び突進した。


本能が言うことを聞かなかった。
初めて理性に反抗した。もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。

この行いが正しいとは露ほども思えない。だが、内にある兵士としての矜持を、誇りを、滝本は捨てきれなかった。

それは人間ならば誰しもが通る道だった。
ただ、心の幼い彼にはこの感情が一体何であるのか、なぜこれ程までに抗えず尊いものであるかを最後まで気づくことはできなかった。


斑虎は、今度は攻撃を払わず剣身で彼の一撃を受け止めた。
そして無言で、かくも武人然とした振る舞いで、ただ剣越しに向かい合う必死の形相の滝本に対し、冷たい瞳で剣を振るった。

滝本も必死に応戦した。
相手の攻撃を見て必死に受け止める。そして相手の動きが止まったところですかさず反撃をする。


855 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その22:2021/07/04(日) 20:07:29.605 ID:vOujnt/Qo
一進一退の攻防だと感じた。

確かに斑虎は強い、いつもの自分ならば到底敵わないだろう。
だが、この必死の戦いの中で急速に成長している実感が滝本の心を支配していた。

今もまた斑虎の剣を払い反撃する。
惜しくも彼に避けられたが、数刻前までは考えられなかった進歩だ。

いつかの抹茶との会話の中で、個の存在が消えることは悲しみであるという話に疑問を持ったことがある。
その時は、現世への執着など一切なかった。ただ自分自身を心に埋め込まれた“遺志”のために動く代行者だと思っていた。

だが今は違う。

生きたい、生き続けたい。
“遺志”のために湧き上がった感情ではなく、自らの“意志”でそう感じているのだ。
この危機の中で芽生えた彼の決意は爆発的に全身に広がり、彼自身を急速に突き動かしていた。

滝本の眼の中には、明らかに今まで見えなかった希望の色が動いていた。
まだ戦える。予想外の善戦だ。
これは決して勝つことも夢ではないのではないか。そう思った。




だが、それは周りの兵士の眼からすると善戦などではなく。
二人の戦いは剣術の基礎を教えている教師と覚えの悪い下手な生徒、というような構図に過ぎなかった。


856 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その23:2021/07/04(日) 20:08:40.561 ID:vOujnt/Qo
滝本「ハァハァ…」

ほんの数分の戦闘だったが滝本にとっては恐ろしく長い時間の中で、斑虎に何十度目かの攻撃を払われ先に跪いた。彼の闘志よりも先に身体が限界を迎えていた。

斑虎「もう終わりかい?会議続きですっかり身体がなまっているんじゃないか、滝さん?」

汗だくの滝本に容赦ない言葉が投げかけられる。
元々、彼に戦闘の素質はない。魔法力も凡庸の域を出ず、会議所議長という役職でなければただの並以下の一般兵士だ。

しかし、それでも滝本には諦められない。
【会議所】を国家にするという夢を。“彼ら”を泣かせた世界への復讐を、“彼”の夢見た野望を諦めることができない。

顔中から大量の汗が吹き出し、地面にこぼれ落ちる。
疲労から目がかすれ、ふと意識を手放してしまえばその場で倒れてしまいそうだ。
今だって、戦いの最中だというのに知らずのうちに顔は地面に下がってしまっている。

そのような中で、彼はふと地面に落ちていた小汚い本と目が合った。
砂まみれになりながらも表紙に描かれていた絵には見覚えがあった。

『牢獄の正義』だ。
参謀に返し損ねて持ってきていたが、いつの間にか懐から滑り落ちてしまっていたらしい。


―― 滝本。何かあれば、俺達は三人一緒や。

そこで、滝本は急速に思い出し始めた。五日前に暗闇の通路内で三人と交わしたやり取りを。


857 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その24:2021/07/04(日) 20:09:37.596 ID:vOujnt/Qo
“記憶”だ。
今の自分の中を駆け巡る熱い情動は、全て自分が生まれ変わってからの“記憶”の結果だ。

【大戦】を愛し、【会議所】を存続させ、そして¢と参謀の元に戻る。
この目的だけが今の自分を突き動かしている。

斑虎「聞いたところによると、滝さん。あんたは、ただ任務を遂行するための機械だ。
つまり意志を持たない人形だ。遠くで暴れている巨人たちと同じ、な」

少し遠巻きに周りの兵士たちが見つめている中で、斑虎は敢えてきつい言葉をかけた。
その言葉に、うなだれていた滝本はカッと目を見開くと、勢いよく顔を振り上げた。

滝本「人形だとッ!?
私はッ、私はッ!!私の意志でッ【会議所】を発展させるために努力してきたッ!
“あの人”の遺志は関係ないッ!!」

斑虎が初めて見る、理性で制御された滝本の激昂した姿だった。

滝本「ふざけるなッ!二人に約束したんだッ、また戻るとッ!

私の身体なぞどうなってもいいと思っていたッ!ただ、【会議所】を残せればそれでいいと思っていたッ!!

だが、それでは駄目なんだッ!生きて戻りこの手で【会議所】を導くッ!!

それこそが、私の“意志”だッ!!」

その時、滝本から少し離れた背後で、一体の陸戦兵器<サッカロイド>が勢いよく倒れ、その振動が大きな地鳴りとして伝わってきた。


858 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その25:2021/07/04(日) 20:10:36.602 ID:vOujnt/Qo
斑虎は気を取られ、そこに一瞬の隙ができた。

本来、戦闘の素質のない滝本なら気づかないような一瞬の隙。
しかし、今の彼は不思議と戦いの間を理解できていた。


頭で動く前に、身体が動き始めた。


滝本「あああああああああああああッ!!!」

突然の奇声に斑虎が意識を戻すと、眼前には死にものぐるいの形相で滝本が襲いかかってきたところだった。


滝本の渾身の一撃は流石の斑虎も防ぐことができず、脇差は彼の腹を勢いよく貫通した。

驚愕の顔で彼は倒れ、滝本は馬乗りになり彼の腹に脇差を何度も突き刺して刺して、刺して刺して刺して――











859 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その26:2021/07/04(日) 20:11:40.237 ID:vOujnt/Qo


そうは、ならなかった。



鋭い眼光で、闇雲に走ってくる彼の動きを視界に捉えた斑虎は、咄嗟に身を低くし、片手剣を左脇に構えまるで刀剣のように抜刀の構えを取った。
心技一体で古くから伝わる伝承技を放つための動作に入ったのだ。


はるか昔、大陸には鬼が存在すると言われた。
常人よりも遥かに強力で人の手には負えず、彼らは暴虐の限りを尽くした。魔法も槍もきかず、彼らの横暴に人々は泣き寝入りをし少しでも自分に火の粉が降りかからないように祈るしかなかった。

そんな跳梁跋扈した鬼たちを退治したのは、鬼退治を生業とした名もなき討伐団だったという。

彼らはみな一様に奇妙な刀を帯刀していた。
見てくれはなまくらの剣で、通常は人を斬れないほどに錆びついたものだが、一度鬼と退治した際にはまるで生き血を吸った吸血鬼のように錆が消え切れ味が蘇り、彼らの首を軽快に刎ねる名刀と化した。

人々は討伐団を崇め奉った。
全ての鬼退治を終えた帰りの道中、好奇心のある童子が飛び出してきて、最後尾を歩く一人の剣士にこう尋ねた。“どうやったらその剣で斬れるようになるの?”と。

剣士は笑ってこう答えた。

“何も特別なことをしているわけではない。『鬼』と名の付いたものしか斬らないだけだ。
また各地で鬼が出ればこの剣で斬るし、たとえ人の形をしていた鬼だとしても斬る。
もし人の心に鬼が巣食えば、その心に居座る鬼だけを断ち斬る。

この剣はあくまで人の心の写し鏡なのだ”と。


860 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その27:2021/07/04(日) 20:14:07.969 ID:vOujnt/Qo

斑虎「『鬼斬閃冥<おにぎりせんめい>』ッ」


短い言葉とともに腰から抜刀した剣先は、丁度眼前に迫った滝本の懐の前から肩口に向かい綺麗な弧を描いた。

剣を介し向かい合う二人の間から微かな光が漏れ出た。
果たして彼の身体から漏れたのか、剣先から発せられたものかどうかはわからない。ただ、血は一滴も吹き出なかった。


斑虎は決して彼を斬ったわけではない。


彼の心に巣食う“鬼”だけを斬ったのだ。

前任者の“遺志”という“鬼”を抱える滝本に向け、斑虎は容赦ない一撃で斬り伏せた。


何が起きたかもわからず、哀れな青髪の兵士は、力なくその場で倒れ込んだ。

斑虎は剣先を下げると、ボロボロに刃こぼれしてしまった愛剣をまじまじと眺めた。
成功したかは分からない。元々は古い書物を見て学んだ技だ。

だが、確かに手応えはあった。


861 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 裁きの遂行編その28:2021/07/04(日) 20:15:17.174 ID:vOujnt/Qo
斑虎「ここで気絶できたのはまだ良かったな、滝さん。貴方にとってこの先は辛いだろう」

ざわつく周りを尻目に、斑虎は倒れた滝本を仰向けに寝かすと、静かに立ち上がり戦場に目を向けた。
丁度、陸戦兵器<サッカロイドたち>も戦いが終わったようで、激戦を勝ち抜いた最後の一体がその巨体を空に伸ばさんと立ち上がったところだった。

一瞬、斑虎は、その巨人と目を合わせた気がした。

あの器の中に誰の魂が入っているのかはわからない。
だが、斑虎とその巨人は距離こそ離れながらも、互いに一歩も動こうとしなかった。

二人の間には、歴戦の兵士同士にしかわかりえない奇妙な間があった。
互いの戦いを称え合うような、そのような時間だった。

一瞬の沈黙の後、陸戦兵器<サッカロイド>は顔を天に上げると、自分の心臓部に手を当て、間髪を入れずに心臓部に繋がるハッチを引きちぎった。

そして、心臓部内にあった英霊の魂を自らの手で掴み出すと、空に蝶々を解き放つように、そっと大事に解き放った。
赤色の靄(もや)状の魂はふわふわと上空へ向かうも、数秒するとすぐに霧散した。

同時に意識を失った陸戦兵器<サッカロイド>は、ゼンマイの切れたブリキ人形のように力なくその場に崩れ落ちた。

最後の地響きが、王都にまで響き渡った。

壮絶な光景だった。




こうして戦いは、終わった。


862 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/07/04(日) 20:16:05.030 ID:vOujnt/Qo
裁きはくだされた。だが、もうひとり忘れてはならない人がいますよね。
次回、最終回!

863 名前:たけのこ軍:2021/07/04(日) 20:27:42.718 ID:XtUQk/Sw0
おかし技が活かされるのがかっこいい

864 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/07/11(日) 01:08:49.132 ID:CSREfad2o
今週はお休みとします。

865 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その1:2021/07/16(金) 21:51:15.499 ID:T/xzUP.oo
斑虎の眼に映る戦場は、一見すると先程までと何も変わらないように見えたが、よく目を凝らしてみれば透き通った陸戦兵器<サッカロイド>の残骸で散らばっていた。
英霊の魂無きいまとなってみれば、いよいよ判別がつきにくい。

戦場に巨人は折り重なるように無残に斃れ、その巨人たちを率いていた滝本も斬り伏せたことで、遂に【会議所】の一連の襲撃は終りを迎えた。

ただ、そう理解できているのは斑虎だけで、大多数の兵士たちには未だ何が起きているか分かっていないように呆然と立ち尽くしていた。
それは自分たちを襲ったかと思えばすぐに同胞たちで殺し合った透明体の巨人が斃れ伏し、戦場に静寂が訪れたいまもなお同じだった。

彼らの顔には一様に不安気と戸惑いの色が張り付いたままだった。
この異常な事態に終わりが来ることで先程の戦闘にまた戻らないといけないのかどうか個人では判断できず、敢えて目の前の非日常の状況を受け入れているようにも斑虎には見えた。

その凡庸な輪から外れた一部の勇敢な兵士たちは既に王都の消火活動を始めていた。
彼らは目の前の真実を受け入れ、自分がいま為すべきことを理解したのだろう。そして不思議なことに、その作業には公国軍兵士も多く参加していた。

斑虎も他の兵士を消火に向かわせようと声を出そうとした直前に、彼の背後からよく知る者の声が聞こえてきた。

Tejas「斑虎さんッ!」

その声に勢いよく斑虎が振り返ると、煤まみれのTejasと彼の肩に抱えられながらぐったりとしたsomeoneの二人が丘を丁度下りきったところだった。


866 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その2:2021/07/16(金) 21:51:47.100 ID:T/xzUP.oo
斑虎「someoneッ!大丈夫なのかッ!」

someoneは静かに顔を上げると、気丈な様子で頭を振った。

someone「ただの魔力切れに、ここ最近の心労が重なっただけだから」

“それよりも”と未だ顔を青ざめながら、眼前の親友は言葉を切り、真剣な眼差しでこちらの言葉を待っているようだった。
斑虎は足元で気絶している滝本二人に目で示すと、白い歯を見せ親指を突き立てた。

斑虎「“約束”は守ったぜッ」

そこで安心したようにsomeoneは口元を緩めた。
Tejasも隣で“おお”と感嘆の声を上げた。

Tejas「まったく、あんたたちは大した“英雄”さまだ」

someone「Tejasさんもね…でも、こんなの【大戦】でたけのこ軍に囲まれた時と同じくらい楽ちんさ」

斑虎とTejasは一瞬きょとんとし、すぐに笑い出した。

斑虎「言葉と態度がまるで合ってないなッ」

その言葉に、someoneも可笑しくなったのか表情を崩すと、三人は声を出して笑いあった。
先程まで繰り広げられた死闘は嘘のように、そこにはまるで【大戦】終わりの両軍兵士が陽気に話し合うような、高揚として愉快な雰囲気があった。


867 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その3:2021/07/16(金) 21:52:43.555 ID:T/xzUP.oo
周りの兵士たちは、そんな三人の愉しげな様子をただ遠巻きに眺めていた。
事情こそ飲み込めないものの、いまの彼らはまるで大仕事をやり遂げたようなやり遂げた兵士の顔をしており、中心にいる彼らから発せられる空気は他の者の眼からは桃源郷のように映った。
肩を震わせている彼らを見た全員は、まるで最初から戦争など無かったかのような錯覚に陥りまでした。

今すぐにでもその輪に加わり武器を投げ捨て隣人と手を取り、肩を組み、思いっきり叫びたいという思いは各人に芽生えていた。
だが、ある種神聖な空間に不完全な自分たちが混ざると失礼ではないか、足を踏み入れることで空気が壊れてしまわないか。
そう善良な兵士たちは憚(はばか)ったのだ。

きっと、あの場に“土足”で入り込めるのは空気の読めない無遠慮な人間か、明確な悪意を持った兵士か。

もしくは、故意の意識すらない“純粋な悪意”を纏(まと)った兵士だけだろうと、周りの兵士たちは感じた。


そう遠慮する彼らを横目に、一人の兵士が遠慮なく“土足”でその場に入り込んだ。




「いやあ。見事、見事だったねえッ!」


突如、素っ頓狂な程に明るい声が響き渡り、三人を含む一同はギョッとした。
三人を囲んでいた群衆の中から、すぐに一人の兵士がぬっと現れ出た。

彼は全身を銀甲冑で纏った公国軍兵士だった。


868 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その4:2021/07/16(金) 21:53:56.560 ID:T/xzUP.oo
辺りの騒然とした空気を物ともせず、ガントレットに覆われた両の手から乾いた拍手音を繰り返し響かせながら、彼は斑虎たちの前に近づいてきた。

「一部始終を見ていたよ。今まで見たどの劇よりもおもしろかったし、すごい迫力だったよ」

斑虎たちの前で止まると、彼は勿体ぶった役者のように静かに手を下ろした。
上背のある体つきのようだが、なにしろ全身が甲冑なので首から下の体躯は窺い知れない。
また、砂埃に塗れたのか、少し光沢を失ったヘルメットで覆われた頭部は、目元のスリット越しにも彼の顔を捉えられない。

不思議と斑虎にはこの兵士の声に覚えがあった。
鈴の音のように柔らかく響く高い声、恐らく女性だろう。
何処で聴いたのか、彼は咄嗟に思い出せず思案気に眉をひそめた。この高身長の人間と声による朧気な記憶とが適合しないのだ。

someone「Tejasさん、もう大丈夫です。自分で歩けます」

うんうんと悩む斑虎の横で、件の兵士を睨んだままsomeoneは静かに立ち上がった。
先程までの和やかな気は消え失せ、今の彼には先程の王都で陸戦兵器<サッカロイド>や滝本と対決した時のような、“鋭利”な気を身にまとわせていた。
そして先程までは打って変わり、強い口調で彼は語りかけた。

someone「見ていただけたのなら分かったでしょう?
戦いは決しました。



791先生。

いえ…“宮廷魔術師”791」

斑虎を含めた周りの兵士たちは再度意表を突かれたように目を丸くし、睨み合ったままの二人を凝視した。


869 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その5:2021/07/16(金) 21:54:38.902 ID:T/xzUP.oo
斑虎「791さんだってッ!?
someoneッ、あの人はいま公国にいるんじゃないのかよッ!」

「バレちゃあ、しかたないなあ」

甲冑の兵士は、斑虎の焦った声から比べると呆れるほどに呑気な声を出すと、顔を覆う面甲の部分をあっさりと上部にスライドさせた。

顔の現るはずの部分には、“何もなかった”。

本来顔のある部分は空っぽで、三人の目にはヘルメットの背面内の生々しい鉛色が映っていた。
顔だけではなく全身も同じく透明人間のように空っぽなのだろう。甲冑の中身は、恐ろしいほど暗い空洞だった。

斑虎はすぐに合点がいったように目をパチクリさせた。

斑虎「なるほど、これが、【使い魔】というやつか…」

Tejas「なにを驚いているんだ。さっき霊歌を見ただろう?あ、そうか。斑虎さんは見てないのか」

突然の彼女の登場に、周りの兵士たちの中でも特に公国軍兵たちは、にわかにざわつき始めていた。
そのどよめきに、斑虎は何か嫌な気配を感じ取った。まるで、おとなしかった肉食獣がふとした拍子で興奮し再び暴れ出す直前のような、そのような荒々しく不気味な空気だ。

「“戦いは決した”?おもしろいことを言うね、someone」

【使い魔】は首を僅かに横に傾けると、文字通り表情こそ無いものの声で嘲笑った。
それは“何を寝ぼけたことを言っているのか”とでも言いたげな嘲笑の成分を含んだものだった。


870 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その6:2021/07/16(金) 21:55:50.305 ID:T/xzUP.oo
「戦いは“中断”されていただけだよ、someone。

何も決してはいない。
突然、【会議所】が大きな玩具<おもちゃ>を持ってきて暴れたから水を差されちゃったけど、すぐに戦いを再開しないといけない。

それが、公国軍の使命なんだ」

空っぽの甲冑の中で反響し外に発信される彼女の朗らかな声は、周りの兵士たちの耳に不思議とよく響いた。

兵士たちのざわめきの声は大きくなった。
彼らの声の中には不安だけではなく、怒号のような成分も含まれていた。一部の兵士は、まるで感情を取り戻し自分たちの本来の目的を思い出したかのように声を荒げ、彼女の言葉に賛同するように鼻息を荒くしている。

場が混沌に支配されつつある中、someoneは怯むことなく、甲冑の空洞の中にある一点だけをただ睨み続けていた。

someone「それはできません。
貴方もこの光景を見ているでしょう。

窮地に際し、オレオ王国兵とカキシード公国軍兵は手を取り合い助け合いました。
兵士間で争いの感情はもう残っていません。

戦いは、無意味です」

彼の言葉に、いよいよ両軍兵士たちは最大級の喧騒に包まれた。
困惑し嘆く者もいれば怒り散らす者もいる。
だが、大多数の人間は勇気を振り絞り、彼に同調の叫びを上げていた。
再び訪れるかもしれない戦場での悲惨な未来を防ぎたく、その行く末を公国の“影の支配者”と対峙する彼に全て任せたのだ。
暫くすると統率の取れていなかったざわめきは一様に、ボロボロのローブを身にまとった小さな魔法使いを後押しする声援に変わっていた。


871 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その7:2021/07/16(金) 21:56:26.165 ID:T/xzUP.oo
そんな彼らを尻目に【使い魔】は一歩足を進めると、そっとsomeoneたち三人だけに聞こえるように囁いた。

「そんなことは、どうとでもなるんだよねえ。

たとえば、いまここで私が王国兵を一人刺すとする。


どうなると思う?

この淀んでふわふわとした不安定な空気はすぐに破裂して、争いと憎しみの怨嗟が再び蔓延する。

王国兵は斃れた仲間のために立ち上がり、公国軍兵も当初の目的を思い出したかのように武器を手に取る。

こうしてすぐに戦いは再開される。そうだよね?」

斑虎は、そこで初めて791の本性を垣間見た気がした。

悪意に満ちた声ではない。小鳥が囀るように穏やかな声。
その声色は、普段喋っている彼女のものと特段変わりはない。

それこそが、彼女の底しれぬ悪意を如実に表していた。
純粋な悪意。悪意だと思わないことが既に完璧な悪なのだ。

彼女の言葉からは、ひしひしとその気を感じる。
斑虎にとってこれまで対峙してきた敵とは一線を画す、明らかに異質な存在だった。


872 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その8:2021/07/16(金) 21:57:49.023 ID:T/xzUP.oo
驚愕した彼とTejasに対し、someoneは今更怖じ気づくこともなく、近づいてきた【使い魔】に対し、寧ろさらに眉を吊り上げた。

someone「貴方の目論見は完全に崩れ去りました。
【会議所】の企みを貴方は想定できていなかった。貴方は負けたんです。
即刻、王国から手をひいてください」

【使い魔】は甲冑をキシキシと揺らしながら、くすくすと笑い声をあげた。

「私が負けたのは【会議所】にじゃない。


君にだよ、someone。
君の暴走を制御できなかった私の見込みの甘さが敗因だ」

“でもね”と、彼女は続けた。

「君の優先順位の中で、私が一番でないということはわかったよ。

でも、君の行動はお世辞にも褒められたものではないよね。

恩師に従うフリをしながら裏では【会議所】勢とも通じ、こちらに戻ったら戻ったで恩師を裏切り、結果として【会議所】をも裏切る。
裏切りに次ぐ裏切りだ。


こんな不義理な英雄を、世界が許していいものかね?」

someoneの顔がサッと険しくなったことを見逃さず、791は間違いを咎める教師のように彼を執拗に責め立てた。


873 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その9:2021/07/16(金) 21:59:34.579 ID:T/xzUP.oo
「授業でも言ったよね?
“裏切りとは甘い蜜だが奈落の底への始まりだ”とね。

君はそんな堕落した自分に、胸を張ることができるのかな?」

斑虎「お言葉ですが791さんッ!彼は――」

someoneは無言のまま、斑虎を手で制した。

こちらに顔を向けた驚いた彼と目が合い、someoneは咄嗟に微笑んだ。


“大丈夫だ”と。

いわば、これは過去との訣別。

これからの未来を歩む上で、決して避けては通れない儀礼。
ここで彼女から逃げてしまっては真の終戦とは言えないのだと、彼の本能が理解していた。

そんな彼の心情を理解したのか、斑虎は後押しするように口元に一度微笑をつくると、一歩だけ後ろに下がった。

“ありがとう”と心の中で呟くと、someoneは改めて【使い魔】越しに791と対峙した。

someone「許される行いではないと思っています。
まずは弟子“であった”身として、先生を裏切ってしまい本当に申し訳ありませんでした」

そうして、someoneは一度だけ頭を下げた。
思えば、彼女の前で本心を口にしたのは久々かもしれない。


874 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その10:2021/07/16(金) 22:00:48.104 ID:T/xzUP.oo
someone「ですが。僕は貴方の考えを受け入れられませんでした。
No.11のように、許容できる器量の広さも無かった。

何より、自分を変えてくれた仲間たちを、まるで蟻を踏み潰すかのようにぞんざいに扱う貴方の振る舞いを、決して赦すことができなかった」

いつしか、あれ程ざわついていた周囲はしんと静まり返っていた。
someoneは気にすることなく、胸中に満ちる思いの丈を懸命に言葉に変える。

someone「加古川さんからの手紙で真実を知ったとき。何日も悩みました。真実を貴方に打ち明けるべきか否か。

悩み続けた結果、斑虎が“答え”を教えてくれたんです。

“何も気にせず、自分の心で感じたままを行動に移せばいい”と。

それこそが“正義”だと」

喋り続けていた中で、someoneの脳内にはあの日の光景が思い浮かんでいた。
彼が自分を救い出してくれた運命の日を、“正義の火”を自覚し敷かれたレールから外れ覚悟を持って進み始めたあの日のことが昨日のように思い出された。

someoneの胸が途端に激しく鼓動して、同時に口の中が突然カラカラに乾いていくのを感じた。ここまで啖呵を切るのは初めてだから慣れていないのかもしれない。
続いて目眩も起きる。
体調は完全に戻ったわけではない。正直に言えば、気を抜いてしまえばその場で倒れてしまうほどに疲弊している。

それでも“正義の火”を心で燃やし続けながら、彼は既のところで意識を保ち、目の前に立ちはだかる強大な“敵”と向かい合っていた。

逃げてはいけない。決して背を向けてもいけない。

自覚しなければいけない。彼女は暗闇の中で自分を導いてくれた“恩師”であり、同時に自らの理想を阻む“大敵”であると。


875 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その11:2021/07/16(金) 22:01:40.898 ID:T/xzUP.oo
someone「だから、僕は決意したんです。


僕を変えてくれた“公明正大”な【会議所】のために動くと。
公国のsomeoneではなく。【会議所】のsomeoneとして。

貴方の野望を砕き、滝本さんの横暴を阻止すると。


そう誓ったんです。



僕にとっての正義とは。こういうことです。


791先生」



長い沈黙だった。

誰も一切の言葉を発さなかった。
少し離れた場所からは燃え盛る王都を鎮火させようと、懸命に努力する兵士たちの声だけがただ全員の耳にこだまのように響いていた。

斑虎とTejas、そして二人のやりとりを全く把握できない周りの聴衆たちまでもが並々ならない空気を感じ取り、固唾を飲んで二人を見守っていた。


876 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その12:2021/07/16(金) 22:02:36.491 ID:T/xzUP.oo
【使い魔】はずっと顎に手を当て何か考える素振りを見せていたが、暫くすると再びsomeoneに顔を向けた。

「私がいまどんなことを考えているか分かるかい、someone?」

someone「きっと…怒っていると思います」

【使い魔】は人差し指を立て、その指をくるくると回し始めた。

「半分は正解。

確かに、為政者の目としてから見ると、君は私の計画をめちゃくちゃにした大戦犯だ。
正直、いま目の前に君がいたらめちゃくちゃにしちゃうぐらいは怒ってる。

まあ、でも多分、私よりも隣にいるNo.11の方が怒っているけどね」

まだ見たこともない公国宮殿の修羅場を想像し、斑虎は内心冷や汗をかいた。

「でもね。小さい頃からの君を見ていた私からすると、素直に“嬉しい”んだよ。

ここまで強い意思を見せるようになった君は、随分と眩しい存在になった。


素晴らしい、素晴らしいよsomeone。
私の目に狂いはなかった。

それだけに君を手放さくちゃいけないのが、とても惜しい」

“最後に一つ訊くね”と、【使い魔】は淡々と言葉を続けた。


877 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その13:2021/07/16(金) 22:03:36.593 ID:T/xzUP.oo
「もし、それでも私が公国軍を指揮して、王国を攻めようとしたら。
君はどうする?someone」


―― 君はどうする?someone。


幼い頃から何度も聞いてきたフレーズにsomeoneの脳内にはかつての風景が一瞬だけ思い出され、彼は目を大きく見開いた。
しかしすぐに深く大きな息を吐き出すと、次の瞬間鋭い目つきで再び彼女と向き合った。

それは先程までの睨みとは違い、まるで先生からの質問に答えるような“真剣”な眼差しの色を瞳に宿していた。

someone「簡単なことです。


ありとあらゆる世界中に。
貴方の秘密。貴方が公爵に仕掛けた一連の謀略を、嘘偽りなく話すだけです」

「強くなったね、someone…君はもう立派な【魔術師】だ」

【使い魔】は人差し指をゆっくりと手のひらの中にたたむと、はらりと手を下ろした。
なぜだか、その時someoneの胸が一瞬だけ痛んだ。まち針でほんの瞬間的に爪先を刺されたような感覚。だが、彼は生涯この痛みを忘れないだろうと思った。


878 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その14:2021/07/16(金) 22:04:35.593 ID:T/xzUP.oo
次の瞬間、【使い魔】は勢いよく振り返った。
そして、事情を飲み込めずにぽかんとした顔のままでいる群衆に向かい、勢いよく諸手を振り挙げた。

「皆の衆ッ!特に公国軍兵よ、聞くがいいッ!
私はカキシード公国の791であるッ!諸君らに【使い魔】の姿を通じ語りかけているッ!」

魔法の拡声器で戦場中に響き渡った彼女の声は、全ての兵士の動きを静止させた。

「諸君らの働き、祖国の未来を案じてのことだと思い、真に胸が張り裂ける思いであるッ!
全てカメ=ライス公爵の指示の下で国に命を預けた英雄だ。

だが、聞けッ!英雄たちよ!
その公爵本人は民を抑圧し、一連の不条理な戦いを仕掛けたことで大きな不興を買い、ついにその怒りが国中で爆発した。


そして、つい先刻のことだッ!


既に民の力により、賢主の座を降ろされたッ!


公爵は、追放されたッ!」

全員の息を呑む声が聞こえてきた。
791は構わずに捲し立てた。


879 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その15:2021/07/16(金) 22:12:25.118 ID:T/xzUP.oo
「此処に、“新・元首”791が命ずッ!


即刻、“道理”の無いこの戦いを、放棄せよッ!
公爵の私利私欲のまま王国へ侵攻したこの戦いに、道理などないッ!




全軍、直ちに引き上げだッ!!」


一瞬の沈黙の後、すぐに両軍兵士は歓喜の雄叫びを上げた。

皆は手にもった銃と剣をその場に投げ捨て、敵同士ということを忘れ互いの甲冑を激しく擦りながら抱擁し、ひたすらに叫んだ。
先程までの巨人の地鳴りに負けないような歓喜のうねりが大地を包みこみ、彼らに喜びと生の実感を染み込ませたのだった。

somoneたち三人は、最初その光景を遠巻きにただ眺めていた。
だが、焚き火にあたるように、心の奥底からじんわりと温かみが広がっていくように次第に顔をほころばせ自分たちが成し遂げた事の重大さをようやく理解したのだった。

Tejasと斑虎はすぐに小さな英雄の下に駆けつけた。彼は未だ放心しているのか顔を少し強張らせたままで、その様子がおかしくて二人は笑いあった。
すぐに兵士たちは英雄を讃えるべく三人の下に集ってきた。その熱量にあてられ、ようやくsomoneも意識を戻し徐々に頬を紅潮させていったのだった。

「じゃあね、someone」


何度目かの握手を求められたとき、歓喜の渦の中でポツリと耳に届いた声に、someoneは思わずハッとし辺りを見回した。
しかし、先程まで立っていた場所に、もう彼女の姿は何処にも無かった。どこか儚く寂しい風が、一瞬吹き抜けた。


880 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その16:2021/07/16(金) 22:13:37.937 ID:T/xzUP.oo

その後、両軍兵士が協力し負傷兵の手当てや看病を行い、また夜半まで協力して燃え盛る王都を鎮火させた一連の出来事は、この“チョコ戦争”を語る上でとても重要な顛末である。

公国軍兵はいの一番に甲冑を脱ぎ捨て、次いで王国軍兵も慣れない鎧をやっとのことで取り払い、身軽になった彼らはそこで初めて互いに顔合わせをして驚きすぐに笑顔になった。
なんということはない、彼らは同じ人間だったのだ。
互いの国籍やいがみ合い、憎しみをすぐに取り払い、国家間で和平に向けた話し合いが行われる前に、既に戦場にいる兵士たちは平和へ向けた歩みを真っ先に表したのだった。


白馬に跨り遅れて三人の下に馳せ参じたナビス国王も、先程までの791の話を聞いていたのか、斑虎たちに歩み寄ると深々と頭を下げた。

ナビス国王「斑虎くん。本当にありがとう。みんな、ありがとう…ありがとう」

斑虎「私ではありません。someoneとTejasさんを褒めてやってください。
彼らは、間違いなく今回の“英雄”ですよ」

深々と頭を下げたままの国王の前で斑虎は困ったように肩をすくめると、横で同じく苦笑しているsomeoneとTejasに向かい、“そうだよな?”と含みのある視線を送った。

Tejas「【大戦】できのこ軍が勝った時よりも気持ちの良いものだな。存外悪くない」

Tejasはその場で座り込み、目の前で続いている歓喜の様子を嬉しそうに眺めているようだった。


881 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その17:2021/07/16(金) 22:15:02.492 ID:T/xzUP.oo
疲れから、同じくぺたりと座り込んだsomeoneもぼうとその光景を眺めていたが、暫くするとおもむろにローブの中のポケットをまさぐった。

すぐにツルツルとした感覚が手に返ってきた。
投獄されてもずっと奪われずに潜ませていた甲斐があった。
彼には少し大人びたグレイン柄のパイプをsomeoneはすぐに取り出した。パイプは一連の動乱を経ても傷一つなく艶が保たれていた。

久々に口に咥え、火もつけていないのに口にパイプの“馴染む”感覚を暫し堪能する。

一ヶ月ぶりだというのに大分昔のように感じる。
ひとしきり時間をかけた後、someoneはいつもの癖で火を点けようと爪先に意識を集中させた。
だが、一向に火は灯らない。
どうやら正真正銘、魔力が尽きてしまったようだった。


882 名前:Episode:“トロイの木馬” someone 正義の対峙編その18:2021/07/16(金) 22:18:36.929 ID:T/xzUP.oo
困った顔の彼の目の前に、上からすっと蛍火が下りてきた。


ふと顔を上げると、そこには爪先に火を灯す“親友”の姿があった。

斑虎「しょうがねえな、特別だぞ?」

someoneは嬉しそうに頷くとパイプを咥えなおした。

そして、彼から貰った火でパイプの中をゆっくりと、ゆっくりと時間をかけて蒸(ふか)し始めた。




黒煙で覆われていた上空の空は、いつの間にか綺麗に晴れ渡っていた。



そこに一本だけ薄い煙が立ち込めてきた。

陽射しを受けキラキラと反射しながら、煙は澄みきった空に向かいただ伸びていった。






883 名前:Episode:“トロイの木馬” someone Epilogue:2021/07/16(金) 22:19:28.236 ID:T/xzUP.oo





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きのたけカスケード 〜裁きの霊虎<ゴーストタイガー>〜
Epilogue.

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884 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその1:2021/07/16(金) 22:20:55.973 ID:T/xzUP.oo
『拝啓 滝本スヅンショタン殿





お元気にしていますか。
お身体にかわりはありませんでしょうか。

収容所での労働は激務とききます。

特に滝本さんには気が重いかもしれません。
ネギ畑での栽培作業と選別作業は苦痛だと思いますが頑張ってください。


885 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその2:2021/07/16(金) 22:21:37.410 ID:T/xzUP.oo
ただ、これを最初に提案したのは抹茶さんなんです。私たちじゃないので勘違いしないでくださいね。

“あの人にはキツイお灸が必要だからネギまみれにしてやろう”と最初にあの人がいいだしたんです。

彼も最初は貴方たちの企みを知るやいなや激怒していましたが、今では“【会議所】をより良くしていこう”という意志で、次々と再建策を打ち出していますよ。

新議長としては働きすぎなぐらいに奔走していますが、若干私情で動く面もあるのが困りものですね。

この間なんて、“ポン酢の美味しさを分からせるために、全家庭に配布配給させる”と会議の場で言い出した時には、流石にみんなで止めました。
時々、滝本さんの頃の冷静な会議が懐かしくなります。


886 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその3:2021/07/16(金) 22:23:06.741 ID:T/xzUP.oo
¢さんと参謀もそれぞれ離れた地の収容所で、滝本さんと同じように頑張っています。

滝本さんが捕まった後、その報を受け取るや否や二人は抵抗の意思を一切見せることなく【会議所】から出てきました。
その時の様子は、今でも皆の間での語り草です。

二人は滝本さんのことを信頼していた、それゆえに覚悟もしていたのです。
三人は本当に固い絆で繋がっていたんだな、ということを改めて実感しました。

¢さんは収容所の中で、改めて体力の低下を実感し日々悲観しているそうです。お菓子を取り上げられた辛さか、前よりも痩せて顔つきが凛々しくなった気がします。
一方、参謀はあり余った体力で収容所のメンバーと一致団結し、社会復帰のための新ビジネスを計画し始めるそうです。

二人らしい、対称的な話ですね。


887 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその4:2021/07/16(金) 22:24:20.544 ID:T/xzUP.oo
そちらでは特に最近の状況が伝わってないと思いますので、かいつまんで説明しますね。

オレオ王国の復興は着々と進んでいます。

斑虎も何度も足を運んで各地で手を貸しているそうです。“白き虎豹”の名は伊達ではないそうで、今では王国内で一番の人気者になっているそうです。
ナビス国王の側近の中には、国王を差し置いて歓声を集める彼に焦りを持っている者もいるとのことですが、当の国王本人は気にせず笑い続けていますね。
なにより、彼が一番のファンですから。
私としても、たまには【会議所】に戻ってきてこちらに力を入れてほしいと思うんですが…まあ、彼の性分としては仕方ないかもしれません。


斑虎の親友の椿さんは、先日行われたトッポ連邦の総選挙で次期首相に内定したそうです。
謹慎の中で方針の反する王国への支援は当初問題視されていましたが、彼の熱い信念に多くの国民は心を打たれたそうです。

先日、久々に【会議所】を訪れていたので初めてお会いしました。
懐かしそうに目を細め、思い出を口にしていたのが印象的です。


888 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその5:2021/07/16(金) 22:25:06.445 ID:T/xzUP.oo
カキシード公国は…失礼、カキシード“帝国”は、昔よりも少し開放的になりました。

鎖国体制を取りやめ、他国との交流を徐々に再開していっています。オレオ王国の王都復興も帝国が率先して支援している程です。
その他は特に変わりありませんが、カメ=ライス公爵の代わりに791さんが皇帝として君主に就いたぐらいでしょうか。

一連の事態は全て公爵の責任に擦り付けられ、新生カキシードは誠実な心と世界への反省を胸に抱きながら変わっていく…らしいです。

事情を知っている身からすると、実に苦々しいですが。
まあ、あの人も今は国造りに精一杯でしょうし、大っぴらに動いてくるのは難しいと思っています。


889 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその6:2021/07/16(金) 22:26:27.007 ID:T/xzUP.oo
最後に、滝本さんが一番気になっている会議所自治区域についてです。

先日、世界会議があり抹茶さんとともに出席してきましたが、当然のことながら国家への昇格は見送られました。
陸戦兵器<サッカロイド>は全て破棄され、ケーキ教も解散。

当時、一夜にして【会議所】は世界中から批難の的となりました。
【大戦】の参加者もだいぶ減り一時期は存続も危ぶまれた程です。正直なところ、いまが底なのだと思います。

ですが、この騒動で世界は考え方を変えつつあります。

蔑ろにされてきた【会議所】の内面が暴露され、さらに抹茶新議長を始め斑虎、そして僭越ながら僕も含めた新体制は受け入れられ、オレオ王国を始め各国は現【会議所】の体制を支持しています。

すぐにとはいかないまでも、世界は過去の【会議所】からの付き合い方を変えつつあります。


890 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその7:2021/07/16(金) 22:27:38.711 ID:T/xzUP.oo
僕は今でも滝本さんたちの計画を正しいとは思っていません。
貴方達の行いを許してもいませんし、今後も認めることはないでしょう。


ですが、貴方達の行動が世界の意識を着実に変えつつあることは認めないといけません。


先日、参謀と面会して話してきた時に同じ話をしました。
その際に、滝本さんの過去についても聞きました。

正直に言うと、胸が打たれました。

自分の意思とは関係なく他人に人生を決められてしまうことは、横暴の一言につきます。
それでも【会議所】のためを思って行動した滝本さん自身の気持ちは、嘘偽りない真実です。

貴方は、きっと後悔していないと言うと思います。人として、素直に尊敬します。


891 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその8:2021/07/16(金) 22:28:54.589 ID:T/xzUP.oo
最後に皆のことも少し書いておきますね。

Tejasさんは本格的に世界放浪の旅をはじめました。
今では霊歌と一緒に各地を楽しく回っているそうです。時々、魔法通信が届き、楽しそうな様子が伝わってきます。

斑虎は、先程伝えたとおりですね。
新たな【大戦】の英雄として、【会議所】人気復活計画の柱になっていますよ。本人は表面上嫌な顔をしていますが、恐らく満更でもないと思います。

そういえば、先日復帰した加古川さんが滝本さんに伝言を届けてほしいとのことでしたので一字一句変えずそのまま書きますね。

“もし戻ってきたら一発ぶん殴らせろ”とのことです。

それで全て清算とするそうなので逃げないでくださいね。


892 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその9:2021/07/16(金) 22:29:30.490 ID:T/xzUP.oo
最後に、僕は…

当時の僕からは少し変わったと思います。
口数の少なさは相変わらずですが、逃げないという心は強くなったと思います。

同時に、少し感情的へ変わったかもしれません。
斑虎の影響を受けたかもしれないと思うとほんの少し癪に触ります。

ただ他人の指示で働くのではなく、自分の正しいと思う道を考え進むことで未来を切り拓くことが自分にとっての“正義”だと気付かされました。


893 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその10:2021/07/16(金) 22:30:25.467 ID:T/xzUP.oo
思い返せば、皆には皆の正義があったのだと思います。


王国を何としても救いたいという斑虎の“正義”。

公明正大な【会議所】にするという僕の“正義”。

公国だけでなく王国も手中に収めようとする791の“正義”。

そして【会議所】を国家にするために王国と公国の共倒れを狙った滝本さんの“正義”。


道義として誤っている、正しいという評価は後から行われるものだと思いますが。


あの日、あの時。


確かに皆は“正義”の下に行動していたのだと思います。


894 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜 Epilogueその11:2021/07/16(金) 22:32:12.990 ID:T/xzUP.oo
最近は特に冷えてきました。

風邪を引かないようにご自愛ください。
体調が悪くなったらネギを首にまくといいと斑虎も言っていたので、今度ぜひ試してみてくださいね。



また手紙を出します。


                                                        敬具
                                         魔術師 きのこ軍 someone』


Fin.


895 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/07/16(金) 22:33:18.224 ID:T/xzUP.oo
2020年4月から投稿を始めて1年半。今回は大きな休みなく完結することを第一の目標として頑張ってきました。
終わってよかった、ありがとうございました。

896 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/07/16(金) 22:35:11.505 ID:T/xzUP.oo
ということでキャラ設定資料集を公開します。
結構盛りだくさんにしてみたのでお時間ある時にみてください。
用語資料集は準備中なので後日整備しておきますー。


■まとめ
きのたけカスケードssの人物詳細(裏事情ネタバレ)
https://seesaawiki.jp/kinotakelejend/d/cas-ura1

きのたけカスケードの設定・用語等々(裏事情ネタバレ)
https://seesaawiki.jp/kinotakelejend/d/cas-ura2

897 名前:たけのこ軍:2021/07/16(金) 22:40:20.152 ID:fWDXtPeA0
今までおつかれ様でした!爽やかな終わり方いいぞ

898 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/07/16(金) 23:00:38.480 ID:T/xzUP.oo
>>897
あざした!爽やかENDはやはりいいな(スッキリ

899 名前:きのたけカスケード 〜裁きの霊虎_ゴーストタイガー_〜:2021/07/23(金) 18:15:29.134 ID:rLe6kz26o
>>896
設定・用語等々も更新完了
これで完結となります。いつか続編も投稿するかもです。ではではあらためてありがとうございました。


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